第九幕 『そう、ヒトの心は容易に変質するものだ。1000年も経てば尚更ね』
何とか仕事前に更新できたぞー!
ひょわー!すっげえインテリア!皇帝の居城ってのは伊達じゃないね!
俺ことトゥちゃんは今、カークに連れられて真っ白な城の廊下をテクテクと歩いてる。世界ふ○ぎ発見とかで観たようなヨーロッパの城みたいだ。城内はかなり広い。壁も天井もキレイな純白で牛乳みたいにツヤツヤしてて、ところどころに金細工が施されてる。たくさんの灯火に照らされた調度品の壺やら絵やらもいかにも高そうなものばかりだ。この赤い絨毯なんて、このまま寝っ転がって寝てしまいたいくらいフカフカしてる。敷き布団に使いたいから端っこのところを切って分けてくれないかなあ。こんなにあるから少しくらいくれたっていいだろうに。
って、ダメだダメだ!そんなみみっちいことを思ってはいけない!将来はこの城を俺のものにするんだからな!
「どうしたんだ、トゥ。呆けるなんて君らしくない」
背後を窺ってきたカークが不思議そうに首を傾げる。しまった、ついぼーっと立ち止まってしまった。まさか「絨毯を布団にしたいと思ってた」とは言えない。田舎者だと思われるのは癪だし。ナメられないように、とりあえずお上品な返事で誤魔化そう。
「内装の設えが見事だったので、つい見蕩れていました。とても美しい意匠です。私の世界にもこれほど美しく装った城は数えるほどしかありません。あなた方は誇るべきです」
「エルフにそこまで褒められるなんて光栄だな。陛下がご清聴されればきっとお喜びになる」
どうやらナメられなかったみたいだな。敢えて「このくらいのお城なら俺の世界にだってあるんだぜ」と含みを持たせておいたのがよかったのかもしれん。俺はテレビでしか見たことないんだけどな!海外旅行もしたことないぜ!悪いか!
トテトテと急ぎ足でカークに追いつけば、目の前の背中が再び歩み出す。心もち緊張に肩を張ってるけど、進む方向に迷いは見られない。さっき門を開けてくれた兵士の道案内の誘いを断っていたことから察するに、カークはこの城の中に入ったことがあるみたいだ。
「貴方はこの城に出入りしたことがあるようですね」
「ああ、登城したことは今までに二回ある。幼い頃に子爵だった父の参勤に同行した時と、騎士団への入団式の時にね。さすがに陛下への拝謁はお許し戴けなかったけど」
へ?子爵?
「子爵というと、もしかして貴方は元は貴族だったのですか?」
「ああ。10年前にお取り潰しにされてしまったけどね。そういえば、君にはまだ言ってなかったか」
「初耳です。なるほど、貴方が他の騎士と違う理由の合点がいきました」
「それはよかった」
それきり黙りこくってしまった。ニコリともしないところからして、あんまり触れて欲しくない話題なんだろう。俺も空気が読めない痛い子じゃないし、スルーしてやることにする。
しかし、カークは元貴族だったのか。道理で物知りなわけだ。貴族の英才教育を受けてたんだな。他の騎士からキツく蔑まれてた理由も、貴族崩れだってのが理由なのかもしれない。見た目からして20代前半くらいだから、10年前はまだまだ子どもだ。貴族の地位から一気に平民に落ちるなんて、きっととんでもない落差だったに違いない。
前を歩く背中を見つめていると、何となく哀愁が漂っているようにも見えてくる。まだ若いくせに、悲しみを背負ったオッサンの背中みたいじゃないか。こいつも苦労したんだろうなあ。辿ってきた苦難の人生を想像すると何だか涙がこみ上げてきそうだ。うう、リア充爆発しろだなんて思ってスマン、カーク。
『男の背中を瞳を潤ませてじっと見つめている様はまさに“恋する乙女”だな。とてもよく似合っている』
「やかましい!」
ニヤけ面が視界に飛び込んでくる。ギャフンと言わせてやろうと手をバタバタと振り乱してみるけど、一発も当たらない。
『恥ずかしがらなくてもいい。優れた男に恋焦がれるのは乙女としてとても健全な反応だ』
「誰が恋する乙女だこのオタンコナス!こちとら、身体はオンナ、心はオトコ、その名も救世主エルフ様だっつーの!!」
『……私との会話がセシアーヌ語に変換されないように調整したことを感謝してほしいね』
「余計なお世話だ!」
「と、トゥ。あんまり皇宮で騒がないでくれ。セシアーヌ皇国ではここも神聖な場所だとされているんだ」
「……すいません。この妖精とは少し反りが合わないもので」
「はは、そうみたいだね。君たちの楽しそうな会話を聞いてみたいよ。俺たちには鈴が奏でるような美しい音色にしか聞こえないんだ」
やめた方がいいぞ、カーク。中身はどうでもいい会話だしな。
そんなことは華麗にスルーするとして、さっきから気になってることがあるんだが。
「ところで、カーク。あの彫刻はいったい何なのですか?」
そう言って遥か頭上の天井を指差す。アーチ状に膨らんだ廊下の天井一面に、何やらレリーフが刻まれているのだ。浮き彫りで彫りつけられてるそれらは、城の天井を巨大なキャンパスにして延々と一つの物語を表しているようだ。登場人物は男女一組で、その二人が剣を振るったり人を助けたり、大勢に崇められたりしてる。女の髪にはうっすらと銀箔が貼られてるようにも見えるし、これは何を表してるんだろうか?
俺の指差す方向に首を上向けたカークが「ああ、あれか」と呟く。剣を上段に構えた男の彫刻を憧れるように見つめながら言葉を紡ぐ。
「あれが、千年前の勇者とエルフだよ。あそこに描かれた男こそ、最高の騎士にして最強の剣士―――今は“剣神”と讃えられる伝説の勇者だ。そしてその隣に描かれた銀髪の少女が、」
「先代のエルフ、というわけですね」
「その通りだ。伝説によると、美しく聡明で誰にでも別け隔てなく接する心優しい女性だったそうだ。これらは600年前、このドゥエロス皇宮の建設をお命じになったガルース二世の時代に二人の伝説を題材にして造られたらしい。二人の出会いから冒険の途中で起きた戦い、エルフが弱者に慈悲の手を差し伸べる様子、礼節を重んじる勇者のかくも正しき雄姿が事細かに描かれている。
初めてこれを見た時には心から感動したものさ。まさか自分が勇者になってこれを仰ぐ日が来ようなど、その時は考えてもいなかった。きっと偉大なる精霊神の思し召しに違いない。魂が震えるのをはっきりと感じているよ」
熱っぽく説明を終えると、まじろぎもせずに彫刻を凝視し続ける。ホントに感動してるんだろう、食い入るようにじっと見つめる横顔はうっとりと陶酔してる。俺もつられて見上げてみる。言われてみれば、銀箔を貼られた女は俺と同じワンピースのような服を着てるし、鎧に身を包んで敵に対峙する男は勇者らしいといえばらしい。このレリーフを見てると、冒険の間に色んなことがあったみたいだ。
『おおっ。ほら、あそこを見給え。エルフの肩のところだ。あれが私だ。なかなか愛くるしく描かれているな。人間の芸術家も見る目がある。転生先を優遇してやれば良かった』
「あー。たしかに蚊トンボみたいなのがちっちゃく彫られてるな。小さすぎて気付かなかったよー」
ヒラヒラと手を振って妖精(神)の言葉を受け流し、レリーフの続きを見るために歩を進める。階段を幾つか登っても物語は終わらない。二人して魔物に踊りかかったり、襲われる人々を助けたり、傷ついた勇者をエルフが治療してたり、勇者がエルフを背後に庇ったり―――げっ!?思いっきり抱き合ってキスしてるシーンもある!なにこのいい雰囲気!?
「ッ、コホン!」
ふと気まずい視線を感じて隣を見ると、カークが小さく咳払いをして目をそらした。多分、同じシーンを見ていたんだろう。居たたまれない空気が漂って、無意識に俺まで顔を背ける。そういう分かりやすい反応をされるとこっちまで顔が熱くなるからやめて欲しい。
「……って、あれ?おい、自称神さま。たしか、前のエルフも元は男だったんだよな?」
『そう、だったのさ』
天井高くまで舞い上がった妖精がエルフのレリーフにそっと触れる。エルフの美貌を撫でる小さな手は、愛しい宝物で戯れてる子どものようだ。
『ヒトの心は形を持たない、言わば液体のようなあやふやなものだ。容れ物が変質すれば、在り様も容易に変わる。ここに描かれている彼女もそうだ。月日が経つに連れて心は変化を遂げた。いずれ、君も同じ道を辿るかもしれないね』
「ほお。つまりそれは、俺がカークとこうなるということか」
知ったような口を利く妖精に促されてもう一度勇者とエルフのキスシーンを仰ぎ見る。つま先立ちで背伸びをしたエルフの腰を勇者が力強く抱き寄せて、互いに熱い抱擁を交わしてる。これに自分とカークを重ねて想像してみる。
「……無いな。ないない。ずぅぇえったいにあり得ない」
オエーッ!と心のなかで顔を顰める。俺は男の中の男なのだ。青春よろしく頬を赤くしてそっぽを向くカークには悪いが、例え身体が女の子になったとしても日本男児の心意気は忘れないのだ。ニホンジンウソツカナイ。
「コホン! それで、この伝説の最後はどうなるのですか?」
「えっ?あ、ああ、最後か。言い伝えによれば、二人の冒険はあの場面で終わりを迎えるんだ」
「……勇者一人しか描かれていませんね」
一つ前のレリーフでは、魔王らしき醜い化け物に剣を突き立てた勇者とエルフがどかんと大きく彫られている。でも数歩足を進めて最後のシーンを見上げてみると、鎧を脱いだ勇者が一人だけ、誰もいない遠くを見つめて寂しそうな背中を見せてるだけだ。ちっとも“めでたしめでたし”って風には見えない。
「エルフは魔王を倒したことを確認した後、元の世界に帰ると勇者に告げて消えてしまったそうだ。その後、勇者は当時の皇帝からの爵位授与を自ら辞して、どこかの僻地で静かな最期を遂げたらしい。どこで最期を遂げたかについては、多くの貴族が自領にこそ勇者の亡骸が眠っていると主張しているから今でも明らかになってない。情けない話だけど」
キリストの墓が青森県にあるって話と似たようなものかな。そういう奇抜だけどまんざら頭から否定もしきれないような話はロマンがあるから好きだ。もっとも、こっちの貴族は「うちの領地には勇者の墓があるんだぜ!どうだ凄いだろ!」という中身の無い自慢がしたいだけだろうが。せっかく世界を救ったっていうのに、遺体が行方不明になるはエルフと別れるは、先代勇者は散々だなぁ。
「なぜエルフは元の世界に帰ったのですか?今までの伝説を見る限り、勇者とエルフは、その、とても親密な関係だったように思えるのですが」
「君にもわからないのか?俺たちは、エルフにはてっきり“魔王を倒したら帰らなければならない”って決まり事があるんだと解釈してた」
そういえば、妖精が「魔王を倒したら元の世界で生き返らせるぞ」とか言ってたっけ。その気がないからすっかり忘れてた。前のエルフは勇者よりも元の世界に帰る方を選んだってわけか。ドンマイ、勇者!
「魔王を倒した後、元の世界に帰るか帰らないかは自分で選べます。私は元の世界に未練はありません。出来れば、セシアーヌに居続けたく思います」
「未練はないのか。そ、そうか」
カークの口からホ~っと深い溜息が漏れた。残られると何かマズイのか?
「……いけませんか?」
「い、いけなくない!ちっともいけなくないさ!俺は―――い、いや、セシアーヌの民は、君が残ってくれた方がずっと嬉しい!」
必死に手を振り乱して否定する。さっきのため息は安堵の息だったようだ。不安にさせやがって。ウハウハセレブライフが実現した暁には忠実な子分第一号になってもらう予定なんだからな。
「そうですか。それを聞いて安心しました。魔王を倒した後もずっと私の傍から離れないでくださいね、カーク」
「えっ!?そ、それはどういう……?」
「言葉通りの意味ですが、どうかしましたか?」
「……なんでもない。ナンデモナインダ」
首を傾げて問うてみるが、ナンデモナイと壊れた人形みたいに答えるだけだ。「言葉通り?それはつまり……でもトゥの性格を考えれば……」とかなんとかブツブツ唇を動かすばかりだ。変な奴。
しかし、さっきから歩いてばかりだから腹が減る一方だ。カークの母ちゃんが作るヤギ鍋とやらを早く食べたい。誰かの手料理なんてほとんど食べたことがないし、楽しみだなあ。空腹は最上の調味料である、と昔の偉い人も言ってたし、きっと物凄く美味しいに違いない。あわわ、ヨダレが出てきたっ。
「と、止まれ、そこな二人!ここより先は皇帝陛下のおわす階層であるぞっ!」
口端のヨダレをゴシゴシと拭っていると、突然、鋭い声が廊下に反響した。声がした方向に目を向けると、如何にも分厚そうな観音扉を背にした中年の兵士がこっちを警戒の目で睨んでた。いつの間にか廊下の突き当りに到着していたらしい。ここが目的地でいいんだろうか?
ゴチャゴチャと着飾った兵士が俺を視界に入れた途端に「うっ!?まさか本当にエルフが……!?」と小さく呻いて身を硬くする。オバケを目撃したかのような反応をされるとちょっと傷つく。
「あれは衛士だ。皇宮陛下直属の近衛兵さ。でも、今ではその権威もガタ落ちだ。少し厄介な相手だから、ここは俺に任せてくれ」
再起動したカークがすかさず俺と兵士の間に滑りこんで小声で囁く。秘境で探検をする場合、現地人との交渉には現地のガイドが必要不可欠だとテレビで聞いたことがある。時には文明人が口を挟まない方が良いこともあるのだ。
「貴方に任せます」と頷いてカークの後ろを歩く。俺を護るように目の前に立ちはだかる広い背中を見ていると何だか安心する。兄貴がいたらきっとこんな感じだったんだろう。
「首都西地区第29小隊の隊長、カーク・アールハントだ。夜分に済まない。だが見ての通り、我が皇国の行く末にとって極めて重要な方をお連れした。速やかに陛下にお目通り願わなければならない。そこを通して欲しい」
衛士の間合いに立ち入らない程度で歩を止めて許可を取る。近衛兵ということからして皇帝とやらの忠実な兵士なんだろう。他の騎士よりも綺羅びやかな鎧とマントを纏っているのを見ても、衛士の特別さがよくわかる。だけど、カークによるとこいつらもグダグダらしい。どういうことだ?
「だ、ダメだ。それは認められん。へ、陛下に奏上する前に、大隊長閣下にご報告を差し上げるのが先ではないのか、アールハント小隊長?」
あ、何となくわかったかも。
「何故そうなるのだ?私にエルフ探索を仰せ付けたのは皇帝府、引いてはクォラ皇帝陛下ご自身だ。騎士団は関与していない」
「そ、そうかもしれない。だが、貴君は衛士ではなく騎士団に属する騎士の一員ではないか。ならば、まずは大隊長閣下に帰還と成果のご報告をした方が良い。エルフ様を伴っているのなら尚更だ。大隊長閣下こそ今代の勇者であらせられるのだから」
時間稼ぎでもするように奥歯に物が挟まったような口調で通行を阻む衛士に、カークの両肩がじわじわと持ち上がっていく。かなり苛ついているらしい。皇帝直属の兵士のくせにダメ勇者の大隊長閣下様にベッタリと癒着してるんだから、マジメなカークが怒るわけだよ。
「勇者はもう決めてるっつーの!そっちで勝手に決めんな!」と怒りつけてやりたかったが、ムッとした俺の気配を感じ取ったカークがチラと肩越しに向けてきた視線に諌められた。「心配するな」ってことだろうか。
「その必要はない。此度にエルフと共に魔王を討伐せしむる勇者は大隊長閣下ではない。エルフはこの私を勇者に任ぜられた。その旨も併せて陛下に上奏したい。急ぎ、お目通り願いたい」
「なにっ!?己が勇者などと吹聴するとは、貴君、正気か!?」
「至って冷静だ。それよりも、先程から貴君はまるで我々を陛下の御前に進ませないために足止めをしているように見受けられる。何の理由があってだ?」
「ば、馬鹿なことを!とんだ言いがかりだ!貴族でもない低級騎士が我ら衛士にそのような口を効いて許されると思っているのかッ!!」
「ならば、早く道を開けろ!貴君が我らの道を妨げることは、陛下の御意を妨げているのと同じだぞ!」
「な、何度も言っている通りだ、アールハント小隊長!陛下へのお目通りは許可できない!た、例え―――伝説のエルフ様をお連れしていたとしても、だ!」
うわあ、何このモブキャラ兵士。すっごくイラつく。腹が減ってるのも苛立ちにさらに拍車をかけてくる。今にもお腹がぐぅ~と音を立てそうだ。もしも俺がコンボイ司令官だったら、「もういい、もうたくさんだ!ダイノボットを破壊する!」と叫んで今頃ビームを放ってる頃だ。
そうだ、私にいい考えがある!こうなったらもう力づくで押し通っちゃおう!どうせ皇帝を言いくるめれば罪もヘッタクレもないんだし、我が食欲を妨げる者には鉄槌を下すのみだ!
「カーク、ここで立ち止まっている暇はありません。貴方は騎士である前に勇者なのです。くだらない 柵 に囚われてはいけません。魔族であろうが衛士であろうが、立ち塞がる障害は尽く跳ね除けるのです」
「エルフ様、何ということを仰るのか!?」
ふん、うるさいわい!このアホ衛士め!人が腹をすかせてるってのに邪魔をするから―――
ぐぅ~
ひゃわーっ!?ついにお腹鳴なっちゃったじゃん!!
音に気付いたのか、カークが頭だけで振り向いてコクリと力強く頷く。も、もしかして気付かれた!?ヤバイ、めっちゃ恥ずかしい!顔が熱い!火が出そうだ!
全身全霊の力で平静を保っていると、カークが衛士の間合いにずいと踏み込んだ。どうやら、さっきの頷きは覚悟を決めたことを示してたみたいだ。気付かれなくてよかった……。
「き、貴様、正気か!?衛士に手を出すなどあってはならんことだぞ!?」
「先の彼女の言葉を聞いたはずだ。そこを退いてもらおう。如何に爵位を失ったとはいえ、アールハントの剣術が冴えを失ったとは思わない方がいい。貴君も剣の心得があるのなら彼我の力量を見抜けないはずはない。貴君と殺し合いをする気はない。俺はただ、この世界を救いたいだけだ。頼む、扉を開けてくれ」
「ぅぐ、ぬう……く、くそ……っ!」
衛士がギリギリと奥歯を噛み締めながら道を開ける。でもまだ腰の鍵を渡そうとせずに恨みがましくカークを睨んでるから、俺が代わりにジロリと睨み返してやる。お前のせいでひどい恥をかくところだったんだぞ!魔王を倒した暁にはトイレ掃除の刑だかんな!
トイレ掃除の刑にされることを本能的に察したのか、俺に睨まれた衛士が叱られた犬みたいにしゅんとして頭を垂れる。
「え、エルフ様、私はただ指示に従っただけなのです。決して御身を害する意思などはございません。どうか、お許しを……」
「衛士よ。その指示というのは、貴方が忠を尽くすべき者から与えられたものですか?」
「い、いえ、違います。ですが、あの方に逆らえるはずが……」
項垂れる衛士の頭頂部を何気なく見てみると、円形に薄くなっていた。十円禿じゃないか。この衛士も、大隊長からのムチャぶりに付き合わされて苦労してるのかもしれないな。
「他者に言い訳をするのは構いません。ですが、自分に言い訳をするのはおやめなさい。そんなことをしても、自分を許せなくなるだけです」
「………」
黙りこんでしまったし、説教はこれくらいにしてやろう。身ぐるみ剥がして質屋に売られなかっただけありがたく思えよ!
「トゥ、急ごう。この扉を越えれば謁見の間はすぐそこだ」
「ええ、わかりました――― っ!!」
カークが衛士から鍵を受け取ろうと手を伸ばす。その瞬間、鋭敏になった俺の聴覚が、背後から迫る足音の一団を察知した。ガシャガシャと金属音をカチ鳴らせてどんどん近づいてくる。鎧を着込んでるみたいだ。数は、10人くらいだろうか。
「カーク、何者かがこちらへ向かって足早に近づいています。鎧を着込んだ一団のようです」
「きっと大隊長たちだ……!上級騎士も引き連れてきたに違いない!早く鍵を寄越してくれ!」
ギリリと奥歯を噛み締めて衛士にぐいと手を伸ばす。でも、衛士のおっさんは青褪めた顔を左右に振るだけだ。
「だ、大隊長閣下に逆らえば我が一族の命運は終わる!ガーガルランド家に与したからこそ衛士の栄光を与えられたのに、逆らえばまた弱小貴族に逆戻りだ!」
「魔王を早く倒さなければ、その弱小貴族のささやかな栄光でさえ消えてなくなる!そうなる前に食い止めなくてはいけないんだ!
考えてもみろ!貴君をそれほどまでに苦しめている男が、本当にこの世界を救う勇者に相応しいのか!?エルフと共に魔王を倒す度量があると思うのか!?」
「そ、それは……しかし……」
カークの必死の説得に、衛士が低く呻く。もう少し時間があれば説き伏せられただろう。もう遅いんだけども。
「そんなに声を荒げて、いったい誰の度量を気にしているのかな、アールハント小隊長?」
「ッ!! が、ガーガルランド大隊長閣下……!!」
素早く踵を返して身構えたカークの視線の先から、甲冑を着込んだ男たちがゾロゾロと姿を現す。どいつもこいつも、今まで見た騎士とは比べ物にならないほど豪奢でピカピカの鎧を着込んでる。こいつらが上級騎士と呼ばれる騎士団のお偉方だろう。だが、その騎士たち全員の鎧を全部売っぱらっても、先頭にいる金髪の男が纏う鎧の価値には到底敵わない。明らかに希少な金属を使っているのだろうその圧倒的な豪華さは、近くに寄らなくても見て取れる。疑いようもなく、この薄い笑みを顔に貼り付けた男がガーガルランド大隊長だ。
『あれが、今代の勇者候補だった男さ。元から容姿の造形は良かったが、有り余る財力で色々と弄ってからはさらに美形になっているようだ。美貌故に女の扱いにも存分に手馴れているようだし、童貞から乗り換えるという手もありだと思うよ?』
「ふむ。アレがねえ」
水を向けてきた妖精に促されて金髪の男を観察する。美術館に飾ってある美男子の石像がそのまま動き出したみたいに均整のとれた体つきをしている。顔つきも綺羅びやかで、金色の髪と互いに引き立てあってる。ハリウッド映画にデビューしたら直ぐ様売れっ子俳優になれるくらいだ。
確かに美形だ。美形だけど―――ニヤニヤとした余裕の笑みで唇を歪ませる表情が、なんだか凄くイライラする。さっきから向こうも俺のことをジロジロと観察してきてるけど、その視線がひどく下卑たものに感じられて背筋が寒くなる。アイツはきっと良くないことを考えてる。それより何より、“女の扱いに慣れてる”って時点で俺の敵だ!
「ノーサンキュー!リア充はお断りだっつーの!カークの方が何倍もマシだ!それより妖精、お前の出番が来たぞ。ちょっと耳貸せ」
『なんだい藪から棒に。何とも神使いが荒いエルフだね、君は』
妖精に耳打ちして指示をすれば、やれやれとため息をついた妖精(神)がすうっと姿を消した。あのムカつくリア充の思い通りにさせてたまるか!見てろよ、童貞の力を見せてやる。言ってて悲しくなってきた!
朝、鼻水が止まらないから鼻にティッシュを詰めていました。そのまま出社しました。同僚に言われるまでそれに気が付きませんでした。それから僕のあだ名は「鼻ティッシュ」ですが僕はすこぶる元気です。ファック。




