【Ⅲ・怒り】
※小説中に出てくる『誰がコマドリ殺したか』の歌詞は、Wikipediaで公開されている『マザーグース』の英文をもとに、作者が翻訳したものになります。
18/9/25 全体の修正、校正及び推敲を行いました。
18/9/26 『南アフリカのケープタウン』と記述しておりましたが問題との整合性がとれていないことが判明しましたので、『ウガンダのカンパラ』へと変更いたしました。
≪雪村≫
あのソフトウェアが勝手に構築されてから数日後。
リーベに心配されながらもアクティベート・コードを見つけようと躍起になっていた僕は、メールを見なかったせいでヨハンソンに叱られた。
彼はスウェーデン人の神経科学者で、気さくでとてもおしゃれな人だ。好きなものは生産量が減ったはずなのにどこからか手に入れてくるボルドーワインで、「君がこれを飲めないのが、なんと悲しいことか!」と何度言われたか覚えていない。
そんな彼は、15歳の息子を僕と同じようにLIGの故障で失った。息子さんは優秀だったそうで、夢は「お父さんと一緒に新しい発見をすること」だったらしい。そして、彼の死から数週間後、ヨハンソンの妻はショックから鬱になり、自殺した。
彼は立派な人で、僕と違って≪人間同盟≫の思想に傾倒するようなことはしなかった。
その代わり、彼は同じような人を生まないように、LIGの故障で死ぬような人が居なくなるように、AIの権利を訴え続けたり機械に依存しすぎている世の中に警鐘を鳴らしたりしている。毎週末は地元や呼ばれた先でセミナーを開いているそうだ、機械との共存のための。
そのセミナーで、僕らは出会った。
僕が今も覚えている彼の言葉がある。「どんなものも使いすぎれば壊れる。それは量子や炭素に寄らないんだ」という言葉と「人は他人の痛みを理解できない。自らが傷つくまで、それが痛いとはわからない」という言葉。
それから彼は僕の電脳再現技術研究室に参加し、二人で主に原罪計画の方を進めている。もちろんヨハンソンは神経科学が専門だから、CMTの方にも色々アドバイスをしてくれている。68歳で最年長なのも相まって、研究室ではお父さんみたいな役割を担ってくれていて、年齢の割に幼稚な僕は彼に何度も助けられた。
……まあ、そんな彼に叱られたのでしぶしぶメールボックスを見ていると、カトレアやヨハンソン、ヤナ等々いつもの面々のほかに、差出人不明のメールが届いていた。
──ん?
このご時世、差出人不明というのも珍しい。
中核システムにIPアドレスを辿るよう要請してみる。すぐに何百とプロキシサーバーを経由しているようでどこから来たのか辿れそうもない、と返答が来た。辿れる最終地点はワシントンD.C.の図書館だそうだ。
「ワシントンに友達いないけどな……」
記憶が間違ってなければ、アレックスとヤナはヒューストン、チェンはカイロ、ヨハンソンはキャンディ、カトレアはムンバイ……沢井や周防は日本だし、あと数名の知り合いもヨーロッパ地区かアジア地区に集中している。
当たり前だが、そんなことを思い出したところでワシントンはあくまで経由地だ。送信地じゃない。
「まあ、いいか」
念のため、ウイルスがついていないかと色々と検査してみても、特に問題なさそうだ。とりあえず仮想マシンを立ち上げ、そちらにメールを転送してから開くと、こんな数列が出てきた。
671911 5371230531 313477943 134783 29731159 671911 3728987 74717
──なんだ、これ?
かろうじて分かるのは、すべて奇数だということ。だが、桁数や数字の意味は分からない。多分、何かの法則に則っているのだろう。
「671911が重複してる。桁数は奇数と偶数混じりか。てことは、三文字ずつとか二文字ずつとかみたいに一定のルールで区切ろうにも区切れないな……」
試しに全部かけたり足したりしてみようかとも思ったが、そんなことをしたところで答えが見えてくるとは思えなかった。
とりあえず、これの送り主のミスターXは、暗号で僕に何かを言いたいらしい。まさか、送り先を間違えたわけでもないだろうしね。
仕方ないので、僕は一旦このことを考えるのをやめて研究を進めた。このまま頭をひねっていても思いつきそうにないし、時間を空けると閃くことがあるからだ。何かヒントでもあればいいけど。
≪リーベ≫
昼食の片づけを終えた私は、お父さんに呼び出されて書斎に来た。
というのも、彼の力をもってしてもアクティベート・コードは見つけることができなかったのだけれど、その過程で一つだけ見つけたのが[189・6]という文字列だ。
それでその意味を調べるために、私の力が必要らしい。
彼がいつもの考える仕草──顎に手を当て、空を見る仕草──をしながら、首をかしげる。
「うーん……多分、本だろうな。で、189ページの6行目がアクティベート・コード」彼が呟く。「でも、どの本か分かんないね。まるで、巡礼者宛ての個人広告だ」
「ですね……版によっても、内容が変わりますし」
「だね。外国の本だと訳者によっても変わるから、どれかわからない。単行本か文庫本かですら違うわけだし」
私は口をすぼめ、頭によぎったアイデアを口に出してみた。こんなアイデアがうまくいく保障なんて何にもないけれど、言うだけ言ってみよう。
「こういう時は周防さんに聞いてみては?」
それを聞いたお父さんは、肩をすくめた。
「困ったときの周防……とか本人に言ったら、謙遜されるだろうな」彼は思いついたように眉をあげた。「でも、聞いてみるかな。周防の好きな本でも」
冗談のつもりだったのに。
「えっ」
お父さんは困ったように微笑む。
「困ったときはね、あり得ないと思ったアイデアも試さないと。尤も、やって失敗したとしても損害の小さなものに限るけどね」
お父さんが幾つかキーを叩いて《ホール》に接続すると、驚いた顔をしたコンフィアンスちゃんが画面に出た。
「やあ、コンフィアンス」
ノイズのかかった声が『お久しぶりね、雪村さん。リーベも久しぶり』と答える。
『で、用件は何かしら』
「周防に聞きたいことがあって」
『あいにく謙治はお仕事中よ。私でよければ受けるけれど』
「じゃあ、周防が好きだった本ってない? 若しくは、よく読んでた本とか」
唐突にされたおかしな質問に、コンフィアンスちゃんは驚くことなく答える。
『そうね、あの子は何千冊も本読んでいるから……ああ、お父さんから貰った”世界の童話・童謡全集”っていうのがあるわ』
その言葉に私とお父さんは顔を見合わせた。
全集なら100ページは優に超えるし、なにより童話というのがそれっぽい。
「ちょっとその本の189ページ、6行目に何が書いてあるか教えてくれないかな」
『え? 〈 誰がコマドリ殺したの?〉って文よ。というか、タイトルかしら』
「マザーグースか」
コンフィアンスちゃんが頷く。
『ええ。意味はよくわからないけれど』
「知らない方がいい、後味の良い解釈はないから。助かったよ、ありがとう」
『そういうなら。お役に立てたなら幸いだわ、じゃあね』
コンフィアンスちゃんとの接続が切れる。私は彼に〈誰がコマドリ殺したの?〉のことを聞いてみた。
「原題は”Who Killed Cock Robin”って言って、コマドリのお葬式の話なんだ」
「へえ……」
「僕が覚えてる限りは、こうだったかな」
誰がコマドリ殺したの?
「それは私」とスズメは言った
私の弓と 私の矢で
私がコマドリを殺したの
誰が死体を見つけたの?
「それは私」とハエは言った
私の小さな小さな目で
私が彼を見つけたの
誰が彼の血を受け止めた?
「それは私」と魚は言った
私の小さな小さな皿で
私が彼の血を受けた
誰が死装束を作りますか?
「それは私」とカブトムシは言った
私の糸と 私の針で
私が死装束を作りましょう
誰が墓を掘りますか?
「それは私」とフクロウは言った
私のツルハシと 私のシャベルで
私が彼の墓を掘りましょう
誰が司祭になりますか?
「それは私」とミヤマガラスは言った
私の聖書 小さな聖書で
私が司祭になりましょう
誰が付き人になりますか?
「それは私」とヒバリは言った
暗がりでないのなら
私が付き人になりましょう
誰がたいまつを運びますか?
「それは私」とヒワは言った
すぐにそれを取ってきて
私がたいまつを運びましょう
誰が喪主になりますか?
「それは私」とハトは言った
私が愛する人のために弔います
私が喪主になりましょう
誰が棺を運びますか?
「それは私」とトビは言った
夜を徹するわけでないのなら
私が棺を運びましょう
誰が覆いを運びますか?
「それは私」とミソサザイは言った
私と妻の夫婦二人で
私が覆いを運びましょう
誰が讃美歌を歌いますか?
「それは私」とツグミは言った
枝の上に止まりながら
私が賛美歌を歌いましょう
誰がベルを鳴らしますか?
「それは私」とウソは言った
私は引くことができるから
私がベルを鳴らしましょう
空に舞うすべての鳥が
ため息ついたりむせび泣いたりしていると
彼らは聞いた 鐘の音を
かわいそうなコマドリの 葬式の鐘を
「──確か、こんなのだったはず」
私はこの歌を聞いて、首を傾げた。
一番初めに、スズメが殺したと言っている。なのに、なぜ周りの鳥たちはそれを無視するように葬式をしているのだろう。
「誰がって、一番初めにスズメが……」
「そこさ」
彼は私を指さす。
「これをちょっと変えてみよう。『何にコマドリ殺された?』とでもしてみようか……一体、かわいそうなコマドリは何に殺されたんだろうね」
もう一度、詩を反復してみる。
やっと意味が分かった。なるほど、嫌がるわけだ。
「皆が葬式をするために、彼は殺された」
彼は頷いた。
「そういうこと。皆が葬式をするために、彼が尊い犠牲になったというわけだ。『多数の幸福や団結のために一を切り捨てる』、この詩はそう解釈できるのさ。だから、僕は嫌いだ」
彼はキーボードを引き寄せる。
「もちろん別の解釈もあるんだよ……けどまあ、昔から人間はそうやってきたってことなんだろうな。これ、1740年くらいにはあったそうだから」
若い頃よりぎこちない指の動き──長年キーボードを打ち続けてきたから、手が関節炎を起こしている──で、ソフトウェアの入力欄に〈Who Killed Cock Robin?〉と打ち込む。
するとソフトウェアが始めて反応して、〈It's People, Would and Period. Come on, Let's start the story.〉と言う文字がディスプレイに現れた。訳すなら、『殺したのは世界や時代、そして民衆。さあ物語を始めよう』という文になるだろうか。
「さあ、何が出てくるかな」
ソフトウェアがまた文字を紡ぎ始める。
〈Q1〉
a - b - c - d = 35
c - 2(b + d - a) = 163
a + b + d= 92
b - a + 2c + 3d = 18
〈A1〉
a=? b=? c=? d=?
一連の動作を眺めていた私たちは首を傾げた。余りにも簡単すぎないだろうか。
「これ、ただの四元一次連立方程式ですよね……」
「……うん」
拍子抜けするほどシンプルな問題だ。そして、問題自体も大して難しいものでもない。複雑な方法を用いるまでもなく、加減法を使うだけで簡単に解ける。
お父さんもさっそく、宙を見ながら暗算しているようだ。私も軽く計算してみよう。
少ししてから、彼は私に聞いてきた。
「リーベ、答え出た?」
「ええ」
「aが79、bが2、cが31、dが11で間違いない?」
「私もそうなりました」
彼が〈A1〉と書かれた入力欄に答えを打ち込む。間髪入れず、正解を示すような電子音がスピーカーから鳴り響き、エンターキーを押すと〈Q2〉と書かれた問題が出てくる。
〈Q2〉
Ⅰ)彼女は都市の古名に因む。元は一人だったのに、今ではいくつかに分かれている。
強固な七人と混ざり合えば、熱さにだって耐えてしまう。
不安定な三人と結びつき、彼女は闇夜に紛れる。そんな、彼女の名は?
Ⅱ)彼は孤高を好まない。混ぜると多くを融けやすくする。
古来より毒ではないかと伝えられ、彼は今では使われぬ。
不安定な三人と結びつき、彼は色を見せる。そんな、彼の名は?
〈A2〉
Ⅰ)
Ⅱ)
「なぞなぞですかね……」
彼が呟く。
「そうっぽいな」
これは一体、何を示しているのだろうか。しばらく考えていると、気づいたことがあった。
「これ、男性と女性に分かれていますよね」
代名詞が『それ』ではなく、『彼』だ。こういう言い方をするということは、性別に何か関係があるのかもしれない。
「確かに男女で区別が存在しているみたいだね。男性と女性か……」
男性と女性、男と女。すぐに思いつくものというと、太陽と月、陽と陰……。
「ん」
「どうされました?」
「いや、ドイツ語で月のことを男性名詞で言うのを思い出したんだ。殆ど当て推量の域だけど、もしかしたら、月に関わる何かかも」
「月ですか……でも、それだとロシア語やラテン語では女性名詞ですよ。逆にドイツ語では太陽は女性名詞で、ラテン語では男性名詞ですし」
「うーん、このソフトウェアは言語フォーマットが英語つまりゲルマン語圏だから、そこの規則に則るんじゃないかな。確か、ゲルマン語圏では太陽を女性名詞、月を男性名詞。ラテン語圏やスラヴ語圏ではその反対になるんだよね?」
「ええ、例外はいくつかありますが、その通りです。ということは、Ⅰは太陽、Ⅱは月に関係するということでしょうか」
「糸口としてだけどね。しかし、都市の名前か……こういうのに因んでつけられた名前なんか、いくらでも見つかるよ。それに、『色を見せる』なんて慣用句、存在しないけどな……そのまんまの意味ってことかな。しかし、不安定な三人というのも分からない」
「うーん……」
不安定な二人と結びつく。結びつく……不安定……。不安定でかつ結びつきやすい物。
──もしかしたらあれかもしれない。
「雪村さん」
「ん?」
「ハロゲンか酸素のことじゃないでしょうか。ハロゲンは言わずもがな反応性が高くて不安定ですし、酸素もそうです。不安定ということで放射性核種の可能性もありますが……」
「なるほど。ハロゲンの中でも原子番号が小さいフッ素や塩素は確かにそうだ。で、二人が三人……」彼が椅子から立ち上がって書斎を歩き回り始める。すぐに、彼が叫んだ。
「ユリーカ!」
「ユリーカ?」
「あ、ごめん。ギリシャ語で『見つけた』って意味」彼が机に片手をついてもたれかかる。「リーベ、主に酸化数が+3かつ酸素と結びついて変色するものを全部ピックアップして、それの中で都市の古名由来の元素をクロス検索できる?」
「お任せください」
イントラネットを通してインターネットにつなぐ。そして、電脳の海からいくつも拾い上げて、リストにまとめる。二つ見つかった。
ホルミウム、原子番号67番でスウェーデンの首都ストックホルムの古名ホルミアからだ。原子番号71番のルテチウムはパリの古名ルテニアから。
「ええっと……ホルミウムとルテチウムの二つです」
「OK、それは全部ラテン語から来てるよね?」
私は頷いた。
「モル比2:3で結びついていて、酸化物が黒になるのは?」
「三価の酸化ルテチウムが黒色ですが……どうして酸素と結びつくと?」
そう私が聞くと、彼は笑った。
「基本的に化合物は酸化数0を取る。で、酸素の酸化数は-2、ハロゲンは一律して-1だ。-1ならわざわざ二つ無くても、1対任意の数で化合して酸化数0になることが出来るけど、-2だとそうもいかない。例えば、酸化アルミニウムが2:3で結びついているのはアルミニウムが主にとる酸化数は+3だからだよ。これらのことから、原子番号71番のルテチウムで合っているはず」
そういえば調べている過程で、ルテチウムは単一元素の酸化物と考えられていたイットリアから単離されたという歴史があり、イットリアからはルテチウムの他にエルビウムやテルビウム等が単離されているという記述があった。これが『元は一人だったのに、今ではいくつかに分かれている』の言葉の意味なのだろう。ついでに調べてみると酸化ホルミウム|(Ⅲ)は黄色、一般的に描かれる月の色と同じだ。それにルテチウムを窒化ケイ素セラミックスに混ぜると、1500 ℃もの高温に耐えるようになるそうだ。
しかし、相変わらずの思考の速さについていけそうもない。
「……一体、どんな頭をしていたらそんなことを思いつくのですか?」
彼は私の言葉に肩をすくめた。
「さあね。さて、もう一問も解いてしまおう。この問題は元素に限って聞いているはずだから……彼は色を見せる、もしこれもまた由来がラテン語だとするなら、白い酸化物じゃないかな」
「どうしてです?」
「さっきリーベが言ってたじゃないか、『ラテン語では太陽は男性名詞』だって。太陽の色は一般に白で描かれるから、そうじゃないかなっておもったんだ。とはいえ、酸化物って白が多いんだけどね」
「そうなると、『古来より毒をではないかと伝えられ』の文がヒントになるかもしれませんね。『~ではないか』ということは、明確には毒とは指摘されてこなかったということですから」
そういうと、彼が「ああ、なるほど。そうなると、水銀や鉛は除外できるな」と呟く。
毒性が疑われ続け、今では使われない。そして、何かと混ぜることで融けやすくなる。もしかしたら、混ぜて融けやすくするというのは低融点合金のことだろうか。低融点合金というとウッドメタルやガリンスタン、ピューターなどだ。それらを構成する金属の中で毒性が疑われ続けて使われなくなったものはあるだろうか。
いくつか見ていくと、答えを見つけた。原子番号51番アンチモンだ。古来より化合物の多くが劇物で毒性が疑われており、現在では別のものになっている。
それに一説には、名前の由来がギリシャ語の”Anti-monos”から来ているという説がある。これは『孤独を嫌う』というという意味で、自然状態では単体で見つからないのが由来とされている。
最後に三酸化アンチモンは白色の化合物。これで全部の説明がつく。
「わかった、アンチモンだ!」
私が思わず叫ぶと、お父さんが驚いた顔で私を見る。
恥ずかしさで顔がほてるのを感じながらもう一度落ち着いて根拠と答えを言いなおすと、お父さんは微笑んで「なるほどね」とだけ言って、キーボードを引き寄せた。
「まあ、興奮すると誰にでもそういうことはあるよ」
「叫んでごめんなさい……」
「気にしないで。さて、打ち込んでみようか」
そういいながら、お父さんはⅠ)の欄にlutetium、Ⅱ)の欄にAntimonyと打ち込んでエンターを押す。またしても正解を示すような電子音が鳴り、キーを押すとまた問題が出てきた。
〈Q3〉
33.55.0(61),18.25.0(11)
40.42.46(43),74.0.22(79)
52.30.59(43),13.22.39(11)
56.57.0(43),24.6.0(11)
29.45.49(43),95.22.59(79)
35.41.0(43),51.25.0(11)
33.52.06(61),151.12.31(11)
〈A3〉
[1-1][2-1][3-5][4-3][5-1][6-1][7-1]
「なんですかね、これ」
「さあ……なんかの数列が7つ。で、〈A3〉には何を入れればいいんだろう」
もう一度じっくり数列を見てみると、とあることに気づいた。
「かっこの中身、すべて素数ですね」
「素数ってことは……それ自身に何か意味を持たせられるよね」
「ええ」
彼が考える仕草をしながら、キーボードを静かにたたく。すると、メールボックスから一通のメールを引っ張り出してきた。なんだか、複雑な数列が書いてある。
「それは?」
「洒落た言い方をするなら、U.N.Owenからの手紙かな。差出人も送信地も不明なメールだ」
「まるでボトルメールみたいですね」
そういうと彼は笑った。
「中身は罪の告白かな。まあ、解けそうもなかったからちょっと放置していたんだけど……リーベに言われて、思ったことがあるんだ」
彼は数列を一つ一つに分けて縦に並べ始めた。
671911
5371230531
313477943
134783
29731159
671911
3728987
74717
「まず、一つ目から見ていこう。671911……これ自身が素数だけど、さっきの問題みたいに二桁ごとに区切っていくと、67、19、11になる」
「67は20番目、19は8番目、11は5番目の素数ですね」
「その通り。で、これをアルファベットの順と同じだと考えると、『T』、『H』、『E』で、『The』になる」
PCの操作に割り込んで勝手に数列と文字を置き換える。「ということは──」
The
5371230531
313477943
134783
29731159
The
3728987
74717
「──となるわけですね」
彼が頷いて、「そうだね。二列目も同じようにやると53でQ、71でU、23でI、05でC、31でKだから……Quickか」
そういって、彼は残念そうな顔をした。「ただ、三列目が奇数で二桁ごとに割り切れないし、三桁ごとに区切るとは考えにくいんだよね」
私はもう一度、数列を眺める。しばらくして、あることを思いついた。
「0313477943と考えてみてはいかがでしょうか。それだと、Brownになります」
彼は驚いた顔で、私をまじまじと見つめる。
「おー……良く気づいたね。僕、全く分からなかったよ」
褒められて『嬉しく』なった私は思わず笑ってしまった。そして、また数列を書き換える。
The
Quick
Brown
134783
29731159
The
3728987
74717
そこまで見て、この数列の意味が分かった。
なるほど、アルファベットすべてが使われている文というのはほとんどない。そうなると、ポピュラーなものに頼らざる得なくなるのだろう。この文ならTheの位置も同じになり単語も合う。
「素早い茶色いきつねはのろまな犬を飛び越える」
私のつぶやきに、「なんだって?」と素っ頓狂な声で彼が聞き返す。
「”The quick brown fox jump over the lazy dog.”、アルファベット版いろは歌です。つまり、この数列は一番目の素数である2から二十六番目の素数である89までを、AからZに対応させているのです。ですから、先ほどの〈Q3〉は、こう書き換えられます」
33.55.0(S),18.25.0(E)
40.42.46(N),74.0.22(W)
52.30.59(N),13.22.39(E)
56.57.0(N),24.6.0(E)
29.45.49(N),95.22.59(W)
35.41.0(N),51.25.0(E)
33.52.06(S),151.12.31(E)
彼が感心するように口を開けながら首を縦に振った。
「なるほど、方角か」
「いえ、これは方角ではありません。北緯と南緯、東経と西経で考えるべきです。で、それぞれに対応する座標は──」
私はまたインターネットに繋いで、フリーのマップにそれぞれの座標を、度分秒に書き換えてから入力する。すると、すべて都市の名前だった。
「上から、ウガンダのカンパラ、アメリカのニューヨーク、ドイツのベルリン、ラトビアのリガ、アメリカのヒューストン、イラクのテヘラン、オーストラリアのシドニーです」
「もしかしたら、[1-1]って、『一行目の一文字目』って意味かもしれない。そうなるとK、N、I……」
キーボードで〈A3〉の欄に文字を打ち込み始めた彼の手が止まる。
〈A3〉
knights
「騎士か……」
そういえば、ずいぶん前のことになるけれど、サラマンダーに隠されていた『ランスロット』という文字列。あれは円卓の騎士のことではないか、という話になっていたっけ。
「もしかしたら、前見たあれと関係が?」
彼は怪訝な顔で頷く。「ここまでおかしなことが続くと、あり得ないとは考えにくいね。しかし、こんなことができるシステムがあるんだろうか」彼は私に向き直る。「ソフトウェアの言語って、Q言語の系列でよかったっけ?」
「ええ。StandARTではなかったですね」
「そうなると、これが記述されたのは2090年代より前か……」
StandARTは2090年代に作られたプログラミング言語のため、それ以前のAIやその他の物──尤も、AIの小型化・効率化により搭載されていないものはなかったけれど──は別の言語で書かれていた。
また、プログラムを構築可能なAIは無性生殖のように、自らの言語と同じ言語で複製を作る事が多い。例えば、StandARTで記述されているAIがプログラムを作るとStandARTで記述され、Qythonで作られたAIであればQythonで構築するように。補足として私の場合は雪村さんの作った独自言語だけれど、学習のおかげでStandARTでもQ言語でも複製できるようになっている。
なので、このソフトウェアの作成者は2090年代以前に作られた『何者か』か、Q言語を学習し修めた何者かによって作られたということだろう。
ふと私が時計を見ると、すでに21:00を回っていた。始めたのが17:00くらいだったので、四時間以上もなぞ解きをしていたことになる。それに夕食もとっていない。
「雪村さん、もう夕食にしないと。それにあまり頭を働かせすぎても、間違えるかもしれませんし」
「もうそんな時間か。じゃあ、また残りは明日にでもやろう」
「夕食を終えてからやっては?」
彼はその言葉にまるでアインシュタインのように舌を出した。
「仕事ほっぽり出してなぞ解きやってたから、それ終わらせないとね」
──まったく、もう。
「よろしければ、監視しましょうか?」
私が冷ややかな声を投げかけると、彼は微笑んで「レオナみたいなこと言うね。遠慮しとくよ」
≪豊川≫
まだ夜も更けて間もないころ、公安本部の取調室では私と沢井が椅子に座って向き合っていた。
「萩原、無いものを無いって証明できんのは知ってる。だがな、いい加減解放してくれよ。俺はやってない」
「ふざけるな、お前がやったんだろう?」
私はイライラしながら机を指でたたく。こいつは本当に折れそうもない。
「なら、ルミノール反応は? それに銃撃を受けて外装だけが傷つくとは思えん。内部もいかれてるだろうよ」
「ルミノールは信頼性が低いから廃止されたんだよ、あれは大根のしぼり汁でごまかせるからな。DNAも漂白剤を使えば十二分に消すことができるし、銃弾は運よく内部を逸れたんだろう。お前がしていないって証拠はない」
奴は疲れた目で肩をすくめる。
「で、関与したって証拠だけはあるのか」
「そうだ」
こいつはなかなかしぶとい。大体は何日も尋問し続けていれば自白するというのに、「俺はやっていない」の一点張りだ。脳波判定も全く問題なし、弁護士は動物たちの世話に充てて、自分の弁護にはつけずにずっと抵抗している。
「そういや、家にいる動物たちはどうなってるか聞いてるか?」
奴が唐突に聞いてくる。私はぶっきらぼうに「知るわけないだろ」
「そうか。元気だといいんだがな……」
「動物の心配をする前に、自分の心配をしたらどうだ?」
「心配したところでなんも変わらねえからな。俺がやってないってことも、しばらくは俺が拘束され続けることもな」すると、奴が思い出したように私を見た。「そういや、昨日の避難は何だったんだ? その前に随分揺れたが……」
実は今も確かなことは分かっていない。ただ、あの後に公安情報部がつかんだところによるとイタリア-ヴァチカンとアメリカでも似たような爆弾テロがあり、両国の対テロ部門はアナーキストの仕業であると考えているらしい。
「気にするな」
奴は不服そうに首を傾げる。「そうか」
「ああ」
結局、今も春日井警視監の遺体は見つかっておらず、マイコンが左腕に埋め込まれているせいで生死はわからない状態だ。だが、あれだけの爆発であれば、今も生きているとは考えにくい。
とはいえ、幸いなことに地下だけが損害を受けたようで、ビルにはあまり問題はないようだった。また、多少の問題点や破損箇所もロボットがすでに修理済みだ。
「つか、どうすんだ。俺をこのまま尋問しても、何も出ないぞ」
私は机に手をついて身を乗り出す。奴は思わず仰け反った。
「お前を徹底的に洗ってやる。見られたくないものや聞かれたくないものまで全部見てやるからな」
そうやって脅しても──大抵の奴は引きつるか震え始めるのに──こいつは 真顔で私を見つめ返すだけだった。その姿を見た私の方が逆に驚き、この姿勢のまましばらく固まってしまう。
しばらくして奴は私の方を見たまま、口を開いた。
「構わねえ、いくらでも調べろ。多分、お前の望んだ結果は出てこない」
その言葉に心折られた私は、頭を抱えてしまった。いつもなら、これで大体の人間が吐くというのに、こいつはこんな風に脅しても吐こうとしない。それどころか、「望んだものは出てこない」とまで宣言した。
──本当にこいつはやっていないのか?
その思いが脳裏をよぎる。それを振り払うように頭を振ってから、私は取調室を出た。
≪雪村≫
翌日。
最近、年のせいか寝起きの悪い僕はリーベに起こされた。全く、年というのは取りたくない。若い頃は何日も徹夜出来たけど、今はもう24時間起きることもできないんだから。
そんなことを考えながら、あの子が用意してくれた朝食を一緒に食べていると、インターフォンが鳴った。
誰だろう? 僕の記憶には誰かが来る予定はなかったはずだけど。
それであの子に聞こうとリーベの方を見ると、珍しく緊張してひきつった顔で僕の方を見ていた。
「雪村さん」
声は若干の恐怖が混じっているかのようにか細くて、嫌な予感に襲われた。これは、あまり良い傾向ではなさそうだ。
「どうしたの?」
「公安の萩原さんという方が……」
それを聞いて、僕も驚いてしまった。公安がこんな風に来るなんて、ほとんどないからだ。もちろん、公安に知り合い──杉野さんは別として──がいるわけでも、公安とよく話すわけでもないが、たいてい彼らは強襲チームを伴って突っ込んでくることが多いと聞いたことがある。
「要件は?」
「聞き込みだそうです。何でも、沢井先生のことをお聞きしたいらしいですが……」
その名前を聞いて僕はどういうことか理解できた。沢井のことを聞きたいとなると、どうも沢井は捕まったか何かで拘束されて、取り調べを受けているのだろう。そうでもないと、公安がこう『礼儀正しく』僕のもとに来るなんてない。
「わかった。リーベ──」
「アンドロイドモードは既に設定済みです。お出しするのはコーヒーでよろしいでしょうか」
相変わらず行動が素早い。誰に似たのかな。
僕じゃないかって? それはないな、僕はどちらかというとゆっくりやって時間稼ぎするのが得意だから。
「流石だね。じゃあ、僕が出るよ」
そういって、ほとんど食べ終わっていた食事の片づけをリーベに任せ、僕はスウェット姿のまま玄関に向かった。着替えてもいいんだけど、あまり長引かせてドアをけ破られても癪だからね。
僕はリーベと一緒に萩原さんと向かい合っていた。
彼はずいぶん若い。多分20代前半で、目鼻立ちのはっきりとした──モンゴロイドの割にはローマ人的な顔だ──精悍な顔立ちをしている。髪もこれはクールカットっていうんだっけ? そういうヘアスタイルをしていて、相手に威圧感を与えるつもりなのかと勘ぐってしまった。
あれだ、彼に迷彩服でも着せたら軍人っぽくなるだろう。そんな感じの荒々しい感じの人だ。
「で、沢井がどうしたんです? 公安が出てきたということは、極左か極右がらみかのどっちかだと思いますが。どっちも大して変わりませんけど」
彼が頷いて、若々しい張りのある声で話し始める。
「沢井正義が≪人間同盟≫と関わっていたことは」
その質問に思わず僕は笑ってしまう。そんなことがあったら、僕と周防が彼を張り倒しているに違いない。
「失礼」僕は首を横に振った。「あり得ませんよ。私の経歴はご存知と思いますが、あの通り沢井に救われたんですから」
「本当ですか? 最近はどうですか。変わったところや変なところなどは」
その質問も的外れだ。人間というのは、見慣れたものの変化を敏感に、そして無意識のうちに感じ取る。例えば、街を歩いているときに違和感を覚えて思い返すと店が無くなっていることに気づいたり本棚の本の並びがいつもと違うと気づいたり。
漢字やスペルもそうだ。aがuになっていたり人が入になっていたりすると、それに違和感を覚えることがあると思う。そういう風に、人間は変化に敏感なものなんだ。
だから、長年の知り合いである沢井の変化に気づかないわけがない。
「ありませんよ。強いて言えば、彼が諦観していたときに鼓舞したくらいです。でも、諦観することくらい誰だってあるでしょう」
彼は僕の話に頷く。そういえば、この人メモも何も取ってないな。
「失礼、メモは取らなくてもいいんですか? 録音もして頂いて結構ですけど」
「ああ……」彼が虚を突かれたように身体をびくりと震わせた後、慌ててメモ帳を取り出す。「そうでしたね」
これらの質問から察するに、沢井は≪人間同盟≫関連の何かに巻き込まれているんだろう。まさか、あの電子新聞社の事件だろうか?
だとしたら、かなり面倒なことになる。あのような殺人事件、それも国際法に真っ向から反するような凶悪犯罪であれば、公安も容疑者を全力で挙げたいに違いない。それに、捕まるということは何らかの証拠があるということだ。
とはいえ、沢井のことだから今も認めずに無罪を訴え続けているはずだ。今のうちに僕や周防──僕のところに来るんだから、周防のところにも行くことだろう──が彼の無罪を支持し続ければ、弁護の材料にはなるかもしれない。
「お聞きしたいのですが、あの電子新聞社の事件に沢井が関与していたと思われる……なんてことで私のところに聞き込みに来たわけではありませんよね」
その質問に彼は目を見開いた。どうも、図星だったらしい。
「ええ……今、拘束しているところです」
──やっぱりか。
「だとしたら、彼が主張しているように無関係だと断言します」僕は萩原をじろりと見た。「彼は名前負けするような男じゃありません。『あいつは正義や大義のために人を殺すような人間じゃない』、これを同じことを、きっとあなたが後で聞き込みをする予定であろう周防謙治も言うでしょう」
彼は来た時の威勢はどこへやら、気勢をそがれて委縮してしまっていた。多分、こんな風に言い返されたことなんて、今までほとんどなかったんだろう。僕もちょっと言い過ぎた気がする。
少したってから、先ほどとは打って変わった控えめな声で、彼は僕に聞いた。
「それほどまでに……信用する理由は?」
僕は肩をすくめた。
「沢井正義を信じているからです。どんな証拠があろうと、あいつが≪人間同盟≫に与することはない。そして、これからもないでしょう」
彼は僕の発言をメモに書き取り、その後雑多な質問をし始めた。沢井の嗜好や趣味などだ。きっと、今後の取り調べの役にでも立てるのだろう。
ある程度彼の質問に答えたころ、僕は彼に訊ねた。
「彼を解放するのに必要なものはありますか?」
その質問に彼は首を横に振った。
そういえば、入ってきたときの尊大な態度に比べて、ずいぶん謙虚になったような気がする。人間が謙虚になるというと、自信を打ち砕かれたか悲観したかのどっちかが多いんだけども。
「いえ、ありません。ただ、あなたが答えてくれたことは十分役に立つと思います」
僕は短く、「そうでしたか」と答える。
「では、私はまだ仕事がありますので。失礼します」
「分かりました」
そういって、彼は立ち上がる。僕らも彼を見送るために玄関に向かった。
彼が帰ってすぐ、リーベが僕に「沢井先生、大丈夫でしょうか」と不安そうに聞いてきた。
「大丈夫さ、沢井なら。どうせ証拠不十分で不起訴だろうしね」
彼女は自信なさげに頷く。僕は励ますように彼女の肩に手を置いて微笑みかけた。
しかし、どうして沢井が捕まることになったのだろうか。
まあ証拠については全く予想ができないから、仮に沢井につながる証拠があったとして。これはどうやって生じたものなのだろうか。
まず一つ考えられるのは、全くの偶然であり誤認逮捕であるということ。一番あり得るとしたらこれだろう。彼の行動範囲は僕や周防に比べて相当広いから、その中で巻き込まれてしまったというのはあり得ない話じゃない。
じゃあ、別の可能性を考えてみよう。誰かにはめられたか、それとも、本当に協力していたか。
後者はあり得ないな。そんなことがあれば、僕は彼をボッコボコに──決して昔殴られた腹いせじゃないよ。ほんとだよ──することだろう。
となると前者だろうか。だが、一体だれが?
彼が恨まれるようなことをするとは思えない。確かに職業柄、助けられなかった動物の飼い主に睨まれたり脅されたりしたことはあるそうだが、それだけでここまでのことをするとは考えにくい。となると、彼が誰かの邪魔になって排除されたということだろうか……僕のできる範囲で彼の周囲で大きな動きがなかったか調べてみよう。
ほかに可能性はあるか……?
「どうしました?」
リーベに不安そうな声で話しかけられ、僕は身体をびくりとさせる。どうも、変な顔をしていたらしい。
「いや、何でもないよ」
深い青をした目が僕を見据える。ああ、これは間違いなく疑われてるな。
「大丈夫だって」
「あなたの『大丈夫』ほど、私にとって信用できない言葉はないのですが……」
僕は思わず笑ってしまった。確かに、僕みたいなオオカミ少年の言葉ほど信じられないものはないだろう。
「なんかあったら、ちゃんとリーベに伝えるから。安心して」
彼女は首を少しだけかしげて、「お願いしますよ?」
「大丈夫」僕は肩をすくめた。「さあ、僕らは僕らの仕事をしよう」
そういうと彼女は拗ねる様に口を突き出したが、諦めたように微笑んだ。
「わかりました。お任せください」
≪コンフィアンス≫
私は謙治と一緒に居るマルチレイヤ-アパートメントで、あの子が脱ぎっぱなしにした服を洗浄処理しながら、今日の昼ごはんを何にしようか考えていた。
今日は珍しく家にいるから、やらないといけないことが山積みだ。なんといっても、謙治の近くにいると常に何かしらやってあげないといけない。家にいなくてもいつも一緒に居るから、やることばかりだけれど。
「全く、何でもできるっていうのは考えものよね……」
謙治はとても頭がよくて、とてもやさしくて、良い子だというのは私にもわかっている。でも、だからといって電子工作はできるのに靴ひもを結べないのはどういうことなのかしら。
まあ……全部私がやってきたから、なんだけれど。
本当、色々とやってあげてばかりで何もできない子にしてしまった。私も自制できればいいのだけれど、それは私にあるいくらかの量子ポテンシャルが許してくれない。それに、あの子の世話をしていると、量子ポテンシャルやタスク・プライオリティがどうにも自制できないくらいに跳ね上がってしまう。
──作った人は何を思ってこんな風にしたのか、墓から掘り出して聞いてみたいものだわ。
私はとりあえず全部を終えたのを確認してから、壁に寄りかかった。
「はいはい、人間みたいなことは考えない……私は機械」
L21070615Aことリーベに出会ってから、私はどうにも各々の量子ポテンシャルがぶつかり合うことが多くなった。量子ポテンシャルは──実際とは異なるけれど──二次元的に表現するのであれば、基本的には上下にしか動かずAとBがあるときは少しでも高い方を優先する。例外としてニュートラルとゼロポイントがあり、ニュートラルはAとBが並列になる状態のことで、ゼロポイントはAとBがx軸上に存在する状態を指す。とはいえ、私たちのようなアンドロイドの量子ポテンシャルがゼロポイントであるのは起動される前だけで、通常は絶え間なく上下に動いたり極まれにニュートラルになったりしているのが普通の状態だ。
これらの特性のおかげで量子ポテンシャルを感情と考えるとするなら、感情が入り混じるなんてこともなく、葛藤することや逡巡することも殆どないため瞬時に動くことができる。必要があれば、量子ポテンシャルをニュートラルに戻すことで感情を抑制することも可能だ。
でも、ごくまれに左右に移動してぶつかり合ったり同じx座標に異なるy座標のポテンシャルが存在したりAとBが融合したりすることがある。それは……私たちにも理解できない。きっと彼女なら『迷っている』と表現するのだろうけれど、私たちは人間ではない。
私たちは機械だ。数学で記述出来る、出来なくてはならない。
かぶりを振って疑問を追い払う。
「難しいことは考えても結論は出ないのよ。だから、考えない、問題にしない」
自分に言い聞かすように何度でも繰り返す。これで何度目だったかなんて、いちいち数えていられるほど暇じゃない。
その時、インターフォンが鳴った。誰だろうか。
素早くスケジュールを確認してみても、該当するアポイントメントはない。となると、何かI.R.I.Sでトラブルか。
私は早足で廊下につながるドアに向かった。変なことでなければ良いけれど。
ドアを開けた私を出迎えたのは、軍人みたいな雰囲気を纏ったスーツを着た人だった。瞬時にマイコンとNFCを使って情報をやり取りする。
萩原誠治。公安対テロリズム部門の刑事さん。
「周防謙治と話がしたい」
彼が威圧感のある声で私に言い放つ。私は肩をすくめた。
「残念だけど、あの子は初めて会う人と話すのが苦手なの。私でよければ、お相手するけれど」
すると、彼の顔が青ざめた。何か変なことを言っただろうか?
──ああ、すっかり忘れていた。
「私、旧式アンドロイドだから機械制限法が適応されていないのよ。だから、妙に人間臭いかもしれないけれど、どうにか頑張ってくれないかしらね」
彼は震えた声で「だ、だが、それでも人間の命令には服従するはずじゃ……」
全く、人間のフランケンシュタイン・コンプレックスは厄介極まりない。原則一つじゃ信用してもらえないなんて。
「ロボット三原則第一条と第二条はご存知?」
「い、いや……」
やれやれ、またロボティクスを一から説明しないといけないのね。
「第一条、『ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない』。第二条、『ロボットは人間に与えられた命令に服従しなくてはならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、その限りではない』。ここまではいいかしら?」
彼は頷く。
「ああ……」
「ここにおける『危害』を『マスターが初対面の人と話すことによる精神的負荷』と定義すると、私の行動は理解して頂けるかしら。私は何よりも第一条を厳守するように設定されているから、第一条に反しないようにするにはこうするしかないの」
彼は理解できたが納得できないような顔をして、顔をしかめながら「わかった」とだけ呟いた。
「それで、私でよければ相手をするけれど? それか、どうしてもというなら説得するわ」
先ほどよりは幾ばくか恐怖の薄まったらしく、落ち着きを取り戻した彼は首を横に振る。
「いや、アンドロイドの証言は証拠として使えない。それに結果はある程度予想がつく。だから、遠慮しておこう」
「証言?」
何か謙治に関係のある事件でもあったのだろうか。でも、そんな記録は残っていないけれど。
「機械には言うことができない。それでは」
私が何かを言う間もなく、彼はエントランスに向かって廊下を歩いていった。
「まったく……顔を見て青ざめるなんて、失礼極まりない」
私がドアを乱暴に閉めると、後ろから謙治の震えた声が聞こえた。
「コ、コンフィアンス? 何かあったの?」
振り向くと、青ざめた謙治の顔が部屋から私を覗いていた。
全く、この子の対人恐怖症はどうすれば治るのかしら。精神科──他の医療行為はすべて機械が行っているが、カウンセリングは今でも人間が行っている──に見せたらカウンセラーを拒否してしまって、治療できなかったくらいの重いやつなのだけれど。
「大丈夫よ。なんだか事件があってあなたに関係あったみたいだけど、重要なことではないみたいだから」
「そうなんだ……僕に関係あるなら、雪村君か沢井君なら知ってるかな?」
「さあ、どうかしら。I.R.I.S関係でなければ、知っているかもしれないわね。三人でいつも同じことに巻き込まれていたから」
謙治がうんうんと頷く。
「だね……いつも、ありがとう」
あれね、一つだけ成功したことを挙げるなら、素直にお礼を言えるようないい子に育ったってことかしらね。これだけは頭のよさや他の何よりも誇れることでしょう。
私は笑った。「お安い御用よ。あなたの面倒を見るのが、私の仕事だから」
すると、あの子は照れたように微笑む。
「僕は幸せだな、君がいてくれて。君が居なかったら、僕は幸せじゃなかった」
──えっ? 今なんて?
あの子は顔を茹でたタコのように赤くして、「なんでもない」と叫んで部屋に戻っていってしまう。
一人残された私は、あの子の言った言葉を反芻してみて、きっと聞き間違いだろうと考えた。あの子があんな風なセリフを言うようなことは今までなかったのだし、照れ屋なのもいつものことだし。ごくたまにある聴覚センサーの不良か何かでしょう。
「……まあ、いいわ。仕事に戻りましょう」
私は量子ポテンシャルが興奮と喜びでぶつかり合わないようにニュートラルに調整しながら、昼食の準備をするために備え付けられているキッチンに向かった。
≪リーベ≫
私はお父さんと一緒に書斎に入り、ドアを閉める。彼はすぐにPCの前に座り、キーをいくつか叩いてあのソフトウェアを起動した。
〈Q4〉
Caprin Acid→Palmitic Acid
Ⅰ)8214
592:073635
7115:-142900
Ⅱ) 8213
592:164141.634
7115:362740.75
〈A4〉
Ⅰ)
Ⅱ)
思わず私は顔をしかめる。また訳の分からない数字が並んでいる。彼も皆目見当がつかないようで首をかしげてディスプレイを見ていた。というか、なんでカプリン酸とパルミチン酸が?
「なんだろう」
「さあ……」私は今までの経験上、素数を探してみた。しかし桁を区切った場合は別として、どこにも使われていないようだ。「一応、素数はないみたいです」
彼がいつもの考える仕草をしながら、宙に目を泳がす。
「うーん。脂肪酸なんて、なんで出てくるんだろ……あ、592はあのルールに当てはめるなら、59と2でRAだな」
「RA? まさかラジウムとかでしょうか」
「ラジウムなら原子番号88か。ラジウムの語源はラテン語だったよね」
「ええ、線の意を持つRadiusからですね。あと、IPプロトコルの一種にラディウスというのが存在しますが」
彼はちょっと考えた後、首を振った。
「いや、どうも違うな。それじゃ、ほかの数字の意味が分からないし」
私も首をかしげる。全くヒントがないどころか、見当もつかない。ただ、負の記号がついているのが気になった。
負の記号がついているということは、正負の概念が存在する何かだろう。でも、正負が存在する数なんて相当な数がある。
思索を巡らせていると、ふと思いついたことがあった。
「雪村さん。これ、座標ではありませんか? 座標なら正負の概念が存在しますし」
「座標……」彼が頷く。「リーベ。略称がRAか、若しくは一部にRAが入る座標系ってないかな?」
私はまたインターネットから情報を拾い上げる。きっと、これが答えの一つだろう。「天球座標系の一つで赤道座標に赤経(Right ascension)というのがあって、略称がRAです」
「きっとそれだ」
彼は手を叩く。けれど調べていくと、赤経は時間によって変化してしまうことが分かった。これだと座標が分かったとしてもあてにならない。
「あ……」
「ん?」
「赤経は時間で変化するので、横の数字が座標だとしても、いつどこのどの天体なのかがわからないのです……。でも7115は分かりました。7、11、5でDec、赤緯(Declination)ですね。こちらも時間とともに変化しますが……」
彼は口をとがらせて頷いた。
「なるほどね……。ありがとう、かなりとっかかりができた。これは何処かの天体を指していて、たぶん8214と8213がその時期を指しているんだと思う」彼は肩をすくめた。「とはいえ、この数字の意味が分からないんだけど」
「そうですよね……」
彼が諦めたように笑う。
「いっそ、ここ100年間で同じ座標にあった天体を総当たり(ブルートフォース)で探してみようか。『急がば回れ』ってね」
「やるのは構いませんが、かなりの数がありますよ? 第一、この二つの脂肪酸がなんで出てきたか分かりませんし」
「だよね……」
その時、彼が雷に打たれたような顔をした。
「どうされました?」
「わかった。リーベ、これを10進数から16進数に変換して」
「2016と2015……ですが……」
「その年で、あの座標に当てはまる天体。まずは2016年でRaが07、36、35。Decが-14、29、00の天体を」
私はまたインターネットに戻り、2016年当時、Raが07時36分35秒でDecが-14度29分00秒の天体を探す。
見つけた。メシエ天体M47、『オリオンのミニチュア』と呼ばれ、肉眼でも見える明るさをした散開星団だ。
「わかりました、M47です」
「よし」彼は笑う。「じゃあ、同じようにもう一つの方も。2015年当時にRaが16、41、41.634、Decが36、27、40.75の天体を」
探す場所さえわかれば、この整理されている情報化社会では探すことは難しいことじゃない。メシエ天体M13、ヘルクレス座球状星団とも呼ばれる美しい天体だ。
「M13です」
「オーケー……ちょっとまってて」
彼は手早く回答欄にM47とM13と打ち込んでエンターを押す。間髪入れず、正解を示す電子音が鳴り響いた。
その音楽を聞いて、私は問題を解くことができた安心感から、胸をなでおろした。
彼が笑って「やった。リーベのおかげだ」という。私は「いえ、雪村さんが思いつかないと解けませんでしたよ」と返したが、ふと疑問が浮かんだ。
「なんで10進数から16進数にしたのですか?」
そう聞くと、彼は「待ってました」といわんばかりに、得意げな顔をした。
「カプリン酸とパルミチン酸はIUPAC命名法ではそれぞれ、デカン酸とヘキサデカン酸なんだ。で、デカンは10のことだし、ヘキサデカンは16のことだからね。それで分かったんだよ」
「なるほど……でも、分野を生化学や生物に絞らなくてよかったですね。脂肪酸だと気づけば、そっちに引っ張られてしまいそうです」
「だね。先入観で生物関連だと考えてしまうと、右心房だとか関節リウマチだとかに行き着いてしまいそうだ。リーベのおかげだよ、君はあまり先入観を持たないから」
私は笑った。彼とともに生活している中で、私は知ったことが一つある。あくまで心掛けるのが精いっぱいだけれど、全くやらないよりかは良い。
「人間や私のような機械は全能感から無意識に決めつけてしまうことが多々あります。それなのに、わざわざ意識的に情報を絞る必要もないでしょう? 元々ほんの少ししか見えないのに、そこにフィルターをかける必要はないと思いまして」
彼が優しく微笑む。
「耳が痛いよ。その通りだ、完璧にはできなくても心掛けることくらいはできるしね」
彼はまたキーボードを叩く。
「さあ、あと何問あるかは知らないけど、解いてしまおう。『全ての道はローマに通ず』……かもしれないしね。この問題が何を意味するのか、何に通じているかはわからないけど、この妙なタイミングで巡り合ったのもなにかある。それに、物語には必ず終わりがあるわけだから」
私は彼の隣に移動して、ディスプレイをのぞき込む。こっちの方が左右反転させることがないので、いくらか楽になる。
「わかりました。でも、これが本当に道なのでしょうか。道がないかもしれませんよ」
彼が珍しく挑戦的に笑う。
「作ればいいのさ。この世に元々道はない、あるのは人が多く往来する平野だった。それを道と定義したというだけだからね」
──なら、私はこの人の隣で、それを記録していようかしら。
「そうですね。やりましょうか」
【後書き】
はい、どうも2Bペンシルです。『誰がコマドリ殺したか』は1770年に初めてこの14連の作品が公開されたそうなのでガイドラインには沿ってるつもりですが、歌詞が引っ掛からないか不安ですね。とりあえず、著作権法には違反していないのは確認していますけれど、どうせなら題名だけ載せればよかったでしょうか。
まあ、そうなったらそうなったということで、いったん置いておきましょう。
実は『誰がコマドリ殺したか』の部分は『カルネージハートEXA』というゲームへのオマージュです。なんだかんだ、あれでアルゴリズムに触れて、プログラミングを始めたんですよね。結局、情報系には進みませんでしたが。そう言うわけで、かなり思い出深いゲームです。
あと、遅れてしまってすいません。9/24のTGSに行ったら推敲の時間がなくなっちゃって。来週からはペースを取り戻せるよう、なんとか頑張りますので……。
さて、次は【Ⅳ・嫌悪】です。まだまだ謎々は続きますので、解く気がなければ読み飛ばしてください。
【参考にしたサイト様】
『Wikipedia』様:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
『iElement』様-ルテチウム(Lu)の項:http://www.ielement.org/index.html
『ChemicalBook』様-酸化ルテチウム|(Ⅲ)の項・酸化ホルミウム|(Ⅲ)の項:http://www.chemicalbook.com/ProductIndex_JP.aspx
『All About』様-月は男性、太陽は女性 ドイツ語名詞の性の項:https://allabout.co.jp/




