78。待たせたなっ!
小さな緑色の光を放つのは、ジュニアのインカム。ポケットから取りだしたそれを耳にあてると、彼はいつものように話しかける。
うわぁ。ただのジョギングだと思ってたから、あたしインカム持ってきてないよ!
インカムに向かって話しかけているってことは相手はイチかカイリなんだろうけど、おねーさんを呼んでいたことと言い、もしかして近くにいるの?
車のヘッドライトが当たっている範囲外は、すでに夜の闇が降りていて視界が悪い。あんまりキョロキョロできないこの状況で、どこからともなくカイリの声がこだまする。
「ハッハァー! 待たせたなっ!」
……いや、待ってない。
待ってたけど、待ってない。
音すら立ててヒュっと凍えた辺りの空気に、この場にいるの大人たちの顔つきがイラついたのがはっきりとわかった。
正面を見る左側くんの顎が少し上がり、瞳が鋭さを増すと、左手が慈しむように右手を包むサポーターに触れた。
その先には、ヘッドライトの光の束から少し外れたブロック塀の上で、黒いツナギが影に紛れる仁王立ちのカイリ。
「ヘイ、ガイ。右手の調子はいかがかな?」
それに気がついたカイリが一丁前に煽り文句を口にした。
「ふざけんのもいい加減にしな」
あのね、おねーさん。イラ立つのもわかるけど、カイリはどこまでも正気で本気です。
「一緒にしないで欲しい」
「全くな」
あたしのつぶやきに応えてくれるのは、もちろんツナギ姿のイチの声。
音もなく、いつの間にか黒いバンの屋根で踵を浮かせ、腰を落として座っている。
イチの用事。先回りか。
お出かけ前にジュニアと交わした会話が蘇り、こんな時なのに自然と口元が緩む。
うん。空気の流れが変わった。格段に息がしやすくなった。
外の暗闇と薄暗い戦場が気になっていたはずなのに、今はこの光の中がどこよりも強く輝いて頼もしく感じる。
細く呼吸を整えて、あたしは辺りに目を配らせた。
左側くんの正面にカイリ。
敷地内に居るおねーさんを照らすように、ヘッドライトを輝かせるバン。
その横に立つキャリーバックの男は、忌々しそうな目でイチと睨み合う。
そうだよね。カイリはもちろん、イチも女の人との戦闘は性格的に向かない。ここはいい意味で男女平等を掲げるジュニアで行きたい。
そうしたら、あたしは。
視線は、1番奥にいるおねーさんからジュニアへ。
あたしと目が合うと、にこりと笑ってくれる。
うん。大丈夫。
おねーさんに向かい戦闘態勢を見せたジュニアに続くように彼を追って走り出すと、地面を蹴る音を合図にしたかのように時間が動き始めた。
視界の隅に、塀から身を躍らせるカイリを確認して、あたしの視線はおねーさんの少し奥へ。
バンの屋根から降りるイチの姿が車の向こう側に掻き消えた。
「随分と舐めた真似してくれる。ガキが、大人に逆らって生きていられると思うなよ」
形勢逆転。とまでは言わないけど、場の空気はだいぶあたし達に追い風を感じる。
それがわかっているからだろうけど、おねーさんの口調にも今までの勢いが感じられない。
「初めて会った時にも言ったけど。
僕達、結構強いよ」
いつもの笑顔を見せるジュニアに、おねーさんの視線が動く。
ジュニアの速さは承知の上、更に助っ人がいるこの状況。打開したいにも、頼みの男性陣はそれぞれイチとカイリが相手をしている。
「全員いっぺんに引っ張り出せて良かったよ。『M』と敵対していたのもある意味運の尽きだったねー」
M?
ジュニアの言葉にびっくりしたのはあたしだけじゃなかったみたい。おねーさんも大きく瞳を開くと、ヘッドライトを照らし、エンジンがかかったままのバンを振り返った。
それと同時に、ジュニアがインカムを2回コツコツと叩いて声を張る。
「そうそう。お気遣いなく。僕たちはただの時間稼ぎだから」
車を使って逃走されないように、あたしはジリジリとそちら側へ回り込む。
それに気がついたおねーさんが地面を蹴った時、辺りの暗闇を割いていくつものライトが光を放つ。
『警察だ。一連の拉致、誘拐の容疑で任意同行を願いたい』
眩しさに瞳を伏せていても、拡張器を通した聞き覚えのある巽さんの声に、おねーさんの足が止まった。




