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第6話 束の間の休息─迫り来る影

──王都・レオグラン城。


水晶に映し出された蒼鏡湖の光景を前に、広間は割れるような歓声に包まれた。


黒羽が舞い散る戦場で――三人の若き戦士が立ち尽くし、三大将軍の巨影は大地に沈んでいた。


「……倒した、のか……!」

「三大将軍が……!」

「信じられぬ……だが、確かに!」


老臣たちが顔を見合わせ、誰もが震える声で言葉を漏らす。

書記や侍女、従者までもがざわめき、思わず両手を合わせて祈る者もいた。


「これで……これで国は救われる……!」

「蒼き瞳の勇士たちがいる限り、我らはまだ戦える!」


長く続いた暗雲が晴れたかのように、城内は一瞬、歓喜の渦に包まれた。

玉座の背後に並ぶ兵たちでさえ、かすかに拳を握りしめ、顔を綻ばせていた。


――まるで、すべてが救われたかのように。


しかし。


「……まだ、なにも終わってはおらぬ」


王の低い声が広間を凍らせた。

浮かれていた老臣たちは、息を呑み、口を閉ざす。


その沈黙を切り裂くように、ゼギンアスが一歩進み出る。


「確かに三大将軍は討たれました。だが――」

鋼を擦るような声が響いた。


「最大の脅威は健在です。

 悪魔と契約したグレイデス。

 そして、いまや彼に随行し、影の護衛となっている王都最大の盗賊団。

 ……あの三人の戦いは、むしろここからが本番なのです」


玉座の言葉と将の断言が重なり、広間の空気は蒼ざめた。

歓喜は掻き消え、誰も息を吸うことさえ忘れた。


――残されたのは、未来の見えぬ、重たい沈黙だけだった。



蒼鏡湖――。


王都の緊張と絶望とは裏腹に、湖畔の岩陰では焚き火が穏やかに揺れていた。

つい先ほどまで血と焦げ跡が広がっていた戦場の隅で、三人はまるで別世界のように束の間の食事を始めていた。



ニルが魔糸を垂らし、大魚を釣り上げる。

肩口の包帯には、まだ鮮血が滲み、焼けるような痛みが生々しく残っていた。


ビズギットは木立から現れたイノシシに雷を叩き込み、豪快に仕留める。

自ら焼いた脇腹の痛みに、時折顔をしかめていた。


そして――

ニルがそっと手をかざした。


「《倍化術式》――」


魚も肉も、ぶるりと震えて――一気に二倍。


大木を削った串に突き刺し、焚き火の上へとかざす。


滴る脂が、パチンと火に落ちる。


――ジュワァァッ!!


香ばしい煙が、ゆらゆらと青空へ昇っていった。


「おまえらの魔法、便利だなぁ……最高かよ!」


バッドレイの目がギラリと光る。


次の瞬間――


「うんめぇぇぇ!!」


頬をパンパンに膨らませ、両手の、串刺しの巨大イノシシ肉と魚を交互にかぶりつく。


ガブッ、ガツガツ、バリバリッ!!


油まみれの口元が、笑顔と一緒にギラついていた。

足元には、もう山盛りの骨が積み重なっている。



「……おい。二倍のイノシシ肉って、おまえ、六頭分食ってんぞ」

ビズギットが眉をひそめた。


バッドレイは魚の骨をしゃぶりながら、気楽に笑う。


「だってよー。“血戦<ブラッドブースト>”ってやつ、すっげー栄養食うんだわ」


骨をカリッと噛み砕き、ペッと吐き出す。


「傷つけば傷つくほど力は上がる。最後は完成形で、ほぼ不死身。……でも持って五分な」


バッドレイは骨を指で弾き、笑みを浮かべて続ける。


「その間に――体内の栄養を一気に食いつぶす。だから戦い終わったら、“食わなきゃ動けねぇ”んだ」



「……五分しか?」


ニルの蒼い瞳が、焚き火越しに彼を探る。

毛穴からは、まだ赤黒い霧がじわりと漏れていた。


「五分超えて無理すりゃ――全身から血が噴き出して、呼吸も止まる。最後は瀕死。……まぁ死ぬな」


言い放つと同時に、肉へ豪快にかぶりつく。

油が滴り、焚き火がジュッと爆ぜた。


「だから今は――“補給タイム”♪」



「……命懸けすぎだろ、おまえ」

ビズギットは呆れと心配を隠せない。


「でもまぁ――それが楽しいんだわ♪……俺最強だし」


バッドレイは心底幸せそうに笑った。

その顔には恐怖も後悔もなく、ただ“戦いを楽しむ者”の純粋さが浮かんでいる。


「そうですね。私たちが二人がかりで倒した三大将軍を一人で倒したのですから」


「まあ……、ムカつくけど、勝ったのは認めてやるッ!」


ビズギットは焚き火をつつきながら口を尖らせる。



焚き火の炎と肉の匂いが、戦場の血と焦げ跡を上書きしていく。

――ほんのひとときの、穏やかな昼下がりだった。



その頃――

蒼鏡湖へと続く街道。


地鳴り。

大地を砕くような重厚な足音が、森を震わせていた。

陽光はまだ強く、街道の両脇に切り立つ崖を照らしている。


その中央を歩む巨影――【堕ちた英雄】グレイデス。

全長五メートルを超える人型の怪物は、歩くたびに大地を呻かせ、空気そのものを震わせた。

兜のスリットからは呼吸音すらなく、ただ赤い光だけがのぞき、沈黙そのものが異様な圧を放っていた。

その手に握られた巨大な戦鎚は、まるで災厄を具現化したかのように鈍く光っていた。



「構えよォォッ!! 奴を止めろォッ!!」


右の崖の上。

王都軍本隊を指揮する副将――ルシアン・バルグレイの号令が轟いた。

鋼色の鎧に身を包み、長槍を掲げるその姿は、兵の心を束ねる鋭い刃のようだった。

“鉄壁の矛”と呼ばれたその男の声が、絶望の中で兵たちをかろうじて繋ぎ止めていた。


左右の崖から、数百の弓兵が、一斉に火矢を放つ。

真昼の空が赤に染まり、嵐のような火矢が降り注いだ。


――ゴウウウウッ!!


しかし炎は、赤黒い霧に呑み込まれ、灰へと変わった。


「効いてない……!?」「火が……燃え移らないだと……!」

兵の動揺を、ルシアンの鋭い声が押し返す。


「怯むな! 爆薬馬車を落とせ!!」



両側の崖上から、グレイデスを目掛けて十数台の馬車が突き落とされた。

黒い爆薬を満載したそれらは轟音と共に滑り落ち、巨影の足元へ突っ込む。


――ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!


閃光と爆炎が街道を呑み込み、熱と衝撃が崖を揺らす。

兵たちは身を伏せ、炎の奔流に耐えた。


「やったか……!?」「……いや、まさか……」


煙が晴れる。


そこに立っていたのは、無傷のグレイデス。

赤黒い霧が爆風を押し返し、剥き出しの胸の黒い紋様がさらに浮かび上がっていた。



「魔導師団、撃てェェェッ!!」


ルシアンの声に応え、崖上に並ぶ王都最強の魔導士たちが一斉に詠唱。


炎。

氷。

雷。


三重の極大魔法が同時に放たれ、天地を裂いた。

轟音と閃光が大地を呑み、街道は昼を越えて白光に染まる。



だが――。


そのすべては、巨体に触れた瞬間、虚しく霧散した。

“無効”。

まるで魔法そのものが存在を否定されたかのように。


「俺の魔法が消滅した……!?」「馬鹿な、最高位魔法だぞ……!」


魔導士たちの悲鳴に、ルシアンは歯を食いしばる。


「下がるな! 槍兵、前へ! 隊列を組めッ!!」


必死に指揮を飛ばす。

だがその声をかき消すように――。



「……終わりだ」


グレイデスの低い声と共に、戦鎚が振り上げられた。


――ズガァァァァァァァァンッ!!!


片側の崖が丸ごと吹き飛ぶ。

数百の兵が悲鳴ごと谷底へ崩れ落ちていった。


「ひ……ひと振りで崖が……!」


続けざまに戦鎚が大地を叩き割る。

地面が蜘蛛の巣のように裂け、裂け目に落ちた兵たちは次々と呑み込まれていく。


さらに薙ぎ払われた戦鎚が森を直撃。

数十本の大木がなぎ倒され、奔流となって兵を押し潰した。


「ぎゃあああああッ!!」

「森ごと……武器に……!」


白昼の戦場は、瞬く間に地獄へと変わった。



「て、撤退だ……!」


ルシアンは叫んだ。

その声は悲鳴にも似ていたが、兵の耳には“唯一の生存の道”として届いた。


「全軍、退けェェッ!! 王都へ戻れ!!」


命を散らした兵たちの血煙の中で、ルシアンは必死に指揮棒を振る。

“鉄壁の矛”と呼ばれた参謀の顔は、今や蒼白に染まっていた。



こうして、王都軍本隊の迎撃は――。


圧倒的な怪物の前に、何一つ成果を残せぬまま、潰走へと変わった。


だが、その背後を影のように随行していたのは――。


大盗賊団、プーランド・ソープ。


彼らは戦場に散った兵の骸から金品や武具をむしり取り、さらに逃げ惑う兵の背へ矢を浴びせた。

血煙と断末魔の中で、嘲笑が不気味にこだました。


「こいつらの死体も生き残りも――全部、宝の山だな!」

「グレイデス様のおかげで、狩り放題ってやつだ!」


地獄に、さらなる醜悪さが混じった。



王・ルヴェリアが言ったように――まだ何も終わってはいなかった。


グレイデスは無傷のまま。

圧倒的な力を誇示しながら、その巨影は確かに、蒼鏡湖へと歩を進めている。


湖畔の岩陰では、束の間の休息に笑みを浮かべる三人。

だが、その背後には刻一刻と――“災厄そのもの”が迫っていた。



別動隊の王国騎士団長・エルダン。

彼がゼギンアスから託された物資は、間に合うのか。



血を燃料に戦う男。

雷を纏い殴り抜く女。

未来を見抜く眼を持つ少女。


全員が満身創痍。

だが、ようやく芽生え始めた“仲間”の絆――。


次の瞬間、迫り来る【堕ちた英雄】の足音によって、試されることになる。


――その戦いこそが、本当の始まりだった。

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