北の町にて
イザベルが北の町に売られてきたのは半月前のことである。
彼女はアルボレダ王国南部の地主の娘だったが、一家の主である父親が急逝した後、生活に困窮するようになった。
長女の自分が働きに出なければ、母も四人の弟妹たちも物乞いに身を落とすより他ないと決断し、村にやって来た怪しげな業者の誘いに乗った。
「奉公先は王都の立派なお屋敷だよ。女中の仕事をいちから教えてくれるから何も心配はいらない。たった二年勤めれば、ほら、こんなに稼げるんだ」
確かに給金も待遇も破格だった。
反対するに決まっている母には置き手紙を残して、イザベルは他の何人かの娘たちと一緒に村を出た。
彼女が連れて行かれたのは、しかし、北の宿場町の売春宿だった。
幌のついた粗末な馬車に押し込められた時、そして移動中の監視が異様に厳しかった時、嫌な予感はしていた。一週間にも及ぶ長旅の末、待っていたのは王都オーラムの城門ではなく、寒々しい空と雑然とした町並みだった。
そこはエカーヴという名の町だった。
かつては北の『黒の山脈』で産出される金の流通で賑わった場所だが、金鉱が涸れてからは行き交う人も物もめっきり減った。それでも、最近になって精錬で使われなくなった木材を買い付けに材木商がやって来るようになり、徐々に賑わいが戻ってきている。花街も息を吹き返して、方々から若い娘たちを募っているのだった。
「話が違うわ! あたしたちを家に帰してちょうだい」
訴えたイザベルの口には猿轡が噛まされた。手足を縛る手際のよさからして、斡旋人たちは場慣れしていているらしかった。
自分は人攫いに拐かされたのだのだと気づいた時、イザベルは、まるで酒樽か薪の束のように宿の主人に引き渡されていた。
「顔は子供っぽいが体の育ちはいいねえ」
主人は舐めるような視線でイザベルを見た。外側だけ華やかに装飾された、木造の古い宿である。何となく饐えた臭いが漂っていた。
仕込めばすぐに売れっ子になれる――糸のように細い目で笑う禿げ頭の男にゾッとしつつ、それでもイザベルは抗議した。だが、彼女がどんなに騙されたと主張しても男は聞く耳を持たなかった。
訳も分からぬまま、イザベルたちは狭い風呂場に連れて行かれて、年増の女たちによってごしごしと体を洗われた。それからやけにヒラヒラとした安っぽいドレスを与えられた。
自分たちは商品にされるのだと、イザベルは戦慄した。長旅で弱った体で、情けないほど腹を空かせたまま、客の前に放り出されるのだ。
宿の主人は、安くない代金を払って集めた新入りたちを並べ、誰をどの客に当てるか思案しているようだった。
後生ですから帰して下さいと、イザベルは半ば泣きながら懇願した。すると主人は一瞬不愉快そうに顔を歪め、それからにんまりと笑った。若い娘が生理的な嫌悪を催す、淫猥な笑みだった。
イザベルは際立って美人ではないが、愛らしい顔立ちの少女である。怯えて口も利けない娘たちの中で、一人食い下がる彼女は主人の気を引いたようだった。
宿の営業が始まる前に、彼はイザベルは自室へ連れ込んだ。
「生娘かどうか先に調べてやる」
そう言われ、寝台に押し倒された。売り物の摘まみ食いは、おそらく彼にとって日常茶飯事なのだろう。衣装の裾を捲り上げられ、太腿を撫で回されて、イザベルは悲鳴を上げた。
「い、いや……やめて、お願い!」
「ここは王都の高級遊郭じゃないんだよ、お嬢ちゃん」
嘲るようなその言葉を、イザベルはよく覚えている。
「おまえのような田舎娘、女王のように扱われる訳がないだろう。味が良けりゃ高く売ってやるから、ありがたく思いな」
湿っぽいシーツの上で、イザベルは必死で抵抗した。
無茶苦茶に振り回した腕は押さえつけられたが、思い切り蹴り上げた膝が下履きを脱がそうとしていた主人の鼻面を捕らえた。主人はぎゃっと声を上げて離れる。押さえた鼻と口からだらだらと血が流れ落ちていた。
ざまあ見ろと思ったのも束の間、イザベルは拳で殴打された。
左頬を三度殴られ、反動で床に頭をぶつけた。最後に腹にも一発――痛みとともに酸っぱいものが食道を逆流してくる。
腹を抱えて呻く彼女に、獣じみた金切り声の罵倒がぶつけられた。
「この性悪娘! 覚悟しとけ、最悪のど変態の客につけてやるからな」
殴られて顔を腫らしてしまったイザベルは、幸か不幸か、傷が治るまで下働きに回された。
主人の意趣返しか仕事はきつく、与えられる食事は貧しかった。彼女は常にふらふらで、逃げ出す気力も湧いてこなかった。他の娘たちが夜の仕事と引き替えに腹一杯食べられているのを見て、恨めしくさえ感じた。
四日後に再び派手な衣装を着させられた時、すでに彼女は諦め切っていた。空腹が満たされてぐっすり眠れるのならば、男に体を嬲られることくらい何でもないように思えた。
王都からやって来たというギトギトした中年男の前に出された時も、特に感情は動かなかった。
ああもう、どうでもいいから早く終わらせて――芋虫みたいな指に服を脱がされながらそう願った時。
ひゅっ、と空気が鳴った。
それは一陣の鮮烈な風だった。イザベルの前髪が勢いよく揺れる。部屋に充満する甘ったるい香が霧散したようだった。
直後、ドン、という重い音ともに、中年男が悲鳴を上げた。嬉々としてイザベルの肌着を解こうとしていたのに、大きく身を仰け反らせ、勢い余って寝台から転がり落ちた。
イザベルは訳が分からず、呆然と周囲を見回す。ベッドの向こうの壁にごつい鉈のような刃物が突き刺さっているのを認めても、まだ状況が理解できなかった。
「あー、当たっちゃったか。ごめんね」
場違いに明るい声がして、イザベルは我に返った。




