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え、何にキレてんの?
いきなり叫んだ歌姫にちょっと引く。余計なお世話って言いたい? でも自分でどうにかできる感じじゃ無かったよね。倒れたよね。多分、気持ちの上で追い詰められたとかそういうやつで。
歌姫はメメを睨んでるけど、今一番、歌姫のこと気にかけてんのメメだよ?
「優しくされてキレるって意味わかんないんだけど」
口から出た言葉は思った以上に刺々しくなった。歌姫がビクリと身を竦める。
このくらいでビビるなら何で噛みつくわけ?
「エイミー、私は優しくするというより、気になるが故に差し出口をきいているだけだぞ? そもそもこれで傷つくほど繊細ではない」
「メメが傷ついたかどうかの問題じゃないの。歌姫の態度が気に食わないっていう問題」
「む……歌姫も今は精神的に不安定だろうし、喧嘩は後に回してくれないだろうか? ヴィクトルに加えてエイミーまで敵意を剥き出しにするのはどうかと……」
「あんたがそうやって怒りもしないからこういう奴が調子にのるんでしょーが!」
メメはわたしの言葉に苦笑するだけだけど、ヴィクトル様は違った。
「自分のことを棚に上げて、よくもまあ言ったものだ」
「はあ? わたしは舐めたことされたらちゃんと怒ります!」
「殿下への態度のことだ。殿下の友人だからといってつけ上がるな」
「友だちとの付き合いに部外者が口挟まないでくれせん!?」
ヴィクトル様とこういう話をするのは初めてじゃない。毎回、最終的にはメメが「私がそうして欲しいと望んでいるんだ」って言っておさめる。のに、こうやって文句付けてくるのってどういう事なの?
いや、絡まれるようになったのはここ2、3年……ヴィクトル様とメメの間が少しぎこちなくなってからだ。だから多分だけど理由は……
「羨ましいんだったら自分だってそうすりゃいいじゃないですか!」
「──っ! 誰が羨ましいなどと言った!!」
その後は普通にケンカになった。
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「あれ、放っておいて大丈夫なんですの……?」
貴族と平民ってあんなケンカしていいものなの?
二人の勢いに気圧されるあたしの手を引いて、王女は道の端に寄った。
「大丈夫だ。あの二人の喧嘩はそこまで珍しい事じゃない」
「でも、あなたがケンカの理由でしょう」
なのに、王女は他人事みたいな顔だ。
「ヴィクトルは私本人には不満を言わん。だからエイミーとの喧嘩もいい発散になるだろう」
言ってくれればいいのにな、と王女は少し寂しげに呟いた。
でも次の瞬間にはニコリとあたしに笑いかける。
「さて、歌姫を気にかける理由だが」
「あの、それは……もう……」
あたしだって、ああやって怒った事が無礼どころの話じゃない事は分かる。
昨日の事でクロフネ座を追い出されて、またあんな事を言ったあたしが馬鹿なんだってことも。
もういい、と言おうとしたあたしを遮って、王女が指をあたしの口の前に翳した。
「歌姫がやった事とその結果がつり合っていない事と、その原因が私にもある事を申し訳なく思うからだ」
「つり合って、ない?」
王族を侮辱した事と、クロフネ座を追い出された事。
どちらがどちらに、つり合ってないっていうんだろう。
でも、そう、あたしの故国なら、処刑されたっておかしくない。
血の気が引きそうになったけど、王女は全く逆の事を言った。
「歌姫は、この先どうやって生きればいいのかにすら困る状況に立たされているだろう? たかが一度の歌で」
「お、王族を馬鹿にしたのですもの。処刑されなかっただけでも温情ではありませんの?」
「うん? 歌姫の感覚はそちらなのだな」
王女は「それであの歌を歌うとは、凄い度胸だな」と苦笑いでいうと、エイミーとかいう商人の子にちらりと視線を送る。
「その理屈だと、エイミーも危ういな」
確かにあの子の態度も随分なものだけど。
「歌姫も、もちろんエイミーも、この国の法では何の罪もない。
確かにまあ、場を弁えぬ行いは顰蹙を買う。しかしそれを理由に生活を脅かすほど追い詰めてしまうようではそちらの方が法に触れる。
今この国の法を犯しているのは歌姫では無くクロフネ座だ。
それに場合によっては私も罪に問われるかもしれない。王族の発言をクロフネ座がどう捉えるかを考慮せずに歌姫を責めるような事を言ったからな」
責めるって、選曲が残念だとか、もっとこの国を知れだとかの言葉のこと? 怒るでもなく言われたあんな言葉より、貴族たちの目の方がよほど怖かったのに。
貴族のような威圧感がこれっぽっちもない王女は、あたしに笑いかけた。
「だから私の保身の為にも、私の助力を受け入れて貰えると助かる」
身分もない異国人のあたしを理由に王女が罰を受けるはずない。そう思ってもよく分からなくなる。
だってあたしは知らない。この国のことを、全然。
それだけじゃない。今までクロフネ座のみんなと行った国のこと、あたしはどれだけ分かってたんだろう?
色々な国に行く中で、みんなそこがどんな国か、どう振舞えばいいのか、いつも意識してた。
あたしもたくさん、教わった。言葉から始まって、してはいけない仕草、好かれる仕草、目線の向け方、身分の見分け方、身分別の作法。
ルネが、教えてくれた。
ルネの言うことを聞いてればいいって、そう思ってたのに。
「わたくしは、クロフネ座に捨てられたのです。故国でわたくしを助けてくれたクロフネ座に」
ルネに、誰より信じてたルネに、捨てられた。
「それなのに、あなたを信じろと言いますの?」
目が熱い。ああ、涙が。
きっと今あたしは、みっともない顔をしている。
生まれながらに幸福な王女にこんな顔を晒すなんて。
身に付けたと思ってた力は蜃気楼みたいなもので、一人になればどうすればいいかも分からない。
なんて惨めで、ちっぽけなんだろう。
「うん、やはりクロフネ座は気にかかるよな」
王女は泣くあたしを前に一人頷いている。
焦りもしないのにはむっとするけれど、慰められるよりずっといい。
「なあ歌姫、歌姫が決断しない限り、クロフネ座は王都を出られない」
「え?」
王女は魔道具らしき板のような物を指先で弄りだした。
「ああ、やはり通知が来ているな。東門で留めているそうだ」
「クロフネ座が? どうして……?」
「言っただろう? クロフネ座は歌姫を捨てられない、と。同行者が揃っていない場合、移動を制限されるんだ。歌姫の来訪者カードに通知は来てないか?」
言われてカードを取り出すけれど、信じられない。
だってそれじゃあ、このカードも魔道具みたいじゃない。入国者全員に魔道具を渡すって、そんなことできるの? 魔道具って高価なものじゃないの?
でも取り出したカードには確かに何か光る文字のようなものが浮いていた。
「あ、やはり来てるな。何と?」
「よ、読めませんわ……」
「? カードの説明は入国時にあった筈なんだが……その光に触れれば、念話で通知が確認できるぞ」
言われて光に触れれば、頭の中に声が響いた。どうしてか、故国の言葉で。
『団体名:クロフネ座が、王都東門より出立を希望しています。速やかな合流を推奨します』
合流。クロフネ座に。
捨てられたのに?
内容を王女に伝えたら、王女はまた頷いた。
「まあ、そう来るよな。さっき言ったように決定権は歌姫にある。クロフネ座と合流して王都を出るか、クロフネ座と離れてこの国に身を置くか」
どうすればいい?
いつも導いてくれたルネはいない。
でもまた一緒にいられる?
違う、だってもう、捨てられた。
どうすれば……
頭がぐるぐるする。
景色が、ぐらぐらする。
気持ち悪い……
「歌姫」
王女の声と額に触れた指先に、気分の悪さが一気に引いた。汗をかいたのか、余韻のように肌がひんやりしている。
王女の指先がゆっくりと離れた。
今のは一体、何だったんだろう。
「すまない。決断を急かさない方が良さそうだな。
ヴィクトル、歌姫とクロフネ座の滞在を手配できるか?」
いつの間にかケンカを終えていたらしい貴族様が、優雅に頭を下げた。
「かしこまりました」




