第1話 バッドエンド世界線
〝走馬灯〟――。
それは人間が死ぬ直前、大事な過去の記憶が脳裏に蘇る現象。
例えば優しい母との思い出だったり、
大らかな父との思い出だったり、
はたまた幼い頃の友達との思い出だったり。
所謂お迎えが来そうになると、いつの間にか忘れていた記憶の断片がフラッシュバックするんだとか。
そうして俺も思い出した。
自分がかつて、どこにでもいる日本人の学生だったことを。
そして気付いた。
自分が――ゲーム世界に転生したことを。
乙女ゲーム、『黒のアネモネ』。
珍しく〝悪役令嬢〟が主人公の女性向け恋愛シミュレーションゲーム。
俺はそのゲーム世界のメインヒーロー、アドニス・マクラガンに転生した。
いや、正確にはしていた。
しかし今の今まで記憶を失い、その事実に気付けていなかったのだ。
ゲーム世界のメインヒーローに転生できるとか最高じゃん、ヤッター!
……とか思うよな、普通は。
ああ、俺だってそう思いたいね。
っていうか、そう思っただろうさ。
――今この瞬間、自分がバッドエンドを迎えている最中でさえなければ。
「――アドニスッ! もういいの、私を置いて逃げてッ!!!」
燃え盛る屋敷の中。
俺を囲む暗殺者の集団。
背後から聞こえる、『黒のアネモネ』の主人公シャルロッテ・グラナートの悲痛な叫び。
……立っているのもやっとなほど、身体中が痛む。
肉体のあちこちが裂けて出血し、力と共に血液が流れ出ていくのがわかる。
暑い。いや熱い。
肌が焼け爛れるんじゃないかと思うほどの熱さ。
しかもひと呼吸する度に苦い煙が肺を満たして、むせ返りそうになる。
上手く呼吸すらできず、油断すれば窒息して意識を失ってしまいそうなくらいだ。
「ゼェ……ハァ……ッ」
「これ以上戦ったら死んじゃう! 死ぬのは私だけでいいから、だからッ……!」
「キミのことは……俺が守る……ッ」
まさに満身創痍。
それでも俺は、剣を構える。
背後にいるシャルロッテを守るために。
――ああそうだ、また思い出した。
どうして自分が〝バッドエンド〟の只中にいるのか。
『黒のアネモネ』のストーリー。
主人公であるシャルロッテは、歪な貴族社会を変えるべく悪役令嬢として振舞い、その過程で幼馴染のアドニスを始めとしたヒーローたちを攻略して恋をしていく。
エンディングは複数あり、基本的にヒーローと結ばれるルートはどれもグッドエンドだが――唯一バッドエンドと呼ばれるシナリオがある。
それが〝断罪ルート〟と呼ばれるシナリオ。
この〝断罪ルート〟ではシャルロッテがあらゆる選択肢を誤り、ヒーローたちの誰とも結ばれず、貴族社会を変えることにも失敗。
ほとんどの貴族たちから疎まれ孤立した存在となってしまい、挙句に無実の罪を擦り付けられて本物の悪人にさせられてしまう。
最後には断罪という名目で敵対する貴族から暗殺者を送り込まれ、屋敷に火を放たれ……。
そこにアドニスが駆け付けるがシャルロッテを救うことはできず、二人一緒に炎の中で息絶える――というラストで締め括られるのが〝断罪ルート〟。
今、俺の目の前に広がる光景は、紛れもなくその〝断罪ルート〟の最終盤。
アドニスは暗殺者に殺され、その死体を抱きかかえながらシャルロッテは炎の中に消える……そういう展開を迎える直前。
……どうして〝断罪ルート〟では、攻略されなかった俺が最後に駆け付けるのかって?
それはアドニスとシャルロッテが幼馴染だから。
幼い頃から一緒に過ごしてきたシャルロッテはアドニスにとって家族であり、時に姉であり、時に妹であり、なにより大事な女性だったのだ。
シャルロッテは子供の頃からお転婆で少し内弁慶なところがあって、身内に対してはやや尊大に出ようとする節があった。
「私に任せておけば問題ないわ!」なんて堂々と言うくせに、実は詰めが甘く物事が上手く進まないなんてしょっちゅう。
しかも不測の事態に弱く、予想外の出来事が起こるとあっという間にテンパってあたふたとしてしまう。
身内から頼られようとするわりにはイマイチ頼りない、まるで狼の皮を被ったウサギのような性格。
それがシャルロッテ・グラナート。
けれど……彼女は同時に、温かな優しさと慈愛の心を持った、芯の強い女性でもあった。
困っている人や不条理に扱われている人には必ず手を差し伸べ、間違っていると思ったらどんな相手だろうと正面から意見する。
他人からの好意にはどこか鈍感なくせに、他人が悩んでいたり落ち込んでいたりすると敏感にそれを察知して、優しく気遣ってくれる。
そして他人の悩みは我が悩みと言わんばかりに励ましてくれたり、一緒に悩みを解決してようとしてくれる。
……そんなシャルロッテの優しさに、俺は何度救われたことだろう。
彼女の幼馴染でいられることが誇らしいと、幾度思ったことだろう。
そんなアドニスとしての記憶も、俺にはちゃんとある。
転生前の日本人だった頃の記憶も思い出したが、それでもシャルロッテがかけがえのない大切な人であることに変わりはない。
――ゲーム的な都合で言えば、いくらバッドエンドとはいえ乙女ゲームの主人公を孤独に死なせるのは……という開発陣の同情から、アドニスと一緒に死なせたという側面もあるとは思う。
シナリオの都合で俺は殺されるだけ。
そういう運命。
それが〝断罪ルート〟。
せっかくゲーム世界に転生できたって気付けたのに、こんなのってあるかよ。
あとは死ぬだけだなんてさ。
だが、例え死ぬとわかっていたとしても――
「俺は……シャルロッテを守ってみせる……ッ!!!」
逃げ出すなんて俺にはできない。
なにもしないなんて俺にはできない。
ああ、そうだよ。
ゲームの主人公を守って死ねるってんなら本望だ。
だから――死ぬとわかっていたって、抗ってやる。
「……二人とも殺せ」
――暗殺者集団が、再び襲い来る。
数は四。黒衣のマントを羽織って顔に仮面を被り、ただならぬ殺気を放っている。
奴らの手には刺突に特化した短剣が握られ、既に何度も攻撃を受けた。
確実にシャルロッテを殺すべく送り込まれただけあってまさに手練れで、防戦に徹するのが精一杯。
しかも暗殺者集団の狙いは、あくまで俺の背後にいるシャルロッテ。
なので文字通り刺し違えるつもりでないと、凶刃が彼女に届いてしまう。
それでも多勢に無勢の中、俺はどうにか暗殺者たちの攻撃をいなしていくが――既に怪我だらけで体力も限界を迎えつつあった身体では、その全てを捌き切ることなど不可能だった。
暗殺者の一人が振るった斬撃が、俺の顔面へと入った。
頬から額にかけて、ちょうど左目を断ち切るように一直線に。
自分の顔から真っ赤な血が噴き出て、視界の半分を喪失する。
「が……あッ……!」
「アドニスッ!!!」
燃えるような、抉られるような、強烈な痛み。
俺を呼ぶシャルロッテの声。
思わず怯んでしまうが、それを隙と見た暗殺者の一人がシャルロッテを狙う。
「さ、させるか……ッ!」
あわやシャルロッテに届きかけた凶刃を寸でのところで弾き、間髪入れずに剣の切っ先を暗殺者の腹部へ突き込む。
どうにか一人仕留め、すぐに血塗れの剣を引き抜いて、二人目へ斬撃を繰り出そうと振り被る。
だがこの動き自体が、もはや隙だらけだった。
剣を振り上げた俺の右腕へ、別の暗殺者の放った刃が滑り込む。
同時に肘より下の前腕が完全に切断されて吹っ飛び、顔面を斬られた時とは比較にならないほどの大量の鮮血が断面から噴き出た。
「い――いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
血が混じったかのような、シャルロッテの悲鳴。
利き腕を失った俺も堪らず悲鳴を上げそうになるが――まだ左腕が残っている。
俺は剣の柄を掴む左手の力を決して緩めず、片腕の力のみで剣を振り下ろす。
兜割りの如き威力で暗殺者の身体を頭から一刀両断し、二人目を仕留めた。
あと二人――。
そう思った矢先、三人目の暗殺者が俺の懐に飛び込んでくる。
短剣を腹に突き刺され、その鋭利な先端が内蔵を超えて背中まで抜ける感触。
それに合わせて、俺はゴボッと口から血のあぶくを吐き出す。
シャルロッテがなにか言った気がした。
悲鳴を上げたのかもしれないし、俺の名を呼んだのかもしれない。
だが俺には、もうよく聞こえなかった。
「――……まだ、だ」
懐に飛び込んできた暗殺者に対し、俺も左手で剣を突き込む。心臓目掛けて。
ドサリ、と暗殺者が倒れる。
これで、三人目。
残るは――あと、一人。
「く、くそっ、これは使いたくなかったが……!」
仲間三人をやられて焦った最後の一人は短剣を捨て、黒衣の下から筒のような物体を取り出す。
そして顔に着けた仮面を僅かに動かすような挙動を見せた時、俺はその物体が〝吹き矢〟であることを見抜いた。
吹き矢の狙いは――シャルロッテ。
そう理解した俺は、咄嗟に自分の身体で射線を遮る。
フッ――と暗殺者が息を吹いた直後、俺の肩になにかが刺さる。
だがボロボロの身体ではもはや軽い痛みなど感じることはできず、俺は最後の力を振り絞り――
「ハアアアアァァァァッ!!!」
左手に持っていた剣を、投擲した。
剣は暗殺者の胸部に突き刺さり、最後に残った暗殺者はそのまま絶命。
これで、四人――。
暗殺者を全員倒した俺は、思わず足から力が抜けて、その場に膝を突く。
「あ……ああっ、アドニスッ!!!」
シャルロッテが俺の下へ駆け寄り、身体を支えてくれる。
俺に触れたことで、彼女の着ているドレスに真っ赤な血がベッタリと付着してしまう。
「アドニス!? しっかりして!」
「あ……ぅ……」
「お願い死なないでッ! 死んじゃイヤあああああぁぁぁッ!!!」
――死ぬ?
俺、死ぬのか?
ああそっか、そういう展開だもんな。
なら仕方ないか。
でも……このままじゃ終われない。
「アドニス……? えっ、きゃあ!?」
俺はもう感覚のない両足に力を込め、シャルロッテを左肩に担いで立ち上がる。
「キミを……ここから連れ出さないと……」
暗殺者は倒したが、屋敷には完全に火の手が回っている。
俺がこのまま倒れたら、きっとシャルロッテは逃げ出してはくれないだろう。
〝断罪ルート〟の結末と同じように心中してしまうはずだ。
――ふざけるな。
そんな運命、認められるか。
これが最後の足掻きだ。
シャルロッテを、この火事の中から連れ出す。
俺はシャルロッテを担いだまま一歩、また一歩と歩み出す。
同時に腹からも背中からもボタボタと血が溢れでて、一歩進むごとに足元に血溜まりができる。
数歩も歩く頃には傷口から臓物すら漏れ出たが、気にしている暇などない。
「アドニスやめてッ! 本当に、本当に死んじゃうッ!!!」
「…………俺は……いいんだ……」
俺は、死んだっていい。
どうせそういう運命なんだ。
でもどうか――せめてキミだけでも、運命の呪縛から解き放たれてくれ――。
心の中でそう願って、俺は足を前へと進めた。
……この後どうなったのかは、ほぼ記憶にない。
だが次に目覚めた時、俺の視界に映ったのは――知らない天井だった。
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