34話:勇者と魔女
一人の青年が荒野を歩いていた。目の前に続く丘の頂上を目指しながら、時折脚をふらつかせつつも真っ直ぐ歩みを進める。
青年はくすんだ茶色の髪をオールバックに流し、前髪を少しだけ垂らしていた。目つきは険しく、何故か少しだけ赤く腫れている。そして表情も何処か荒んでおり、土だらけのマントを纏っていてまるで大罪でも犯したかの様な雰囲気を纏っていた。
「はぁ……はぁ……」
かなりの距離を歩き続けたのか、青年は脚を引きずってその場に膝を突く。肩を揺らし、何とか歩みを進めようと息を整えながら腕に力を込める。青年は額から一筋の汗を垂らした。それを腕を拭い、深呼吸してから身体を起こして再び歩みを進める。
道なりは悪く、砂利や小石で脚を取られる。時には少しだけ出っ張った岩に躓き、転んでしまいそうになる事もあった。それでも青年は歩みを止めない。意識が朦朧となりながらも必死に脚を動かし続けた。
「遅い! 勇者、何やってんのよ! そんなにチンタラ歩いてたら日が暮れちゃうわよ!」
「お、お姉ちゃん……勇者さんだって頑張ってるんだし、そんな無理させちゃ……」
そんな青年の前に丘の上から二人の少女が降りて来た。
一人は真っ赤な髪を左にサイドテールで纏め、つり目の気の強そうな少女。もう片方は水色の髪を右にサイドテールで纏め、たれ目で控えめそうな性格をした少女。
どちらも黒と白で整えられた可愛らしいドレスを着ており、赤髪の方はぴょんぴょんと飛び跳ねながら青年の事を勇者と呼び、歩みを急がせた。もう片方は困ったような顔をしながら姉の後ろに隠れる。
「甘い事言っちゃ駄目よミミ! こいつは何も悪い事してない魔女の私達を言われも無い罪で狩ったんだから!!」
「……ッ」
赤髪の少女はそう言ってキツめの口調で勇者の事を責める。勇者も否定する事が出来ず、苛まれるように唇を噛み締めた。
彼こそが【魔女狩り】で全ての魔女を討伐した英雄、勇者。全ての魔女を討伐した後、彼はシャティファールの言葉を聞いて人々の前から姿を消した。今まで自分が信じて来た物が本当に正しかったのかを確かめる為、彼は自分の身分を隠して世界を旅する事にしたのだ。
彼は様々な場所を巡った。時には敵国である魔国に訪れたり、妖精の森に訪れたり、様々な異種族達の国を訪れた。その結果、彼はこの世界に確かな正義が存在し無いという事を知った。異種族達はそれぞれの正義を掲げて戦っており、そこに悪という物は存在しない。ただ国を守るという為だけに皆戦っているのだ。
勇者は人間に楯突く者は皆悪として王宮の人間達に教えられた。異種族達は人間の肉を喰らい、世界を壊す邪悪な存在なのだと嘘を吐かれた。そして最も邪悪なのが魔女だと教え込まれた。彼らを討伐すれば世界には平穏が訪れる、勇者はそう信じ込まされていた。だが現実は違った。
魔女が居なくなった事によって今まで大人しかった魔物達が活発に動き始めるようになった。時には街一つを燃やし尽くす程魔物が目覚め、大きな災害を起こす事もあった。更には魔女という障害が無くなった事で魔族達も侵攻を積極的に行うようになり、本格的に戦争を始めようとしている。
世界は平和になる所か、より混沌の渦に巻き込まれていた。その波紋は少しずつ広がっており、人間達がそれに気付く事は無い。
故に勇者は自分が犯した罪を償う為に、【双子の魔女】リリとミミと共に旅をしている。
「ごめん……」
「ふん! 今更謝っても遅いわよ。封印されてた私達と違って、殺された他の皆とはもう会えないんだから……」
辛い表情を浮かべながら勇者は頭を下げて謝罪する。しかし双子の姉であるリリはそれを良しとはせず、他の魔女とは二度と会えないと言って悲しそうな顔をするとそっぽを向いてしまった。そのまま先へと進んでしまい、残された妹のミミが困ったように姉と勇者の事を見つめる。そして落ち込んでいる勇者に近づき、優しく声を掛けた。
「…………」
「あの、気にしないでください勇者さん……姉も私も、魔女が人間から怖がられる存在だと言う事は大昔から分かってます……だから、勇者さんが落ち込まないでください。悪いのは勇者さんを騙してた王宮の人達なんですから」
双子の妹ミミはそう言って優しく微笑みながら勇者を励ました。勇者は泣きそうな表情をしながら無理して笑みを返し、頭を下げて礼を言った。ミミは少し恥ずかしそうに口元に手を当てながらそのまま姉の後を追いかける。
勇者は血が流れる程強く自身の唇を噛む。
どれだけ悔いた所で、どれだけ謝罪した所で、どれだけ償った所で、リリの言う通り、もう彼女達は仲間の魔女と会う事は出来ない。勇者の力で封印していた彼女達と違って、他の魔女は自分がこの手で殺してしまったのだ。勇者はその現実に苦しみ、思わず口を抑えた。込み上がる罪悪感、吐いてしまい苦痛。
逃れる事は出来ない。勇者はゆっくりと身体を起こして再び歩き始めた。
「次の魔物は霧の怪鳥よ。全く、こいつシャティファールに飼われてた時は懐いてて大人しかった癖に……今じゃ幾つもの街を破壊する問題児か」
「仕方ないよ……霧の怪鳥は神獣レベルの魔物だもん。シャティファールが居なくなったら誰もあの子を止める事は出来ない」
丘の頂上まで着くと、三人は自分達が目指していた霧の山が見えて来た事を確認してようやく息を吐く。
勇者の贖罪の旅。それは魔女が居た事で保たれていた自然のバランスを自分が代わり保つ事。
今まで勇者は魔女が居なくなった事で暴れ出した魔物を鎮圧化したり、封印から解放された神獣を対処したりの旅を続けていた。そして今回はかつて叡智の魔女シャティファールに懐いて大人しくしていた霧の怪鳥の対処。神獣とまで呼ばれるその魔物の強さは当然計り知れない。
「さぁ勇者、あんたの贖罪の旅を続けるわよ」
リリはクルリと勇者の方に振り返りながら手を差し伸べてそう言う。ミミも小さく頷いて勇者に目配せをした。
勇者の務め。それは魔女達への贖罪。勇者は力強く頷き、自身の腰に下げられてある剣の柄をそっと掴んだ。彼は許される事の無い罪を償う為にその身を捧げる……永遠に、永久に。
どれだけ許しを乞うても、どれだけ罪を償おうとも、その贖罪の旅が終わる事は無い。
深い暗闇の中で勇者は思い出していた。自身がまだ正式な勇者だった頃、仲間だと信じていた者達と魔女狩りの旅をしていた頃。あの忌まわしい時代を思い出していた。
「ふざけんじゃねぇ! 人間風情が……アタシ等魔女を殺すだと!? お前達人間の勝手で殺されてたまるか!!」
青髪の魔女はそう叫びながら剣で貫かれた胸を抑え、塔の上から落ちていった。
いずれにせよあの傷では助からない。そう思って勇者はとどめを刺さず、それでその地を後にした。
そして暗闇は姿を変える。次の場面は勇者もよく覚えている場面だった。双子の魔女。今自身の旅をしている少女達。双子の少女の片割れは憎たらしそうに勇者の事を睨んでいた。
「はぁ?封印魔法?馬鹿にしてるの!……何で私達だけ封印なのよ! 殺しなさいよ! 他の魔女を狩った時と同じように!!」
いくら魔女と言えど子供の姿をした子を殺す勇気は無かった。ならばと勇者は封印魔法を使い、双子の魔女を封印した。これなら実質討伐したと言っても問題無い。仲間達には無事魔女を討伐したと伝え、その地を後にした。
再び暗闇が姿を変える。次の場面は勇者が一番衝撃を受けた場面だった。霧の深い奥地に眠る館、その中で勇者は自身に真実を伝える者と出会ったのだ。
「気付け勇者。お前は自分の目で、自分の足で、この世界を見て来たか?魔女は本当に邪悪な存在だったか?お前が今まで斬り倒して来た者達は本当に反逆者だったか?今此処には居ないお前の仲間達は本当に信頼に置ける人間達か?」
死にかけているというのにその女性は勇者に真実を伝えた。勇者が今まで考えないようにしていた事を、あっけらかんと言ってしまった。そこで勇者は気付いてしまった。自身が、取り返しのつかない事をしてしまった事に。
終わらない贖罪。未来永劫苦痛を与えられる生活。突然勇者は猛烈な熱さを感じた。身体の内側から焼け殺されるような鋭い痛み。苦痛を訴えようとするが、口が動かない。死ぬ事すら許されない無限の痛みに勇者は嘆き苦しんだ。
「あっ、ぁぁあああああああッ!!?」
勇者はそこで目を覚ました。乱れた茶色の髪が目元に掛かり、額から大量の汗を流す。辺りを見渡すとそこは霧の山の中だった。自分は休息を取っていたのだと思い出し、汗を拭いながら顔を起こす。ふと自分の手が震えている事に気がついた。勇者はそれをもう片方の手で握り締め、表情を歪める。
「ごめん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
謝罪の言葉が自然と口から漏れてしまった。それが誰に向けた物なのかは分からない。だが自身は謝罪しなかえればならない身なのだと勇者は思い込んでいた。誰に対しても謝らなければならない下等な生物。そう卑屈になる事で、少しでも自分の中にある罪悪感が消えてくれればと願った。
前方から物音がしたので勇者は顔を起こした。そこでは灯っている焚き火の向こう側に妹と寄り添う双子の魔女リリの姿があった。彼女は勇者の事を見下すように目を細めている。
「まーた夢を見たの?私達を殺す夢を……」
「……ごめん」
勇者が起こしてしまったか、と尋ねるとリリは別に、とだけ答えて顔を背けてしまった。
いつからだったかは分からない。勇者がこの旅を始めて、幾つかの夜を過ごした後、突然この夢を見るようになったのだ。最初は魔女達の姿を思い浮かべるだけだった。だが段々とその姿は血に染まった無惨な姿へと変わり、遂には自身が殺す場面へとなったのだ。それを毎夜見る旅に勇者は絶え間ない苦痛に駆られ、まともに睡眠を取る事が出来ずにいた。
「あんたも難儀な性格よねー。そんな細い神経してんのに、よく勇者なんか務まったもんよ」
隣で眠っているミミの頭を撫でながらリリはふとそんな事を言った。その言葉に対して勇者は複雑な表情を浮かべた。リリの言葉は常に勇者の心を突き刺す痛々しい物ばかり。実際リリはそれを意図的に行っており、勇者もそこに関しては何も口答え出来なかった。
「でもそれで良いのよ。あんたはそうやって、苦しみ続ければ良いの。自分が犯した罪に悩まされながらね……」
リリは満足そうに笑みを浮かべながらそう言い、目を瞑ってしまった。
やはり起こしてしまったのだろう。それなのに文句を言わない所を見ると、やはり自分は彼女達に無理をさせてしまっていると勇者は思っていた。
あの時、勇者が贖罪の旅に出ようと決心した時、いざ外の世界に出たのは良いものの、彼はそこから何をすれば良いのか分からなかった。魔女に許しを乞おうにも既に自身が全て狩ってしまった。方法と手段が無いのだ。そして彼は悩んだ後に二人だけ生かしたまま封印している事を思い出した。今更封印を解除した所で許されるはずが無いのが、それでも道は見つかるはずだ。そして彼は魔女の封印を解く旅に出たのだった。
そして現在、双子の魔女のリリに散々罵倒を浴びせられた後、勇者はひょんな事から彼女達と旅を共にする事となった。
リリは告げた。あんたに罪を償う方法を教えてあげる、と。それは勇者にとって何よりの救いの言葉だった。だから彼はリリに従う。どれだけ汚い言葉を浴びせられ、どれだけ痛むような事があっても、それが救いだと思っている。
「シャティファール……貴方の言う通り、自分の目で様々な世界を見て来た」
ポツリと勇者はそう呟いた。誰に語り掛ける訳でもなく、虚空に向かってそう呟く。
叡智の魔女シャティファールに言われた通り、勇者は自分の足で世界を周り、世の中はどういう仕組みなっているのかを考えた。そして分からされた。自分達がどれだけ無知だったのかを。
「俺は……魔女の事を何も知らなかったんだな」
魔女とは人々を脅かさす邪悪な存在だと教えられてきた。小さな子供だって絵本でそう教えられるくらいだ。皆魔女とはそういう物だと思っている。だが勇者は実際に世界を回ってそれは違うと分かった。魔女という存在はそんな簡単に表現出来るものではなく、自分達人間よりもずっと前からこの世界を知っている、複雑な存在なのだ。
勇者は静かに目を閉じた。脳裏には魔女達の姿が映る。彼が静かに眠れる夜は訪れない。




