第5話 噛み合わぬ三人― 喰らう絶望
三人とも、すでに体勢は崩れ気味だった。
――情報は無い。
連携も取れていない。まさに、袋小路に追い詰められたような状況だ。
「……このままでは、まずいですね」
ニルが呟く。声には、わずかな震えが混じっていた。
バッドレイは、《鉄喰の魔剛鬼》グルザードの猛圧を必死に受け止めていた。
筋肉と剛鉄がぶつかり合い、全身がきしむ。それでも口端には笑みが浮かび、眼には戦闘狂特有の愉悦がちらつく。
一方、ビズギットは《深黒の呪巫婆》シザーラの呪撃と、群がる黒蝙蝠に翻弄されていた。さらに、いつ《血翼の吸剣将》ドキュラが影から一閃を放ってくるかも分からない。
防戦一方。呼吸すら整わない。
「チッ……ゼギンアスの言ってたより、はるかに厄介じゃねーか、コイツら……ッ!!」
彼女は歯ぎしりしながら雷を放つ。焦げた匂いが風に混じるが、戦況は覆らない。
「……ここは退いて、仕切り直しましょう」
ニルは冷静に指示するが、額を伝う一筋の冷汗が、彼女の内心の動揺を物語っていた。
「わーってるよ……でも今のままだと……押されっぱなしだぜ!」
その瞬間、バッドレイは吼え、迷いなくグルザードへ突っ込んだ。
「おっしゃァ! 俺が行くッ!!」
「待って――!」
ニルの魔法陣の中央に、バッドレイが容赦なく飛び込み、術式が乱れる。
退却のために構築していた氷の罠が、彼の足元で不安定に揺らいだ。
「うわっ、なんか足元ぐにゃって!? おいニル、これ罠か!?」
「私の魔法です。……飛び込んで欲しくはありませんでした」
ニルは眉をひそめ、焦燥を隠しきれない。退路の策が消えた。
バッドレイの足元がとられた――その一瞬の隙を、ドキュラは見逃さなかった。
吸魂剣が音もなく振るわれる。
「好機」
剣がバッドレイの脇腹を薙いだ。
辛うじて剣で受け止めたものの、黒き霧が傷口から滲み込み、血と魂を同時に削り取っていく。
膝が揺らぐ――それでも彼は、口端を吊り上げて笑った。
鉄と血の匂いが、熱気に溶けて広がる。
その背後で、シザーラが両腕を広げる。狙いはバッドレイ。
永劫葬送<エターナル・レクイエム>。
湖畔の空気そのものを凍らせるような、死の鎮魂歌。
完成すれば、彼の命火など瞬く間に掻き消えるだろう。
――だが、その時。
「させるかッ!!」
ビズギットが雷撃を放つ。
稲光が黒きコウモリを焼き裂き、水蒸気と焦げ臭を撒き散らしながらシザーラへ直進する。
――同時。
「バッドレイッ、危ない!!」
雷光と死の詠唱が交錯する、その刹那。
短剣を逆手に、ニルが迷いなく飛び込んだ。
シザーラの喉元へ――蒼い瞳に宿っていたのは、恐怖ではなく確信。
詠唱の最中こそ、魔女が最も無防備となる、その一瞬を――彼女は見切っていた。
「な――ッ!? おい、ニル!!」
ビズギットの悲鳴が木霊する。
――ズガァン!!
直後、ビズギットの稲光がすべてを呑み込んだ。
轟音と閃光が二人を包み、世界が白く塗りつぶされる。
シザーラの詠唱は断ち切られ、鎮魂歌は霧散した。
小柄なニルの体は、雷ごと吹き飛ばされ、岩へと叩きつけられた。
轟音。岩片が飛び散り、白煙がもうもうと立ちこめる。
「ニル!!」
「大丈夫かっ!?」
叫びが重なり、白煙の向こうから影が揺れる。
ニルの視界が一瞬真っ白に焼かれ、耳の奥ではキーンと焼けつく音が鳴り止まない。
焦げた布と肉の匂いが鼻を刺し、吐き気が込み上げる。
それでも――よろめきながら、小柄な体は立ち上がった。
頬には焦げ痕、破れた服の下で薄い血が滲み、乱れた髪から汗が滴る。
荒い呼吸。それでも彼女は唇を固く結び、視線だけはまっすぐに前を向いた。
「……問題は……ありません」
唇は強がりに震えていた。だがその瞳は、まだ戦場を射抜いていた。
「マジかよ……アタシの魔法が直撃だぞ……!」
ビズギットが、握りしめた拳の震えが止まらない。
“アタシが殺しかけた”――その事実が、喉を塞いで言葉を奪っていた。
「……しゃーねぇ、事故だ事故♪」
バッドレイは肩をすくめて笑った。
だが、その眼光はニルを見据え――
戦場を楽しむ光と、仲間を認める光、その両方を宿していた。
◇
しかし戦況は、明らかだった。
三人の噛み合わない動きは互いの足を引っ張り、仲間の体力や気力すら削っていく。
その規格外の力は、もはや仲間にとっての脅威となり、裏目に作用していた。
敵は――冷徹かつ精密。
《鉄喰の魔剛鬼》グルザードの場を揺るがす怪力の一撃。
《血翼の吸剣将》ドキュラの、影すら斬り裂く正確無比の一閃。
そして《深黒の呪巫婆》シザーラの、死を約束する致命の詠唱。
三者の力は噛み合う歯車のように連動し、戦場を支配していた。
一撃が隙を生み、次の一撃がそこを抉り、詠唱が仕上げを刻む――
それは偶然ではなく、まるで一つの意志が彼らを操っているかのような連携だった。
そこには迷いも躊躇もなく、圧倒的な勝利への必然があった。
「……さすが、“三大将軍”ですね……」
ニルが苦く笑みをこぼす。
その言葉には、敵の格を認めざるを得ない悔しさと、己の未熟さを噛み締める自嘲が混じっていた。
次の瞬間――休む間を与えず、再び二人が同時に動いた。
ドキュラの吸魂剣が影を裂き、シザーラの魔杖が風を凍らせる。
地は裂け、空は焦げ、湖畔は戦場そのものへと変貌していく。
混迷と死の予感のただ中で、三人は否応なく互いの存在を意識し始めていた。
「このままでは、誰も生き残れない」
その真実は、叫び声ではなく胸を灼く沈黙となって、彼らを突き刺していた。




