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王宮に滞在することになったあたしに、王宮の使用人たちはそっけない。あたしが王女を馬鹿にしたからで、それは多分、自業自得ってやつなんだと思う。
それでも王宮の使用人たちはあたしの世話に手を抜くようなことはなくて、態度も丁寧だ。クロフネ座として来た時より、丁寧なくらい。
ただ笑顔一つ見せてくれなくて、用がない限りは話しかけてくれないだけで。貴族に至ってはあたしと話すときだけ表情が無になる。彼らは怒ると表情を失うらしい。
それでも、あたしを何かと気にして話しかけてくる人間が一人だけいる。
今日も彼女はにこにことあたしに話しかけた。その後ろに控えている貴族様は安定の無表情だけど。
「歌姫、不自由はないか?」
「……大変良くしていただいてますわ」
「当たり前です。あなたはメメリ殿下の客人なのですから。殿下の客人に無礼を働く不心得者など王宮にはいいません」
今、あたしのことを一番心配して気にかけてくれているのがこの王女だということは、もう認めるしかなかった。
この国に留まるクロフネ座とともに出ていくかを決めるためにも、この国に留まるとしたらどうやって生活することになるのかを知った方がいいだろうと、王女はあたしに教師を付けた。
商人の出であるその教師たちによって、あたしは少しずつこの国の知識を身に付けている。それはこの国にあるらしい学校で習うようなしっかりした知識というよりは、どう生きていくかを選ぶための知識だから、とても偏ってはいるのだろうけれど。
でも、もししっかり学びたいのなら、そのための道もあるとも教えてもらった。
「この国はとても、豊かですのね」
学んで思ったのはそういうこと。
あたしがこの国に留まりたいと思ったなら、あたしの望みに合わせて国から援助がでる。選ぶ道にもよるけれど、どんな道を選ぼうとも最低でも1年は働かなくても生活に困らないだけのお金が貰える。
それだけ豊かで余裕があるってことだ。
「この地には、地の民の守護がございますので」
お貴族様、宰相の息子だとかいうヴィクトル様が、抑揚のない声でそう言った。そんな地の民の一人であるメメリ王女を馬鹿にしたことを責めているんだろうか。
あたしにはこの国で暮らす資格はないって言われてるみたい。
「貴族が法制を管理し、商人が流通を担い、騎士が治安を守り、とまあ、地の民だけで成り立つわけも無い。現状のところ色々なものが上手く噛みあっているが故の恩恵だな」
王女が朗らかに笑いながらそう言った。
色々な国を巡る中で、ルネがよく言っていた。
『王というものはその血に意味づけをするものなのです。神に選ばれたやら、英雄の血を継ぐやら、あたかもその身に流れる血が特別で尊く力あるものであるかのように。
果たしてそのうちのどれほどが本物であるのやら』
多分きっと、地の民とやらをやたらと持ち上げるのはそんな意味づけなんだろう。
それをこの国の人がどれだけ信じているかはわからない……いや、多分、ほとんどの人間が信じているんだろう。
特に、貴族は地の民に対して信仰心に近いものを抱いているんだと思う。王宮に滞在するようになってから貴族を観察してきて、あたしはそう悟ったのだ。
人を観察する目を、あたしはルネから教わった。そのあたしが気付いたことに、ルネが気付かなかったわけがない。
ルネはわかっていてあたしにあの歌を歌わせたんだ。
そしてあたしは、ちゃんとあたしの目でこの国の人たちを見ていればあの歌を歌うのがダメだって気付いたはずだったのだ。何も考えずにルネに従っていたから、あたしが馬鹿だったから、こうなった。
王宮に滞在し始めてから数日経つけれど、クロフネ座のみんなとは一度も会っていない。ルネや団長から話したいというメッセージは、来訪者カードを通じて貰っているけれど、実際に会うかどうかはあたしが選べることになっている。
あたしはずっと、ルネに会う勇気が持てなくて断っていた。
このままクロフネ座についていってこの国を出るより、生きていくことができそうなこの国に留まった方がきっといい。だけど、農民のはず人たちを「地の民」だなんて呼んで崇めるこの国にあたしは馴染めるんだろうか。
生きるためには、そんなこと言っていられる状況じゃない。だけど、同じ感覚を持つ人がいないこの国で生きることは、きっと寂しい。
娼館に居た頃は娼婦の姐さんたちや同じ立場の子らがいた。クロフネ座に入ってからはルネやカリムがいた。なんだかんだ言って、あたしは一人になったことなんてなかった。
この国で生きるのなら、あたしは一人だ。王女を馬鹿にしたあたしを誰もが避ける。例外は王女だけれど、王女はあたしの今後を心配しているだけで、あたしに好意をもっているわけでもなんでもない。
クロフネ座に入って歌を身に付けて、強くなったつもりでいたあたしは、結局こんなにも弱い。ルネの後ろに隠れて粋がっていただけ。人の皮をかぶって強くなったつもりになっただけ。
「この国を支える地の民を貶めたわたくしは、この国に受け入れられるのでしょうか?」
あたしの問いに、王女は笑う。
「受け入れるとも。私が受け入れているのだから」
「……ええ、地の民の王女が受け入れるのならば、この土地があなたを拒む理由はありません」
貴族様は随分嫌そうだったけれど、それでも王女を肯定する。
でもそう、嫌そう、なのだ。
「それでも、人の心はわたくしを拒むのではありませんか?」
「誕生会でのことは高々一回の失敗だ。それに歌姫、十四歳だったか? 少なくともこの国の基準ではまだまだ子供だ。時が経てば気にする人も減るだろう。……貴族は少しばかり粘着質なので尾を引くかもしれんが」
「……権力者に嫌われて、それでも問題ない、ですか?」
「歌姫の心情として問題なくはないだろうが、実害は無いだろうな。地の民が受け入れた人間を貴族が個人的な感情で害すことはまずない」
「殿下の仰る通りです。いかに気に食わなかろうが、あなたが法を犯さない限り、地の民に拒絶されない限り、我々が害すことはありません」
きっぱりとした肯定は逆に気持ち悪い。どうして貴族たちは、どう見ても凡庸な地の民をこうまで敬うんだろう。
信仰と洗脳は紙一重ってルネが言っていた言葉を思い出すと、ぞっとしてしまう。
あたしは本当に、こんな国でやっていけるの?
ルネなら、何て言うだろう?
あたしは唇を噛んだ。ルネに騙されて、捨てられて、それなのにあたしはずっとルネの言葉ばかり考えている。どこまでもルネだったら、ってばかり。
だって今のあたしの殆どはルネに教わったことでできている。ずっとルネの言う通りにすればよかった。
ずっとルネは、自分で考えなさいって言ってたのに。あたしは一度だって、自分で考えて何か決めようとしたことがあった?
そんなルネは今もずっとこの国にとどめられている。あたしが決められないから。あたしが怖がりだから。あたしが馬鹿だったから。
反省して今度はちゃんとする、ってルネに縋れば、ルネはまたあたしを導いてくれる? ルネだったら団長だって説得できる。前みたいに優しく笑ってくれれば……
その優しい笑顔のままで、人を騙して捨てることができる人なんだって、もう知ってるのに? あたしはまだルネに縋りたいの?
「わたくしはまだ、決められなくて……ルネに……ルネと、話そうと思います」
「ルネというのはリュート弾きだな。向こうからも歌姫と話したいという申請が来ていたので可能だろう。一人で大丈夫か?」
「はい……わたくしは、一人でルネと向き合わないと」
そうじゃないと、きっと決別できないから。




