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あの歌を歌うことを、最初に言い出したのはあたしじゃなかった。
なのに、なのに……
「我々のような根無し草はどの国にも属さぬ自由の代わりに、どの国からも守られることがない」
団長が言う。
かつて、付いてくるかと優しく笑った顔を、険しく歪めて。
「その分、賢くあらねばならんのだ。一人の愚か者が、皆の身を危うくする」
──愚か者は、連れて行けない
そう言われて、あたしは置いていかれた。
あの歌を歌ったら? と言いだしたのはリュート弾きのルネ。
じゃあ俺が演奏しよう、と笑ったのは一緒にクロフネ座に入った同郷のカリム。
なのに、置いていかれたのは、あたし一人だった。
───────
広場には音が溢れていた。
知らない楽器も知ってる楽器も、てんでバラバラに、でも陽気に、音を撒き散らす。調子っぱずれな歌と正しいメロディが混ざってずれて、また混ざる。
全部が全部、祭りの空気を創り出して、浮かれて騒いで楽しんで。
でも一つの歌を、曲を、ちゃんと聴いてるヤツなんていやしない。
奏でる方も、聴く方もただ祭りの一欠片になることに満足するばかり。
でも、あたしの歌なら。
きっとあたしの歌なら、どんな音よりこの広場に響くだろう。
賑やかしなんかじゃない、一心に聴き入るだけの歌を、あたしなら……
だから、ほら
顔を上げて
背筋を伸ばして
息を吸って
歌を
声、を……
「…………ぁ……っ……」
吐き出そうとした息が喉に痞えた。
足も、手も、みっともなく震えてる。
ううん、違う、あたしは、もっとずっと強いはず。
この身ひとつ、この喉ひとつ、あれば何だってできる。
そんな強さを手に入れた。
そのはずなのに
ざわざわ、ざわざわ、人の声
たのしそうな、ひとのこえ
あたしだけが、ひとりぼっち
どうすればいい?
歌さえあれば、
でも声が、
王女が、この国を知れって
そんなの知らない
こんな国、しらない
空気が、うすい
いきを、すっても、すっても、くるしい
もう、どうやって、いきをしたらいいのかも……
「✳︎✳︎、✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎?」
だれかの、こえ
せなかに、てのひらの、やさしいぬくもり
いきが……
たすけて
───────
「ねえ、大丈夫?」
声かけも虚しく、歌姫はどうやら気絶したらしい。
さて、どうしたもんか。
こいつの事は気に食わないけど、目の前で弱ってる様子を見せられると、どうにも困ってしまう。
しかも、こいつに真っ向から馬鹿にされた幼馴染はといえば、「困っていたら、少しでも助けてあげてくれないか?」なんて簡単に言ってくるし。
あの事なかれ主義者め。
昨夜の王宮で歌姫が王女を侮辱したって話は、まあ、既にそれなりに知られた話になってる。特にうちみたいに王家とも商売してる商家はそういう情報には通じてないとだし。
でも、当の王家がクロフネ座をとっちめたい何て思うはずもないってのも分かりきったことで、下町まで話が広がる事は無かった……のに……
クロフネ座がよりによって広場で、馬鹿の切り捨て一寸劇を繰り広げやがったから!
何をやったかは語られなくても、歌姫が何かやらかした事はわかる。
そしてクロフネ座が王女の誕生パーティーに呼ばれてたことはみんな知ってる。
と、なれば、まあ、ほとんどの人は何があったか想像できるってもんでしょ?
王女の誕生日を祝う祭りでそんな人の歌、聴きたいって思う?
そんな人の歌にお金払いたいって、思う?
思わないでしょ?
まあそんな訳で、いまの歌姫が歌で稼ぐのはちょいと難しい。
それ以前に歌えなかったみたいだけど。
こいつが追い詰められてるのも、正直、自業自得じゃない? って思うんだよね。
かといって、ざまあみろって程こいつが憎ったらしいかっていうと、そうでもない。普通に嫌いだけど、あんまり酷い目に合うのも可哀想っていうか、寝覚めが悪いっていうか。
だって、特別自分に損も出さずに差し伸べられる手があるときにさ、苦しんでる人を放置するのって、それはもう立派な悪意でしょ?
さて、苦しそうにしてたのも気絶も、体より心の問題だと思うけど、一応はまず医者を呼ぶべきかな?
と、魔術通信の端末を起動したら、すっと画面の前に手が差し込まれた。
ギョッとして、ついでにちょっとムッとする。用があるなら声をかけりゃいいところを、手で邪魔をするってどういう了見なんだ。
やけに綺麗なその手を辿って顔を上げれば、異常なまでに綺麗な顔が目に入った。
黒から毛先に向かって色が抜けていく黒銀の髪。光の加減で青や紫を帯びるグレーの瞳。
貴族の中でも最高峰の美貌だ。下町の風景との違和感が半端ない。
宰相子息、ヴィクトル・イルセイア。
いや、ちょっと待って?
何でここにいんの!
わたしの混乱を気にもせず、麗しいお貴族様は口を開く。
「誰に連絡をするつもりだ」
え、何? 怖いんだけど。
いやいや、何でわたし、威圧かけられてんの?
「い、医者ですけど……」
このお方と話すのは初めてではない。てかまあ、実家が王家にご贔屓頂いてる関係で、平民にしちゃよく話してる方だ。
なのに全然慣れないのはどうしてなんだろうね。ただでさえ緊張すんのに、こうも不機嫌にされるとホント怖い。
「医者……ね」
そう言いながら、ヴィクトル様は地べたにぶっ倒れてる歌姫を冷ややかに見た。
その目が言葉よりも雄弁に、「歌姫に医者にかかる価値はない」と語る。
医者を呼ぶなとか、実際に言われたら面倒だ。んな命令に従わなきゃいけない法はないけど、実際問題として、だってほら、あからさまに逆らうのって怖いし。
だからちょっと、話を逸らそうとしてみる。
「あー、ヴィクトル様はどうしてここに?」
貴族なお方は道端の石ころを見るような目を向けて来たけど、案外に素直に答えてくれた。
「王女殿下がこちらにいらっしゃる前に、害となるものを除きに来たのだ」
なるほど、そうですか、と相づちを打ちつつも、大分シラっとした気分になった。
だって、さあ。
害となる、って、ねえ?
かのお方の目線は歌姫に。今すぐにでも「除き」たいと言わんばかりだ。
だけど、歌姫が害ってさ、ぶっ倒れてる人に向けて何言ってんだこいつって感じ。例え目を覚ましてたとしたってさ、単にイヤな奴ってだけでしょ。
ここに来た王女が歌姫と話すも話さないも、傷つくも傷つかないも、本人の自由じゃない?
過保護っていうか、余計なお世話っていうか。
貴族に喧嘩売りたくは無いけどさ。
「わたし、メメに『歌姫が困ってたら助けてあげて』って頼まれてるんですけど」
彫像みたいに冷ややかな顔がわたしを見下ろす。表情が抜け落ちた顔は本気で不愉快なときの顔だってことは知ってる。
このお方はさ、わたしはメメリ王女殿下をメメって呼ぶ事自体がまず気に食わないんだよね。
だけどメメ本人がそう呼んでって言ってるから文句も言えないってわけ。
貴族のお怒りはホント、怖いんだけどさ。
王女に頼まれたのは事実だし、これくらいチクっとやってもいいよね?




