第4話 乱入者—そして厄介な出会い
エルダンたちの間に、消えかけていた希望が、わずかに芽吹こうとしていた。
……そのとき。
遠く丘の上から――
軽快な馬の蹄の音。
「おーっ、やってる、やってる♪」
ひょっこり現れたのは、銀髪の少年。
馬の背に揺られながら、緩い笑みを浮かべ、手をひらひらと振っている。
バッドレイだった。
その瞬間、グレイデスの赤い瞳がゆっくりと動き、異物を捕捉する。
まるで精密に組まれた機構に、異質な砂粒が紛れ込んだかのように。
魔力でも膂力でもない――数値に換算できぬ“何か”を、この少年から確かに感じ取ったのだ。
沈黙のまま互いを測り合う空気が、わずかに重くなる。
だが、バッドレイはのんびりと笑みを崩さず言い放った。
「え、俺、見物人、見物人。戦う気なんてないんで〜♪ やってやって」
場の空気が一瞬、異様な静けさに包まれる。
グレイデスは動かず、やがて静かに視線を戻した。優先すべきは目前の脅威。
その時、ニルとビズギットが、前を睨んだまま同時に呟いた。
「……こういう巨体の敵は、大抵“目”か“耳孔”が弱点……だが、隠されてるな」
「ええ。あの兜、ただの防具じゃありません。“急所”を殺すためだけに造られた檻です」
わずかな間。そして、どちらからともなく。
「けど、やるしかねぇーな」
「はい。やるしか、ありません」
再び、戦端が開かれる。
ビズギットは咆哮と共に、全身から紫電の魔力を解き放った。
上空に雷雲が湧き上がり、轟く雷鳴が空を裂く。
「食らいやがれッ!!」
荒れ狂う雷撃が、矢継ぎ早にグレイデスの巨体を打ち据える。
その閃光は、まるで天が怒りをぶつけるかのようだった。
同時に、ニルが地を這うように滑り出る。
崩れた足場をさらに操作し、瓦礫を巻き込むように旋風を巻き起こした。
それはただの風ではない――鋭く制御された“捕縛の渦”だった。
「情報はありませんが……」
旋風の内部、ニルは見えない震動術式を無数に展開する。
微細な振動が、渦の中で拡散しながら一点に集中するよう設計されていた。
狙いは、あの黒き外皮――外からではなく、内側から破壊する。
「……解析不能なら、内部から崩すまでです……!」
だが――その刹那。
グレイデスの巨大な戦鎚が、唸りを上げて振るわれた。
大地が割れ、空気が震え、周囲の林が爆風のように吹き飛ぶ。
ズゴォンッ!!
圧倒的な衝撃が、大地ごと薙ぎ払った。
あらゆる魔力も、物理的な攻撃も。
まるで分厚い鉛の壁に叩きつけられたかのように、吸収され、弾き返された。
ニルの震動術式は、黒き外皮に触れた瞬間――
虚しく、霧散した。
斬撃も魔力も、すべてが掻き消える。
解析不能。
破壊不能。
干渉不能。
――それは、“無効”という概念そのものが、甲冑ではなく肉体になったかのような怪物。まるで、“魔法が通じない”という事実そのものに、弾き返されたようだった。
「っ……!」
ニルは咄嗟にバリアを展開しようとするが――間に合わない。
ズガンッ!!
そのまま吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。
瓦礫が崩れ、乾いた血が石に染み込む。
「ぐ、あっ……!!」
続けざまの衝撃波が、ビズギットの胸を打ち据える。
呼吸が詰まり、肺が潰れるような激痛と共に、口から鮮血が吹き出した。
「……うっ……が、ッ……!」
「……なんて……耐久……!!」
言葉も、思考も、空気ごと押し潰されていく。
まるで“神”に殴られたかのような、圧倒的質量と呪力の暴力。
ニルの呼吸は乱れ、視界が霞む。
ビズギットも膝をつき、歯を食いしばったまま魔力を制御しきれずにいた。
徐々に二人は追い詰められていた。
――そしてそれは、二人にとって、初めてのことだった。
ビズギットは、再び雷を放とうと魔力を練る。
だが、足元がふらついた。
呼吸が荒い。視界がにじむ。
口内に、金属のような血の味が広がっていた。
ニルもまた、鋭い視線を保ったまま、かすかに肩を揺らしていた。
一歩、踏み出そうとして――その足が、わずかに沈む。
「……ここは退きましょう」
「チッ……クソ……!」
互いに一瞬だけ目を合わせた。
パイを巡る死闘で消耗した肉体とスタミナ。
そのツケが、今になって確実に牙を剥いていた。
呼吸の乱れ、視界の霞み。満身創痍のまま強行突破した代償が、彼女たちの足を鈍らせていた。
二人が背を向けた瞬間――空気がひりついた。
戦鎚がわずかに浮き、兵士たちが息を呑む。
だが、グレイデスは、それ以上動かなかった。
その赤い目が──再びバッドレイに向けられる。
彼の存在が、奇妙な異物感を放っていた。
「いや〜王都のバトルってレベル高ぇなあ♪ ……え、俺? ああ、無理無理、まだ飯食ってないし~♪ 腹減ってたら、力出せねぇんだわ!」
バッドレイはヘラヘラと手を振った。
だが、空気が一瞬だけ、粘ついたように重くなる。
鼻の奥に鉄の匂いが濃く広がり、耳の奥で鼓膜がきしんだ。
見下ろす巨影――身の丈五メートルのグレイデス。
その目の奥で、かすかな揺らぎが走る。
「……けどさ」
頬をかきながら、ぐいっと首を反らせ、巨体を見上げる。
そして、曇りのない目で呟く。
「こっち来たら、やっちゃうかも……」
その笑みが、一瞬だけ凍った。
近くの兵士が小さく「……今、背筋が寒くなった」「俺も鳥肌立った」と呟く。
別の兵士は喉を鳴らし、手の汗を拭った。
その声に振り返る二人──ビズギットがわずかに眉をひそめ、ニルは無言でバッドレイを一瞥した。
グレイデスは動かない。やがて静かに視線を戻した。
目の前の二人が退いた今、彼は再び進軍を開始した。
◇
寺院を離れた二人のもとに、軽やかな馬の蹄音が近づいてくる。
「おーす、おつかれー♪」
興味津々の笑顔で、バッドレイが馬から飛び降りた。
「いやぁ、すげー戦いだったな! ……で、あんたら、なに者?」
二人は血だらけの顔で睨み返す。
「……あなた、さっき……見てただけですよね……」
「……ほんっと腹立つ奴だな……」
バッドレイはにやりと笑い、さらっと言った。
「じゃ、次は一緒にやるか?」
「そうですね……考えておきます」
「おい、即答で断れ!」
「ま、やるなら派手にいこうぜ?」とバッドレイが軽く笑う。
その一言に、二人は同時にため息をついた。
それでも、三人はその場で奇妙な距離を保ちつつ、世界の命運を賭けた、新たな因縁の幕を開けようとしていた。
──これは、衝突と反発を繰り返す、チートトリオの序章である。




