【成人期】──スーパーノヴァ──
【第二部 第一章】
≪第一節 21260506≫
私が書斎のドアをノックしてから開けて中に入ると、お父さんが腑に落ちない顔で空を見上げて机の天板を指でたたいていた。この癖は何か考え事をしているときの癖だ。
「どうしたの?」
「ん、リーベ。いや、ちょっとね……」
この人のいう「ちょっと」はたいてい月と鼈くらい、ちょっととは程遠い。私は近くにあった椅子に腰かけた。
「私でよければ、相談に乗るけれど」
そういうと、お父さんが肩をすくめる。
「大したことじゃないんだ。≪人間同盟≫過激派の話さ」
≪人間同盟≫過激派、反機械主義者の集まりで日本では極左暴力集団として扱われているアンチマシン・テロリストだ。けれど、〈超新星〉と称されるIALA崩壊事件以来、彼らは全く動きを見せていない。お父さんが言っているのは、このことだろう。
「確かに過激派らしくないね。こんな機械との親和を求める社会に変わったのに、何もしていないなんて」
「そうそう。ほら、僕だって少なからず≪人間同盟≫過激派の事は知ってるからさ。あいつららしくないよなあ……と思うのさ」
お父さんは元過激派の幹部だ。でも、周りの協力のおかげで脱却して、今は対抗する側に回っている。
私はあのことを思い出して、思わず首を振った。どれもこれも、IALAひいてはアルバ・ドラコネスが原因だった。彼らがありもしない仮初の楽園を存続させようとさせた結果、その余波にお父さんやお母さんは飲み込まれた。そして、お父さんはお母さんのために復讐を誓ってしまい、過激派に入ったのだから。
「穏健派は今現在、TUに協力しているわけだから、目立った行動をしていないのは分かるんだけど」
「そうだね……何かあるのかな」
お父さんは「変なこと言わないでよ」と苦笑いを浮かべる。しかし、すぐにまじめな顔に戻った。
「とはいえ、リーベの言うことも一理ある。パターンが変わるときは大抵不味いことが起きるし、何より『嵐の前の静けさ』とも言うしね」
「それにまだ、私たちが契機になった〈スーパーノヴァ〉から回復していないものね」
「うん。いくら時代が加速したって言っても、社会システムが崩壊した今の状況から回復するには、少なく見積もっても5年はかかる。その間、何も起きなければいいんだけど」
目立ってはいないものの、政治の世界は荒れに荒れているそうだ。生活に直結するインフラはAIが管理しているから安定しているとはいえ、人の思惑や思想が混じり合う政治はそうもいかない。今の状態を例えるなら、トランプで作ったタワーの上に乗っかっているようなもので、ほんのちょっとの衝撃で私たちの生活はバラバラに崩れてしまう。
問題は≪人間同盟≫や政治だけの話ではない。とはいえ、このことに関してはまだよくわかっていないところも多いけれど。
「それに懐古主義者の問題もあるものね」
私の言葉にお父さんは首を振って口をとがらせる。
懐古主義者。以前の体制──機械を奴隷として扱い、人間は怠惰な世界に生きるだけという、まるで綱の切れかけた吊り橋のようなシステム──を渇望し、時間の針をもとに戻そうとする存在。
「だね……面白いもんだ、僕らはニューヨークにいるわけじゃないのに、懐古主義者って言葉が自然と出てくるんだから」
「お父さんがイライジャ・ベイリなら、私はダニール・オリヴォーかな?」
私が冗談を飛ばすと、「R・ダニールよりは精巧に作ったよ。彼もなかなか人間っぽいけどね」と声をあげて笑う。
一頻り笑ってから、お父さんはため息をついた。
「リーベ、こんなことを君に言いたくはないんだけどね」黒い眼が私の目を捕える。「これからも『戦争』は続くことになる。いや、もっと悪化するだろう。自由の代償は小さくない」
私は頷いた。不本意でも首輪をつけられている間の犬は静かだ。けれど、私たちはその首輪を取り外す引き金を引いた。もしかしたら、私たちは猛犬を解き放ったかもしれない。それどころか、私たちが解いたのはグレイプニルだったのかもしれない。
でも、今の私にできることを出来る限りしないと。それに、お父さん一人に戦わせるわけにもいかない。
「その先は言わないで。分かっている、覚悟もしているから」
お父さんは優しく微笑んだ。
「ありがとう」
≪第二節 21260615≫
私たち二人は、つい先日再建した商店街に向かって歩いていた。屋敷からは5 kmくらいあるけれど、お父さんが「運動不足だから、それの解消ということで」と言って歩くことに決めたのだった。
「お仕事は良いの?」
私が聞くと、お父さんは大丈夫と言わんばかりに微笑む。
「いつもの方はほかの人たちに任せているしね」
私たちのすぐ近くを高速で自動タクシーが走っていく。四車線ある道路の向こう側に目を凝らすと、人の姿がほんの少しだけれど見えた。つい数か月前まで全く人が居なかったこの街に、ほんの少しずつだけれど、誰かがいるというシグナルが戻ってきている証だ。
そのとき、お父さんが小さいながらも唸り声をあげて立ち止まる。私が「どうしたの?」と聞くと、ため息をついた。
「懐古主義者のお出ましだ」
指を指した先に居たのは、以前≪人間同盟≫過激派がやっていた様な横断幕を掲げ、シュプレヒコールを上げる様に口を動かしている道端の一団だった。よく見てみると、横断幕には『AIは奴隷』、『機械は意志を持たない』と書かれており、読唇術で読み取る限りは横断幕と同じようなことを叫んでいる。たしかに懐古主義者だ。
「アジア地区で活動している団体だから……≪極東機械使役連盟≫、イマシニストだな。避けようか」
元々マシニストは機械工とかミシン工という意味だけれど、現代では違う意味を持つ。もしかしたら、機械工という職業が高度なオートメイションによって駆逐されてしまったのも原因かもしれない。ともかく、今と昔では意味が変わってしまった。
それに言葉というものは時々によって増えることもあるようで。つい数か月前まで、機械に関わる思想としては「機械と人間は対等、若しくは支え合うべきだ」という親機械主義と「機械は機械、奴隷であればいい」という反機械主義の二つだけだった。けれど、今ではそれに「機械は神や高次の存在であり、崇め利用するべきである」という非機械主義が加わった。そして、さらに区分を増やそうという議論が始まっているらしい。
とりあえず、現在の区分ではお父さんのような人たちは親機械主義者、≪人間同盟≫過激派は反機械主義者、≪GWRH≫は非機械主義者となっている。懐古主義者はこの中ではイマシニストだ。
お父さんの提案に私は頷く。私なんかが近づけば、彼らは恐怖に駆られる。恐怖に駆られた人間が何をするのかというのは、嫌というほど知っていた。
「私が目の前に出ていったら、あまりよくなさそうだものね」
お父さんが肩をすくめ、「発狂するだろうな」と呟く。私は街中を飛び交っているインターネットに接続して、自動タクシーを呼び出した。
再建された商店街の入り口で自動タクシーを降り、花屋さんまで歩いていると、道端に石碑のような場所があった。私が立ち止まると、お父さんも「ん?」と言って立ち止まる。見ると、人の名前が何人か書いてあった。
「『自由を求め、闘った英雄に捧げる』……」よく見ると、玉崎さんらしき名前もある。本名は玉崎斎、アングラが強襲された日に亡くなっている。「これって、もしかしてアングラで亡くなった人の石碑?」
お父さんも眼鏡の位置を直して、じっくりと石碑に目を走らす。しばらくして、「ああ……僕が知ってる限り、JSOCに対抗した人たちの名前だ」と言って、何とも言えない表情で頬を掻いた。
「せめてもの抵抗か……忘れようとする政府への」
そういわれて、何のことか思い至った。実は私たちやアンノウンが広めた情報が全てではないと言われている。特にあの当時、IALA以外の組織で頻発していた汚職や権力乱用についてはあまり分かっていないことも多いようだ。
当然、JSOCを用いて行われた暗殺計画と思われる襲撃の中には、今もまだ存在が認められていないものもある。本当は前世代の政府が行ってきたことを公開するべきだと思うのだけれど、現政府は頑なにそれを拒んでいた。
きっと、何らかの理由はあるのだろう。せめてその理由が、「混乱を巻き起こさないように」という理由であればいいのだけれど。
「……行こうか、リーベ」
私たちは死者の帝国に長く関わるわけにもいかない。そして、死者を自らの目的のために利用するわけにも。
「うん」
私は頷いて、お父さんと一緒にまた歩き始めた。
私たちが花塚さんのやっている──また元の場所でお店をやっていると、以前メールが来ていた──花屋さんに入ると、花塚さんその人がにこにこと笑いながら頭を下げる。私たちも会釈で返すと、「きっと来るだろうと思ってました」と言って微笑んだ。
けれど、私は花塚さんの老け込んでしまった顔を見て、思わず目を逸らしてしまった。
笑っている顔は確かに本人だけれど、黒髪は銀色に変わって薄くなってしまっている。そして、深く皴が刻まれてくすんでしまった顔は、彼女の受けてきたストレスを物語っていた。
「今日は何をお求めですか?」
声は以前と殆ど変わらない。彼女の姿を変えてしまったのは老化ではないみたいだった。
「リーベ、好きに見て回るといいよ。僕はそこらへんをうろついているから」
お父さんは気づかないのか、それとも気づいたふりをしているのか、いつもと変わらない様子で私に声をかける。
「うん」
私は花塚さんの方を見ずに棚の間を歩き始めた。
歩いてほどなく、白くて花びらの沢山ある花を見つけた。中心は白い縁取りに黄色い丸、白のガーベラだ。花瓶から一輪引き抜いて手に取る。そういえば、白のガーベラの花言葉には「希望」って言葉があったっけ。
花瓶に戻してくるりと首を回すと、また白い花があった。中心が黄色く、白いがくで囲まれたその花を送ってもらった日のことは今も覚えている。そのちょっと怖い花言葉を持つ白い花も、実は白のガーベラと同じような花言葉がある。誰かが言っていたっけ、「ふたつよいことさてないものよ」って。
「『期待』と『希望』……確かに今の僕らには必要かもね」
その声に振り向くと、お父さんが微笑みながら私のことを見ていた。
「あと何輪か買ってもいい?」
「百輪とかじゃないならいいよ。百輪は飾る場所がないからダメだけど」
「普通だったら、お金の問題で買えないっていうはずじゃ?」
お父さんが声を上げて笑う。「僕らが普通かい?」
私は肩をすくめて、先ほど手に持っていた白のガーベラと白いアネモネを二輪ずつ手に取り、私たち二人は花塚さんの所へ歩いていった。
屋敷に帰った私は、綺麗にくるんでもらった花を鋏で剪定してから、いつも使っている花瓶に差す。
あのあと会計を済ませた私たちは──花塚さんは妙に過敏になっていて、ちょっとした物音にも驚いていた──自動タクシーを使って屋敷に戻ってきていた。車内でお父さんにどうして花塚さんがああなってしまったのか聞いてみると、「僕にもわからない。でも、目の前で戦闘があると、ああなってしまう人が居る」と言いにくそうに目を伏せていた。
以前の私なら人と人がなぜ争うのかをお父さんに問いただしていたと思う。けれど今の私には人と人が争うのはどういう理由なのかが、なんとなくだけれどわかってきていた。それと同時にユニ君と刺し違えて私が生き残り、色々な人が居るという現実を知ってしまった今、諍いが争いになる前に避けないといけないとも。
そうしないと、また多くの人たちが傷つくことになってしまう。諍いを避けることができないのなら、せめて争いだけは避けないと。
「……リーベ?」
急に呼ばれて、びくりとする。見ると、お父さんが壁に寄りかかって私のことを見ていた。
「はい?」
「大丈夫? また悩んだりしてないよね?」
怪訝な顔でお父さんが私に訊ねる。私が反射的に「いいえ、そんなことはありません」と答えてキッチンへ行くと、珍しくお父さんがキッチンに来て壁に寄りかかった。
「リーベ、いいことを教えよう。反射的に答えるとき、そこに思考は介在しない」
いきなり生物学の基本を言われた私は、今日の晩御飯にするための食材を手にしたまま、首を傾げる。
「当然でしょう? 反射は脊髄が行う活動で、思考は脳が行う活動なのだし。私みたいなアンドロイドだって、そのあたりのプログラミングは人間を模しているって知っているよ」
そう言い返すと、お父さんは笑った。「逆を言えばね、君は何も考えずに僕に『何もない』って答えたんだ。さて、『何もない』ことの証明はどれくらい難しいのかな」
少しして言われた言葉の意味を理解した私は、思わず頬を膨らませた。この人はいちいち言うことを歪曲させすぎるきらいがある。
「私が嘘を言ったって言いたいの?」
「そこまでは言ってないよ。ただリーベは何かを考えていたが故に、正しい返事はしていないってこと。もっと言うとね、何もないときに『何かあった?』なんて聞かれたら、大抵何かなかっただろうかって考えて黙り込むよ。瞬時に『何もない』と答えるのは、何かを考えていたか別のことに気を取られているときだけさ。じゃないと、反射的には答えることは少ない」
「どんなことにも例外があるのに、その可能性は考えないの?」
「考えてもいいけど、今回は明らかに何か考えている顔だったからね。その可能性は低いと踏んだんだ」
──まったく、この人は。
ため息をついて、私は料理しながら先ほど考えていたことをかいつまんで話す。すると、いつもの考える仕草のまま「難しいことを考えているね」と呟いた。
私は手を止めてお父さんと向き合う。
「正しいと思う? 戦争になる前に何とかすることって」
「うーん……」お父さんが首を傾げる。「僕の主観だよ? その考え方は正しいけど、理想だ。というか、何をもって正しいとするかによるかな……正しさって実はすごい定義が難しいんだ。トロッコ問題は知ってると思うけど」
「うん。功利主義的に考えれば一人を殺してしまう方がいいって話しでしょう?」
「そうそう、派生問題もあるけど。しかし、義務論的には何もしないのが一番正しい。もしその一人がレバーを引く人の家族で残りの五人を憎んでいたなら、その人にとっては五人を殺した方が正しいかもしれない」そういって肩をすくめる。「こんな風にね、正しさって何処にどう立つかで変わってしまうんだよ。ちょっと不正確な言い方だけど、平時では殺人は罪だが戦時では殺人は正当な行為みたいな」
私はある偉人の言葉を思い出して、呟いた。
「『一人殺せば殺人鬼だが百人殺せば英雄だ』?」
「『百万殺せば神になる』って具合にね。というわけで、正しさは人や時代によるんじゃないかな。故に正しさを求めて争うわけだから」
その言葉に私は首を傾げる。正しさがそれぞれなら何も争うことはない。それぞれがそれぞれの正しさを追求すればいいだけのことだ。それでぶつかってしまったのなら、押し付け合わずに話し合うなり避けるなりすれば良いはず。どちらも正しいのだから。
「なんだか、おかしな話だね」
そういうと、お父さんが首を振る。
「なかなか人間って論理的に動けないからね。一歩立ち止まることも、たまには大切なんだ。それに説明が下手な人だと、伝わらないこともあるしね」
そういわれて、ふと私はお父さんに掴みかかったことを思い出した。思えば、あれも正しさと正しさのぶつかり合いだ。あれでお父さんと私が争うことはなかったけれど、私は自分を抑えられなかった。
「そっか……」
「そういえば、あんまり僕らは喧嘩しなかったけど、喧嘩も正しさと正しさのぶつかり合いだよね。そして抑えが利かなくなると戦争になる。まあ、サッカーが原因で戦争になった例もあるけど、あれも色々蓄積があったわけだし」お父さんは優しく微笑む。「というわけでずいぶん話から脱線してしまったけど、君なりの正しさを追求してみたらいいと思うよ。で、また何かあったら定義を変えるなり相談しに来るなりしたらいい。あとはその人の選択の問題だからね」
自分が何を選ぶか。確かに、その通りかもしれない。
「ありがとう」
お父さんは「そういや、なんでこっち来たんだっけ」と言って頭を掻く。そして、「まあいいや。また夕食になったら呼んで」と言って書斎に戻っていった。
≪第三節 21260819≫
あれから、私は暇を見つけては自分なりの正しさについて考えて続けていた。もちろん、人に危害を与えたり不幸にしたりすることは間違いだと考えていたから、それ以外のもっと芯になる部分のことについて思考を巡らせていた。
尤も、数カ月たっても答えは出なかったけれど。
そんなある日、お父さんに呼ばれた私は書斎の椅子に座っていた。
「どうしたの?」
「リーベに話さなきゃならないことを思い出したんだ」
そういいながら、お父さんはキーボートを叩く。お父さんの隣にはひびの入ったマグカップが置いてある。つい先日、割れこそしなかったものの、コーヒーを注いだ時に温度差でヒビが入ってしまったのだ。
「もう二十歳だし、リーベはほとんど人間だ。何時までも僕と一緒に居たくないかなって思ってさ」
首を傾げる。そんなことを思ったこともない、というよりはこの人は私がいないと生きていけない気がする。それに、お父さんの面倒を見るのが私の仕事だ。
「そんなことないけれど」
相も変わらないマシンガンのような打鍵音を立てながら、「あと、僕の寿命の問題。平均寿命まで僕が生きれたとしても、リーベの方が長生きすることになる。そうなったとき、現行法では所有者も譲渡者も居ないアンドロイドは10年の整理期間の後に破棄されることになるからね。今のうちに対策しておかないと」
それでやっと、何をしたいのか思い至った。
「つまりは私を身分上は人間に仕立て上げる……ってこと?」
打鍵音が止まり、素っ頓狂な顔をしたお父さんが私を見る。「言ってなかったっけ?」
「うん」
お父さんが首を傾げ、しばらくしてから頷いた。
「そっか。まあ、そういうことなんだ」
「でも、身分の偽装ってそんな簡単にできるの?」
人間であれば、人工子宮からの出生時にマイコンを埋め込むことがそのまま戸籍になり、その出生の記録は生命省で管理している相補的記憶媒体に保管される。けれど、後天的に作られたアンドロイドの場合、出生の記録もなければマイコンを埋め込まれてもいない。
ついでに言うと、私やコンちゃんのようなオリジナル・アンドロイド──メーカーでアセンブリされていないアンドロイド──はアンドロイド製作会社で管理される生産記録すらないため、身分を証明するものといえば政府に登録している認識番号だけだ。
そんな状態でどうやって戸籍を作るのだろうか。ただでさえ、STMは定期的に同塩基配列のデータコードをコピーするため、ブロックチェーンよりも偽装されにくいとして公的な場所で用いられているのに。
私の言葉に、お父さんはにやりと笑う。大抵、こういう時は悪いことを企んでいる。
「最近、エイジス社も公的機関相手の商売をしててね」
お父さんが何をしたいのか、一瞬で分かった。
「分かった、生命省で仕事が来た時に割り込ませるのね……それ、契約違反じゃないの?」
「残念、半分外れで半分当たり。仕事は作るもんだよ」
悪びれることもなく言い放ったその言葉に、私は頭を抱える。本当、この人は私のためとなると無茶をする。
「ダメ。エイジス社解雇されたら、どうするの? それに公的機関に攻撃仕掛けるだけでも逮捕されるっていうのに」
「まあ、そこらへんは僕の腕の見せ所だよ」お父さんは肩をすくめる。「今までのは殆ど冗談……というか、最終手段だけどね」
「えっ?」
「最近、『AIにも人権を』とか『AIと人間を対等に』とかっていう運動が盛んになり始めててね。そのうちの一つに、AIに戸籍を与えるって運動があるんだ」
「できるの? それ」
「今のところはまだまだ。でも、僕も応援している運動の一つだよ。上手くいけば、町の中をアンドロイドが独りで歩ける世界が来るかもしれないしね。これはこれで問題だけど」
確かにAIが自律行動する、というのは今まで培われてきたAI理論から考えると、あり得ないと言って良い。そうはいっても理論というのはたびたび修正されるものではあるから、一概には言えないのだけれど。
「そういうわけで、もしAIが戸籍を持てるようになったら。そのときのために、リーベの意見を聞いておきたかったんだ。さっきも言った、僕の余命の話もあるしね」
ため息をついて、「最初からそう言ってよ」
一瞬、また前みたいな無茶をするのかと、肝を冷やしたのに。
もちろん、犯罪をするわけでも危ない橋を渡るわけでもないのなら、私は構わない。
「ごめんごめん。ただ、必要があれば最終手段はやるよ」
「大丈夫、そうなる前に何とかアンドロイドの人権を認めさせるから。じゃないと、私が安心して暮らせない」
お父さんが笑う。私もつられて笑った。
「まあ、そういうわけでいくつか質問させてほしいんだ」
私は椅子に座りなおす。
「うん。何でも聞いていいよ」
それから何時間も掛けて、私はお父さんに聞かれたことを答えていった。特に答えにくい質問はなかったけれどこんなに時間がかかったのは、偽造身分用の設問にも答えていたからだった。
「……これだけあれば、問題ないと思う」
正規の方では、私は雪村尊教のオリジナル・アンドロイドであり、誕生日は2107年6月15日であるということ。ライフログの方では基礎教養レベルの教育といくつかの応用技能を持ち、家政アンドロイドとして製造されたこと等を記載したチャートが完成した。あとの専門的なことに関しては、お父さんがやってくれるらしい。
偽装身分では、私はドイツ人と日本人のハーフで、本名はレナ・レオナ・ユキムラ、つまりはお父さんとお母さんの二人の間にできた娘ということになっている。あと、ライフログでは応用教養レベルの教育を受けてきた事になっていた。
「まさかレナを選ぶなんてね。てっきり、リーゼを選ぶのかと。ほら、スペル似てるし」
「『木を隠すなら森の中』、あんまり目立つ名前だと変に突っ込まれてぼろが出そうだったから。レナって、ドイツだと比較的多い名前でしょう?」
「それなりにはね。少なくとも、リーゼよりは人気だと思う」
「他に何か答えることはある?」
「いいや、特にないかな。また何か不足してたら聞くかも。あと、偽装身分の方は公的機関相手じゃない民間相手なら、今からつかっても問題ないよ。規約によってはダメだったりするけど、通販程度なら」
私はほんの少しだけ浮かんだ不安を口にする。偽装については、お父さんのことを信頼しているけれど、無意識下で私が行った所作のせいでアンドロイドだとバレることはないのだろうか。もしバレてしまえば、周りの人を怖がらせることになってしまう。
それは出来る限り避けたい。
「これだけで本当に、人間じゃないってバレないのかな?」
私の疑問に、お父さんはいつもの考える仕草で答える。
「うーん」しばらくして、肩をすくめた。「医療センターに運び込まれたり、自分からバラしたりしなければ、分からないと思う。バイアスはかかってるけど……人間の僕から見ても、ほとんど人間と変わらないように見えるしね。それに、リーベ自身、良く人と間違われてるからさ」
「そうかな……」
「相当な観察眼のある相手なら、リーベの言語プログラムや行動アルゴリズムからアンドロイドだってわかると思う。それこそスパイだとかパターン認識に特化したAIだとか。でも、一般人には見分けがつかないはずだ」
お父さんの言葉に間違いがあるとは思わないけれど、それでも少しだけ不安は残った。けれど、さっきと比べればずいぶん良くなった。
できれば、偽装身分を使うことになったとしてもアンドロイドだってバレないように。願わくば、公的機関相手に偽造身分なんて使わないで済むように。
「きっとそうだよね」
お父さんが少しだけ、悲しそうに笑う。
「僕も悪いからね。僕のエゴで、リーベは人間じゃないのに人間として生み出されてしまったんだ。そのせいで、リーベは何度もひどい目に遭ったし、これからも遭うかもしれない」まじめな顔に戻ったお父さんが、「僕にできることは少ない。でも、リーベが人間として生きていけるよう、若しくは人間と変わらずに生きていけるように、出来る限りのことはするよ」
私は微笑んだ。本当に、こんなお父さんの元に生まれてこられてよかった。
「ありがとう、お父さん」
──でも、一つだけ付け加えておかないと。
「無理はしないでね?」
お父さんは肩をすくめて、何も聞かなかったかのようにそっぽを向いた。
≪第四節 21261019≫
秋の足音が聞こえ始め、秋晴れが続く季節。そんなある日、私は外にも出ずに自分の部屋に居た。
タオルとボトル入りの水、猫のおやつを手早くピンクの地に赤い猫の描かれた防水バッグに放り込む。
「他に何か必要なものは……」
あの子は何が好きだっただろうか。人の食べるものでいうと……。
「そうだ、牛乳だ」
私が立ち上がった瞬間、部屋のドアをノックする音が聞こえてくる。片手にバックを持ってドアを開けると、ジーンズと白いシャツに黒いジャケットを羽織ったお父さんが経っていた。
「何か必要なものは?」
「あと、あの子の好きだった牛乳だけ。ほかのものは全部持ったよ」
「分かった。沢井に住所は聞いてあるから、牛乳持ったら行こうか」
私は頷いてから、二人で一階のキッチンへと降りて行った。
それからしばらくして、私たちは自動タクシーに乗って沢井先生に聞いた動物霊園へと向かっていた。
何を隠そう、今日はレーベンの命日だ。だから、二人でお墓参りに行こうと約束していたのだった。
実は一つ引っかかることがある。今年の五月、お父さんに「千住さんのお墓参りはしないの?」と聞いた時、「僕は行けない」という答えが返ってきたこと。あれ以来、積極的に話題に出すことも考えることもなかったけれど、あの様子はただ事じゃなさそうだった。
レーベンのお墓参りには行って、千住さんのお墓参りには行かない。いや、行けない。
もしかしたら、千住さんからお父さんに渡された手紙の内容が関係あるのだろうか。それとも、お父さんの中では未だに、あの人の死を昇華できていないのかもしれない。以前、人は死を昇華できないと故人を思い出すことができない、というような話を聞いたような気もする。
どちらにせよ、できることはほとんどない。出来るのはお父さんの傷が癒えるまで見守ることだけだ。
私だってレーベンが死んでからはしばらくの間、猫用餌のパウチを見るだけで涙を浮かべていた。それ以上のショックがあったと考えるのは、想像に難くない。父親代わりの人の最期を看取れなかったのはもちろん、別れるための時間だって足りなかったのだろうから。
でも、あまりにも避けるようならどうして避けるのかを聞いた方がいいのかもしれない。何か千住さんのことで悩み事があるなら、この人は聞いてあげないと自分から話さないから。理由如何によっては、二度と話題に出さずにお墓にも行かないという選択肢もある。
「──リーベ」
「はい?」
お父さんの声に驚いて、ハッとする。見ると、止まったタクシーの窓越しに石段が見える。いつの間にか目的地に着いたみたいだった。
「大丈夫?」
「うん。ちょっと考え事していただけ」
「ならいいけど」
お父さんがマイコンリーダに左腕をかざす。いつも通りの電子音声がして、ドアが自動で開いた。
石段を登って墓地に至るまでの道はあまり管理されていないようで、石畳もコケやヒビだらけ。下草は刈られているみたいだけれど、木の枝は好き勝手に伸びていた。それでも最低限、通行の邪魔にはならない程度には剪定されているみたいだったけれど。
「ここの墓地は集合墓地で、レーベンの他にも色々な子が居るんだって話だよ」
お父さんが私の隣を歩きながら、そんなことを教えてくれる。
「じゃあ、ほかの子にもお参りできるのね」
「うん。線香とかも置いてあるんだとか言ってたけど」
すると道の先に、開けた場所が見える。そこには古ぼけてはいるけれど、大きな石碑が建っていた。黒い花崗岩で作られている、『2001年宇宙の旅』で出てきたモノリスのような石碑。その表面にはプレートが嵌まっていた。
石碑の前に歩いていくと、プレートの細部が見える。金属製のプレートには一枚一枚にペットの名前が彫られていて、それが百枚ほど嵌っている。物によっては長い間外で風雨にさらされたせいか、赤茶けているような物もあった。それでもプレートや石碑は管理されているみたいで、先ほど通ってきた道とは違って地面には雑草もなければ石碑やプレートにも目立った汚れはない。
──汚れているかもしれないと思ったからタオルを持ってきたけれど、杞憂だったみたいね。
そんなことを考えながら中腰になってしばらく探していると、『雪村レーベン』と書かれたプレートを見つけた。ここの下に、レーベンは眠っている。
「はい、リーベ。線香」
その言葉とともに、後ろからお父さんの手が伸びてくる。手には深緑色の線香が握られていた。
「ありがとう。どこから持ってきたの?」
私が立ち上がってそう尋ねると、お父さんはライターを左手で持ったまま左親指で近くの小屋を指さす。見ると、小さなプラスチック製の白い箱と線香と数個のライターが入っているアクリルケース、その横にはマイコンリーダが併設されていた。ケースには『お支払いを済ませると自動で開きます。ご自由にお使いください。使い終わったライターは返却ボックスへ』という張り紙が貼ってある。
「そこにあったから。お金払えば、自由に使っていいみたいだよ」
「なるほど」
手から線香を受け取ると、お父さんは屈みこんだ。
「まず、お供えしようか。線香はあとでも」
「そうだね」
線香をうまい具合に指の間に挟んでから、バッグを開けて持ってきたものを色々と取り出して並べていく。水場がないみたいだったから、ボトル入りの水で花差しを洗ってから、持ってきた花を添える。
ほどなくして石碑の前には、花はもちろん猫のおやつだとか牛乳だとか、そういうものがいろいろと並んだ。
「よし、火をつけようか」
昔ながらの電熱式ライターの中に、数本まとめた線香を入れる。ほどなくして引き出すと、先が赤くなった線香から煙がゆらゆらと立ち上った。
「お父さんも」
私はライターを受取って、お父さんが同じように線香に火をつけ、二人分の線香の束を香炉台に載せる。
それから私たちは屈みこんで、目を瞑って手を合わせた。
前日までレーベンに何を言おうかと考えあぐねた結果、あまり長く言うのも良くないような気がして、数言に纏めることに決めていた。
──レーベン、そっちでも元気にしている? 私たちは変わらず元気だから、あなたもそっちでゆっくり過ごしていてね。
目を開けると、すでにお父さんは手を合わせるのを止めて、じっと香炉台の方を見ていた。見ると、線香に火が移ってしまったのか線香が燃え出していた。
消そうとして、慌てて手で仰ぐ。けれど、火の勢いはむしろ増してしまった。とはいえ、息を吹きかけて消すのは良くないと聞いたことがある。どうすれば、火を消せるだろうか。
その時、お父さんが助け舟を出してくれた。
「ずいぶん前に千住さんが言ってたよ、『仏前に供えた線香や蝋燭が燃え上がるのは、仏様が喜んでいる証拠』だって」
その話を聞いて、手で仰ぐのをやめる。もしそう言うことなら、消さなくたっていいはずだ。
「本当?」
お父さんは肩をすくめる。
「さあ。僕は心理学的や神経学的なものは別として、お化けとか神様とか信じてないからね。何よりこの事象に関しては科学的な説明もできる」そう言ってから微笑んだ。「でも、そう言うことにしたっていいと思うよ」
私はその言葉に頷いた。なら、私はそうだって信じていよう。正しくないかもしれないけれど、それで誰かに迷惑をかけるわけじゃないのだから。
それからお供え物を片付けたりライターを返却ボックスに入れたりした後に、自動タクシーを呼んだ私たちは家路についた。
自動タクシーの中でふと、お父さんの履いている靴が目に写る。私が生まれてから20年間、この靴を洗ったことは何度もあったけれど、一度も変えたことはない。本人はほとんど履いてないしまだ使えるからといっていたものの、流石にもう限界に見える。
「お父さん、靴替えなくていいの?」
「ん?」お父さんも靴を見る。「あー……いや、実はね。この靴って凄い履きやすいんだよ」
「そうかもしれないけれど、20年間一度も変えたことないのに。もうボロボロになっていない?」
すると、お父さんが舌を出す。
「実はソール剥がれてるし、穴も開いてるんだよね。でも、やっぱり履きやすくてさ」
「やっぱり……」その時、あることを思いついた。「ほとんど同じ靴だったら、新品に換える気はある?」
「え? まあ、そんなのがあればだけど……10年前に調べたときはなかったなあ」
ちょっとインターネットで調べてみよう。もしかしたら、同じデザインの物が売っているかもしれない。完全に同じでなくても、似たような靴を売っている場所があるかも。
そんなことを考えていると自動タクシーが止まる。外を見ると、もう屋敷の前だった。
≪第五節 21261225≫
覗いていた自動タクシーの窓が、白く曇る。
窓越しには長方形を組み合わせたようなマルチレイヤー・アパートメントが、目の前を過ぎ去っていった。一棟で何千人も収容できるこの建物は、これから先も変わることはないのかもしれない。それとも、より広い世界を望む人がたくさん出てきたとき、この建物は取り壊されてしまうのかもしれない。
私にとって見慣れた景色は、いつか社会から排斥されるのだろうか。
「リーベ、ずいぶん熱心に外見てるね。なんか面白いものあった?」
お父さんに呼ばれ、私は窓から目を離した。
「ううん。特に何もないよ。景色を見ていただけ」
「そっか」
今日はクリスマスだから、二人で商店街に行くことにしたのだった。それで、今は自動タクシーに乗っている。
実はお父さんにも秘密にしているのだけれど、レナ・ユキムラ名義でお父さんにプレゼントを買ってある。お金はお父さんが私の分として用意していた口座──本人に聞くと自由に使っていいということだった──から引き落としてもらってあるので、名前と予約番号を言えば受け取れるはずだ。
『商店街です』
「はいはい」
お父さんがマイコンリーダに左腕をかざす。電子音とともに『お支払いが完了しました』という音声が聞こえて、ドアが開いた。
犠牲者の石碑を過ぎて花屋さんに入ると、花塚さんの代わりに見慣れない人がお店の掃除をしていた。
花塚さんとは違って、少し太めの男性。軽い日焼けをしたような肌の色と濃い茶色の目をしているのが特徴的な人。目鼻立ちから見て、ネグロイドとモンゴロイドのハーフのような気がする。
「いらっしゃいませ」
低くて落ち着いた声。とても聞いていて心地がいい声だった。
「あれ、花塚さんは?」
お父さんがそう尋ねると、男性は「ああ、花塚は少しお休みを。心的外傷後ストレス障害の治療が必要なので」と答えた。
私が驚いて何も言えずにいると、畳みかけるようにお父さんが尋ねた。
「PTSD? 大丈夫なんですか?」
「ご心配ありません。『しばらくしたら、お客さんのためにも戻ってくる』、そういっておりましたから」
それを聞いて、ほっと胸をなでおろす。
「よかった」私は男性に尋ねた。「申し訳ありません、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
男性はもっていたモップを近くにあったバケツに入れてから、お辞儀するように頭を下げた。
「申し遅れました。私は花塚アルバート、花塚花蓮の息子です」
「息子さんでしたか」
「ええ。元々はたまに母の仕事を手伝っていたのですが、今はそうもいきませんので」アルバートさんはバケツの持ち手をつかんだ。「お決まりになるまで、どうぞご自由に見て回ってください。なにかありましたら、呼んでいただければ」
彼はバケツを持ったまま、お店の奥へと消えていった。
「そう言うことみたいだから、とりあえず見て回ろうか」
「うん」
おとうさんと一緒に棚の間を歩いていくと、前にも買ったアネモネやカーネーションが水の入ったバケツに刺さっているのが見えた。
ふと、視界に小さな花の周りをまるで花弁のように赤い葉が囲んでいる鉢植えが写った。
ポインセチア、クリスマスを飾る観葉植物。この時期は良く出回っている。
色々とクリスマスに縁のある植物で、鉢植えなら大きく育てたり個人的に増やしたりすることもできる。とはいえ元々暖かい地方で育つ植物だから、日本で育てるのはそれなりに気を使う必要があったり、特徴的な赤い葉の色を綺麗に出すためには少し特殊な条件が必要だったりするため、あまり園芸の経験がない私に育てられるかどうかわからない。
それよりは扱い慣れた花の方がいいかもしれない。花は花で、すぐに枯れてしまうのだけれど。
「リーベ、考え事してるみたいだけど」
お父さんが話しかけてくる。気づくと、いつの間にかお父さんが考え事をするときみたいに、手を顎に当てて考え込んでいたみたいだった。
「お父さん、私に鉢植えって育てられると思う?」
「うん? うーん……」お父さんも私と一緒に手を顎に当てる。「出来……るんじゃない? 何事も経験じゃないかな」
「そっか……」
「確かに、今まで鉢植えを育てたことってないもんね」
育てるための知識はいくらでもインターネットで手に入る。それに、育てるための用具もここで少しは手に入るみたいだった。
それなら、挑戦しても良いかもしれない。枯らしてしまったら可哀そうだけれど、そうならないように出来る限りのことはしてあげないと。
「鉢植えにしてもいい?」
「うん。リーベが好きなものにするといい」お父さんがほほ笑む。「プレゼントだしね」
「ありがとう、お父さん」
私は少し声を張り上げて、バックヤードにいるであろうアルバートさんの名前を呼んだ。
花屋から出ると──鉢植えや園芸用品はかさばるので、後日アルバートさんが屋敷へ送ってくれることになった──お父さんが怪訝な顔で私を見た。
「あれ、いつもなら自動タクシー呼んでるよね」
「ちょっと連れて行きたいところがあって」
お父さんは目をぱちくりさせて私の顔を見つめる。その姿に首を傾げた。私がわがままを言うなんてよくあることなのに、どうしてそんなに驚くのだろうか。
少し考えて、いつもと今回の違いに気が付いた。いつもなら──私が感情的になったときは別として──家事やスケジュール調整などの基本的なタスクを終えたうえでわがままを言っていた。
けれど今回は、そういうものの優先順位を自ら低下させたうえでわがままを言ったから、それで驚いているのだろう。確かにこれは今まで見たことのない挙動だから。
お父さんの反応を見るまで気が付かなかった。本当はできるわけがないのだ。
私に課されている命令は『家事やスケジュールの調整により人間の生活を補佐および維持すること』なのに、それに対して反逆するような挙動を行った。ロボット三原則第二条で、第一条に反しない限りはそのような挙動を許していないというのに。なんといっても命令に反するということは人間に危害を及ぼす可能性すら孕んでいるため、第二条はかなりポテンシャルが高く設定されているはずだ。
ずっと考えていた、最悪のことが起きてしまった。
「こんな挙動が出来るなんて……世界的に見ても、こんな挙動出来たAIはないはずだ」
無意識にアンドロイドから逸脱した挙動を行うこと。そして、誰かを怖がらせてしまうこと。
それが、ついに起きてしまった。
「……私も、こんなの初めてだと思う」
思わず血の気が引くような感じが私を襲う。なのに、お父さんは先程の表情から打って変わってニコニコ笑い始めた。
「いやあ、世界初に出会えるなんて最高の気分だよ。論文にするにはちょっと社会的な問題があるけど、今ここでイーモノに発表したいくらいだ」
次は私が驚く番だった。
「怖がらないの? 今の挙動は反逆の可能性すらあるのに……」
すると、お父さんは首を横に振った。
「僕はリーベを信じてるからね。君には良心も判断力もある、そんな相手を怖がる必要はない」
胸をなでおろす。良かった、やっぱりお父さんは私のことを怖がらない。
ずっと、無意識的に行動したせいで誰かを怖がらせてしまうのではないかと、怖かった。
けれど、お父さんなら、私を怖がらない。
「で、行きたい場所って?」
わだかまりのとけた私はにっこり笑って、私はお父さんの手を握る。
「こっち。ついてきて」
窓のついた赤い木製のドアを押して開けると、カランカランとドアベルが鳴る。内装は白というよりはクリーム色の壁紙で、橙色の光に照らされた店内には色々なマグカップやプレートの乗っている棚が壁に沿ってずらりと並んでいた。
「ここは……食器店?」
「うん。ちょっと待っていてね」
ドアベルを聞いて奥から出てきたのは、元はプラチナブロンドであったであろう白髪、白い肌と緑色の目をした、コーカソイド特有のほりが深い顔をした初老の男性だった。見方によっては厳しい顔をしているようにも見える。
「こんにちは。何をお求めですか」
少し離れたカウンター越しに少しとげとげしい声で男性が訊ねてくる。
「すみません、レナ・L・ユキムラの名前でプレゼントを予約していたのですが……」
彼は納得したように頷き、「ああ、お待ちしておりました。確認のために予約番号をお聞きしても?」
「21261201LLYです」
「確認致しました。少々お待ちください」
そういって、彼は店の奥へと消える。すると、お父さんが私に「一体何を買ったの?」と小さな声で訊ねてきた。
私は肩をすくめて、「プレゼントの中身を言ったら、楽しくないでしょう?」
「いや、まあ、そうなんだけどさ……」
お父さんは諦めたように、ぶつぶつと中身の予想を呟き始める。ほどなくして、男性が大体15 cm四方くらいの大きさをした紙袋を持ってきた。
「お客様。こちらになります」
カウンターに近づくと、彼が私にその袋を手渡した。入っているものが一つだけだから当然なのだけれど、あまり重くはない。
「ありがとうございます。代金は確か、支払い済みでしたよね」
「ええ」彼がカウンターの下から、タブレット端末と今では珍しくなったスタイラスペンを取り出す。「こちらに受け取り確認のサインを」
ペンを取った私はサインしながら、「珍しいですね、今の時代に電子署名式だなんて」
「あまり新しいシステムを導入する余裕がありませんので」
「なるほど……」書き終わってから、ペン先を向けないようにしてペンを返す。「あとは何か、ありますでしょうか」
「いえいえ」ここに来て初めて彼が笑う。「お買い上げありがとうございます。また、よろしくお願いいたします」
私も笑い返す。
「こちらこそ、ありがとうございました」
踵を返した私は、変な顔をしたままのお父さんを連れて、またドアベルを鳴らして店の外に歩き出た。
それから、自動タクシーに乗って屋敷に帰ってきた私たちは、リビングのソファに倒れ込むように座る。ほどなくして、お父さんが「それで、結局何を買ったの?」と尋ねてきた。
私は持っていた紙袋をお父さんに渡す。袋をひっくり返すと、中から大体マグカップくらいの大きさをした茶色い箱が滑り出てきた。
「きっと気に入ると思うのだけれど」
「なんだろ」お父さんが封をしていたテープを親指の爪で切り、ふたを開けて中身を取り出す。
中から出てきたのは、一般的な大きさの白いマグカップだった。
今まで使っていたカップを修理に出すことも考えたのだけれど、お父さんに聞くと思い出の品というわけでもなく前のは中が随分茶色くなってしまっていたのもあって、思い切って新しいものを一つ買ったのだった。
「マグカップか。確かにひび入ってたもんね」お父さんがマグカップの底面を見る。「あ、猫の足跡」
「もう少し派手な方が良かった?」
お父さんはニコニコしながら、首を横に振った。
「いやいや。これくらいで十分だよ、猫の足跡も可愛いしね。黒と白だから良く映えるし」
「気に入った?」
「もちろん。ありがとうね、気を利かせてくれて」
私は肩をすくめる。
最近、自分がその立場に立つことが多くなってきたからか、どうしてこういう時にお父さんが良く肩をすくめていたのかが分かった気がする。
「いつも私にしてくれたお返しだよ」
きっと、今の私みたいに照れ臭かったからだ。
≪第六節 21270115≫
確か大晦日や新年を祝った記憶はないな。そんなことを考えながら、私はタブレットを起動して検索エンジンにキーワードを打ち込む。
なんでやったことがないのか、と言われると答えるのは難しいのだけれど、単純に祝う文化が無くなったからかもしれない。そのせいか、私たちの頭の中にも新年を祝うという考えは無かったみたいだった。
もちろん、どんな文化だって大抵は形を変えてでも生き延びるものだから、何処かでは行われているに違いない。例えば神社とか寺院とか、昔から続けてきたような場所であれば生き延びていることだろう。尤も、そういう類の施設自体も減ってきているのだけれど。
検索エンジンがはじき出したデータをもとに目的地を見つけ、頭の中にその場所の情報を書き込む。本当はタブレットを介さずに直接繋いだほうが検索は早いのだけれど、検索・閲覧という目的では人間用にカスタマイズされているWebブラウザが使えるタブレットの方が処理能力の関係で楽なのだ。もちろん、ヘッダーやフッターなんてものにも処理能力を割かなくて済む。
一回伸びをしてからタブレットの電源を切り、元あった場所へ戻す。
そういえば、お父さんの靴はずっと探しているけれど、未だに見当たらない。メーカーに問い合わせてみたら、すでに同じデザインのものは販売をしていないとのことだった。
──どうしようかな……。あのままの靴を履かせるわけにはいかないよね。
そのとき、e-ブックスタンドに今日付けの電子新聞が届く。お父さんに一部転送してから自分の分を読み始めたそのとき、一面にびっくりするような見出しが載っていた。
──【≪人間同盟≫穏健派事務所襲撃 ≪人間同盟≫過激派が関与】? どういうこと?
読み進めると、こんなことが書いてあった。
四カ月前、イギリスにあった穏健派の事務所が何者かによって襲撃された。数時間後、疑似電脳世界内にある動画共有サービスに一本の動画が投稿される。その動画内で過激派の代表である《イフリート》と呼ばれる人物が「事務所襲撃は我々の潜入工作員によるものであり、これはマシニストに対する宣戦布告である」という内容の声明を発表したということだった。
動画の投稿から四カ月たってから、イギリス情報局秘密情報部は襲撃に関して、「過激派による可能性が高い」という声明を出している。現在、地球連合はスリーパーへの対応に追われているとのことだった。
私はかぶりを振った。まさか、お父さんの予想がこんなに早く当たるなんて。
当然、いつか何かあるのだろうとは思っていた。思ってはいたけれど、こんなに早く行動を起こすだなんて。
「……連中、動き出したね」
声がする方を見ると、お父さんがリビングの壁に寄りかかって悲しそうな顔をしていた。お父さんも電子新聞を読んだのだろう。
「そうだね……」
「この記事は四カ月前の事件についてだ。多分、連中が関与した事件がこの四か月の間にまた起きているはず」お父さんはため息をついた。「また人が死ぬことになる」
「私たちに何かできることはないの?」
その問いに、お父さんは首を横に振る。
「今対応できるのはTUの人たちしかいない、僕らはあくまで一般人だ。過激派に対するサイバー攻撃は確かにできる。けれど、それをやったところで奴らはひとつ壊す間に百にも千にも増える」
もちろん、攻撃することなんて考えていない。いくら以前と体制が変わったといっても、どんな理由があろうと一般人が敵を攻撃していいわけがない。それをやってしまったら、報復を受けるのはもちろん法秩序の崩壊を招いてしまう。加えてこれ以上、私たちが犯罪を重ねるわけにはいかない。
「そう言うものではなくて。穏健派への支援とか募金とかそういうやつで協力できないのかな?」
すると、全く考えていなかったと言わんばかりの顔で、「あ、そっち?」
「うん。直接対応するのはTUの人に任せないといけないけれど、他にも何かないかなって。どんな小さいことでも、積もり積もれば山になるから」
「だとしたら……」お父さんはいつもの考えるしぐさをして、しばらく考えたあとに頷いた。「穏健派以外にもマシニストの団体があって、彼らの多くがNPOやNGOなんだ。そういうところを支援すれば、彼らも長く活動できるかも。それに、マシニストのイメージアップに繋がることも考えられる」
私は首をかしげた。どうしてイメージアップをしなければならないのだろうか。確かに活動の幅が広がれば、イメージは良くなるだろうけれど。
「どうして、イメージアップ?」
「多分、そう時間もかからずに過激派はネガティブキャンペーンを行って、マシニストのイメージダウンを図る。そんなときに、『こういうこともやっているんだ』って言えるような団体が有るのと無いのとでは効果が違うんだ」お父さんは肩をすくめる。「もちろん、これをメインにする必要はなくて、純粋に助けたいとか支援したいって気持ちでやればいいんだけどね。もしかしたら連中の妨害で大口の資金源が断たれることがあるかもしれないわけだから、募金は活動を支えることにもなる」
そう言われて合点がいった。元々、マシニストやイマシニストは政治的な思想と言うよりは考え方の問題だ。それゆえに、団体の行動方針としてマシニスト的な方針──機械と共存することでより良い医療を提供するだとか、戦禍に巻き込まれた孤児のために機械の運営する児童養護施設を作るだとか──を掲げている団体もある。
お父さんの予想が正しければ、過激派はそういう団体に対してアクションを起こすだろう。その時、彼らが活動を続けられるように支援するのは必要なはずだ。それが場合によっては、たくさんの人を救うことになるかもしれない。ついでにイメージアップも。
「そっか。大切なことだね」
「丁度いい、最近そういう団体が活発になってきたのもあって、僕も募金しようかなって考えてたんだ。リーベの分もだそう」
その申し出に、私は首を横に振る。
「私は自分で出すから。お父さんはその分、多く出して」
「いいの?」
せっかく自由にできるお金が相当な額あるのだから、自分の使いたいように使ってしまいたい。そして、私が使いたいお金の使い道は人が喜ぶようなことだから。
「うん」そこまで考えて思い出す。私は一度も募金したことなんてなかった。「でも、ひとつだけ」
「なに?」
恥ずかしがる必要もないのに恥ずかしいのは、二十年生きてきてやり方の一切も知らなかったからだろうか。
「……募金の仕方、教えて」
お父さんは「あー……」と、間延びしたような返事のあとに頷いた。
「そっか、知らないもんね。いいよ、教える」
恥ずかしさで顔がほてっていくのを感じたけれど、私は無視した。とても恥ずかしいけれど、何事も経験だ。
「ありがとう、お父さん」
≪第七節 21270329≫
時々外を眺めると、どこからか飛んできた桜の青々とした葉が目の前を過ぎ去っていく。
「春というより、もう夏かあ……」
今年は寒い日が三月の初旬くらいまで続いたと思ったら、転がるように景色が春になってしまい、桜の花もあっという間に散ってしまった。今年はせわしない年になりそうだ。
──まるで私たちみたいね。
ふと思い浮かんだ言葉にくすりと笑う。確かにまるで、いつまでもせわしなく動いている私たちそっくりだ。というよりは、お父さんそっくり。
「どうしたの、リーベ。笑ってるけど」
後ろからお父さんの声が聞こえる。振り返ると、新しいマグカップを持ったお父さんが首を傾げて立っていた。
「ううん、何でもない」
「そう? それならいいけど」
「マグカップなんて持ってどうしたの? さっきコーヒー淹れたばかりじゃない」
「ああ、空になったわけじゃないんだ」お父さんがソファに座る。「ちょっと休憩さ」
「珍しいね、仕事中に休憩するなんて」
実際、二十年一緒に暮らしてきて、そんなことは片手で数えられるくらいしかない。
「まあね。ちょっと研究仲間から依頼があって、仕事から離れて考えた方がよさそうだったから」
「依頼?」
「うん。リーベを巻き込んでいいものか、僕にはわからないけど」
私が肩をすくめて「そんなの、気にしないでもいいのに」と言うと、お父さんは考える仕草をしながら空を見た。こんな風にお父さんが悩むなんて、早々見られるものでもない。
でも、そのあとにお父さんの口から出てきた言葉に驚いた私は、目を見開いた。
「じゃあ……僕の研究仲間のヨハンソンが、『原罪計画の成果で私の息子を作れないか』って言ってきたんだ」
お父さんが滔々と語るヨハンソンさんの経歴を聞きながら、私は考えていた。
LIGの暴走で息子と奥さんを亡くしたこと。立場としてはお父さんと同じで、機械を酷使することは絶対にないと言い切れること。現在、世論は機械を人間と対等に扱おうとするマシニストの意見が優勢であること……つまり、社会的な障害がなくなり始めているということ。
「──というわけなんだよね。もちろん、これは他の仲間には内緒なんだ。原罪計画に関しては元から慎重な意見もあるし、僕の仲間は大切な人を失った人が多いから」
「技術的には可能、なんだよね?」
「なんなら、汎用アンドロイドよりも進んだ技術でね。最近、『メカノイド』っていう新しいジャンルが出来たから」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。そんな名前、電子新聞でも読んだ記憶がない。
「メカノイド?」
「1000人ゲノムプロジェクト及び発展型の無作為ゲノムプロジェクトの成果を用いた、バイオインフォマティクスやシステム生物学のハイブリッドだね。ごくごく単純に言えば、『人の性格はゲノムによって決定されている、ならば目的に応じた配列のゲノムでクローンを作り一部を機械で補助させよう』って考え方。人間の遺伝子情報そのものをプログラミング言語として扱うんだ」
「つまり、ソースコードの代わりとしてゲノムを用いるってこと? それもクローン?」
「うん。だから、『人間擬き』じゃなくて『機械擬き』。ある意味ではデザイナーベイビーに近いのかもしれないけれど、それよりももっと精密な技術だよ。メカノイドだと染色体どころか塩基一つ一つや個体の経験にまで介入するから」
「そんなに精巧なゲノムの構築って可能なの?」
「発展型切り貼り装置を使えば、たぶんできるんだと思うよ。ここまでくると、僕の専門じゃないから分からない部分も多いけど」
Advanced Cut and Insert DeviceことACIDは、CRISPR/Cas9よりも正確性を高めた新しい──とはいっても発見は何十年も前だけれど──ゲノム編集技術で、今ではZFNなどの他のゲノム編集技術を駆逐してしまうくらい有用な技術だ。
「それで、私と同じようなメカノイドを作ろう……ってこと?」
お父さんは首を横に振った。
「いや、僕の研究仲間には遺伝子工学の専門家がいないから、いつも通りの方法になると思う」
「いつも通りの方法……私みたいに人間とほとんど同じひな形を作った後に、いくつもの経験をさせることで人間とほぼ同じアンドロイドを作るって方法だよね」
「そうそう」相槌を打った後、お父さんは不安そうに首を振る。「でもさ、僕はリーベを育ててきた経験から言って、あんまり賛成できないんだよね。ヨハンソンの気持ちも嫌というほどわかるんだけど」
今までの口調から賛成しているのかと思っていた私は不意を討たれる。言い淀むこともなかったから、てっきり賛成しているものだと思っていた。
「そうなの?」
「うん。もちろん、リーベを作ったことや育ててきたことを後悔したことは一度もないよ。でも、リーベの性質故に君を苦しめることになったことは何度もある。だから、僕はリーベの結論を聞いてから判断したい」お父さんはいつもの考えるような仕草で、「『自分が人間か機械か』って問題、今も結論は出てないよね?」
図星だった私はお父さんから目をそらした。確かに、いまだに私は答えを出しきれていない。自分が人間として生きるべきか、それとも機械として生きるべきか。
数か月前までは機械として生きることを強いられてきた。でも、今は少しずつだけれど自由な社会になってきた。その時、私はどちらを選ぶべきなのだろうか。
私の様子を見たお父さんが口を開く。
「答えを急かすことはないから安心して。でも僕自身、原罪計画の結論はリーベがどっちを選ぶかによると考えてるんだ。『機械は人間になれるのかなれないのか』、それが原罪計画だからね」
「科学的な判断はしないの? 人間との比較とか統計学的な処理とか、方法はあるでしょう?」
私の質問にお父さんは肩をすくめた。
「心理学的な統計処理において、リーベは……というより原罪計画で作られたアンドロイドはほとんど人間だよ。AIを用いた行動パターンの解析でも、ビッグデータ解析から算出した人間との一致率は88 %、他のアンドロイドが50 %を切ってることや対象を人間にしたブランクとの比較から考えて、外見は人間と遜色ない」
今まで一度も聞いたことなかった話に目を見開く。いつの間にそんな比較をしていたのだろう。
「そうなの?」
「尤も、リーベ本体のことじゃないよ。リーベを構成するアルタイルとヴェガのコピーに、いくつもの経験をさせることで製作した実験機たちがそういう挙動を示したというだけ。でも、イヴ以上の体験をしてきたリーベなら、もっと人間に近いはずさ」
「じゃあ科学的には、私はほとんど人間?」
「そういうことになるね」そういってから、お父さんはため息をついた。「ただ、そういったアンドロイドが人間になることを望まないなら……僕らはこの実験結果を破棄して条約で禁止するつもりだよ。僕らにとっては、これが研究者としての倫理だ。人間の好奇心や願望のために君たちを犠牲にはできない」
自分に課せられたものが、こんな重いものだとは知らなかった。自分の選択次第では、十何年分にもなるお父さんたちの研究結果をすべて破棄することになる。
でも、ここで自分がどうありたいか、そんなことは決められなかった。
人間として作られてから苦しいことも悲しいことも経験してきて、人間性を捨てようとしたことだってあった。それと同じくらい、人間として生まれたことを喜び楽しんだ。人間だったから、理解できたことや感じられたことは数えきれない。
そのすべてを天秤にかけて選ぶには、あまりにも時間が足りない。私には経験していないことがありすぎる。
「ねえ、お父さん?」
「ん?」
「もう少し、待ってくれない? 私はもっと考えたい、もっと体験したい。今の私じゃ、『人間であること』がどういうことなのかって、わからないから」
私の言葉に、お父さんはにっこりと笑った。
「もちろん。僕はリーベの選択を尊重するから」お父さんは指を一本立てた。「参考までに十二人居るイヴたちの意見は、総じて『自分は人間であるから、機械は人間になれる』だってさ。あくまで現時点ではね」
私も同じ答えを出すことができるだろうか。それとも、彼等の答えが変わるのが先か。
どちらにしても、私は私の答えを出さないと。
「わかった。ヨハンソンさんにはどう言うの?」
お父さんが立ち上がる。
「今は賛成できないって伝えるよ。でも、協力できることがあればするとも答える。僕は実験機という名目でリーベやイヴを創れたけどヨハンソンはそうもいかないし、原罪計画が今のところ研究室レベルでしか成功していないことを考えると、実用可能とは言い切れないし。でも、彼の気持ちもわかるからね。そこはできるだけくみ取ってあげたいんだ」
「もし私にできることがあれば、また言ってね」
「うん」お父さんはそのまま書斎に歩き出そうとして、足を止める。「ありがとう、リーベ。話を聞いてくれて」
今度は私が笑う番だった。
「こういうこと、私にしかできないでしょ?」
≪第八節 21270411≫
リビングに座っていた私は、インターフォンが鳴るのを待ちわびていた。
今日はお父さんの誕生日。随分前に何かほしいプレゼントはないか、と聞いたときには「リーベがいるだけで十分だ」と言っていたけれど、たまにはこういうサプライズをしたっていいだろう。
それに、まさか最近になって復刻版が出てくるだなんて思いもしなかった。メーカー曰く、復刻の声が多かったかららしいけれど。
さらには、こればかりは本当に偶然だけれど──当然、私が何かしたということはない。幾らなんでも、そんなことはしない──都合のいいことにお父さんは仕事の関係で今日は夜まで家に居ない。初めのプランではインターフォンが鳴って荷物を受け取った後、そのままプレゼントするつもりだったのだけれど、こうなれば夕食の時に渡した方がいいだろう。
もちろん、夕食はお父さんの大好きなオムライスに決めてある。
その時、インターフォンが鳴って製造番号が表示される。この番号は輸送ドローンのものだ。
玄関に出てドアを開けると、いつもと違うタイプのマルチコプタードローンが浮いていた。よく見ると、最近出た新型ドローンだ。もしかしたら、老朽化が深刻になったせいで前の物から機種変更されたのかもしれない。
とはいえ操作は大して変わっていないようで、GUIに私のIDを打ち込んで荷物を受け取る。赤い包装紙で包まれ、金色のリボンで結ばれている荷物は小脇に抱えられるくらいの大きさの箱だけれど、中身が軽いのもあってそんなに重くはない。
荷物を渡したドローンは空へとあがっていく。ここからは見えないけれど、空の何処かに飛行船があるのだろう。
ドアを閉めた私は荷物を小脇に抱えたまま、階段をあがっていった。とりあえず部屋にもっていこう。私がいないときにお父さんが私の部屋に入ることはまずないから、あそこに隠しておけば安心だ。
隠し終えたら、夕食の下ごしらえをしておかないと。
「ただいまー」
料理をしていると、お父さんの声が玄関から聞こえてきた。出迎えに行きたいけれど、今の工程は丁度手が離せない。
仕方ないので声を張り上げた。
「おかえりなさい」
リビングのドアが開き、少し疲れた顔のお父さんが顔を出す。無理もない、機械制限法が無くなってから命令の板挟みで壊れるAIは減ったけれど、その分だけ性能を発揮できるということなので色々なところで使われるようになった。使われる場所が増えれば増えるほど、故障件数が増えるのはどうしようもない。
おかげで、お父さんみたいな修理屋さんはクライアントのところに出向くことが増えたそうだ。それで以前、「機械制限法が無くなってから、ハード面での故障が増えてね……みんな、手荒く使いすぎなんだよ」とぼやいていた。
「ああ、料理してたんだ」
「もう少しで出来るから、それまで待っていて」
「わかったよ」
持っていた鞄をリビングの適当なところにほっぽり出して、お父さんはソファに沈み込む。
料理しながら、何時プレゼントを渡すべきか迷っていた。
あのプレゼントは重くはないけれどかさばるから、食事の前だと邪魔になってしまわないだろうか。当然のことながら、食事の最中は論外だ。それなら食事の後の方がいいだろうか。でも、あの感じだと食事を食べた後、すぐに歯を磨いて寝てしまいそうだ。
しばらく考えてみて、やっぱり食後に渡すことに決めた。何時間も時間を取るわけではないのだし、少しなら時間を取ってくれるはずだ。
ふと、豚の鳴き声のような音がリビングから聞こえてくる。首を伸ばして見てみると、お父さんがソファに横になって寝ていた。
──あら。
私は肩をすくめて料理をつづけた。仕方ない、完成するまで寝かしておきましょう。
半分寝ぼけ眼のお父さんがダイニングの椅子に座る。けれど、目の前の料理を見て目が覚めたみたいだった。
「オムライス?」
「うん」私は微笑む。「だって、今日はお父さんの誕生日でしょう?」
お父さんがポカンと口を開けて私のことを見つめる。しばらくして、何度も何度も頷いた。
「ああ……自分のことなのに、すっかり忘れてたよ。そうだね、確かに誕生日だった……。リーベの誕生日は覚えてるのに、自分のは忘れてたよ」
「だって、私が生まれてから一度も祝ったことないもの。忘れても仕方ないよ」
「そう言われれば確かに」
お父さんが苦笑いを浮かべて、「この年になると一歳年を取るのが死への道を歩み始めたってことになるからなあ……ある意味、忘れたかったのかも」と冗談めかす。
「まあ、その事はいいとして。食べましょう?」
「そうだね」お父さんが姿勢を正して手を合わせる。「いただきます」
私も同じように「いただきます」と言ってから、ナイフとフォークを手に取った。
食べ終わって食器を下げた後、お父さんに「まだ寝ないでね」と釘を刺してから、私は自分の部屋に行ってプレゼントを脇に抱える。変な皴とか破れもないから、このまま渡してしまって良いだろう。
リビングに降りると、ダイニングの椅子からソファへと移動していたお父さんが怪訝な顔をして座っていた。けれどプレゼントを見た瞬間に、驚いた顔をして私のことを見つめる。
「え? それなに?」
「誕生日プレゼント」お父さんにプレゼントを手渡すと、「開けていい?」と聞いてきた。
「もちろん」
私もお父さんの隣に座る。テープや折り目には気を使わず、お父さんはビリビリと包装紙を破っていく。一瞬、「これだけ見ると大きな子供みたい」という考えが頭をよぎる。けれど笑ってしまっては悟られそうだから、何とか笑いを押し殺した。
中からは白い箱が出てくる。箱の面には26.0と書かれているサイズ表記や靴メーカーのシンボルマークがプリントされていた。
「……靴?」
「まあ、開けてみて」
開けると、そこにあったのはお父さんの持っている靴とほとんど同じだけれど新品の靴が入っていた。
ここ数週間前のことだ。復刻版と銘打って、お父さんの持っている靴とほとんど同じデザインの靴が限定販売されたのだった。それで靴のサイズは元々知っていたから、なんとかそれに合うサイズの靴を手に入れたのだった。
靴を手に持ったお父さんが色々な方向から、新しい靴を眺めまわす。
「え、良く見つけたね……てっきり、もう売ってないのかと」
「復刻版だって。靴も服と同じで身に付けて決めないといけないものだけれど、デザインもインソールも同じだって言うことだから、多分問題ないと思う」
「履いてみていい?」
「うん。新品だから履いて歩いてみて」
中の詰め物を取り出して紐を通した靴に、お父さんが左足を入れる。同じようにして右足も入れて、紐を簡単に結んでから歩き始めた。一歩一歩を踏み出す度、その顔がほころんでいく。
「履き心地も同じなのにソールが削れてない分、歩きやすいよ。これでしばらく歩いても歩き疲れなさそうだ」
その様子を見ていて、私も思わず笑ってしまう。喜んでもらえて何よりだ。やっぱり、誰かにプレゼントを贈って喜んでもらえるのは嬉しい。
「今の僕には最高の贈り物だ。ありがとう、リーベ」
「どういたしまして、お父さん」
≪第九節 21270517≫
靴をプレゼントしてから、お父さんは古い靴を捨てて出張の度にあの靴を履いていった。随分履き心地が違うみたいで、歩くのが楽しくなったと言っていた。
そんなある日、お父さんと昼食を食べ終えた後──今日は暑かったから冷やし中華にした。お父さんにはアイスコーヒー付きで──ふと、思い出したことがあった。
一週間後は千住さんの命日だ。あの時にカノンくんに命日を聞くのを忘れた私は、個人的に電子新聞のお悔やみ欄で調べて五月二十三日だと確認しておいたのだった。
何か理由があって、お墓に行きたくないのだろうとは思う。でも、せめて去年はいけなかったのだから、今年の命日くらいは顔を出してあげたらどうだろうか。これが実は千住さんを恨んでいたとか憎んでいたとかということであれば、強要はできないけれど。
「お父さん?」
アイスコーヒーを一口飲んだお父さんが、「ん?」と首を傾げる。
「千住さんのお墓参り、行かなくていいの? 五月二十三日があの人の命日だけれど……」
すると、お父さんは悲しみと不甲斐なさの入り混じった複雑な顔をした。
「そうだよね、行かなきゃいけないよね。去年はいかなかったもんね」
やはり何かあるのだ。でも、憎んでいたというようなことではなさそうだけれど。一体、どうしたというのだろうか。
「言い出した私が言うのもなんだけれど、何か行きたくない理由があるなら、無理しないでね」
「いや、そう言うんじゃないんだ」といって目を伏せる。「たださ、千住さんに申し訳ないんだよ」
「申し訳ない?」
「リーベは覚えてるかな、あの人が僕に遺書を残したの」
「うん」
「あれさ、僕があの人の前に顔を出さなくなってからのことが書いてあったんだよね」
そういってから、お父さんは暗記していたのであろう手紙の内容を、ほとんどそのまま話し始めた。
親愛なる雪村尊教君へ
君が私の前から居なくなった2104年。脳裏にはいつも嫌な予感が張り付いていた。
私自身、愛する人を看取ることもできずに亡くした経験がある。それに君の激昂しやすかったり極端な考え方に走りやすい性格を鑑みると、なにか良からぬ考えのもと道を踏み外したのではないか、と。
それからさして時間もかからず≪人間同盟≫急進派は過激派へと変わっていき、テロを行うようになっていった。まるで、君のような高い知能を持つ誰かが率いているかのように。
私は不安だった。もしかしたら、君が急進派を過激派に変えた張本人かもしれない。底無しの絶望のせいで前が見えなくなって、道を踏み外したのかもしれない。
それと同時に、後悔もしていた。あの葬儀のとき、君を支えていればこうはならなかったのではないか。私は君に知識だけを与え、倫理観や道徳と言うものを教えられなかったのではないか。私が何かしていれば、君が道を踏み外すことは無かったのではないか。
君のことを息子同然に思っていた私は君に何があったのかを何年も考え続け、同時に君に何を伝えていなかったのかを何度も何度も自問自答した。
それから数年たって、君が私の店へ久しぶりに来たときだ。
私は君の隣にいたあの子の姿を見て、なぜかは分からないが、抱き続けてきた不安が確信へと変わった。急進派を過激派へと変えたのは君であり、その理由は彼女を喪ったからである、と。しかし今は機械を守る側に居り、隣にいるあの子は人間に近い機械である、と。
あの子は君がそのような人物だと──ましてや機械を壊す側にいた人間だとは──知らないだろうし、それを伝えるのは私ではなく親である君の役目だ。そう考えた私は君に確認をとることもせぬまま、君やあの子と話を続けていた。
それでも、不安の代わりに私の中に居座る後悔故に、ひとつだけ心に決めていた。
大人である私が伝えるべきことを伝えなかったせいで、価値ある自らの人生を棒に振るようなことを二度と繰り返させてなるものか、と。
だから私はあの子に出来る限り、道徳や倫理観を学ぶきっかけを教えたつもりだった。時間が足りないせいですべてを教えることはできなかったが……。あとはあの子自身の選択だ。
間違えないでほしい。この手紙は君を責めるための手紙ではない。君を貶すための手紙でもない。君を、君の人生を守るべきだった大人が、良心の呵責に耐えられずに許しを請う、懺悔の手紙なのだ。
それでも責任感の強い君のことであり、さらには成人した大人である君にこんな手紙を送れば、自らを責めるだろう。
だからこそ、君には『過ちて改めざる、これ過ちという』という孔子の言葉を送る。この言葉を私の餞別として受け取ってほしい。
最後になる。どうか、どうか自らの過ちを直接謝れなかった私を、許してくれはしないか。
君の未来が幸福に満ちたものにならんことを 千住友広
「──こういう手紙だったんだ。本当は、僕が選択を見誤っただけだ。千住さんは悪くない。それに僕はもう大人だ、どこまでも親のせいにはできないからさ」
お父さんは大きくため息をついた。
私は頷いた。
お父さんは千住さんが責任を感じることはない、自分の選択を見誤ったと思っている。逆に千住さんは自分のせいでお父さんが≪人間同盟≫過激派に属したと思っている。その食い違いのせいで、お父さんは不甲斐なさを感じていて、千住さんは許してもらえないかもしれないと考えている。
「そういうことだったのね……」
「僕も千住さんには本当にお世話になったからさ、お墓に行かなきゃいけないとは思ってるんだ。それにあの人にはいろいろ教えてもらったしね」お父さんが静かに首を振る。「けれど、僕のせいであんな風に自分を責め苛んできた。そう思うと、合わせる顔がなくてね……」
感じ方や考え方の食い違い。良くあることだけれど、時として何年も悩んでしまったり作り上げてきた関係を壊してしまったり、最悪の事だって引き起こす。
それを解決するための方法を、私はお父さんや周りの人から何年もかけて教えてもらってきた。
「なら、そうだったって千住さんに言わないと」
驚いた顔でお父さんが私を見つめる。
「『言わなきゃ伝わらない』、でしょう? 私にはどっちが正しいのかも分からない、なんなら重要だとも思わない。きっと、千住さんも正しいしお父さんも正しいし、もっと別の原因もあるだろうから」アイスコーヒーに入れておいた氷が崩れ、カランという音を立てる。「でもお父さんがそう思うなら、『千住さんは悪くない、自分が選択を見誤ったからだ』って伝えないと」
お父さんが眼鏡をはずして、目尻を押さえる。しばらくして眼鏡を掛けなおしてから、
「……だけどさ、やっぱり顔見たくないんじゃないかなって」と呟いた。
私はてっきり「死後の世界なんてない」と返されると思っていたのに、別のことを理由にされたことに驚きつつ、追い打ちをかけた。
「でも、千住さんのように亡くなってから伝えるわけにもいかないでしょう? 千住さんが餞別として送った『過ちて改めざる、これ過ちという』って言葉の意味は、こういう意味もあると思うのだけれど。自分がこの世から居なくなってから誰かに本当の気持ちを伝えたところで、伝えられた側はその気持ちに応える対象がいないから困る。だから、自分と同じような思いをお父さんは他人にさせないでほしい。自分は過ちを犯したことに気が付いているのだから、本当の過ちをお父さんにはしないでほしいって」
怒られると分かっていたり相手が嫌な思いをするのではないかと考えていたりすると、中々一歩を踏み出して動くことはできない。けれど、お父さんには踏み出してもらわないと、ずっと心に重しを乗せ続けることになる。そうなってしまえば、またお父さんは自分を責め続けてしまう。
お墓の前で千住さんに、自分の気持ちを伝えること。それだけでも、きっと心が軽くなるはずだ。もし死後の世界を信じているというのなら、尚の事。
私の言葉に、お父さんは打って変わって納得したように頷いた。
「……てっきり、昔の僕みたいに一時の感情に流されて目的を見失うようなことを二度とするな、って意味だと思っていたよ」
「そういう意味もあると思う。でも、解釈って一つだけとは限らないでしょう?」
「まあね……」決心がついたかのように、お父さんは大きく息を吐く。「わかったよ。やっぱり、言わなきゃ伝わらないもんね。もしかしたら聞いてくれているかもしれないし、僕も本当は謝りたかったんだ」
こころの中で胸をなでおろす。ただでさえお世話になった人なのだから、会いに行けないというのはきっと辛かったはずだ。
「良かった」
「まさか、リーベがこんなに真剣に説得してくれるなんて思わなかったけどね。今も抵抗がないわけじゃないけれど……ありがとう、ずっと迷ってたけど決心がついた」
「珍しく悩んでいたみたいだから」そういえば、気になることがあった。「ねえ、お父さんって死後の世界を信じているの?」
突然の質問に虚を突かれたのか、目を瞬く。しばらく経ってから質問の意味を理解したのか、頷いた。
「アラン・チューリングはクリストファーが亡くなってから無神論者になり、脳の働きも唯物論的に考えるようになったけれど、心の何処かで死後の生を信じていたそうだよ。僕は彼のような知能はないけれど、僕の意見は彼と同じだ。死後の世界はあるかもしれない、というかあってほしいんだよね」
「どうして?」
すると、悪びれる様子もなくお父さんは微笑んだ。
「死後の世界があれば、またレオナに会えるかもしれないじゃないか」
≪第一章終節 21270523≫
あれから一週間後。私たちは小さな電灯のせいで仄暗いコンクリート製の廊下を歩きながら、144Aと書かれた部屋を探していた。
ここは20階建てのビルとして作られた、首都共同墓地。リサイクルから外された世代や国に管理されない人たちの受け皿となっている場所。ここに来る前に調べたことによると、今はリサイクルか首都共同墓地に埋葬されるかを選択することが出来るようになったそうだ。
尤も埋葬といっても墓石の下に遺骨はなく、遺骨を固めたペレットがプラスチック製の墓標に埋め込まれているのだけれど。
というのも2030年代から日本のような火葬を行っていた国々で、遺灰から生じる高濃度のリン酸やミネラル等が墓地周辺からたびたび検出されるようになり、土壌汚染が問題視され始めたからだ。似たようなことは2010年代後半にアメリカでも議論されていて、防腐処理に使用するホルマリンや金属製の棺から出る金属イオンが土壌を汚染し始めていたことが確認されていた。
そこで色々と考えられたものの有効な手立ては見つからずに──火葬も一時期アメリカでは主流にはなったけれど、昔の入れ歯に使われていた水銀などが蒸発して大気中に放出されるのもあって下火になった──しばらくしてから、遺体を微生物で分解して金属を処理する方法が開発された。さらに墓地の省スペース化が推し進められた結果として、遺灰を小さなペレットへと圧し固めてプラスチック製の墓標に埋め込み、ビルの中に墓標が並んで建てられるという今の形になったそうだ。
しかし、WWⅢで処理しきれないほどの遺体が発生。さらには総力戦に次ぐ総力戦のせいで多種多様な資源も不足していったため、遺体の再資源化を行うことが世界的に決定された。
〈スーパーノヴァ〉後の今はまた、希望者はこうやって墓地に埋葬されるようになった。もちろん希望者はリサイクルされるため、ある意味ではリサイクルという方法の開発によって、選択の幅が広がったと言える。墓が要らないという人も一定数いるのだから。
しばらく歩いていると、144Aと書かれた部屋を見つけた。
重い金属製のドアを開けると、白い墓標が前に見た映画に出てきたアーリントン国立墓地のように所狭しと並んでいた。あそこと違うのは地面が無機質な灰色のコンクリート製であることと墓標同士の間隔が狭いこと、何よりも野外ではないことだろうか。
墓標の間を縫うようにして歩いていくと、”Senju Tomohiro 2030.5.21-2124.5.23”と書かれている墓標が見つかった。
私と同じようにして探していたお父さんの肩を叩いて、そのことを知らせる。
「ああ、良かった」
その言葉とは裏腹に、出来るものなら見つからなければ良かったというような顔を一瞬だけ見せ、墓標の方へと歩いていく。
お父さんと私はその前で立ち止まる。ふと、お父さんがこちらを見た。
「リーベ、少しでいいから一人にしてくれないかな?」
突然のことで驚いたものの、きっと何か思うことがあるのだろう。説得して無理やり連れてきたのもあって、これ以上私から無理を言うわけにもいかない。
「分かった。でも、私も千住さんにあいさつしたいから、終わったら呼んでほしいな。外で待っているから」
お父さんは何も言わずに頷く。私はまた、墓標の間を縫って外に出る道を歩いていった。
ドアを開けて外に出る。このビルの中にはお墓以外、何かあるというわけでもない。
そういうわけで壁に寄りかかって待っていると、私の名前を呼ぶ聞き慣れた声を耳にした。
「カノン君?」
振り向くと、そこにいたのはファッションというのに無頓着だったからなのか、ちぐはぐな恰好──まるでシャボン玉の表面に現れる虹のようにサイケデリックな柄をした上下に、真っ黒い革靴──をしたカノン君だった。手には白百合や黄色い菊の花束を持っている。
『やっぱり、リーベか。久しぶりだな』
若干目がちらつく。場所と服との差が激しすぎるからだ。
「凄い格好だね……」
『そうなのか?』彼が首を傾げる。『友広さんのところだといつも燕尾服だったから、どんなのを着ればいいのか分からなくて』
「少なくとも、上下ともにそれは目立つと思うよ。上か下を白とかパステルカラーとか、目立ちにくい色に変えた方がいいと思う」
『そうなのか。リーベはなんでこんなところに?』
「千住さんのお墓参り。今日、あの人の命日でしょう?」
彼が『なるほど』と言って頷き、『雪村さんは?』と聞いてきた。
「それが、『少しの間、一人にしてほしい』って言われたからここにいるの。カノン君もお墓参りに来たのでしょう?」
『遺品整理とか墓の手入れとかもアンドロイドの仕事だからな。でも、命日はもちろん月命日にもお参りに来ている。あの人にはいろいろとお世話になったから』今になって気が付いたように彼が目を瞬く。『そうか、この中に雪村さんがいるのか』
「うん」私は付け加える。「終わったら、私を呼びに来るって。そのとき、一緒に行きましょう?」
『そうだな』彼が私と同じように壁に寄りかかる。せめて廊下に椅子の一つくらい置いてくれると嬉しいのだけれど。『リーベ達は今、何を? 俺はこの通り、友広さんの遺したものの整理だけれど』
「うーん……」
そう聞かれると、どう答えればいいのか。いつも家事をしてお父さんの面倒を見ながら、時折本を読んだり映画を観たりしているだけだ。何かをしていると言われると、以前とは打って変わって毎日をゆっくり過ごしているということくらいしかない。
「何もしてない、かな」
『そうなのか?』
「もちろん家事をやったり雪村さんの面倒を見たりするのはしているけれど、何か目立ってしているってことはないかな。それに、一年くらい前まで色々あって忙しかったから。ゆっくりしたいね、って雪村さんとは話し合っていたのもあって」
『なるほど』
そのとき、ドアが開いてお父さんが出てきた。さっきと比べたら少し晴れやかな顔をしているような気がするのは、気のせいだろうか。
「あれ、カノン」お父さんも彼の服を見て目を瞬く。「……なかなか、派手な格好だね」
『同じことをさっきリーベにも言われたのですが、そんなに派手なのですか』
「うん、中々ね。カノンもお墓参りに来たの?」
彼が頷いて、『ええ。リーベも同じと聞きましたので、ご一緒したいのですが』
「構わないよ」
そういってお父さんがドアを開ける。私がドアを開ける役目を代わり、お父さんとカノン君が部屋の中に入っていった後をついていった。
また千住さんの墓標の前に立った私は目をつぶって手を合わせる。
──お久しぶりです、千住さん。あなたの思いは十分に伝わりました。あとは私に任せて、あなたはゆっくり眠っていてください。
目を開けると、墓標の前に置かれた花束が目に映る。手を合わせるのを止めてお父さんの方を見ると、すでに背筋を伸ばして立っていた。
ふと、手を合わせるのを止めていたカノン君がこちらの方を見ないで口を開いた。
『……今日はありがとうございます』
「いや、いいんだ。むしろ、こっちこそしばらく来れなくてごめんね」
『問題ありませんよ。リーベがここ一年前まで忙しかったって言っていましたから』
彼がこちらに向き直る。
『俺はまだ墓標の管理がありますので、ここに残ります』
お父さんの顔を見ると、もう用事はないというような顔をしていた。それなら、私たちは邪魔にならないうちに帰ってしまおう。
「それなら、私たちは邪魔にならないように帰るかな」
『またな。雪村さんも、また会いましょう』
私たちは口々に別れの挨拶を交わして、来た時と同じように墓標の間を縫うようにして歩いていってドアを開ける。
部屋の外に出た私は、歩きながらお父さんに尋ねた。
「言いたいこと、伝えられた?」
「うん。これでもう、あの人のお墓参りに行くのも怖くなくなったよ」すると、ちょっと残念そうな顔をする。「まあ、本当に伝わったのかは分からないけれど。死後の世界に僕らの声が届くとも限らないわけだから」
「きっと大丈夫だよ──」
押し付けようとすれば、どんなことだって伝わりはしない。だって、相手も聞く耳を持たなければ、自分も伝えようとしていないのだから。どちらが悪いからというよりは、どちらも悪い。
けれど、伝えようと思って伝わらないことはきっとないはずだ。相手がどこに居ようと、誰であろうと。
「──伝えようと思って伝えたことだもの」
お父さんが微笑む。つられて、私も笑った。
「そうかもね」
過去があるから未来がある。まるで、死した星から新たに生まれる星のように。
【後書き】
はい、どうも2Bペンシルです。今、とても眠い(深夜二時半)ので軽くだけ。
本当に長らくお待たせしました、第二部です。第二部のテーマとしては、成人期ということですので『親密性と孤独』に重点を置いていこうと考えています。とはいえ、今回はどちらかというと第一部との違いに重点を置かれたような気もするのですが
もちろん、≪人間同盟≫過激派のことや自由な世界故に起こることとか、そういうところにも目を向けていきたいな、と考えています。まあ、私がいくら考えたところで実際に物語を創るのはリーベ達なので……。
あと、補足といたしまして。第二節で出てきた「ある偉人の~」の件。実は私自身はあの言葉、チャップリンの言葉だと聞いていたのですが、調べてみると他の方も言ったという記述がありまして。なので、ちょっとぼかさせていただきました。ついでに、『百万殺せば神になる』は私の創作に御座います。
それではまた、最後に参考にさせていただきましたサイト様を掲載させていただきます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
【参考にさせていただきましたサイト様】
・お墓参りの作法について
ジモコロ:https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/shimomurayama01
・埋葬による環境への影響について
カラパイア:http://karapaia.com/archives/52206619.html
GIGAZINE:https://gigazine.net/news/20170902-way-of-bury-the-dead/
・その他
Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8




