77。切り札だもんね
真後ろに急に現れたように感じた気配に、あたしは慌てて身体を前方に押し出すと同時に振り返った。
そこに居たのは、あたしを捕まえようとしたのか少し身をかがめた鋭い眼光の持ち主。
左側くんっ。
「ありゃりゃ。誰だ、負傷したからしばらく出てこないだろう。なんていったのは」
これ以上ないくらいに嫌そうに顔をしかめたジュニアは、左側くんとおねーさんにそれぞれ半身を向けるように、しなやかに位置をとる。
うん。カイリが骨折させたかもしれないって言っていたのは、右手だったはずだから。
思い返して視線を送った右手は、確かにギブスをつけているようないびつな盛り上がりを黒いサポーターが覆っている。あたしも体勢を整えると視界の隅にジュニアが入るように移動しつつ、左側くん向かって構えをとった。
舌打ちをして、あたしを捕まえ損ねた苛立ちを全面に押し出しまくっている左側くんは、その猛禽類のような視線でジュニアを捉える。
言葉は発さなくても、もうむちゃくちゃジュニアのことが嫌いな空気がもりもり感じられて、なんかあたしまで胃が痛い。
「あは。僕 嫌われてるぅ」
ジュニア。わかってるなら煽らないで。
とは言え、その瞳は予断を持たずに鋭く両方向を警戒してくれていて、頼もしい。
距離的にはあたし×左側くん、ジュニア×おねーさん。ぶっちゃけ勝てる気はもちろん、攻撃を交わせる気もしないんだけど、あたしは戦力外ってことなのか、彼の視界にはもうジュニアしか映っていない。
どう動く? ジュニアは当然味方なんだよね? 何のためにあたしに何も言わないでここに誘導したの?
聞きたいことは沢山あるけど、緊迫した空気の中では言い出せるはずもない。日の落ち始めた空に小さな街灯が反応して、辺りは薄暗いながらも一定の視野を保てているんだけど、戦闘開始するにはちょっと心許ない。
「俺の負傷の一件を承知とは、当然あっちとも仲間同士か」
黒いサポーターの上から怪我を気にするような様子を見せる左側くんに、ジュニアは にぱっといつもの笑顔を浮かべた。
「そだよ。その手がどのくらいイったのかは知らないけど、骨折なら運動は避けるべきだし、このままこっちに危害を加えるつもりなら、僕戦闘にスポーツマンシップとか持ち合わせていないから、急所ガンガン狙うからね」
笑顔の中の眼がスっと冷ややかさを増す。
むうぅ。あたし立ち位置的にすごく2人の邪魔者なんだけど、下手に動きを見せると開戦合図になりかねないし、動けない。
怪我してる左側くんとおねーさん。あたしとジュニア。正直、負けはしないと思うけど、勝てるかどうかは微妙なところ。
「それより、間宮香絵を狙ってる理由が聞けていないんだけど」
視線の重きをおねーさんに向けてジュニアが声を発したところで、低い車のエンジン音とライトの光が近づいて来る。
いいタイミング。人目が引ければ状況が変わるかも。
あたしの注意が動いたのを感じたのか、おねーさんが小さく笑った。
「ここにエミルを連れこない君に、なんでそんな話をしなくちゃいけないの? エミルを匿ったって、君たちには何の得もないし、むしろそのことで危険な目にあっているじゃないの」
エミルちゃんを匿ってる? あたしたちが? ぐみゅう。話についていけなぁい。
「そんなことないよ。エミルちゃんは切り札だもんね」
自信満々のジュニアの返答に、おねーさんの舌打ちが車のブレーキ音に重なった。
ん? 止まった。
道路から斜めにライトの光を浴びると、小さな街灯とは比べ物にならないくらいにはっきりとあたしたちの姿が浮かび上がった。
小ぶりな黒いバン!
見覚えのある車から降りてきたのは、もちろんキャリバの男。やばいー。もう手に負えなぁい。
ついジュニアを見たあたしに、いつもの笑みを返してくれるのは心強いって思っていいもの?
「とりあえず、聞きたいことはあらかた聞けたからもういいや。お待たせ」
ウェアのポケットに手を入れて、小さく緑色に光る電源にジュニアが声を掛けた。




