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第八幕  『面白い展開になってきた!』

早めに更新ができますた!


「話数が増えるよ!!」

『やったね主ちゃん!』

我がガーガルランド公爵家にとって、皇宮とは崇め見上げるものではない。いつか手に入れるモノ―――否、取り戻すモノ(・・・・・・)だ。


夜月を背景にして聳える皇宮の塔を窓越しに睨みつける。嫌味なほどに白く塗りたくられた外壁は夜闇の中でも月夜の輝きに映えている。実に軟弱で薄っぺらい色合いだ。私があの皇帝(ガキ)から椅子を取り戻した際には、城も城下町も城壁も、全てを気高い黒色に染め上げてみせよう。

近い将来に実現するであろう漆黒の城と化した皇宮を脳裏に幻視し、口端を釣り上げる。窓に反射して映るのは、余裕の笑みを浮かべる金髪の美男子―――ガーガルランド公爵家の第25代目当主にして今代の勇者(・・)であるクアム・ベレ・ガーガルランドだ。

そも、本来ならば今頃皇帝の椅子に座っているのは私であるべきなのだ。1000年前に魔王軍に通じたという無実の罪を着せられた我が先祖は皇帝の世継ぎの身分を剥奪され、腹違いの弟にあたるドゥエロス家の人間に尊い地位を奪われて都落ちの憂き目にあった。それから1000年もの間、我がガーガルランドの歴代当主たちは穢された誇りを取り戻すために力を蓄え続けた。狭い僻地の領主という辱めに歯噛みしながら、じわじわと他の貴族と力を合わせ、領土を合併し、財力と名声を積み上げてきた。我が父の代では皇宮に隣接する一等地を所有する貴族家と婚儀を結び、皇宮に次ぐ大きさの邸宅を建造するに至った。

そして―――遂に私の代で、真の血筋である我がガーガルランド家が、皇帝の座に見事返り咲くのだ。


「か、閣下?私めの話を聞いておられますか?」

「……ああ、すまない。考え事をしていた。話はなんだったかな、カラバリ侯爵?」


私の意識に無遠慮に立ち入ってきた老いぼれを振り返る。そういえば、今晩は嘆願に訪れたこの老いぼれの相手をしてやっていたのだ。もはや60を越えて久しい死に損ないのくせに、首にはサラマンダーの毛皮の襟巻きを巻いている。皇宮から数メートルしか離れていない邸宅で皇帝府御禁制の品を身につけるとは、さすがは悪徳で有名だった(・・・)カラバリ侯爵家のチュレブ当主だ。もっとも、私が身に着けている服は全てサラマンダーの毛皮で作られているが。


「魔王軍討伐に支出する軍資金のことです、閣下!大遠征には多額の費用がかかるのはわかりますが、幾ら何でも5000億もの負担はあんまりではないですか!我がカラバリ家は1000億ソータムすら困難な財政状況であることは、閣下もご存知のはず!」

「ほお。これは異なことを言うな、チュレブ殿。たしか貴方の家は絹と鉄の製造を独占していたはずだ。商売相手は亜人類にまで及んでいるそうではないか。1000も2000も、楽なものだろう?」

「それは過去の話です、閣下!8年前に鉄の原石の産地であったコサトカを魔王軍に滅ぼされて以来、我が家の財政は苦しくなる一方です!このままではアールハントの二の舞になってしまいます!」


領地と財産を全て失い、領土を護れなかった責任を取らされて爵位を追われる―――。貴族にとってもっとも恐ろしい結末だ。特にこのチュレブ・イン・カラバリ侯爵は、己の一族が破滅することを極端に恐れている。魔王軍が現れる前までは、財務大臣の権力と侯爵の地位の力を好き勝手に振り回して己に楯突く者や商売敵を容赦なく亡き者にする強欲な支配者であったというのに、何とも情けない話だ。盛者必衰とはまさにこのことだ。

だからと言って、甘い顔をするわけにはいかない。ガーガルランド家が返り咲くためには相応の資本と犠牲が必要なのだ。例え、カラバリ侯爵家が我が母の実家にあたるとしても、だ。


「だからこそだ、侯爵!これ以上、穢らわしい魔王軍に我々人間の神聖な領地を踏み躙られないためにも、討伐軍の費用の充実が必要不可欠なのだ。

大局を考えてみるがいい。貴方が金を出し渋ったことで討伐軍の勝利が遅れるようなことがあれば、その間にコサトカは醜い魔族共の唾液と糞尿にまみれ、ヒトが立ち入れぬ場所になるかもしれないのだ。それこそ、貴方が例に上げたアールハント領のように」

「それは、そうかもしれないが……」


主導権を握ることに慣れた人間は、逆に主導権を握られるととことん押しに弱くなる。この老いぼれもそのクチだ。内心でほくそ笑み、チュレブの肩に優しく手を置いてやる。自前の領地で採れた一番良質の絹を使っているのだろう。安っぽい手触りに嫌気が差すが、ここは我慢してやらねばなるまい。


「では、こういう案はどうだろう?魔王を討伐せしめた際は、カラバリ家から借り受けた(・・・・・)5000億ソータムをそっくりそのまま返そう。さらに、コサトカだけでなくその周辺の領地もカラバリ家のものとしよう。他ならぬ祖父(・・)の貴方のためだ。騎士の誇りにかけて、約束を果たすことを誓おう」

「閣下、領地の割賦は皇帝府にしか許されぬということをお忘れか?いくら貴方が騎士団大隊長であるとは言え、そのような勝手は出来ますまい!」


老いぼれのくせに、少しは頭が回るらしい。だが、所詮は腐りかけの頭しか持たぬジジイだ。もっと先の展望に目を向けられないものか。

表情を引き攣らせて喚き散らすチュレブの肩を擦り、小声に微笑む。


「確かにそうだ、お祖父様。ですが、考えてもご覧なさい。見事魔王を倒し、魔族を根絶やしにした勇者(・・)であると同時に真の王家の血筋を受け継ぐ私と、のうのうと皇宮に引きこもっていたただの子ども(・・・・・・)―――。貴族たちは、果たしてどちらを頼り甲斐のある支配者であると考えるでしょうな?」

「―――おお……!」


囁きが終われば、もはやチュレブの意識は私の思いのままだ。老いても尚当主の座を跡継ぎに継がせないこういう手合いは、得てして自身をまだ若いと思い込みたがる。まだ現役を退きたくないという焦燥と野心に火をつけてやれば、勝手に熱を上げてくれるものだ。

トドメにどんな相手をも惚れ惚れさせる絶世の笑みをチラと垣間見せてやれば、容易い。


「閣下、そのお言葉、然とお聞きしましたぞ。じ、実は、前々からコツコツと各地の銀行に分散させていた財が僅かながら残っておりましてな。それらを掻き集めれば、まあ、ざっと5000ほどにはなる計算なのです。至急、集めさせるようにしましょう」

「おお、それは重畳!是非、急がせて頂きたい。討伐軍の装備は充実しているに越したことはないのですからな!」


何と態とがましいことをほざく老いぼれだ。税の義務から逃れるために名義を偽造して分散させていただけであろうに。財務大臣が聞いて呆れるものだ。

だが、この老いぼれが特別劣っているわけではない。すでに同じような甘言に乗ってきた貴族は両手の指では数え切れないのだから。どいつもこいつも痴愚極まりない。新しい皇帝に過去の内緒話(・・・)をいちいち覚える義務などあるはずがないというのに。


チュレブが期待に肩を弾ませながら私の部屋を後にすれば、とうに限界に達していた私の忍耐が爆発した。


「おい、メイド!何をボサッとしている!」

「も、申し訳ありません!」


部屋の隅でアホ面で立ち尽くしていたメイドに濡らした布を持ってこさせ、老いぼれの死臭に触れた手を隅々まで丁寧に拭わせる。縁起の悪い腐臭を移されてはたまったものではない。

長椅子に腰掛けて手を清めさせている間、メイドの肢体に視線を流す。すでに何度か手をつけた使い古しではあるが、元は男爵家の娘なだけはあって肉付きは豊かだ。年頃は20くらいだったか。じっと見つめていると妥協しても良いという気にさせる。

こんな気分の時は、女を抱くに限る。本当ならば、前々から狙っていたバダヤ伯爵の一人娘の処女を散らせてやりたいものだが、贅沢は禁物だ。それはまた明日の楽しみにでもとっておくべきだ。

邪魔な布を乱暴に跳ね除け、メイドの長い髪を掴み上げる。「ひっ」と短い悲鳴が発せられたが、すぐに飲み込まれた。ベッドに突き飛ばせば、メイドは抵抗することなく羽毛に倒れこむ。その瞳には恭順の色しかない。これも私の“教育”の成果だろう。女の躾にも優れているとは、己の多才ぶりに我ながら身震いしそうだ。

老いぼれのせいで気分を害したことだし、少し激しい房事をして気を紛らわそう。どうせ、このメイドの実家である男爵家は魔王軍に領地を削られたせいで以前の十分の一の力だって残っていない。だからこそ、大事な娘を私に貢いできたのだ。娘がどれだけ傷物になろうが、訴えを起こす余裕はない。舌舐めずりを浮かべながら、人形のように硬直するメイドの胸元に手を添える。

直後、


「―――閣下、閣下!至急お耳に入れたいことがあります!入ります!」


大声とともに扉を数度殴りつけられたかと思いきや、力任せに開け放たれた。

ため息をついてそちらを見やれば、いつ見ても暑苦しい大男が血相を変えてドカドカと走り寄ってくる。こいつの折り合いの悪さは天下一品だ。一目この状況を見れば自らがとんでもない邪魔者であると理解できるだろうに、構わず目の前まで迫ると耳障りな声を上げ始める。


「か、金を握らせている皇宮の衛士が内報してきました!伝説は本当だったんです!ほ、本当に、本当に本当に本当にっ、」

「ええぃ、“ホントウホントウ”と五月蝿いぞ、モスコ!」


貴族から見れば、唾液を振りまいて喚くこの男がまさか上級騎士の地位にあるとは信じられないだろう。私自身もモスコの頭の悪さには目を疑うものがある。ニーソン准男爵家の次男として騎士団に入隊したが、あまりの頭の悪さに誰からも見向きもされていなかった。唯一、その天性の筋力と肉体のみ優れていた。余計なことに頭を回すほどの知性もないし、もしもの時には私の盾になるだろうと考えて引き抜いてやったのだが、ここまで役に立たないとは思わなかった。

間近まで迫ったモスコの口から唾が飛び散り、メイドの顔に振りかかる。怖気に震える女の顔にはそそるものを覚えるが、この男の唾液をわざわざ拭ってまで使おう(・・・)とは思わない。よりにもよって私の楽しみを台無しにするとは、やはりこんな無能を傍に置くのは失敗だったか。皇帝になった暁にはニーソン家共々お取り潰しにしてやる。


「さっさと出ていけ、この薄鈍が!貴様の顔など見たくもない!今すぐ地位を剥奪して―――」

「エルフは実在したんですよ!!」

「―――なに?」


こいつは今、なんと言った?


「伝説のエルフです!本当にいたんです!」


『エルフ』。1000年前に勇者の前に現れ、共に魔王を倒したとされる伝説の存在。今となっては誰も信じてはいない、お伽話の中の創作物だ。そう、誰も信じてなどいない。


「……よもや、貴様がエルフ教徒だったとは夢にも思わなかった。何時から改宗を?いや、そもそも宗教に興味を持つ頭があったのか?」

「違う、違うんです、閣下!俺もさっき、この目で見たんです!煌々と光る銀の髪と瞳、この世のものとは思えぬほど見目麗しい容姿、我々の知らぬ摩訶不思議な言語、そして妖精!間違いありません!信じてくださいよぉ!」


ぐいと岩肌のような顔を目の前に突きつけてくる。涙目になっていて、醜い顔がさらに歪になっている。こいつは頭が悪い。謀を巡らせるほどの頭もない。拾ってやった私への恩を死ぬまで信じこむタチだ。つまり―――少なくとも“エルフのような絶世の美女”が皇宮にいることは間違いがないわけだ。モスコの汚穢で手を付ける気がなくなったメイドの代わりが見繕えるのであれば、こいつの世迷言にも一見の価値は生じてくる。


「ふむ。わかった、信じよう。おい、お前にはもう用はない。消え失せろ」

「は……はい。あ、あの、私の家のことは……」

「知るか。それとも何か?メイドの分際で私に要求をする気か?」

「……申し訳、ありません。失礼致します……」


メイドがふらふらと覚束ない足取りで部屋を後にする。貢物の分際で男爵家への経済援助を催促するとは、身の程を知らない女だ。援助はまだまだ先だな。してやるつもりなど初めから無いが。

気を取り直して寝椅子に腰掛ける。チュレブの領地で収穫される絹など足元にも及ばない一流の触り心地だ。皇帝御用達の養蚕農家から横流しさせたものだから当然だ。贅を尽くしたこの部屋の家具は、皇帝の自室にあるものにも劣らないものばかりだ。

例えば、今私が杯に注いでいる葡萄酒も、セシアーヌを駆けずり回っても二本と手に入らない極上の美酒だ。


「それで?そのエルフ様とやらは、なぜここに来たんだ?」


どうせ、『伝説のエルフの名を語って大金をせしめよう』とか『勇者であるガーガルランド公爵と関係を持って贅沢な生活をしたい』とか、そんな理由だろう。辺境ではエルフ伝説を悪用する詐欺師も出没していると聞くし、それがついに皇宮にまで乗り込んできたと考えれば辻褄は合う。

そういえば、エルフ教徒のヌモス大臣が皇帝(ガキ)に陳情して聖禁森に使者を送っていたな。送り込まれたのはアールハント子爵家の生き残りのカークだ。剣の腕しか能のない小癪な無礼者は、いもしないエルフ様を探しまわって森の中を未だに彷徨いていることだろう。いい気味だ。森の中で野垂れ死にかけたあの男の無様な姿が目に浮かぶようだ。

一度葡萄酒の香りを吸い込んでじっくり堪能した後、極上の美酒を喉に流し込み、


「アールハントが連れてきたんです!」

「なんだとォッ!?」





「処女とは何ですか、処女とは!大体、経験があるのがそんなに偉いんですか!?」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ!童貞に罪はないだろう!君と同じじゃないか!」

「うぐっ!……やめましょう。互いに童貞だの何だの、とても不毛な争いです。互いに深く傷つけ合うばかりで何も生み出しません」

「……ああ、同感だ。すごく同感だ」


睨み合っていたのが急に気まずくなって、互いに目を背ける。なんとも低レベルな戦いだった。「攻めたことのない兵士よりも攻めこまれたことのない城の方がずっと優秀なんだよバーカバーカ!」と嘲笑ってやりたかったが、つい何時間か前まではその兵士だった自分がそれを言うとさらに虚しくなるからやめておいた。己に嘘をついてまで得た勝利に果たしてどれほどの価値があるというのか。いや、ない。

つーか、自分のことを“童貞”と言おうとすると、“処女”と変換されて口から出ていくのが余計腹立つ。発する言葉が自動的に丁寧な口調のセシアーヌ語に変換されるだけかと思いきや、状況に合わせて改竄もされるらしい。考えてることが勝手に捻じ曲げられるというのはなんだか癪だ。これもきっと、妖精(神)の変なこだわりのせいだな。


『正解だ。よくわかったね』

「勝手に人の心を読むな!」

『おっと、危ない。いくら神でも、心までは読めないさ。君の顔に書いてあるんだよ。君も、この男と同じくらいわかりやすい』


いつの間にか人の肩に勝手に座っていた妖精をはたき落とす。妖精は俺の手が触れる寸前にスルリと避けて頭の周りをくるくると飛び始める。妖精が突然出現したことにカークはギョッと身体を仰け反らせているけど、こいつの理不尽さに慣れた俺はもう驚かない。


『いきなり現れたというのに驚かないのかい?』

「お前はいようがいまいがどうでもいい存在と思ってるからな。ブンブン飛んでるばかりで役に立たないし」

『……一応、私は神なんだけどねぇ。神相手にそういう態度をとれる者はなかなかいないよ。前回のエルフもそうだったが、君たちの順応力や胆力には眼を見張るものがある。私の審美眼が優れていることの良い証左だ』

「ニヤニヤしてキモい。自画自賛キモい」


妖精(神)が悦に入ってヘラヘラとほくそ笑む。自称神さまのくせに、全然神さまらしくない。顔を会わせる度に胡散臭さばかりが増していく。前頭葉であれこれ考える前に、記憶の底から嫌悪感が噴き出してくるのだ。

だけど、こいつの持ってる知識は有用だ。例えば、前回のエルフについてとか。


「聞きたかったんだが、前回のエルフも俺と同じ日本人だったのか?」

『そうだ。君ぐらいの年頃の日本人は、このセシアーヌのような世界を媒体を通してよく知っている。1000年前に選んだ者も、素質が非常に優秀だったこともあってエルフとなってからも優れた能力を見せた。この世界に与えている影響は今現在も(・・・・)只ならぬものがある』

「もしかして、やっぱり元は男だったり?」

『当時は状況が逼迫していてね。急遽、文武両道に優れた人間を探した結果、君と同じ年頃の少年に白羽の矢が立ったのさ』

「なるほど。じゃあ、俺も優秀だから選ばれたってわけだな!」


えっへんと胸を張る。なんだかんだ言っても、やはり神さまは人間のことをよく観察しているのだ。俺の隠された才能を見出すとは、さすがだ。見直したぞ!


『いや、アホの子は見ていて面白そうだと思ったんだ』

「ムガーッ!!降りてこい!!いてこましてやる!!」

「トゥ、何だかわからないけど落ち着いてくれ!妖精は精霊よりずっと位が高いんだから、危害を与えちゃいけない!それこそ精霊神の天罰が下ってしまう!」

「離しなさい、カーク!この者は一回痛い目を見たほうがいいのです!」


カークの方が一回りは身体がでかいから、後ろから羽交い締めにされると足が宙に浮いて身動きが取れなくなる。俺がバタバタと脚をバタつかせている隙に、妖精(神)は俺の手が届かないところまで上昇してくつくつと喉を鳴らし始める。三日月みたいに細められた目はさも「こいつ見てて飽きねえな」と満足気に笑ってるようで、それがまたムカつく。カークめ、余計なことをしやがって!


『それに、君はとかく刺激的な運命を引き寄せる星の下に生まれたらしい。ほら、さっそく愉快な奴が君を見ているぞ』

「あん?」


妖精が指差す方に首を回してみる。城のすぐ隣に居座るどデカい屋敷の前に、これまたどデカい大男が突っ立っていた。真っ白なお城に対抗するみたいに、こっちの屋敷は真っ黒に塗りたくられてる。屋敷の大きさはかなり大きい。これ全部を黒に染めるとは、持ち主の趣味の悪さが伺える。


「しまった、あれはモスコだ。一番見つかりたくない奴に見つかった。多分、アイツの息のかかった衛士が俺たちのことを密告したんだ」

「モスコ?」


背後で眉を顰める気配がする。アワアワと唇を震わせてるあの男の名前は“モスコ”というらしい。キン肉マンみたいな体系の大男で、キン肉マンみたいに頭が悪そうだ。牛丼とか好きそうだな。

俺と目が合うと、モスコは手足を振り乱してさっさと黒い屋敷の中へ飛び込んでいった。何なんだ、いったい。


「モスコ・ロマンド・ニーソン。ニーソン准男爵家の次男坊さ。俺と同期で騎士団に入団したが、頭の悪さで鼻つまみ者にされていた。それが今じゃ、同期の中で一番出世して大隊長付きの上級騎士になってる」

「なぜです?」

「低級騎士が出世するには2つの道しかない。より位の高い騎士に気に入られるか、家を通じて賄賂を積むか。あいつは前者で、ガーガルランド騎士団大隊長閣下に気に入られたんだ。多分、もしもの時の盾代わりだな」


なるほど、と頷く。ということは、アイツが今しがた駆け込んでいった黒い屋敷は……。


「君の想像通りだと思うけど、あそこがクアム騎士団大隊長閣下の自宅で、ガーガルランド公爵家の邸宅だ」

「“自称勇者”の?」

「そう、“自称勇者”の。会えばきっと一悶着起きる。そうなる前に、皇帝陛下にお目通り願って勇者のお墨付きを頂戴したい。いくら皇帝陛下の権威を蔑ろにしていても、一度陛下が(みことのり)を仰せられればさすがにあの男でも逆らえない。さあ、急ごう」


納得した。だが、ちょっと待って欲しい。


「急ごうにも、私はあなたに抱きかかえられたままなのですが」

「……あ、」

「いい加減、下ろして下さい。子供扱いされているようで不快です」


足が振り子みたいにぷらぷらと行ったり来たりする。頬を膨らませて振り返れば、カークが申し訳なさそうに目を逸らした。さてはお前、俺を抱えてたことを忘れてたな?


「す、すまない。君があんまりにも軽くて……」

「お腹が減っているのだから当然です。まだこちらの世界に来て何も口にしていません。さっさと用を済ませて何か食事をしたいです」

「わかった。俺の家に来るといい。義母(かあ)さんの料理は最高さ。特にヤギ肉と旬野菜の鍋が絶品でね。すぐに作ってもらおう」


ヤギ鍋だって!?それは聞き捨てならないぞ!!


「それはとてもとても興味があります。是が非でもあなたの家をお伺いしたいです。いえ、今から行きましょう。腹が減っては戦が出来ぬと昔から言います。皇帝に会う前にまずは腹ごしらえが先です。さあ、さあ、さあ!」

「と、トゥ!?あ、暴れないでくれ!バランスが崩れ、わああっ!!」

「ひゃわーっ!?」


『ほらね。見ていて実に面白い』





「アールハントの死に損ないめ、まさか本当にエルフを見つけるとはな!あの無礼者に感謝をするのは癪だが、今回ばかりは労いの言葉ぐらいはくれてやろう!」

「お、俺には何もないんですか、閣下?」


貴様はただ告げ口を持ってきただけだろうが、薄鈍め。相手にする価値もないモスコの戯言は無視して廊下を歩く。歩いている間も小間使いたちが私の衣服を着替えさせ、甲冑を纏わせていく。ミスリルの金属板に黒曜石の粉末から作られた塗料を何層にも塗らせた特注の鎧は、兜一つだけで家が買えるほどの値打ちがある。よほどのことがないと持ち出さない特別な鎧だが、此度にこそ必要なものだ。


「何しろ、花嫁(エルフ)の迎えに行くのだからな!おい、剣を持て!イクシオンの刀鍛冶に造らせた、一番見栄えの良い剣だ!間違えたらお前の家ごと消してやるぞ!

それから、騎士団の幹部連中も叩き起こしてこい!もっとも豪奢な甲冑を纏わせて私の後ろに侍らせるのだ!グズグズするなよ!」

「は、はい!ただ今ッ!」


的確な指示に従って、メイドたちが次々に武器庫や階下に駆けていく。薄のろな女たちが必死に走り回っている間に、モスコに持たせた大鏡で全身をくまなく精査する。いつも通り、一部の隙もない着こなしだ。真紅の戦装束と鋭角的な漆黒の甲冑は、私の黄金の長髪と相まって絶妙な色合いを魅せている。この雄姿に惚れない女などどこにいようか?


「おい、モスコ。それで、先の話は真実だろうな?」

「え?さっきの話って何です?」


鏡の端から飛び出てきた顔が不思議そうに傾く。相変わらず愚鈍な奴だ。そのアホ面に我慢できず、鏡ごと蹴り飛ばしてしまったのも無理は無い。


「この阿呆が!“エルフが処女”という話だ!」

「は、ははは、はい!間違い無いです!遠かったですが、たしかに処女だとか何だとかアールハントと怒鳴り合ってました!」

「最初からそう答えればいいんだ、愚図め!」


罅の走った鏡の影に隠れて怯えるモスコに一つ鼻を鳴らし、皇宮側の窓辺に近づく。ここからは皇宮の裏門を見下ろせる。

伝説の救世主は、そこにいた。


「おお……なんと、美しい……!」


まさに言い伝えの通り―――いや、言い伝え以上の美麗さだ。比喩でもなんでもなく輝いて見える美貌に思わずゴクリと息を呑む。触れれば壊れてしまいそうなほどに繊細な容貌、目を離すことを許さぬ完璧でしなやかな肢体、たっぷりと流れ落ちる銀色の長髪。私の隣に並んでも何ら遜色のない、完全無欠の美少女だ。

見た目の年齢は少々未成熟のようではあるが、十分食べられる(・・・・・)程度だ。あの可憐さと部分的な豊満さを見れば、将来にも十分期待ができる。伝説ではエルフは長命のはずであるから、私が幾ら歳を重ねようとうら若い姿のまま楽しめる(・・・・)というわけだ。


「しかも、あれが処女だと?あの美しさで?はは、あり得んじゃないか。素晴らしい、実に素晴らしい僥倖だ。これこそ精霊神のお導きに他ならない!貴様もそう思うだろう、モスコ!」

「へっ?は、はい!その通りです、閣下!」


皇家に匹敵する財力。騎士団大隊長の地位。勇者として魔王軍を打ち倒す名声。そして、エルフの妻……。完璧の布陣だ。天はまさにこのクアム・ベレ・ガーガルランドを世界の覇者として選んだのだ。泥酔したような熱い感覚が迸り、口角がピクピクと震える。今にも高らかに笑い出してしまいそうだ。



「と、トゥ!?あ、暴れないでくれ!バランスが崩れ、わああっ!!」

「ひゃわーっ!?」



二人が悲鳴を上げ、抱き合ったまま地面に倒れた。倒れる直前、カークがエルフを守るように両腕で彼女を抱きしめるのをはっきりと目にした。あの無礼者は、その腕がエルフの胸に触れていることにも気づいていまい。私の所有物に汚らしい手で触れるとは、度し難い愚か者だ。

今しがたまでの高揚感が消え失せ、胸の内がすうっと冷たくなる兆候を感じる。


「……まずはやらねばならんことがあるようだな。おい、モスコ」

「はいっ!」


邪魔者は消さねばなるまい。立ちはだかる障害は、早急に根本から踏み潰すに限る。今までもそうしてきた。これからも、そうするのみだ。

待っていろよ、エルフの少女よ。今から、最高の勇者様がお前を迎えに行ってやるぞ。

偽勇者こと、クアム・ベレ・ガーガルランド公爵家当主様です。死ぬほど嫌な奴です。フラグ満載の噛ませ犬です。次話では痛い目を見ます。お楽しみに!

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