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第5話 血翼解放――限界を越えて

ビズギットが両手を地面につき、血を吐き出した。

脇腹からは止まる気配のない赤黒い血が泥に滴り落ちる。


「クク……その傷口はふさがらない。血が無くなるまでな。

 ……まあ、死に損ないは後で(なぶ)ってやるさ」


ドキュラの紅い瞳がわずかに逸れ、標的をニルへと定めた。


その両腕――手のひらを後ろへ向けて、ゆるやかに掲げる。

次の瞬間、背後の黒霧が低く唸り、不気味な渦を巻き始めた。


蝙蝠の群れが一羽、また一羽と背へ集まり、旋回を重ねる。

それはただの群れではなく、闇そのものが実体を得たかのような禍々しい渦だった。


――ザワァァァ……ッ。


湖畔の大気が一斉に揺らぎ、木々の枝葉がざわめき、梢に潜んでいた鳥獣が狂ったように飛び立つ。

風は凍りつき、森全体が、これから訪れる破滅を怯えるように身をすくめた。


「……なに……!?」

ニルの喉から、思わず掠れた声が洩れた。


紅の瞳がぎらりと光り、旋回する蝙蝠の渦はさらに密度を増していく。

まるで空そのものが、黒き刃に変貌する前触れのように――。


黒霧の渦は加速し、陽光を覆うように白昼の空へ禍々しい渦を描いた。

その中で、一羽、また一羽と蝙蝠の姿が歪み、嘴が鋭く尖っていく。

黒曜石(こくようせき)のような短剣へ――数百、数千。

群れは前方を向き揃い、ドキュラの背で不吉な螺旋(らせん)を形作った。


「見よ……血袋ども……!」

紅の瞳が灼けるように輝く。


「これこそが我が“血翼”の真髄――」


――時が止まった。

森も湖も、風すらも息をひそめ、すべての命が呼吸を忘れる。


そして――咆哮。


「行け!――夜群葬牙(ヤグンソウガ)ッ!!」


吸魂剣がニルを指す。

刹那、黒刃と化した蝙蝠の群れが一斉に羽ばたき、空を裂く軌跡を描きながら、矢の雨のごとく突進した。


大地を揺さぶる衝撃。

爆風が木々を軋ませ、羽音は地鳴りとなって空気を圧し潰す。

その圧力は肉体ではなく、魂そのものを削り取る暴虐だった。


「……来る……!」

ニルの蒼い瞳が細まり、短剣を胸前に掲げる。


「――蒼環結界ッ!!」


蒼白の光輪が幾重にも展開し、球殻となってニルを包み込む。

その直後――。


――ズオオオオオオオォォォォンッ!!


夜群葬牙の黒刃が、一斉に結界に叩きつけられた。

瞬間――戦場そのものが軋みを上げる。

轟音は鼓膜を突き破り、光と影が爆ぜる閃光は視界を白に焼き尽くす。


湖畔全体が揺れる――!

土は裂け、巨木は根ごと傾き、湖水は爆風で盛り上がり、天へと奔流を描く。

衝撃波は大地を削り、岩片が雨のように降り注いだ。


蒼の結界と黒刃の群れが衝突するたび、

空気が震え、骨の髄まで響く低音が全身を打ち据える。


――グガガガガガァァァァァァンッ!!!


天地そのものが悲鳴を上げるかのように。

蒼環結界は握り拳の中の卵のように圧縮され、

黒刃の群れは外殻を押し潰しながら、内側へ突き刺さろうと食い込んでいく。

一瞬でも気を逸らせば――蒼の球体ごと粉砕され、ニルは紙屑のように圧殺されるだろう。


結界はきしみ、ひび割れるような軋みを響かせた。

押し縮められた蒼の殻は、外から削り取られるようにじわじわ狭まり、黒刃の先端が内側へ食い込んでいった。


「……ぐ、ぅ……ッ!」

ニルの腕は痙攣し、肩は小刻みに震える。

泥に膝を沈め、額から汗が滴り落ちる。


「く……持たない……!」

苦悶の吐息が、震える戦場にこだました。



その後方で――。

泥に片膝を沈めたビズギットは、血を吐き出した。

脇腹の裂傷から溢れる赤黒い血は、止まることなく地面を濁らせ、

小さな血溜まりを瞬く間に広げていく。


「……クソ……止まんねぇ……!」


荒い呼吸。

胸は焼けるように熱く、肺の奥が擦れるたび鉄の味が喉を突き上げる。

視界は赤に染み、地面の影すら滲んで揺らいだ。


それでも――彼女は両手で地を掴み、よろける身体を引き上げる。

震える拳を握り締め、膝を折りそうな足を、岩に背を預けて無理やり支えた。

爪は掌に食い込み、血の滴が新たに散る。


「……クソが……ッ……まだ……なんも……終わってねぇんだよォォッ!!」


その咆哮は、痛みに震える声でありながら、湖畔の空気すら震わせた。


血濡れた右手を突き出す。


――ボワュッ。


その掌に蒼白い稲妻が(はし)り、空気が(しび)れる。


ためらいは、なかった。

雷は傷を癒せない――それでも“止血と神経を焼いて黙らせる”ことはできる。

ビズギットは雷を纏った掌を、そのまま裂けた脇腹へと押し当てた。


――ジュウゥゥゥゥッ!!!


「ぐぎゃあああああッッッ!!!」


耳を裂くような絶叫。

焦げた肉と血の臭気が混じり合い、湖畔の風をさえ腐らせる。

枝葉がざわめきをやめ、森が一瞬、死んだかのように静まった。


皮膚が(ただ)れ、肉が黒ずみ、蒼白い煙が立ちのぼる。

膝をつき、それでも彼女は歯を噛み砕かんばかりに食いしばり――

雷で強引に、傷を焼き固めた。


「ヴ……ッはぁ……ッ!」


大きく息を吐く。

涙と汗で濡れた顔を上げた時、そこに宿る瞳はなお烈火のように燃えていた。


拳が雷に包まれる。

血の臭いを纏ったまま、彼女は立ち上がる。



蒼い結界が軋み、ニルの耳から温いものが線になって伝う。

蒼環結界はすでに紙一重――喉元へ迫る黒刃を、薄皮一枚で押しとどめている。


「……く、ッ……!」

ニルの膝がさらに沈んだ。

腕は震え、肩は痙攣し、額から滴る汗が泥に散った。


その時――。


背後の大地が低く唸った。

咄嗟に振り返るニルの視界に、宙へ舞い上がる小石、幾重にも広がる湖面の波紋、そして空気を裂く震動が映り込む。


「……アタシを……怒らせやがって」


そこに立っていたのは、全身を血に濡らしたビズギットだった。

破れた衣は赤黒く染まり、それでも彼女の眼光は獣のように燃えている。


「ぜんぶまとめて――粉々にしてやるッ!!」


蒼白の稲妻が彼女の全身から迸る。

火花は岩を裂き、周囲の空気を震わせ、戦場そのものを怒りの渦へと引き込んだ。

右拳に凝縮された雷光は、もはや一個の星のように白熱していた。


「喰らいやがれェェェッ!!」


咆哮。

血に濡れた喉を張り裂けんばかりに吠え、ビズギットは右腕を振り上げる。

雷の奔流を宿した拳が天を裂き――


「――爆雷轟破(サンダーブラスト)ッ!!!」


――ズガァァァァァァァァァンッ!!!


天地を裂く爆轟。

視界は白に焼かれ、耳は鼓膜ごと破れるような衝撃に閉ざされた。

ただ大地が波打つ振動だけが、骨の髄を叩き続ける。


黒刃は蒼雷に呑まれ、悲鳴と共に霧散した。

森は根ごと揺れ、湖水は天を衝く奔流となり、空は稲妻に縫い裂かれる。

まるで世界そのものが蒼雷の怒りで再構築されていくかのように。


――その中心。

ニルの蒼環結界は粉砕寸前で光に抱かれ、ひび割れた殻が一瞬だけ蒼く再生するように輝いた。

押し潰される寸前の少女は、わずかな命の蒼光に守られ、そこにまだ立っていた。



「……はぁ、はぁ……!」

血に濡れた脇腹を押さえながらも、ビズギットは口角を吊り上げた。


「……だれが……死に損なんだよッ。――血吸い野郎が……!」


耳から血が滲み、目じりを赤が伝う。

それでもなお、雷を纏った指先でクイクイ(来い来い)と挑発する。

血と汗に塗れた顔は、常人なら恐怖で崩れ落ちる場面で――逆に愉悦に歪んでいた。

戦士の狂気を宿した眼差しは、死地の只中でなお獣のように輝きを失わない。


一方のニルは前屈みになり、両手を膝に突いて必死に呼吸を繰り返していた。

耳には爆雷の余韻が張り付き、世界はジジジと軋む耳鳴りに覆われている。

視界は白残光で滲み、小さな肩が上下し、痙攣する細い指は短剣を落としかけた。


「……ッ、ゼェ……ゼェ……」


喉は焼け、呼吸は引き裂かれ、額から滴る汗が泥に混じって赤に濁る。

膝は笑い、次の瞬間には崩れ落ちてもおかしくない――それでも蒼い瞳だけは前を向いていた。



湖畔に立つ二人。

血と汗にまみれ、今にも倒れそうな身体。

だが――その眼差しだけは、まだ消えない。


紅の瞳が怒りで震える。

握られた吸魂剣から赤黒い霧が滲み出し、背後の蝙蝠が狂乱の羽音を立てて群れ集う。


「笑わせる……死にぞこないがァァ……!」


吐き捨てた声は低く地を這い、湖畔の森を震わせた。

怒気は憎悪に、憎悪は狂気に――やがて紅の奔流へと変わる。


「血袋の分際で……! 我をここまで追い詰めたこと――後悔させてやる!!」


ビリビリビリ――ンッ!!

裂けた赤マントが剥ぎ捨てられる。


直後、背後で黒霧が渦巻き、数百の蝙蝠が狂乱しながら、ドキュラの背に噛みついた。

爪を突き立て、牙で肉を裂き、自らの血を撒き散らしながら――互いの体を犠牲にして融合していく。


「ギュルルルルルルッ!!」

群れが絶叫を上げた瞬間、背中から噴き出すように“巨大な血の翼”が形を成した。

崩壊と再生を繰り返しながら、なお生き物のように脈打ち、赤黒い滴を雨のように撒き散らす。


――バサァァァァァッ!!


羽ばたきの度に群れが砕け散り、血の霧となって戦場に降り注ぐ。

だがすぐに黒霧から新たな群れが湧き出し、翼は自己崩壊と再生を繰り返しながら不気味に広がり続けた。


耳を裂く羽音、肺を押し潰す圧、血が喉へ逆流するような息苦しさ――。

視界は歪み、鼓膜は破れそうに軋む。

二人の少女は膝を震わせ、心臓を直接握り潰されるかのような重圧に呑み込まれる。


それは、もはや「魔将」の域ではなかった。


<血翼の吸剣将>――ドキュラ。


その真なる姿が、いま解き放たれた。


紅き奔流が戦場を呑み込み、二人の前に、さらなる地獄が口を開ける。

膝が砕けようと、呼吸が途切れようと――少女たちの瞳はまだ消えていない。


――次なる戦いの幕が、今、切って落とされる。

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