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「この国が来訪者に課している決まりを知っているか?」
堅苦しい話し方に不似合いな間延びしたリズムで、王女が問いかけて来た。
あたしがどんなに睨んでも、気にもしない笑顔。
イライラする。
昨日の誕生会ではもっと柔らかい口調だったと思うけど、こっちが普段の喋り方みたいだ。
「カードなら持っていましてよ」
来訪者カードとかいうカードなら、団長から渡された。失くしてはいけないって言われたもの。今もちゃんと持っている。
「うむ、そのカードは国内での身分証明になるから持っているとよい。再発行もできるが、手続きが面倒だからな」
あたしの体調に問題は無いとかで、あたしは病院から追い出された。
人が多いと、王女が次から次へと話しかけられるから、人気がない方へと移動していっている。
このあたりには、貴族の屋敷が立ち並んでいるけれど、少し怖くなるくらいに静かだ。
「来訪者カード以外にもいくつか決め事があるんだが、団体で入国した者たちならではの規則があってな」
ここで王女は手に持ったスープのカップに口を付けた。
おんなじ物が、あたしの手の中にもある。
ここに来るまでに王女が店に寄って、あたしに与えたスープ。
当たり前のように、渡されたコップ。
使い捨ての軽いコップに、大した量でもないスープが、なんだか重い。
「クロフネ座も?」
「ああ、とは言っても殆どが代表者に対する規則だが」
ここで王女はどうしてか得意そうな顔になった。
「入国の際に団体の代表者として登録した者はな、出国までメンバー全員に対して責任を負う必要があるのだ」
商人の娘、エイミーが呆れて言った。
「あんたの説明はクドいっての。『国の決まりで、クロフネ座は歌姫を捨てられない』の一言で済む話でしょーが」
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実のところ、この国は土地も建国の経緯も少々特殊だ。
かつてここは栄えた魔導大国が引き起こした事故によって、人の住めない土地に成り果てた土地。
そして、そのために重罪人のための流刑地であった土地だ。
私たちの祖先は、罪人であったとも、土地を回復させるための研究者であったとも、罪人のために祈る殉教者であったとも言われている。
何分その時代の記録はさして残っていないので、真実は定かではない。
まあ個人的には、研究者の線は薄いと思っている。何せ、私の知る研究者は正確な記録を残すことに大層拘る。まともな記録が残っていない時点で押して知るべし、というものだ。
今のこの国は実り豊かな国だが、魔導大国の事故が付けた傷が癒えているわけではない。人の住めぬ土地になる危険は、常にこの土地に付き纏っている。
この土地と共に生きる私たちにとってはかけがえのない魂の在処だが、他所者からすれば危険地帯と言える。
そういった事情もあり、この国には他国からの来訪者が極端に少ない。他国からの来訪者はほとんどが「訳あり」だ。
流刑地であった歴史のためか、厄介者の捨て所として使われていた時代もある。
基本的に、望んでこの国に定住する者を拒みはしないが、望まずこの地にいる者は扱いに困る。
なので、来訪者、特に団体での入国に対しては少々神経質なのだ。
ここに住みたいとも思っていない人間を捨てて行くのは禁止である。連れて来た者は責任を持って連れ帰って頂きたい。
しかし、当人がこの国に住う事を望むのであれば、その限りではない。
「選択する権利は歌姫にある。この国に残るか、クロフネ座と共に出国するか」
そう告げれば、歌姫はその大きな目でじっと私を見つめた。
蠱惑的な容貌は成熟した女性のように見えるが、唇を引きむすんだ表情には稚さが滲む。
歳は聞いてはみたものの答えては貰えず、未だ彼女の年頃は分からない。
来訪者管理局に問い合わせれば分かるだろうが、本人が答えなかった事柄をそうやって知るのはよろしくないだろう。
でも私の中では、彼女は幼いのだという認識が固まりつつある。
捨てられ、一人ぼっちで途方にくれた子ども。
「まあ、この国出たらクロフネ座の自由だけど。クロフネ座、次はどこ行くの?」
「メロリアス、と聞いていますわ」
隣国の名から記憶を探る。メロリアスの法では、確か……
「メロリアスなら、国民権を購入すれば定住できる、筈だ」
「メロリアスの一般市民が5年働いて稼ぐほどの額が必要ですが」
「歌姫、持ち合わせは如何程だ?」
「持っている、もの?」
歌姫が戸惑ったように手に持つスープに目をやる。
スープの代金を請求されると思ったのだろうか。そんなつもりはないのだが。
ここでエイミーが小首を傾げた。
「『持ち合わせ』って通じてないんじゃない? ねえ歌姫、あんたお金もってんの?」
ああ、そうか、彼女は遠い異国から来たのだった。余りに流暢に話すのでうっかりしてしまう。
「お金、今は、ありませんわ」
遠い異国からこれまで一緒に旅してきたであろう彼女を、無一文で放り出すとは。彼女が稼いだ金もあっただろうに。クロフネ座も酷な事をする。
芸を楽しませて貰った身ではあるが、現状、彼らに対する心証は悪いと言わざるを得ない。
「ならば、メロリアスで生計を立てるのは難しいかもしれんな……。
歌姫のように身についた技能があればやっていけるか?」
後半はヴィクトルに向けて聞く。ヴィクトルは一時期メロリアスに留学していたので、向こうの事に詳しい。
ヴィクトルは冷ややかな声で言った。
「さあどうでしょう。物珍しさから一時は稼げるでしょうが」
珍しさ以外の価値はない、と言わんばかりのヴィクトルの口調に歌姫が目を伏せた。歯を食いしばっているのか、顎に皺が寄っている。
歌に誇りを持っているのだろう。そんな彼女にとって、ヴィクトルの言葉はきっと悔しい。
「貴族から評価されていたのだから実力は確かだろう?」
美に拘る貴族たちが美しいと言っていたのだ。歌唱力が無いとは思えない。
「実力が有れば成功するとも限らないのが芸の道です。特に他所者が芸で身を立てるのでしたら、有力者の後見は必須でしょう」
そう言われると、確かに後世になってから評価を得た芸術家も多い。
「となると歌姫がこの国を出るなら、メロリアスで後見人を得るのが良いということか」
「この国で王族を嘲るような愚か者にそれができるとも思えませんが」
「ヴィクトル、もう少し客観的な意見が欲しいのだが」
「……伝手も何もない一人の異国人が、そう簡単に後見を得られるとは思いません。まず有力者の目にとまるのが難しいかと」
「そうか……となると、少なくとも生きるにはこの国に留まった方がよいかもしれんな。
少なくとも1年は生活支援がある上、希望すれば職業訓練なども可能だ。昨日のほとぼりが冷めれば貴族にも歌姫を支援する者が現れると思うぞ」
歌姫に笑いかければ、どういうわけか泣きそうな目で睨まれた。
「……して」
震える声が聞き取れず「ん?」と首を傾げる。歌姫が叫ぶように言った。
「どうして!! わたくしの未来など心配しますの!!」




