第4話 騎士団長の報せ―混沌の三人、共闘へ
ゼギンアスが、水晶玉を群青色の布の敷かれた机にそっと置き、深く息を吐いた。
「……あとは、これから来る者の話を聞いてほしい」
「これから来る者?」
ビズギットが片眉を上げる。
「お前たちにとって、無視できぬ存在だ」
老魔導士は意味深に言い、国王に小さく頷く。
場の空気がわずかに重く沈む。
遠くの廊下から、かすかな足音が響き始めた。
「誰だよ? また面倒な奴か?」
バッドレイが、骨付きの鹿肉をしゃぶりながらぼやく。
「……情報は多い方がいいですよ」
ニルはワイングラスをテーブルに置き、静かに視線を扉へ移した。
――その時。
奥の扉が、きしむ音を立ててゆっくりと開いた。
鎧の金具が小さく鳴り、風が血の匂いを広間に運んだ。
現れたのは、傷だらけの鎧をまとい、肩から胸にかけて厚く包帯を巻いた精悍な男。
王国騎士団長、エルダン。
鋭い眼差しは迷いなく、三人を真っ直ぐに射抜く。
「……あの戦い、私は見ていた。特にお前と……そこの黒髪の少女」
視線をニルとビズギットに順に送り、静かに頷く。
「お前たちがグレイデスを一瞬でも押し返した光景は……兵たちに希望を与えた。感謝する」
ビズギットは照れ隠しのように顔を背け、ニルは深く一礼した。
そして――
エルダンの視線が残る一人へ移る。
「で……お前は、誰だ?」
顎に手を当て、真顔で首をかしげる。
「えっ、俺……? あー……誰だったっけな〜」
バッドレイが困ったように両隣を見やる。
ニルとビズギットは、そろって小さく首を振った。
「まあ、そんなことより――どうする? やるの? やんないの?」
鹿肉を嚙み終えたバッドレイが、飄々と切り出す。
「……私は、世界を救うためならやります」
ニルは短く、しかし揺るぎない声で答えた。
「アタシもだ。あのクソ巨人、今度こそぶっ倒す」
ビズギットが拳を握り、闘志を剥き出しにする。
「じゃ、決まりだな♪」
バッドレイが椅子にもたれ、軽い笑みを浮かべる。
「……あなたも一緒に?」
ニルが驚きの色を隠さず尋ねる。
「ああ。面白そうだし」
軽口めいて聞こえるが、その瞳の奥には、ただ強敵との死闘を求める光が宿っていた。
「……はあ。お前、ホントに戦えるのかよ」
ビズギットが呆れたように眉をひそめる。
「さあ……どうだろ?」
肩をすくめてとぼけるバッドレイ。
二人は、無言で真っすぐ睨み返す。
「だけど――グレイデスを倒せたとしても、その者の生死も逆転します」
ニルが静かに事実を告げた。
「ってことは……この中の、倒した奴が死ぬってことか」
ビズギットの声は重く、冗談の欠片もない。
「……そうですね」
ニルは短く頷く。
場の空気が鉛のように重く沈む中――
「ま、そんなことは――倒してから考えようぜ」
バッドレイは、あくまで軽い調子で言い放った。
その軽さは場を和ませるどころか、逆に緊張をきしませる。
沈黙を破ったのは、低く冷えた声だった。
「……もう一つ、悪い知らせがある」
エルダンだ。
場の視線が一斉に彼へ向く。
「グレイデスには、三大将軍のほかに――王都最大規模の盗賊団プーランド・ソープが随行している。
奴らは倒れた兵士から物資や武具を奪い、さらに……王都を滅ぼした後、その財宝すべてを持ち去るつもりだ」
「さらに、盗賊団ですか……」
ニルが静かに顔を向ける。
「ああ。そして、その頭はドドンガ・レイスという巨漢の男だ。
なにやら、グレイデスと密約を交わしたらしい」
エルダンの目が細まり、声がさらに低くなる。
「グレイデスと密約……つまり、彼には弱みや、頼みたいことがあるということでしょうか?」
ニルが問いかける。答えをもたないエルダンは、首を振った。
「チッ、面倒くせーな。どいつもこいつも」
ビズギットが怒気を含んだ声で吐き捨てる。
その瞬間、バッドレイの口元がゆっくりと吊り上がった。
「……いいんじゃねぇの。ぜんぶ、やっちゃえば」
不思議なことに――この言葉に、誰ひとりとして否を唱える者はいなかった。
奇妙な距離感を保ちながらも、「共に戦う」という一点だけは、確かに共有されていた。
王ルヴェリアは、小さく息をついた。
「“秩序”が通じぬ相手には、“混沌”こそが唯一対抗し得る力……そう信じたいものだな」
ゼギンアスもまた、わずかに安堵の表情を浮かべる。
だが――その安堵が長く続くことはなかった。
◇
ニルから“パイ騒動”の恨み話を聞いたバッドレイが、ぽつりと口を開いた。
「えぐ。……つーか、お前ら、人ん家のパイ勝手に食うとか、古寺院ぶっ壊しちまうとか、マジで常識ねぇの?」
半ば呆れたように言うバッドレイ。
「は? うまそうだったから。一口だけだし?」
逆ギレ気味にビズギットが返す。
「……やはり、あの時に刺しておくべきでした」
ニルが短剣の柄を静かに握りしめる。
王宮の広間では、依頼を受けたばかりの三人が、早速殴り合い寸前の口論を始めていた。
ゼギンアスとエルダンは、盛大に頭を抱えながら、深いため息をつくしかない。
「……世界を救うのは、あの三人のようですな……」
ゼギンアスが、遠くを見つめるように呟く。
「……はい。だが、彼らが最後まで“共に在れる”かどうか……それが、最大の懸念です」
エルダンが、混沌とする大広間を見据えながら、重々しく頷いた。
――やがて三人は、口論を続けたまま赤絨毯の上を、王宮の外へと歩き出す。
その直前、ニルは足を止め、ゼギンアスの耳元にそっと囁いた。
老魔導士の白い眉がわずかに動き、わずかな間ののち、静かに頷く。
その表情には、重責と覚悟の影が差していた。
ニルは、何事もなかったかのように二人の後を追う。
だが、その眼差しには、誰にも明かしていない――ひとつの危険な決意が、確かに宿っていた。




