プロローグ1
貴族は宝石
騎士は鋼鉄
商人は黄金
されど彼らが頂に掲げる王は土塊
初めてその歌を私に聞かせたのは、商人の娘エイミーだった。
宝石も鋼鉄も黄金も、それまでに読み聞かせてもらった物語の中に出てきていたから、なんとなく意味を知っていた。
キラキラしてきれいなもの。
かたくてつよいもの。
みんながほしがるもの。
そんな程度の理解だったけれど。
でもひとつだけ分からなかった。
だから聞いたのだ。
「つちくれってなあに?」
私の質問にエイミーは下を指差した。
「つちのことよ」
「つちってこのつち?」
手のひらに土を掬って首を傾げた私に、エイミーは頷いた。
「そうよ」
それからキュッと眉をひそめて言った。
「あとでおててあらおうね」
─────────
と、そんなことを思い出したのは、今まさにその歌を聞かされたからだ。
幼い頃はともかく、今ではさすがにその歌詞に含められた意味も分かっている。王、というよりこの国の王族を揶揄する歌なのだ。
問題は歌った当人がそれを分かっているかどうかだが。
歌姫は海の向こうの遠い異国から流れて来た旅芸人だという。褐色の肌の異国情緒溢れる美貌からしても、その肩書きに嘘は無いように思う。
だったら、あの歌が侮蔑だと知らなかった可能性もある。
歌い終わった後に私に向けた笑顔が些か挑発的だったのも、気のせいである可能性もある。
だって知っていたのなら、どうしてよりによって今この場でそれを歌ったのか。
この国の王女である、私の誕生日を祝うためのパーティで。
「王女殿下におかれましては、わたくしの歌は気に入って頂けたでしょうか」
歌姫が自信に満ちた笑顔で言った。
海向こうはこの国とは言語が違うと聞くけれど、彼女は流暢にこの国の言葉を話す。やや耳慣れないイントネーションだけれど、それがまた魅力的だ。
けれどのその笑顔に、隠すつもりもないととばかりに蔑みの色が混ざる。
私は随分、なめられているらしい。
そっと周りの反応を伺う。
国王は微笑んでいるようにも困っているようにも何も考えていないようにも見える絶妙な表情だ。
王太子も同じ。多分私も同じような顔をしている。どういう感情を表に出すか決めてない時によくする顔だ。
王妃はもう少しあからさまに困っている。少し怒ってもいるようだ。
問題は宰相を始めとする貴族たちだ。
無表情。
精巧な人形のように整った顔立ちの彼らが、揃いも揃って一切の表情を消した顔で舞台を見ているのだ。
怖い。歌の前に披露された踊りには惜しみなく拍手していただけに、その落差が余計に怖い。
歌姫はきっと、あの歌を聞いて貴族たちも一緒に王族を貶めると思っていたのだろう。貴族たちの反応が思っていたものと違うことに気づいたのか、顔が強張っていく。
そして異国の歌姫を紹介した座長はといえば、何の歌か分かった時点からずっと、今にも倒れそうな顔色になっている。気の毒に。まあ、彼にも座員の管理不行き届きの責はあるのだが。
しかし、この張り詰めた空気をどうしたものか。
国王に目線で助けを求めてみるが、逆に目線で諌められた。
ここは君が収めるべき場面だよ
とでも言いたいのだと思う。
このパーティの主役が私だから。そして、さっきの言葉からして歌姫が喧嘩を売ったのも私だから。
ため息を吐きたくなったけれど、今この場でそんな事をするわけにもいかない。
代わりに、表情を笑顔に切り替える。
それから、パチ、パチと気の抜けた拍手を送った。
しん、と静まり返った会場にその間抜けな音が響くと、貴族たちの無表情が一斉に私に向く。怖いぞ、その無表情。
私は声を拡大するための魔道具を起動した。歌姫と違って、私ではこの会場全体が聞き取れる声量で話すのは難しい。
「素敵な旋律でした。異国風のアレンジで、まるで初めて聞く音楽のようで」
嘘じゃない。広く歌われるこの歌は元々、覚えやすくも簡単な旋律しかない。それが元が何の歌かがはっきりわかるのに、エキゾチックで華やかな歌のようになっていた。
素直に凄いと思う。
それでも、賞賛だけで終わらせる訳にはいかないのだ。
「それだけに、選曲が残念でなりません。異国からいらしたという事情があるにせよ、もう少し我が国のことを理解した上でそこに立って頂きたかった」
少し眉尻を下げた困り顔で、でも穏やかな顔を意識して笑う。
我が王家は代々「人の良さそうな顔」と言われる、筋金入りの人畜無害顔だ。この顔で、嫌味ではなく真摯な言葉なのだと、そう受け取ってくれたら良いのだが。
美しい貴族たちと凡庸な王族が治める国。
美しさに至上の価値を置く貴族たちは、平気で「王族はの容姿は美しさに欠ける」などという。
けれども、美しくない王家でも彼らは大事にしてくれているのだ。……それが時に外から見て分かりにくいだけで。
そんな分かりにくい貴族たちの地雷を踏んでしまった歌姫も少しばかり気の毒だ。
けれど、異国の貴族相手に商売をする以上、もっと気をつけるべきだろうに。現に座長を始めマズイと青ざめた座員も多かった。
「クロフネ座の皆さま、本日はありがとうございました。異国の踊りも音楽も、本当に素晴らしかった。みなお疲れのことと思いますし、後はどうぞゆっくりしてくださいね」
クロフネ座にこれ以上芸をしろというのも酷だ。
穏便に、あくまでも穏便にご退場いただきたい。
ここでようやく国王が口を開いた。
「うん、そうだね。クラッセル卿、彼らもこの後パーティに参加するのかい?」
確かに、通常であれば、パーティに参加して貰って貴族や王族との交流を持っていただくのだが。
今回はそれも無いだろう。
現にクラッセル卿は未だに表情が戻らない顔で言った。
「いいえ、クロフネ座の方々には別室にてささやかな労いの席を設けましょう。そちらで疲れを癒していただくのがよろしいでしょう」
催事官長であるクラッセル卿は、ひとまずのところ今日のパーティの最高責任者だ。今の状況は当初の予定とは異なる筈で、催事官たちと使用人たちには負担をかけているだろう。
私がクロフネ座に終了を促したからだ。申し訳ない。
最も、私がそう口にできたのは、きっと彼ならすでに手配を進めているだろうと思ったからでもある。歌姫が歌っている最中から、クラッセル卿の目配せで催事官と使用人たちが動き出していたのが見えていたのだ。
裏ではさぞかし慌ただしいのだろうけれど、催事官たちはそれを表には出さない。あたかも最初から決まっていたかのように、1人がクロフネ座の演目の終了を告げた。
見送りの拍手も無い中クロフネ座が退場していく。
見れば当の歌姫は泣きそうな顔になっていた。見事な肢体と挑発的な媚態で、成熟した女性に見えていたけれど、もしかしたら私が思うよりも遥かに幼いのかもしれない。
クラッセル卿と国王の視線を受けて、私は笑顔を作った。
「皆さま、改めて、今日は私の誕生日を祝う会に来ていただいて本当にありがとう。せっかくの祝いの場です。どうか楽しんでくださいね!」
パーティの始まりでも似たような事を言っているのに、我ながら芸がない。でもこの葬式のようになってしまった空気をどうにかするには、私が笑うしかないのだ。
さっきのは気にしてない
誕生日を祝ってくれて嬉しい
みんなも笑って欲しい
芸が無くても、そんな気持ちが伝わればそれでいい。
いつの間に手配したのか、先程までクロフネ座が芸を披露していた舞台には楽団が座っていた。私が口を閉じたタイミングで柔らかく音楽が響き始める。
本当に、この短時間でどうやって手配したんだろう。まるでこの事態を予測していたみたいだ。
音楽の効果か、貴族たちに笑顔と歓談が戻ってきた。
良かった。本当に、良かった。後は終わりまで何事もなければいい。
安堵のため息を飲み込んで、私は笑顔を維持する。
終わりまで後どれくらいなのだろう。
靴を脱いで足をぐーっと伸ばしたい。
ドレスを脱いで緩い部屋着に着替えたい。
化粧を落として無闇に変顔したい。
きっちり結われた髪を解いてグシャグシャにかき混ぜたい。
ああ、疲れた。




