673話 姉VS妹
――ああいうお澄まし顔だと、美人に圧があるな!?
雨妹は燕淑妃をまともに見ると目が潰れそうな心地になるので、若干下に視線を向けておく。そしてまったく同じことを考えたらしく、陳も視線が下向きであった。
そんな過ぎた美貌に押され気味な雨妹たちであるが、当然のように燕淑妃の美貌に押されることがない燕女史が一歩前に出た。
「ただ今戻りました」
「……ええ」
無駄な言葉のない、なんとも固い態度で帰還の挨拶をする燕女史に、燕淑妃が一瞬のぎこちなさを垣間見せた後に、ゆったりと頷く。燕淑妃の圧倒的美貌のせいで表情の変化が些細なことに思えて意識し辛いものの、雨妹の目にはその変化が止まった。
燕女史からは騒動に巻き込まれた燕女史を心配していたであろう主を安心させようとする言葉も、笑みもない。そのせいなのかはわからないが、今燕姉妹の間に妙な緊張感が生じている。
その雰囲気に立彬が「なんだこの空気は?」と問うような視線を投げかけてくるのに、雨妹は「私のせいではありません!」と視線で返しておく。反射的に自己防御に走ってしまうのは、雨妹が普段から叱られ慣れている弊害かもしれない。
――まあけど、燕女史が他人行儀なのが寂しいんだろうなぁ。
宮の主と筆頭女官の身分ならばおかしくはないやり取りなのだが、これが姉妹のやり取りであるならば冷たい態度だと映るだろう。
この妙な空気を破るように、郭比が手を叩く。
「さぁさ、客人を立たせたままなのはいけません」
「そうね、用意してちょうだい」
郭比の言葉に応じた燕淑妃が気を取り直したようにそう言って、手を振ったのに合わせて、続きの部屋からお付きの者たちがしずしずとお茶を運んできた。雨妹たちは席に案内されるのだが、立彬は雨妹と陳の背後に立つように位置する。
そして席に着いた雨妹は無事に状況が進んでホッと息を吐く。
しかし宮の主と筆頭女官の間の不和を、人前でも堂々と止めてみせるのが宮女の郭比であるというのも、おかしな構図である。だが郭比のおかげでこの主従の緊張が解けたわけで。姉妹共に郭比を信頼しているのがよくわかるというか、宮の者も郭比を頼りにしているから、他の宮であれば無礼とされる彼女の行いも許されているのだろう。
雨妹がそう思案しながらも燕姉妹のことをチラチラと見ている横で、陳は目の前に運ばれてくるお茶で喉を潤している。思えば陳はずっと後宮の偉い人の近くにいたわけで、きっと緊張で喉がカラカラだっただろう。なのに皇后と続けざまに燕淑妃と対面することになり、本当に申し訳ない。きっと後でなにかご褒美をあの父が出すだろうから、もう少し頑張ってほしい。
それぞれの内心はともあれ、席に着いた雨妹たちに燕淑妃が声をかける。
「皇后宮で大変なことがあったのでしょう? 皆様さぞや苦労をしたのでしょうし、その苦労を労わりたく思い、こうして招きました」
「お気持ちをありがたくも、光栄に思います」
雨妹たちの中で最も身分の高い立彬が代表して返礼するのに、雨妹と陳も合わせるように礼の姿勢を取る。
「わたくしは主のため、後宮のため、成すべきことをしたまでです」
そして燕女史はやはり堅い返事である。雨妹であっても、もう少し柔らかい言い方をすればいいだろうにと思ってしまう。こうなると、わざとこのようなツンとした態度を取っているのではないか? と勘繰られるくらいだ。
姉妹で主従だと、公私混同の境界線が難しい。ここで重要なのが、お互いが今の身分に納得しているかどうかである。それで言うと燕淑妃はこれまでの言動から考えるに、もっと姉妹としてベッタリとしたい人だ。そして燕女史は、公私をきっぱりと分けて行動している。
――意思疎通を密にしていれば、互いに弁えられることなんだろうけど。
その意思疎通が足りていないのが、この姉妹が現在拗れている要因であろう。
元がどのような姉妹であったのか、生憎雨妹には情報が不足している。外から見る分には仲が悪くはなかったようなのだが、実際はどういう姉妹なのか? 姉妹だから、近くで働いているからというのが、仲が良いことの理由付けにはならないというのも、雨妹は前世での経験でよく知っている。
そんな堅い態度しか見せない燕女史に、燕淑妃もムッとしたようだ。その気持ちに押されるように、雨妹と陳の方をちらりと見てから、決意をその眼差しに込めて――
「そうだわ!」
突然、燕淑妃は大きな声を出して、いかにも演技をしていますというような慣れない仕草で燕女史を見た。
「このような機会ですから、わたくしと燕女史も陳医師に診てもらいましょう!」
そしてなんと前置きもなにもなく、直球で話題を突っ込んできたではないか。




