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第4話 血翼の逆襲――削られる魂二つ

忘却の聖堂――《虚の祭壇》。

異界と現界の狭間に潜むその闇で、悪魔【ナグ=ソリダ】は突如として胸奥をえぐられるような衝撃を受けた。


「……な、に……?」


それは微かな断絶。

三本ある魂糸の内の一本が、無理やり引きちぎられたような痛覚。

己の分体――《深黒の呪巫婆》シザーラの“魔魂”が、完全に潰えた瞬間だった。


「馬鹿なッ……!」


祭壇の闇が波打ち――聖堂が揺れた。

禍々しい声は震え、やがて怒気を孕む。


「我が造りし“三大将軍”……死すら喰らう巫婆が……倒された、だと!? そんなはずが――」


信じられぬとばかりに、ナグ=ソリダは掌を掲げ、聖堂中央の湖へ魔力を注ぐ。


すると――

湖の湖面が静かに揺れ、中央が円環のように開けていく。

深緑の水が鏡のごとく澄み、そこに戦場の光景が浮かび上がった。


揺れる湖畔。

崩れ落ちた呪巫婆の亡骸の前に――二つの小さな影が立っていた。


ひとりは雷を纏った拳を血に濡らし、肩で荒く息をつく少女。

もうひとりは短剣を携え、蒼い瞳で周囲を睨み据える少女。


まだ若い。

人間で言えば、ほんの十代の小娘。


「…………子供……?」


湖の映像を凝視する悪魔の瞳に、初めて明確な動揺が走る。


「我がシザーラを……この、子供らが……倒しただと……?」


唸り声は震え、そして次第に狂気じみた笑いに変わった。


「クク……クハハハハッ……! なるほど! 人の世界も捨てたものではないな……!

 いいぞ……もっと踊れ。もっと我を楽しませてみせろ……“人間の子ら”よ……!」


闇に嗤い声が木霊し、虚の祭壇が不気味に震動する。


――その時。

湖面の映像が歪み、二人の前の大地から赤い閃光が噴き上がった。



「来るぞ!」

ビズギットの怒号に、ニルが短剣を構える。


大地が悲鳴を上げるように裂け、地面の亀裂から黒い霧が吹き出した。

霧は瞬く間に数百、数千の蝙蝠へと形を変え、空を埋め尽くしながら狂乱の羽音を撒き散らす。

その羽ばたきは耳膜を破る呪詛の共鳴で、肉体から魂ごと削り取るかのようだった。


――ズジャシャァァァァァン!!


爆ぜる閃光と共に、地盤が砕け散る。

その中から舞い上がったのは紅の影――《血翼の吸剣将》ドキュラ=グリモワール。


その赤眼が湖畔を走り――シザーラの無惨な亡骸を捉えた。


「……なッ……!?」


紅の瞳が大きく揺らぎ、蝙蝠の羽音さえ一瞬止む。

ほんの刹那の沈黙。だが次の瞬間、紅の瞳に燃えるような怒気が宿った。


「巫婆が……倒された……? 人間ごときに……!」

牙がきしむほどに噛み鳴らされ、紅が唇を湿らせる。


「我らが使命は……グレイデスを守り抜くこと……! その一角を血袋ごときが――砕いたと……!」


嗤いが牙の隙間から滲む。

「……いいだろう。巫婆の仇に――絶望を与えてやろう」


ドキュラの怒声が闇に轟き、戦場は再び黒に沈んだ。


「行け――ナイトバット=ファムル!」


吸魂剣が天を指し、黒霧が裂ける。

無数の蝙蝠が噴き出すようにニルへ襲い掛かり、羽音は呪詛の旋律となって空を裂いた。

噛みつかれた石片すら黒煙を漏らし、触れるだけで命を削る禍々しさを放つ。


「くッ……!」

ニルの蒼い瞳が闇に覆われ、視界が奪われる。耳元で幾十もの牙が迫る――。


「ニル――ッ!!」


ビズギットが雷光を纏って跳び出す。

両掌に蒼雷を凝縮し、爆ぜる寸前の魔力球を抱え込む。


「まとめて()っ飛べェェッ!!

 爆ぜろ――《爆雷轟破サンダーブラスト》ッ!!」


――ズガァァァァァァンッ!!


稲妻の奔流が大地を裂き、湖畔を白昼のごとく照らす。

蝙蝠の群れは閃光に呑まれ、黒煙と黒羽根を散らして吹き飛んだ。

爆風で湖面はえぐれ、蒼白の残光が視界に焼き付き、森の木々が悲鳴を上げる。


「っ、助かった……!」

ニルは短剣を握り直す。


だがその瞬間――。

足元の岩盤が崩れた。

ドキュラが落ちた穴と繋がり、地が崩落していく。


「――ッ!」

体が傾き、奈落が口を開ける。

魔糸を岩壁へ張るが、無数の蝙蝠が牙で断ち切ろうと群がった。


「チィッ……ニルから離れろッ!」


ビズギットがさらに掌を突き出し、雷光を収束させる。

「爆ぜろォォッ!!」


轟音。

雷球が炸裂し、蝙蝠の群れを白光ごと薙ぎ払った。

焼け焦げた羽が雪のように散り、戦場に一瞬だけ光が差す。

だが――奈落が手招きするように、足場が崩れ落ちた。


「こっちだ、掴めッ!!」


差し伸べられた手。

穴の中のニルが跳ぶ。

指先が――触れた。


その刹那。


「……どこを見ている」


闇が裂けた。

紅の閃光が、ビズギットの腹を――横薙ぎに奔った。


「ぐッ――!!」


鮮血が弧を描く。

骨を擦る刃。

全身に走る痺れ。

内臓が凍りつくような悪寒。


血の匂い。

視界が赤に染まる。

それでも――彼女は手を離さなかった。


「うおおッ……行けェェッ!!」


叫び。

残った力で、ニルの身体を外へと弾き飛ばす。


彼女自身は膝をつき、

血を滴らせながら地に崩れ落ちた。


拳から、雷光が零れ落ちる。

魂を抉るような吐き気が、全身を焼いた。


「ビズ!!」


ニルの悲鳴が、夜を裂いた。


ドキュラは剣に滴る血を舐め取り、恍惚に顔を歪めた。

「――血袋は、潰してからが旨い」


赤黒い蝙蝠が、頭上で再び渦を巻く。

その羽音は、少女たちのわずかに残った気力すら削り取るように、戦場を覆い尽くした。


――少女たちの息は荒く、魂の灯火は今にも消えかけていた。

だが頭上の蝙蝠の渦は、むしろ歓喜に震え、血の宴を欲して蠢いている。

生と死の天秤は、いま――圧倒的に“死”へと傾いていた。

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