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FICTION-LINK  作者: 字紀 彦助
3/5

第三話



「主任、また現れました、“侵略者”です!」

部屋の外から、研究員が叫んだ。

夜空の顔が強張る。机に置かれていた“それ”を強く握り締めた。

常盤木はもう立ち上がって、部屋に入ってきた研究員となにやら話していた。

 夜空はゆっくりと立ち上がった。

 あの研究員(夜空の記憶が正しければ確か安西、といった、痩せて目の細い若い男。しかし夜空と話したことはあまりなく、名前を覚えていてもそれを呼ぶ機会さえなさそうだ)と常盤木が何を話しているにせよ、どうせ夜空のやることは同じである。

 常盤木の近くまで歩み寄ると、彼は夜空のほうへ振り返り、肩に手を置いた。

 でかくて熱い手だ。その手でそうされると、夜空は自分の領域に土足で踏み込まれているような気分になる。


―――あの手は違った。


 ふとそんなことを思う。

 さっき公園でハンカチを巻いてくれた手は違った。

 常盤木のようなぶしつけな手ではない。医者や看護士の業務的な手でもない。


 渇いた喉に、やさしく水を流し込んでくるような手だった。


「あさひ、こずえ」

 その名前を小さく口の中で呟くと、なにかむずがゆいような、指先が温かくなるような気持ちになった。


「ん? どうした?」

常盤木が怪訝そうな顔をした。

夜空は急にはずかしくなって、いそいで首を横に振った。

「何でもないです。…次の“侵略者”は?」

「ああ、それなんだが、すぐに行けるか? 車を出すから」

 行けるか、も何も、夜空が行かなければ話にならない。




白いカローラにまたエンジンがかかる。

後部座席に乗り込んでドアを閉めると、何とも言えず軽薄で安っぽい音がした。

「悪いな、怪我したばっかで」

「いえ…」

ポケットの中でピルケースを弄り回しながら夜空は答えた。

 ずっと前から気になっていたことを、今日は言えそうな気がしていた。

「あの…」

「ん?」

サイドミラー越しの彼は、前方に注意を向けているが一応質問には答えてくれそうだ。夜空は少し高まる鼓動で舌を空転させながら、言った。

「あの化け物って、普通の人には見えないんですよね」

「ああ、そうだよ」

角を左に曲がりながら、常盤木はいぶかしげだ。だから何? とでも言いたげだ。

「…普通の人には、触れないんですよね」

「ああ」

「じゃあ…あの化け物は、誰にとって危険なんですか?」

 聞けた、と夜空は胸をなでおろしながら、常盤木の返答に全身の神経を緊張させた。

 そう、夜空は、いまだに誰のためにどうして戦っているのかわからない。知らされていなかった。

 サイドミラーで、常盤木の口が開く。右の道からの左折車に目を向けているから、表情は良く見えない。

「ちゃんと説明したことは無かったっけか? 夜空には少し難しい話かもしれないなぁ」

 でも噛み砕いて話すか、とひとりごちた。―知りたいもんな。

「確かにあの化け物は誰にも見えないし、誰にも危害を加えない。けど、世界の…情報を奪おうとする。パソコンはやったことあるかい?」

「少しだけ」

「じゃあ、ウィルスは知ってる?」

「病院で、看護士さんとか、入院患者の人からちょっとだけ聞いたこと、あります」

「あの化け物は、そのウィルスみたいなもんだな。君が接続剤を飲んでいる間、見えている世界は本当の現実じゃない。データ化された現実、つまり非現実だ。化け物は、世界のデータを盗んで、最終的には非現実のデータと現実の世界をつなげようとしている。もしそうなれば、簡単に言えば化け物は現実の世界にも現れて、普通の人を襲ったりするようになる。まぁ、これは単なる例だけどな。それで、実は、そのフィクション・ウェポンと接続剤は、非現実と現実を繋げる装置だ。奴らの一歩先を行ってる。邪を以って邪を制す、といったところかな。といっても力を及ぼせる範囲は非現実に対してだけだから、完全なものではないけどね」

 夜空は、途中からわけがわからなくなって、ただ等間隔に瞬きをするくらいしか動かなかった。

「わかったか?」

夜空はゆるゆると首を横に振った。聞きたかったことは、何一つ語られていない気がする。

「まぁ、要は地球には君が必要ってわけだな。…そろそろ、着くぞ」

 考えるのをやめにして、夜空はポケットからピルケースを取り出した。



 ケースを開けて、白くて丸い、FL、と押された錠剤を手のひらに出す。

 四粒、ばらっと出て、二粒戻して、残りを口に放り込んだ。

 喉がクッと動く。

 何回か瞬きをして、だんだんと瞳が潤んで充血してくる。

 しかし反対に、肌はいっそう血の気が引いていった。筋肉が透けて見えそうなほどだ。



 車が止まった。

 そこは住宅街の公園。白々しく木が一本生えて、遊具もあまりない。土は砂利質で、灰か鉄っぽい色だ。擦りむけば小さな砂利粒がめり込みそうだった。

常盤木が携帯電話で研究所と連絡をとりあっている。程なくしてパチリとそれを閉じた。

「着いた、夜空。ここだ」

夜空はもうそれを聞いていない。なぜなら、薬の効いた彼はすでに『それ』を視覚で捉えている。熊のような、巨大な四つ足の猛獣だった。まだ車から10mほど離れているが、ゆったりとこちらに近づいてきている。

銃を、お守りのように胸に握りこみ、背を丸めて目を閉じた。何事かを口の中でつぶやく。

それは、祈りの姿勢そのもの、だった。


そして決心したようにその瞳が開かれた。重いシャッターを大きな力で押し上げるように瞼を開きざま、左手で乱暴にドアを開け、右手で素早く発砲する。

一瞬かと思われる間に3発撃たれたそれは、内1弾をかすらせ、2弾を左肩にしたたか命中。しかし全身を黒っぽい体毛に覆われたそれはびくりともしない。しかしのっそりと、小さな瞳にはっきりとした方向性をもって夜空に近寄り始めた。夜空はそれと同じ分だけ後退して距離をとりながら、今度はしっかりと狙いを定めて2発、発砲。今度は確実に胸部に命中。化け物は爪の長い前足で被弾した箇所をうざったそうに掻いた。


夜空の背に、悪寒が走った。


巨体の剛毛に埋もれた、黒い瞳に、明確な凶暴性が宿ったから。


思わず引けた少年の腰を見逃さず、それは後ろ足で立つようにして獲物に飛びかかった。


すんでのところで転がりよける夜空。しかし化け物は更に黄ばんで鋭い爪を横に薙ぐ。

夜空は押しつぶしてうめいた。フィクションウェポンが回りながら地面の上を転がっていく。右腕を、左手の指先が白くなるくらい握り締めながら、中腰で走って逃げる。迫る地鳴りを背中で感じながら、夜空は銃の方向へがむしゃらに走った。半身をひねり後ろを顧みると、視界いっぱいに広がりかねない、頭部。まっすぐこちらに向けられた漆黒の虚無。狂気。小さいと思っていたそれは至近では野球のボールほどもあった。それが2個。夜空は右足に左足がひっかかり、いやそれより腰を抜かしたのが先か、そこで尻餅をついた。足と尻が砂を掻くむなしい音が獣の荒息に重なる。夜空の右手は指の股まで赤く染まっていた。獣の胸にも赤茶が散らばっている。それに気づく頭もなく、夜空は左手を地面の上にまさぐらせた。何度も何度も空転し、爪に砂が溜まり、やっと指先にそれを捕らえ、引き寄せる。熊は右の爪を振りかざす。それが振り下ろされるより早く、夜空は左手の延長上に凶獣の額をとらえた。瞳がすっと鋭くなる。


爆音。それこそ、爆音。破裂。


 一瞬夜空はわけがわからなった。

 そのあと低い耳鳴りの中に、過ぎる大音声が頭蓋骨を狂わせる。

 それは巨大すぎる獣の、巨大すぎる断末魔だった。


 乾いた瞳に気づき瞬きをしたとき、コマ送りで眼下に迫る赤と茶のコントラストに、意識が目覚めた。目覚めたが、何が起こったのか理解が出来なかった。

 そして、理解できたころには遅すぎた。

「ぅぁああああああ!!」

「夜空!?」

 常盤木の目に、右腕から血を流して仰向けに倒れた夜空が映っている。胸から下は不自然にひしゃげてつぶれ、地面に押さえつけられていた。

 走り寄り、

「夜空!」

 かすんだ視界に、ぼんやりと人影が映る。夜空は必死でそちらへ左手を伸ばした。

 そのとき初めて、銃が腕に絡みつくような姿に変わっていることに気がついた。だからあんなバカみたいな威力が、と頭のどこかが冷静に回った。

「…きゎぎさ……すけて…」

 胸が圧迫されて声が出ない。

 常盤木は、夜空の左腕と肩を持って、そのか細い体を引き寄せた。『それ』を見ることが出来ないものでも感知できる、重み。そのものに触れることは出来ないが、触れることの出来る者に働く力はなくならないらしい。

「頑張れ」

彼は十分頑張っているわけだが、それでも常盤木のボキャブラリーはそんなもんだった。

ズ、と夜空の体が動いた。伴って苦しそうにうめく。しかしそれからはスムーズに、そして無事に、彼の体は助け出された。

夜空はのたうつようにうつぶせになり、胃までせりあがりそうになる程激しく咳き込んだ。息を吸うたびに肺が握りつぶされるように収縮する。


常盤木に背中をさすられながら、夜空は寒い、と呟いた。





「目標、消滅しました」

「夜空の状態は?」

「右上腕部に負傷。出血やや多いです。肋骨損傷の恐れもあり」




 震える夜空を常盤木が毛布でくるんだ。車内のエアコンをその季節に見合わない温度に上げる。

 夜空は細い体を縮こまらせて震えていた。あの薬が切れると、以前から寒気を感じることはあった。しかし、ここまで病的になることは、なかった。

 唇が青い。大げさでなく青い。瞳は焦点が合わない。右腕で左腕を、左腕で右腕を抱きしめ、足の間に広がる車のマットをじりじりと睨み付けるような形だ。

 夜空の頭は混濁していた。寒くて寒くて仕方なく、体の中心が凍っているようだ。


―この寒さを、お願いだ。どうにかして。

  怖い。怖い。

 逃げなければならない。しかし体が震えて動かない。

 逃げなきゃ。逃げろ。逃げろ!

 足元を、無数の虫がぎっしりと蠢きまわっている。

足に、足にまで這い上がって来た!



 ぶるっと大きな震えが走り、正常な意識が夜空の体に舞い戻った。

 得体の知れない寒気も消えた。急に自分が汗をぐっしょりかいていることに気づいた。毛布をかなぐり捨てるように取ると、常盤木はそれを受け取った。

「もう大丈夫か?」

「ボクは…」

「あんなのと戦って神経が高ぶったんだろう。心配することは無い」

夜空は茫然と常盤木を見た。そう…そうかもしれない。

しかし果たして…本当にそうだろうか?

 夜空の頭に不安がよぎる。しかしそれ以上、追及することはしなかった。できなかった。とても、できなかった。




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