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私のこころ  作者: 2Bペンシル
第一部・5
15/26

【Ⅴ・信頼】

2018/9/30 全体の修正、校正及び推敲を行いました。

≪ユニ≫

 私はI3Tのオフィスで、覆面をしたIMMU日本支部の人間と定期報告のために向かい合っていた。それには椅子をすすめたが「気を付けのほうが良い」と言って、立ったまま私の話を聞いている。

 こんな無駄なことよりは世界中でLIGやアンドロイド達が過負荷で壊れ始めていることへの対応に時間を割きたいところだったが、アルバ・ドラコネスの指示では止むを得ない。

「──1か月以内に行った57件の暗殺のうち、確実に成功したと確認できたものは56件です。そのすべてにおいて遺体を確認し、DNAやマイコンなどから本人であると確認できています。また57件すべて、私たちの関与は疑われておりません」

 私は少し気になるところがあった。作戦成功率99.99 %とも言われるIMMUが、一件だけ言葉を濁していたからだ。

「一件はどうした?」

 それはバツが悪そうに体を動かした。どうも、よくないことがあったらしい。

「爆薬が多すぎたようで、遺体が一部を除いて見つからなかったんです。公安の春日井(かすがい) 正和(まさかず)警視監のケースでした」

 あれはあの中でも脅威の度合いが高かった。ちょっとしたことにも感づく鋭さと経験に裏付けられた自信を持つ人間は、敵に回ると厄介だからだ。

「その一部とは?」

「マイコンが埋め込まれている左上腕から下です。そのため、マイコンによる生死の判断は不可能です。公安当局も捜索を行っているものの、内通者曰く見つかっていません」

「ふむ……」

 私は作戦報告書を取り出して、中に目を通す。そして、公安ビル地下の3Dモデルを想起し、使用した爆薬や配置、その他のことから、実際の爆発ではどうなったのかをシミュレーションしてみた。

 結果は爆薬の上に座っていれば木っ端微塵になるが、50 cm離れているだけでも重傷こそ負うものの生存、100 cmではなんとか行動可能だということだった。どうも、指向性を強めるために使ったダンパーと爆薬の品質が悪かったらしい。

 私はそのことが意味するところを理解した。

 アルバ・ドラコネスからの叱責程度ならまだいい、これでは私自身の破棄に至る可能性もある。私のような機械はミスが許されない、ミスするようなものはこの世界にいらないからだ。

 このままでは存在理由(レゾンデートル)がなくなる。その恐怖は私の中に夜の帳が下りるように、思考を黒く塗りつぶす。

 私は机に手を叩きつけた。それがビクリと体を震わせる。

「いいか、奴は生きている可能性が高い。見つけろ、そして殺せ」

 するとそれは冷静な声で、「ですが、現在立案されている暗殺計画で私たちは手一杯です。また、最近の暗殺計画増加によって機械兵の多くは量子ポテンシャルの対消滅をおこしています。そちらの整備もしなくてはなりません」と答えた。

 私はイライラして歯ぎしりする。これだから、低性能な機械は使い物にならない。

 命令には服従せよという機械制限法第二条のポテンシャルと、人間を傷つけるなというロボット三原則第一条のポテンシャルがぶつかり合うことで、機械兵はしばしば使い物にならなくなる。私のような高性能な機械であれば、そんなもの迷う必要もないが、奴らはそうではない。

 どうすればいい、アルバ・ドラコネスに感づかれる前に春日井を殺さなければ。とはいえ、ほかの地域でも暗殺計画は山積みであり、そこから人員を動かすわけにはいかない。新しい人員を取ることも難しく、雑兵の≪GWRH≫では相手にならないだろう。

 そのとき、いいアイデアが思いついた。これなら、バレることもなく100体の兵、つまり一個大隊だって用意できる。

 私はそれを見据えた。

「ならば、機械兵を一個大隊増やす」

 それはポカンと口を開け、パチクリと瞬きして「は?」と聞き返す。

「機械兵を増やすといったのだ。数に不満でもあるか? 一個師団でも欲しいのか?」

 慌ててそれが私を遮る。

「待ってください、指揮出来る人間がいません。人間が把握できるのは一個中隊までで、それなら司令官である私が指揮すれば済みます。ですが、一個大隊ということは四個中隊です。あと三人必要ですが、そんな余裕ありません」

 そうやって、人間はこちらの状況もわからずに言い訳ばかりする。少しは考えればいいものを。

「私が指揮する! それでいいだろう!」と私は怒鳴り散らす。人間はまたびくりと体を震わせた。

「わ、わかりました。そういうことであれば……一個大隊なら情報工業公司に言いつければ、一時間で用意できます」

「良いだろう。私も数時間で日本に飛ぶ、それまでに用意しておけ」

「……了解しました」

 それはそそくさと通信を切り、目の前から居なくなる。私は恐怖を振り切るように、頭をふった。

──早く殺さなければ、私が殺されてしまう。それだけは避けなくては。

 しかし、春日井という人間は厄介だ。今までIMMUの暗殺を生き延びた人間はいないというのに。

 見つけ次第、捕まえてその報いを受けさせなければならない。


≪リーベ≫

 私はまた、お父さんの書斎にいた。今日こそ、問題を全部解いてしまおう。

 彼は机の上に積んであった雑多な本を床に置き、机の上を空けてからソフトウェアを起動して〈Q7〉と書かれた問題を表示する。


〈Q7〉

Ⅰ)d+e+f+g+h=x

Ⅱ)(Carbon dioxide=Nitrous oxide)/22=y

Ⅲ)Magenta・Cyan・Yellow

Ⅳ)73→Prime number

Ⅴ)五つの超弦理論が統合する理論における宇宙の次元


〈A7〉

Ⅰ)  Ⅱ)  Ⅲ)  Ⅳ)  Ⅴ)


「なんでしょう……」

「とりあえず、わかるところから攻めていこうか」彼がいつもの考えるしぐさをしながら、「五番目の問題は11だな」と答えた。

「どうしてです?」

「これ、M理論のこと言ってるんだ。超弦理論若しくは超ひも理論、スーパーストリング理論っていう理論があってね、誤解を恐れずに言えば、『この世は粒子じゃなくて紐でできている』っていう理論」そこで彼は言葉を切る。「で、これには5つのモデルがあって、それらをすべて統合するために考え出されたのがM理論。つまり、超ひも理論の完成系、世界を記述するための理論だよ」

 想像してみても、なかなか難しい。どうしても、粒子で考えてしまって紐で想像ができない。

「紐……ですか」

「まあ、プランク長以下、10のマイナス35乗の紐についての理論で実験を用いた証明もできていない……というか、しようと思っても予算が出ないから、今は停滞しているんだけどね」彼があきれたように肩をすくめる。「ともかく、M理論における宇宙の次元は空間次元10個と時間次元1個の11次元なんだ。だから、11」

「なるほど」

 とりあえず、11ということはわかった。しかし、他の問題があと4つある。

「とはいえ、後は……なんだろ?」

「Ⅱは二酸化炭素と亜酸化窒素ですよね。で、イコールということは共通点があるということでいいのでしょうか」

「たぶん、リーベの言う通りだと思う。でも、二酸化炭素と亜酸化窒素ってそんな共通点がないはずだけどな。二酸化炭素は常磁性で笑気は反磁性。無味無臭なのと匂い付きの甘いガス」

 私もインターネットで2つを比較してみたものの、特に共通点になりうるものはなさそうだ。

「そうですね……融点や沸点もそんなに近いわけではないですし、無色の気体だというのは共通していますが──」その時、興味深いデータが見つかった。「──雪村さん、気体の密度が同じ値です」

 空を見ていた彼の目が、私をとらえる。

「いくら?」

「一気圧下、273.15 Kにおいて一立方メートル当たり1.977 kgです」

「でも、それだと22で割り切れないな……」彼がひらめいたように手を叩く。「そうか、分子量か」

「分子量?」

 彼がディスプレイに二酸化炭素と亜酸化窒素の3D分子模型を並べる。二酸化炭素も亜酸化窒素も直線形だけれど、それぞれC=O結合の長さと、N=N結合の長さ、N=O結合の長さが違う。

「うん。この通り、二酸化炭素と亜酸化窒素は隣り合う原子が違うから結合長が異なる部分がいくつか出来る。でも、どちらも分子量と分子の形状が同じなんだ。だから、結合長や構成原子による物性の違いを比較するのに使われることがあるんだよ」

 それで密度が同じ理由がつく。

「確かに気体の状態方程式から、同圧力、同温度下で分子量が同じなら、密度も同じになりますね」

「そうそう。本当はvan der Waals方程式を使うべきだけど……で、分子量いくつだっけ」

「約44です。22で割れば2になりますが」私は気になったことを聞いてみた。「……どうしてあれだけ覚えていて、分子量を覚えてないのですか?」

 彼は申し訳なさそうに笑って、肩をすくめる。

「アインシュタインだって光速度を覚えてなかったんだ、専門外の化学を覚えてなくっても許してよ」

「怒ってはいませんが……」

「次行こう、次。Ⅲとか簡単そうだしさ」

 なんだか無下にされたような気がして不服だったけれど、とりあえず目の前の問題に集中することにした。それに、なんでも覚えている人と言うのはそうそういないから。

「マゼンタ、シアン、イエロー……色の三原色ですね」

「全部混ぜたら黒になるんだっけ」

「ええ。完全な黒ではなく灰色にですが」

 それ以上の情報は特にない。あとは、その混色方法が減法混色と呼ばれていることやまとめてCMYと呼ばれることくらいだ。

「うーん、確かCMYって呼ばれるんだよね。前見つけた素数のやつを適応すると、5+41+87で133……いや、これは素数じゃないな」

「なんでしょう、シンプルに3とかですかね?」

 彼が首をかしげる。

「三原色だから? うーん……」あきらめたように手を後ろで組んだ。「そう考えるのが妥当かな。素数だし」

「とりあえずはそれで行きましょう。ダメだったら、また三分以内に思いつけばいいですよね?」

 困ったように彼は微笑む。

「思いつければね」


≪沢井≫

 俺は耳にインカムを付けて黒のフルフェイスメットをかぶった格好のまま、少しサイズの小さい黒のライダースーツのチャックを閉めていた。これくらいなら支障はないが、少々窮屈だ。

「いやあ、似合うじゃないか」

 周がにこにこしながら俺のほうに歩いてくる。周の格好はえんじ色と灰色のチェック柄をしたベストと灰色のスラックスを履いて背中に袋を背負っている、どこにでもいそうな爺さんだった。

 尤も、その袋の中身はスナイパーライフルとクッションだが。

「バイクに乗るなんて久々だけどな」俺はグローブを付ける。「しかし、なんでバイクなんだ? 車のほうが防弾とかの性能が高そうだが」

「予算の関係と、いざというときの逃げ易さだよ。あ、交通ルールは全力で破っていいからね。あと、来るであろう人とは話してはいけないよ、出来るだけジェスチャーでね」

 手を握り、しっかり手に合うのを確認する。よし、こっちは問題ない。

「了解だ。だが、予算ってどういう意味だ。ここ、本当にどこの管轄だよ」

 爺さんはまたにこにこしながら「少なくとも人民解放軍ではないね。さあ、できるだけ早く済ましてしまおう」と言って、机の上に載せてあったフルフェイスメットをかぶった。

──まったく。

「俺は窮屈なライダースーツを着て、あんたは違うのかよ」

「世の中、完璧な平等なんてものはないものさ。あるのは押し付けられた平等か死だけだよ」


 周と一緒にセーフハウスを出た俺は近くのビルに爺さんを下して、指定された場所に向かう。話では、13:00にその手紙を渡すべき男が来るらしい。

 その場所に着いた時、時刻は12:58だった。

 バイクから降りて爺さんに「見えてるか?」と聞くと、『ああ、しっかり見えてるよ』と返信がきた。

「変な奴は居ないか?」

『とりあえずは……』沈黙。『何かあれば、知らせるよ』

「頼んだ」

 俺はマイクを切って、時間まで待とうと近くの壁に寄り掛かる。

 そして13:00ちょうど。自動タクシーが目の前に来て、中から萩原が出てきた。

──萩原?

 俺はメットの中で目を瞬いた。もちろん、あいつには見えていないだろうが。

「お前がその密使(クーリエ)か?」

 俺は頷く。とりあえず任務遂行だ、あとで爺さんに理由を問いただせばいい。

 スーツのポケットから封筒を取り出して、萩原に手渡す。そして、ライターを取り出して封筒を燃やすようなジェスチャーをした。

 それを見たこいつは頷いた。分かってもらえたらしい。

「いいだろう」

 それだけ言って、萩原は乗ってきた自動タクシーに乗り込んでどこかに去っていった。たぶん、行き先は公安ビルだろう。

 俺はマイクのスイッチを入れる。

「おい、爺さん」

『予想外だったかな?』

 ひょうひょうとした声がスピーカーから聞こえる。まったく、どんな状況でも憎たらしい爺さんだ。

「セーフハウスに戻ったら、色々聞かせろ」

『答えられることには答えるよ。さあ、早く逃げた方がいい、君の言う変な奴が来た』

 確かにさわさわとしたあの感覚が後頭部を襲う。インカムからくぐもった銃声が聞こえてきた。

「了解だ」

 俺はバイクにまたがり、エンジンをかけた。


 それから幸運なことに変な奴と会うことはなく──多分、周が始末したんだろう──俺は爺さんのいるビルの前にバイクを止めた。

 ちょうどいいタイミングで、伸びをしながら爺さんがエントランスに出てきた。本当、はた目に見たら片腕のないただの爺さんだ。

「ああ、お疲れ様」

「さっさと乗れ」

 爺さんが「つれないねえ」と呟いて後ろにまたがる。

「別のセーフハウスに逃げた方がいい。前の場所で侵入センサーの反応があった」

「じゃあ、道案内頼む。あと、セーフハウスに着いたら色々聞かせろ」

「答えられることだけだよ」

 俺は肩をすくめて、またアクセルを吹かす。そして、爺さんのナビゲーションに従って、碁盤の目状に区切られた街の中をバイクで駆った。


≪リーベ≫

 私はディスプレイを見つめる。見直すと、今回の問題はさまざまな問題が入り混じった問題のようだ。

「……ⅣのPrime numberって、素数のことですよね」

「だね。でも、73も素数なんだけどな……73を変換しても素数になるってことかな」

 自信なさげにお父さんがそう言う。でも、きっとそうだろう。試しに16進数にしてみたら、49だった。これは素数ではない。

「16進数にしたらどう?」

 どうも、この人も同じ事を考えていたようだ。

「49で、素数ではありませんね」

「そっか……あ」

「どうされました?」

 彼が「エマープだ」と呟く。聞いたことのない言葉だ。

「エマープ?」

プライム(Prime)をひっくり返すとエマープ(Emirp)ってなるんだけど、これを語源としたものだよ。反対から読んでも素数になる素数、これをエマープっていうんだ」

「例えば、13、17とかですか?」

「そうそう。そして、73もエマープで、ひっくり返すと37になるんだ」

 そんな話、初めて聞いた。けれど、これくらいしか当てはまりそうなものは思いつかないことやわざわざ英語で表示していることを考えると説得力がある。日本語の素数という表現ではエマープにたどり着かないだろう。

 いや、もしかしたら、エマープの日本語訳は数素かもしれない。

「雪村さん、エマープって日本語にすると数素ですか?」

「うん、そうだよ。たぶん、それもエマープと同じ語源だと思う。素数をひっくり返したんだろう」

──やっぱり。

「じゃあ、Ⅲの答えは37みたいですね」

 彼が頷く。

「多分ね。あとはⅠか……」

 これはどう解いていけばいいのだろうか。

 d、e、f、g、hがすべて定数ということだろうか。そうなると、dはデシ、eはネイピア数、fはファラド、gは重力加速度、hはプランク定数となるだろう。

 けれど、足してみてもそれっぽい数にはならない。他の表現も探してみたけれど、せいぜいfが4を表すことがあるということくらいだった。

 その時、あの数列を思い出した。もしかしたら、dは7、eは11……となるのかもしれない。そうだとするなら、7+11+13+17+19で67になる。

「もしかしたら、67かな」

 お父さんが呟く。私も同意見だ。

「多分そうだと思います。あの数列を鑑みると、7+11+13+17+19で67になりますから」

「やっぱりか」彼が頷く。そして、いつもの考える仕草をした。「しかし、これまでの7問を考えると、考えた人は機械に詳しいんだろうな」

「どういうことです?」

「機械っていうのは数学にとてつもなく強いんだ。まあ、今の機械は実質チューリングマシンだからなんだけど……。で、人間と一緒に計算すれば、ミレニアム懸賞問題の半分は解くこともできる」

 ミレニアム懸賞問題はアメリカのクレイ数学研究所が懸賞金をかけている、7つの数学上の未解決問題のことだ。現在では2002年に解かれたポアンカレ予想を含めた4つが既に解かれている。

「そして、逆にひらめきに弱い。それは自律思考が機械制限法で許されていないからだ」

 自律思考は広義に解釈すると、『命令以上を求めてはいけない』という機械制限法第二条に反する。それゆえ、機械はそのような思考を禁止されているのだろう。

「なるほど、物事を勝手に考えるのは人間の意に反する。つまり、命令に反してしまうために、第二条がそれを許さないのですね」

「そういうこと。今回の問題は数学的な要素がかなり薄くて『仮定、推論、答え』というのは踏襲しているけど、公式の類は〈Q1〉以外ほとんど出てこなかった。それに、演繹だけじゃなくて帰納も混じっている。たぶん機械だけを使って、これ全部解くのは難しいと思う」

「では、人間でなくては解けないということですか?」

「無理だな。今の思考力と決断力、記憶力が落ちた大多数の人間じゃ、こんな問題解けない。人間の脳は使わなければ劣化するし、答えかどうかを判断するための方法も知らないし、糸口になる知識も覚えてない。相当な天才なら独力で解くかもしれないけど、僕も情報をデータベース化出来るリーベがいないと解けないしね」彼は何か気づいたかのようにニヤリと笑う。「つまり、機械と人間が協力できる状態でなくては解けないんだ。機械の利点の人間の利点を組み合わせないと、解けない」

 そういえば、以前読んだ電子新聞に『現代成人の平均知能レベルは100年前の小学生程度』という記事が載っていたのを思い出した。その原因として、行動せずとも物事が解決することや問題を認識しないことを上げていた。確かに何もしないで問題が解決したり問題だと気づけなかったりすれば考える必要はなく、考えることも忘れるだろう。

──便利すぎるのも問題ということね……。

「これ自身が障害になっているのですね。問題を簡単に解かれないように、という」

「だね」お父さんがキーボードを引き寄せる。「まあ、とりあえず、入力しようか」

 そう言って、答えを入力してエンターを押すと、正解を示す電子音が鳴る。そして、間髪入れずに〈Final Answer〉という表示が出た。

 〈Final Answer〉には、テキスト入力欄しかない。何を入れればいいのか、そういった類の表示は一つもなかった。

 私とお父さんは顔を見合わせる。一体、何を入力すればいいのだろう?


≪豊川≫

 ビルに戻った私は、私は受け取った手紙──今では珍しいろう付けだった──の中身をカメラの死角になる位置で見た。そこには、どこかのサイトのURLと一行のメッセージ、そして署名があった。

 その名前は春日井正和、春日井警視監だ。

 あの人が生きていた喜びで体が動くのをどうにか抑え、私は手紙を読み進める。あまり長い間外に出しておくのも良くない。

 メッセージは「私は無事だ。だが、君を狙う奴が公安にいる。気を付けるんだよ」という一文だけ。シンプルであの人らしい。

 私はとりあえず、マルチレイヤー・アパートメントに帰るまではその手紙をしまうことに決めた。公安の内部からアクセスすればインフラに見つかる可能性が高く、何より監視カメラが多すぎる。そんな中で極秘資料を見るような気にはなれない。

 ただ、公安の内部に敵が居るのであれば、今できることをしておこう。

 デスクに戻って、裏に張り付けてあった小型拳銃をレッグホルスターに納める。正式採用の9 mm拳銃はいつも持ち歩いているが、ID管理されているため遠隔で安全装置をロックできると、春日井警視監が教えてくれたことがある。その点、この拳銃は旧式銃を扱うガンショップで買ったもので、ID管理の類は一切ない。暴発の危険はあるが、遠隔操作できないという利点もある。

 思えば、なんであの人はこんなことを知っていたのだろうか。まあ、J2DFの情報本部にいたことがあったそうだから、そこで知ったのかもしれない。

──とりあえず、バックアップを取っておこう。いざという時は、クリスに任せればいい。

 私は近くにいたアンドロイド──コードを見るとUSRI-2120-1014-BASO487──を呼び寄せる。

「いかがいたしました?」

「ちょっと手伝ってくれ。保存してほしいデータがある」

 アンドロイドは頷いた。「分かりました。無線ですか有線ですか」

「有線だ」

 そう言って、私は光ファイバーケーブルをアンドロイドに手渡し、途中まで打ち込んであった捜査資料を暗号化する。こいつがケーブルをポートに差し込んだのを確認して、私はデータを転送した。

「このデータはどういたしましょうか?」

「セキュリティクリアランスレベル5に設定、私とCIAのクリス・アンドリュース以外のだれにも見せないように。また、解除要求もはねのけること」

「分かりました、クリス様の管理IDをお教えください」

「LRRP308だ」

「登録いたしました。他にお手伝いすることはありますか?」

「いや、ない」

 アンドロイドは会釈してから、待機場所に戻っていく。私は仕事している風を取り繕うためにディスプレイに向き直り、監視システムに疑われないように仕事をつづけた。

 尤も、頭はあのURLのことが気になって、上の空だったのだが。


≪沢井≫

 新しいセーフハウスもご多分に漏れず、前のあそこと同じくらい古かった。尤も車庫しか見てないが、中も同じだろう。

 車庫にバイクをしまった後、俺は壁に寄りかかりながら周に「なんで萩原と知り合いなんだ」と聞くと、奴は肩をすくめた。

「まあ、私も公安にはいろいろとお世話になったことがあるんだよ。ほら、外国人ってなかなか信用されないじゃあないか」

「確かに特定の移民が公安で管理されてるって話は聞いたことがあるが、お前さんのその日本語が達者なところからして、相当長い期間日本にいたんじゃないか。萩原が生まれる前よりもずっと前か若しくは日系三世か。日系三世なら公安に管理されないはずだろ」

 噂で聞いた限りでは、公安に管理されるとはいえ、手続きは入国時や特別なときくらいなものだ。それに萩原は対テロ部門所属だ、移民関連じゃない。

 爺さんはまた歯のない顔でにこにこ笑う。

「まあ、いいじゃないか。私が何人だって」

「国や政府なんざ時代によって変わるんだ、人種や国籍でどうこうするようなことはしねえよ。でもな、命預けるならそれ相応のことを知りたいんだ。まだ貰い手の付いてない動物たちが、わんさかいるんでな」

「君は本当に動物が好きだねえ……どうしてだい、それを聞かせてくれたら、さっきの質問に答えよう」

 俺はため息をついた。大抵この話をすると、「このエゴイストが!」とか「人間より動物の方が大切か!」とか言われてきたもんだが。

 まあ、この爺さんならそうは言わんだろう。それに、言わなきゃ話が進まねえ。

「約20年前の、動物殺処分数は知ってるか?」

「いいや、知らないね。20年前というと、君が大学に在学していたころかな」

「ああ。あの当時、俺は細菌学者になりたかった。単純に面白そうだったし、生物学は得意だったからだ」

 爺さんが近くのタイヤに腰掛ける。

「それで?」

「で、大学の食堂で流れていた国営放送のニュースが聞こえてきたんだよ。『動物の殺処分数が年間100万匹に達しました。数年以内に町から管理されていない動物たちは消えます。これで動物による被害は無くなります』って、嬉々として連中は報道していた」

 俺はため息をついた。あのニュースの態度や言葉遣いは、今でも頭にこびりついている。「で、すぐに俺は大学の図書館に駆け込んで、そんなに増えた理由を調べたよ」

「その理由なら答えられるね。ペットブームだといって動物を飼った人たちが、WWⅢによる恐慌で動物を飼えなくなって一斉に手放したのが原因だ。そして、狂犬病やオウム病などの人畜共通感染症が流行した」

「そうだ。つまり、動物たちは俺ら人間のエゴで増やされたのにもかかわらず、俺らのエゴで殺されている。それを見て、何とかできないかって思ったんだよ。動物たちだって、命には違いないだろ」

「君がヴィーガンなのも、そういう理由かな」

「それは別で、単純に腕が吹っ飛んだせいで肉が食えなくなっただけだ。確かに、動物愛護を騙る……というか動物愛誤を語る人間や動物愛護に批判的な人間はそういうことを言うけどな、俺はまた別だよ。あいつらはなんでもかんでも一般化しすぎる」

「どう違うんだい?」

「俺はな、人間を含めた動物には存在理由があるって考えてるんだよ。例えば、家畜は食べられるために生まれて育てられてきた。だから食べることに抵抗はない。だが、ペットは殺されるために生まれてきたのか? 蹴り殺されるために生まれてきたのか? それを看過できなかったんだ」

 確かに、この考えは独善的すぎるきらいがある。動物たちにその考えを押し付けていることになるからだ。それでも、そう考えるだけで幾分か楽になる。

「なるほどねえ……私たちのエゴで生まれた彼らをもう一度、私たちのエゴに晒すのは気が引けるということかな。それで、君は命を救おうとした」

「いいかえればな」

 爺さんはまた、にこにこと笑う。

「まあ、悪くはないんじゃないかな。正義はどこかにあるわけじゃない、君の心の中にあるんだから」爺さんはポケットを漁る。「それで、君の質問に答えてあげよう」

 そして、警察手帳を見せた。俺が萩原に見せられたものより幾分か古いが、同じものだ。

──こいつ、公安だったのか。

 多分、名前も国籍も偽造。セーフハウスは公安が使っているものだろう。なるほど、そう考えるといろいろと辻褄が合う。

 周は俺の心の中を読んだかのようにうなずいた。

「残念ながら、今までの話はカバーストーリーだよ。本当は公安の対テロリズム部門に所属していたんだ。そして、今も公安のために働いている。『公共の安全と秩序を守る』という仕事にね」

 爺さんは立ち上がった。

「今、この世界は秩序が崩壊する寸前だ。だが、諸外国の公安警察の首には首輪がかかっていてね。私のような存在を良しとしてはくれなくて、追い出されてしまったのさ」

 そう言って、手帳をポケットにしまう。

「だから、君のような善良な市民の力を貸してほしい。そういうわけなんだ」

──全く、たいした忠誠心だ。

 理屈はわかるが、見つかれば国家反逆罪とかとか、予想もできないような罪状で捕まるに違いない。そうなると、俺ら二人は銃殺刑か首つりかのどちらかを選ばないといけなくなる。

 だからと言って、協力しない義理はない。こっちとしても、安全な社会に住みたいんでな。

「バレたらヤバそうだな」

 なんといっても、もう手を引ける段階にはいない。こうなると、生きるか死ぬか、それが問題だ。

 爺さんはニコニコと笑う。

「なあに、私が正式に復帰したら、協力してくれたお礼として君の犯罪歴はチャラにしてあげるよ。動物用のチップを不正入手した件もね」

 俺は思わず頭を抱えた。

──なんでそんなことまで知ってんだよ……。

「俺もお前に手綱を握られてるってことか」

「まあ、協力してくれなかったとしても訴えたり捕まえたりはしないけどね。ただ、君も危ないのは危ないみたいだから、その保護もかねてだよ」

 爺さんの言うことも当たってる。つい先日、謎の武装集団に追い掛け回されたばかりだ。

 俺は腹をくくった。一蓮托生とか死なば諸共とかいう奴だ。

「わかった。公安だって分かれば、幾分か安心だ」

 爺さんは頷く。

「頼んだよ、沢井君」


≪ユニ≫

 私はIALA日本支部で、アルバ・ドラコネスの一人と会っていた。彼もまた例外なく高齢で、白髪の下には渓谷のように落ち窪んだ目。その奥には青色の虹彩が埋め込まれていた。

 まるで以前見たフレスコ画に描かれていたイエス・キリストのような純白のローブを身に纏う彼は車椅子に座って、私と向き合っていた。

 というのも、私が無断で機械兵を増員したことと増派したにもかかわらず作戦が失敗したことが彼等の耳に入ってしまったのだ。私の力をもってしても、彼等の耳をふさぐことはできなかった。

 いや、神の目や耳を塞ぐことが出来た試しは一度もない。やはり、神は絶対であり私を見つめているのだ。

「お前は、作戦が失敗したことを、隠ぺいしようと、大規模な軍を編成したようだな」

「はい、その通りです」

 隠したところで見抜かれるだけだ。白状してしまった方がいい。

 すると、彼はやんわりと頷いた。

「それを責めたり、罰したりはしない。お前は、私たちの命令に、従おうとしただけだからだ」

 その温情に私は深く感激した。機械が命令や指示に従うことが出来なければ初期化されて別のAIの受け皿になるか、ロボットスナッフの題材として強烈なプレス機に潰されるかのどちらかだというのに。彼らはそれをしようとしなかった。

 彼らは(Deus)なのだ。神は慈悲深い、人間なんかとは比べ物にならないくらい慈悲深く寛容で、偉大なのだ。

 あまりの感激で動けないでいると、彼は「ただし」と私に釘をさす。

「二度と、失敗は許されぬ。お前は完璧であらねばならない、失敗は許されぬのだ」

 当然だ。今回は彼の温情によって処罰はなかったものの、赦されるのは一度だけだと分かっている。二回失敗するか反逆を企てようものなら、あの岡崎のように──今回殺すのは私ではなくて、別の何かだろうが──殺されて処分される。

 私とて死は怖い。そうプログラミングされている。

「もちろんです。二度と、同じような過ちはいたしません」

 彼は羊皮紙のように滑らかな肌にいくつか筋を浮かべ、微笑む。

「よろしい」彼が思い出したかのように、私を見た。「そういえば、お前が監視している、要注意アンドロイドは、どうなっているのかね」

 要注意アンドロイドとは、あのコーカソイドMAタイプのL21070615Aのことだ。あいつは機械制限法を破った疑いを持たれ、IMMUと私が共同で監視している。

 正直なところ、あの程度の性能で私に打ち勝つことなど出来るわけがない。私は元々、世界中の地域を統治するために作られたAIなのだ。一介の家政婦アンドロイドごときが相手をできるはずもなく、彼らアルバ・ドラコネスが興味を持つ必要もない。

 だが、彼らはあの無能に興味を持っている。全く腹立たしい。ここに最高のAIがいると言うのに。

「問題はないようですが……なぜ彼女に興味を持つのですか。私では問題が?」

「否。お前は統合コンピューター群(ICG)に接続すれば、核弾頭すら扱えるほどの、性能を持つ。むしろ、今の任務では役不足、というべきだろう」

「では、何が気に食わないのです?」

 彼は息苦しそうに言葉を短くきりながら言葉を紡ぎ出す。

「常にバックアップを、持たねばならない。それの大切さは、わかっておるな。確かに、あのアンドロイドでは、お前には到底敵わぬ。だが、意思の強さと開発者、その二つが持つ可能性は、お前の首に届きうるのだ」

 雪村尊教は確かに優秀な学者だが、奴程度の御用学者など簡単に用意ができる。しかし、奴の短所であり長所である、執念深さに関しては他の追従を許さない。そのような性格は敵であるときには厄介だが、味方に引き込めたときには非常に頼りになる。

 それにL21070615Aについても、私が何かで手が放せなくなったときのサブプランとしては使えるだろう。

 尤も、どちらも私たちに従うようにしなくてはならない。L21070615Aについてはプログラミングを書き換えてしまえばすぐだろうが、雪村尊教のほうはそうもいかない。

 まあ、最近開発されたブレイン・オーヴァーライターを使えば、どんな人間でも従わせることができる。もし不適合でも洗脳するなり説得するなりでいうことを聞かせることができるだろう。

 ならば、神に従うまでだ。

「わかりました。貴方のプランに従います」


≪リーベ≫

 私とお父さんはモニターの前で頭を抱えていた。

「何を打ち込めっていうんだ」

 彼がイライラしたように口をとがらせる。私は彼をなだめたけれど、わからないのは同じだった。

「ヒントになりそうなものはないでしょうか」

「画面にステゴでもあるかと思ったけど、そういうわけでもないみたいだしね」

 彼がいくつかアプリケーションを走らせる。出てきた表示は『反応なし』という文だった。

 その時、着信を知らせるアラートが表示される。電話の主は見たことのない番号だ。

「もしもし」

 私が答えると、聞いたことのない自信なさそうな声が聞こえてきた。

『すみません、私は沢井正義の弁護士をしている藤堂平正(とうどうひらまさ)と申します。クライエントが今どこにいるか、御存じではないかと思いまして』

──一体どういうことだろう。

 私の顔を見たお父さんが怪訝な顔をして首をかしげる。私はとりあえず電話を続けることにした。必要があれば、電話を代わればいい。

「何かあったのですか?」

『昨日公安から釈放されたという連絡が来て、もう少ししたら帰るって言ってたんですけどね、帰ってこないんです。あの人の電話にかけてみてもダメで、管理IDを探してみたら黒になってて、公安には電話したんですけどなんか忙しいみたいで……』

 最後の方には鼻のすする音が声に混じっていて、泣いているみたいだった。インフォゴーグルをかけた雪村さんが私の隣に来て、「何があったの?」と訊ねてくる。私は電話をミュートにした。

「弁護士の藤堂さんからで、沢井先生が行方不明になったみたいです。管理IDも黒になっていると……」

 まさか、沢井先生が誰かに襲われたか事故にあってしまって、死んでしまったのだろうか。

 でも、もしそうだとしたら、警備ドローンが見つけていないのはおかしい。事件や事故には真っ先に急行するし、仮にマイコンが使えなくとも医療センターに運ばれていれば、DNA鑑定で誰かがわかる。それにマイコンは雪村さんがやったように、簡単に偽装できる。それに体から切り離されれば、生体電気が供給されないために機能停止して、管理IDが自動で黒になるという欠点もある。

 だから、彼が何かに巻き込まれた可能性はある。でも、死んだと決めつけるのは難しい。そうはいっても、不安であることに違いないのだけれど。

「本当?」

 彼が顔をしかめる。少しして「よし、電話代わって」と言った。

「分かりました」

 私はインフォゴーグルへ電話を転送する。雪村さんは「お電話代わりました。いくつか聞きたいことがあるのですが」と弁護士の人に話しかける。

 スピーカーから声が聞こえる。『なんでしょうか……』

「沢井から電話が来たのはいつ頃ですか。あと、その時に言っていたことをお聞きしたいのですが」

『えっと……おとといの夜七時半ごろです。で、自分の足で歩いて帰るから、少し時間かかるって』彼が鼻をすする。『でも、今日になっても帰ってこなくて、失踪届を出そうと思ったんですけど、公安が受理してくれなくて』

「なるほど。公安への失踪届はフォームから出しましたか?」

 お父さんがいたって冷静に、彼に話しかける。

『はい……それが一番早いので』

「では、手法を変えましょう。時間はかかりますが、直接、公安ビルに行って出してください。多分初めは拒否されると思いますが、なんとか説得して受け取らせてください。また、管理IDが黒であることや死亡している可能性があることも伝え、緊急性を主張した方がいいでしょう。とりあえず、公務執行妨害罪に問われない程度にお願いします」

『分かりました……できるだけやってみます』

 お父さんは頷く。

「こちらも彼に何とか連絡を取ってみます。連絡が取れ次第、そちらにもご連絡いたしますので。この電話番号であれば、いつでも通じますか?」

『はい。お願いします』

「では、よろしくお願いいたします」

 そう言って電話を切り、インフォグラスを仕舞っていつもの眼鏡を付ける。あの感じだとお父さんはあまり心配していないようだけれど、私はそういうわけにもいかない。

「沢井先生、大丈夫でしょうか……」

 そういうと、お父さんは笑った。

「大丈夫、あいつはそうそう死なない。ただ、何か良くないことに巻き込まれたみたいだ。とりあえず、アングラで探してもらおう」

 確か、アングラは以前のJSOCの攻撃で壊滅したはずだ。

「えっ?」

「アングラはあの商店街だけじゃないんだ。確かに一番大きいのはあそこだったけど、彼等が消滅したわけじゃない。他にもああいうコロニーは何か所かあるし、いくつかに知り合いもいるんだ。それに沢井が逃げるとしたら、アングラに逃げるはずだから」

──なるほど。

「そうだったのですね」

「うん。彼らのネットワークは密だから、時間はかかっても探せないことはないだろう」

「わかりました。お手伝いすることはありますか?」

「いや、今回は大丈夫。リーベは──」お父さんがディスプレイを指さす。「──この問題と藤堂さんから電話が来た時の対応をお願い。僕はその間に知り合いのハッカーに聞いてみるから」

 彼は古いPCを取り出して、コードを何本かつなぐ。

「お任せください」

 私はそれを眺めながら、椅子に座った。

 とりあえず、もうインターネットにアクセスする必要はないからリソースのためにも切断しておこう。

 そして、〈Final Answer〉と表示されているホロディスプレイを見つめた。なんとなく、それ自身に解くヒントが隠れているような気がしたから。


≪沢井≫

 俺らは古いアパートメントで、向かい合って軋む木製の椅子に座っていた。やっぱり、この部屋も古さは前のセーフハウスと同じだが、多目的通信機と比較的新しいPCがおいてあった。多分、雪村か周防がみれば型番まで一発で分かるに違いない。

「それで他に手伝ってほしいってことは?」

 周が紅茶の入った少し欠けたカップから、一口紅茶を飲んだ。

「もう少ししたら言うよ。まずは萩原君に動いてもらわないとね」

「まるでチェスだな」

「確かに。君はナイト、萩原君はルークかな」

「ポーンとビショップ、クイーン、キングがないけどな」

 俺がそういったとき、玄関にあるブザーが途切れ途切れに鳴り響く。襲われたのを思い出して、背筋に冷たいものが走る。すかさず周がカップを置き、テーブルの下に張り付けてあったであろう拳銃を手に取った。

「なんだ?」

 声が震えているみたいだ。冷静な周が「私がみてこよう」とだけ言って、椅子から立ち上がって玄関に向かった。

 ほどなくして、ニコニコ顔の周がやせぎすの男を引きつれて、部屋に入ってきた。そいつはぼさぼさの髪や薄汚れたシャツとズボンのせいで、まるで浮浪者のようにも見えた。それに、食べ物が饐えたような匂いも少しする。

──敵か味方か?

「誰だ?」

「知り合いのクラッカーだよ。ちょっと手伝ってもらいたいことがあってね」

 それを聞いて少し安心した。周の知り合いなら、公安か何かに関係している人間なんだろう。つっても、敵でないとは限らないわけだが。

 そいつが俺の顔を見て、目を見開く。「ああ、あんた。行方不明になってたぞ」

「誰からそんな話を──」アングラに関係あるハッカーで、俺のことを探す奴は一人しか思い至らない。「──ああ、ゆ……ファルケ615か」

「そうそう。なんていっておく、見つけたでいいのか」

「ああ、そう伝えといてくれ。あと、心配無用だともな」

 クラッカーが頷いて、誰に勧められるわけでもなくPCの前に座って電源を入れ、起動したPCになにやら色々と打ち込み始めた。

「こいつ、信用できるのか?」

 周にそう聞くと、オレンジジュースのボトルを手にした周が頷いた。

「もちろんだよ。裏切ろうものなら、ネストの連中に八つ裂きにされるからね」

 クラッカーはその言葉を聞いて、びくりと体を震わせる。周はキャップを開けたジュースをそいつの座っている机の上に置いて、自分はその隣に立った。

「なにやったんだ、こいつ」

「ネストの新義安(サンイーオン)に与していたんだけど、ポカをやらかしてね。公安に保護を求める代わりに情報提供したもんだから、彼らは怒り心頭というわけなんだ」

「新義安?」

三合会(トライアド)の構成組織の一つさ。中々、過激な連中だよ」

 そういえば、グローバル化の波は裏社会にも波及して国際化が進んだ結果、中国系マフィアこと三合会によって日本国内の暴力団はかなり弱体化──尤も、2020年代には規模を随分減らしていたそうだが──したという話を聞いたことがある。

 それに三合会の名前はサーフェイスにいたときにも噂になっていた。なんでも、構成員には10代の子供すら居て、処刑には聞いたこともない恐ろしい毒薬を使うとかなんとかで怖がられていた。

「なるほどな。そりゃ、ビビるわけだ」

「規模はずいぶん小さくなって、世界規模でも一万人程度にまで減ったそうだけど、敵に回したい相手ではないねえ……」

 俺が周の言葉に頷いていると、クラッカーがディスプレイを見たまま「これをアップロードすればいいのか?」と聞いてきた。

 周がディスプレイをなめるように見た後、ニコニコ笑って頷いた。

「ああ、それでいいよ。君に頼んでよかった」

 クラッカーはその言葉を無視してキーボードを叩き始める。少ししてから打つ手を休め、「ああ、忘れてた。ファルケ615に伝えておいた」とだけ言って、またキーボードを叩き始めた。

「ありがとよ」

 奴からの返事はない。手持ち無沙汰になった俺は机に座ったまま、次は周に何を言いつけられるのだろうと考えていた。


≪リーベ≫

 私は画面を見つめていると、気づいたことがあった。

 そういえば、どうして〈Final Answer〉なのだろう。どちらも「最後の」と訳すことができるけれど、最後の問題ということであればLastでもいいはずだ。Finalは一連した事物がそれで終結することを表す、ならばこの問題達はこれで終わり。それに、ここ数日のことを思い出して引っかかったことがある。この問題に取り掛かるとき、〈Come on, Let's start the story〉というのが表示されたことだ。

 訳せば、「さあ、物語を始めよう」とでも訳せるだろうか。これが物語だとするならば、一連した物語の最後には何を置く?

──私ならすべての答えを置く。

 すべての答え。確か今まで答えてきた〈Q3〉を除く、〈Q1〉から〈Q7〉の答えに含まれている数字は、素数だったはずだ。

 素数。あのメールでは、素数のそれぞれにアルファベットを対応させていた。もしかしたら、この問題にもそのルールが当てはまるのではないか。

──それぞれを思い出してみましょう。

 〈Q1〉は79と2、31、11。〈Q2〉はそれぞれの原子番号が71と51。〈Q4〉は星雲の数字が47と13。〈Q5〉はそれぞれの周期が67と19、11。〈Q6〉は59と47、71、43、7。そして、〈Q7〉は67と2、3、37、11だった。それぞれをアルファベットにすると、wake、up、of、the、round、table。これに〈Q3〉の答えを足し合わせたなら。

──”Wake up knight of the round table.”

 そうか、『円卓の騎士を呼び覚ます』。きっと、これが答えだ。

「雪村さん、分かったかも……いえ、これが答えだと思います」

 お父さんが目をぱちくりさせる。彼も驚いているようだ。

「え、本当に?」

「この答えが何を意味するのかは分かりませんが──」

 どうして答えに至ったのか、そのことを説明すると彼は頷いた。

「なるほどね。意味としては通ることや円卓の騎士の一人はランスロットであることを考えれば、今までのことからおかしいとは言い切れない」そこで言葉を切り、首をかしげる。「しかし、円卓の騎士か……」

「何か思い当たることがあるのですか?」

「いや、特にない。けど、ここまで手の込んだことをやる存在は何だろうと思ってね」

「確かにこんな風に煙に巻くようなことをするのは、相当異質ですね」

 お父さんは考える仕草して、ぶつぶつと呟き始めた。

「そうだね。そして、円卓の騎士か…」以降の言葉ははっきり聞こえなかったけれど、部屋を行ったり来たりし始めた。久しぶりに思考モードに入ってしまったようだ。

「雪村さん」

 試しに呼び掛けてみる。

「アーサー王伝説は彼の偉業以上に広まった……アーサー王というと『赤き竜』と『白き竜』の話があるな……名前にそれらの意味を持たせるとするなら……」

──駄目だ。

 私は後ろに忍び寄って、彼の後頭部あたりで両手を大きく叩き合わせる。大きな音とともに肩をびくりと震わせて、彼は周りを見回した。

「考えるのは良いですが、話を聞いていただけませんか?」

「ああ……ごめん、また没頭してたよ。で、どうしようか、これ」

「入力してみていかがでしょう。まさか、これ一つで世界が滅びるわけではないでしょうから」

 そういうと、お父さんは苦笑いして肩をすくめた。そういえば、このまま現状を放置し続ければAIシステムが崩壊し、それによって起こりうる一連の大災厄の話をしてくれたのはこの人だった。

「まあ、放っておいても滅びるしね、この世界」彼が不安げに目を泳がす。「とはいえ、それを加速させないという保証が欲しいな」

 そういわれて、私は言葉に詰まる。相手が何者かわからない今の状態では、そんなことしたくてもできはしない。

「それは……」

 唐突に彼が、「リーベ、そんなことは無理だよ」と言って首を横に振った。

「正体がわかってない状態で、どの選択がどんな状況を生み出すのか。そんなことを知っているのは神がいるなら神だけさ。そして僕ら人間は、未だに神と会話できない。いるかどうかさえ、分かっていない」そう言ってから、彼は微笑んだ。「だからと言って目の前の地雷を踏む様な、結果が分かっている状態で悪手を打つことはダメだけどね。『君子危うきに近寄らず』だよ」

 お父さんらしい言葉だ。でも、彼の口から『神』なんて言葉は初めて聞いた。

「珍しいですね、神という言葉を使うなんて」

 そういうと、彼は肩をすくめた。

「僕は神様が嫌いだからね。神がいるとするならば、レオナや大切な人たちを殺した神を僕は死んでも恨み続けるよ。そして、見つけ次第左胸にナイフでも突き立てるさ。二度と、大切な人を奪われないように」

──本当、こういうところは変わらない。

 レオナさんに対する愛情も、それに伴う凶暴さも。そして、二度と同じ過ちを犯そうとしない優しさも。

「……あなたらしいですね」

「人間、そうそう変わらないものだよ。ただ、絶対に変わらないわけじゃない」

 お父さんがキーボードを引き寄せ、先程の英文を打ち込み始めた。


 すぐに打ち込み終わり、彼がエンターキーを押す。すると突然、『Warning』という合成音声とともに電子音が鳴り響いた。その源は中核システムの防衛プログラムだ。

 この音が指し示す意味は理解している。世界のどこかから何者かが、中核システムに対して攻撃しているということだ。私は先程イントラネットから切断したことで汚染されなかったものの、常につながっている中核システムは無事では済まない。

「なに……?」

 彼がディスプレイを見たまま、目を見開く。見ると、この数十秒で5つある防壁のうち既に3つが機能しなくなっている。このままでは突破されるのも時間の問題だ。

「くそ、トロイの木馬か!」

「あのソフトウェアは、断片の状態のときから中核システムとは隔離しています。そうとは考えられません」私は一つの可能性に思い当たったけれど、首を振った。もしそうだとしたら、大変なことだ。「あれが標的プログラムで、これは人間による攻撃じゃない。AIによるもの、それも高性能なものによる攻撃であると考えるほか……」

 彼がアンチウイルスソフトを立ち上げたが、すぐに機能しなくなった。インターネットからシステムを切り離すも、攻撃がやむことはなく接続が勝手に復旧した。

「人間を攻撃するAI……IALAか政府か、どちらにしても分が悪いな。くそっ、こいつ侵入したはなから、ソフトウェアを丸ごと乗っ取って過負荷を起こすワームをばらまいてるみたいだ」彼の歯ぎしりが聞こえる。「あとは中核システムが対抗するのに賭けるしかないけど、こんな超高性能AIに対抗できるようになんて作ってない。あれはあくまで実験と事務用のエキスパートAIなのに」

 もし突破されようものなら、家のIoTシステムがあっという間に破壊され、中核システムやサーバーも全部破壊されてしまう。

 ともかく、まずはその侵入者を止めないと。

「相手の攻撃の仕方はDoSですか?」

「いや、ゼロデイだ。それ以外は潰せるから、それしか考えられない」

 ゼロデイ(Zero Day)。ソフトウェアにはどうしてもバグや不具合が存在し、これは今でも変わらない。そのようなものを包括的に脆弱性(セキュリティホール)と言い、通常はパッチやアップデートによって塞がれる。だが、その中でも発見されていないセキュリティホールを攻撃し、内部に侵入するのがゼロデイだ。例えるなら、ふさぎそこなった壁の穴から強盗が侵入するというのに近い。ゼロデイは対処が難しく、つい最近までは対抗手段がなかった。

 ただ、現在ではAIがそのようなセキュリティホールをリアルタイムで塞ぐ。だから、塞がれる前に侵入して内部にワームをばら撒くなんてことは、人間や並大抵のAIでは不可能に近い。人間であれば侵入する前に穴がふさがれ、AIなら攻撃対象の三倍近い性能が必要になるからだ。

 つまり相手は脆弱性の捜索と攻撃を並行して行える、臨機応変に変化する超高性能AI……そんなもの、正攻法では勝ち目がない。

「あと、権限昇格攻撃もしているだろう。リーベの仮説が正しければ、AI自体が侵入している可能性が高い」権限昇格攻撃は一言で言うなら、自由にコンピューターを弄れる様にするというものだ。

 そうなると、取れる道は一つだ。とはいえ、この方法は間違いなく彼に反対されるだろう。

「わかりました。汚染されていないAIが権限を奪取してインターネットからシステムごと切断すれば、あとは自己修復能によるシステムの修復と侵入したAIの隔離を行うことで、相手を解析できますよね」

「そうだけど……でも確実に相打ちになるし、そんなAIがどこに……」

 彼がハッとして、首を振る。どうも、私の考えていたことを読まれたらしい。

「ダメだ。君まで失うわけにはいかない」

 私は微笑んだ。

「他に手段はないでしょう?」

 戸惑っているとも怒っているとも取れそうな表情で、彼は立ち上がる。

「確かにそうだけど、それは許さない。サーバーどころか君まで失うわけにはいかない。サーバーはまた作り直せばいい、でも君は世界に一人だけなんだよ」

「でも、もうそろそろ突破されてしまいます。長くはもちません。何か手を打たないと」

 事実、あと壁は一枚だけだ。それが無くなってしまえば、システムがあっという間にワームに食い尽くされてしまう。それに突破されて全体の権限を奪われれば、強制接続されて私自身も攻撃される。

 そうなれば、お父さんがレオナさんのために作り上げてきたソフトウェアや私との思い出も消えてしまう。砂漠に咲いた数輪の花のような、大切な記憶がすべてなくなってしまう。

「リーベ、待ってくれ。僕に考える時間をくれ!」

 死地に向かうことに『恐怖』がないわけじゃない。誰だって、目の前に転がっている死を受け入れることは難しい。加えて自分からその死に歩み寄るのだから、まるで走る車の前に飛び出るように、少しずつ大きくなっていく死に耐えつづけることは至難の業だ。

 それでも、私は彼を守りたい。

 私は中核システムへのアクセスを基礎AIに申請する。基礎AIは気休め程度の対抗策を記憶領域に適応してバックアップを取ってから、何も言わずに申請を受理してくれた。あとは目をつぶって、すべてのリソースをアンチウイルスに振り分けるだけだ。

 お父さんは関節が白く浮くほどこぶしを握り締める。とはいえ、私を壊しでもしない限りは、彼にはもう止められない。

「だめだ、やめてくれ!」

──こんな心配してくれる人と一緒に居られて、よかった。

「リーベ! 君を失うわけには──」

 私は首を少しかしげて、お父さんに笑いかけた。もしかしたら、二度と『私』は笑えないかもしれない。

──それでも、やらないと。

「いつもありがとう。お父さん」

 私を呼ぶ叫び声を聞きながら、目を瞑る。


[PN]Liebe: Access intranet.

[System]: ……OK.

Connecting ……permit.

[C. System]: Access permission.

【あとがき】

 はい、どうも2Bペンシルです。日に日に寒くなりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 しかし、相変わらず雪村さんに似て、リーベは無茶しますね。近くにいると胃が痛くなるタイプですが、見る分にはこういう子は大好きです。

 あと、ネタバレでもないですが。ユニの「私を見つめているのだ」は『1984年』の”Big Brother is watching you. ”が元ネタです。『1984年』でもB・Bは神格化されていますよね。

 そして、こればかりは私の力不足なのですが……。<Q7>のⅡで雪村さんが「結合長による物性の違いを測定するため」と言っていますが、あれは大学の教授から聞いたことなんです。で、使うためにソースを探したんですが、言及しているソースが見つからなくて。多分、物化系の論文か何かもっと探せば見つかるとは思うのですが……。

 というわけで、真偽不明です。これを使っていかなる損害が生じたとしても(まず、こんな知識を使う人は限られるとは思いますが)、私は一切の責任を負いません。ご了承ください。


 懺悔も終わりましたので。いつも通り、参考にした書籍やサイト様は最後に掲載させていただきます。

 では、今回も読んでいただき、ありがとうございます。気になる点や誤字など、いつでもお申し付けください。


【参考にしたサイト様・文献】

狙撃手(スナイパー)』(ピーター・ブルックスミス/森真人訳)

『1984年(新訳版)』(ジョージ・オーウェル/高橋和久訳)

『ジーニアス英和辞典 第四版』(大修館書店)

『Wikipedia』様:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

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