第十三話
ノーラとマーがサラマンダーとの密談を交わし終わり、三人はドゥルドゥの街へと戻っていた。
既に夜になり、この時間に帰っても疲れるだけだとリットは宿を取ったのだが、それとは別に酒場に来ていた。
一人で酒でも飲んでのんびり過ごすはずだったのだが、リットがいつものように座るカウンターの横にはノーラとマーも座っていた。
「あのなぁ……数日分の宿代は先に払っといてやっただろ」
リットは帰れと言うが、ノーラとマーは川魚のスープを味わいながら、新たに注文を追加して、帰るつもりはなかった。
「旦那ってば……寝るところがあっても、食べるものがなければ生きていけないんですよ」
「その分の金も渡しただろ」
「でも、今ここで食べれば一食分浮きます。旦那が旅先でエミリアに甘えるのと一緒ですよ。お金はある者が使うべきってやつっス」
「そんなことより、リットはちゃんとやってるの? フラフラしてるけど」
マーは歯に挟まった魚の骨を取るために、口をモゴモゴさせながら聞いた。
「奢られてる奴が、そんなことで片付けんなよ。こっちは変な奴が協力してるから大丈夫だ」
リットはデルフィナという人物と出会ったことと、デルフィナが精霊師という特殊な研究をしていること。それに浮遊大陸の土を使ってゴーレムを作ることを話した。
すると、マーは「ずるい……」と不機嫌に目を細めた。
「オマエらも目当ては浮遊大陸の土だったのか?」
「違う。力ある人が味方するのがずるい」
「オマエにはノーラがいるだろ」
リットの言葉にノーラは勇んで胸を張るが、マーは小さく何度も首を横に振った。
「もっと役に立つ助っ人じゃないと意味がない」
「あらら……お師さん呼びから、ずいぶんランクが下がってしまいましたねェ。傷ついた心はやけ食いで癒やすしかないっス」
ノーラはもっともらしい理由をつけると、リットが金を持っているのを良いことに次々と注文を始めた。その表情はマーの言うことなど全く気にした様子などなかった。
「役に立つっていや役に立つな。つーか立ち過ぎだ。魔女の中だと性格もましな部類だな。変人なことには変わりねぇけどよ」
「グリザベルよりも優秀な魔女なんているんスねェ」
ノーラの素朴な疑問に「いない」と素早く答えたのはマーだった。
ノーラの視線に気付くと、マーは取り繕って「リットはそんなこと言ってない」と言った。
「確かに言ってねぇけどよ。事実だ。まぁ、魔女は捨てて精霊師って名乗ってるけどな」
リットの言葉にマーは、ほら見ろとでも言うように鼻の穴を大きくしてノーラを見た。
「別にグリザベルの実力は否定してませんよ。グリザベルも十分凄いのに、それより凄い魔女がいるなんて驚きって話しっスよ」
「確かに驚き……」とマーは意味深に頷くと、急にハッとした表情で顔を上げた。「もしかしたら……偽の魔女が経歴を語ってるのかも」
「だとしたらグリザベルが気付くだろうよ。あんなんでも、闇の呑まれる現象を解決した魔女だぞ。話に虚言とか間違いが混ざれば気付く」
「でも、リットは魔女じゃないから気付かない」
「そりゃあ、オレはな」リットはなにを絡んできてるのかと不思議に思ったが、鼻息を荒くするマーを見てあることを思った。「嫉妬は本人がいるところで見せてやれよ」
「嫉妬してない」
「気に入らねぇんだろ。自分をほっといて、デルフィナを師と仰いでるのが」
「お師匠様がそう言ったの!?」
マーは驚いて手元のスープをこぼしそうになったが、慌ててノーラが皿を手で押さえると、そのまま引き寄せて食べ始めた。
「言ってねぇけどよ。そんな感じに見えるってとこだ」
「リットの妄想」
「まぁ、妄想かもな。必要以上に張り切ったり、知識を披露して気を引いてみたり。誰かと同じようなことをしてるってだけだ」
マーは図星を突かれたかのように黙ると、そのままなにか考え込んでしまった。
リットが酒のお代わりを頼むと、ノーラも便乗して鳥のもも焼きを頼んだ。
「おい……明日どんだけでかい糞が出るか試すつもりか?」
「食いだめしておくんですよ。冬眠するクマのごとく。そうすれば二、三日後にはまた、美味しいものをたらふく食べられるってわけです」
「まるきっりアホの計算だな」
「足し算スか? 引き算スかァ?」
リットは「さぁな」と肩をすくめた。「足りない頭でも割って確かめてみろよ」
「考えるには糖分が必要っスね……。なにか果物もお願いします」
「そんなんだからマーに期待もされねぇんだよ。食ったからって、変わった炎を出せるわけでもねぇだろ」
「そんなのわかんないっスよ。試したことないんスから。いっちょやってみますかァ?」
「屁に火でもつけるつもりか?」
「旦那ァ……下品スよォ……。なんだって、今日はそんなに機嫌が悪いんですかァ?」
「静かに酒を飲みたかったからだ。明日にはまた、魔女のうんちくを聞かされるんだぞ。今度は精霊にまで話が広がってんだ。もう頭でまとめきれねぇよ」
リットは酒を半分ほど一気に飲むと、至福の一息なのかため息なのかわからない細い息を吐いた。
「精霊師さんでしたっけ? ついでにサラマンダーのことも聞いてきてくださいよ」
「そっちはそっちでなにかを思いついたんじゃねぇのかよ」
「そりゃもうマーがいい考えを出しましたよ。泥のゴーレムをサラマンダーの炎で焼いて仕上げると。でも、サラマンダーの使う魔力は『純粋な火』なんで、あとはゴニョゴニョなんたらかんたらって。ぱはーって感じで、ぼろろんってなもんス。要するには細かい話は忘れましたってこと」
ノーラが話している間。リットはウンディーネの言葉を思い出していた。
純粋な魔力というのは強大だが、人間のように器が小さければ害がないと。
器が大きければ大きいほど害が出てしまう。
なので、ウンディーネのお茶会に他の四精霊が来ることもないし、他の魔力の器が大きい種族も魔力暴走を起こすので飲みに来ないということだった。
「ゴレームの魔力の器次第ってことか」
「おぉ、なんかわかったようなこと言ってますね」
「ようやく魔女の冗長な話を簡潔化出来たってだけだ。何度も聞くけどよ、本当にそっちは大丈夫なんだろうな」
「何度も聞くから何度も言っちゃいますけど。大丈夫ですって。なんなら、明日帰る前に私達についてきますかァ? 土を見に行く予定なんスけど」
リットは少し考えてから頷いた。本当にただ食べ歩いてただけとは思えないが、ある程度考えが形になったものをこの目で見るまでは。どうも信用が足りなかったからだ。
リットがコップの最後の一口を飲み込んだ時、マーが顔を上げた。
「わかった……。これは嫉妬じゃなくて心配。私との勝負をないがしろにするんじゃないかという」
「あぁ、もうその話はいい。酒の肴にしようと思ったけど、黙りこくっちまったからな。魔女の師弟関係の亀裂なんてどうでもいい。泥を詰め込んで直るってんなら、ゴーレム作りのついでにやるけどな」
リットはこれ以上ノーラがお代わり頼まないように支払いを済ませると、先に宿へと戻っていった。
人の気持ちを振り回すだけ振り回して、さっさと去ってしまったリットにマーは驚愕していた。
「なんて男……」
「旦那の言うことをいちいち真に受けちゃダメですよ。特にお酒が入ってる時は」
ノーラはマーが残した分の料理も口の中にかっこむと、明日のために寝ようと不服そうなマーの背中を押して宿へと帰った。
ゴーレム作りと陶芸は似ている。特にサラマンダーが入るためのゴーレムとなると尚更だ。
マーはそう結論付けていた。
その為、土に必要な要件は主に三つだ。
焼き上げるための耐火性があること。
変形させるための可塑性があること。
焼き上げて硬くするための収縮率が低いこと。
「縮むと硬くなるってよくわからないっスね」
ノーラは土の紹介を聞きながら首を傾げていた。
「パンは膨らめば柔らかくなるだろ。そういうことだ」
リットの言葉にノーラは「なるほど」と頷いた。「焦げたら縮みますもんねェ」
「男は膨らめば硬くなるがな」
そう言って、自分の言葉に盛大に笑ったのはおじいさんだ。
土を紹介してくれているのは、デルフィナの元へ土を運ぶように頼んできた老夫婦で、リットとは一度顔を合わせていた。
リットが一緒になって笑っていると、ノーラとマーは引くようにため息をついた。
おばあさんに思いっきり背中を叩かれたおじいさんは咳払いをすると、気を取り直して説明の続きを始めた。
「ここにある土は全て原土だ。使うにははたき土をしなければならん。要は砕いて、ふるいにかけて混ざった石を取る。さらに不純物を取り除きたいのならば、水簸をすることだな。水と混ぜて撹拌するということだ。焼き上がりはぜんぜん違う。まぁ、どちらも寝かせるのに数年かかるがな」
おじいさんの最後の言葉にノーラとマーは同時に肩を落とした。
「それじゃあ、ダメなんスよォ」
「ならば粘土を買うことだ」
「でも、粘土を作る水にこだわりたいんっス」
「なら数年待つことだ。最低でも数ヶ月。なにも意地悪で言ってるわけではない」
「それじゃあ……困る?」
マーはリットを見た。リットに入れられた紋章の心配ではなく、干天を抑えてくれている精霊の力がそこまで保たないという確認のためだ。
「大困りだ」
「それはワシも同じことだ。無理を通せるならやっとる。何十年土の研究をして来たと思ってるんだ。まぁ、考えがまとまったら話しかけてくれ」
おじいさんはやることがあると小屋の中へと入っていった。
ノーラとマーは川を眺めながらどうしたものかと考えた。
「水は重要。サラマンダーの魔力を使うには、普通の水じゃ弱くて負けちゃう」
「それは最初にも言ってましたね」
「それと水簸された粘土がいい。不純物がないほうが、魔力の制御をしやすい」
「魔力って、中に入るサラマンダーが制御してくれるんじゃないんスかァ?」
「入るまでと、入った瞬間はこっちで魔力を安定させないといけない。サラマンダーが抑えつけている暴走した魔力が外に出ちゃ危険。干天の影響が出たら、皆リットと同じになっちゃう」
マーは干天だけじゃなくて、周囲の人間の体が干からびる可能性があると示唆した。
「人を勝手にミイラにすんじゃねぇよ……」
「なら、リットも案を出して」
「陶芸家でも探して粘土を分けてもらえばいだろ。デルフィナも土を集めてる魔女だ。元は植物を育ててたな。他にもいるんじゃねぇか?」
魔女ならば、魔女なりの水にこだわって作った粘土があるかも知れないということだ。普通の陶芸家とは違う水を求めるはずだと。
「そうだ……私にはシーナという強い味方がいた」
シーナというのは、グリザベルの元で修行していた見習い三人組のうちの一人だ。
魔女薬を専門としており、植物にも詳しい。様々なハーブを育てるために、土作りから行っているので、マーの知り合いの中ではうってつけの人物だった。
だが、リットからすればマーと同じ見習いだ。不安の種でしかない。
「もっとマシな奴はいねぇのかよ……。だいたい、アイツの次の修行先なんて知ってるのか?」
「どこかはわからないけど、コウモリ便を使えば連絡は取れる」
コウモリ便というのは魔女の若者文化で、手紙を運ぶ連絡手段の一つだ。時間はかかるが、そのうち目当ての人物の元へと届けられる。
「どうも信用出来ねぇ……」
「シーナが信用できなくても、そのお師匠さんに話を聞くことが出来ればいい」
マーは片手をリットに差し出した。
「了承の握手でもしろってのか?」
「了承されなくても私は勝手にやる。でも、手紙代をちょうだい」
「オマエなぁ……」
リットは呆れつつも、魔女にしかわからないものがあるのは事実だとお金を渡した。
マーは早速手紙を出すための準備をすると、一人先に街へと戻っていった。
「わかってやってくださいなァ。あれは弟子心ってやつですよ。グリザベルにいいところ見せたいのと、ヤキモチですよ。グリザベルがなんとかって魔女に指示を仰ぐなら、こっちも別の魔女からの意見を取り入れようってことっス」
「それって何の意味があんだよ。師匠と弟子で立場がぜんぜん違うだろう」
「旦那ってば……普段は心の機微に聡いのに、こういう時は鈍いんスから」
「それだけ魔女に変人が多いってことだろ。変人の考えがわかるのは変人だけだ」
「おかしいですよ。それじゃあ、旦那が変人ってことにならないっスもん」
「なんなら、素っ裸で走り回ってやろうか?」
「それじゃあ、変人じゃなくて変態っスよ。弟子っていうのは、助けて欲しい時、誰にアドバイスを貰うのかが大事って言ってましたよ。パパが」
「マグダホンのおっさんなんて、コロコロ言うことが変わるだろうよ」
「まぁ、そうっスけどね。旦那が師匠ぶりたいなら、私が聞いてあげるってことっスよォ」
「アドバイスね……」リットは少し考えてからおもむろに口を開いた。「デルフィナの話じゃ擬似的なノームを作る必要があるって言ってたから、オマエの力で擬似的なサラマンダーを作る必要があるんじゃねぇのか?」
「おぉ! 思ったより師匠らしいアドバイスじゃないっスかァ。それで? 力が安定して、最大火力を出せなくなった私が、どうやってサラマンダーの力を?」
「それがわかってりゃ、先に答えから言ってる」
「力強い言葉っスねェ……。私が本当の弟子だったら嘆いてますよ」
「だから弟子なんてとってねぇんだよ。とにかく、マーが暴走しないように見張ってろよ」
リットが何度か口笛を吹くとグリフォンが飛んできた。
「旦那こそ。突っ込んだ片足を自制しないと、底なし沼にハマることになりますよ。また、闇に呑まれるみたいな現象を解決するのは嫌でしょ」
「そうならない為に、干天をどうにかしようとしてんじゃねぇか」
リットはなにを言ってるんだと肩をすくめたが、全く同じ仕草をノーラは返した。
「どうにかしようとして深みにハマってくのが旦那っじゃないっスかァ。好奇心もいいスけど、身を滅ばさない程度にしてくださいなァ」
ノーラはリットが飛び立っていくのを見送ると、昼はなにを食べようかと考えながら街でマーを探すことにした。




