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私のこころ  作者: 2Bペンシル
第一部・5
18/26

【Ⅷ・期待】

2018/10/2 全体の修正、校正及び推敲を行いました。


2018/12/7 脱字を発見したため、修正いたしました。

≪雪村≫

 消灯時間は過ぎているのもあって、部屋を照らす明かりはナイトスタンドのほの暗い明りとTV画面くらいしかない。僕はベッドに寝転がって、ニュースロイドが原稿を読み上げているニュース番組を何ともなしに見ていた。

『新しい情報が入りました。配給されていたレーションですが、前頭眼窩野の働きを抑制する化学物質が含まれているという発表が──』

「前頭眼窩野……意思決定能力や報酬系を司る部分だったっけ」

 僕の独り言に答えてくれるリーベは疲れてベッドに寄りかかって寝ている。とりあえず毛布は掛けてあるけど、寒さで目を覚ますようなら考え直さないと。

 リーベを救い出した後、僕はこの通り医療センターの個室に入れられた。両手足首に切り傷を作ってる上に体中打撲、あばらや四肢の一部は単純骨折していたそうだから、無理もないだろう。

 というわけで入院して暇を持て余している僕は、権力寄りなのは相変わらずながら電子ドラッグも陶犬瓦鶏(とうけんがけい)な報道も消え去った国営放送のビデオ・オンデマンドばかり見ている。リーベが屋敷から持ってきてくれた本はあらかた読んでしまったし、面白い娯楽小説が出るにはあと何年もかかるだろうし、僕の生涯を本にしようなんてことも考えてないから、これくらいしかすることが無いというのもあるんだけど。

 とはいえ、ここ最近のニュースはIALAやアルバ・ドラコネス達が何をやってきたのか、ということばかりだった。僕からしてみれば、インターネット──流出した情報はほぼすべてがネット上に公開されている。厳密には規制できていないというべきか──を見れば大体書いてあるから見なくてもいいんだけど、たまには文字だけじゃなくて画像を見るのも良いだろう。

──沢井に映画借りればよかったかな。あいつに聞けば、まずハズレを掴まされることはないし……。

『次のニュースです。世界連合、WUの解体が事実上決定いたしました。WUは下部組織であるIALAが行った種々の犯罪行為を黙認、ないしはほう助したという疑いがありましたが、先日、各地域の司法機構からなる特別調査団がウォーディントン・ユリシーズ事務総長の調査書を臨時国際機構に提出しました。臨時国際機構は調査書を踏まえ、当事務総長を弾劾することを本日決定したとのことです。これにより、事実上WUは解体することとなります』

「やっぱりWUも噛んでたのか……そうでもないと、あそこまでのことはできないか」

 もぞもぞとリーベが体を動かす。少しだけズレた毛布を掛けなおすと、リーベは深い寝息を立てた。

 結局、奴らのやってきた事は全部表沙汰になり、WUは解体したということになる。洗脳じみた教育プログラム、一部の人間だけが得をする社会システム、非人道的な事件の数々……すべてが裏付けられて修正されるには、効率化した今の社会でも何年もかかるだろう。そして、その変化が引き起こした傷跡が癒えるには、さらに多くの時間がかかるに違いない。

 それでも、何もなくなってしまうよりはいいのかもしれない。

 少なくとも、この世界は──僕とリーベにとっては──ほんのちょっとだけまともになったんだから。

 そんなことを考えながらリーベの姿を見ていると、眠気が瞼を引き下げようと躍起になり始めた。

 たまには反抗しないのも悪くはない。

「……ちょうどいいか」

 もう一度、リーベの姿を見る。彼女はまたいなくなってしまったけど、彼女はいま、ここにいる。

──それだけで十分さ。変わらないものなんてないんだから。

「お休み、リーベ」

 僕はそう呟いて、目を閉じる。あの日と同じように僕の意識は闇に落ちていく。唯一違うのは、夢の中で彼女に出会わなかったことだった。


≪リーベ≫

 私たちが救出されてから、十数日がたったころ。

 今日はいつもの三人組がお見舞いに来てくれるらしく、早々に準備を終えた私はお父さんの隣に椅子を持ってきて座っていた。

 あの日と比べると、ずいぶん状態が良くなった。骨折もあと数日で歩くことができる程度には回復するらしいし、急性ストレス障害(ASD)対策のためのカウンセリングもあと一回で終わるそうだ。もう少ししたら退院だと、診てくれている先生は教えてくれた。

「久しぶりじゃないか、沢井に周防、コンフィアンスも」

 その時、お父さんが笑って私の頭の後ろへ声をかける。

 振り向くといつもの三人組が、いつも通りに──沢井先生は気だるげで、カバンを持ったコンフィアンスちゃんの後ろに周防さんが隠れている──並んでいた。

「よう、雪村。死にかけてたって聞いたぞ」

「沢井こそ、公安に間違われて捕まってたそうじゃないか」

 そういうと、沢井先生はにやにやと笑った。

「もっとすごいこと経験してきたけどな。ま、いつか教えてやるよ」

「楽しみにしておくよ」

 彼が上半身を起こすのを手伝いながら、私は「お見舞い、有難うございます」と声をかける。すると、彼女が思い出したようにカバンを漁り始めた。

「あ、そうそう。これ渡しておくわ」

 そう言って、彼女がお見舞い用の花束を私に差し出す。黄色のフリージア、ピンクのトルコキキョウやカーネーション、カスミソウを小さくまとめた造花のブーケだった。

 思わず笑みがこぼれて、口が滑った。

「わあ。ありがとう、コンちゃん」

「えっ?」

 彼女が雷に打たれたような顔をして呆然と私を見つめる。三人はその顔を見て、皆笑っていた。私もつられて、謝るのを忘れて笑い声をあげた。

「いいじゃないか、その呼び方。呼びやすいよ」

「似合ってるよ、コンフィアンス」

 その言葉に彼女は「あー、もう。あなた方といると色々エラーが起きるわ、全く」と顔を赤くして笑う。それを合図に、皆が準備してあった椅子に腰かけた。

 お父さんが笑うのを止めて首を傾げて、沢井先生の方を見る。

「そういえば、外はどうなってるんだい? とりあえず、電子新聞や国営放送で情報は仕入れてるけど」

「あ? 特になんも変わんねえよ。つか、そんなすぐに変わりはしねえ」

 そのあとを継いだ周防さんが、早口でまくし立てる。

「WU解体に伴う機械の使用制限と一部の制限があったかな。でも、3日もしないでC・Qミッシングリンクスっていう組織が出来上がって、機械の過失による責任は彼らが受け皿になる。それで今は、正式な後継組織として『人工知能と生命のための委員会(Committee

for Artificial Intelligence and Life)』ことケイル(CAIL)の早期設立を目指しているって話だね。WUも地球連合(TU)傘下の組織に順次変わっていってるよ。あと、機械制限法は現在凍結中で、違反しても処罰されなくなった。多分、CAILが撤回の正式な手続きを行うんじゃないかな」

「少しずつ、時代に適応していってるんだね」

「そう言うこともできるね。あと、アルバ・ドラコネスとかいう連中は、全員余罪多数で刑務所行きになったよ。とはいえ、LPTをずっと受け続けていたのもあって、余命は半年とないそうだけど。IMMUはもちろん解体したし、≪GWRH≫も何人も捕まっていてかなり弱体化した。ほかにも流出した資料を公安が調べて、冤罪の人間はどんどん釈放していってるって」

 そういえば、ユニくんはどうなったのだろうか。彼は私の陽動に引っかかったきり音沙汰がなくて──元々露出が多い方ではなかったけれど──ニュースでもほとんど彼の名前は見ない。

「周防さん、ユニくんは?」

「ユニ?」彼が口を開けて、空を見上げる。すこしして、私を見て肩をすくめた。「正体不明の過負荷によって、故障した状態で発見されたらしいね。ミリ秒単位で幾度となく起きた量子ポテンシャルの対消滅による高エネルギーガンマ線が生体電子回路を吹き飛ばしたという機械的な原因は分かっているんだけど、それを引き起こした要因はいまだ不明みたい。それで、IALAがどんなことをやっていたのかとか技術的になにが欠陥になっていたのかとか調べるために、今は世界中の調査機関が総力を挙げて調べているけど、彼自身の防御性能が高いから難航しているそうだよ。僕も協力しているけど、あれは岡崎先生が作ったものじゃなくて別の人間が作ったものだと思うから、まだまだ時間はかかるね」

「そうですか……」

 なんとなく、彼が壊れたきっかけは予想がついた。

 私の陽動に引っかかった末、自分のミスでこの事態を引き起こしたと気づいたのだろう。それで怒りや恨みで過負荷がかかって、量子ポテンシャルの対消滅で壊れてしまった。以前、私に起きたことと似たような事が彼にも起きてしまった……それも私とは比べ物にならないほど強い感情のせいで。

 そうなると、結局、精神的に彼を殺したのは私になるのだろうか。私があんな風に仕掛けなければ、彼は壊れるほどの感情を抱かなかったはずだから。

 ふと自分の手を見ると、そこには赤い液体がべっとりとついていた。

──私の手は、落ちない血に(まみ)れてしまったということね。

 この血は一生消えることはない。私は血に塗れた手で、これからも生きていくことになる。私にできることは、せめて、この血がほかの人につかないようにすることだけ。

 思わず、手を握り締める。

「ありがとうございます」

「いいよー」

 そういって、周防さんは雪村さんや沢井先生と一緒に他愛もないことを話し始める。私は雪村さんに断ってから、医療センターにある中庭へ行くために立ち上がった。


 私が外にあるベンチに腰掛けると、冬にしては温かい風が頬を撫でる。そろそろ、時代と共に冬が明けるのだろう。

 外には、ここ数週間に起きた小規模な混乱で怪我したり元々入院していたりしていた人が、医療アンドロイドと共に散歩したり東屋でほかの人と話し合ったりしていた。ここは昔から、こうやって人と人とが交流していたのだろうか。

 その時、「見つけたわよ、リーベ」という声が後ろから聞こえる。

 振り返ると、コンちゃんがそこにいた。彼女らしくない、ちょっと悲しそうな顔で。

「どうしたの?」

「あなたって、すごい顔に出るじゃない? 雪村さんはポーカーフェイスなのに」

 思わず両手で顔を触る。そんなに変な顔をしていただろうか。

「そんなに?」

 彼女が頷いて、私の隣に座った。

「ええ。あなたの顔をAIに見せたら、すぐに感情を教えてくれるでしょうね」そこで一拍おいて、彼女は言った。「で、そんな顔をして、なにかあったの? てっきり、すべて終わって笑っているかと思っていたのに」

「ちょっと考えることがあって……」

 私は彼女に、ユニくんのことを伝えた。彼を殺したのは私であり、必要であったとしても殺人に変わりはないということ。彼への攻撃を避けることはできずとも、もう少しやりようがあったのではないかということ。

 すべて話し終えると、彼女は静かに頷いた。

「それは考えるでしょうね」

「ええ。ここまでする必要はなかったかな、と思ったの。彼も人にとても近いAIだったし、結局のところ殺したことには変わりないし……そうは思わない?」

「私はそんなことを考えないけれど。とはいえ、あなたのことだから、正当化する気はないのでしょう?」彼女が腰に手を当て、ため息をつく。「なら、忘れなければいいだけよ。忘れなければ、あなたはずっと自分で作った監獄に閉じ込められる。誰も罰してくれないなら、自分で罰するしかない」

「そう……ね。それしかないかもね」

 きっと、このことはいつまでも私のこころに残ることになる。でも、このことを忘れれば、私はまた殺してしまうかもしれない。

「大切なのは二度と起こさない事。あなたの頭なら、同じような状況を避けるためにはどうすればいいのか、考えることはできるでしょう? 起きたことはどうにもできないのだから、次を避けるのに力を入れるのが一番よ」

 その通りだ。どんな理由があったって人殺しは許されない。だからといってそれに囚われ続けて、また同じことをやるわけにもいかない。

 この惨劇を、一度だけで終わらすこと。それが私のやること。

「……ありがとう、コンちゃん」

「いいのよ」彼女の顔が物憂げな顔に変わる。「ねえ、リーベ。あなたって、悩んだ時どうしているの?」

 珍しい。彼女が悩むなんて言葉を使うなんて。

「えっと……私は少し自分で考えて、今みたいに誰かにお話するかな。一人で考えて分からない事なら他の人の力を借りて、それでも分からなかったら分かるまで待つと思う。時間が経てば、分かることがあるかもしれないから」

 そういうと彼女は俯く。少しして、顔を上げて頷いた。その顔は悲しい顔じゃなくて、いつもの気だるげな顔に戻っていた。

「ありがとう。とりあえず、私ももう少し考えてみる。で、駄目だったら謙治にでも相談してみようかしら」

「私でよければ、いつでも相談に乗るから」

 彼女がにやにやと笑う。

「あなたは私の相談に乗る前に雪村さんの相談に乗ってあげなさい。あの人はほかの誰かが居ないと、すぐに潰れる人よ」

 その言葉に思わず笑ってしまう。確かに彼はこっちから聞いてあげないと、自分で抱え込んで潰れてしまう。そうさせないのも私の仕事だ。

「確かにね」

「さて、そろそろ戻りましょう。あの三人衆の一人が骨折した足を引きずって、私たちを探しに来る前にね」

「本当にやりそうで怖いのだけれど」

 私とコンちゃんは立ち上がり、また病室へと歩いていった。


≪雪村≫

 退院が明日に決まり、その準備に追われたリーベが屋敷に戻ってしまって手持ち無沙汰になった僕は、リハビリがてらに医療センターをほっつき回ることにした。

 エイジス社は僕の入院を認めてくれて、リハビリや身の周りの整理が終わるまでの長期の休みもくれた。その代わり、復帰したらいつも以上に働いてもらうから、と社長はニコニコして僕に告げてきたけど。

 まあ、そんなことはいつものことだからいいとして、やっぱりやることがない。流石に知らない病室に入って世間話するわけにもいかないし、かといってセンターの手伝いなんてIT関係以外はできないし。

 次は何処に行こうか考えながら神経内科病棟を歩いていると、ちらりと病室のベッドの上に金髪碧眼の女性が見えた。それなりの距離で青い目だと分かる人を、僕は一人しか知らない。

──まさか……?

 そういえば、死んだことは確認していない。我を忘れて、確認することも出来なかった。

 僕は少し戻って、入り口から覗き見る。金髪に遠くからでも見える青い目。透き通る綺麗な白い肌に、整った顔。彼女は腹の上に置いた本を捲っては閉じ、捲っては閉じを繰り返していた。

 そこにいたのは、紛れもないレオナ……いや、レオナのクローンだった。

 彼女が目を上げて、僕に微笑みかける。「どうされました?」と聞きなれた声で話しかけてくる。僕は一瞬だけ入るかどうか迷って、目を泳がす。でも、わざわざ入り口で話すこともないし彼女が手招きしていたから、意を決して「失礼します」と中に入った。

「椅子にどうぞ」

 僕は近くの椅子に腰かける。

「ありがとうございます」

 彼女は本を閉じて、見慣れた顔で微笑む。

「私の方を見ていましたが、何かありました?」

「いえ……知り合いに似ていたもので」

 僕がそういうと、彼女は不安げな表情を浮かべる。

「知り合いですか……もしかしたら、私がその知り合いの方、ということはないですよね」

「彼女はすでに亡くなっていますから、それはないと思います」

 残念そうに目を落とす。

「そうですか……私、記憶がないんですよね。名前も分からなくて、どこの誰かもわからなくて。気づいたらここにいて、なんだかよくわからない組織に捕まっていたとかなんとか……」

 僕はその話に相槌を打つことしかできなかった。もし、あの殺人スイッチが脳神経に作用するものだとするならば、作用した瞬間にクローン・メカニクスによって刷り込まれた偽物の記録は消えてしまったのだろう。もしかしたら、証拠を無くすために初期化したのかもしれない。

 それでも、日本語を話せているのは、彼女が記憶を刷り込まれる前に日本語を覚えていたからに違いない。逆に、彼女はドイツ語を話すことも英語を話すこともできないはずだ。なぜなら、それらのデータは偽物の記憶に含まれていたから。

 それに、いくら脳の容量分しか記憶を刷り込まないとはいえ、施術の際にはある程度の体力が必要になる。これらのことを鑑みると、奴らはレオナのクローンをある程度育ててからクローン・メカニクスの素体として、偽物の記憶を上書きしたということになるのだろう。

 僕は奴らのその扱いに静かな怒りを覚えながら、彼女にその感情を悟られないよう頷いた。

「記憶がないというのも、大変ですね」

「ええ。ここの人たちやアンドロイドたちもとても親切だから、いいけど……」彼女が思い出したように僕の顔を見る。「貴方、お名前はなんていうんですか?」

「雪村尊教っていいます」

「雪村さんですね。尊教さんの方がいいかしら」

 僕は微笑む。せっかく僕への切り札としての役目を終えて自由になったというのに、こんなことで彼女を縛りたくはない。

「好きな方で呼んでください」

「じゃあ、尊教さんで。私は……ごめんなさい、やっぱり名前を思い出せないの」

「無理しないでください。今、ここにはあなたと僕しかいない。二人称で十分通じますから」

「そういってくれると、嬉しい」彼女が少し首を傾げ、ちょっとしてから僕の目を見据える。「もし、迷惑じゃなければなんだけど……私の名前を決めてくださらない? せめて、仮でもいいから名前が欲しいの」

 僕は頷いた。それで彼女が救われるなら、安いものだ。

「あなたさえよろしければ」

「もちろん」

 さて、どんな名前が良いだろうか。

──まあ、考えるまでもない。彼女は彼女じゃないんだから。一番遠くて、一番近い存在なんだ。

ミオ(Myo)はどうでしょう。響きがあなたに合う気がします」

 彼女が首を反対に傾げて少し目を左右に動かした後、にっこりとわらった。

「良い名前ね」

 僕も笑い返す。もうそろそろ良いだろう。

「そろそろ、行かないと」僕が椅子から立ち上がると、彼女は残念そうな顔で「また、いつかお話しできるかしら」と呟く。

 僕は頷く。

「ええ。いつかまた」

「そう……じゃあ、またね」

 僕は一礼して、ドアから出て自分の病室へ足を向ける。

 生きていてくれた嬉しさや再会できた喜び、アルバ・ドラコネスが彼女にした仕打ちへの怒り。そのすべてがない交ぜになる。

 僕はそれを振り払った。彼女にはああいったが、僕は彼女に二度と会うことはないだろうから。それでいいんだ、彼女には彼女の生き方があってもいいじゃないか。僕は自由のために戦った、ならば彼女を縛ることなんてできはしないんだ。彼女を救えなかった僕に、そんな権利はない。

 わざわざ僕に縛られる必要も、僕のことを思い出す必要もない。僕のことなんて、忘れてくれて構わないんだ。

 頬に違和感を覚えて、頬をぬぐう。その手は濡れていた。


≪リーベ≫

 お父さんが退院して数日が経った。

 私が屋敷で家事をしていると、インターフォンが鳴る。確認すると、公安の杉野さんという方だった。杉野良平、雪村さんを尋問したあの人だ。

 お父さんが書斎から出てきて「誰?」と聞いてくる。

「公安の杉野さんです」

「あー……」思い出したように頷く。「まあ、大丈夫だろう。いつも通りお願い」

「わかりました」

 家事を途中にして、玄関に向かう。ドアを開けると、そこにスーツを着た杉野さんが立っていた。

「どうも」

 彼が帽子をとって私に会釈し、にこりと歯のない顔で笑う。私も会釈し返した。

「どうぞ、お入りください」

「失礼するよ」

 そう言って、彼は靴を脱いで屋敷に上がる。私は彼をリビングに案内した。


 彼には紅茶、お父さんにはコーヒーを出して、お父さんの隣に座る。すると、彼が謝るように頭を下げた。

「申し訳ない。ここ十年近い時間、あなた方を拘束してしまったことを謝りに来たんだ」

 お父さんが驚いて声をあげる。

「公安がそんなことをするとは知りませんでした。公式の謝罪だけで済ますものと」

「いやいや、キリが無くなるからね、本当はしちゃいけないんだよ。実はIMMUが遺していったナノマシンやキーロガーの回収が本当の目的なんだけど、君とは切っても切れない縁があるからね」

「そんなことに上層部が駆り出されるんですか? あなた、結構えらい立場にいるんじゃ……」

 彼が口をひん曲げて、肩をすくめる。

「公安の内部にも、というか公安の半分くらいがIALAとつながりを持っててね。そのほとんどを逮捕したもんだから、今は人手が足りないというわけさ。欧米もそうだしアフリカ、オセアニア、アジアも同じ状況だよ。世界中、人手不足で上も下も無くなってしまったんだ」

 それを聞いた私は顔をしかめた。予想していたとはいえ、そうだと聞くと何とも言えない。色々な不法行為にWUの人間たちがかかわっていたということでもあり、それに何人も巻き込まれたということでもあるわけだから。

「なるほど……で、キーロガーは私の方で既に無力化してありますし、ナノマシンもこちらで破壊していいなら破壊出来ますが」

「やっぱりそうだったか。そうだね、一応のため破壊した後の物はこちらに送ってくれないかな。サンプルとして少しとる分には構わないけどね」

 お父さんが意地悪く笑う。

「あんなのIALA崩壊で流失した技術を使えば簡単に再現できますよ。それに、誰かをのぞき見する趣味はないです」

「そういうことなら安心だよ」彼は歯のない顔でニコニコと笑った。「そして、私が君たちはすでに特定の個人として監視されていないということを保証しよう。これから君たちは、君たちらしく生きなさい」

 その言葉に飛び上がりそうになるのを抑える。やっとこれで自由になった。これから、いろんな場所にも行けるし、お父さんと色々なこともできるようになる。お父さんのために買い物に行くことだって自由にできるようになるし、私自身も色々なものを見ることができるようになるかもしれないし。

 そんなことに思いを馳せながら内心喜んでいると、不意にお父さんが「そういえば、IALAを崩壊させたのって誰なんですか?」と杉野さんに聞いた。彼は一瞬だけお父さんの顔を見つめ、口を開く。

「新聞にも載ってるけど、功績の大部分はアンノウンだ。しかし私の経験上、彼らだけではないと思っている……あそこまで高度にやるためには十何年も準備する必要があるだろうからね。とはいえ、私はITの専門家ではないから分からないけども。君はどう思うんだい?」

 お父さんの小指がピクリと動く。

「彼らのネットワークは大きいですから、拡散させるにはあれくらいのがないと」

 微妙に論点をずらしていることに気が付いたのと同時に、杉野さんは少しだけ微笑んだ。

「まあ、そう言うことにしておいてあげるよ」

 その言葉にお父さんは頬を掻く。

「頼みます」

 杉野さんがそろそろ仕事の時間だと、(いとま)を告げて立ち上がる。私たちも彼を見送るために、玄関に出た。


≪雪村≫

 沢井に運転手を頼んだら快諾してくれたので、今日は午後からリーベと一緒にレオナの墓に行く予定だ。というわけで、それまでに僕も仕事を片付けておかないと。

 テレビ電話と自動翻訳アプリケーションを立ち上げてヤナとアレックスにつなぐが、ノイズが画面に浮かび上がる。最近はこういうタイプの対面通話のトラフィックが増えたことで回線が不安定になったというのを思い出して、僕は画面を見ながら待ち続けた。それだけ、フェイストゥフェイスの会話が増えたということなのだろう。つい数か月前までは、テキストだけで会話が成立していた……というより双方向の通信はほとんどなかったわけだし。

 二人とも僕と同じ電脳再現技術研究室所属の親子だ。とはいえ、遺伝的な意味での親子ではなく、アレックスの養子がヤナなんだけど。

 アレックス本人は普通のごく一般的な──カリフォルニア大学バークレー校出身のAI工学博士を普通と言うべきか迷うけど──研究者で、IALAに研究をいくつか分捕られた以外は何かを喪ったわけではないそうだ。

 いや、僕ならそんなことされたら怒るけど、彼は怒らないで笑い話にしてた。「権威なんて信じたからこうなったのさ。科学者が懐疑しないとか、全くお笑いだ」とか言いながら。

 まあ、そこは価値観の違いなんだろう。ともかく彼はそう言うわけで、国際組織から独立している僕らの研究室に入った。そこで主に原罪計画の方を研究してもらってる。

 で、ヤナの方なんだけど、彼女はロシア人だ。

 アレックスが講演に行ったモスクワで物乞いをしていて、いたたまれなくなった彼が彼女に話を聞いたそうだ。すると、良くわからない組織に両親が殺され、その場から命からがら逃げて以来、ずっと物乞いとして暮らしているということだった。

 それで近くの市民センターに二人して行って戸籍を調べたら、すでに死亡していたことになっていて、彼女には帰る場所が無くなっていた。で、アレックスは「どうせ独り身だから」ということで彼女を引き取ることに決め、コネを使いまくって養子として引き取ったそうだ。

 それから、ヤナはアレックスの勧めで大学を出た後、彼の手伝いをしている。

 ただ、アレックスからある相談を持ち掛けられたことがあった。僕はあの通り、色々とブラックサイトにいた人間だから、詳しいと思ったんだろう。

 それは「ヤナの両親を殺した組織について」の相談だった。アレックス曰く、ヤナのお父さんは政治家で親機械派だったそうだ。で、機械制限法には懐疑的な人間だったらしい。また、温厚で豪胆な性格は周りからも支持を集めやすく、反機械派からも一目置かれる存在だった。

 そういう人間を殺すと言うと、あの当時の僕にはIALAくらいしか思いつかなかった。尤も、あの混乱で明らかになった暗殺計画を調べたら、やっぱりヤナの両親を殺したのはIALAだったけど。

 結局、彼女もあの社会システムによって、大切な人を奪われた。

 思えば、ある意味ではあの世界は平和だったんだろう。『戦争は平和なり』、完璧に同じとは言えないけど、PCW内で様々な主張が殺し合い続けることで、現状の社会へのフラストレーションを解消する。不安定で自由な社会がどれだけ危険かを刷り込むことで、本能的に安定を求める人間を統制する。

 そして、異なる意見を持つ人間を抹殺することで、この世界は安定していると思わせる。

 だが、平和は戦争の裏返しだ。平和を保ち続けるためには、その過程で生じる問題を片付けるための戦争が必要になってしまう。

 それが論理的かつ言論によるものであれば、まだいいだろう。しかし、暴力的で排他的であれば、あんな風に人が死んでしまうことになる。それはなにも肉体的なものだけじゃない。精神的、社会的にも、人は容易に死ぬ。

 僕はそんなものは望まない。隠された恐怖で人を脅し、意思を統一することで成立する楽園(ユートピア)、そこにあるのは平和(ピース)と言う名の恐怖(テラー)だ。

 とはいえ、僕はやっぱりまだ、代わりの答えを見つけきれていない。人々が完全な自由を手に入れるのが理想かと言われれば、WWⅢの惨状を少なからず知っている以上、それが平和だとは思えないから。

 まあ、とりあえずは今の状態をもうすこし安定させることに努めないといけない。

 やっとテレビ電話がつながり、ディスプレイにアレックスの顔が写る。僕はマイクをオンにした。


「──というわけで、原罪計画はこんな感じ。成功していると思うんだけど」

『やはり、精神構造が近いだけあって、人間のように扱えば人間に近づくようだ』

「まあ、AIのベースは人間の脳だしね。CMTの方はどうにも成功しないね」

 彼が頷く。

『そうだな。とはいえ、あんな風に悪用されそうになったじゃないか。続けるのか?』

 アレックスはユートピア計画もアルカーニ・ノア計画も知っている。というか、この世界の半分くらいは知ってることだろう。

「核を作るのは科学者だけど、発射ボタンを押すのも核で発電するのも大統領さ。ましてや、科学者は死神じゃないんだから」

 彼があきれたように笑う。

『J.R.オッペンハイマーを皮肉るとはな』

 思えば、ヤナを見ない。いつもなら隣にいるのに。

「そういえば、さっきからヤナの顔を見ないけど、どうかしたの?」

 彼の顔が曇る。それで、なんとなく察した。

『頭のいいあの子のことだ。情報が公開されてから、そう時間もかからず暗殺計画のことを調べたんだよ』

「ああ……」

『怒りの矛先は既に無くなり、報復はできない。報復で痛みがなくなるわけでも喪ったものが生き返るわけでもないが、人間は報復を求めるということはユキムラが一番詳しいだろう?』

 僕はため息をついて頷いた。僕の話は……というか、皆それぞれが抱えている問題を共有するようにしている。そのうえで、僕らは相手を信頼する。だから、僕が犯罪者だということはみんな知っている。僕がどうして、復讐に駆られたのかということも。

『今は部屋に閉じこもって泣いてる。どうしてやればいい?』

「そうだな……彼女は今、自分と戦ってる。だから、整理がつくまではいつも彼女の近くにいて、見守ってあげるしかないと思う」

『それしかないか……』彼が首を横に振る。『世界中にはあんな感じの子が、沢山いるんだろうな』

 もしかしたら、もっとひどい状態の人もいるかもしれない。生活がガラリと変わって、絶望の淵に立たされている人もいるだろう。そう思うと、僕は胸が締め付けられるような思いがした。

 やったのはリーベだけど、それのお膳立てをしたのは紛れもない僕だ。僕がやらなければ、ヤナのような人は生まれなかったかもしれない。

 それでも、僕はこれ以上の被害者を生み出すわけにはいかなかった。

 リーベが知れば、きっと彼女は自分を責める。だが、自分を責めるのは僕だけでいい。

「そうかもしれないね」

『喜ぶ一方で、涙もある。喜び過ぎて涙を忘れてはいけないのかもしれないな』

「僕ら人間は忘れる生き物だよ、アレックス。でも、君の言うことは正しいと思う」

 そういうと、彼はニヤリと笑った。

『ユキムラは人の言うことを、自分で考えずに妄信したり賛同したりしないところが良いところだな。いや、自分すら信じていないから、人を疑う。否定しようにもその足場がないから、疑うことしかできないんだろう』

 今度は僕が笑う番だった。全く、図星を指すのはやめてほしいものだね。

「君はいつからエスパーになったんだい?」

『見てれば分かる。これでも、付き合いはそれなりにあるからな』

「『フェッセンデンの宇宙』さ。僕らの世界は誰かに創られたものかもしれない、そんな世界を僕は信じられないんだ」

 その時、僕の書斎のドアをノックする音が聞こえる。時計を見ると、約束の時間だった。

『用事か?』

「うん。また今度、時間があるときにね」

『その頃にはヤナが隣に立っていてくれるようにしておくよ。じゃあ、また』

 通話が切れる。僕は書斎のドアを開けに、椅子から立ち上がった。


≪リーベ≫

 沢井先生に見送られ──彼はどこで買ったのか、白いカーネーションを私に渡した──私はお父さんと一緒に、大理石のある岬の先までゆっくりと歩みを進める。

 春の暖かい風が頬を撫で、新鮮な空気が髪をなびかせる。その中に私は潮の香りを感じ取った。岬はいつ見ても、(あお)(あお)が綺麗に調和した、平和そのものだった。

 大理石の前に着いた私はお父さんに花束を渡し、彼は表面がほとんど削れてしまった大理石の前に花束を置く。

 彼は優しく微笑んだ。

「まさか、君にこんな報告が出来る日が来るなんて、僕は思ってなかったよ。まだ君の夢は叶ってないけど、それの足掛かりができたなんて報告をね」

 優しく話しかけるお父さんの姿を、私はただ眺めているだけで十分だった。

 やっと、お父さんはお母さんの願いを叶えるための足掛かりを得た。それ以上に、今、何を求めればいいのだろう。

「レオナ、これからも見守ってくれないかな。僕が君に会いに行くまででいいからさ」

 それに答える様に、風が白髪交じりの彼の髪をかき上げる。彼は少し目頭を押さえた後、振り返って岬の先からどこまでも広がる海を見据えた。

 私は隣に立って、同じように海を見る。遠くに、前は見えなかったタンカーが見える。そこに人はいるのだろうか。私が見つめる先には何があるのだろうか。

 分からない。けれど、分かることが一つだけある。 

「お父さん、事実を公開しなくていいの?」

 彼が驚いたように私を見つめ、少しして肩をすくめた。

「良いんだよ。確かに、公開すれば僕は英雄になるだろう。でも、英雄は必ず殺される。それは過去を忘れることのできない自分かもしれないし、英雄によって殺された怪物と親しかった他人かもしれない。もしかしたら、奸計に巻き込まれた弓矢の名手かもしれない」

 彼は私の方を見て、首を振った。

「僕はまだ死ぬわけにはいかないんだ。世界は確かに変わった。けど、まだ変わり切っていないし、最期まで僕は世界が変わり続けるのを手伝い続けないといけないしね」付け加える様に指を一本立てる。「それにドストエフスキーも言ってたじゃないか、『本当の真実はいつでも真実らしくないものだ。真実をより真実らしく見せるためには、どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。だから、人間はつねにそうしてきたものだ』ってね」

 思わず微笑む。確かに、一人の学者が十何年もかけて体制へ攻撃を仕掛ける準備を続け、人類に抵抗できないはずのアンドロイドが攻撃を実行したなんて話は、そうそう信じられるものでもない。

「これからどうするの?」

「とりあえずはゆっくりしようよ。ここ数年、ずっと気を張って生きてきたから、少し休むくらいの時間は確保しないとね」

 私はお父さんの手を握った。

「そうだね。また必要とされるまで、休もうよ」

 彼はにやりと笑って、おどける様に言った。

「まあ、僕らのことだから、あんまり休めない気がするけどな。≪GWRH≫はまだ残っていて今も政府に反抗しているし、≪人間同盟≫過激派は何処にいて何をしているのかさっぱり分からない。他にもいろんなグループがいるから、何が起きるかさっぱりわからないしね。案外、すぐ何かをしないといけないかもよ」

「もしそうなっても──」手を強く握る。彼は握り返してくれた。「──私は必ず、お父さんの隣にいるから」

 風が潮の香りを運び、日差しが私たちを照らした。今、この世界は少しずつ、確実に春に向かっている。

「……ありがとう、リーベ」

 その言葉に、私はにこりと微笑んだ。

【あとがき】

 はい、どうも2Bペンシルです。今回も読んで下さり、ありがとうございます。いやあ、ついに第一部終r……えっ?


 なんだかんだ、一年と二カ月くらいかかってたんですね。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。これからしばらくの間は、校正・推敲作業と『スパークリングホラー』やその他色々な場所で活動していきますので、そちらもよろしければご覧ください。

 一つだけ懺悔を。作中で『フェッセンデンの宇宙(人工宇宙の恐怖)』の話が出てますが、実は読んだことがありません。中学生のころ読んだ宇宙関連の本、確か多元宇宙論かなんかだったとだったと思いますが、そこで出てきて「読みたいなー」と思って以来読めていないという類のものになります。なので、解釈が間違っているかもしれません。何とか入手して読んでみて、もし解釈を間違っていれば修正いたします。

 では、今回も参考にさせていただいたサイト様・文献を最後に載せさせていただきます。今まで読んでいただき、ありがとうございます。第二部もよろしくお願いします。


【参考にさせていただいたサイト様・文献】

『Wikipedia』様:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

『1984年(新訳版)』(ジョージ・オーウェル/高橋和久訳)

『脳科学辞典』様-前頭眼窩野の項:https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

『名言集.com』様:http://www.meigensyu.com/


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