632話 想像と現実
雨妹は呉に会うために燕女史と並んで歩いていたのだが、歩きながらも脳裏に浮かぶのはあの時の皇后の姿である。
「それにしても皇后陛下って、私が思っていたのと違いました」
雨妹は思わず小声で漏らす。皇太后と違って後宮を追い出されず、皇帝から皇后の位を取り上げられなかったから、調子付いて舞い上がっているのかと思いきや、あんな様子で過ごしているなんて。
「わたくしは現在の皇后陛下のお顔を見ていないので、なんとも言えないが。皇后陛下は気の強い御方である」
燕女史そう話しながら、皇后宮で皇后の噂をすることは憚られるのだろう、声をひそめてきた。
「なので雨妹がそのように思うのも無理ないし、わたくしもその可能性を考えていた――だが、皇后陛下は元々が綱渡りをするようなお立場であるし、そのお心が疲弊するのも自然であると感じるよ」
「ふむふむ」
気がかりそうに言う燕女史の綱渡りという言葉は、雨妹にも理解できる気がする。皇太后の怒りを買わないようにしなければならず、同時に四夫人たちに舐められないようにもしなければならずで、考えてみれば非常に気を使う立場であろう。
「皇后陛下は他の妃嬪方を大勢招いて酒をふるまい、騒ぐことを好まれていたが。さて、本心はどうであろうかな。雨妹よ、お前はどう思う?」
「え!? う~ん」
ふいに燕女史からそう問われて、雨妹は驚きつつも、一度皇后の身になって考えてみる。
花の宴での事件以前、後宮で幅を利かせていたのは皇太后であった。その皇太后は尼寺での隠居に追いやられたのだが、この皇后宮では未だに皇太后の存在は大きいようだ。
そんな皇后の立場をもっと身近に当て嵌めてわかりやすく言うと、いつまでも姑が元気で家の中のことやら財布の紐やらを支配して、立場がない妻のようなものか。しかも妻は姑が扱いやすい親類の子を見繕ってお見合いをさせた女性なので、姑になにも言えないし、夫も姑に強く出られなくて全然あてにできないときた。
――妻の立場だと、普通に病むよね。
雨妹は想像するだけで心が痛くなってきた。
それが色々あって、姑が老人ホームに入ることになって、妻はやっと姑から解放されるかと思いきや。親類やご近所さん、出入り業者に至るまでがみんな姑のことが大好きで、妻はなにをするにも「姑さんだったらこうしただろうに」という嫌味を言われ続ける。もっと違う場所に行けば違うことを言う人たちがいるのに、妻はそれができないのだ。
「……すごくイライラしてきました、私が皇后陛下だったら家出します」
その妻が可哀想で、雨妹はぜひ突撃訪問してカラオケに誘ってあげたくなる。そんな姑の立場にも妻の立場にもなりたくないし、義理の母とも子どもの妻とも、仲良く食べ放題の店に出かけたいではないか。
「ずいぶん長く考えていたようだが、まあその意見には同意するな」
想像だけで苦い顔になる雨妹を見て、燕女史が苦笑していた。
「皇后陛下はずいぶんと我慢強い御方なのですね」
そう言って雨妹はため息を漏らす。
皇后がそんな環境に長い間耐えたのは、「いつか自分の時代が来る」という希望や欲望故だったのだろう。どんな時も、欲が強いことは生命力の強さに繋がるのだ。
「そうだな、弱ければとうに自ら命を絶っているであろう」
そう燕女史が言う通り、これで皇后の気持ちが弱ければ、自ら命を絶つ以前に、とっくに胃を悪くするなりして身体が弱って早死にしていた気がする。
――これで皇后が病弱な人だったのなら、さすがに父だってもうちょっと気を使ったのかなぁ。
それに皇后は味方というか、愚痴相手もいないであろう。何故って、その愚痴という名の皇太后批判がどこから当人の耳に入るかわからないからだ。信頼していた相手に漏らした愚痴が皇太后に知られてしまって、罰されるのを避けたければ、寂しいが「そもそも味方を作らない」という選択になってしまう。こうした理由での孤独問題は、上位の妃嬪にはありがちである。
しかし今、現在周囲が大きく変化する中で、そうした皇后に味方がいない状況が隙になったのかもしれない。そして皇太后の庇護がない、心を許せる味方もいない皇后がどうなるか、あの父も甘く見積もっていたのだろうか?
――皇后が飲み会好きだったのは、唯一の心労発散の手段だったのかも。
思えば前世でホストクラブ通いをしていた看護師仲間も、「チヤホヤしてもらえて遠慮ない愚痴も嫌がらずに聞いてもらえる」という理由を述べていたものだ。
雨妹がそんなことを考えながら歩いていると、呉のいる部屋へと到着した。




