630話 匂いの正体
「おや、あの部屋がこのようになるとは、見違えたものだ。元はかような内装であったのだな」
燕女史も居酒屋兼ホストクラブ風の部屋を知っていたようで、目を丸くしつつも、庭園側の出入り口に積まれた再利用行きの物を見て苦笑した。
「皇后陛下はとにかく派手なことがお好きであるからな」
燕女史は以前の部屋を派手という表現でなんとか収めたようだ。まあ、他に言い様がないのもわかる。
「だとしても、誰かが意匠を統一出来ていれば、なんというか――もうちょっと品の良い派手さに出来たと思うのですが」
雨妹は無礼だと思われないように言葉に気を付けつつ、それでも言わずにいられない。せめて装飾の方向性を居酒屋風なのかホストクラブ風なのかを統一すればいいのに、皇后宮には優秀な内装設計家がいないのだろうか?
「品の良い派手さとは、面白い言い方をする」
燕女史は雨妹の意見がツボにはまったようで、クツクツと喉の奥で笑っている。
この話を続けているとそのうち失礼発言をする気がした雨妹は、話題を変えた。
「燕女史の用事は終わったのですか?」
「……いや」
雨妹から話を振られた燕女史は、首を横に振る。
「呉殿とは話ができたが、肝心の皇后陛下へのお目通りが叶わなかった。諦めて帰る前に、お前の仕事の様子を見ようと思ってな」
燕女史はやはり、皇后に会うことが主目的だったようだ。けど皇后かもしれない人は先程までここにいたわけで、燕女史が会えなかったはずである。けれどあの人が皇后であったという確証もないので、今はひとまず言わずにおく。
が、ここで雨妹はそれとは別にふと思いついた。
――そうだ、あの匂いを知っているかな?
道士でもある燕女史ならば博識だろうし、雨妹が気になったあの煙草のような匂いを知っているかもしれない。
「燕女史、土か草の匂いみたいで、臭いようでいて、いい匂いのようでもあるような、そんな香りの煙草か香を知りませんか?」
雨妹は自分で説明しながら、意味不明だなと思ってしまう。
「なに……!?」
だが、これを聞いた燕女史が急に怖い顔になり、雨妹に詰め寄ってきた。
「どこでそれを嗅いだか?」
「え、どこって、そりゃあ」
両手でガクガクと揺さぶられる雨妹は、なにか言わないとこの揺れは治まらないと察し、懸命に答えを紡ぐ。
「さっき、ここで会った、人からですぅ」
「誰だ、それは!?」
ガクガクからの追及となる燕女史の剣幕が怖くて、雨妹はその剣幕の恐怖に負けた。
「えぇっと、その、掃除中にフラッと来た女の人で、幽鬼みたいだったけれど、派手な女官のお迎えでどこかに行きましたぁ~!」
なので雨妹はつい、先程まで隠そうとしていた情報を思わずしゃべってしまう。
――ぐわぁ、言っちゃった!?
雨妹はこれでまたさらに後宮の泥沼に足が嵌ったことになり、ガックリと肩を落とす。
「なんということか……!」
一方、燕女史は雨妹をガクガクするのを止めて、眉間に皺を寄せて壮絶に渋い顔をしていた。
「お前が目にしたのは、おそらく皇后陛下だ。次席女官の馬殿がそこまで下手に出る相手は、皇后陛下しかおられない」
「ああ、やっぱりぃ……」
まずはあの幽鬼みたいな女性と派手女官について言及されて、その正体が確定してしまった。女官については、やはりあんなにも「我が世の春」っぽい人は他にいないということなのだろうと、雨妹は思わず息を吐く。
「だが、それにしてもなんたる、なんたることだ!」
その横で、燕女史は顔色を悪くしていた。
「あの、あの匂いは危ないものなんですかね?」
雨妹が恐る恐る問うと、燕女史が深く息を吐いて答えてくれる。
「それは道士が祈祷の際、精神をより深みに導くために焚く香であろう」
煙草か香かと思っていたら、どうやら香であったようだ。
「しばし重い病を患う者の気持ちを安らかにすることにも使われるが、扱いが難しいものであり、使うのは道士でも位の高い者でなければならない」
ここまでの燕女史の説明を聞いて、やっと雨妹もあの匂いの正体に気付く。
――そうか、大麻だ!




