第5話 血戦の完成―世界を壊す一撃
森を覆う闇が、さらに濃く沈む。
大気は灼けた鉄のように歪み、鳥も虫も息を潜めた。
ただ一つ――巨鬼の叫びだけが、天地を支配する。
「これで潰すゥゥゥゥ!!」
巨斧を天へ――。
肩、腕、背骨、脚、全身の膂力を一本の刃に集約させる。
――ズズゥゥゥゥゥン……ッ!!
額の血管から血が噴き出し、地鳴りが腹を揺さぶり、空が悲鳴を上げる。
その一瞬、森も湖も、音を失った。
そして、天地そのものを断つかのように――
「――地獄轟断<ヘルブレイカー>ッ!!!」
◇
大気ごと叩き潰す一撃が、黒い稲妻のごとく振り下ろされる。
振動が森を裂き、空気そのものが爆ぜた。
「ぬおおおおおッ!!」
バッドレイは咆哮し、大剣を両腕で構えて迎え撃つ。
――ギギギギギィィィィッ!!!
巨斧と大剣――金属が軋み、耳障りな悲鳴を上げる。
衝撃波は地を裂き、周囲の木々を根ごと揺らした。
だが――圧はあまりにも重い。
「ぐっ……!!」
筋肉質の身体がきしみ、赤黒い蒸気を散らしながらも耐える。
だが巨斧の質量は容赦なく大剣を押し切り、額を掠めた――。
――バギャアアアアッ!!
爆ぜる衝撃。
爆風とともにバッドレイの体は数メートル後方へ吹き飛ぶ。
背中から地に叩きつけられ、尻もちをつく。
泥が跳ね上がり、赤黒い水滴が宙を舞った。
◇
「……終わりだ、人間ッ!!」
勝利を確信したグルザードが、口角を吊り上げる。
だが――
尻もちをついたままのバッドレイが、ゆっくり顔を上げた。
額から血を垂らし、鼻の下を指で擦りながら――笑う。
「すげぇーな。……俺を吹き飛ばすやつ、いたんだ」
◇
――ゴウウウッ!!
次の瞬間。
バッドレイの体中から、赤黒い蒸気が爆ぜるように吹き上がった。
血の匂いを帯びた瘴気が渦を巻き、森の木々を震わせる。
背後の巨石がバキバキとひび割れ――崩れ落ちる。
◇
「だけどな――って、ケツ冷てぇなオイ……」
バッドレイは立ち上がる。
大剣を肩に担ぎ直し、泥にまみれた尻を乱暴に払った。
「……でもよ、血ィ出りゃ出るほど……俺、もっと強くなるんだわ」
◇
蒼白の稲光に照らされたその姿は、傷だらけでありながら――
なお戦いを楽しむ獣の眼だった。
――ミシミシミシッ!!
筋肉がきしみを上げ、異常に膨張する。
皮膚の下で血管が浮き上がり、赤黒い霧がまとわりつく。
肉体そのものが、異形へと作り変わっていく。
そして――
《血戦》、遂に完成。
◇
身体中から赤黒い蒸気が吹き出す。
その存在感は、もはや人間のそれではなかった。
森を覆う闇すら押し返し、立っているだけで圧が大気を震わせる。
「なでッ……!? ……まだ立てんのだがぁ……!」
グルザードの巨躯が一歩、後ずさる。
沈んだ土は悲鳴を上げ、巨鬼の瞳に初めて「恐怖」の色が宿った。
「どした――なんでそんなに驚いてんだ?」
バッドレイが首を傾げ、ニヤリ。
「あー、もしかして、いまの……お前の最終兵器だったのか。
……だったら先に言ってくれよ」
残念そうに肩をすくめ、
「そしたら俺さ、もっとノッてやったのに。
『うわー殺られたぁー!』『世界終わったぁー!』って、派手にさ♪」
皮肉を口にした瞬間――
――ズズンッ!!
大地を踏み抜く轟音。
稲妻の残像をまとい、赤黒い霧を裂いてバッドレイが消える。
「――んじゃ、いくよぉ!!」
◇
閃光。
大剣が唸りを上げ、空気そのものを断ち割った。
――ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!
衝撃は一点に留まらない。
グルザードの巨体に叩き込まれた刃は、大地ごと巻き込み――
森そのものを薙ぎ払うかのように爆ぜ広がった。
◇
轟爆。
視認する暇すらなく、大剣の一撃は振り抜かれていた。
グルザードの巨体が、まるで布切れのように弾き飛ぶ。
巨木を十数本まとめてなぎ倒し、岩を砕き、地面を滑走しながら森を削り取った。
「が、は……あああああッ!!」
胸から肩口にかけて、肉も鎧も斬り裂かれ、赤黒い血潮が噴水のように吹き上がる。灼熱で焦げ落ちたその傷は、まるで火山の噴火口を穿たれたかのようだった。
◇
余波だけで岩は砕け、空気は破裂音を響かせる。
周囲の木々は衝撃波に耐えきれず幹ごと折れ、地平線まで土煙が奔った。
これは斬撃ではない。
――世界を一瞬だけ「破壊」へと傾ける、そんな暴威。
◇
「……へっ♪ こっからは――俺のターンだ」
バッドレイは大剣を肩に担ぎ直し、獣のように踏み出す。
だが――
「……ん?」
視線の先。
崩れた木々と岩片に埋もれた巨影は、もう動かない。
【鉄喰の魔剛鬼】グルザード=ゼウス。
胸から肩口にかけては灼熱で焦げ落ち、
戦斧は無惨に折れ、巨鬼は最後まで柄を握ったまま絶命していた。
一撃。
ただの一撃で――全てが終わった。
◇
「……マジかよ」
バッドレイは頭をかき、鼻の下を指で擦る。
笑い混じりの声が、逆に森の静寂を際立たせた。
「また……ちょっとやり過ぎちまったかな」
◇
足元には、砕けた岩と倒れ伏す巨鬼の残骸。
焦げた土が硫黄のような臭いを放ち、森の空気はまだ熱を帯びて揺れている。
バッドレイ自身でさえ理解していなかった。
完成した《血戦》が、ここまで常軌を逸した力であることを。
◇
その頃、湖畔。
「バッドレイ――ッ!!」
「どこですかァ!!」
ビズギットとニルが、傷だらけの身体で必死に駆け込んできた。
森の奥からなお轟音は響いている。しかし、先ほどまでの激烈さはなく、どこか終焉を告げる余韻に変わっていた。
「早く……!」
「間に合って……ッ!」
息を切らし、森を抜けたその瞬間――。
二人の目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。
木々は、根こそぎ倒れている。
森全体が、嵐に蹂躙されたかのように荒れ果てていた。
そして、その中心で――。
絶命したグルザードの巨体の前に、バッドレイが背を向けて立っていた。
彼の身体からは、なおも異様な赤黒い霧が噴き出し、周囲の空気に血の匂いを染み込ませている。
「はぁっ……!?」
ビズギットが声を漏らす。
目の前の現実を、信じきれないように。
「……どういう、こと……?」
ニルも言葉を失う。
その瞳は、バッドレイの身体を包む異様な霧を捉え、思わず警戒の色を宿した。
もう一度、二人は周囲を見渡す。
――根こそぎ倒れた木々。
――巨大なクレーター。
――吹き飛んだ岩盤。
まるで、“森そのものが一度死んだ”かのような光景。
「……え、ちょっと待って。これ、地球破壊レベルじゃねぇ……」
ビズギットの喉が引きつり、乾いた笑いが漏れる。
「……私たちも、もし少し近くにいたら……巻き込まれてましたね」
ニルの声はかすれ、背中に冷たい汗が伝う。
バッドレイの体から吹き上がる赤黒い蒸気は、なお収まる気配を見せなかった。
熱を帯びた霧が地を這い、まるで彼自身の“血の影”が立ち上がっているように見える。
その異様な気配に――二人の心臓は、無意識に警鐘を打ち鳴らしていた。
“次はこちらへ牙を向くかもしれない”と。
だが――。
バッドレイは振り返ると、ニカッと笑って片手を振った。
その顔に、さっきまでの狂気は一片もなく、ただ無邪気な少年の笑みが浮かんでいた。
ビズギットが目を見開き、声を絞り出す。
「おまえが……?」
ニルが半信半疑に続ける。
「……倒したの、ですか……?」
バッドレイは、逆立つ銀髪を泥まみれの指で描き上げた。
「まあね〜♪ ……ちょっとだけよぉ〜♪」
戦場の鬼神――。
まさしく、その名にふさわしい姿。
だがその鬼神は、何事もなかったかのように、ただの少年へと戻っていた。
「……あー、腹減った。なんか食いもん、持って来てェ~♪」
◇
一瞬の沈黙。
「……は?」
ビズギットが目を丸くして叫ぶ。
「いや今そんな空気じゃねぇだろ! バカかおまえ!」
ニルも胸に手を当て、力なく息を吐いた。
「……本当に、あなたは心臓に悪い人ですね……」
二人の言葉には怒り半分、安堵半分。
まだ震える膝を隠しながらも――そのやり取りは、確かに“仲間”のそれだった。




