35。お母さん
前を行くキバの後を追い住宅街を走り抜ける。
徐々に縮まる距離にはキバも気付いているようで、背後を気にしつつアパート横の路地に飛び込んで行った。
アスファルトを蹴る靴底が急ブレーキをかける。
「いない」
確かにキバの入っていった路地に間違いはない。
細い通りの先は行き止まり、陰る湿った土に痩せ細った雑草が申し訳なさそうに生えている。
左右を見渡すイチの目が、走ってくるジュニアの姿をとらえた。
「見失った」
悔しそうに顔を歪めてイチが呟く。
「行き止まり。確かにここに入ったんだ?」
路地を覗き込むジュニアもキョロキョロと辺りを見回す。
そこそこの住宅街。
古くからある一軒家やアパートが乱立し、間宮家のある比較的新しい住宅街とはまた違った雰囲気を醸し出している。
「ここ、この前イチたちが襲撃を受けた通りを1本入ったところだよね」
確かに。
キバを追うことに気を取られていたが地理的に近い。
「偶然。なのかな」
ジュニアも確定に至るほどの確証はない。
「今回は取られたね。カエが心配だ。とりあえず戻ろう」
「ここまで来たのにっ。ジュニア、人間探知機付いてねぇの?」
諦めきれないイチは目の前のアパートを覗き込む。
「殺意がこっちに向いてれば分からなくもないけど、息を潜めてるヤツの居所までは分からないよ」
振り返る2人の視界に、制服を着た背の高い男子生徒が映った。
(森稜高校の制服)
「邪魔なんだけど」
コンビニのビニール袋を下げた男は、イチとジュニアに向けた視線を目の前のアパートに移した。
「ああ。すみません」
アパートの敷地に入る入り口を塞ぐ形になっていたイチが身体をずらす。
何も言わず、2人をちらりと見ると男はそのままアパートの角部屋に姿を消した。
「今の……」
その姿に引っかかるものを感じてイチは今しがた閉まったドアを凝視する。
「うちの生徒だったね。確か生徒会の人間だよ。リカコと一緒に遅刻の検問に立ってるの見たことある」
「ああ」
ジュニアの言葉に、遅刻常習者のイチも記憶の1コマがよみがえる。
ドアに掛かる小さな表札。
「杉山」
記憶するように、イチは小さく呟いた。
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間宮家の前には救急車が止まり、近隣の野次馬住人が何事かとささやきあっている。
「イチ、ジュニア」
担架に乗せられたせりかさんに付き添って外に出たあたしの目に2人の姿が映る。
よかった。怪我はしてないみたい。
自然と安堵のため息が漏れた。
「これから巽さんと一緒に病院に行ってくる。カイリとリカコさんが寮に戻るって連絡があったから行って。あたしも後で合流するから」
「せりかさんの具合は?」
イチが救急車に積み込まれる担架に目を向けながら、辛そうな声を出す。
「うん。意識は戻ったよ。打撲が数か所と、足を相当捻ったみたい。後は足の裏をガラスで切ってて」
「そうか」
「イチ」
なんだろう。言葉が続かない。
責任感じてるのかな。
「イチ、大丈夫だよ。大丈夫。せりかさん意識もしっかりしてるし、イチが助けに入ってくれたからこれくらいの怪我で済んだんだよ」
なんとなく、イチが消えちゃいそうな気がして、制服のワイシャツの裾を掴んだ。
「車で後につけるから香絵は救急車に乗れ。おう。お前たちも戻ったのか」
ワイシャツの袖口のボタンを外しながら出て来た巽さんが、イチとジュニアに声をかける。
「せりかさんから聞いたよ。命に別状がなくてよかった。太一、本当にありがとう」
巽さんがイチに頭を下げる。
「いや、巽さん。犯人は取り逃がしてるし、怪我もさせちゃったし」
「出発しますよ。同乗する方、乗ってください」
救急隊員の声に、巽さんとともに振り返る。
「じゃあ、後で寮に行くから」
お母さん。
閉められた救急車の窓から、イチの唇が小さく動いたのを見た気がした。




