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■ 凰華side ■
私は人型の黒い的に向かって、銃を向ける。
ズガーン!
射撃向上 Lv1を取得したので、辛うじて的には当たるようになったがまだまだ発展途上だった。
「トリガーをひいた瞬間に腕があがってる。だから上にずれるんだ」
隣に立つ黒崎からダメ出しをされる。
この前の誘拐事件で自分の銃が犯人の手に渡りひどい目に遭ったのだけど、相変わらず銃の練習は続けていた。
人に向けて銃を打つ気はない。どちらかというと対異界悪魔対策だ。
全弾撃ち終わり、いまいちな結果に私はうーんと唸る。
ここは紗枝木グループの警備部があるビルの地下射撃場だ。最近は週に1度ここに訪れて射撃訓練を行っている。
女子大生が射撃訓練などなかなかシュールではあるが、必要に迫られているので続けている。
銃は暴発する可能性もある。
正直いつ緊急クエストのブザーが鳴るか不安ではあるが、不運Lv3は必ず即死する前に警告が出る。
逆をいえば銃の暴発で死ぬことはないだろうと私は高をくくっていた。
というか、そう思わないと何もできない。
銃の訓練以外にも私は犯罪心理学なるものを黒崎からレクチャーされていた。
前回の誘拐で多少そういった知識も必要だと感じたからだ。
銃の弾倉を新しいのに入れ替えてから、私と黒崎は地下訓練場を出る。
今日はお兄様からディナーに誘われているのだ。
凰華・R・スペンサー・紗枝木には5歳年上の兄がいる。
龍・K・スペンサー・紗枝木。飛び級で10歳のときにアメリカの大学でMBAを取得した、大変頭のいいお兄様である。
異常な愛情を示してくる両親ほどではないが、なかなか妹想いの兄である。日本の系列会社をまとめており、多忙な兄ではあるが必ず週1回は妹と食事会を行う。
今日は紗枝木グループの系列であるフレンチレストランで会うことになっていた。
私は一度家に戻り硝煙にまみれた体をお風呂で洗い、黒崎が用意したサーモンピンクのワンピースを着る。胸元に幾重のドレープがあり、それが薔薇の形になるように仕立て上げられた可愛らしいものでなかなか私もこれを気にいっていた。
でも気に入っているからといって同じものは着てはいけない。お嬢様の鉄則である。
勿体ない……。
装飾品と靴、それにバックも黒崎が選んだものを身に着ける。正直自分で選ぶとなると数が多くて迷ってなかなか決められないし、前に使ったものがどれだったのかなど覚えられないというのも理由のひとつだった。
というかメイクもしてもらってるよ!ごめんよ、女子力が低くて!
以前の凰華は自分でメイクしていたらしい。黒崎は私が来てからメイクを覚えたらしい。
綺麗に仕上がった自分の美顔をみて私は感嘆の溜息をつく。
自画自賛だけど、なんて可愛いのだろう。モデルだって裸足で逃げ出したくなるほどの可愛らしさだ。
その隣で自分が仕上げた作品をチェックしている黒崎を見る。
こちらも緩くウエーブがかかった金髪に、美神が作り上げたような整ったきれいな顔をしている。
鋭いアイスブルーの眼光がただのきれいな人形ではなく、強い意志をもった人間だということを主張する。
黒崎と二人で並んでフレンチレストランに入ると皆一斉に食事を忘れ、私たちを食い入るように見つめる。最近、この手の注目は慣れてきたけど、ここでこけたりなどのへまをやらかさないかだけはいつも冷や冷やしている。
現実の私はよく何もないところでけつまづくのだ。
無事に兄がいる個室までたどり着くと、私は先にテーブルについていた兄に軽く会釈する。
「お待たせしてしまいましたか?お兄様」
「やぁ、凰華。今日も可愛いね」
兄は操作していた携帯端末を上着の内ポケットにしまうとにっこりとほほ笑む。
兄は私と違って母親側の血が濃い。
青みがかった瞳にやわらかそうな褐色の髪。さすが我が兄だと思うだけの美貌の持ち主だ。
兄は自分の顔が女性っぽくて嫌いらしく、銀色の伊達眼鏡を着用している。
黒崎が私のために椅子を引く。私が慣れた様子で椅子に腰かけると、兄がすぐに料理を運ばせる。
今夜のメインである子牛のステーキを食べた後、運ばれてきたコーヒーの匂いを嗅ぎながら兄が私に話しかける。
「実は凰華にお願いがあるんだ」
「なんでしょう?お兄様」
私は給仕が持ってきた複数のデザートから好みのものを2つ選ぶと兄に向かって尋ねる。
「明日取引先のお嬢さんが結婚されるんだ。スケジュールの都合がつかなくてね。代わりに出席して欲しいんだ。どうだろう?」
私は頭の中で現実の予定を確認する。特になにもなかったはずだ。
「大丈夫です。問題ありません」
「悪いね。この埋め合わせは次回するね」
兄は申し訳なさそうに、私をみる。
いつもおいしいものを食べさせてもらっているのだ。そのくらい問題はない。
私はおいしいデザートを堪能した後、会社に戻る兄と別れて家に戻った。
家につくと兄の執事から黒崎宛てにメールが届いていた。
披露宴先の住所など今回に関連した情報だそうだ。
「東京湾で豪華客船を貸し切った披露宴だ」
「ねぇ、船って二代目のときにテロリストに占拠されたんだよね?」
私は不安になって黒崎に尋ねる。
「目ぼしいテロリストは入国していない。だが凰華の場合何があるかわからないから、注意しておいたほうがいいだろう」
彼はミニキッチンで自分の夕食を作り始める。
オリーブオイルでベーコンを軽く炒め、野菜をざぐ切りにして、小鍋に水を浸す。コンソメとローリエを数枚浮かべて鍋を煮込み始める。次第に部屋の中においしそうなにおいが漂ってくる。
普段彼は一階の使用人たちと一緒に夕食を食べているのだが、今日は自分で作ることにしたらしい。
「料理のスキルもあるの?」
私は彼の手際を覗き込みながら訪ねる。
「あるが、俺は持っていない。一人暮らしだから料理は普通にできる」
私も一人暮らしだけど、あんまり料理のレパートリーはない。
「そんなことよりも、まだレベルアップして取っていないスキルがあるだろう?念のために、水回りがあればとっておいたほうがいい」
彼は続いてコーヒーをドリップし始める。
「はーい」
私は素直にソファに戻り、メニューウィンドウを開く。
現在Lv8。
現在取得しているスキルは以下の通り。
・不運Lv3(バッシブスキル)
・体力Lv1
・射撃向上 Lv1
・移動速度向上Lv1
・手当Lv1
・放電Lv1
・聴覚強化Lv1
・毒耐性Lv1
水回り関係のスキルといえば「遠泳Lv1」か「潜水Lv1」が該当する。
「遠泳と潜水どっちがいいと思う?」
いつものチョコレート添えコーヒーを私に差し出した彼に尋ねる。
「東京湾近郊だから、遠泳はいらないだろう。潜水のほうがいいだろう」
「そうする」
私は潜水Lv1をタップし、登録すると淹れてもらったコーヒーを手にとる。
目の前のソファに座った彼は、携帯端末を取り出して何やら操作している。
「何見ているの?」
「異界悪魔警戒MAPだ。東京近郊が注意になっている。念のために今夜中に片づけておいたほうがいいな」
彼は席を立ち、ミニキッチンのほうで携帯端末でどこかに電話をかけ始める。
たぶん紗枝木の情報セクションだろう。
私がコーヒーを飲み終わるころには通話を終え、ガーリクトーストを添えたポトフをもって戻ってくる。
「あまり無茶しないでね。相手が死神だったら逃げてくるのよ」
私は目の前で無言で食事を始めた黒崎に声をかける。彼は私の言葉に食事の手を一旦止めて、じっとここっちを見つめてくる。
「心配されるとはな……」
「なに?心配しちゃ迷惑?」
私は彼の物言いに、ちょっとむくれる。
私にとって黒崎は大事なパートナーだ。私だけがそう思っているのかもしれなけいけど!
「いや、新鮮だった。いままで心配なんかされたことがないからな」
彼の嫌味でもない素直な言葉に私は機嫌を直す。
「凰華に心配されたのが初めて?」
「凰華だけじゃなく、誰にもだ。俺は基本的にほっといても問題ないと思われていることが多い。事実いままで問題は起きていない。お前の心配している死神程度なら問題はない。俺は即死抵抗スキルを持っている」
彼は少し皮肉気にそう答えた後、食事に戻る。
誰にも心配されたことがない。それは現実の彼を含めてそう言っているのだろうか。
現実の彼は中学生くらいの少年だった。普通なら義務教育中の彼は親と一緒に住んでいるはず。
でもさっき一人暮らししていると言っていた。あれは黒崎のことではないだろう。
過去に大学の卒業資格を持っているとも言っていた。
益々現実の彼がわからなくなる。
「とにかく、問題はないのかもしれないけど、私は心配しているの。どうせ止めても行くんでしょ?気をつけるのよ。気を緩めて怪我なんかしてこないでね」
まぁ彼が気を抜くということはありえなさそうだが、念のために言っておくことにする。
自信過剰な人間はその自信で死ぬかもしれないのだ。
「お前はやはり変わっているな。わかった、気をつける」
彼は今度は顔をあげずにぶっきらぼうに答えた。
■ 黒崎side ■
俺は彼女がログアウトしたのを確認したあと、一度ログアウトして軽い食事をとった。
すでに夜の20時を回っていた。
ヴァーチャルゲームの長期ログインは餓死する可能性を秘めている。
ゲームの中で飲食をしている限り飢餓感に襲われないため、現実の体の飢餓に気が付けないのだ。
大抵のゲームではそれを回避するために連続接続時間が24時間を過ぎると、自動ログアウトさせられる。
再度ログインした俺は、自分の携帯端末に届いていたメールを確認する。
待っていた紗枝木の情報セクションからのメールだった。
「相手は死神か」
俺は提供された情報を見て苦笑する。奇しくも先ほど凰華に注意されていた相手だった。
始めはいつもの凰華と変わらないと思っていた。
俺は経験値を稼ぐために凰華を守る。それが凰華のボディーガード兼執事の俺の仕事だからだ。
他の凰華と違う点は俺が彼女に現実にマイナススキルがついていくことを語った点だ。我ながら胡散臭い話であったが、彼女は現実で死にそうな目に遭い、俺の話を信じた。
現実に不運を持ち込ませないため、彼女はいつ死を体験するかわからないゲームに戻ってきた。
だから他の凰華と違うのだろうか?
いや、そうではないだろう。彼女は俺の足手まといになりたくないといった。
守られることが当たり前だった凰華からそんな発想が出てくるとは俺も思っていなかった。
実際に誘拐されたときに彼女は自ら動き、俺のサポートを見事に行った。
最近は不慣れな銃の練習もしている。
しまいには俺を心配し始める。
――――彼女は面白い。
俺は自室に戻り、棚から取り出した銃に死神に合わせて銃弾をカスタマイズする。予備もあわせて合計4丁の銃に弾を装填し、2丁の銃をアタッシュケースにしまう。
この世界ではほかにも異界悪魔用に用意された武器がある。Lv15を超えた時点で、異界悪魔用武器屋とアクセスすることができるのだ。
一度は俺もその武器屋に行ったのだが、NPCが売るその武器屋は大したものは置いてなかった。だが情報屋から聞いたプレイヤーがやっている武器屋でなかなかいい武器を見つけることができた。
やはり武器は使い慣れたものが一番だ。
俺は情報に書かれている場所に向かって車を飛ばした。
予定通り死神を倒した俺は銃を懐へしまい込む。
久しぶりのレベルアップの表示がされたあと、見慣れないシステム表示が表示される。
『パーティまであと3』
意味が全く分からない。たぶん何かのイベントのカウントダウンだろう。
俺は銃をしまい、車に乗り込むと結界を解く。結界内では携帯端末の電波も通じなくなる。
プレイヤーズサイトを開き、掲示板へいつもの報告とこの謎のカウントダウンについてかき込む。
433 名無しのプレイヤー
東京に発生した異界悪魔を倒した。死神だった。
そのあとに『パーティまであと3』というシステム表示が出た。
434 名無しのプレイヤー
またお前かー!いつもいつもいつもいつも!
たまには譲りやがれ!
435 名無しのプレイヤー
ヽ(`Д´)ノウワァァァァァン
436 名無しのプレイヤー
あ、俺もこの前みた。倒したのはパンサーだったが。
『パーティまであと4』。カウントダウンされているな。
437 名無しのプレイヤー
ちゃんと情報乗せろよ!
438 名無しのプレイヤー
数えてみたんだが、いままでゲームが始まってから倒したのって27匹?
30倒すとなにかイベントが発生するのか?
439 名無しのプレイヤー
(`・д´・; )ゴクリ
かき込んだ後そこまでみてから携帯端末を閉じる。
俺はステアリングを握り、車を発進させた。
■ 凰華side ■
「結構涼しくて気持ちいいねー」
キラキラと輝く海が見えるテラスに立ち、海上を吹いてくる向かい風に髪を押さえる。
披露宴が始まってだいたい一時間が過ぎた頃、ようやく私は挨拶に来る叔父様叔母様の群れから解放された。
立食パーティ形式なので、みんな好き勝手に動く。紗枝木グループと顔をつなげたい人が大量にいたので、食事をとる暇もなく挨拶ラッシュが続いたのだ。正直私と話したってなんもメリットがないのに、新郎新婦を置いてきぼりにする勢いだった。
「すみません、お嬢様は体調がすぐれないそうです。どこか休める部屋はありませんか?」
挨拶ラッシュに辟易した私を見て黒崎が助け船を出してくれる。
すぐに新郎側の執事が慌てて、部屋を用意してくれた。
用意された部屋はスィートルームで船の中なのに応接室、主寝室、バスルーム完備でなかなか居心地がよい部屋だった。
私は今スイートルームのテラスから海を見下ろしていた。テラスには食事をとれるように、テーブルと椅子が設えてある。室内のテーブルにはパーティで出された食事がたんまりと乗っており、冷えたワインも2本添えられている。
ちなみにこっちの世界では飲酒可能な年齢は16歳からだった。車の免許取得も同じで微妙に法律が違う。
今日の私は肩を出した薄いオレンジのオーガンジーのドレスで胸元には小さな白薔薇を飾っている。
ドレスの下は実は水着を着ていたりする。
いざ海にでも落ちたとき対応だ。ドレスは特殊な華奢な布地を使っており、少し力を入れると破れるようになっている。海中でドレスが重くて身動きが取れなくならないように対応したのだ。
昨日の夜に発注したのだが、パーティが始まる1時間前にはドレスが届いていた。さすが紗枝木グループだ。
私はドレスの裾を引っ掻けないように、テラスから部屋の中に戻る。
今日の披露宴は午後15時から19時までのおよそ4時間。結構長い。
フィナーレに花火を船から打ち上げるらしい。
私はテーブルに着くと、黒崎と一緒にご馳走をいただくことにする。
残したら勿体ないからね!
食事中の会話はこのパーティについての論評から、昨日黒崎が倒した異界悪魔に話題に移っていく。お昼に顔を合わせたときに彼が無傷であることを確認済だ。
「死神はアンデットで、骸骨にフードを纏った姿をしている。他の異界悪魔と違い、狙える幅が少ない」
「じゃあ、私の腕では弾がうまく当たらないかもしれないのか」
私は注いでもらったワインを一口飲み、軽く溜息をつく。
「そうだな。まだ放電を使った方がいいだろう」
黒崎は伊勢海老をきれいにナイフとフォークで切り分けていく。私がさっき諦めて手づかみで食べたやつだった。
全くうちの執事はそつがない。
「銃で倒すにはまずは関節を破壊して動けなくする必要がある。あいつは空を飛んで大鎌を振り回す。できるだけ早く腕の関節を破壊するのが上策だ」
「瀕死になると即死スキルを使ってくるんでしょう?」
私はローストビーフにナイフを入れる。
「そうだ。あいつの弱点は頭蓋骨の眼下の中だ。腕を壊したあと、連続で火弾を両方の眼下に同時に4発打ち込めば動かなくなる」
「連続にって空飛んで動いてるんでしょ。難しすぎるよ、そんなピンポイント狙うの!」
事なげにいう執事に私はローストビーフをさしたフォークを向ける。
「行儀が悪いぞ」
彼はそういうと私のフォークについたローストビーフをパクリと口の中に入れる。思ってもいなかった行動に私は慌ててフォークを手元に戻す。
食べた。食ちゃいましたよ。私はドキマギしながら、フォークに視線を落とす。
彼はローストビーフのソースで少し汚れた口元をナプキンで拭う。
「即死のスキルの有効範囲はおよそ5メートル。危なくなったら遠くに逃げろ」
彼は平然と話を続ける。
私だけドキドキしているのが馬鹿らしくなる。
私は再度そのフォークを使ってローストビーフを切り分ける。
ええい、食べてやる、食べてやるわ!
ぷるぷる腕を振るわせながら、フォークを口の中に突っ込む。一生懸命口の中のものを咀嚼するが、あまり味がしない。緊張のしすぎのせいだ。
緊張って何によ?!と自分を思わず突っ込んでしまうくらい動揺している。
私はフォークを置くとワインを手にとり、あおるように一気に飲み干す。
「あまり飲みすぎるなよ。酔って泳げなくなったら沈むぞ」
平気で不吉なことを言ってくる。
相手は中学生だ。気にしたら負けだ。
「デザートが食べたい。うんと甘いのがいい」
私は少しやさぐれて黒崎に言った。
もともと私の分として用意されたものだったので(少し多かったけど)、あらかたテーブルの上の食事は片付いている。
「わかった。持ってくるからここで待っていろ」
黒崎はテーブルの上の大皿を重ねて持つとパーティ会場のほうへと向かっていった。
私は黒崎がいなくなったので、どさりとベットの上に寝転がる。
オーガンジーは皺になりにくい。たぶん大丈夫のはずだ。
私が寝返りをうったとき、ドアがガチャリと開かれる。
黒崎が戻ったにしては早すぎる。私は開いたドアのほうに視線を向ける。
「静かにして。騒いだら撃つわよ」
そこには紫色のカクテルドレスをきた20歳くらいの女の人が私に小型の銃を向け立っていた。
その目は血走っている。
ブーブーブーブー。
『緊急クエスト発生!元婚約者から身を守れ!』
目の前の空間にシステム表示が点滅する。
私は大人しく手を上げる。
元婚約者?新郎の?
私は明滅するシステム表示を唖然と眺める。
彼女はドアの鍵を閉めて私に近づくと首筋に銃を押し当てる。
「あなたこのパーティの賓客なんでしょ。悪いけど私の目的が果たせるまで人質になってもらうわ」
触れ合うほど近くの彼女の顔は蒼白で、血走った目は座っている。
いつ銃を暴発させるかわかったものではない。
銃に慣れているテロリストより彼女のほうが怖かった。
冷たい銃の感触に背筋が凍る。
「そこの内線電話から自分が人質になったことを伝えなさい。犯人からの要求は新郎が一人でこの部屋に来ることよ」
首筋にあてた銃をぐいぐいと押しつけながら彼女は淡々と私に指示を出す。
「相手がしぶったら、人質の私が殺される。そうなったら佐伯商事が潰れるっていいなさい」
確かにうちの両親ならやるかもしれない。
私は彼女の機嫌を損ねないように、ゆっくりとベットのそばにあった内線電話を掴む。
ドンドンドン。
ドア激しくノックされる。
「お嬢様どうなさいました?」
黒崎の声だ。私は内線電話の子機を持ったままドアをじっと見つめる。
「うるさい!ドアを叩くのをやめなさい!」
彼女は天井に向けて銃を一発打ち込む。
至近距離で発射された銃声に私は耳を押さえる。パラパラと天井から粉砕された壁が粉のように舞い落ちてくる。
ドアを叩く音が鳴りやむ。
私は内線電話の9の番号を押す。子機を持つ手がブルブルと震える。
相手が出るとすぐに私は彼女の要求を伝えた。
通話先もパニック状態だ。
電話の先から「船を止めろ!」「いや、さっさと沿岸に戻せ!」「警察を呼べ!」といろいろな怒声が飛び交う。
「お嬢様。必ず助けます。落ち着いてください」
いつのまにやら黒崎の声が電話口から流れてくる。
私は少し冷静になり、震える腕が止まる。
そう彼が助けてくれる。必ずだ。
もう一度私は彼女の要求を電話に向かって話す。
「私は人質にされています。犯人は……一人で、新郎がこの部屋に来ることを望んでいます。早く新郎を連れてきてください」
「犯人は一人なのですね」
黒崎は小声でそう尋ねる。彼女に聞こえないように私もぴったりと受話器を耳に当てる。
「そうです。早く新郎を呼んでください。私が殺されてしまいます。彼女は本気です」
私は早口でそう電話口にそう叫ぶ。
「その調子よ。あと20分以内に新郎が来なければあなたを殺すといいなさい」
彼女はぷるぷると震える腕で私に銃を押し付ける。
私もはじめのうちは長時間銃を構えていることができなかった。人間慣れていない姿勢をずっと保つことはかなりきついのだ。
「犯人は女性なのですね。新郎に怨恨がある女性」
「そうです。私は新郎が来ないと殺されます!早くなんとかしてください。20分以内に新郎を連れてきて!」
私はそう叫んだあと受話器を当てたまま、彼女に声をかける。
「艦橋は船を沿岸に向けて移動させるみたいです。船が港についたら警察が乗り込んでくるかもしれません。人質の私の姿を見ていないので高をくくっているのです」
「なんですって!」
彼女は怒りで顔がどす黒くなる。
私の答えを裏付けるようにゆっくりと船が方向を変える。
「テラスだ。うまく誘導しろ」
黒崎が短くそう言った。
「もしもし、紗枝木様。大丈夫ですか!」
すぐに人が変わったらしい。別の男の人の声が電話越しから聞こえてくる。
「私が心配なら船を止めてください」
私は受話器に向かって答える。
「いや……でも……」
「今すぐ止めなさい!紗枝木凰華として命じます。止めなさい!」
私は重ねて受話器に向かって叫ぶ。
犯人の女性は私の言動を一切咎めない。私が彼女の指示に従ったことしか話していないせいだ。
やがてゆっくりと船が止まる。
「止めました」
「よくやったわ」
彼女は従順な人質に少し油断をしてきている。銃口は私の首筋から離れ、少し離れたところから胸元を狙っている。
私は黒崎からの指示をどう実現するか必死に考える。
「あの……」
「なに?」
彼女はじろりと私を睨む。
「私が人質になっていることを見せた方がいいと思います。テラスから私を銃で脅している姿を見せれば新郎側も本気にするでしょう。私も早く人質から解放されたい」
「そうね、あなたの言う通りね。あいつらは私の本気を判っちゃいない」
彼女は私の提案に頷く。
「あと銃が本物であることも見せつけたほうがいいです。海に向かって一発打ち込めば彼らもさらに本気で動くでしょう」
「いやに協力的ね」
彼女は少し不審な顔を私に向ける。
「私は早く解放されたいんです」
これは私の本心だ。熱が入った言葉に彼女はあっさりと納得する。
「いいわ。テラスに出なさい。少しでも不審な動きをしたら撃つわよ」
彼女は銃を持つ手を入れ替えながら私に言う。どうやら利き腕でずっと銃を持つのに手が痺れたようだ。
「はい。まず私がテラスで叫びます。人が集まってから銃を海に向かって撃ってください。人がいないと意味がありませんから」
私はそういうと、ドレスの裾をさばきながらデッキへと向かう。
彼女は私の後に続いて出てくる。
「助けて!早く新郎を呼んでください!」
私は大きな声でそこから叫ぶ。
彼女は私の隣で銃口を私に向け「早く武志をよんで来なさいよ、この人を撃つわよ!」一緒になって叫ぶ。
下のデッキに人が集まってくる。おろおろと人々はこちらを指さしてざわめく。
「いまよ!」
私は合図を送る。彼女は頷くと海に向かって体を向ける。
ズガーン!
一発の銃声が鳴り響く。
私はゆっくりと後ろを振り返る。
そこには腕を鮮血に染めて呻く彼女がいた。すぐに転がっている彼女の拳銃をとりあげ、彼女に向かって構える。
パンパカパーン!パンパカパーン!
頭の中でファンファーレが鳴る。
『緊急クエスト達成! 取得経験値 1232』
「だましたわね!」
物凄い形相で彼女は私を睨む。
「自業自得なんですよ」
隣の部屋のテラスから黒崎も同様に彼女に拳銃を向けていた。
すぐに私の部屋のドアが開き、警備員が雪崩れ込んでくる。
彼女が拘束されたことを確認すると、私はゆっくりと銃を下ろす。
どっと冷汗が流れ出る。
「紗枝木様、ご無事ですか!」
バタバタと今回の新郎新婦の父親たちが私のもとへ走り寄ってくる。
「誠に申し訳ございませんでした。お怪我はありませんか?」
ドンドンと回りに集まってくる人達が増えていく。正直寛大に彼らと話す心の余裕は私にはない。
黒崎はテラス間を飛んで移動してくると、あっという間に私を抱きかかえる。
「お嬢様は心労で倒れそうです。別の部屋を用意してください」
隣の空き室まで案内された後、ベットに私を横たえると黒崎は部屋から人を追い出す。
「今回は泣かないんだな」
彼はベットに腰かけ、私の顔を覗き込む。
「泣いている暇なんかなかったわよ。素人が銃を持っていたのよ。いつ銃が暴発するかそればっかり考えていた」
私は黒崎に向かって枕を投げ、わめき散らす。八つ当たりだと判っていたが止められない。
しばらくの間、叫ぶだけ叫んだので少しだけすっきりした。
枕をキャッチしてじっとこちらを見ている黒崎に私はふぅと溜息をつく。
「最悪そのまま海に飛び込めとか言われるかと思ってたわ」
船を止めさせたのはスクリューに最悪巻き込まれないためだった。
「それも考えた。でもお前がうまく犯人を誘導して隙を作った。よくやった」
黒崎は私の頭を撫でる。
つい最近黒崎から習ったばかりだったのだ。
彼女はいままで自分であまり何かを考えて行動したことがないお嬢様タイプの犯罪者だった。
彼女のやりたい行動に沿った形で提案をすれば否とは言わない。理屈で固めた正論には弱いタイプだ。
逆に彼女の行動を否定してはいけない。感情が爆発して何をするかわからないからだ。
「変なの。段々とこういう状況に体が慣れるのね」
私は苦笑いをする。
「普通は慣れないがな」
黒崎は私の頭から手を離し、コーヒーを淹れに立ち上がる。
「そう?黒崎が必ず助けるといった。だから私は大丈夫だって思えた」
私はじっと黒崎を見つめる。
「やっぱりお前は変わっている」
彼は振り返り、誰もが見とれるそれは見事な笑みを浮かべた。
火サスのようなものを書いたのですが、雰囲気がなんだか違うぞと諦めて没にしました。
別のものを書いたのですが、なんだかこれも微妙です。
主人公がずいぶんとタフになりました。なんだかなー・・・
黒崎の活躍が足りなさすぎる!
次回の異界悪魔パーティで活躍してもらいたいものです。
ああ、いちゃいちゃが遠い・・・




