第4話 病みルート
《シャルロッテ・グラナート視点》
「な――なに、これ……?」
アドニスの書いた手帳を読んだ私は、一瞬で頭の中がぐちゃぐちゃになった。
言葉にならない感情が胸の奥で激しく渦巻いて、カタカタと唇が震える。
バクッバクッと、とめどなく心臓が脈打つ。
――今から十数分ほど前。
それは、ほんの出来心だった。
元々はアドニスがちゃんと眠れているか、傷の痛みを無理に我慢したりしていないか、様子を見に行ってみただけ。
忍び足で部屋へと入り、音を立てないようにアドニスに近付くと、彼は静かな寝息を立てていた。
そんな彼の寝顔を覗き見て、私は心からホッとしたものだ。
だけど――同時にふと気付く。
ベッドの傍に備え付けられてある、小さな台座。
その下に、手帳が落ちていることを。
昼間はこんな手帳落ちていなかった。
たぶんアドニスが眠る前に手帳へなにかを書き記して、そのまま床へ落としてしまったんだと思う。
――。
――――。
――――――。
好奇心に勝てなかった。
不安に勝てなかった。
きっと私やハンナがいない間に、この手帳になにかを書いたんだ。
一体、なにを書いたの?
私への怒りだったらどうしよう。
私への憎しみだったらどうしよう。
嫌われたらどうしよう恨まれたらどうしよう目障りだと思われたらどうしよう私の幼馴染になんてならなければよかったと思われたらどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
失いかけて気付いた。気付かされた。
私はアドニスが大好きだ。心の底から大好きだ。心の奥底の深淵から愛している。
私にとってアドニスは幼馴染だった。
兄のようなモノで、弟のようなモノで、家族のようなモノだった。
私にとって大切な人だった。
でもこの〝大切〟がどういう意味なのか、今更ながらに自覚した。
私にとってアドニスは〝大切な男性〟だ。
異性として、愛する人として、たった一人しかいない人なんだ。
私はアドニスを異性として愛しているんだ。
全部私のせいだ。
私が、私さえいなければ、アドニスがあんな身体になることもなかった。
全部私が悪いんだ。全部全部全部。
嫌だ。
アドニスを失うなんて嫌だ。
アドニスを失うなんて耐えられない。
アドニスがいないと、もう生きていけない。
そんなアドニスから、もしも嫌われたら?
もしも彼が私を恨んでいたら?
シャルロッテ・グラナートを助けたりしなければ、大怪我を負うことなんてなかったのにと思っていたら?
怖い。怖い。こわい。コワい。コワイ。
でも――知りたい。
アドニスは私をどう思ってるの……?
本当に彼は、私を恨んでいないの……?
私は好奇心に負けた。
気が付いたら手帳を拾い上げ、自分の寝室へと持ち去っていた。
「ふっ……ふぅっ……はぁ……はぁ……っ」
恐怖と緊張と興奮が入り混じる。
心臓が張り裂けそうなほどに脈打って、頭が割れそうになる。
足が震える。指先が震える。
怖い。怖くて堪らない。
額に汗が滲む。吐きそう。
だけどそれでも、読まずにいられない。
私は恐る恐る――手帳を開く。
そしてロウソクが放つ薄暗い光を頼りに、両目をしっかりと開けて一文一文を読んでいく。
すると――
「な――なに、これ……?」
そこに書かれてあったモノ。
それは、彼が彼自身に向けた〝遺書〟だった。
よくわからないことがたくさん書かれている。
乙女ゲーム、『黒のアネモネ』、主人公シャルロッテ・グラナート、バッドエンド……。
アドニスがこの世界の住人じゃないということも書かれてある。
そして――〝断罪ルート〟。
意味がわからない。
だけどそんなのはどうだっていい。
私の心臓を握り潰しそうになったのは、そこじゃない。
〝俺は――もうすぐ死ぬ。
シャルロッテを助けることはできたが、暗殺者が放った毒が身体を蝕んでいるらしい〟
〝あと一ヵ月生きられるか、一週間生きられるか、それとも明日までの命か……残された時間は少ないだろう〟
「……アドニスが……もうすぐ死ぬ……?」
彼の書いた〝遺書〟には、彼の身体が毒に侵されていることが綴られていた。
あの時だ。
暗殺者が放った吹き矢から、アドニスが守ってくれた。
きっとあの吹き矢に毒が塗られていたんだ。
…………アドニスが、あとどれくらい生きられるかわからない?
一ヵ月後に死ぬかもしれない?
一週間後に死ぬかもしれない?
明日には死ぬかもしれない?
「嘘よ――嘘だ――噓、噓、噓、噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓噓」
私は全身から血の気が引く感覚を覚えながら、〝遺書〟を読み進める。
〝俺はこの世界が作り物の世界だと理解している。
自分がとある乙女ゲームのキャラクターでしかないことも知っていて、バッドエンドで無残な最期を遂げることも知っている〟
〝俺は運命を変えられたと思った。
バッドエンドになっても、シャルロッテと一緒に生きられる未来があると思った〟
〝だけど、結局はなにも変えられなかった。
俺は無力だった〟
「なに……言ってるの、アドニス……?」
無残な最期?
運命?
結局なにも変えられなかった?
なに言ってるの?
わかんないわかんないわかんない。
〝この世界も、自分も、他の人々もゲームのキャラクターでしかないとわかっている。
だがそれでも――俺はシャルロッテが好きだ。
俺は彼女を、心から愛してる〟
〝シャルロッテ・グラナートは、俺にとってかけがえのない女性だ〟
「……アド、ニス……?」
〝俺にとってシャルロッテは幼馴染であり、家族であり、姉であり妹であり、そして初恋の人だ〟
〝だがこの想いは、決して伝えない。
伝えてはならない。
俺はもうすぐ死ぬから〟
〝それに……もしかすると、もう一度暗殺者たちがシャルロッテを襲うかもしれない〟
〝その時が来たら……俺は今度こそ、奴らと刺し違えるつもりだ〟
〝シャルロッテ――どうか俺の分まで、幸せになってくれ〟
「あ…………ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………そ……そんな……っ」
――なんてこと。
あんまりだ。こんなのあんまりだ。
この〝遺書〟に、私への恨みなど一言も書かれてはいない。
むしろ逆。
書かれてあったのは、アドニスがどれほど私を大事に想ってくれているか。
彼は私への愛を綴ってくれたのだ。
シャルロッテ・グラナートを愛していると言ってくれたのだ。
それなのに――それなのに――
アドニスは毒に侵されている。
彼の命はもう長くない。
あまつさえ彼は、私のために敵と刺し違えようとしている。
どうして?
どうして?
どうして?
どうして?
どうして?
どうして?
どうして?
どうして?
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?
せっかく――せっかく二人で生き残れたのに。
どうしてこんなことになるの?
酷すぎる。あんまりだ。
こんなことなら、いっそ恨まれた方がずっとマシだ。
憎んで恨んで、怨嗟を吐きながら死んでいけるなら、アドニスの心だってずっと軽かったはずだ。
生き残れたのに、愛し合っているのに、結局は引き裂かれるだなんて――
「――うっ、うえぇっ」
堪らず、私は胃の中身をビチャビチャと床へぶちまけた。
何度も何度も胃が収縮して、内容物を全て出し切った後でもまだ胃液を逆流させようとする。
上手く呼吸できない。
涙が溢れてよく前が見えない。
……嫌だ。無理だ。
無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理。
こんな現実、認められない。
認めるもんか。
私にはもう、アドニスしかいない。
いや、最初からアドニスしかいなかったんだ。
私の目が曇っていただけなんだ。
「あ……あはは……アハハハハハハハハハハハハハハハハハハっ……!」
アドニスがいない世界? 想像できない。
アドニスが死んだ世界? 考えられない。
私は――アドニスに生きていてほしい。
「アドニスは死なせない……絶対に死なせるもんか……!」
私は決意する。
なにがあっても、アドニスを死なせないと。
たとえ悪魔に魂を売ろうとも――
たとえこの身を闇に堕とそうとも――
たとえ――どんな悪事を成そうとも――
アドニスと、生きて添い遂げてみせると。
「うふふ……アドニス、あぁアドニス。私と一緒に、幸せになりましょうね……」
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