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第3話 深黒の呪巫婆―響き合う二つの力

巨木の葉の影から、老婆の影が立ち上がった。


「おのれェェェ……!!」

深黒(しんこく)呪巫婆(じゅふば)》シザーラが怒りに歪んだ顔で杖を振り抜く。


「――屍灰の雨ッ!!」


轟ッ――! 空が裂けるような悲鳴。

灰色の呪弾が雲のように広がり、瞬く間に矢となって降り注ぐ。

触れた岩は爆ぜ、草木は黒く溶け、湖面には瘴気(しょうき)の染みが浮かび上がった。

耳を塞いでも貫くような轟音。灰は息に混じり、喉を焼きただれさせる――世界が“死の帳”に塗り替えられていく。


「……やべぇ!」

ビズギットが舌打ちし、咄嗟に身を屈めた。


「それは――読めてます」

ニルが冷ややかに呟き、両手を前に突き出す。


「――蒼環結界(そうかんけっかい)!」


蒼白の紋が幾重にも展開し、光の輪が二人を包み込む。

バラバラバラ――ッ!!

灰雨が叩きつけるたび、雷鳴のような閃光がほとばしる。

波は逆巻き、木々が裂け折れる――だが、蒼環結界はひび一つ入らず、二人を守り抜いた。


「……すげぇな」

ビズギットが目を見張る。

ニルの瞳は冷ややかに光り、まるで結界ごと敵を睨み返すように揺るぎなかった。



その時――


「行け――ナイトバット=ファムル!」

《血翼の吸剣将》ドキュラが、赤黒い吸魂剣を掲げる。


虚空が裂け、背から数百羽もの黒蝙蝠が怒涛の群れをなして溢れ出した。

その羽ばたきが腐臭を撒き散らし、湖面は濁流のように波立ち、空気そのものが黒く淀んでいく。


「チッ、またかよ……!」

ビズギットの掌に蒼白の雷が奔る。

空気が軋み、戦場そのものが痺れるように震えた。


「喰らえェッ! ――落雷掌(クラッシュパーム)ッ!!」


――轟ッッ!!


雷を纏う拳が大地を叩き割った瞬間、天地を貫く閃光が炸裂する。

稲妻の奔流が蜘蛛の巣のように地を裂き、轟音と共に湖畔全体が震動した。


「なにッ――!?」


ドキュラが大きく体制を崩す。

足元に走った亀裂は瞬く間に拡大し、大地が悲鳴を上げて崩落する。

口を開けるように裂けた奈落が、紅の瞳を呑み込まんと迫った。


影へ退ろうとマントを翻す――だが、雷光が闇を裂き、爆風が身体を巻き込む。


「ぶっ壊れて――落ちろォォッ!!」


ビズギットは吠えながら拳をもう一度叩き込む。

その衝撃は拳というより、爆裂そのもの。

「魔法」と「格闘」を同時にぶち込む、彼女だけの必殺。


「……グワ、ッ……!」

ドキュラの紅い瞳が最後に憎悪と愉悦を閃かせる。

その背へ群がった蝙蝠の群れが赤光を帯び、主を護らんと渦を巻いた。


――だが次の瞬間。


雷撃の奔流が群れごと呑み込み、蝙蝠たちは黒い霧となって螺旋を描きながら穴の底へと落ちていく。

その渦の中心――紅の瞳も吸い込まれるように、深淵の闇へと消え去った。

湖畔には黒煙と羽根の残骸だけが漂い、風に攫われていく。



さらに――

ニルが、指を弾く。


「――地形崩壊術式、起動!」


蒼白の紋が蜘蛛の巣のように地表を奔り、切り立つ崖の断層に、下から上へと亀裂が走る。次の瞬間、湖畔全体が呻き声を上げ、森と湖水が震動した。


ドガァァァァァン――!!


轟音と共に地盤が大きく震え、崖の巨岩と土砂が雪崩のように奈落へ落ち込んでいった。

耳をつんざく崩落音と共に、谷間の空気までもが轟きに呑まれ、奈落へと吸い込まれていった。


やがて裂け目は塞がれ、黒き大地は静まり返る。

そこに残ったのは――光一筋通さぬ墓標のような沈黙。

地表はまるで傷口を閉じたかのように固まり、深淵の奥に潜む気配を完全に封じ込めた。


「これで――終わった、……はずです」

ニルが血に濡れた指を拭い、短剣を構え直す。


「よっしゃ! 次は、婆ァに集中するぞッ!」

荒い息を吐きながら、ビズギットが吠える。



湖畔を覆う呪灰と黒霧の中、シザーラが泥に沈む大カラスを見つけた。


「なッ……!?」

首をへし折られた“我が子”の亡骸。

その姿を認めた瞬間、老女の貌は怒りと憎悪に引き()り、鬼女と化す。


「おのれェェ……よくも“我が子”をォォォッ!!」


杖が天を裂き、漆黒の羽根が嵐のように舞う。

降り注ぐのは呪詛の結晶――“腐病(ふびょう)の雨”。

岩は粉と化し、湖水は黒く濁り、森の梢は一斉にしおれ落ちる。

命あるものが次々と窒息していくかのようだった。


「ふざけやがってェッ!!」

ビズギットの雷撃が矢を次々と粉砕し、戦場を昼のように照らす。

しかし破片は霧へ変じ、雷を喰らってなお肥大。黒雨となって滝のように落ち注いだ。


「……ぐッ!」

ビズギットの頬をかすめた一滴が肉を裂き、血が滴る。

腕と肩には蜘蛛の巣状の亀裂が広がり、皮膚の下で血管が裂けるような痛みと共に、魔力の流れが逆流していった。


「ヒャァァァハハハハァァ!!」

シザーラの哄笑が呪詛そのものとなり、湖水を震わせ、森をざわめかせる。

声だけで空気が濁り、戦場は狂気に塗りつぶされていった。


「ビズ、退いて!」

ニルが一歩踏み出し、両腕を広げる。


『――蒼環絶界(そうかんぜっかい)!!』


蒼環結界の極致。

幾重もの蒼白の環が大地と天を貫く柱となり、やがて湖畔全域を包み込む巨大な球殻(きゅうかく)を成した。

黒雨が叩きつけられるたび――


ガガガガガァァァァン――ッ!!


震動と雷鳴が轟き、湖面が眩い閃光を返す。

森は爆風で枝を軋ませ、地鳴りが続いた。


「クク……守るばかりで、いつまで持つかねぇ?」

しわがれた声が、呪いを孕んだ呪笑(じゅしょう)に歪む。

耳に触れただけで血が冷えるような、悪意の笑いだった。


「……だったら、これで――!」


ビズギットがふわりと浮遊する。

両腕を交差させると、蒼雷が凝縮し、幾十もの稲妻が絡み合って渦を巻く。

稲妻の奔流はやがて人の背丈を超える雷の獣となり――


「爆裂魔法! ぶっ飛べェェェ――ッ!!」


咆哮と共に、その巨大な雷玉を湖面へ叩き落とす。


――ズガァァァァァァァン!!


轟雷と共に湖が凹み、爆心地から巨大な水柱が天を突いた。

衝撃波は森を薙ぎ払い、湖畔一帯を白光と轟音が呑み込む。

反動で盛り上がった湖水が幾本もの水柱となり、雷光を纏いながら天へ昇る。

呪雨と黒霧は一瞬で蒸発し、湖畔は眩い閃光の嵐に晒された。

高波が押し寄せ、岸を呑み込み、森を根こそぎ薙ぎ倒していく。


――だがその直後。


「消えておしまいッ!!」


シザーラの魔杖がうねり、棘まみれの槍へと変貌する。

呪力を纏った穂先は地盤ごと貫く勢いで、ビズギットの胸を狙った。


「……!?」


その軌道を裂くように――

泥に沈んでいたはずの大カラスの死骸が、不気味に跳ね上がる。

羽毛の隙間で、細い光がかすかに煌めく。

ニルの魔糸。

死骸は糸に操られ、ぎこちなくも強引な動きでシザーラの背に叩きつけられた。

――その瞬間、カラスに仕込まれた魔糸が老女の背に貼り付く。


「ぐッ……わ……ッ!!」


よろめきながらも、シザーラの瞳は狂気に爛々と輝いた。

その口から迸るのは、最後の執念を燃やす絶叫。


「――永劫葬送エターナル・レクイエム!!」


最終魔法――死の鎮魂歌。

黒き大地が脈動し、天地そのものが不気味な鼓動を刻む。

空気は凍りつき、数百の呪声が重なり合い、森も湖も大気さえも“死の歌”を合唱する。

湖面は逆流し、木々は呻き、稲妻すら掻き消え――世界全体が“葬儀の舞台”へと変貌していった。


「なにッ……!? 動け……ねぇ……!」

浮遊していたビズギットの全身が、透明な檻に押し潰されるように硬直する。

肺は圧迫され、血管が裂けそうなほどに重い。

黒き奔流が牙を剥き、彼女の全身を呑み込もうと迫る――その刹那。


「……今です!」


ニルの指がパチンと鳴る。

張り付いた魔糸が背を突き飛ばし、シザーラの身体が前のめりに崩れた。


「なッ……!?」


詠唱が途切れ、老女の瞳に動揺が走った瞬間――。

稲妻を纏う影が、眼前に迫る。


「ぶち込むぞゴラァァァッ!!」


グシャァァァァァン――ッ!!


雷光を纏った膝蹴りが顔面を直撃。


「ぐがぁ――はッ……!!」


老女の首が不自然にのけ反り、後頭部が背に触れるほどへし曲がる。

砕けた頬骨と鼻梁から黒血が噴水のように飛び散り、衝撃は湖畔の地表を裂いた。

――だがそれでもなお、シザーラは異様な執念で棘の杖を持ち上げようとした。


「……終わりです」


ニルの短剣が胸を穿つ。

蒼き瞳に冷光を宿し、淡々と告げる。


「――内蔵振動(ないぞうしんどう)


ズドドドドド……ッ!!


刃から奔る震動が心臓を内側から砕き、血肉が裂け、呪力が逆流する。


次の瞬間――

老女の喉から絞り出されたのは、人の声ではなかった。


「ギィ……ギギギャアアアアァァァ――ッ!!」


声とも音ともつかぬ悲鳴。

喉を裂く血泡、砕ける骨の響きが混ざり合い、獣とも亡霊ともつかぬ咆哮となって湖畔を震わせた。

森も湖も一瞬息を呑み、耳を塞ぎたくなる断末魔がこだました。


絶叫と共に杖を取り落とし、黒血を撒き散らして崩れ落ちる。

しばしの沈黙――そして、二度と動くことはなかった。


黒霧が悲鳴の余韻を引きずるように薄れ、森のざわめきすら息を潜めた。

しかし、大地はなお低く唸りを上げ、湖面には不穏な波紋が広がり続けていた。


雷光と短剣――二つの刃は、互いに呼応するように交差していた。

そう、彼女たちは知らず知らずのうちに、すでに“連携”していたのだ。



「……やっと、黙ったか」

荒い息を吐きながら、ビズギットが拳を震わせる。


ニルは短剣を払って血を拭い、蒼い瞳を細めた。

「……これで一人。しかし――湖も、大地も、まだ沈黙してはくれません」


その言葉どおり。


ゴゴゴゴゴ……ッ!!


足元の地盤が再び唸りを上げ、波が逆巻き、森がざわめく。

亀裂が奔り、大地の闇の底から紅い光がぼうっと浮かび上がる。


「――ドキュラ……?」


二人は顔を見合わせた。

だがその眼前で、まだ“死にきっていない”気配が、闇の底から這い上がろうとしていた――。

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