表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/26

第1話 世界の病巣 — 呪いと悲願

――二日前。


王都は、穏やかな朝を迎えていた。

だがその静けさは、まさに嵐の前の静けさだ。

誰も気づかぬうちに、世界を揺るがす未曾有の危機が、すぐそこまで迫っていた。


白亜の城の最奥――幾重もの結界に守られた秘宝の間。

そこには、長きにわたり封じられてきた一つの宝がある。


【世界律の鍵】――世界の均衡を司る秘宝。

その存在は王家とごく一部の高位術者しか知らず、厳重に封じられてきた。


この鍵の力は絶大だ。

ひとたび封が緩めば、死界と現界の境界は曖昧になり、亡者が舞い戻る。

蘇った亡者は、生前の半分ほどの大きさに縮み、色はモノクロに変わる。

死後の時間が短い者から順に、人格や能力を保ったまま蘇るが――それは束の間。

一年を超えれば人格は崩壊し、人を襲う理性なき「死体」と化す。



――その日。

王都の祈祷最高顧問、大魔導士ゼギンアスは、水晶玉に映る光景に釘付けになっていた。呼吸は浅く、手は汗ばみ、指先が小刻みに震える。


水晶の中――

異形の悪魔と契約を交わす、(おぞ)ましき影。

赤黒く光る(いにしえ)の契約紋が、巨神の胸に灼き付けられていく。

その文様は生き物のように脈動し、鼓動に合わせて淡く明滅する。

耳鳴りにも似た低い唸りが響き、瘴気(しょうき)が肌を刺し、空気を重く淀ませる。

やがて灼けた鉄の匂いが、水晶越しにも鼻腔を突いた。


五メートルを優に超える異形の巨体――全身は黒鉄色の硬質な皮膚で覆われ、火炎も冷気も雷撃も寄せつけない。

剣も矢も、その肉体に致命打を与えることはできない。

赤黒い双眸には、夜空の星を握り潰したような禍々(まがまが)しい光が宿っている。


肩に担がれた巨槌<バラ=サグ>は、星喰いの鉱鉄で鍛えられた破滅の象徴。

ゆらりと重みを移すたび、空間そのものがわずかに軋んだ。


「グレイデス……」

水晶玉を見つめながら、ゼギンアスは息をのんだ。


かつて王都軍を率いた英雄は、もはや人ではなかった。

その異形の姿で、彼は一瞬、誰も見ていないかのように空を仰いだ。

その双眸に、亡き妻の面影がよぎる。

――必ず、取り戻す。たとえ世界を壊してでも。


「まさか……このようなことが……!」


ゼギンアスは押し殺したような声を漏らし、水晶玉を抱え込むように持ち上げた。

絨毯を擦り切らんばかりの勢いで、玉座の間へと駆ける。


「王よ……! 緊急事態にございます……! グレイデスが、【世界律の鍵】を奪うべく、王都へ向けて進軍を開始しました!」


玉座の前で立ち止まり、ゼギンアスは深く息を吸い込んだ。

しかし、吐き出すまでに数拍の沈黙が流れる。


「……それだけではありません」


声がかすかに震えた。


「グレイデスには、魔法も武器も……一切通じません」


重臣たちの顔色が、一斉に白くなる。


《生死逆転の呪い》。


ゼギンアスは喉を鳴らし、言葉を搾り出す。


「……彼を倒した者の生死が、逆転いたします。

 すなわち――グレイデスを打ち倒した瞬間、その者は即座に命を落とすのです」


玉座の間が音を失った。

誰もが息を呑み、背筋を冷たいものが這い上がる。


やがて王が、かすれた声で問う。

「……それだけなのか?」


ゼギンアスは歯を食いしばり、さらに告げた。


「いいえ……グレイデスの目的は【世界律の鍵】を用い、呼び戻した妻の手で自らを殺させること。

そして呪いで妻の死を逆転させ、自らの命と引き換えに生き返らせようとしているのです……!」


「そんな……!」

重臣の一人が膝をつき、額に冷や汗を浮かべる。


「……だが、魔法も剣も矢も通さぬ肉体だと聞く。その妻が、どうやって――」


「不明でございます。しかしその答えは……彼の中にはあるのかと」


沈黙を破るように王が問う。


「悪魔は、何を得てこの契約を結んだのだ?」


「……詳細は不明ですが、映像の奥に巨大な竜影が見えました。悪魔が欲する何か――あるいは儀式のための要素を、彼に回収させようとしている可能性が……」


焦燥が広がる。

妻は死後一年を迎え、人格崩壊の直前。

グレイデスは【世界律の鍵】を求め、進軍を開始した。


しかも彼は独りではなかった。


その背後には、悪魔ナグ=ソリダが編み上げた三つの影が控えていた。

かつて王都に名を馳せた“伝説の三大将軍”――しかし、それは本人たちの蘇生ではない。さすがの悪魔といえど、完全な死者の蘇生は叶わぬのだ。

残された骨や武具から採取した微細な“魔的因子”をもとに、悪魔の魔導で編み直された霊鎧兵れいがいへい。魂の欠片を核に持ちながらも、肉体は精緻なレプリカに過ぎない。

その命はわずか五日間。だが、それで十分だった。



「王都軍を動員せよ!」


王の号令。

騎士団長エルダンを筆頭に英雄たちが集結する。


「撃てぇ!」

耳を裂く轟音、肺を圧迫する衝撃風、舞い上がる砂埃で視界が白く染まる。

だが雷撃は皮膚を滑り、炎は弾かれる。


「通じない……!」兵士の声が掻き消え、次の瞬間、防壁ごと吹き飛ばされた。


国境の第一陣は蹂躙され、通信水晶はひび割れて光を失った。


「……部隊からの連絡が……途絶えた」

エルダンの喉がひりつく。



いったい、何が……この国に降りかかろうとしているのか。

王座の間に戻ったゼギンアスは、かすれた声で告げる。


「……王よ……この戦い、我らだけでは……」


重苦しい沈黙。

誰もが悟っていた。


――これは、まだ始まりにすぎないことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ