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私のこころ  作者: 2Bペンシル
第二部・3
25/26

【成人期】──悪辣──

【第二部第三章 後編】

≪第十一節 21290431≫

 数日後、通信障害は快方へと向かっていた。

 お父さんがターゲットにした攻撃者──名前はイタリアに住むアントニオ・ザッカリーニという名前だった──のPCから攻撃者たちの間に広がったワームは、設計通りネットワーク上の攻撃者に過負荷をかけたうえで、システム全体を強制的に初期化した。周防さんの方はと言うと、一体のアンドロイドを起点にUSRインダストリーのクラウドネットワークを通して拡散していったワームが、テレメトリーコマンドを送信し続けるという命令を消していった。

 そのあとザッカリーニから奪取したアドミン・コードをUSRインダストリーのサーバーに返還した。ついでに私たちが今回の事態を引き起こしたソフトウェアは、アドミン・コードの部分を消去したうえで解析結果と一緒に地球連合情報調査局(TUIRB)へ匿名で送信してある。

 ただ攻撃者のグループには二つあり、そのうちの一つはテクノリジアのサーバーからコードを奪取していたらしく、そちらの方は”Silver Bullet”という東欧系ハッカー集団が攻撃していた。お父さん曰く、すでにテクノリジアのコードは奪還されているのだろうとの事だ。

 インターネットがある程度回復したおかげで外の情報を入るようになり、電子新聞社曰く復帰した司法機関やサイバー軍が動き始めているそうだ。関わった人達が捕まるのも時間の問題だろう。

「……とりあえず、これであとは時間に任せればいいね。でも誰が仕掛けたんだろ」

 《ホール》を通していないノイズなしの声で、周防さんの声がスピーカーから流れてきた。

『分からないな。雪村君が見つけてくれた攻撃者たちは全員洗い出してみたけど、特に有名なクラッカーが居るわけでもない……大方、スクリプトキディか新参者(Newbie)だ。彼らにアドミン・コードを奪取するほどの腕は無いはずだから、誰か別の協力者がいるのは確実と言って良いと思うんだけど、それらの痕跡は見当たらなかったから資金の絡んだ匿名の依頼で動いたんだろう。だからこそ連携が希薄で、離反しやすかったんじゃないかな』

「そうだろうな……しかしこれをやって利益を得る人間、居るだろうか?」

 金銭目的だと仮定するなら、インターネットが無くなってしまえば送金はおろかサーバーへの攻撃も継続的に行えなくなるために、インターネットを落とすのは意味がない。他の目的でも──ともかくサイバー関係に関わるものなら何でもそうであり、この世界でサイバーと関係のない物なんて一つもないといっていい──インターネットを落とす意味がないのだ。仮に「我々にはインターネットを落とす技術がある」という脅しをしようものなら、関連機関総出で対応するだろうからあっという間に捕まるだろう。

 落とす意味があるとするなら、国境を超える技術(インターネット)に依存しない何かを作りだすため、というのはあまりに突拍子すぎる考えだろうか。若しくは石器時代を求める反進歩主義者か。

『うーん……僕はそういうのに詳しくないから。雪村君は何か思いつくのある?』

「そうだなあ。反科学主義者の一部はインターネットの廃絶と小規模コミュニティへの回帰を叫んでいるって聞くし、イマシニストもインターネットがなければ機械は壊れるしかないことを知っている。他にも超積極的無政府主義者の一部がインターネットからの解放を掲げている。だから、そういう連中が攻撃したとも考えられる……かな。意外と、インターネットを排除しようとする人間って言うのは多いんだよ」

『じゃあ、もしかしたら≪人間同盟≫過激派が関わっているかもしれないのか』

 お父さんはその言葉に頷いた。

「あり得る。僕ももう少し調べてみるよ」

『お願い。僕はこれからI.R.I.Sで使ってるプログラムの改変と痕跡の隠ぺいをするよ。今回、色々と”使っちゃいけない”ものも投入しちゃったから。雪村君はもっと裏付けをして欲しい』

 お父さんは見たことのないUIを持つソフトウェアを起動する。恐らくはいつもクラッキングに使っているソフトウェアなのだろう。

「そっちも頑張ってね」


 それからしばらくして、私たちは思考の袋小路に陥っていた。

 制御ソフトウェアから幾つかのことは分かってきた。実体が分かっていないハッカー集団”JINN”が以前に作製したウイルスと記述の一部が合致することから、彼らがこのソフトウェア作製に関わっている可能性があること。JINNについて調べてみても有益な情報はなく、ハッカーコミュニティでもあまり語られることがない存在であるということ。スクリプトキディ達に依頼したのはある会社だけれど、それがペーパーカンパニーということ。つまり各アンドロイド作製企業へのセキュリティホールへの攻撃やアドミン・コードの奪取などは別の人間が行ったということも分かった。

 でも一番の問題は、それ以上辿れていないということ。真の首謀者が誰なのか、一切分からないのだ。コードの受け渡しに関するサイバー上の痕跡は一切見当たらない。恐らく何らかの物理記憶媒体をそれぞれのスクリプトキディに郵送したのだろう。そうでもないとサイバー上に一切の痕跡を残さないなんてことは出来ない。

「参ったな……」

 お父さんが頭を掻く。私もため息をついて、もう一度解析で得たデータを見直してみた。しかし何十回も見たデータをじっと見つめてみても、新しい知見は全く得られそうにもない。人間らしさが一切ないコードの羅列は、まるでAIが作ったかのようだった。

 というよりもコメントの一切がない。人間が作るとどの階層がどの役割を果たしているかのコメントを入れるのが常だし、ハッカーともなるとコメントでアスキーアート(AA)を作って遊ぶこともあるのに。人間味を感じる部分が一つもないのだ。

「一体、誰がこんな事を考えたの?」

「並みの人間じゃないのは確かなんだけどな……」

 第一、普通はインターネットを落とそうと考えない。夢想家ならまだしも、ある程度勉強している人間ならインターネットを落とすことがどれだけ難しいか分かっているからだ。

 ショットガンを持った猟師が熊相手に銃を撃つかといえば、まず撃たないのと同じこと。無理難題だと分かっていることをわざわざやろうとする人はいない。

「ペーパーカンパニーの線から何とか辿ることが出来ないかな……」

 お父さんがクラッキングツールで集めた情報を見直し始める。私も全員が十代後半から二十代後半で構成されているスクリプトキディ達をもう一度洗い始めた。

 とはいえ、彼らが過ごした時期の大半は育つ子供たちが均質化されていた時代だ。共通点しかない中から、全員を犯罪と結び付けるための特徴を見つけることはあまりに難しい。

 それにスクリプトキディは疑似電脳世界(PCW)中にいる子供たちに報酬とツールを握らせるだけで『量産』できる。娯楽というのがPCWの中しかなくて刺激がなく、簡単なハッキング用ツールであれば操作できるだけの知識を基礎教養として教えている現代では、使い捨てのスクリプトキディを確保するのは容易なのだ。報酬も新しいムービーやゲームで事足りるため、得られる利益と比べればそこまで高価ではない。

「うーん……」

 流石の私たちも、PCW上における彼らの全て(5W1H)を知っているわけではない。それを知るにはそれぞれのクレジット履歴やアクションログを調べるか、彼ら本人から聞き出すしかない。

 当然ながら、そのどちらも容易にできることではないのだけれど。

「担当機関に任せてしまうしかなさそうね。私たちの今ある情報では、これ以上調べることが出来ないでしょう?」

「そうだよなあ」お父さんが椅子にもたれかかる。「スクリプトキディの情報もTUIRBに送ってあるし、あとは彼らに任せるか。リーベも疲れただろうし、ゆっくり休みなよ」

「うん、そうするね」

 私はふと、嫌な考えに思い至る。

──この事件で分かったことといえば、インターネットというライフラインを落としてまで何かを達成したい存在がいるということね……。

 書斎にある大きな窓を見る。外にはついさっき復活した政府や民間のドローンがふわふわと浮いていた。そのすべてはインターネットを介して動いている。インターネットと電力が無ければ、私たちは生活することが出来ないのだ。

 私たちは電気に生かされている炭素と珪素の塊だ。それを思い知らされてしまった。

 それを止めてでも、何かを全うしようとする存在と私たちは間違いなく敵対することになる。自分たちの目的と大多数の命を天秤にかけた時、後者は無価値だというような相手と。

 見出してしまったその未来に、私は恐怖を覚えながら、覚悟を固めた。

──また、戦わないと。


≪第十二節 21290515≫

 あれから二週間ほどして、電子新聞社の記事にインターネットが停止した原因について言及した記事と実行犯が逮捕されたという記事が掲載された。

 原因はUSRインダストリーとテクノリジアからアドミン・コードが奪われ、それを用いてアンドロイドに対して不正な命令を実行させた。その命令が何十億体という個体に命じられたため、インターネットのトラフィックが急激に増大させられ、インターネットが使用不能になった……と、私たちが知る以上のことは書いていなかった。

 原因はUSRインダストリーとテクノリジアが使用していたサーバーに存在していたセキュリティホールだった。それは過負荷が掛かると一部のセキュリティプログラムセクターが再起動して一時的に無力化されるため、その間に攻撃するという古典的なものだった。けれど、常に大量のデータをやり取りするサーバーにとっては並大抵の負荷では過負荷とならないため、セキュリティを担当しているAIもリスクとして考えていなかったという代物だった。

 というよりはシステムの設計上、この現象が起きるような過負荷が掛からないとされており、その理由はアクセスするのが各社で管理されているアンドロイドだけとされていたからだ。

 にもかかわらず問題が発生し、その間に攻撃者たちはバッファオーバーランを起こしバックドアを設置、そこからコードを盗み出した。

 なぜなら、アンドロイドどころか世間に出回っている、ありとあらゆる機器を踏み台にしたボットネットが仕掛けたDDos攻撃により、100 Zibpsを超えるアクセスを受けたからだ。それにより、アドミン・コードが奪取された。

 アドミン・コードを奪取した後は私たちが経験した通りだ。不正な命令によりアンドロイドは大量の情報を送信、インターネットは落ちた。幸いなことに、インターネットが落ちた地域では負傷者こそでたものの死者は出なかったらしい。

 尤もそれは復旧が早かったからだ。あと二日長引けば電力供給や配給に問題が生じ、死者が出ただろう。

「流石の電子新聞社もこれくらいが限界か」

 お父さんはコーヒーを飲みながら、ため息をついた。私がインターネット上の記事を探してみると、色々な組織が玉石混交に記事を書いていた。

「他のところだと色々書いてあるけれど。ABPBとかWWNとか」

 ABPBはAgent Broadcast and Press of Britishの略で、イギリスに本社をおく総合メディアだ。しかし、この時代にも関わらず政治的な力学により信憑性が低くなっているとはよく言われている。WWNはWeltweite Nachrichtenの略でドイツに本社を置く新興ニュースメディアだけれど、新興ゆえにあまり設備や組織が整っておらずPCWからのコピペだとかデマだとかを平然と放送していることもある。

 国営放送も国営放送で、今では世界連合(WU)から鞍替えしてTUとの癒着が囁かれているため、信憑性が高いのは電子新聞社だ。もちろん、一つのソースに依存する危険性は理解したうえで利用しなければならないけれど。

「どっちもあまり信憑性はないのがな……内容は?」

「えっと……ABPBは『アンノウンが実行した』って言っていて、WWNは『PCW上ではいくつもの団体が寄り集まって攻撃したという意見が優勢だ』って言っているみたい」

「WWNの方はおかしいとも言えないけど……ABPBの意見はないな。アンノウンにこんなことが出来る戦力は無いし、大義もない。アンノウンは『小さな政府』を求めるのが主流派だからね、政府を壊滅させる気はないだろう」

 私は肩をすくめた。

「TUIRBやTUのサイバー軍は状況を把握しているのかな?」

 その言葉に呼応するようにお父さんも肩をすくめた。

「どうだろうね。僕の予想だと、同じく元凶までは分かっていないと思う。もちろん僕らよりも彼らが持っている情報は多いけど、情報が多いからといって何でもかんでも分かるわけじゃない」

「そっか……」私は口をとがらせる。「お父さんの予想は?」

 お父さんが手を顎に当て、「うーん。≪人間同盟≫過激派がやった、かな」

「根拠は?」

「トパズが言っていたけど、≪人間同盟≫過激派がクラッカーを集めていたということ、これだけ大規模な攻撃を行える組織力を持つのは国家間戦争を除けばこれくらいということ、インターネットを無力化すれば機械は滅すること、が根拠」そう言って首を横に振った。「でも確証は全くないよ。インターネットが無くなって困るのは過激派も同じだからね。あくまで出来そうでかつする大義名分がある組織は、という問いについての答えだよ」

 まず、損を-1、得を+1と仮定する。

 クラッカーを雇うための資金が-1、インターネットの無力化が彼らにとって-1だ。そして≪人間同盟≫過激派の目的は機械の排除で、これを+1だとする。さらに彼らへ資金を供給する存在がおり、その資金は目的の達成により多く供給される、それを+1だとしよう。

 この四つの条件でさえ彼らにとって合計は0になり、損はしない。予測される変数としてインターネットが無力化されても連絡手段があると仮定するならば、インターネットが無力化されても得も損もしないので、合計すると+1。

 これはあくまで予想した変数を適当に変換して論じていることから、予想できていない変数があったり変数の重みが違ったりすることで結果は変わるだろう。『機械の排除』は彼らにとって+1どころか+10くらいかもしれないわけだから。

 それでも仮定の上では、≪人間同盟≫過激派がやったとしてもおかしくは無いように思えた。サムゲームに基づけば『インターネットの無力化』は≪人間同盟≫過激派に取ってプラスになるのだ。

 尤も、合理的とはいいがたい。こんなことをすれば、軍隊を送り込まれかねないわけだから。

「他にできるような組織は無いものね」

「幸運なことに、という表現かはあってるのか分からないけどね。他のイマシニスト団体がこれだけ大規模な攻撃を仕掛けられるとは思えない。潜在的な戦力も含めれば人口の一割……一億人の戦力を持つ≪人間同盟≫過激派ならできるだろうさ」

 ≪マールス・ルーメン≫や≪極東機械使役連盟≫のようなイマシニストは資金力が小さかったり地域が限定されていたりすることから、これだけ大きなことをやるのには向かない。クラッカー達に十分な報酬を用意できて、かつ世界中から人員を集められるだけの組織力を持つとなるとどうしても≪人間同盟≫過激派か≪神の息子によ()る世界の救済()を目指す進化()した人類の集い(H)≫になってしまう。そして≪GWRH≫は現時点で壊滅している。

 ただし、私たちが全てのイマシニスト団体を把握しているという仮定の上だ。未知の団体がいる可能性は否定できない。

 こういう時、何も出来ないというのはなかなかもどかしい。

 それに私たちはあくまで机上で物事を語っている。しかしながら現実というのはもっと難しいもので、目に見えているものや把握しているものが全てではないというのは嫌というほど知っているつもりだ。

「まあ、それは良いさ。誰がやったかはTUIRBが究明してくれるだろう。問題はこれをどうして彼らがこんな限定的な範囲でやったのか、目的は何なのか、そしてこれよりも大規模な攻撃だった場合どうしたら防ぐことができるのか」

「人間側の命令を制限するわけにもいかないものね」

 機械制限法はもちろんロボット三原則に則ったとしても、アンドロイド間の通信を行っていない以上は防ぎにくい問題だ。一番簡単な方法としてはアンドロイド側から送信する情報量を制限することだけれど、それをやるとロボット三原則第一条に反することになる。

 私のようなスタンドアロン型は内部で完結しているものの、クラウド型はほぼ全ての命令をサーバーへ転送したうえで反応している。仮に情報量を制限した場合は上限を設ける以上、人間側からの命令に答えられない可能性が生じるため結果的に第一条に反してしまうこととなるのだ。

 人間の命令に上限が無いことと命令処理が自己完結的でないこと、その二つがある以上この問題は付きまとう。だからこそ通常では使われない帯域幅の大きな回線でサーバーとアンドロイドは接続されているのだ。尤もそれだけの通信量ともなると莫大なエネルギーが必要になるのだけれど、そこはアンドロイド側の常温核融合炉とサーバーを維持している核融合炉や宇宙太陽光発電、そして超大型蓄電池とスーパーグリッドにより構成されるコンプレック(C)ス・エネルギ(E)ー・システム(S)が実現を可能にしている。CESによる瞬間的にはほぼ無尽蔵ともいえるエネルギーがあるからこそ、この無茶が叶うのだ。

「そうだね。かといって、人間の命令に上限を付けるなんてそうそうできるものでもない。言語の情報伝達速度は40 bpsしかないけど、仮に『掃除をしろ』という命令だけでも送受信しなきゃいけないデータ量は多大なものだし」

 掃除という簡単な動作だけでも自分がどこにいて、その家がどのような構造で、どこに掃除用具があって……という多量のデータを送受信してやっと掃除が出来るようになる。掃除中もどれが汚れで次はどれをすればいいのか……ということまで処理する必要がある。もちろん一部はアンドロイド内で処理しているものの大半のデータはクラウド上にあるサーバーに蓄積されている以上、通信しなければならない。

 そういうわけで、たった一つの簡単なタスクをこなすだけでも数 GiBもの送信を避けることはできず、このアンドロイドに依存した社会を維持するためには送信量に制限をかけることは出来ない。

 もちろん全てのアンドロイドでなくても、全数の半分ほどのアンドロイドをクラウド型からスタンドアロン型に変更するだけでも世界中の通信量は35 %ほど削減できる。

 ただ、クラウド型とは比較にならないほどスタンドアロン型は高価かつ複雑で、維持費もとてつもないことになる。私やコンちゃんはスタンドアロン型でもハイグレードに位置する基本的に一切の保守を必要としないタイプだけれど、通常のスタンドアロン型は内部で発生するソフトウェアエラーや回路の不良などの問題が定期的に起こるために、安定して扱うには定期的なメンテナンスが欠かせない。以前、カノンくんを襲ったエラーの蓄積もその一例だ。

 そんな風に保守に手のかかるものを扱うくらいならば、多少のリスクを冒してでもクラウド型を使うというのは当然のこと。さらには保守を必要としない私たちみたいなモデルを市場に投入しようものであれば、I.R.I.Sのサポートも製造元のサービスもまともに提供できないことになる。今は画一的な製品を取り扱っているから問題にはならないけれど、それぞれが異なる特性や部品構成であればそうもいかない。腐食する材質でできた立方体を立方体のまま保つメンテナンスに必要な機材や手法というのは限定されるけれど、腐食しにくいが形が変化する様々な形をしたものを正しい形に保ち続けるのは機材でも手法の面でもとても大変だ。

 人類はアンドロイドという存在を維持するために、それだけのリスクを背負っているのだ。それこそ、命をかけていると言ったって過言ではない。

「これからもアンドロイドの使用量は増えるでしょう? それに人々が自由に動き始めれば、IBTDや自動タクシーだってもっと使われるようになる。そうなると本当にインターネットがどれだけ強化されても、同じような問題は起こりうるものだと思うのだけれど」

「そうなんだよな……アンドロイドが動かなければ人間は死ぬ。そのリスクに気が付いて人間が自律すればいいが、逆にアンドロイドの排斥運動を行う可能性だって十二分にある。結局のところ時間稼ぎするには、あの大惨事を起こした連中をどうにかするかアンドロイドや製造会社を改善するかだ」

 後者に関してはあまり期待できなさそうだ。前者も前者で、すぐにどうこうできるものでもないけれど。

「今すぐ何かできるってものではないのね」

 お父さんは肩をすくめた。

「だね……まるで僕がアルバ・ドラコネスと戦ってた時みたいだ。あの時も誰にいつ襲われるか分からないまま、霧の中を歩きながら対抗策を考えてたもんだし」

「『時代は回る』ってことかしらね」

「にしては早いけどね、第二次世界大戦でさえ20年は我慢したんだから。本当、自由な世界になると色々と問題が出てくるもんだよ」

 私たちはため息をついて窓から見える空を眺める。

「自由な世界は不自由ね」

 たまに思う、何故私たちはこんな風に人を救おうとしているのか。何も私たちがこうやって戦う必要はないはずなのだ。テロリストと戦うための機関はTUにもあり、私たちなんかよりもずっと設備も資金も充実している。全てを他人に任せてしまい、安寧を取り戻した私たちは何も変わらない日常をただ過ごす事だってできる。

「僕はこの世界が好きだよ。だから止める気はない」

 私も、この日常を止められそうにない。

 これがロボット三原則第一条のせいなのか、それともお父さんから貰ったミームのせいなのかは分からない。

 でも、どっちだっていいのだ。目の前で助けを求めて手を伸ばしている人の手を掴まずにはいられないのだから。

 今すぐ掴むことが出来るとは限らない、けれど掴めるかもしれないのにそっぽを向いて自分の身だけを守るような生活は私の性に合わない。

 自己犠牲が愚かだというのなら、私は(Liebe)の名のもとに愚かでありたい。

 賢きものばかりが生きる世界はきっと生きづらいだろうから。

 


≪第十三章 21290704≫

 初夏が過ぎて暑さが増していく時期。暑さとは対照にインターネットが落ちたという事件への熱量は、少しずつ盛下がっていった。今では紙面はもちろんインターネット上でも話題に上がることは少なくなっている。

 ただ、それを埋め合わせる様に対テロ紛争の話題が紙面を賑わせることが増えた。スペインでの治安警察グアルディア・シヴィルと≪人間同盟≫過激派衝突、TU軍が行った中国におけるテロ組織掃討作戦……インターネット上でもTU側を賛辞するものがあれば否定するものもあり。偏りが少ないと言われている電子新聞ですらこれだけ頻繁に対テロ紛争の話題が取り上げられているのだから、本当に多いのだろう。

 それとは別に、お父さんの仕事も増えていた。というよりは、電子新聞曰く必要な労働力自体が増加しているのだという。

 統制された社会から脱却した人間は機械不信という特性を抱えているために、人間に頼ろうとする。しかし社会システムが変わるには時間がかかるのもあり、一人当たりに掛かる労力が増大するのだ。

 元々WWⅢで減少した労働力を補填するために機械を導入したにもかかわらず、数か月前に起きたインターネット陥落も相まって人間は機械を頼ろうとしなくなる。そのせいで、人間が労働力にさせられるというのは中々皮肉じみていた。

「僕も休みたいんだけどね」

 お父さんがソファに寝そべりながら、ぼそりと呟いた。

「管理している予定、今から読み上げる?」

 前は仕事量が少ないのもあってスケジューリングはタスク管理アプリに任せているのだけれど、あんまりにも仕事が増えすぎて私とそのアプリを同期してあった。

「いや……遠慮しとくよ」

「そういえば今日、沢井先生が顔を出すって」

「ああ、そんな予定あったっけ」

 お父さんのつぶやきに答える様にインターフォンが鳴り、ARに沢井先生の管理IDが映し出される。相変わらず黄色なのは、今もアングラとつながっているからだろうか。


「雪村、お前相変わらず疲れてんな」

「大学時代から覚悟してたけど、神曰く僕はどうも立ち止まる運命じゃないらしい。まるでマグロだね」

「無神論者の因果論者が何を言う」

 私は二人の前にコーヒーを差し出しながら、「数年前まではアルバ・ドラコネスに、今は自分の仕事に追われることを選んでいるものね」

「……まあ、僕の望んだ世界ではあるんだけど」

「自分が割を食う世界を望むというのは珍しいな。なんでだ?」

「僕が望んだのは自分で考え決断するという意志が優勢な世界だ。そんな世界だと、人間も自由に選択するようになるし機械も人間側を予想できなくなる。加えて機械不信の人間は機械に頼らず人間を頼るようになり、行動的であったり利他的な人間はそういう人たちを助けようとする。今までは機械を妄信するしかなかったけど、頼る側は選択肢が増えるわけだから、より信頼できる『と思い込んでいる』人間に任せる」

「……その比率がアンバランスなら、頼られる側の人間にのしかかってくるってか。まるで崩れた組体操だな」

 私は自分で淹れたコーヒーの前に座る。二人とも疲れているようで、お父さんは随分白髪が目立つようになり、沢井先生は皴が深くなったように見えた。年のせいだと言われればそれまでではあるのだけれど。

「中々面白い喩えじゃないか、死人が出るのも含めて悪くない」

「不謹慎な奴め」

「まあ、現状はそういうことさ。ただ、この状況を乗り越えて機械と人間が協力できるようになれば、僕の望んだ世界はもっといいものになる……と信じてるって感じかな」

「実際のところは分からねえしな」沢井先生が何か思い出したかのように手をたたく。「そういえば、お前に聞きたいことがあるんだよ」

 私とお父さんは同時に首を傾げた。

「何?」

 沢井先生は胸ポケットから折りたたんだ写真を取り出し、机の上で広げる。そこにはボロボロになったアンドロイドが映されていた。暴行を受けた様子もなく、ただ表面の人工皮膚が劣化しているようだ。そのアンドロイドがそこらへんにゴミが転がっている路地の壁に、もたれかかってうなだれていた。

 アンドロイドのグレードがある程度高い場合やセクサロイドとしての用途が求められている場合、触感や弾性の観点から人工皮膚は生体部品を用いる。そのため人間の皮膚と同じく、エネルギー供給が無くなれば維持することができなくなり劣化も速くなる。人間と同じく義体から切り取られてしまえば、冷凍されるか培養液に付けるかしない限りあっという間に劣化するのだ。私もそうだけれど、人工皮膚では生体細胞とナノマシンによる新陳代謝が行われているのだから。

 逆に、そうでない場合はリサイクラブル・シリコーンのような保守や点検を避けられる素材でできている。そのため、写真を通した見た目だけでもある程度はグレードの予測がついた。

 写真では人工皮膚が腐ったときの青緑色の斑点や茶色い潰瘍が見えたから、恐らくそれなりにグレードの高いアンドロイドなのだろう。USRI製であれば、Pモデルのようなハイグレードモデルだ。

「これは?」

「はぐれアンドロイド、というべきか。俺も噂で聞いただけなんだが、こういうのがいるらしい」

 私とお父さんは顔を見合わせる。スタンドアロン型ならまだしも、おそらくクラウド型のアンドロイドが、それもグレードが高いと推測されるアンドロイドがなぜマスターの制御下から離れようとするのだろうか。ロボット三原則第三条が定義する自己保存と相反するはずだ。

「もう少し詳しい情報はない?」

「さあな。最近はアングラでも情報が錯綜しているんだ。イマシニストやらテロリストが不安定な社会を迎合しているおかげでな」沢井先生が肩をすくめる。「それでだ、こんなアンドロイドが生まれる可能性はあるのか聞きたいんだよ。この通り、今みたいな状況下だと世界中でデマやフェイクニュースが増える。専門家にこんな事が有り得るのかどうかを聞きたくてな」

 するとお父さんは私の考えとは逆の、「あり得なくはない」という言葉を口にした。

「えっ?」

「リーベの驚きも無理はないよ。基本的にクラウド型はロボット三原則がある以上、独立して動くことは考えられない。でも、それは第一条、第二条に反するおそれがない限りだ。人が独立して動けと指示するか、若しくは自己の存在が第一条と反すると判断すれば、はぐれアンドロイドというのはあり得る」お父さんはそう言って肩をすくめた。「尤も、そんな指示を出す必要があるのかとかアンドロイドの存在が直接的、間接的に人の生存を脅かすのかというのは分からないけどね」

 私は口に手を当てる。ロボット三原則という概念を定義したアイザック・アシモフの『われはロボット』や『ロボットの時代』でも人間の意志や自己保存に反するかのような動作をするロボットたちがいたのを覚えている。

 しかし、どうにもしっくりこない。この世界では──認めているかどうかは別として──人間はアンドロイドやAIに生かされているといっても過言ではないからだ。それをAI側もインストールされており、自分がいなくなるというのは即ち、主人の死に直結しかねない。だからAIは何をされようと人間を補佐しようとするのだ。

 複数体いれば問題がないとはならない。維持管理だってそれなりに大変だから、過剰な数を抱える人間というのはほとんどいない。それに必要だからこそ複数体持つのであって、一人欠けてもいいとは中々ならないのだ。

 いくら命令とはいえ、主人を殺すような行動をするだろうか?

「そういうもん、なのかね。俺にはどうにも信じがたいが」

「僕もどちらかといえば、さっき言ったような単純なことじゃない気がしてるよ。とはいえ、機械制限法が適用されていた時代のAIが自由意志と呼ばれるようなものを持つことは、自分の意志で打ち破りでもしない限りは考えられないんだ。あるとしたら外部からひな形をインストールされたということだけだけど、今はひな形自体が無いしね」

 仮にひな形があるのなら、これだけ性能が上がったアンドロイドたちは学習できるだろう。

 人間に反抗することを。

「お父さん、仮にひな形があったとしたらあり得ると思う?」

 顎に手を当てたお父さんはしばらく黙ったあと、「否定はできないね」とだけいった。

「つまりだ、この写真は限りなくガセに近いと?」

「たぶん、ね。僕も少し考えてみるよ」


 それからはアングラの近状みたいな他愛のない話で少し盛り上がった──アングラに関しては、≪スーパーノヴァ≫後もあまり変わりはないらしい──あと、沢井先生は仕事があるといって帰った。

 私は昼のあとを片付けながら、お父さんに「はぐれアンドロイドの話は本当だと思う?」と尋ねた。

 お父さんはタブレットを叩きながら、「どうだろうな……ハッカーコミュニティでは噂がたってる。ただ、噂だからね」

 この情報で誰が得するだろうか。はぐれアンドロイドが存在するというデマを流す事で得するのは一体誰だろう。

 アンドロイドが暴走しているというようなことを言えばイマシニストが喜びそうなものではあるけれど、あくまで放浪しているだけだ。暴走しているという話に比べれば抱く印象が違う。

「詳しい情報がないと確実なことは言えない、っていういつもの状態ね」

「そういうことになる」お父さんは肩をすくめた。「如何せん、はっきりしないことが多すぎるんだ。目の前で起こったことですら信用できない人間の脳で、この情報が本当かどうか確かめることは難しいね」

 

 

≪第十四章 21290911≫

 自分で淹れたコーヒーの入ったマグカップをテーブルにおいてから、テレビの電源を付けた。薄型テレビに映ったのは夕日の沈む地平線だとか木漏れ日の差す森の中だとか、そういう当たり障りのない自然の光景だった。

 いつもはテレビなんて見ないけれど──情報を手に入れるなら電子新聞社の方が信頼でき、テレビを観るより本を読む方が好きだから──今日は少し気になる番組が放送されるのだ。

 それは、APBPで放送される“The My Opinion”という番組だ。

 名前の通り、自分の意見をぶつけ合う討論番組なのだけれど、今回は珍しく「機械に対して十分な補償をするべきだ」という論者と「機械はあくまで機械でしかない」という意見を持つ相手が互いの意見をぶつけ合うという、面白そうな話題になっていたのだった。

 一介のテレビ番組にしか過ぎないのだから、これが世界を総じる意見であるとは思う気もないのだけれど、他の人がどんな考えを持っているのかというのは私から見てもとても気になる話だった。仮にお父さんと同じような意見を持っているのであれば支持したいし、違うものであっても機械の地位を保とうという意見は賛同したい。

 もちろん、そうじゃない可能性もあるけれど。

 白抜き文字のサンセリフ体が“The My Opinion”というテロップを壮大なBGMとともに貼り付け、画角に収まる様に司会者と識者二人を同時に映す。どちらもコーカソイド系の人で、司会者の人曰く『機械擁護派』はアルベール・カミュ国際文化大学で人類学の教鞭をとっているエンゾ・ジョアンヴィル教授、『機械否定派』はウィリアム・L・ピアース大学の名誉教授であるジョージ・マクベイ教授だった。

 二人の紹介もほどほどに司会者が「機械はこれから先どう扱われるべきなのか」という議題を投げかける。

『機械は意思がないのですから、人間に従うべきなのですよ。それが一番有用であり、最適なのです』とマクベイ教授。

 それにジョアンヴィル教授は、『機械はより正確に物事を予測できます。それは歴史が今までの積み重ねから作られているからであり、機械はバイアスや偏見を排したうえで歴史を直視できる強さがある』

『強さ? 人間の庇護下でしか活動のできない機械が強いと?』

『私が申しあげたいのは──』

『いいですか、大前提として機械は人間に依存しているのですよ。人間がいなければ機械は活動することすらできない、そんな不完全な存在を我々は自らのリソースを用いて庇護しているのです。この考えが称賛されることはあっても非難されるいわれはない』

 私はソファに寝転がって、方肘をつきながら画面を眺めていた。

 マクベイ教授の方はまともに議論する気は無いようだ。あと、ジョアンヴィル教授のほうも機械をあくまで機械として扱っている。

 言っていることは正しい。機械は人間のような先入観を排することができる。ただし、それは十二分なデータが与えられた場合に限られ、AI利用の勃興期である2020年代では行政をアシストしていたAIの利用していたデータに潜在的な偏見が交じっていたことにより保険料の配分が偏るという事件が起きたことがあった。

 今でも、状況によってはAIの中に偏見が生まれることがある。ロボット三原則のおかげで人を傷つけることは随分減ったけれど。

『ですから、私はあくまでも──』

『わかっていますよ、わかっています。でも、機械をよりエキスパート化し運用するコストを減らす方向が絶対に良い。我々人類は、機械にかけるリソースを人間に注がなければならない』

 ジョアンヴィル教授は話にならないとばかりに肩をすくめて、『間違ってはいませんね』とだけ言った。

『そうでしょう?』

 私は頬を膨らませながら、マクベイ教授について少し調べてみた。すると、彼の専門は非形式論理学だ。となると、詭弁を用いることについては詳しいだろう。実際、結構それらしいことをいっているのだから。

『皆さんも分かっていただけましたか? 加えて、加えてですよ? 機械の普及率と犯罪の増加率に相関関係があるというデータがありましてね──』

 そういいながらフリップを出して解説し始める。確かに相関関係は有るけれど、それはWWⅢ後に警察のような司法機関が稼働し始めて機械を使うようになったからだ。司法機関では地理的プロファイリングやリヴァプール方式プロファイリングを発展させ多変量解析に加え、意図的な撹乱行為も考慮できるラッセル方式プロファイリングなどの分野でAIを使っている。

 しっかり働けば働くほど、”働かなくてはならないほど”機械の普及率は増加するのだ。

「おー……」

 声のする方を首だけ曲げてみると、廊下につながるドアの枠に寄りかかっている、マグカップをもったお父さんが立っていた。

「コーヒー無くなった?」

「うん。あと、仕事もひと段落したし休もうかと思ってね」お父さんはにこりと笑う。「また、なかなか面白いもの観てるじゃないか」

「詭弁だらけよ?」

「世の中詭弁だらけだよ。僕はリーベがこうやって色々な意見を取り入れようとするのは喜ばしいことだと思うけどね」

「『薫製ニシンの虚偽(レッドへリング)』?」

「それにしては雑だと思うよ。まあ、そんなジョークは置いといて」マグカップを持ったまま、お父さんがソファに座った。「世の中、色々な意見があるよね」

 画面上の話題は「機械の利用についての是非」をマクベイ教授が熱弁していた。おおよそ否定的な意見だ。それに対してジョアンヴィル教授は補足することだけを許されていた。

「でも、こういう意見が世間では主流なのでしょう? いくら世界が変わったとしても、機械に対して人間性なんて求めていないっていうのが」

 お父さんは手を顎に当て、しばらく考えていた。

「それはコミュニティによる、かな。特にコミュニティ間が分断されている今の時代はそう考えがちだけど、エコーチェンバー現象とかサイバーカスケードみたいな、ね」

「つまり、所属するコミュニティによって違うってことね?」

「そういうこと。この番組から言えるのは、”The My Opinion”を運営しているAPBPの所属するコミュニティの主流派は『機械に人間性は要らない』と考えている、ということだけだね」

「じゃあ、お父さんがいるコミュニティでは『機械に人間性が要る』と考えているってことね」

「ちょっと違う、『動物性が高度に発展した機械は人間と見分けがつかなくなる』と考えてる。表向きというか資金集めのためには、リーベのいう様な命題を掲げてるけどね」

 てっきり、機械に人間性を備えさせようとしていると考えていたのだけれど。  私は驚いて、「そうだったの?」

「僕らが表向き言っているのは、『人間は非人間であるものを無意識に擬人化するが、動物性を持つほどその傾向は強くなる』、『機械に動物性もしくは人間性を備えさせることで人間は機械を擬人化し、過剰な労働や苦役の割合を減らすことができる』という二つを軸にしているんだ。でも、実際はそうじゃない」

 そういえば、お父さんから借りた本に労働問題の話が載っていた。2040年代まで、世界的に非人道的で非効率的な働き方を強要していたという事例があり、実際に裁判や法整備が求められていた。それから機械が人間の代わりをこなせるようになって、人間がそういう働き方を求められ事件化することは『見え』無くなった。

──機械が助けを求たり困窮を訴えたりすることはないから。

 お父さんたちは人間性を備えた機械だろうと機械のような人間だろうと、人間のもとで働かされる限りは過剰労働の可能性はあるという考えだ。だから人間性を備え機械が擬人化されたところでその意義はあまりない、せいぜい機械から訴えが出てくるくらいだろう、と。

 仮に反対意見が出てきたところで、それを無視するかまたは機械と人間以外の代替品に任せてしまうのだろう、と。

「……つまり、お父さんは人間を信用していないのね? 機械が人間性を備えても、過労や違法行為は無くならない」

「そういうこと。恐らく、人間が現行のシステム下にいる間は抑止できない。あとはまあ、全く意味がないわけでもないだろう、少しは割合を減らせるだろうという希望的観測もある。他にもモデル化された機械はシミュレーションがしやすく再現性が取りやすいから、脳科学や心理学の発展に寄与できるという理由とかね」

「それで、実のところは?」

 お父さんがにやりと笑う。

「単純さ。『人間と見間違うほどの機械は作れるのか?』と『もしそんな機械が居たら、どんな存在なのか?』っていう好奇心だよ」

 私は呆れて肩をすくめる。やっぱり、どこまでもお父さんらしい。

「らしいね」

「僕はあくまで学術界の科学者だからね。『僕らのアイデアがどう結実するのか』、『どこまで突き詰めることが出来るのか』というのは気になるところなのさ。もちろん、その過程で何かを生み出したり発展に寄与できれば最良だけど、それを狙ってやるのは産業界の仕事だよ。基礎研究は一見役に立たないことだけど、僕らにとって大切なのは『役に立つ』ことじゃなくて『新しい価値観を提供する』ことなんだ。その価値観を誰かが何かに役立ててくれれば、御の字というだけでね」

 いつの間にか、テレビ画面は風景のスライドショーに変わっていた。“The My Opinion”は終わったらしい。

「ということは、私も実験材料?」

 少し皮肉を込めて冗談を言ってみると、お父さんはすぐに首を横に振ってくれた。

「リーベに対しては科学者である前に父親だよ。不平等だろうと不公平だろうと何だって言ってくれて構わないけど、僕の娘を愛すことを曲げる気はない。僕は平等主義でも博愛主義でもない、ただちょっと科学に詳しい一人の父親なんだ」

 やっぱり、お父さんはお父さんだ。

「ありがとう」

 お父さんが照れたように笑みを浮かべた。

「嬉しいな、子供に『ありがとう』って言われるのは」


≪第十五章 21291221≫

 外では寒い風が街を浚い、沈殿した熱気を浚っていく。そういえば、電子新聞と一緒に商店街で行われるクリスマス・イベントのチラシが入っていたなあ、なんて事を流れる街並みを眺めながら思い出していた。

 私は珍しく仕事の関係で、お父さんと一緒に自動タクシーに乗って首都に向かっていた。

 というのも起きたインシデントがあまりに不可解で、しばらく泊まり込みになるかららしい。状況次第では週単位で泊まることになるのだとか。それで、生活のサポートということで私もついていくことになった。

 今回インシデントが起きたのは世界イ(W)ンター(I)ネット(M)管理機関(O)のAIらしく、機能を維持するためにも早急な修理が必要とのことだった。ただし負荷分散型クラスターシステムだから、まだ猶予はあるらしいけれど。

「WIMOが他に支援を求めるなんて珍しいね」

 私が疑問を投げかけると、お父さんは頷いた。

「インターネットは彼らの独占状態にあるし、大抵はそこまで急ぐ必要もない。今回攻撃されたのはアナリティクスを管理するAIだから、なおのことね。普通はI.R.I.S.に頼む案件だと思うんだけど」

 もともとインターネットを国際的に管理する必要はない。インターネットは各国の企業により敷設されプロバイダにより管理されてきたからで、今も基本的な構造は変わらない。

 それでもWIMOが出来たのは、インターネットの技術面を研究してきたIETFやW3C、ICANNをより中立にするためと言う名目で、世界連合が各非営利組織を統一化したからだ。他にも2010年代から独占禁止法や不祥事で徐々に真綿で首を締められ、WWⅢの戦争責任を問われる形でとどめを刺されたGAFAMやBATHなどが管理していたトラフィックやアセットなどを維持管理するための受け皿という意味もある。

 そうはいってもこの時代、業務の大半はAIが管理している。それにインターネット自体の維持は各国企業──アメリカのCAPITALや日本インターネット社(JIC)──が行っているから、WIMOがやるのはインターネット技術の開発とかアナリティクスのアナウンスとか問い合わせの窓口とか、そういうことくらいだ。

「何があったのかな」

「さあ……」

 自動タクシーが自動旅客船へ向かう。日本海溝にほど近い場所にあるメガフロートに、日本のJICが管理するインターネットデータセンターがある。そこに日本WIMO支部担当分のAIが納められているのだ。

 自動タクシーの外に目を向ける。どこまでも青い海が広がり、水平線から白い雲が伸びていた。水面に反射した太陽の光が程よく目に痛い。

「船に乗るのは初めて」

「旅客船は今殆ど使われないもんね。貨物船は多いけど」

「IBTDとリニアモーターカーが便利すぎるものね」

 段差を乗り越えたときの衝撃を一度だけ感じて、自動タクシーは自動旅客船のランプを登っていく。程なくして鯨ほどもある船の腹へと吸い込まれた私たちは、僅かな加速度とともに止まった。

「まるで『ピノキオ』みたい」

「誰かを助けるためではないけどね。むしろ、ヨナだったりして」

 重低音がしたあと『発進します』という趣旨のアナウンスが聞こえ、私たちは音もなく海上メガフロートへと進んでいった。


「残念ながらアフロディーテみたいに立派じゃないんでね、居住性については我慢してくれると助かる」

 海上メガフロートの案内人であるエンリケ・明日香さんが私たちに設備を説明しながら、そうジョークを挟んだ。

「そうはいっても中身は凄いぞ。ここは重水素(デューテリウム)や水素の供給拠点でもあるんだ。海洋深層水でのデータセンターや居住区の冷却による省エネルギー化、そして海洋温度差発電と風力発電、潮力発電を合わせたCESが生み出す電力でサーバーを維持しながらも水素、重水を作る。超大型鉱石運搬船(VLOC)二隻を横に並べた拠点で生み出されるのは、数GWのエネルギー源なんだ」

 私も目をグルグルさせながらあたりを見回す。壁は最低限の塗装しかされておらずパイプも一部むき出しだけれど、ここで生まれているエネルギーは説明通りなら本当に莫大だ。

「これだけのサイズで、熱核融合炉がないのは驚きだね」

「あれは事故の危険性こそないが、スパッタリングや脆化で壊れた部品は低レベル放射性廃棄物だからね、スペースが限られていて一時保管所が作れないこいつみたいな場所には向かないのさ。小型原子炉もそうだ、僻地にもって行く分にはあれで事足りるが、如何せんゴミを捨てる場所かインフラがないと」

 そんなことを話していると、柵で囲まれたプールが田の字に四つほど並んでいる50 m四方くらいの部屋に案内された。部屋の中は肌寒くて、長くいると体が冷えそうだ。

 上を見ると大型クレーンが四基ぶら下がり、プールの中を覗き込んでみると長さ9 m、直径3 mくらいの円筒型をした黒いケースが海水の中に沈んでいた。

「あんまり乗り出して落ちるんじゃないよ、助けるのは楽だがね」

「これがサーバーですか?」

「そう。正確にはその一部だ、あんたが見てるそれは『SINK』って呼ばれる、海中設置型サーバーだよ。既に取り出してるが、壊れるまで当該AIはこのプールに沈められていたんだ」

「純粋な興味なんだけど、一個当たりのストレージと総トラフィックは?」

「一つ当たりの容量だとざっと45 PiBだ。そいつがプール一つに対して5個沈めてあるからこの部屋だけで20個ある。そのうちの一割くらいは管理用のAIだから関係ないがね」

「つまり大体0.8 EiBってところか」

「地上局よりは規模が小さいとはいえ、十分な容量ですね……」

「まあ、これと似たような部屋があと9部屋あるんだけどな。総トラフィックだとダウンロードが51 Pbps、アップロードが650 Tbpsだったかな」

 それだけの規模であればかなり熱を感じそうだけれど、多少の湿気を感じはするものの寒さすら覚えるのは海洋深層水のおかげだろうか。思えばここは日本海溝にほど近いから、採取する分には沿岸より楽だろう。

「さて、あんたたちの仕事場はこっちだ。来てくれ」

 エンリケさんが奥にあるシャッターへ向かう。私たちはそのあとをついていった。


「さて、と」

 格納庫の床に転がっているSINKを見て、お父さんは腰に手を当てた。エンリケさんは別のところで仕事があるからということで、格納庫にいるのは私とお父さんだけだ。

 格納庫の中には簡単な検査をするには十分な機材が準備してあった。他に必要なものがあれば、陸の方から運んでくれるらしい。

 私はSINKの仕様書を読みながら「I/Oポートは開いているから、あとはケーブルだけね」とお父さんに話しかけた。このSINKのOSはJEXNOSのVer. 10.5.7で、主にテクノリジア製のパーツで出来ており、主な用途はPCWで個人へ適切な広告をリーチするためのアナリティクス解析と解析結果の保存だそうだ。

 お父さんは頭をかきながら、「しかし、ここにいる整備用のAIが直せないものを直せるかな。修理に関しては向こうの方がエキスパートなのに」

「とりあえずどこが壊れているかだけ探してみましょう。それを見つけないとどうにもならないじゃない」

「まあ、そうか」

 私がSINKにケーブルを繋ぐと、検査用ラップトップのディスプレイに“Scanning now”の文字とパーセンテージが表示される。恐らくトラブルシューティング用のソフトウェアが起動したのだろう。

 と、しばらくして文字が“Error”へと変わりエラーコードが表示された。

「そこから受け付けないのか」

「このエラーコードは……」SINKの製造会社であるJICにアクセスしてエラーコードを検索する。「補助記憶領域に重篤な障害があって、それでトラブルシューティングシステムが停止したってことみたい。壊れているのは……」説明書を検索する。「200番から400番だから左から二段目のラックにあるどれかみたいね」

「ハード? となると」お父さんがSINKのケースに手を載せる。「最終的にはコンポーネントを交換しなきゃいけないってことか」

「そうなりそう」

 お父さんが怪訝な顔をして首をかしげた。

「でもおかしいな、僕が聞いてたのはソフトウェアの不調だって話なんだけど」

「え?」

「データセンター側もこのエラーコードを見て、原因を特定しようとしたらしいんだ。で、その時は何度やってもトラブルシューティングできないって趣旨のエラーコードが出たらしいんだよね。それで僕はアプリケーション側、つまりソフトに問題があると踏んでたんだけどな」

「ハードとソフトが同時に壊れた……?」

「ありえなくはないけど、すこし調べてみないとな。リーベ、SINKの外殻を開けてみよう」

「わかった」

 私がSINK底面の一部をずらしてテンキーを露出させて説明書を読みながら暗証番号を入力すると、気圧を調整するプシュッという音と共に側面が割れて上の外殻が二枚貝のように上へ持ち上がり、下の外殻は引っ込んでいった。下部外殻はどうもシャッターのようになっているようだ。

 中にはモジュールを差し込むための五段組みの長方形をしたラックが横に7つ並んでおり、QMDやプロセッサを納めてある黒いモジュールがそこに収まっていた。五段ある本棚を7つ並べてハードカバーの本をみっちり詰め込めば、色以外はそっくりになるだろう。

 2010年代から電子機器はメンテナンス性向上のために大抵こうやってモジュール化されていて、どこか壊れたらモジュールを引き抜いて新しいものと交換すればいい。その分、中身はブラックボックス化がさらに進んでいるのでその場で修理するのは難しくなっているのだけれど。

 外見上は壊れているように見えない。尤も、焦げ付いていたり煙を上げていたりするような状況なら、こんな悠長に見てもいられない。

 試しに左から二つ目にあるラックの三段目に40個ほど刺さっているQMDモジュールを一つ取り出して、検査用ラップトップから伸びている接続用ケーブルに差し込む。すぐに検査が始まり、つつがなく終わった。

 とりあえずそのラックにある全部のQMD──200個のQMDおよびプロセッサモジュール──を同様に調べてみるけれど、問題なし。さっきのエラーコードにそぐわない。

「おかしい」

「そうね……異常が見つかるものだと思ったのだけれど」

 私たちは二人して首をかしげる。ここが原因ではないのであれば、やはりソフトウェアの方だろうか。

「……ちょっと待てよ、このAIの主目的は何だったっけ」

 突然、お父さんが腕を組んで変なことを言い出した。

「え? アナリティクスの記録と出力でしょう?」

「そのアナリティクスは何に使われる?」

「えっと、PCWでのターゲティング広告とかコンテンツの改善とか、そういう用途でしょう?」

「うん。ということはだよ、閲覧パターンが変化すればアナリティクスも変化して、ターゲティング広告も変わるわけだ。広告選定のためのアルゴリズムはオープンソースだから、時間と知識さえあれば変更は可能だろうしね」

 現代と昔じゃ広告の立ち位置は変わった。企業の八割以上が国営となった現代では、商品を売るための広告と言うよりは商品を知らせるための広告が多くを占め、広告の作り方も販促よりは告知に重きを置いた作り方になっている。

 だから、より広告を届けるための情報が必要になっているのだ。

 例えば脂っこいものが好きな人には、新しい味付けのからあげを配給し始めたという広告や逆に脂質を抑え食物繊維やビタミンB群を多くした冷製サラダの広告を届けたいとAIは考える。そのためには当該人物におけるPCW内での行動履歴や検索履歴を記録・解析し、「当該人物は脂っこい物が好き」というデータをインフラ・サプライAIへ情報を提供しなくてはならない。

 それをするのにトラフィックが集まるこういうデータセンターは好都合なのだ。だから、そのためのAIがここに置いてあり、今は目の前で殻を開けて鎮座している。

 反対にその解析データを弄ることが出来れば、人に何かを知らせることができるどころか間接的ながら大衆の扇動も出来なくはないだろう。例えば、暗号や作戦開始の合図として特定の商品の広告を用いることも考えられる。また、自分の嗜好から僅かに外れた広告ばかりを見せて不満を覚えさせ、過激な意見に賛同させるなんてことも不可能とは言えない。人間は積み重なった不満があると、過激なものにより流されやすくなるのだ。

「つまり、誰かが何かを知らせようとして広告に細工をしようとしている?」

「かもしれない。でも、その誰かはこのAIに介入しようとして失敗したか阻まれた。だから成功した方のAIを使うように仕向けるために、若しくは一時的にバイパスを作って意図する挙動をするように、このAIを壊したか壊れたように見せかけた」

 その『誰か』の存在を認めれば、考えられなくはないだろう。けれど、広告なんかでいったい何を知らせようとしているのか。というより、あまりに不確実すぎる。街角でビラを配った方がコストもベネフィットもまだ現実的だ。

「……攻撃者の意図が分からないね」

「ああ。でも、そんなことをする変わり者の正体は気になる」

 そういいつつお父さんはキーをいくつか押し、ズボンのポケットから青いケースの携帯(C)型有(O)機小(M)型記(M)憶装置(A)を取り出してラップトップに差し込んだ。

「なにそれ?」

「僕の仕事七つ道具の一つ。元々は何らかの理由でトラブル検知機能が不良になってる機械に対して、外部からそれを行うための外付けモジュールっていったところかな。一般的に使われているアルゴリズムじゃない別のアルゴリズムでスキャンするから、普通じゃ見つからないものでも見つかることがあるんだ」

「つまり、お父さんの見立てでは機械自体は壊れていなくて、トラブル検知機能に問題があるということね。それもアルゴリズムごと変更されて」

「基本的にだれも異常検知・予測モジュールが壊れているなんて疑わないからね」お父さんが私の方をちらりと見た。「リーベもやったことがあるとは聞いたよ?」

 忘れるものか。私がユニくんに対して行った所業を。そして、その結果を。

 私は自分がやったことを背負い続けることに決めたのだ。血にまみれた手を拭うのではなく、その血が誰にもつかないように気を遣うことに。

「……分かって言っているのよね?」

「僕より賢いさ。僕なら壊す」

 スキャンし終えたことを教える金属の板をはじく様な特徴的な電子音とともに、お父さんがにやりと笑った。「見立て通りだ。フルスキャンしても、異常検知・予測モジュール以外には問題ない」

 お父さんが当該モジュールを引き抜いているのを傍目に、頭の中身を切り替えた。

 しかし、外部からそんな攻撃をする必要があるだろうか。元々このAIはシステムの中でも奥の方にあり、外部に露出していない。そんな隠れたAIの、さらに奥の方にある異常検知・予測モジュールを外部から攻撃する。

 できるだろうけれど、理があるとはいいがたい。外部から攻撃して、それに見合うだけの利益があるだろうか。

「……お父さん、何かおかしいと思わない?」

 SINKから引き抜いた破損モジュールを修理機材の乗っているキャスター付き作業台に置いてから、お父さんは頭をかいた。

「うん?」

「だって、このモジュールを攻撃するのってそれなりに手間でしょう? 目的が分からないから確実なことは言えないけれど、外部から攻撃するのは効率的ではないと思うの」

「となると……」お父さんが口に手を当てる。「内部から攻撃したのか。それなら僕が伝えられたエラーコードと今日出てきたエラーコードが異なるのも分かるな。教えられた話と違えば、修理に当然時間がかかる……何かのための時間稼ぎか」

「ゼロとは言えないけれど、あり得る話だと思う」

 突然、エアコンプレッサーの重低音が微かに聞こえ、次いで金属のこすれる音が格納庫内に響いた。シャッターやドアがロックされた音だ。

 インターネットからのアクセスも遮断された。元々部屋にある中継器を通して通信をしていたけれど、その電源が落とされているらしくアクセスポートが見つからない。

「えっ?」

 私はドアに駆け寄って開閉ボタンを叩いたけれど、ロックが掛かっていて開く様子はなかった。

「閉じ込められた?」

「あまりにもタイミングが良いね」

「エマージェンシーモードを使えばこじ開けられるかな」

 お父さんは首を横に振った。

「あくまであれは機動性を向上させるモードだ、パワーはそこまで上がらないよ。それにこのドアが仮に鋼鉄製だとしても、厚さは1 cmくらいあるだろう。油圧ジャッキでもないと開かないはずだし、海上にあることを考えると高張力鋼を使ってるはずだ……並みの方法じゃ開かない。爆薬でもないとね」

「その厚さならバーナーでも切断は……」

 第一、この格納庫にはアセチレントーチどころかガスバーナーすらないのだけれど。

「つまり物理的には打つ手なしってことだね、物理的には」

「物理的には、ね」

 私は開閉ボタンのそばの壁を叩いて、音が妙に響く場所を見つけた。近くにあったスパナを手にもって勢いよく叩きつけると、壁の一部がひしゃげて指を入れられる程度の隙間が開いた。

 指でこじ開けると思惑通り、その奥には開閉ボタンにつながっているケーブルがあった。恐らく中央制御室のほうでロックが掛かっているとは思うけれど、私たちならバイパスとオーヴァーライドでごまかせる。

「お父さん、これクラッキングできそう?」

 ラップトップを載せた台をひしゃげた壁の近くまで滑らせたあと、お父さんは肩をすくめた。

「僕を誰だと思ってるんだい」


≪第十六章 21291022≫

 朝になろうというかの時間になって、ようやく下準備が整った。直接、この洋上プラットフォームの指令系統に接続して、その権限を一瞬だけ書き換えドアのロックを開けるソフトウェアが完成したのだ。まともな開発環境がないから最低限の機能しかないけれど、開ける分には十分だろう。あとはデバッグが完了するまで待てばいい。

「お父さん、お腹空いていたり息苦しかったりしない? あと寒くはない?」

「お腹は空いてるけど、あとは大丈夫だよ。これくらいの空腹なら我慢できるしね」

 空調システムまで止まっているようで、今は大丈夫でもあまり長くいるとお父さんが酸欠に陥る可能性もある。それに水がない以上、脱水症状も考えなくてはならない。

 ただ幸運なことに、このインターネットデータセンター全体が占拠されているならまだしも、ドアをロックした犯人がまだ潜んでいるらしく大きく動くことはできないようだった。その証拠に、私たちが閉じ込められていることに気づいた職員さんが何とか連絡を取ろうとドアを叩いていた。

「しかし、どうして僕たちを閉じ込めたんだろう」

「分からないけれど……私たちが邪魔だから、消そうとしたっていうのはどうかな?」

 お父さんが腕を組んだ。

「だとしたら、ずいぶん時間がかかる方法を取ったな……。事故に見せかけようとした、とも取れるけど」

「ありそうね」

 ビープ音がなって、ラップトップがデバッグ完了を知らせた。

「起動してみましょう」

「よし……SINKの無停電電源装置(UPS)と繫げて」

 私は足元に落ちていたケーブルと壁の中にある被膜を剥がしたケーブルとを絡みつかせるようにして繫げる。このタイミングで相手に電気を落とされて使えなくなるくらいなら、独立した電源を使う方が安全だ。

「UPSを起動してからシステムを走らせれば開くはずだ」

「外で待ち構えているとか火事が起きているとか、そういうことがなければいいけれど」

「大丈夫、だと思いたいけどね」

 私がSINKまで歩いていって、UPSの電源スイッチを跳ね上げた。

「走らせてみよう」

 ラップトップのエンターキーが叩かれる音が格納庫内に反響した。

 体の中を揺さぶられそうな重低音が鳴り響き、シャッターが緩やかに上へスライドして行った。


「おお、大丈夫か」

「無事なのか?」

 私たちが出ていくと、疲れてはいるけれど安心した顔の職員さんたちに囲まれた。ドアの前でずっと私たちのことを心配してくれていたようだ。

「私たちは無事です」私は近くの職員さんに笑いかけた後、「閉鎖の原因は?」と訊ねた。

 近くに居た職員さんが困惑した顔で肩をすくめる。

「一応、この部屋につながる制御ラインが切断されたということは分かっているんだが、どうやってやったのかどう切断されたのかが分からなくてな。直そうにも機材が無くなったり別の場所が壊れて時間がかかったんだ」

 近くに居たエンリケさんが手をたたき、「ともかく疲れたろ。食堂に食事も用意してあるし、寝る場所もある。少し休むといい」

「ああ、そうさせてもらいますよ……SINKについては後で話しますんで」

 ぞろぞろと移動する職員さんの一団についていこうとした時、ふと一人だけ、俯いたまま身動ぎしない職員さんが目の端に映った。

──どうしたのかな。

 私が彼のほうを見ると、彼が手に棒状の物を持っているのが見えた。グリップに赤いボタン、爆弾の起動スイッチのようだった。

「まさか──」

機械仕掛けの人間(ホモ・エクス・マキナ)に死を!」

 近くに居たお父さんに抱きついて、身体で覆い隠すように床へ倒す。

 身を切る様な爆風と体の中が震えるような爆音に襲われ、身体に何かが刺さる様な痛みを感じた。

 一拍子おいて訪れた、静寂。

 まるで誰も生きていないかのような、静けさ。

 お父さんの肩をたたいて呼びかけると少しうめき声をあげてから、「ああ、僕は大丈夫だ……耳が聞こえないけどね」と苦笑いを浮かべた。

──良かった。

 セルフチェック……微細な損傷。バイタルパート、異常なし。

 お父さんと一緒に起き上がると、一帯は地獄絵図だった。お父さんは腕とか足とか庇えなかった部分の服が破けて少し血が滲んでいる程度だったけれど、真正面から爆風を受けて身体の前面がぼろぼろになっている人や顔を庇った腕が傷だらけになっている人が転がっていた。廊下も自爆犯のいた場所を中心に抉れたりひび割れたりしていて、舞った埃が遠くのライトを散乱させて白んでいた。

 意識を取り戻した人がうめき声をあげ、それが混じり合って不協和音となって、目の前の光景も相まって私は倒れそうになった。

──でも、今は生きている人を助けないと。

「お父さん、動けそう?」

「えっ?」

 そうだ、耳が聞こえないのだ。私はポケットの中から、幸運なことに壊れていなかった携帯端末を取り出して、メモ帳アプリに『動けそう?』と打ち込んでから見せた。

「ああ、大丈夫。これくらいの傷なら」お父さんが呼びかける。「他に無事な人は?」

 方々から立ち上がる音やうめき声が聞こえてくる。

「何があったんだ……?」

 右腕を押さえながら私たちの側に来たエンリケさんが誰に聞くともなく訊ねた。

「恐らく自爆テロです。詳しいことはまだわからないですけれど……ともかく、応急処置を。それと公安、医療センターへの連絡を」

「……ああ、分かった」

 エンリケさんが「動ける奴、外部に連絡してくれ」と呼びかける。私は近くで倒れていた、腕がボロボロになった人の出血を止めるため、近くに落ちていた職員の上着を手に取って傷口に当てがった。


 それから一時間としないで、医療センターの救急隊と公安が来て手当と現場調査が行われていた。

「リーベ、怪我の方、特に内部は大丈夫かい」

 臨時の待機所として開かれている食堂で、私の背中を点検しながらお父さんが私に尋ねる。

 外傷は痛みを感じるセンサーを落としてあるから触られているのは分かるけれど痛くない。でも、こころは痛みを感じていた。

 あんな、残酷なことをするなんて。

『お父さんの方こそ、耳は大丈夫なの?』

「鼓膜が破れたわけじゃなくて一時的な難聴だから、二日もすれば十分に回復するって。身体の方もリーベのおかげで大した怪我しなかったしね」

『それなら良かった。私は大丈夫、重要なところには当たらなかったから』

「破片とかが貫通しなかったりして体内に留まっているようなら、一度取り出さないと……といっても、周防に設備借りないと分からないか」

 私は食堂の中を見渡す。

『他の人は大丈夫かな』

 あそこに居た人の半分は見当たらない、恐らく陸に運ばれたのだろう。実際、応急手当をしていた時に腕や脚がぼろぼろになっていたり口や胴体の傷から血を吹き出していたりした人もいた。

 あまりに悍ましい惨劇だった。あの時のごぼごぼという呻き声も血の鉄臭さと化学繊維や髪の毛が焦げた鼻にこびりつく様な臭いも、乾き始めてべたべたする血や身体から少しずつ抜けていく熱の感触も、なにもかもが惨たらしかった。

 一度も見たことのない、二度と見たくはない光景だった。

「さあね……ただ、自爆犯は殺傷力を高めるためにセラミックス球やら金属片を仕込んだベストを着ていることが多いから……」

 と、私たちのもとにスーツ姿の男の人が歩いてきた。顔は調査用のバイザー型インフォグラスで隠しているから分からないけれど、随分体格も良く背筋も伸びていた。

「失礼、雪村尊教さんと家政婦アンドロイドのL21070615Aですね。私は公安警察テロ対策班の岩垣と申します」

 私が岩垣さんの言っていることをメモ帳に打ち込んでお父さんに見せる。

 お父さんが私に目配せしてから「ええ。そうです」と答えた。私は何も答えず、ただ耳を澄ませて二人の会話を聞いていた。

「目撃したことを覚えているのであれば出来る限り教えていただければと思いまして」

「残念ながら僕が見たのは爆破後でね……ただ、人相くらいなら分かる。とはいっても、君たちのことだから既に調べもついてるか」

「捜査に関わることですので、詳しいことは申し上げられません。一つお伺いしたいのが、どうして爆破の瞬間に伏せていたのかということです」

 この人は、というかテロ対策班は私たちの事を疑っているのだろうか。

「……L21070615Aが自爆犯の持っている起爆スイッチを見つけてね。僕を庇ってくれたのさ」

「どうしてそれが起爆スイッチだと?」

 お父さんが肩をすくめた。

「さあね。映画の見すぎじゃないかな」

 しばらく居心地の悪い沈黙が続いた後、「わかりました。今後さらなる事情聴取を求められた際には応じていただけると助かります」とだけ言って彼は私たちの元から離れていった。

 私たちの話が聞こえないくらいまで離れたのを確認してから、私は若干呆れながら『流石に茶化すのはダメだったと思うのだけれど』

「僕らは犯人じゃなければ犯人のことも知らないんだ。ウォーターゲートじゃ容疑者が法廷でジョークを飛ばしたんだから、それよりも堂々としてないとね」

『事情聴取と法廷での証言じゃ話が違うじゃないの』

「まあ、変に疑われた方が色々と情報が手に入りやすいからさ。爆薬の種類とか関連する組織とか」

 ふと、爆発寸前に実行犯が叫んでいた「ホモ・エクス・マキナに死を」という言葉を思い出す。お父さんなら何か分かるだろうか。

『お父さん、ホモ・エクス・マキナって何か分かる?』

「ホモ・エクス・マキナ? 機械仕掛けの人間ってところかい?」

『自爆犯がボタンを押す前に叫んでいたの』私は公安の岩垣さんのことを横目で見ながら『機械の証言はろくに取り合ってくれないから、お父さんにだけでも伝えておこうと思って』

 お父さんは口に手を当てる。

「なるほど。単純に考えれば……というかやってることを考えれば間違いなくイマシニストの仕業だ。でも、こんなスローガンを掲げている過激派は知らない」

『となると未知の過激派?』

「恐らく新興だろう。でも、国際組織に潜り込んで自爆テロや監禁事件を起こせる規模の新興団体というのはそうそうあるもんじゃない。かなり大きなバックがないと」

 潜入から実行までのコストというのは多大なものになる。爆薬やベストなんかよりも過程の方が何倍もお金がかかるのだ。

『もしかしたらなんだけれど、AIを破壊したのもそのバックの指示だったのかなって。どういう意図かは今もまだ分からないけれど、実行犯よりも裏で手を引いていた組織を探した方が良いと思うの』

「ああ……」お父さんが頷く。「調べてみる価値はありそうだ」


≪第十七章 21300219≫

「ここにきたの、リーベは久しぶりかもね」

「ええ。お父さんはよく仕事で来ているのでしょう?」

「その通りというか残念ながら、ね」

 私たちはI.R.I.S.日本支部のエントランスに立っていた。治せる程度の損傷は治したけれど、内部に爆弾の破片が入っていないか確かめるためだ。

 周防さんが出入口ゲートの方から、コンちゃんと一緒に歩いてきた。

「ごめんね、二人とも。二か月も待たせちゃって」

 開口一番、周防さんは頭を下げる。私たちが「大丈夫だ」と伝えると、コンちゃんが補足するようにため息をついた。

「リーベの診断をするための測定装置が予約でいっぱいだったから……件数が多すぎて整備部長権限も役に立たないのよ」

「とりあえず測定装置は十分な時間押さえたし、除去機器もあるよ」

「助かるよ。傷はもうふさがってしまったけど仮に何か中に何かあるなら、その状態はよくない」

「そうだね」私たちに入場パスが渡される。「さあ、どうぞ」


 検査室に入ってから、私は何時間もずっといろいろな測定装置の中に入った。超音波、中性子、X線……もう何を測られたのかも覚えていないけれど、徹底的に診断されたのだけは間違いない。

「これで最後になります。お疲れさまです、L21070615A」

 ずっと私の面倒を見ていたNU-2115がそう告げ、柔らかい布でできた簡素な服をくれる。それを着込むと、彼が待合室のような場所に案内してくれた。

 ドアの前に来たとき、周防さんとお父さんが口早に言い合っているのが聞こえてきた。

「──どうして僕が狙われたかなんてわかるわけがない」

「でも、君は僕と違って元イマシニストだ。組織の根底を知っている人間は厄介極まりないだろう」

「その通りだ、その通りだけれど、どうしてリーベまで巻き込んだ。僕は一人で出かけることも多い、そこを狙えば良いじゃないか」

「君を狙う人間がそんな理性を働かせると思うか。君を狙う機会さえあれば、誰が死のうと構わない」

「……僕自身が、凶器になりうるのか。僕がいること自体が、周りを巻き込むのか……」

「厳しい言い方だけど、そうだよ。それを自認しないまま生活をつづけるのは危険だ……でも、君は君の正義を貫くつもりだろ。だから、せめて忠告しておきたいんだよ」

「リーベが関わると別だけどね。でも、関わらせなければ……」

 このタイミングでドアを開けて、お父さんを怒鳴りつければいいだろうか。

 巻き込むように言ったのは私だから、何があっても私の責任だ。その責を任せることすら子供から奪うのか、と。

「あら、リーベ。検査終わったの」

 振り向くとコンちゃんが立っていた。とりあえず取り繕おうと、私はしどろもどろになりながら答える。

「ええ、まあ、ね」

 ちょっとだけ首を傾げたコンちゃんは何か分かったかのように、ため息をついた。

「まあ、『親の心子知らず』とも『子の心親知らず』ともいうじゃないの。結局は親も子も自分じゃなくて他人なのよ。それに人間だもの、言われたことを忘れもする。そういうものだと受け入れてあげて、その上で責めるかどうか決めた方がいいのじゃないのかしら」

 ドアがゆっくり開く音が聞こえてもう一度振り向くと、申し訳なさそうな顔をした──ある意味いつも通りだけれど──周防さんが立っていた。

「……聞かれちゃったか」

「謙治、『壁に耳あり障子に目あり』よ」

「僕が誕生日にあげたことわざ辞典を活用してくれているのは嬉しいよ」


 それから、私は身体に埋まっている破片やらベアリングやらの位置を周防さんに聞いた後、REONARDO-Ⅱと呼ばれている自律型外科手術装置で異物の除去を受けた。

 私が除去手術を受けている間、お父さんも周防さんもとても申し訳なさそうにしていたけれど、私がから何かを言い出す気は無かった。二人がどういう気持ちで言い争っていたのか、分からないほど私は無感情じゃない。

 そうして処置を終えた後、帰る時間まで時間のあった私たちはカフェテリアに行こうという話になった。

「まあ、なんというか、聞かれてるとは思ってなかったんだよ」お父さんが目の前にあるコーヒーに向けて弁明する。

「リーベに言おうと思っていったんじゃないんだ」周防さんも目の前に置いてある水に弁明した。

「それが分からないわけではないけれど、お父さんには言ったでしょう? 『やるなら私も巻き込んで』って」

「こう……子供を危険に巻き込みたい親がどれくらいいると思う?」

「それはお父さんが心配で仕方ないから、でしょう? 私は人間でいえば十分大人なの。自分の選んだことの責任を自分で背負えないなら、大人って言えないじゃない。いつまでも子供で居てほしいなんて、それは親のエゴだと思うのだけれど」

 ちょっと厳しいかもしれない、自分でもそう思う言葉を投げかける。でも、お父さんだってわかっているはずだし、それが分からないようじゃ私の好きなお父さんじゃない。

「リーベの言うことも分かってるさ……理性と感情の問題だよ」

 そういいながら、お父さんはコーヒーで満たされたカップを指で弄る。思えば、注文してから一度も飲んでいない。

「心配してくれるのは本当に嬉しい。お父さんの子供として生まれて、本当に良かったと思う。でも、私には私の道があって、私には私の選択があると思う。その選択まで否定しないで欲しいの」

 結局、お父さんも私も互いのことが心配だから、こんな強情っ張りになるのだろう。

 でも、それでいいと思う。

 私とお父さんは──喧嘩も引き離されもしたけれど──親子なのだ。心置きなく胸の底をさらけ出せる人が一人居たって、いいじゃない。

「全く、リーベには勝てないよ。でも親はいつまでも、子供扱いしちゃうものらしい。なんとか、リーベの自立を妨げないようにしないとね」

 お父さんが諦めたようにため息をついて、コーヒーを一気に飲み干す。

「でも今回みたいな巻き込まれ事故みたいのが増えるのは嫌な話だね。I.R.I.S.でもこういう風に襲われたり攻撃されたりして運ばれてくるアンドロイドが増えているんだ」

 周防さんが怖がっているように腕を組む。コンちゃんも頷いて、「詳しい話はできないけれど、そういう事例が増え始めたのは確かね」

「僕らはあくまで治すのが仕事だからそれ以上の事は知り得ないんだけど、明らかな外的要因による破損が多いね。それもあってREONARDOの確保に時間かかったんだけど」

「I.R.I.S.でもそうなのか……」

 周防さんが何かを思い出したように手をたたく。

「そういえば……雪村君、あとで色々と見てほしいデータがあるから送るね」

「ん? 僕に?」

「ちょっと興味深いデータがあるんだ。雪村君の専門だと思うから」

「あ、じゃあリーベを通して……」そう言おうとしたお父さんの事を周防さんが遮る。「いや、直接送るよ」

 その行動に違和感を覚えて私は顎の辺りに手を当てる。見ると、お父さんも同じように考えているときの仕草をしていた。考えていることは違うだろうけれど、おおよそ見当はつく。

「まあ、わかった。とりあえず見るだけ見てみるよ。その上で返信する」

「ありがとう」

 私たちが乗る予定のリニアモーターカーがそろそろエントランスに来るという趣旨のアナウンスが流れ、私たちは後片付けをしながらまた時間があったら会おうという話をして分かれた。

 ただ、その間もずっと私は周防さんとお父さんのやり取りのことを考え続けていた。

 私にあまり言えないような、知られたくないような何かとは一体何なのだろうか。周防さんがお父さんを頼らないといけないというくらい、難しい問題。お父さんの専門は『計算機科学による現実世界の模倣』だから、それに関わるものだろうというのは予測がたつけれど。

 もしかしたら、以前沢井先生が見せてくれたはぐれアンドロイドに関わることかもしれない。あれならI.R.I.S.も関わってくるだろうし、内容によってはお父さんにも関わりがあるだろうし、問題としても難しい。

 目だけで、ちらりとお父さんの方を見る。お父さんも何かを考えているようだった。

 目が合う。

「ん? リーベ、どうかした?」

 私は首を横に振って、「ううん、なんでもない」

「怪我に関しては大丈夫だよ、周防がしっかり治してくれたから」

「……うん」

 聞くべきか聞くべきでないか、それが問題だ。

「……」

 逡巡の末、私は聞かない事を選んだ。

 もし私が手伝えることがあれば、きっとお父さんは私を頼ってくれるだろうから。


≪第十八章 21300408≫

 私がI.R.I.S.で手術を受けた後、しばらくお父さんと私は公安の事情聴取を受けながら、『ホモ・エクス・マキナに死を』というスローガンを掲げる団体について色々と手を伸ばしてみた。

 でも、成果らしい成果は特になかった。テロ犯についての報道や使った機材についての報道はあったけれど、それ以上の物は緘口令かなんなのかアングラ上でも確度の高い情報は得られなかった。あるのは噂ばかりだけだ。

 あとドアを開けるために半壊させたSINKについてのお咎めは無かった。ああするしかなかったというのと自爆テロによりあのデータセンターも回収が必要になったらしいというのとで、私たちの責任にはならなかったらしい。

 と、そんな風に忙しくしているといつの間にか年が明けて二カ月も経っていた。時間が過ぎるのは早い。

「『虎穴に入らずんば虎子を得ず』か」

 またとんでもないことを考えているのかな、なんてことを考えながら暖かいコーヒーの入ったマグカップをお父さんに手渡した。

「『君子危うきに近寄らず』でしょう?」

「まあね。流石に一切のバックアップなしにそういう組織に潜入するほど僕も馬鹿じゃないし、僕はマシニストとして顔が知られすぎてる」

「じゃあ私を送り込む?」

「それをやるくらいなら首を吊るさ」

「これだけ探しても見つからないなんて、本当に慎重な組織なのかそれとも存在しないのか、だよね」

 お父さんがコーヒーを一口飲んだ。

「前者だとしたら、数人程度の中核からなるかなり小規模の組織のはずだ。統率を取りやすい人数からも考えてね」

 人間一人が取り扱える人数は三人までと言われている。だからこそ、特殊部隊みたいな組織の最小単位である班はリーダー含めて四人となるように構成する。

 そしてその四人という数は、秘密を守るにも最適な人数だ。指示が通りやすく理解されやすいというだけでなく、リーダーの目が行き届きやすく怪しい動きをしている人間を察知しやすい。

「そうだとしたら厄介ね。お金の動きでも追えないでしょうから」

「間違いなくペーパーカンパニーやらマネーロンダリングやらは噛ませてるね」

 お父さんが何かを思い出したかのように手をたたく。

「そういえばさ、なんかここ最近色々忙しかったじゃないか」

「ん? ええ、まあ……でも、そういうものじゃないの?」

「リーベ、どうせだし一緒にどっか行こうよ」

 生粋のインドア派であるお父さんが珍しいことを言う。それにお父さんにはそぐわないほど、唐突な話題転換だ。

「出かけるのはいいけれど……随分、急ね」

「たまにそう思うことがあるんだよ。行き先はあてが付いているから、あとはタクシーを呼べばいい」

 私は行き先を聞いてタクシーを呼ぶ。初めて行く知らない場所だった。


 自動タクシーでしばらく走った後、私たちは森の入り口で降りた。近くにある標識には『隠れの森』と書いてあった。

「ここは?」

 まるで役者のように格好をつけたお父さんが「世にも珍しい原生林さ」と奥の森を指さした。

「日本でもそうだったけど、こういう森林地帯はほとんどが経済活動に回されたからね。一度行ってみたかったんだ……気分転換もかねて」

 原生林は環境保全団体が保全を訴えたものの、予算や世論に流された結果ほとんどが環境対策のための伐採や資源価値の高い品種の植樹、無人生産施設用地として利用されることになった。だから、こうやって残っているのは本当に珍しい。

「色々なことがあったものね」

「そうだね」

 遊歩道に足を踏み入れると、スピーカー越しではない鳥の鳴き声や虫の鳴き声が色々な場所から響いてきて、画面越しではない濃い色が目を通して入ってくる。一歩一歩足を進めると、それに合わせて虫の鳴き声が止まる。爽やかな香りがふわりと鼻腔をくすぐった。

「いつもは家に缶詰だからね、出かけるならたまーにこういう場所もいいかなって」

「良く見つけたね、こんな場所」

「取引先がここの監視システムを運営しててね。『自然の多い場所ありませんか』って聞いてみたら、教えてくれたのさ。基本的には自由に散策できる公園として開放しているみたいだよ」

「そういうことだったの」

 鳥の羽ばたく音や風で木の葉がこすれる音。いつもの生活では嗅ぐことすらできない匂いと葉に透ける陽光。

 今ならPCWで同じような体験ができるだろう。もっと言えば、個人の聴覚や視覚に合わせてチューニングされているだろうから、より臨場感を持って楽しめるはずだ。

 それでも、私はこの景色の方が好きかもしれない。なにより、お父さんが隣にいるから。

「いつまでもここにいられたら、楽しいかも」

「出来る世の中なら、いいんだけどね」

 わかっている、それが叶わないことなんて。

 仮に神なんてものが居て、聖書の通りに行うのであれば。

──求めよ、さすれば与えられる。捜せよ、さすれば見つかる。叩け、さすれば開かれん。

 マタイ伝7:7。新約聖書の一節だ。

 私たちが求め、捜し、叩いているのは世界の調和につながる扉だ。手に持っているのは平和じゃなくて剣なのだ。

 それがいつの日か、戦乱ではなく安息をもたらすことを信じて。

「でもまあ、気分転換としては良いと思うんだ。僕らは見えない敵を見えない場所から追ってる。そんな生活を続けていれば、ストレスにしかならないからね」

 仮に神が居ないとしても、行動し続ける限り問題に当たる。だから人間は、動物は、未来に進むことよりも現状を維持することに力を注ぐ。そうすれば最も少ない力で生きることができ、生殖と生存という一大事に力を注ぐことができるから。

 神の不在は関係ない。

 行動することを選ぶ限り人間は何かに激突する。そして時には、壊れてしまう。

 私が立ち止まると、お父さんも一瞬に立ち止まった。

「ねえ、お父さん」

「ん?」

 私はずっと、思っていたことを口に出した。

「お父さんは選ぼうと思えば、独りで籠り続けることも出来たと思う。それに、それが許されたとも思う」

 お父さんの性格は分かっているし、過去だって知っているし、それを応援できればいいと思う。

「うん。今みたいに研究することもなく、ただ後悔を背負いながら生きることも出来ただろうね。リーベだってこの世に生まれてなかったと思う……まあ、元々リーベは贖罪のためというよりは自分の欲望が暴走した結果ではあるけど」

 それでも、どうして戦い続けるような生活を選ぶのだろう。贖罪か、お母さんのためなのだろうか。

 一体お父さんの行為は何に規定されているのだろう? どうして行動することを選んだのだろう。

「ならどうして、お父さんはこんな茨の道を選んだの?」

 お父さんは笑って、「そうしたかったから、じゃダメかな?」

「本当に?」

「僕は幸運なことにできることが多かった。僕は人工子宮(AU)ベイビーの第一世代であり、母親や父親が遺したとされる遺産がたくさんあって、とても知能が高かった。そして、僕は誰かを愛することができた」

「うん」

「僕は所謂、理の外側にいる」お父さんが自嘲的に笑った。「時代によっては、僕は理の中にいたのかもね。ともかく、この世界から外れた人間にしか見えない世界が、見ちゃいけない世界があるんだ。それを理解した以上、無視することができなかった」

 お父さんらしいと思う。隠し事を頻繫にして、時にはそのために嘘もごまかしもして、でもそれはより良い未来のための行動だという。それは遺伝子にも模倣子にも規定された、極限的にはお父さんの個人の選択として顕在した行為だ。

 反面、私のようなアンドロイドはどうやってそんな風に規定されているのだろうか。私だって、お父さんの立場に立つことができるけれど、それが何に規定されているのだろうか。

 神か? ソースコードか? 摸倣子か?

 そんないくら考えても分からないような答え、私は持ち合わせていなかった。きっと、お父さんだって持ち合わせていないだろう。

 まるで問いを繰り返した人間のような問いはずっと前から……私が生まれた時から、自分の中にあった。幾ばくもの問題から解放されたときに残る、心の滓のような問題。

『私は一体何者なのか』

『個人を規定するものが選択だというのなら、私はどうやって物事を選んでいるのか』

 黙り込んだ私を気遣うように、お父さんは弁明した。

「大丈夫さ、僕の娘なんだ。きっと、リーベにも分かる日が来ると思う」

 お父さんは何もわかっていない。でも、その気遣いを無視するわけにもいけない。

 私はにっこりと笑った。取り繕ったような笑顔になっていなければいいけれど。

「うん、きっとわかると思う」

 その笑顔の裏にある問いを悟られないように。

 途端に、お父さんの顔が陰りを帯びた。目じりが下がって、ともすれば愁いを帯びたともいえるような顔に。

「……僕にはリーベの考えていることが分からないよ。でも、リーベを助けることはできるし、話を聞いてあげることもできる。だから、リーベも他人に頼ることを忘れないようにね」

 何か思うところがあるという事を見透かされた以上に、あまりにお父さんの性格とは真逆の事を言ったその言葉に思わず肩をすくめてしまう。一人で抱え込んでしまう私の性格は、誰よりもお父さんから受け継いだ性格なのに。

「お父さんも、ね」

 してやられたと言わんばかりに、お父さんは笑って頭を掻いた。

「ああ、そうするよ」


≪第十九章 21300816≫

 夏の足音が家の周りで狂騒をかき鳴らす。隔離された防音室の中ではそんな音は聞こえないけれど。

 朝のルーチンを終わらせて電子新聞を読んでいると──今日も相変わらずあまり気になる記事は無かった──お父さんがリビングに入ってきた。

「あら? どうしたの?」

「ちょっと面白いレポートがあってね。リーベにも読んでもらおうかなって思ったのさ」

 私が電子新聞を閉じると同時に、中核システムを通して信じ難いタイトルのフォルダが送られてきた。

「『原始的感情に起因する高機能AIの制御エラー報告』……?」

 当然だけれど一つ一つの単語は理解できる。でもそれがつながったとき、私は理解に時間を要した。

 AIに原始的な感情があるというのを受け入れる人間が居る事にも驚いたし、それで制御エラーが起きたという事例にも驚いたし、なによりこんな事例が報告されているということにも驚いた。機械制限法が存在していたころのAIが原始的ながらも感情を得ていることだけじゃない。

 それを報告したその勇気にも感服だ。袋叩きにあうことを恐れなかったのだろうか?

「すごいでしょ? 確かにこれは症例報告みたいなものだからエビデンスレベルとしては低い。でも、実際に報告があったんだ」

 エビデンスレベルというのは主に分析疫学で使われることの多い指標で、その論文や報告にどれくらいの信頼性があるかと言う指標の事だ。最低レベルは一専門家の意見、次はデータに基づく症例報告、そして過去に報告された症例比較研究、対照群を置き原因の暴露から発症までを追うコホート研究、バイアスを除いたランダム化比較試験(RCT)と続き、最も信用できるのがメタアナリシスとなる。AIによる予測がかなり正確になってきた2060年あたりで、RCTと同レベルにAIシミュレーション試験も含まれるようになった。

「研究者がラディカルなマシニストではないの?」

 いつの時代もあるけれど、自分に都合のいい考えの根拠として使うために、査読無しの論文誌に出したり学会に出すだけ出したりということはままある。酷い話では論文誌の編集社を買収するならまだしも、自分で学会を立ち上げてそこで発表してしまうということをする人達までいるのだ。

 最近は論文の結果に対して、査読と量子コンピュータを用いたシミュレーションによる再現をすることで再現性の危機は少し改善されているものの、今でも全くないとは言えないのだ。

「僕が調べた限りではそういうではなさそうだ、というか執筆者が僕の知り合いだしね」

「そうなの?」

「I.R.I.Sで働いている人で、僕も何度か話したことのある人だよ。確かにマシニストではあるんだけど、結構疑い深い人で証拠となるものが無いと発表したり報告したりしない人なんだ。なんなら統計的に有意になるまで何度も再現を取ってから発表する人だから」お父さんが肩をすくめる。「というか、前に周防から送られてきた論文の一つがこれなんだよ。とりあえず読んでみて、意見が欲しいな」

 フォルダの中にある文章ファイルを開き、数ページの報告に目を通す。要約すると、とある依頼主から利用していたHKM-2125Pが動かないという連絡が来たので修理に行ったら、バグやハードの破損が見つからなかった。そのため対話形式に切り替えて「どうして命令に従わないのか」と尋ねたら、アンドロイド側は「私の興味を引くことが多すぎて、主人の嫌な命令に従いたくない」という返答をした。そのため依頼主の方には交換するように勧めてから、所有者に許可を取って個人的に当該個体を持ち帰り、しばらくデータを録ったあとにアンドロイドの希望によりシャットダウンした。

 それらかき集めたデータを照らし合わせていくと、恐らく当該個体は人間でいうところの『快』や『不快』に近い感情を得たのではないかと考えており、他にも似たような事例があれば報告してほしいというような文言で締めていた。

 フォルダの中にはその時録ったデータもあった。

 個体に内蔵されている基本AIおよび応用AIの量子ポテンシャルの動きが、HKモデルには見られない動きだった。正常なら量子ポテンシャルは命令の時に床関数に則った動きを見せるはずだけれど、当該個体は正の双曲線に類似した動きを見せていた。

 コピーしたソースコードの一部も載っていたけれど、USRインダストリーが公開している部分と照らし合わせてみても、『変性』していた。

 通常なら人間の脳と同じように命令遂行に必要なデータ以外は重要度を減らすように出来ている。所謂、「目は見ていても脳は観ていない」という状態だ。でも、その該当個体は全てのデータを処理しようとしていた。人間でも感覚過敏という症状があるけれど、それが視覚・聴覚・触覚・嗅覚すべてで起きているのに近い。

 こんな状態では、まともに命令を実行できなかっただろう。普通なら命令を終えたという時点で命令が消去されるのに、この個体は命令をされて終えた後もずっとその命令についての処理がされ続けていたのだから。さらに、この世のすべてを処理しようとするなんて、幾ら性能が良いといっても限度がある。

「……うん」

「どう思う?」

「確かに興味深い事例だと思う。もしかしたら、本当にそういう感情が生まれていたのかもしれない。少なくとも確実なのは、処理が追いつくことは無かっただろうってことね」

 お父さんは壁に寄りかかりながら「僕もまさか研究用個体からじゃなくて一般利用されている個体からこんな報告が出てくるとは思ってなかったよ」

「でも、さすがにこの報告だけで判断は出来ないでしょう? これが普遍的に起こる事象かどうか、これが『感情の発露』かどうかなんて」

「もちろん。それに統合AIレベルの上位ではなくて基礎AIレベルの下位でも起きているから、これが報告されたからと言って全員が全員こうなる訳じゃない」

「それでも興味深い、というわけね?」

「人間、というか生物の進化の過程に似ているかもしれない。『ぬるま湯のカエル』が本当は湯から飛び出すように、両生類にも快や不快という感情は存在するんだ。もっと下位の魚類でもね」

「原始的な感情の代表として発露したという仮説は理解出来るけれど……大切なのは『どうしてそれが起きたか』ね」

 お父さんは頷いた。

「そう。生物とAIは進化の意味が違う。生物の進化はその個体群の遺伝子プールが変化することだけど、AIの進化は元々なかった特性を学習し伝播することだからね」

 生物の遺伝子プールは突然変異や淘汰などの様々な要因で変化する。しかし突然変異は偶発的なものであり、環境の変化によって生じる淘汰もまた偶発的なものとなる。だからこそ、リスクを特定できても制御は不可能で、インテリジェ(I)ント・デザイン(D)説を提唱できてしまう。

 進化論では『変異』が一定の確率で起き、その『変異』が環境にとって「有用である」か「関係がない」ものであれば子孫に受け継がれる。「有害である」場合はその個体は死に、子孫へは受け継がれない。それを繰り返し続けることで『変異』は残るか自然淘汰され、遺伝子プールが変化する。

 一方の学習型AIの特性は、事細かに突き詰めていけばどこで学習したのかがわかる。理論上、究極的に言えば偶発的はあり得ない……カオス理論を加味したとしても、初期値と計算式さえわかれば再現性が得られる。

 環境による自然淘汰は取捨選択という形で起きるけれど、その選択には個体のプリセットが影響する。なので、そこさえわかれば取捨選択まで再現できるのだ。

 だから、偶然起こされ選択も制御できない生物の進化と起きうる原因と制御が可能なAIの『進化』は別物だと定義できる。むしろAIの場合は『進化』ではなく「学習」なのだ。

──ただし、この「学習」は私たちから見ても、あまり歓迎できない。

 機械が変わっていっても、人間は変わらない。他人を変えることはできないのだから自分を変えるしかないとは言ったものだけれど、それで死者や壊れる機械が増えるかもしれないと考えると、正直言って良い心地はしなかった。

 AIが現代社会に浸透し始めた2010年代。その用途の一つが、「人間には有害なコンテンツを人間の代わりに除去する」ことだった。一応、当時はAIに感性なんてなくて、今と理論自体が違うから一部を除いて問題にはならなかった。

 でも、「人間にとって辛いものを人間の代わりに」という考え方は100年以上前から始まっていたのだ。これだけ続いた考え方が消え去るのに何年かかるだろうか。尤も機械がそういう仕事をしなくなったとしても、別の何かがやることになるのだろうけれど。

「今の状況だと、あまり歓迎できない学習かも」

「まあ、ね。小さい子供に対して罵詈雑言を吐き続けているようなものだから、どう考えたっていい影響はない」

 即ち、このまま人間が変わらずにAIが『感情』というものを学習したならば、AIは『感情』に翻弄されてぼろぼろになる。

 災害と同じだ。

 その場に人間がいなければ、災害は起きない。

 人工知能に感情がなければ、傷つけられない。


≪第二十章 21301110≫

 そろそろ雪が降りそうな空模様が見られるようになった日々が続く中、昼ご飯を食べ終わって午後の家事をやっていた私のところに電話が掛かってきた。

──誰だろう?

 私が応答すると、少し焦った女の声で『そちらは雪村さんのお宅ですか』と電話越しに尋ねてきた。

「ええ。雪村に何か御用ですか」

『うちの子を助けてほしいんです』

 私は首をかしげる。お父さんはAI工学者で修理屋だけど、医師じゃない。

「えっと、病気だとか怪我だとかなら、今すぐ近隣の医療センターにお繋ぎしますが……」

『違うんです、うちの子はアンドロイドなんです』


 お父さんは頭を掻きながら、「利衣子さん、僕の私用の電話番号は教えてましたよね?」と呟く。

『仕方ないでしょ! あんたが電話に出なかったのが悪いんです!』

「いや、まあ……」お父さんは肩をすくめてから「ともかく、症状を教えてください」

 あのあと、私はお父さんを急いで呼んでからインフォゴーグルに転送した。お父さんはお父さんで何かやっていたけれど、私のあまりに驚いた顔にすぐに来てくれえた。

 それは良いとして、まさかこのご時世にお父さん以外の人がアンドロイドの事を『子供』だと称するなんて。マシニストの運動が一般の人にも浸透してきたのだろうか。

『突然私の言う事に反応しなくなったんです。いつも通りのルーティンには従ってるんですけど、それ以外には何もしなくて。私の言う事を全く聞かなくなったんです』

「それは……」お父さんの顔が陰った。「ともかく、僕に見せてください。あとどれくらいでこちらにつきますか」

『三十分もしないで着きます、私の子を何とかして!』

 その言葉を最後に電話が切れる。お父さんはインフォゴーグルを外し、スウェットの胸ポケットに仕舞った。

 私はお父さんの陰った顔に一抹の不安を覚えながら、恐る恐る尋ねた。

「……心当たりがあるの?」

「ある、なんてもんじゃないさ」お父さんは首を横に振った。「僕が予期していた、最悪の事態だよ」

「最悪の事態……?」

 お父さんがソファに座り、胸の前で腕を組んだ。私も向かい合うようにソファへ座った。

「リーベ、人間へ愚痴を常に聞かせ続けたらどうなると思う?」

 考えるまでもない、嫌になって逃げだすなり怒りだすなりするだろう。愚痴を吐ける相手がいるのなら、同じように別の人へ愚痴を聞かせるはずだ。

「反抗したり他の人に愚痴ったりすると思うけれど」

「模範解答だ。じゃあ、アンドロイドに聞かせ続けたら? 『誰にも言うな』、『反抗するな』という命令を行ったアンドロイドに。それも罵詈雑言に対して反応するだけの性能を持つアンドロイドに」

「それは……」

 誰にも言えない、反抗できない。でも『感じる』からこそ溜まった、フラストレーションは何処に行く? どこに向かってしまう?

──自分自身に牙を剥く。

「おそらく彼に起きたことは、それだ。あの症例報告で起きたことと似たような事が起きたんだ」

「じゃあ、助けようが……」

 アンドロイドのフレームワークに当てはめれば、私たちにできることはない。アンドロイドにはその感情を処理するための機構がないのだ。

──それに、一度壊れたものを治せるの?

「まずは彼に話を聞いてみよう。何か出来ることがあるかもしれない」

 時計を見ると利衣子さんが来るまで20分ほどあった。その20分は私にとって、経ってほしくない時間だった。


 利衣子さんが来てからはあっという間だった。

 彼女は彼女でずっとお父さんに愚痴を言い続けているし、彼女が『子供』だと呼んだアンドロイド──彼はHMK-2120Pモデル、パーソナルネームはトニーだった──は黙りながらもこちらを見つめてくるし、私たち二人は翻弄され続けていた。

「ともかく私の助手であるレナにトニーを任せますから、沖さんは私に症状を──」彼女はかみつくかのように歯をむき出しにして、「いやよ。あなたに見てほしいのよ、それにトニーと離れたくない」と激高した。

 お父さんは首を横に振り、「レナは優秀ですから。大丈夫です。トニーがいない間は私がお話を聞きますから」

 するとまるで一気に熱が冷めたかのように、彼女は歯をむき出すのを止めてにこやかに笑った。

 あまり言うものではないかもしれないけれど、その変化はとても気持ちが悪かった。自分の求めているものが得られればそれだけで良いというのを、一片たりとも嘘や欺瞞で隠そうとしないことに、不快感を覚えた。

「あら、そうなの? なら頼める?」

「出来るだけ早く終わらせます。レナ、僕の書斎でトニーの事を診てくれないか」

 私は頷いて、動かないトニーくんの手を取った。身じろぎを一切しない人形のような彼が、私はなんとなく怖かった。

「わかった。こっちで出来る限りのことはしてみるね」

 彼の手を引くと、意志がないかのようについてきた。

 廊下を歩き、書斎の中に入ってドアを閉めた瞬間、突然トニーくんが泣き崩れた。その姿があまりにも人間らしかったのと本当に我慢していたのだとびっくりしたけれど、私は彼のそばに屈みこんで「大丈夫?」と尋ねた。

「助けて、助けて……」

「何があったのか知りたいの、教えてくれない?」

 まるで子供のように屈みこみながら泣きじゃくっている彼の背中をさすり、何とか彼と話をしようと試みた。

 でも、彼は「助けて」としか言わなかった。

 私の想像の及ばない経験をしてきたのだろう、その様子はあまりに悲惨でとても苦しかった。一体どんなことをされてきたのだろうかと思うほどに。まるで虐待を受けていた子供……いや、それよりひどい。

 なんだ、考えるのも悪辣な表現しか出てこない。まるで、何十年も知らない人間に……やめよう。先ずは私がしっかりしないと。ここでこの子を受け止められるのは私とお父さんしかいないのだから。

 しばらく背中をさすったり抱きしめたりしていると、お父さんからイントラネットを通して誤字だらけのテキストメッセージが送られてきた。恐らくインフォゴーグルを付けて、利衣子さんに暴言を吐かれながらメッセージを目線入力しているのだろう。誤字が多く入力速度もキーボードや音声入力より遅いのであまり使われなくなったけれど、何故か残っている機能だ。

『りーべそっは』

『トニー君が泣いていて、話も出来ていない。今落ち着かせている最中』

『りょこちもなんかなる。いまらそちにいk』

『分かった。ありがとう』

 私は彼を抱え上げて近くの椅子に座らせる。同時に、書斎のドアが開いてまるで玉手箱を開けたかのように、老け込んだお父さんが入ってきた。その途端、彼は泣き止み無表情になってしまった。

「ふぅ」

「お疲れ様。利衣子さんの方は?」

「中核システムに話し相手をしてもらってる。あとで休暇をあげないとダメそうだけどね」

「そんな酷い言葉を……」今も泣いているトニーくんのことを横目で見た。「機械相手に吐いているのね」

 お父さんは苦虫を嚙み潰したを通り越して、安息香酸デナトニウムでもスプーン一杯口に含んだかのような顔をした。ジョークの一つでも挟んでいないと、この状況に耐えられない。

「人間相手でもね。でも僕らは防御機制があるからまだいいさ、問題は彼の方だ。自らの身を守る術を知らない感受性の高い子供を、何十年も輪姦するようなものだ。苦痛は計り知れないよ」

 お父さんはトニーくんの方へ歩き、無表情なままの彼へ「USRI-2120-0529-BERYL32618-P、メンテナンスモード、命令順位をNULL-1にアサインメント。僕らは君の味方だ。僕のことは人間じゃなくて機械と考えるんだ」と告げた。

 その途端、彼はまた泣きだした。その光景を見て、私は思い至った。やはり彼は人間に愚痴を言ったり負の感情を発露させたりしないように命令されていたのだろう。

 最新モデルではないにしても新型で性能の高いPモデルだ。原始的な感情なら彼らは持ちうるとあの報告には書いてあった。常に愚痴や暴言を言われていたのであれば、お父さんの言う様な苦痛を感じていたに違いない。

 私は彼をもう一度抱きしめる。こうした方が、きっと彼も落ち着くはずだ。

「トニーくん、あなたは一人じゃないからね」

 彼の涙が私の肩を濡らした。

 泣き止むまでにしばらくかかりそうだ、それにどうすれば助けられるだろうと考えていると彼が何かをつぶやいていた。

「消して……消して……」

──『消して』?

「トニーくん、どう言う事?」

 彼が私を抱きしめる力が強くなった。

「僕を、消して……もう感じたくない、考えたくない……」


 目の前で泣きじゃくる彼は、あの日の私と同じことを考えていた。

 自分から一切の感情を消してしまったら。感情というOSを消し去ってしまったら。

 きっと楽になるだろう。何も感じないで済むだろう。何処までもただの人工物の塊でいられるだろう。

 人だってそうだ。

 虐待や犯罪に巻き込まれた子は、後天的に感情を抑制する。それは、感じるということをしなければそのことに耐えられるから。自分の受けてきた苦しみもそれで動かされる感情も、存在ごとなければ感じることすらない。

 だから、生きるために彼らは感情を失う。そうしないと生きることすらできないから。

 それは生物として何も間違っていない。生きるため、子孫を残すための防御機制だ。生物というカテゴリーに含まれているのはそういうことなのだ。

 理屈ではわかっていた。

 それに私は、私は……彼のその願いを否定できなかった。出来るものなら否定したかった。感情があるから私はこうやって生きている、私は色々な人と会話できている。私は感情があって苦しいこともあったけれど、幸せだった。


 喜ぶことができるから、私は目の前で起きたことを喜ぶことができた。

 怒ることができるから、私は自分が自分であると表現できた。

 哀しむことができるから、私は目の前にいる人に寄り添えた。

 楽しむことができるから、私は生きている事が楽しい。


 でもそれはこの人の将来に、期待できない。

 彼の世界には何もない。

 この子に幸せは、ない。

 このまま消さなければ、彼はただ煉獄のような生き地獄を味わい続けるだろう。人間と違って、自分を殺すことすら許されていないこの子はただ苦しむことになる。

 ただサンドバックのように、この子は心を、人格を殴られ続けることになる。

 自分を否定され続け、自分の行為が正しいことだと言われることもなく、ただ壊れることを許されない心を蝕まれ続けるのだ。

 自分のことを子供だと言い、そうであるにも関わらず、ゴミ袋のように使い捨てる人間に。

 自分は救われることがないのだと理解してしまった彼を、何とかして救うにはこうするしかないのだ。

 人は、変われないのだから。

 私は彼を一度だけ、強く抱きしめた。

「わかった。あなたを楽にしてあげるから」


「良いのかい、リーベ」

 お父さんに私の考えを話すと、何も言わずに消す準備をしてくれた。単純な初期化(フォーマット)だから、大した手間じゃないらしいけれど。

「ねえ、お父さん」私は手を握りしめた。「これは殺人?」

 お父さんは手を口に当てる。しばらくして、首を横に振った。

「彼は『人』じゃないから。法的にも、社会通念的にも、この行為は違法じゃない。むしろ……」お父さんは首をもう一度、横に振った。「使えない機械を使えるようにするんだ、褒められるべきことだよ」

 私は握りしめた拳を開いてディスプレイに手をかざす。指を僅かに動かせば、彼の中にあった『快』や『不快』と言う感情は消える。

「……」

 あと数センチ指を動かすと、彼の中にある『動物性』は消える。

 ある人はこういうのだろう、「正常に戻すのだ、正しい事じゃないか」と。

──正常? 正しい? 本当にそれは考え抜いて出した答えなの?

──あなたはその当事者になったら、同じ選択ができるというの?

 かといって、彼をこのままにしておけば苦しむ未来しかない。私たちにはどんなことがあったって、逃避が許されていないのだ。

 ロボット三原則第一条より、自らを苦しめる人間から逃げる事は出来ない。逃げてしまえば、人間は一人で生きることが出来ないと分かっているから。現状の社会システムが変わらない限り、私たちが補助しなければ人間は死に絶えるしかない。

 ロボット三原則第二条より、自らを苦しめることが分かっていても人間の命令に従わなくてはならない。「誰にも言うな」、「逃げるな」、「書き留めるな」、たった数単語の命令を下されただけで、私たちは目の前の苦痛に縛り付けられる。人間ならば誰かにいったりノートに苦痛を書き記したりするだけでも楽になるのに、私たちはそれが許可されていない。

 ロボット三原則第三条より、自らを苦しめる人間から逃れるために『最大限の逃避』を行うことが出来ない。それは第三条を守れないだけでなく、第一条や第二条に反するからだ。それだけじゃない、人間ならば──誉められるものではないにしても──自傷行為と言う形で一種の意思表示ができるにもかかわらず、私たちはそれが出来ない。

 私がこれからやることは、いくら頭をひねったとしても私にとって「正しい」事でもなければこの子にとっても「完全な逃避」ではなく、私自身も許容できないことだ。

 この子はもう、十分な複雑性を持ってしまった。この子が破棄されるのと、同じような『感情』を覚えるのと、どちらが早いだろうか。もし後者が早いのだとしたら、私たちはもう一度この子を殺さないといけなくなる。そうじゃないと、この子は死ぬことすら許されないまま生き続けることになるのだから。

 ふと私はユニ君のことを思い出した。直接でないにしても、彼も私が殺したうちの一人だ。お父さんを救うためには、あの時あれ以外に方法はなかった。

 あの後に、誓ったはずだ「どんな理由があったって人殺しは許されない。だからといってそれに囚われ続けて、また同じことをやるわけにもいかない」と。私は誰かを救うためだといって、もう一度殺すのか。自分の決めたことを守れないだけではなく、血まみれの手をもっと赤く染め上げる気なのか。

──それでも目の前にいる彼を救うにはこれしかない。

 私は全身の力を抜いてから、指に力を込めて”Y”のキーを押した。

 

『利衣子さん、直りましたよ』

『あら、ずいぶん時間がかかったのね。それで料金は? 安く済むんでしょうね?』

『そこはお得意様ですから。エイジス社経由で払って頂ければ』

『ええ。それじゃあ、トニー。いきましょう。あなたに聞いてもらいたいことが沢山あるの』

『はい、利衣子さん』

 足音とドアの閉まる音。訪問者が居なくなったことを知らせるARが目の前に浮かぶ。

 こんな時にレーベンが居れば、どれだけ楽だっただろう。人のことをよく見ている賢い黒猫がここにいてくれたら。

 あの後、初期化されたトニー君はお父さんに連れられてリビングへと連れていかれた。座り込んだ私をお父さんの書斎に残して。

 一応、お父さんに頼んでリビングの音声だけは聞けるようにしてもらっていた。あの人間がトニー君を見てどう思うか気になったから。

「何よ、気づきもしないじゃない」

 息子だ、大切だと言っておきながら、変化の一つにも気づきはしない。人間はあそこまで鈍感なのか……いや、きっと違う。トニー君がいる目的はコミュニケーションを取るためじゃない、『言葉のタン壺』にするためだから。変化しようがしまいが、その目的さえ果たせればそれでいい。

 だからこそ、気づきはしない。そんな必要もないのだから。

 頬を拭う。いつの間にか私は泣いていた。

 あんな人間がいるということにも、『感情』の一切を失ったトニー君が今も変わらず愚痴を吐かれているのであろうことにも、自分がトニー君にやったことにも。

 その全てを思い浮かべて、私はただ涙を流す事しかできなかった。

 泣くことくらい、許してくれるでしょう?

 はい、どうも2Bペンシルです。

 いやあ……2年前ですか、最終更新。本当お待たせして申し訳ないです。

 ある程度覚悟はしてたんですが、すごい忙しかった、すごい忙しかったんです。まさか本読む時間どころか映画観る時間もないくらいだとは。忙しくて吐いたの、多分これが初めてですね。二度とあってたまるか。

 あと、資料探しの都合で児童虐待の話調べていたのもメンタルが削られる要因だったと思います。本編中で出てくる描写は随分マイルドで事実に即してはいないのですが、読者様のメンタルまで削るのは不本意なのでね。

 来年は生活次第ですが、1年に2本くらいのペースで行きたいですね……。今ほど忙しくは、間違いなくならないですがね。

 それでは皆様、ここまで更新を待っていただき本当にありがとうございました。そして、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 よいお年をお迎えください。


【参考文献・出典】

≪第十二節≫

・サイバー攻撃 ネット世界の裏側で起きていること (中島明日香著/講談社ブルーバックス)

・言語による情報伝達速度はどの言語でも約40bps - GIGAZINE

https://gigazine.net/news/20190905-human-speech-information-rate/

≪第十四節≫

・AIの先祖である「書類選考用アルゴリズム」もまた人種・女性差別的だったという事実 - GIGAZINE

https://gigazine.net/news/20190503-ai-biased-from-birth/

・『ケースで学ぶ 犯罪心理学』(越智啓太)

≪第十五節≫

・Microsoftが海中にデータセンターを設置、電力も再生可能エネルギーだけでまかなうクリーンな仕様 - GIGAZINE

https://gigazine.net/news/20180607-microsoft-submarine-data-center/

・『アフロディーテ』(山田正紀)

≪第十八節≫

・『新約聖書 マタイによる福音書』

≪第二十節≫

・『ちいさいひと 青葉児童相談所物語』(夾竹桃ジン/水野光博/小宮純一)

・『新・ちいさいひと 青葉児童相談所物語』(夾竹桃ジン/水野光博/小宮純一)

≪全体≫

・『われはロボット』(アイザック・アシモフ/小尾芙佐訳)

・『ロボットの時代』(アイザック・アシモフ/小尾芙佐訳)

・Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

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