第十一幕 『体に心が順応するのは時間がかかる。その過程が面白い』
前書きを
一度書いたが
消しちゃった
書く気もなくして
じっと手を見る
主
ジャーンジャーン!! ゲェーッ、大隊長―――!!
……って感じで振り返ったカークの顔は、それはそれは憎々しげな顔をしてた。あのいけ好かない金髪とは色々と因縁があるということが一目でわかる顰めっ面だ。カークも自分は元貴族とか言ってたし、貴族同士で何かいざこざがあったんだろう。
中世の西洋騎士とそっくりの鎧を着込んだ集団と、その中心にいる男を見る。たしか、名前はクアムべレベレなんとかだったかな。いや、ベロベロだったっけ? まあなんでもいいや。見た目はハリウッドスターも裸足で逃げ出すような美貌だというのに中身の残念っぷりがドロドロと空気に染み出てる。普通の女ならあらやだイケメンじゃないのと見惚れるのかもわからんが、オレにはあいつの笑顔の裏側が透けて見えて寒気しか覚えなかった。「トゥ様お美しすぎワロタ」みたいなくすぐったい羨望の眼差しとは正反対の「さあどこから食べてやろうか」みたいな害意120パーセントの目をしてやがる。
「……っ!」
ブルルッと背筋が震えて思わず自分の身体を抱きしめる。
元は男だったからアイツがどんなことを考えてるのかはすぐにわかる。超絶美少女が目の前に現れたら思わずイケないことを考えてしまうのは男の 性 だ。誰だってそーする。俺だってそーする。だけど、見られる側がこんなにゾッとするとは思わなかった。そういう視線は初めてで免疫がないだけに、余計に不快感が募ってジクジクした胸焼けが込み上げてくる。こういうのを視姦っていうんだろう。世界が世界ならセクハラで訴えられるレベルだ。
……ところで、さっきからチラチラとカークがこちらの顔を気まずそうに窺ってきていたりするわけだが。「俺はあんなに下品じゃなかったよな?」と声にならない声が問いかけてくる。残念だがカーク君よ、湖でオレを覗いていた君の視線も似たようなものだったぞ。
『では、依頼通り、私は“彼”を呼んでくるよ。その間に、あの騎士団長とこっちの第一村人、どっちが良いか選んでおくといい。どちらに転んでも楽しめるように君は創ってある。楽しむのは主に私だが、君も慣れればそれなりに楽しいかもしれない』
「お前を楽しませるつもりなんざ毛頭ないっつーの。ほら、さっさと働け! ゲラァウッ!」
『やれやれ。1000年前然り、とことん不敬極まりないエルフだねぇ』
と言いつつも怒る素振りすら見せない。自分の世界がピンチだからオレを召喚したというのに、この余裕たっぷりな態度はまるでそぐわない。ミステリアスと言えば聞こえはいいが、怪しすぎて信用出来ない。コイツはクセェ――――ッ!隠し事してるニオイがプンプンするぜ―――!って感じだ。
眉を潜めたオレに意味深な一瞥を向けると、妖精(神)は苦笑をこぼしてフッと姿を消した。半分は賭けだったが、オレの指示を素直に聞いたことからしてサポート役を担う気はあるらしい。まあ、立ってるものは親でも使えということわざもあるくらいだし、神さまだって有効活用してもいいだろう。
ううう、しっかし気持ちが悪いな。変態金髪野郎め、まだ見てやがる。ひとのことを頭のてっぺんからつま先までぢろぢろと観察しやがって。
あの目に舐め回されていると、自分がショーウインドウのマネキンになったみたいですごく不快だ。ちょっとでも気を弱めると、「このままアイツの下に行ったら何をされるんだろう」「どんな扱いを受けるんだろう」という嫌な想像が首をもたげてきてサアっと頭から血の気が引く。妖精の言ってた“慣れれば楽しめる”って、もしかしてそういう意味?
空腹のストレスも重なってオレの不快指数がスーパーマッハで急降下だ。“ただしイケメンに限る”が何時どこでも通用するわけじゃないんだぞ!?
「……トゥ、こっちへ」
「ひゃわっ」
突然、二の腕を強く掴まれたと思ったら、自分と変態の間に壁が立ちはだかった。油断してて女の子みたいな悲鳴をあげてしまったことをうぬぬと後悔しつつ、壁を見上げる。細身だけどよく鍛えてることがわかる、筋肉が波打つ壁―――カークの背中だった。動きに合わせてつんと鼻をつく臭いが漂ってくる。滲んだ汗で肌にへばり付いた麻のシャツが、カークがこれ以上ないほどに緊張してることを伝えてくる。
「?」
どうして乱暴に腕を引っ張ったのか、どうしてそんなにガチガチに強張ってるのか、首をひねってしばし考える。
―――ああ、護ってくれたのか。
ポンと手を叩いて納得する。変態金髪野郎の視線を遮るために自分の身体で壁を作ったんだ。汗が吹き出すほど緊張してるのは、その変態が怖い上司だからだ。つまりコイツは、上司の怒りを買う危険とオレの悪寒を取り除くことを天秤にかけて、オレの方を選んでくれたというわけだ。エルフ様のためなら自己犠牲の躊躇わない。今まで会った騎士よりもずっと騎士らしい。オレが女なら間違い無く惚れてるね。さすがはオレの見込んだ召使い1号だ。褒めて遣わす!
「アールハント小隊長。貴公、何のつもりだ? 何を考えているのかは知らぬが、馬鹿な真似はするな。
私の目が正しければ、そこにおわす御方は伝説のエルフ様に相違あるまい。その輝く美貌と妖精の姿がその証だ。エルフ様であれば、皇帝陛下及び騎士団の総意により今代勇者として公認された私がお迎えするべきであろう。さあ、その御方を此方へお連れするのだ」
クアムの声は、遠くまで突き抜けるようなアルトの音色だった。不必要に力んでいて、居丈高な命令口調だ。それを最後まで聞いたカークの筋肉がギリリと軋む。雑巾をきつく絞った時のような、なけなしのナニカを絞り出す音。絞り出したのは、覚悟だ。
だから次の返答はきっと、
“お断り致します、大隊長閣下。”
「お断り致します、大隊長閣下」
……うん、決めた。しばらくは、カークがオレの勇者でいいや。
「……なんだと?」
「お言葉ですが、大隊長閣下。私は現在、皇帝府からの主命に従って行動しています。陛下の主命が何よりも優先されるのは、閣下もご存知のはず」
「あ、あ、アールハントッ! き、貴様、無礼だぞっ!? 大隊長閣下に向かってそのような口を叩くなど―――」
「失礼ながら、フュリアス上級騎士閣下。無礼なのは貴方方であると諫言致します。エルフ様を早急に御前に召し出すようにお命じになったのは他ならぬ我らが君主、クオラ・ベレ・ドゥエロス皇帝陛下であると申し上げたはず。貴方方は今、陛下にお目通り願おうとする私を阻んでおられるのです」
「ぅ、むう、それは……」
カークバリアの向こう側で言葉の鍔迫り合いが繰り広げられる。だけど、不思議とさっきまでの不安とか寒気は感じなくなっていた。代わりに、布団に包まってるみたいな満ち足りた安心感を覚える。頼もしいバリアのおかげだ。
同性の男に庇われているというのに不思議と嫌な気はしない。それどころか、頼り甲斐のある背中にトクンと胸を揺さぶられる。むわっとした汗の臭いもなぜか気にならない。心なしか、腹の奥底がキューッと引き締まるような不思議な感覚もする。下っ腹にもう一つ心臓が出来たみたいな、初めての感覚だ。
ハッ! そうか、これが信頼出来る仲間を得た喜びというやつに違いない! こみ上げてきた熱い心情に面映ゆいものを感じてムフフと自然に口元が綻ぶ。実は、親友というのを得たのはこれは人生初なのだ。親の仕事の都合で転校続きだったからこれは嬉しい。
二人で力を合わせ、時に共闘し、時に拳を交え、夕焼けを見上げる丘で「なかなかやるじゃねえか」「フッ、お前もな」と讃え合いながら寝っ転がる―――。憧れていた昭和スタイルな親友像が頭に浮かぶ。親友と言うよりも、何だか本当に兄弟が出来たみたいで胸がホッコリする。よし、“召使い1号”から“ブラザー1号”に格上げしてやろう。褒めちぎって遣わす!
「―――だ、大隊長閣下? 恐れながら、か、鍵なら、確かに―――」
「―――衛士よ。隠さずとも良い―――」
さて、いろいろと話は進んでいるようだが、実はもうすでに手は打ってあったりする。妖精にやる気がちゃんとあれば、もうすぐ目的の人物のところに辿り着いてるはずだ。期せずして時間稼ぎをすることになっているカークにそのことを教えてやりたいが、どうにも口を挟みにくい雰囲気だから黙っていよう。今のうちにこれからのことも考えておきたいし。
「―――貴公、それでも衛士か!? 鍵は、鍵はどこだ!?―――」
「―――おおお俺には家族が―――け、けども、え、え、エルフ様を謀るなんて恐れ多いことは俺にはとても―――」
声を荒げる周囲から意識を切り離し、顎に手を添えてふむと思考を巡らせてみる。頭を使うことには馴れてないからカロリーを消費して余計に腹が減りそうだけど、どうせもうすぐカークん家のヤギ鍋にありつけるから構わない。
現状で一番重要なことを考えてみる。まずなんといっても、この世界を魔王軍の手から救わないことにはオレのセレブライフは実現しないという大前提がある。酒池肉林の実現は世の男のロマンなのだが、ロマンに辿り着くためには多くの障害を乗り越えなくてはならないのも世の常だ。この障害を如何にスピーディーかつ楽に乗り越えるか、というのが当面の問題なのだ。
さて、相手が“軍隊”というからには、こっちにも対抗勢力がないと心許ない。だけど、カーク曰く、『残された人類側の戦力は質・経験ともに乏しく、逆に魔王軍は勢いづいている』のだとか。真正面からぶち当たって戦争おっ始めても魔王軍を倒せる公算は小さいという。この時点ですでに頭が痛い。1000年は勇者とエルフたった二人で乗り込んだらしいが、果たして俺とカークに真似できるのかは不安だ。出来るなら前回よりも良い条件で挑みたい。
ここで気になるのは、今現在の勢力図・戦力差がどうなっているかだ。歴史の授業とか戦術ゲームをちょこっとと齧ったくらいだから詳しく分析なんて出来ないけど、情報を仕入れておくに越したことはない。特に、自軍の数とか魔王軍の数とか、どこまで侵攻を許していてどこまで防げているのか、どこをどう通れば安全で快適なのかは知っておきたい。“敵を知り己を知れば百戦危うからず”と昔の人も言ってるし。
「―――どうだ、妻子は元気か? 年頃の娘がいたよな? 今年の税負担は重いと聞くが、家の財政の具合はどうだ? んん?」
「―――あ゛、あ゛、」
「くっ……!」
あ、なんだか雲行きが怪しいかも?
口論の戦況が不利になってきたのを察して、カークの肩越しにそっと様子を覗いてみる。耳に入るクアムの嫌味な口調がいちいち癇に障る。第一印象が最悪だから余計にそう思える。こんな奴が幅を利かせてるってことは、カークみたいな模範的な貴族はこの世界では少数派なのかもしれない。
たとえ、オレやカークが考えている以上に人類側の戦力が大きくて、クアムがそれらを一手に握る権力者だとしても、コイツを頼りたくはない。絶対に良くないことを要求してくるだろうし、自分に逆らったカークに害を加えるのは明らかだ。せっかくの戦力だって保身のために使い潰すのは目に見えてる。もったいないけど、人類側の戦力を全面的に頼るのは無理そうだ。となると、考えられる手は―――
「トゥ、」
張り詰めた声が耳元で囁かれる。咄嗟に唇をきゅっと閉じたと同時に、またもや手を握られてぐいっと引き寄せられる。今度は悲鳴をあげなかった。偉いぞオレ。
「安心してくれ。君をあいつらには渡さない」
「状況はとても絶望的に見えますが、貴方に何か良い策があるのなら耳を貸すくらいはしてあげましょう」
「ああ。相手は上級騎士だ。みんなそれなりに強い。だから、5、6人までなら何とかなる。俺が切り込んで食い止めるから、その間にそいつから鍵を奪って扉を開けて欲しい。エルフ相手ならそいつはさほど抵抗しないはずだ」
押し殺した声は、追い詰められていることをありありと示していた。鬼気迫る表情を間近に突きつけられてギョッと息を呑む。
それなりって、なんとかなるって……あっちは10人くらいいるんですけど。しかも完全武装なんですけど。
見栄張って格好つけてるのかと一瞬だけ訝る。でも、察知能力が敏感になってるはずの俺でさえ、カークが剣を抜ける態勢を終えていることに気づけなかった。両肩からゆらりと立ち昇る冷たい気配―――“殺気”を感じて、長いエルフ耳がピンと突っ張る。
思い返せば、アールハントの名前を出した途端、そこで縮こまってる衛士はビビリあがった。数でも装備でも勝ってるはずのクアムの部下たちも、カークがすぐに斬り掛かれる身構えをとったことを悟ってギクリと歩を引いた。何より、湖で最初に出会った時、カークはオレが思いっきりぶん投げた豪速球を居合斬りで弾き飛ばすなんて離れ業をやってのけてる。
もしかして、アールハント家ってのは剣術の名門とかだったりするんだろうか。だとしたら、カークがここまで恐れられる手練だってことも頷ける。
改めてカークの勇者適正の高さに感心していると、握られていた手がヌルッと生暖かく濡れていることに気付いた。節くれだった手がこれでお別れとばかりにオレの手をギュッと一際強く握る。片方の手元でジャキリと鋭い金属音が鳴り、片刃剣の刀身が白銀に瞬いた。ただ刀身が垣間見えただけなのに、ピリピリとした刃風を肌に感じる。
「……カーク、まさか、」
驚いて見上げれば、覚悟完了!と言わんばかりの真剣な眼差し。吹っ切れて穏やかさすら混ざり出した瞳で、カークが考えていることを理解する。
「扉を潜ったら、振り返らずにそのまま施錠してくれ。急いで供人の誰かを見つけて陛下への謁見を願い出るんだ。そして、クアム以外の誰かを勇者に選んでくれ。
そうだ。騎士ではないが、俺の親友にタイベリアスという魔術師がいる。普段は軽薄だが、信用できるし才厚い男だ」
―――こいつ、死ぬ気だ。
直感で理解して、ぞわっと全身から血の気が引いた。カークの気色に気圧されて言葉が出ない。
死ぬ覚悟を決めた人間の瞳は、思いの外優しい色をしていた。ふっと片頬を緩ませて笑顔すら浮かべている。まるで死に場所を見付けたとでも言うような―――ようやく死に追いつかれたとでも言うような、何かから解放された人間の表情だ。
誇りのためなら死を選ぶ。己の価値を低めるくらいなら戦って死ぬ。忠義のためなら喜んで命を差し出す。大昔のおサムライさんみたいな奴だ。そういう真っ直ぐなところが信用できると思ったんだけど、幾らなんでも愚直すぎやしないか!?
手に入れたばかりのブラザー1号がオレの手をそっと離して一歩遠ざかる。「はいここでネタばらし! もう手は打ってるから早まんな!」と急いで口にしないといけないのに、初めて目にする本物の戦士の雰囲気に呑まれてぐっと喉が詰まる。死を覚悟した顔に呆然とするオレに満足気なほほ笑みを向け、騎士がさっと踵を返す。儚い後ろ姿はまさにマミる直前のマミさんの如しだ。
このまま放っておいたら、コイツはあの集団に挑みかかる。宣言通りに5、6人を叩きのめして、オレが逃げるのを見届けて、7人目に斬られて殺される。オレは血を吹き出して倒れ伏すカークの姿を目に焼き付けながら扉を閉じる―――。そこまで脳裏に浮かんで、心が拒絶を叫んだ。
そんなのイヤだ。絶対イヤだ。そんなことされても全然嬉しくない。
せっかく異世界で心を許せる仲間を得られたのに、これから冒険の始まりだってのに、いきなりカークを失うなんてイヤだ。もっとカークと色んなことを話したいし、カーク自身のことも知りたい。
でも、それより何より、大事なことがある。とても重要なことだ。これをしないことにはカークからは絶対に離れてはいけない。
再び腹の奥がキューッと引き締まる。空っぽの胃がいい加減にしろと高く唸る。
もし、ここでカークが死んでしまったら―――ヤギ鍋が食べられない!!
「“もう何も怖くない”なんて台詞を思い浮かべたのなら、今すぐに撤回しなさい。それは不吉の前兆です」
「えっ―――? ぃにぃででッ!?」
空腹のあまり、カークの顔にヤギ鍋が重なって見える。グツグツと美味しそうに煮える鍋に手を伸ばして握ると、そこはちょうどよくカークのほっぺただった。薄くスライスされた肉の赤身と色彩豊かな旬野菜が良い感じに煮立っている。これを口にするまでは絶対にカークを離してなるものか。
鍋が逃げないようにぐいぐいと引っ張って、マミさんモドキ(♂)の目をじっと睨めあげる。ティロ・フィナーレなんて言わせねーよ!?
「その台詞を述べた者は私の世界にもいましたが、次の瞬間には首から上がなくなっていました。死に繋がる忌むべき台詞です。命は大切にしなくてはなりません」
「わ、わひゃっひゃ! わひゃっひゃはら、ひゅにぇるにょはひゃめひぇくりぇ!!」
「いいえ、ちっともわかっていません。軽々しく自分を犠牲にしようとするなんて大馬鹿者のすることです。そんなことをされても、私はこれっぽっちだって嬉しくありません。
私の勇者は、貴方です。この世界でカーク・アールハントただ一人です。私がそう決めたのです。他の誰でもありません。他の誰にもできません。それなのに、一人で格好つけて散るなど絶対に絶対に認めませんっ」
思いつく限りの説得の言葉を紡ぐ。言語変換フィルターを通過してだいぶナヨナヨした感じになってしまったが、空腹のせいでいちいち口にする言葉のことなんて考えきれない。まあ本心には違いないから問題ないだろう。
家庭の事情もあって一人でいることには慣れてる。孤独に放り出されることには多少の耐性はある。だけど、友だちが自分のために死んだなんてことがあったら、例え酒池肉林が実現したって後味が悪すぎて意味が無い。その場にカークもいてくれた方がきっと心から楽しめる。
「わ、か、り、ま、し、た、か?」
「……ひゃい」
「なら、よろしい」
肝を冷やされた腹いせにぐにぐにと左右に引っ張りながら念押しすると、コクリと小さく頷いてくれた。よかった、わかってくれたか。カークが臨戦態勢を解くのを確認して、ホッと胸を撫で下ろす。あ、息苦しいと思ったら胸をカークに押し付けてたみたいだ。必死になってて気が付かなかった。カークも顔を赤くするくらい苦しかったのなら言ってくれればいいのに。
それにしてもヒヤッとした。妖精(神)がチンタラとサボってるせいで、もう少しでカークを無駄死にさせるところだったじゃないか。自分の命を軽んじるような素振りが見え隠れしてるにしても、こんなに勇者適正の高い人間はそうそういないと思う。オレたちの出会いを妖精(神)が意図していたかはわからないけど、こいつの実力や性格に触れているとエルフとカークが巡りあうことは運命だったようにも思えてくる。
頬を抓っていた手を離し、腫れて赤くなった頬をやんわりと撫でてやる。ヒリヒリと火照っていて、強く抓り過ぎたかなと今さらになってちょっと後悔する。空腹の怒りに身を任せてはいけない。半分は自分にも言い聞かせるように、「頭を冷やせ」と紡ぐ。
「頭を冷やしなさい。そんなことをすれば、貴方が殺されるだけではなく、この衛士や家族にもあの男の怒りの矛先が向きます。それは貴方の望む所ではないはずです。
それに、忘れたのですか? 私はこの世界に来たばかりです。右も左も分かりません。心を通わせられるのは貴方だけです。どうか、一人にしようなどとは考えないで」
「二度としない。先祖と父母と精霊神に誓って本当だ。だけど、この状況をどうにかしないことには―――」
「その通りです。だから、私は貴方の策に耳を貸すくらいはすると言ったではないですか」
「……?」
ご主人さまからトンチンカンなことを言われて不思議がる忠犬みたいに、首をはてなと傾げる。見た目が精悍だから、そのギャップが余計に愛らしい。キョトンとした困り顔に、無いはずの母性本能が刺激されて胸がキュンキュン締め付けられる。
コイツは本当に強くて、優しくて、真っ直ぐだ。しっかりリードを引っ張ってやらないと、どこまでも愚直に突っ走ってしまう。その結果として自分の命が失われても構わないという自己犠牲の態度は、自分の命の価値を諦めてしまってるからだ。たぶん、過去に何かあったんだろう。その辺の理由も後々聞いて、じっくり矯正してやることにしよう。
とりあえず、今はこのトゥちゃんに任せんさい。エルフ号は大船なのだ。百人乗ってもだいじょーぶ!
「私に任せなさい。これでも悪知恵は回る方なのです。それとも、私が信用出来ませんか?」
「いいや。どの道、俺には他の策が思いつかない。君に任せる」
「よろしい。では、今より私たちはあの男の元へ降ります。予備の鍵を受け取りに行くのです。反論は無し。いいですね?」
「…………君が、そう言うのなら」
渋々と顎を上下させる。カークからしてみればクアムに降参したのも等しい選択だから受け入れがたいだろうけど、そこは我慢してほしい。これからの判断材料として、あの顔を真っ赤にした騎士団長から聞きたいことはたくさんある。妖精が間に合わずに大立ち回りを演じる羽目になっても、その時はその時だ。そうなったらなったで試してみたいこともある。
オレたちの小声の相談に痺れを切らしたらしいクアムが声を張り上げる。
「話は終わったようだな、小隊長。さあ、どうするのだッ!?」
「……予備の鍵を、ご用意願いたい。付きましては、先程の身分不相応な物言いをお許し願いたい」
応えて、左腰に帯びていた剣を鞘ごと右腰に挿し直す。それを確認した上級騎士たちが胸を撫で下ろすことからして、「攻撃しません」という意思表示なのだろう。時代劇で見たことのある武士の仕草にそっくりだ。武士は必ず右利きに矯正されてるから、右腰に刀を帯刀すると抜刀できないとか何とか。
はたと妙なことに気付いて他の騎士の剣を見てみる。目に付く騎士はみんな、金細工や宝石とか装飾の違いはあれど、中世ヨーロッパのそれみたいなのっぺりと平たい両刃剣を佩用してる。なのに、カークだけは片刃剣だ。貴族じゃないからランクの低い剣を使ってるのかとも思ったけど、それにしては意匠が違いすぎる。全体に少し反りが入ってて、柄と刀身の境目には 鍔 みたいなものもある。日本かぶれの外人さんが見様見真似で日本刀を造ってみました、みたいな剣だ。世界は違えども、刀剣の技術は突き詰めれば似たような進化を辿るのだろうか。むむむ、これは大発見かもしれない!
「誰が、貴様のような奴の手にトゥを渡すものか……」
心底忌々しげな呟きに隣を見上げれば、奥歯を噛み締めたカークが唇を歪めたクアムを睨み据えていた。思ってることを口に出すのはコイツの悪い癖だな。
「口に出ていますよ、カーク。私は誰かの所有物ではありません」
「……すまない」
「気にしていません。あの男の余裕も今のうちだけです。それまで、存分に私を手に入れたと思わせてやるとしましょう。まあ、見ていなさい。今代のエルフが、聡明な先代エルフ様とはひと味違うということを教えてあげます」
先代のエルフ様は、“美しく聡明で誰にでも別け隔てなく接する心優しい女性”だったそうな。ここの奴らはみんな今代のエルフ様もそうなのだろうと思いたいようだが、生憎とオレはそんなにお行儀の良い育ちはしていない。立ってるものは神でも扱き使うトゥ様の手腕を目にもの見せてやる。
まだ不安なのか表情を翳らせてるカークに軽い足取りで近寄り、からかうように柔らかく微笑む。辛気臭い顔は似合わないぞ、今代勇者くん!
「だから、ほらっ。大船に乗ったつもりでもっと堂々としなさい。私の勇者さま?」
なぜかカークの動きがピタリと止まる。唐突な硬直にキョトンとするオレの目を見つめ、そのままたっぷり3秒ほど経過しておもむろに口を開く。
「―――誰にも、渡すものか」
「だから、口に出ていますよ」
オレはモノじゃないと何度言えばわかるんだ。ポケーっと人のことガン見して、変な奴!
ちょっとテンポ悪いかも。もっとポンポンと場面が進むようにしよう(提案)。




