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第4話 開戦― 規格外の三大将軍

湖畔に――天地を砕くかのような轟音が落ちた。

青空は裂け、陽光は血の色を帯び、群青の湖面は痙攣するように震えあがる。


その只中に、三つの影が立っていた。


それは、もはや人ではない。

理をねじ曲げ、世界そのものに拒まれる“邪悪の権化”。

空気は腐り、草木は黒ずみ、湖畔の大地が軋みを上げる。


まず一人。

血翼(けつよく)の吸剣将》ドキュラ=グリモワール。

紅蓮のマントを翻し、手にした長剣は――音をも殺す。

背後から舞い上がる呪詛の蝙蝠(こうもり)が陽を喰らい、昼を闇に変えていく。


「……血袋たちよ。お前ら、異物だな」

氷刃のような声が、聞く者の肺の奥を凍りつかせた。


次に一人。

深黒(しんこく)呪巫婆(じゅふば)》シザーラ=クロウ。

背を曲げた老女の肩に止まるのは、眼窩(がんか)から血涙を垂らすカラス。

その魔杖は回るたびに、腐蝕(ふしょく)の斧や(とげ)まみれの槍へと姿を変え、一振りするだけで、空気を罅割(ひびわ)れさせた。


「アハッ……悲鳴も砕ける音も、ぜんぶ混ぜて歌にしようかねぇ……♪」

掠れた嗤いは、骨の髄を震わせる呪曲(じゅきょく)そのものだった。


そして最後。

大地そのものが呻き、盛り上がる。

鉄喰(てっしょく)魔剛鬼(まごうき)》グルザード=ゼウス。

肌は鉄を溶かしたように黒く(ただ)れ、口からは灼熱の蒸気を吐き出す。


「グルザァァァァ!! 壊すッ!! 強ェ奴、みんな――壊すゥゥ!!」

咆哮は雷鳴をも凌ぎ、握る戦槌<ウォーハンマー>は湖を割り、岩盤を粉砕した。

天地が共鳴し、前に立つ者の逃げ場は……もはや、どこにもなかった。



バッドレイたち三人は、不意の急襲に備えきれず――立ち位置を大きく乱していた。


本来なら、地形を読み、罠を仕掛け、湖畔の利を握って戦うはずだった。

だが、その計画は開始前に……無惨に踏み潰される。


「……なんで、こんなところに……?」


ニルの細い声が、湖面のざわめきに溶けて消えた。


ゼギンアスが語った“規格外”の副将たち。

まるで伝承にしか残らぬ怪物のような存在。

――まさか、準備もままならぬ状況で。しかも三体同時に遭遇するなど。

彼女の瞳に潜む冷静さは揺らぎ、そこへ焦燥の影が差していく。


「どうする、ニル。逃げるか?」

軽口を叩いたバッドレイの顔に、笑みは欠片も無い。

その眼差しは獣のように鋭く、敵影を測るというより、迫る死の気配に食らいつこうとしていた。


「バカか――逃げたって追われんだろ! ホント殺すぞ!!」

ビズギットの怒声が響く。

だがその声には震えが混じっていた。

溢れ出る魔力は苛立ちを告げると同時に、獣のように血を欲する衝動の表れでもあった。


「……体勢を整えてから戦うはずでした。状況は、最悪ですね」

ニルは短剣を逆手に構え、息を詰める。

冷静な声色の裏で、額を伝う一筋の冷汗が、彼女の内心を雄弁に物語っていた。



――次の瞬間、湖畔の空気が震え裂けた。


ドキュラが細長い吸魂剣(きゅうこんけん)を静かに前へ翳す。


「行け、ナイトバット=ファムル――闇を食らい尽くせ!」


虚空がひび割れ、ドキュラの背から漆黒のコウモリが無数に羽ばたき出した。

羽音ひとつなく、呪詛めいた気配だけを撒き散らしながら、三人の頭上へ降り注ぐ。


まるで太陽そのものが呑み込まれたかのように、光が奪われていく。

湖畔はたちまち漆黒の帳に閉ざされた。


「うわっ、なっ……!」

ビズギットが咄嗟に雷撃を放つ。


稲光が炸裂し、数百羽が一斉に焼き払われた。

だが、悲鳴もなく霧散し、黒煙となって視界にまとわりつく。

その残滓はただの影ではない。五感を狂わせ、仲間の姿すら霞ませる幻影。


「このっ……!」

再び雷がビズギットの掌から(ほとばし)る。

地面が震え、白光が湖畔を焼き尽くす――その刹那。


「……まずはお前からだ」


闇を切り裂き、ドキュラがニルへ無音で迫った。

剣筋は氷刃のごとく冷たく鋭く、彼女の背を狙って閃く。


「……ッ!」

ニルは跳び退き、紙一重でかわす。

だが夜霧のごとき蝙蝠の群れがまとわりつき、足場を奪っていく。


「……罠を張っておくべきでした……!」

悔恨の声を、シザーラの哄笑がかき消した。


「アハッ! 今さら後悔しても遅いわぁ……♪」


魔杖が天を裂く。

黒い羽根と共に降り注いだのは呪詛の結晶――触れた肉をひび割れさせ、骨ごと砕く病の矢だった。


「くっそ婆ァ……舐めんじゃねェッ!」

白雷が迸り、矢を粉砕する。

光は空を真昼のごとく照らした。――だが次の瞬間。


砕け散った呪矢は霧となり、逆に稲光を喰らって濃く増幅して落ちていく。


「……ぎゃっ……!」

撃てば撃つほど呪霧は肥大し、天から黒い滴が降り注ぐ。

ビズギットの剥き出しの肩は、蜘蛛の巣のようなひび割れが走り、血が滲んだ。


「アッハッハッ! いい声だねぇ! 泣き声と雷鳴、よく響くわねぇ!」


シザーラの嗤いが響くその背後で、影がうごめく。


「ビズ! 危ない!」

ニルの声が鋭く裂けた。


同時、闇が割れ――ドキュラの刃が音もなく迫る。

ビズギットが咄嗟に身を逸らす。鼻先を、冷たい光が掠めた。


――キィン!


火花が散る。

ニルの短剣が闇を切り裂き、死角からの一撃を受け止めていた。


「……よく読めたな」

氷のような声。剣速は目で追えず、足音すら存在しない。


「まだ――です!」


押し返した刹那、ニルは刃を返しドキュラの喉を狙う。

閃光の突き――しかし紅のマントが翻り、影が千切れて姿は霧のように消えた。


直後、闇の中の横合いから見えぬ太刀が迫る。


「ちいっ……!」

ニルは宙へ飛び退く。

頬を裂かれ、冷気が皮膚を抉り、熱い血が滴る。

ほんの一瞬遅ければ、首が飛んでいた。


「……一撃で終わらなかったのは、褒めてやろう」

闇に浮かぶ瞳が妖しく光る。

ざわめく蝙蝠が、断末魔を待つかのように、頭上で旋回していた。


――その時、巨体が影を踏み破って前へ躍り出る。


「おまえッ! 強そッ!! 壊すッ!!」


咆哮と共に、グルザードがバッドレイ目掛けて突進する。

岩山そのものが暴走したかのような質量。大地を砕き、砂礫が波のように巻き上がった。


「おー、いいねぇ~!」

バッドレイは口角を吊り上げ、両手剣を高々と掲げる。


――ズゴォォォォォーン!!

衝突の瞬間――天地が震えた。

湖畔は土煙と衝撃波に呑まれ、黒蝙蝠の闇すら悲鳴のように立ち消える。


「おっと……こりゃ、予想以上だわ!」


「グルザァァァァ!!」


崖際の大地はうねり、地層ごと震え砕ける。

木々は根を引きちぎられ、折れ伏し、戦場は荒嵐に呑まれた廃墟のごとく変貌した。


――誰もが次の一撃を予想できない。

湖畔は、もはや地獄そのものだった。

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