幕間 歪み
あの女の部屋を出て嘘で塗れた涙を拭い、廊下の陰で一息吐いた途端、頭に激痛が走った。
頭上から荒々しく髪を掴まれているらしく、さらにぐいと引き寄せるように引っ張られる。
「おい」
降ってきたのは間違えるはずのない、愛しい彼の声だった。
「どうして、ここに……」
「イルゼが死にかけたという知らせを聞いてきた」
大切な用事があると言っていたのに、あの女のために全て放り出して駆けつけたのだと思うと、腹の底から嫉妬と怒りの感情が込み上げてくる。
以前の彼なら、絶対にそんなことはしなかったのに。
「何があった? なぜイルゼがあの場所で巻き込まれた?」
「別行動をしている最中、なぜかイルゼ様が、ご自身であの店に向かわれたようで……」
騎士達から聞いた経緯と考えておいた言い訳を口にしても、彼の視線は冷ややかなまま。
「一歩間違えば、イルゼまで死んでいたのか」
「…………っ」
「お前がついていながら、そんなふざけた事態になるなんてな。何のためにイルゼの側に置いていると思っているんだ?」
「申し訳、ありません……っ」
髪を掴まれていた手を振り払われたことで、強い痛みとともに床に倒れ込む。彼とは長い付き合いだけれど、こんなにも怒っている姿は見たことがない。
それほど今はあの女を大切に思っているからこそなのだと思うと、ひどく苛立った。
(……あのまま死ねば良かったのに)
街中へ連れ出し、あのカフェへ行くよう促して、ターゲットと一緒に殺させるつもりだった。
戦闘能力もないくせに、彼への崇拝だけは異常な下っ端の人間の起こした事件に巻き込まれ、苦しんだ末に死ぬよう仕向けていたのだから。
けれどまさか猛毒を浄化して全員を救い、生き永らえるなんて誰が想像できただろうか。自白剤を飲ませられたのも予想外で、何か余計なことを言わないかと気がかりだった。
「裏切ったのか」
そんな私の心のうちを見透かしたように、冷ややかな目で見下ろされる。
それでも私は「まさか」と微笑み、彼を見上げた。
「あなた方が作ってくださった居場所なのに、最も救われた私が裏切るはずなどありません」
「…………」
「あの子だって、あなたを崇拝しているからこそ、イルゼ様の行動が許せずに自白剤を飲ませて真実を聞こうとしたのでしょう。この組織にあなたを裏切る人間など存在しません」
「……だといいがな」
納得した様子はなかったものの、この場でこれ以上の追及はされないようだった。
これまでずっと奴隷のように付き従ってきた実績があるからこそ、この程度で済んだのだろう。
「可哀想なイルゼ、さぞ怖くて辛い思いをしたはずだ」
けれど疑り深い彼は、裏で調査を進めるはず。利用した人間は全て殺し、私が仕組んだことは絶対に隠し通さなければ。
「やはり俺がかわいいイルゼを守ってやらないとな。──リタもそう思うだろう?」
「はい。私もできる限りのことをさせていただきます」
私の返事に満足したらしいナイル様はそう言って、片側の口角を綺麗に上げた。




