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灰色の森

 世界は冷たく、何もかもが灰色だった。


 時刻は正午に近いはずなのに、針葉樹の森は薄暗い。鬱蒼と生い茂った樹木が日差しを遮っているだけではなく、空にも厚い雲が垂れ込めているせいだ。冷えきった大気は、いつ雪が降ってもおかしくないほどに重かった。

 ここでは冬が近いのだ、とイザベルは震える体を縮こまらせた。

 フードから覗く栗色の髪が今にも凍って固まりそうだ。彼女の故郷ではようやく葡萄酒の仕込みが終わる時期なのに、ここはもう冷気が世界を凍らせつつある。家族との距離を思い知って、心の中まで霜に覆われるようだった。 

 

 凍死体のような木々の間を、イザベルは馬に乗って進んでいる。

 普段はほとんど通る者がいないらしく、小道は細く、荒れている。木の根や落ちた枝を避けながら進むので、馬の乗り心地はあまり良いものではなかった。鞍に分厚い敷物を敷いていても、イザベルの腰はぎしぎしと痛んだ。しかも自由に身動きが取れない。

 彼女は首を捻じ曲げて背後を窺う――自分の体を包み込むようにして騎乗する、男の顔を。

 

 同じ馬に乗っているのは、見るからに恐ろしげな男だった。

 岩でできているような厳しい顔立ちの下半分は灰色の髭に覆われ、目元や鼻筋には深い皺が刻まれている。ひどく年老いた印象だが、行方を見据える茶色の両眼は鋭かった。

 そして左頬に走る大きな傷――鋭い刃物によるものだと分かり、男の素性の危険さが見て取れた。

 

 毛皮の外套と帽子を身に着けた男は、前に乗るイザベルの背中越しに手綱を握り、黙々と馬を進めている。

 否応なしに密着した体からは、分厚い衣服越しでも鋼のような筋肉の存在感が伝わってきて、イザベルに緊張を強いた。それと、腰に据えられた無骨な剣も。

 彼を先頭に、十騎ほどからなる隊列ができていた。みな同じような身なりの男たちで、剣や弓で武装している。中ほどを進む二台の荷馬車を護衛しているのだった。


 細い道の先から、凍った土を蹴る蹄の音が響いてきた、イザベルが俯いた顔を上げると、三対の騎馬がこちらに近づいてきている。

 毛皮の外套を着込み、剣や斧を身に帯びた騎手は、一時間ほど前に隊を離れた同行者たちだった。道の先を偵察に行っていたのだ。


 先頭で駆けてきた若い男が、


「この先で倒木です。でかい(もみ)の木が何本も。この人数で片づけるのは、ちょっと大変かと」


 と、イザベルの背後の男に報告した。


「やれやれ、昔はこの辺りももっと手入れが行き届いてたんだがなあ。国王直轄地なのに、金にならないとなるとほったらかしになるもんだ」


 荷馬車の御者がぼやく。隊の中ではいちばん年嵩(としかさ)の男だった。


「俺ら、王様に文句言える立場じゃねえでしょう。だいいち、王軍の奴らが真面目に警邏し始めたら商売上がったりですよ」


 若い男は苦笑した。彼の得物は多少変わっている。刀身の湾曲した短剣を二本、腰の後ろで交差させて身に着けていた。

 彼は再びイザベエル越しに視線を戻した。


「少し山ん中に入れば細い猟師道があるはずですが……険しい道だし、そっちも無事かどうか分かんないですね。どうします、お頭? 街道を迂回するとなると、まる一日かかりますよ」

「……迂回だ。さっきの三叉路まで引き返す」


 容姿に相応しい、低くしゃがれた声が答えた。その響きを聞くだけで、イザベルは背中に震えが走った。

 男たちの間からやれやれといった溜息が漏れたが、すぐに気を取り直した様子で、手際よく馬や荷馬車の方向転換を始める。


「あんたを負ぶって山越えるくらい屁でもないのになあ、残念」


 若い男はイザベルに人懐っこい笑みを向ける。イザベルは唇を引き結んで顔を背けた。


 彼らとともに、イザベルは十日も移動を続けている。風景は変わり映えのしない針葉樹の森だったが、気温がどんどん下がっているのが分かった。人も馬も白い息を吐いていた。


(何て遠い所まで来てしまったのだろう)


 十七歳の少女の心は暗く冷たい大気に押し潰されていたが、もう涙は出てこなかった。

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