第十三幕 『今回の魔王は強敵だぞ。なにせ1000年も熟成させたんだから』
今度のコミックマーケット89にて、『あいそまたーんっ』や『私が君にできること』で有名な本知そらさんが主催するTSF合同誌に参加させていただくことになりました!やったね主ちゃん、初めての同人誌作成だよ!僕は満を持して『TS耳かき』という小説を持ち込むつもりです!皆さん、どうか買ってくだしあ!!
「黙りなさい。この、救いようのない、愚か者どもめ」
背筋を凍らせる低い声がこの少女から発せられたものだと、果たしてこの内の何人が理解できただろうか。表面を抉られた紫檀机がミシリと痛々しい音を立て、ようやく俺たちは、少女が―――ただの少女ではない救世主が、これ以上ないほどに怒りを露わにしていることを悟った。
拳を握りしめたトゥが一同をギロリと威圧する。華奢な双肩から立ち昇る気配は触れれば首を断ち切られそうな威圧感を放ち、フィリアスをせせら笑いの表情のまま凍り付かせ、大柄のファレサを数歩後ずらせた。揚々としていた幹部たちから一瞬の内に余裕を刈り取った眼光は、ぐるりと回って意外にもかたわらの俺にまで向けられた。まさか自分にまで怒りが下ると思っていなかった俺は目を見張って鋭いそれを受け止める。肩越しにこちらを睨め上げる視線はクアムに対してよりも険しく俺を責め立てて、先ほどまで胸中に滞留していた失意を吹き散らすほどだった。
俺はまた彼女の怒りを誘う失敗を犯してしまったらしい。原因の心当たりを見つけられずにただ狼狽えるばかりの俺にフンと小さく鼻を鳴らし、トゥは再び正面に顔を向ける。きっと呆れられたのだ。彼女の期待を裏切り、あまつさえ理由にも察しがつかない鈍感な自分に腹立たしさを覚える。ファルコに何を言われても仕方がない。この失点は必ず取り戻さなければ。
「……僭越ながら、愚か者とはどういう意味ですかな、エルフ様?」
ゴクリと唾と共に怖気を飲み込んだ軍師のフィリアス子爵が虚勢で問う。見れば、クアムや騎士団の幹部たちも似たような表情で頷いている。物心ついた時から自分本位な“セイギ”を受け継いいだだけの権力で押し通し、それがまかり通ってきた連中だ。面と向かって「お前は間違っている」と突きつけられることに馴れずに面食らっているのだ。しかも、突きつけてきた相手が伝説上の存在と言えども献上品の形をしていれば、連中が気分を害するのは当然といえば当然だった。もちろん、トゥは献上品ではないし、献上品のように従順でもない。
「愚か者は愚か者です。あなた方は、自分たちが未熟な野伏せりの寄せ集めに過ぎないことを、魔王軍が騎士団よりずっと洗練された正真正銘の軍隊であることをまったく理解できていません。このセシアーヌ皇国が置かれている状況は果てしなく劣勢で、絶望的です」
幹部たちが困惑にざわりと色めき立つ。かく言う俺も、トゥが確信を持って告げた台詞に驚いていた。魔王軍を実際に見たことのない彼女がどうしてその練度と戦況の行く末を把握できたのか。おそらくは、目の前の勢力図をひと目見澄ましただけで俺たちにはわからない何かを察したのだろう。
「これが、貴方たちの末路です」
ずいと身を乗り出し、指先で騎士団を示す黒い積み木をピシリと弾く。積み木は乾いた音を立てて魔王軍の真正面まで転がり、パタリと倒れる。赤い積み木に囲まれた様子はまるで血だまりに沈む死体だ。倒れた哀れな積み木を通して本番の戦況を透かし見て、我知らず慄然の汗が頬を伝う。
「察しが悪いようなので、はっきりと言って差し上げましょう」
細められた銀の双眸がさっと持ち上がり、断頭台の刃のように幹部騎士たちを睨みつける。何を言われるのか察して身を固くした壮年の男たちに、耳触りの良い美しい声で、鉄拳のように遠慮ない台詞を放つ。
「今のあなた方では、逆立ちしようが水に潜ろうが空を飛ぼうが、勝利の可能性など万に一つもありません。待っているのは騎士団の自滅と、あなた方の背後にいる人類の全滅です」
『敗北』ですらない、『自滅』。
空が上で大地が下であるかのような教本に載った常識を諳んじるように、彼女はきっぱりと告げた。白銀色の双眸は確固たる論拠を見据えて強い輝きを放ち、ハッタリだと薄笑みを浮かべて詭弁を弄する余裕すら与えない。
「さに―――然にあらずッ!!」
怯えを振り払うようにファルコ伯爵が癇癪を起こした。堀深な額の下で目玉が剥き出しになっている。収入源の大半を頼っていた飛び地の農耕領を魔王軍に滅ぼされたことで、彼の伯爵家は来年度の税の支払い―――その税の大部分は回りまわってガーガルランド家に流れる―――すら捻出できるか怪しいとの噂だ。己が一番槍を担うことで来年の税負担を少しでも容赦してもらわねばならない身としては、トゥの『自滅』という言葉はあまりに厳しく、受け入れ難い。
「我らが自滅ですと? 神聖不可侵にして精強なる我が騎士団が、言うに事欠いて自滅ですと!? いったいどんな根拠があってそのような荒唐無稽なことを仰るのか!?」
「ファルコ伯爵の言に賛同致しまする! 1000年の歳月をかけて精錬された我ら皇国騎士団が……よりにもよって野盗に等しいですと? 我らが汚らしい魔王軍に劣り、あまつさえ自滅するですと? 荒誕極まるお話だ! その所以があるのなら今すぐにご教示願いたい!」
矜持を著しく傷つけられた幹部たちが瞠目し、目の前にいるのが神話の存在であることも忘れて憎々しげに喚き立てる。大の男たちが胴間声を張り上げて少女を問い詰めているというのに、俺の目には追い詰められているのは男たちであるように見えた。事実として、やはりそれが正しかった。部屋に渦巻く逆鱗の気配を物ともせず、トゥが幹部たちを静かに睥睨する。
そして、なぜだかどこか寂しそうに、答えを紡ぐ。
「私の国が、そうなったからです」
「……君の、国が?」
唐突に静まり返った部屋に俺の問いだけがポツリと落ちた。思いもよらない解答に呆然と問い返した俺を振り仰ぎ、トゥが小さく頷く。血なまぐさい事とは無縁そうな少女の 顔 に暗い影が差した気がした。重々しい気配が実態を持って肩に伸し掛かるのを感じる。
「先ほど私の世界について話しましたね、カーク」
「あ、ああ。たしか、エルフの世界には大小たくさんの国々があって、様々な人々がいる、と」
「ええ、そうです。大きくて強い国から、小さくて弱い国まで。数十年前、私が属する国は、世界で一番大きくて強い国とそれが率いる世界の半分を相手取って戦うことになりました。後の世で“世界戦争”と呼ばれる 大戦 は6年間続き、私の国は完膚なきまでに焼かれ、振り続ける敵の火炎によって民草は死に絶え、大地は隅々まで焦土と化しました」
焼かれた―――この可憐な少女を生み育んだ国が―――?
俺は勝手に、彼女の故郷はセシアーヌが遠く及ばぬ天上の都だと思い込んでいた。トゥと同じかそれ以上の、完璧なエルフの王と優れた領民によって成り立つ、争いとは無縁の理想郷なのだと。
しかし、「皆、不器用だったのです」と零した彼女の口からぽつぽつと語られるのは痛ましい真実だった。
「世界が広く、国が多くとも、それが豊かと同義であるとは限りません。人が多ければ多いほど、着るものが要ります、水が要ります、食べ物が要ります、建材が要ります、鉱石が要ります、燃料が要ります、贅沢品が要ります。そして、それらはどこにでも溢れているものではありません。片や持てる国が有り、片や持たない国が有ります。国民を養うために限られた資源を多くの国々が奪い合いました。それに、何より―――私たちはお互いを知らなさ過ぎた。ようやく海を越えて“世界は自分たちだけの物ではない”と気付いたばかりの私たちは、弱肉強食のうらぶれた世界で“自分たちだけの物”を確保しようと必死になりました。そして、出会ったばかりの相手を忌避と偏見、傲りと侮蔑の目で見てしまったのです。次第に世界は不信で満ち、睨み合い、隙を探り合うようになりました。疑念が疑念の種となり、復讐が復讐を生み、憎悪が憎悪を育む。それらが暴力の応酬へと収束するまで、そう長い時間は掛かりませんでした」
エルフの世界は決して輝ける黄金郷などではなかった。セシアーヌがぬるま湯に思えるほどに無慈悲で、国家と国家とが闘争を繰り広げる血で染まった過酷な世界だったのだ。この世界とは歴史も規模も異なる別世界の生々しい有り様を突き付けられ、先ほどまで激昂していたファレサ伯爵は胸を塞がれた様子で唇を口髭の内に隠し、トゥの話に聞き入っている。トゥが紡ぐ悲話は、暖炉の前で祖父に語り聞かされた物語のようにありありと情景を伴って心に迫る“力”があった。見渡せば、伯爵だけではない。伝説のエルフとその世界が辿った壮絶な歴史を誰もが知りたがっている。意識だけで部屋を俯瞰すれば、全員が―――話の中心が自分から外れて臍を噛む一人を除いて―――口を噤んでトゥの話に耳を凝らしていた。
「御国の……御国の兵は、どうなったのですか」
息を詰まらせたように喉を震わせ、もっとも若い幹部騎士が問うた。世界の半分を相手取って戦いを挑もうなどとは、いくら自信過剰な騎士団にも言い出す者はいない。しかも6年間という長い年月を戦い続けるなど、忍耐という言葉を知らない貴族騎士には想像すら出来まい。だが、トゥの国の戦士たちは実行した。そうしなければならなかった。生まれ故郷を、妻子を、親兄弟を、朋友らを護るために、絶望を抱いたまま敵の前に立ちはだからねばならなかった。
いや、『戦争』とはきっとそういうものなのだ。俺たちがわかったつもりになっていただけだ。戦争とは、騎士団のような夢見がちな素人集団が軽々しく足を踏み入れてはいけない、この世の谷底なのだ。
俺とほとんど変わらない歳の若い騎士は、エルフの戦士たちと今の自身が置かれた状況に共通するものを見出したらしい。今になってようやく暗雲のような危機感が心中に芽生え始めたらしい彼を見やり、トゥは教書を棒読みするような抑揚のない目と声で応える。
「勇敢なる兵らは果敢に戦いました。国力の差を技術と練度で補い、当初は互角にまで持ち込みました。しかし、物量差から考えて最初から勝利を収められないことは目に見えていました。敵はあまりに強大で、そして多勢でした。“如何に上手く引き分けるか”……そのような状況だったのです。しかし、日に日に戦局は泥沼化し、領土は削られ続け、いつの間にか趨勢は“如何に負けるか”に変わっていきました。国が滅ぼされないために。より良い条件での敗北を模索するために。ほんのわずかな譲歩を引き出すために。敵の進軍を一秒でも遅らせるために。兵たちは命を賭して抵抗を続けました。故郷に帰ることの出来た者はほんの一握りです。家族に別れを告げて負けるための戦いに赴く彼らの苦悩と無念は計り知れません」
「なんと―――なんと、残酷な……」
誰かが声を軋ませた。誰のものか判別できないほどに掠れた声だった。
誇りも名誉もなく、得るものすら無い。赴けば二度と帰って来られない戦いに敢えて身を投じる無力感を脳裏に思い描いたのだろう。数分前の威勢はロウソクのように溶け失せ、血の気の失せた顔を並べるばかりだ。貴族騎士にとって、戦とは圧政に耐えかねて蜂起した自領民への弾圧や、人間の横暴に抵抗する異種族との諍いと同義だ。彼らにとってそれらは当然のように一瞬で勝利できるものでしかなく、自身の名誉を嵩上げし、貴族社会での地位を引き上げるための“手段”でしかない。敗北が明らかな情勢下でほんの一時を稼ぐためだけに己の命を捨てるなど、派手な矜持を誇示したがる貴族には到底受け入れられない。
「い、如何ほどですか」
顔面を蒼白にした若い騎士が再び問う。それは、この場にいる誰もが気にかかり、だが聞くことを窮す問いだった。
「その大戦で、いったい如何ほどの者がこの世を去ったのですか」
答えるトゥの声音が一段低く、小さくなる。
「戦死した兵士は230万人、亡くなった無辜の民は80万人。世界全体では5000万を超える人々が命半ばにして戦火に巻かれながら亡くなりました」
持ち主に代わって鎧がガシャリと呻いた。その中には衝撃に蹌踉めいた俺の軽鎧も含まれている。
ここに居並ぶ男たちはセシアーヌ皇国において押しも押されぬ一等貴族、即ち大領主たちだ。自領地に帰れば文字通り一国一城の主となる。そんな彼らが自領に住む人類と亜人類を老若男女残らずかき集めたとしても1000万に届くかどうか。たった6年の間に5000万もの魂が精霊神の御下へ旅立つほどの戦禍とはどれほど熾烈なのか。おそらくは単純な剣や弓によるものではない。皇家直属の魔術師が足元にも及ばないような高度で大規模な殺戮魔術の応酬に違いない。勇者や勇気の立ち入る隙間など無い、殺戮の集積物。ただ黙々と稲を刈るように命が消えてゆく、無慈悲で惨憺な地獄―――。
「―――ッ……!」
その様子を思い描こうとした刹那、記憶の蓋に思いがけず爪が引っかかり、滲みでた陰鬱な臭気が心臓を鷲掴んだ。俺はその地獄を知っている。記憶に蘇っただけで吐き気に目が霞むほどの悪臭を、俺は嗅いだことがある。
『逃げろ、逃げるのだ、カーク!!』
出し抜けに、それまで聞いたこともなかった切羽詰まった父の声が投げかけられた。鼓膜にこびり付いて離れない、パイク・ユイツ・アールハントの最期の叫び。燃え盛る炎のうねりと熱を肌に感じてハッと顔を上げれば、目の前には10年前のあの日が―――魔王によって全てを奪われた燃える夜が広がっていた。愕然とする俺のすぐ足元で何かが蠢く。恐怖でその場にへたり込み、身じろぎも出来ずに凍りついている子ども。見間違えようのない、10年前の俺自身だった。
ああ、この幻影を見るのは何度目なのだろう。俺の心は、再び無力な子どもの頃に戻って、変えることの出来ない残酷な過去をなぞり始めた……。
前回の更新が8月8日だから……なんだまだ一ヶ月も経っていないじゃないか(白目)




