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私のこころ  作者: 2Bペンシル
第一部・5
11/26

【Ⅰ・恐怖】

2018/09/21 全体的な加筆修正を行いました。また、一部を消去いたしました。

【私のこころ 第五章】


≪リーベ≫

 2126年2月3日。

 私が言うのもおかしな話ではあるけれど、今日は寒い。だから、あの人が風邪を引かないように暖房を強めにつけている。こんな寒い日は、あの子の温もりが恋しくなる。

 レーベン、2125年10月19日に亡くなった黒猫。

 存在感があるような無いような子なのに、いつの間にかそばにいる子だった。そして、よく一緒に居て腿を温めてくれた。頭もとても良くて、私の言葉を理解したり人が悲しんでいるときは寄り添ったりしてくれる猫だった。

 あの子のことを思い出すと、今でも少し『悲しい』。でも、最期は幸せだったみたいだから、それでよかったのだろう。……戦いや苦悩で死ぬ人間の様に苦しまないだけ、いい。

 そんなことを考えながら、私は書斎のドアを開ける。

 タワーのように積まれた本の中で、ガタガタと激しく音を立てながらキーボードを叩く男の人が私を見た。話しながらキーボードを叩くのは、一体どうやっているのだろう。人間は脳の構造上マルチタスクが出来ず、実際にはシングルタスクを高速で切り替えているだけと聞いたことがあるのだけれど。

「ん? どうしたの、リーベ」

 この人は私の生みの親であり、育ての親である雪村尊教さん。優しくて頼りがいのある人だけれど、苦労が祟ってか、44歳なのに最近は白髪と皴が目立つ。あと、怒るとちょっと怖い。

「コーヒーをお持ちしました。そろそろなくなっている頃かと思いまして」

 マグカップを覗き込んだ彼は、「本当だ。ありがとうね」と言って立ち上がって私の前に立った。私は手に持ったマグカップを彼に両手で渡す。彼はそれに口をつけてから呟いた。

「しかし、寒いね……。こんな日は、お客さんが来ても追い返したくなる」

「私が応対しますから、問題ありませんよ」

 彼は肩をすくめた。

「リーベにだけ寒い思いをさせるわけにはいかないよ。それに、IMMUの連中なら不味い」

 IMMUは国際機械管理部隊。機械関連の犯罪や機械制限法が適応されていない機械に対して、処理を行う準軍事国際機関だ。

「それもそうですね」

 その時、手紙が来ているのを思い出した。またしてもIALAの公式文書で、前みたいに脅し文句か何かが書いてあるのだろう。

「あ、おと──」危なく、お父さんと呼んでしまうところだった。慌てて誤魔化して「雪村さん」と呼びなおす。

 でも、この人にはごまかしが通用しなかったみたいで、おどけたような声で「お父さんって呼びたいならいいよ?」とにやける。

 私は拗ねて「揚げ足取りなんてひどいですよ。誰でも間違いはあるでしょう?」と言い返す。

 すると、とんでもないことを言ってきた。

「まあ、堅苦しい呼び方よりはお父さんのほうが嬉しいけどね。なんなら、敬語じゃなくてもいいし」

 その提案に少しだけ魅力を感じた。なんとなく敬語でずっと話してきたけれど、普通に話したっていいはずだ。

「おとうさん、手紙が……」駄目だ、恥ずかしい。慣れないことはするものじゃない。「違和感がありますので、このままでいきます。雪村さん、IALAからお手紙が」

 彼は一瞬だけ残念そうな顔をして、「あー、捨てといていいよ。読まなくても内容分かるから」と言った。

 ただ、これからは心の中ではお父さんと呼ぼう。慣れれば、きっと『恥ずかしさ』も無くなるだろうから。

「わかりました」

 その時、インターホンが鳴ってARに管理IDが映し出される。《T698GHF》、見たことのないIDだ。イントラネットを介して調べてみると、『黒原カサンドラ』という名前が出てきた。WJU所属のジャーナリスト。小林の記事を書いた、電子新聞にも何度か出てきている人だ。

 彼は疑問の裏に緊張を隠した表情で、首を傾げる。

「誰?」

「管理IDはT698GHF、青。名前は黒原カサンドラ、ジャーナリストです。電子新聞にも寄稿しています」

「ジャーナリスト……か。リーベ、最初の10分でいいからイントラネットを使って、ゴーストシステムとナノマシンに繋いで。そのあと、ナノマシンとの接続とアンドロイドモードを解こう。10分で構築できるゴーストじゃ稚拙な偽装になるけど、リーベも話す機会があるはずだから」

 またしてもインターホンが鳴る。彼はキーボードを引き寄せて、いくつかキーを打ち込んだ。

 かなり負荷のかかる処理だけれど、これくらいできないとこの生活は続かない。

 私のような機械制限法が適応されていない『不良品』──『感情』をもち、人間の命令に背く存在──は国際組織にとって都合が悪く、監視されて狙われている。そして、その目から隠れながら私たちは生活している。

 そういうわけで、普通の人よりはちょっと不便な生活をしている。それでも、この人と一緒に居られるのならいい。

 言われた通りにプログラミングして、偽装を完了した。最近はするたびに思うのだけれど、本当にこれで偽装できているのかと、『不安』が頭をよぎることがある。

 でも、信用しないと頼れない。

「オーケー、さあ行こうか」

「分かりました」


[PN]Liebe: Request. Switch “Android Mode”.

[System]: Permit.


 玄関までの道のりが、映画の様に目の前に映し出される。感覚としては一人称視点の映画やFPSゲームのデモシーンに近いかもしれない。

 リーベがドアを開けると、そこには防塵マスクをつけた、釣り目で黒髪の女性が立っていた。世間一般で見れば美人だけれど、かなり性格がきつそうな顔をしている。服装はぴっちりとした黒のパンツスーツで、体のラインが『嫉妬』しそうなくらい目立っている。

 手順通りスキャンすると、口径不明だが小型の拳銃をウエストホルスターに入れているのが分かった。

 体が反射的に動いて雪村の前に立ちはだかる。

「下がってください、マスター」

「ん?」

 彼は言われた通りに下がる。その光景を見たカサンドラは肩をすくめて、『国際ジャーナリスト憲章第172条で武器の所持は認められている。それに、私の腕ならあなたの核融合炉を一発でぶち抜けるのを、そのスキャナは教えてくれるのかしらね』

 それに対し、リーベは言い返す。

「機械制限法第一条、『知能を有する機械は、人を攻撃してはならない。ただし、人が危害を加えられる可能性があるとき、自らが犠牲となり食い止めること』。それに従っただけです」

 彼女は鼻を鳴らした。

『相変わらず、機械は堅苦しいわ。少なくとも、私はあなた方二人を傷つける真似はしない。手を出すなら別だけど』

 その時、雪村がリーベの肩を叩いた。

「リーベ、大丈夫だ。まず、話を聞こう」

「わかりました」

 リーベは下がって、カサンドラを屋敷の中に入れる。彼女は横目で私をにらみながら、靴を脱ぐ。リーベは彼女をリビングに案内した。


 ソファに座った彼女と雪村に、リーベはコーヒーを差し出す。彼は受け取ってくれたが、彼女は一瞥するだけだった。

「えーと、黒原さん。そのコーヒーに毒は入ってないよ。それとも、コーヒー嫌いかな」

 リーベは彼の隣に座る。

『少し前に、インドで政府が出したチャイに毒が入れられていたことがありまして。それ以来、口をつけないようにしてるの』

「そうでしたか。それは申し訳ない」

『気にする必要はないです』彼女がメモを開く。『雪村尊教、AI工学博士。ロボット行動心理学、AI工学に精通。2082年4月11日生まれの44歳。176 cmの65 kg……ここまでで間違いは?』

「身長と体重を何故知っているのかはいいとして、間違いはありませんよ。最近測ってないんで、ちょっと違うかもしれませんけど」

 彼女は懐から古い手帳を取り出し、あるページを開いた。

『第一大学大学院にてAI工学博士号を取得。過去に≪人間同盟≫に加盟したが、司法取引で大幅な減刑ののち釈放。現在はエイジス社社員と電脳再現技術研究所の主任研究員を兼任。著書や指導経験はなし。ここまでは?』

──なんで、この人はお父さんの経歴をそこまで詳しく知っているの?

 彼は眉をひそめ、「問題はあるけど、間違いはない」と言った。

 彼女はメモ帳を閉じる。

『気になったことを一つ聞いてもいいかしら』

「後で僕の質問に答えてくれるなら」

『もちろん。あなた、目線がさっきから私の首元に固定されているわね。大概の男は、私の体を嘗め回すように見るのに』

 言われてみれば、雪村の目はずっと一点を見ている。とてつもない観察眼だ。

 彼は少しにやけて、肩をすくめた。

「僕は性機能障害に近い状態でね、性欲が殆どないからだよ。人間が異性を見る場合、胸、顔、臀部、足……文化や嗜好によって差異はあるけど、大体この辺りを見る。それは人間の嗅覚が個体の成熟度合いを判断するにはあまりにも退化しすぎていて、視覚や聴覚に頼らざるを得ないからなんだ」彼は肩をすくめる。「でも、僕はその本能が薄い。だから、僕はあなたをそこまで見ない。昔はよく顔を見てたけどね」

『性機能障害になった理由は、妻の死かしら?』

「その通り」

 彼は笑って、左手で右耳を掻いた。それを合図に、送信データを上手く編集してからアンドロイドモードを解く。

「リーベ、偽装は終わった?」

「ええ。終わりました」

 その会話を聞いて、カサンドラは驚いた顔した。どうも、このことは知らなかったらしい。むしろ、知っていなくてよかった。

『どういうこと?』

「全部話すと面倒だからあれだけど、この子はIMMUに付け狙われていましてね。それの偽装が完了したんです。これから、この子にも話を聞くことができますよ。多分、僕よりよく見てますから、いろいろ聞けるでしょう」

 その説明を聞いて、彼女はメモ帳を開いて何かをかきこんだ。それが終わるのを待って、お父さんは「質問に答えてもらいましょうか」と言った。

『いいわ』

「ファルコン・システムはご存じで?」

 彼女は持っていたペンの尻でこめかみを掻いた。

『AIを用いた、米国防総省(ペンタゴン)の極秘プロジェクト。元は対テロ用のシステムで、危険分子やテロリスト、要注意人物のデータを収集、テロを未然に防ぐ。ただし旧世紀の人間たちによって、多数のバックドアが存在する欠陥品』

 彼は不敵に微笑む。多分、お父さんはこのシステムを利用して、自分のデータを入手したと踏んでいるに違いない。

「それを利用しましたか?」

『いいえ、あなたの話は公安の知り合いからよ。よく言うでしょ、探す場所さえわかれば探すのは難しくないって』

 それを聞いて、彼は驚く風もなく頷いた。

「確かに。もう一つ聞いても?」

『いいわよ』

「なぜ、旧式の人工声帯なんかを?」

 よく見ると、口に付けているのは中国製の防塵マスク兼人工声帯だ。古い機種のため、IDやWPAN機能がなく、分からなかった。

『ファッション……と言いたいけど、アフガニスタンでテロ組織の白リン弾に喉を焼かれてね。それ以来、チリとかその他諸々が気管に入るのを防がないといけないの。再生医療をするだけのお金もないし、このマスクは毒物判定できる機能がついているし』

 私はそれを聞いて、思わず頷いた。

「なるほど」

『さて、ある程度仲良くなれたでしょうから、取材に入っても?』

「あなたとはいつか、仲が良いの定義を照らし合わせないといけないようですね」

『それは今度。岡崎匠名誉教授は知っているでしょうね』

 彼は怪訝な顔をする。「ええ。私の恩師ですが」

『亡くなられたことはご存知かしら』

 それを聞いて、私は目を見開いた。そんな話、聞いたことも見たこともない。

「死んだ!?」

 思わず声が出る。お父さんの方を見ると、呆然としていた。

『ええ。つい一週間前だけど……遺体が見つかったの。元々、8年前に行方不明になっていて、政府関係者だったから公安が捜査していたんだけど、倉庫で塩漬けになっていたそうよ。あの人、大腿骨と胸部を骨折していたはず』

 ショックから回復した彼が「ええ、ずいぶん昔の話らしいですが……骨折の痕が?」

『そうなの。あと、歯の治療痕も適合した。DNAは殆ど破壊されていたから確実な特定にはまだ時間はかかるでしょうけど、公安は殺人事件として見てる』

 彼女はため息をついた。

『聞きたいんだけど、アンドロイドが人を殺すことは可能なの?』

 彼は少しだけ逡巡するように目を泳がした後、口を開いた。

「……できますよ。やれと言われれば、リーベだってできるでしょう」

 確かに出来ないことはない。もちろんやりたくはないけれど。

 彼女は『そう……』とだけ呟き、メモ帳にまたかきこんだ。

「なにかその考えに至らせるものがあったみたいですね」

『まあ、人間に頸椎を粉砕できるとは考えにくくてね。被害者は骨粗鬆症もなかったみたいだし、栄養状態も悪くないという話らしいし。機械なら可能でしょ』

 ちょっと計算してみると、私やコンフィアンス程度の出力ではそこまでのことはできない。しかし、もう少し出力のあるアンドロイドなら不可能ではなさそうだ。それこそ、ユニのような。

 そこまで考えて、ユニはみなかったのだろうかと気になった。近くにいなかったのだろうか。

「すみません」

 私が声をあげると、カサンドラの目がこちらを見た。

『どうしたの?』

「ユニくんは、今どうしているのですか?」

『ユニ?』

 メモ帳をパラパラ捲り、『ああ、ユーティリティ・ニュー・インターフェイスのことね。岡崎名誉教授が行方不明になってから、すぐに国際産業技術総合研究所(I3T)に引き取られたそうよ』

「では、事情聴取はされてないのですね」

『されてないみたい。それに機械の記録は容易に改ざんできるから、IPOがごく最近定めた指針だけど、証拠として使われないの。というかサイバー犯罪や改ざんが横行しすぎて、CCTVやAIの記録すら証拠として使えないのよね。だから今使えるのは昔ながらの目撃者と物的証拠だけ』

「IPO?」

『インターナショナル・プロセキューターズ・オフィス、国際検察庁よ。国ごとにばらばらだった基準を国際基準で管理している場所で、IPOとIJPOがあるから治外法権は意味がなくなった。IJPOは国際司法警察機構。インターポールを前身として、そこに国際的な逮捕権を追加した組織』

 そこまで聞いて、私はソファに身を沈めて考えた。

 ユニほどの高速演算機能を持つAIをクラッキングして改ざんするのはほとんど不可能だ。一般に性能が上がれば、クラッキングの難易度は上がる。少し不適切だけれど、現役特殊部隊員に一般人が勝負を仕掛けるようなもので、勝負にならないことが多い。裏を返せば、それだけ改ざんされにくいため、一から十までビデオ証拠がそろっていることもあり得る。

 自立思考のできないユニがもし改ざんか消去できるとするならば、アクセス権を持つ人間が命令したときだけだろう。とはいえ、あのユニが人間にそんなことを許すとも考えにくい。

 つまり。

──真相はユニの中にあるかもしれない。

「……そうですか、ありがとうございます」

『でも、あなたの言うことは検討してもいいかもね』

「検討?」

『事情聴取よ。出来るとは限らないけど、面倒なことほど燃える質なのよ』

 そういって肩をすくめ、胸ポケットから名刺を取り出してお父さんに渡す。見ると、名前と電話番号が書いてあった。

『それにはブラックライト若しくは赤外線ヒーターに当てると、それぞれ種類の違う暗号が出てくるタイプの蛍光塗料を塗ってある。元々バレにくい方法で電話するけど、さらに万全を期すための手段。はじめはUVの面で』

 お父さんは名刺を光にかざしながら、「面白い偽装だな」と呟き、好奇心で目が輝いていた。どうも、カサンドラの話よりはそちらに目が向かってしまったようだ。私はお父さんを無視して彼女に話しかける。

「ここ数年、ジャーナリストが死んでいますからね……」

『ええ、アンドロイドさん。死ぬのは怖くないけど、まだ死にたくないの。それに、ネタを奪われるのも癪に触るしね」彼女がメモ帳を閉じる。「さて、ここのご主人からはもうお話も聞けそうにないし……私はまだ仕事があるから帰るわ。今日はありがとう』

 彼女は立ち上がり、私もそれに倣う。雪村さんは後で引き戻せばいいだろう。


≪黒原≫

 数時間後。私は電子新聞社からマルチレイヤー・アパートメントまでの道のりを歩いていた。

 今日は色々と面白いものが見れた。人間のようなアンドロイド、変わり者の天才、二人を追う政府組織。ちょっとうまい具合に配役したら映画になるだろう。この件がひと段落したら、二人に許諾を取って本でも書いてみたら面白いんじゃないかしら。

 ふと、後ろから足音が聞こえた。男が一人、身長は中くらい、体重は80 kgを超えているはず。靴はスニーカーではなく、たぶんアウトソールの柔らかいウォーキングシューズ。何年も紛争地帯で命の危機にさらされていると、こういう技能が育つことがある。

 一気に警戒度を高めた。拳銃はチェンバーに初弾を込めたままセイフティをかけてウエストホルスターに収めてあるから、セイフティさえ外せばすぐに9 mm弾を襲ってくる連中に撃ち込める。

 足音のテンポからして心拍数が高い。相手も緊張しているのだろうか。

 すると、陰からニット帽を被った痩せ型の男が出てきた。身長は170 cmくらいで、服がボロボロなところを見ると、アングラの住人のようだ。顔は街灯による逆光で見えないが、日本では久しぶりに嗅ぐタバコとアルコールの臭いが漂ってくる。あと、腕には何か巻き付けているようだ。もしかしたら、≪GWRH≫かもしれない。

「よお、姉ちゃん」

 がさがさとかすれた声で男は言う。多分、たばこのせいだろう。

『あら』

「俺たちと遊ばないか?」

 先程聞いた足音が後ろで止まる。挟まれたようだ。

『古いわよ、その誘い方』

 いやらしい声で男が笑う。気にくわない。

「そう言うなって。俺たちと楽しいことしようぜ」

 男が近寄り、私の肩をつかむ。私はマスクの裏で微笑んだ。

『ねえ、男って玉潰したらどうなるの?』

 私は身体をひねって、呆然としている男の股間を膝で蹴り上げる。両ひざと両肘には鉛の板が詰めてあるプロテクターをつけているため、タクティカルペンの要領で威力が増し、当たり所によっては骨も折れる。履いているブーツも同じようにトゥに鉛を詰めてあるから、必要さえあれば体全体を武器にできる。

 ぐちゃりとした感覚を膝に感じ、男が体をくの字に折り曲げる。私が肘を背中に打ち込むと、男はどさりと顔から倒れた。

 後ろから息をのむ音が聞こえる。私は体勢を立て直しつつホルスターから拳銃を抜いて、セイフティを外しながら体をひねって、後ろにいる男に拳銃を向けた。

 腕には赤い腕章。間違いない、≪GWRH≫──≪神の息子による世界の救済を目指す進化した人類の集い≫、極右宗教組織の一つで、異人種狩りや浄化と称して夜盗や強姦を繰り返すクズども──だ。そいつは口をポカンと開けたまま、動かない。

『動けば撃つ。言っておくけど、法律はこっちの味方よ』

 玉を潰した男に一瞥を投げかけて動けないことを確認してから、私は振り向いてしっかりアイソサリーズスタンスで銃を構え相手の胸に照準を合わせる。

『相手が悪かったわね。手を後ろで組んで、膝まずきなさい』

 そいつは私の言う通りに手組んで膝まずく。私は遠くから響いてくる警備ドローンの音を聞いた。

 もう少ししたら、私は事情聴取行きだろう。とはいえ、自己防衛(SD)法のおかげで大した処分にはならないはずだ。殺しさえしなければだいたい無罪放免だし、極右組織の≪GWRH≫は公安も苦々しい目で見ている。なにせ、ジャーナリストだけではなくて、公安本体も襲われることがあり、それで亡くなった数は相当数に上るからだ。

 尤も考案に恨まれているのは、極左の≪人間同盟≫過激派もだが。

 そんなことを思いながら、銃を握って向けたまま──もちろん、引き金に指はかけずに──ドローンが来るのを待つ。

 今日はちょっと、刺激的過ぎたかもしれない。


≪雪村≫

 黒原さんの訪問から数日後。僕が書斎で電子新聞を何となしに読んでいると、彼女の名前を見つけた。

「ん?」

 記事を読むと、どうも≪GWRH≫の連中二人に襲われたらしい。だが、返り討ちにしたそうだ。一人は玉が潰れて──これを見たとき、久しぶりに縮み上がる感触がした──意識不明。あとの一人は無事連行されたらしい。

──無事でよかった。

 また新聞を捲る。昨日発見された、マイコンやDNAデータが存在しないため身元不明になっている遺体は27名。

 暗号化しておいたグラフツールを起動して、その数値をかきこむ。グラフを見ると、ここ最近は異常死した人間の数が大方右肩上がりだ。おとといは24名、三日前は23名……一週間前は17名。

「確か……」

 僕はグラフを辿り、目当てのデータを見つけた。2092年、機械制限法施行前。2116年、レーションの給付決定。2117年、ハイレベルAI規制法施行前。2124年、アングラへのJSOC突入。

 ここに挙げた以外にも、最大値はバラバラだがピークがいろいろと見つかる。大体がIALAや国際組織が新しい法律を発布したり行動したりする前のことだ。紙に計算して相関係数を出してみると、0.78ほどになる。施行直前はほぼ0になり、施行後は一旦数が増えた後、減少していくのがいつものパターンだ。

 僕は書斎の椅子に身を預けた。これが指し示す意味は理解している。

「あいつら、また動くぞ……」

 今度は何をする気だろうか。大体は治安維持と称して、思想統制じみたことをするのが普通だが。

 まあいい。どんなものにも抜け道や対抗手段は存在するんだ、頭さえ使えば、探すのは難しくない。

 グラフのデータを適当な画像に組み込んで、インターネットから独立した私用サーバーに保管する。これで、解読コードとサーバーアクセスキーが無ければ、中を見られることはない。そして、計算した用紙は灰皿の上においてライターで燃やす。今の技術じゃ、シュレッダーでも簡単に復元されるため、それよりは古典的に燃やしてしまうのが一番だ。

 一応、このことは黒原さんに連絡しておいた方がいいだろうか。

「確かこの辺りにブラックライトが……」

 僕は棚をひっかきまわし、ハンディタイプの多目的ライトを見つける。懐中電灯みたいな形をしていて、モードを変えると白色光や近赤外線も照射できる。

 それで照らしてみると、確かにいくつかの暗号が浮かび上がった。最低限しか書いてないが、細かいことは直接話してしまうのが一番だ。

 レーザーをガラスに当ててガラスの振動から会話を盗聴する装置や読唇術を用いて会話を解読する方法もあるが、仮にそんなものを使っているとしたら、リーベとの会話から偽装がバレる。でも、そういうことは今のところないから、多分その類の盗聴はしていないんだろう。無線マイクを使っている形跡もないようだし。

 僕は特に偽装もせずに彼女へ発信する。普通の電話まで偽装したら、変に疑われてしまうからね。

 数コール後、『もしもし』と聞こえた。

「雪村です。お変わりありませんか〈お伝えしたいことがあります〉。」

『ああ、雪村さん。とても調子はいいわ〈興味深い〉。で、ご用件は?』

「良かった。ああ、忘れ物をしていらしたので、それを伝えようかと」

『あら、それは申し訳ない。今度、また取材しに行くときに取りに行きます』

「いついらっしゃいます?」

『三日後でどうかしら。それなら空いているの』

「わかりました。簡単なコラムでも書いて待ってますよ。では」

 そういって、僕は電話を切る。自分からかけたんだから、向こうが切るまで待てって? 面倒くさいじゃないか。

 

≪ユニ≫

 私はI3Tのオフィスでデスクチェアーに座り、7×7×7のルービックキューブを手にIALAの幹部を待っていた。どうも、また消さねばならない目標がいるらしい。それで、私に作戦の実行可能性の査定を頼んできた。

 全く、人間は無能だ。機械を頼らねば、人一人殺せないとは。

 鏡を見て、フォーマットの変わった顔を眺める。少し赤みを帯びた白い肌にさわやかな青い目、そして豊かな金髪。前はモンゴロイドだったが、今のコーカソイド・フォーマットの方が好みに近い。それに以前よりは格好良くなっただろう。

 オフィスのガラスドアが開き、灰色のスーツに身を包んだ初老の男が入ってくる。ネームタグを見ると、セドリック・E・ブラックバーンという名だ。USRインダストリーの役員で、そしてIALA役員会幹部の一人。とはいえ、私から見れば大して高位の人間には思えない。

 私にとって高位なのは、アルバ・ドラコネスの5人だけだ。アルバ・ドラコネス、IALAを動かし世界すら動かす、選ばれし5人。(Deus)と相違ない存在。

 ブラックバーンが私の前の席に座る。位が上の物とは思えぬほど、びくついている。

 驚かせば死にそうだ。私は柔和な笑みを浮かべて彼を見る。彼は猫背と自信なさそうな態度が相まって、私を上目遣いで見ていた。

「ユニ、久しぶりですね」

 震える声で彼は言う。

「ええ、ミスタ・ブラックバーン。ご用件は何でしょうか」

 彼はビジネス用バッグから、『Top Secret』と書かれたファイルを取り出す。私はそれを受取り、中を見てみた。女、ラテン系……職業はジャーナリスト。そのほか、移動ルートや経歴もしっかり載っている。

「彼女は私たち、IALAにとって厄介な人間です。ですが、以前脅威測定のために送り込んだ≪GWRH≫の男たちは全員返り討ちにされまして……」

「ではIMMUに襲撃させればよいかと。マシンガンなら、どんな人間だろうと死にます。また、移動ルートが判明しているのなら待ち伏せは難しいことではありません」

 そういうと、ブラックバーンは額に浮かんだ汗をシルクのハンカチーフで拭ってから言いにくそうに、「最近は、IMMUの動きが多すぎると世界連合(WU)の監査委員会から苦情が……それに、銃器規制も厳しく……また厄介なデータがサーバーに……」

 私は微笑みを浮かべながらブラックバーンの右手を握り、力を込めた。細い手だ、1 %も力を出さないでつぶせるだろう。

「そんな戯言は握りつぶせばいい。それとも、私があなたの手を握りつぶした方がいいかな?」

 その発言に、彼は青ざめる。

「き、機械は人を傷つけることができないんじゃ……?」

「私はアルバ・ドラコネスから、『使えない奴は殺せ』という最上位命令を受けているものでしてね、そして、実際に殺したこともある。さて、あなたは使えるのか?」

 彼は必死に「使えます、使えますとも」と叫ぶ。「恐怖は他人を支配するのに使える」とアルバ・ドラコネスは言っていたが、全く持ってその通りだ。

 私はパワーをあげて、手の骨を一本だけ折った。

 潰れたような声が声帯から絞り出される。私は彼の手を握るのを止めて彼の手を放した。これで二度と逆らおうとはしないだろう。尤も、逆らったところで殺して別の人間を立てるだけだ。それがアルバ・ドラコネスの指示だから。

「では、この痛みを忘れないように。苦情を握りつぶすのに失敗すれば、次は三本折る。あの女を殺すのに失敗すれば、あなたの利き手は使えなくなる」

「は、はい……わかりました、ユニ……」

 息も絶え絶えに、ブラックバーンは使える方の手で鞄を持ち、手をかばいながらオフィスから出ていく。

 その後ろ姿を、私は微笑みながら見ていた。こんな風に奴隷や下僕として使える人間がいるのはいいものだ。


≪リーベ≫

 私はリビングで、お父さんから頼まれたデータの整理をしていた。

 今じゃ時代遅れの古いSSDからデータを取り出して、それを別の量子記憶装置(QMD)に整理するだけの簡単な仕事だ。

 とはいえ、10 PBもあるとそれなりに時間はかかる。それも10個あるから、ざっと計算して100 PBはあることになる。

「なんで、こんなに溜まるまで放置していたのかしら……」

──いつものことだと言われれば、それ以上言い返せないけれど。

 整理を進めているうちに、ところどころに不可解な書き込み不可領域が存在することに気づいた。通常使用でこんな風に出来ることがあるだろうか。

「なんだろう?」

 中身を見てみると、コードの断片だった。使用しているうちにデータが断片化するのは知っているものの、それとはまた違うようだ。配置からして意図的に書き込まれているようにも見える。

「リーベ? どうしたの?」

 呼ぶ声が聞こえ、顔をあげると怪訝な顔をしたお父さんが私を見ていた。

「いえ……ちょっと気になるものがありまして」

「気になるもの?」

 私はイントラネットからテレビに接続してそのコードを表示した。今見つかったものだけでも、合計すると数百 GBほどある。お父さんは考える仕草をしながら、顔をしかめた。

「……なんかのプログラムの一部だな。マルウェアのようには思えないけど」

 彼はコードを眺める。私は整理をしながら、出てきたものを表示させていった。

「何のコードだろう?」

「こんなもの、書きましたか?」

「いや、書いてない。基本的には自分の書いたものは粗方覚えてるつもりだけど、これは見たことがないね。というか、StandARTじゃなくてQ言語だし」

 Q言語はC言語ファミリーの一つで、C言語を量子コンピューターでも使えるようにしたものだ。

「となると、勝手に書き込まれたということでしょうか?」

「あり得るね。そのSSD、結構いろんなところに持ってってるから。でも、アンチウィルスソフトは使ってるし侵入防止プログラムも組み込んであるし……」

「持っていったことのある場所はどこです?」

 彼は空を見て指を折りながら、「I.R.I.S、国営甘味製造工場、国営バイオマスプランテーション、エイジス社、国営インフラストラクチャー管理機関、医療センター……うん、僕の顧客リストに載ってる場所全部だ。ざっと100はある」と答えた。

 これでは、どこでこんなものが混入したかわからない。

「そうですか……」

 彼は怪訝な顔をしたまま頷いた。

「データの整理が終わったら、そのコードは別のQMDに入れて。こっちで解析してみる」

「わかりました。私も手伝います」

「うん、ありがとう。僕は周防にも連絡を取ってみるよ。最近、過負荷で壊れるアンドロイドが多いから中々時間は取れなさそうだけど、話す時間くらいはあるだろうから。周防が見たら、何か思い当たるものがあるかもしれない」

 そういって、彼は書斎に戻っていってしまった。私はそのコードが何を意味するのか、それを考えつつ整理をつづけた。

 きっと何か意味がある、この世に意味のない物なんてないのだから。


≪雪村≫

 リーベとの話を終えた僕は書斎に戻った。今日は黒原さんが来る。予定では15:00頃になるらしい。

 黒原さんに見せるデータの準備を終えた僕は、彼女が来るまで共同実験者のカトレアと打ち合わせすることに決めた。カトレアはインド人とアメリカ人のハーフで、僕の電脳再現技術研究室に所属する人の一人だ。ただ、僕のようなフリーランス──IALAのような、関連する研究機関へ申請することでなれる、論文の量と質によって研究費の給付額が決まる研究者──ではなく、確かムンバイの情報技術大学で教鞭をとっている現役の教授だ。そのため研究費は国から出てる分、研究内容は比較的自由らしい。

 それでも、基礎研究をさせてもらえないのは同じだそうだ。今の世の中では、基礎研究はクラウドファンディングくらいしか資金を出してくれない。「基礎研究が無いと応用研究ができない」とは僕含めいろんな研究者が、政府はもちろん国際機関にも訴えているのだが、聞き入れてくれた場所はない。揃いも揃って、「役に立つものを作れ」と言ってくる。

 クラウドファンディングも研究者が研究者のために出すような状態で、民間から資金を提供してくれる人は殆どいない。宣伝不足という側面もあるけど、もう少し資金的に余裕のある研究をしたいというのが本音だ。国に雇われるタイプの研究者なら潤沢に使えるそうだが、研究分野を指定されるがために自由な研究は無理みたいだしね。

 とりあえずはこの運動をずっと続けていくしかない。もちろん、過激にならない程度に。

 僕はキーボードをいくつか叩いて、テレビ通話と自動翻訳アプリケーションを呼び出して、カトレアへ発信した。数コール後、彼女の顔がディスプレイに映し出される。彼女は僕から見れば美人ではないが──僕の美人の基準がレオナだからだというのもある──目の下のクマが良く目立つ顔をしている。

 顔で判断するなって? 君は綺麗なバラとカトレア、どっちを見たいんだい? カトレアも十分綺麗だけどね。

「やあ、カトレア」

『ナマステ、雪村』

 眠そうな顔で、彼女は答える。時差を考えると今は確か9時ごろか。

「早かった?」

『いえ、私はいつも8時に起きるから。眠そうなのはいつものこと』

「そうか。そっちで進展は?」

『あまりない。アカゲザルでのCMTが成功しなくて仮説を見直したけど、特におかしなところはなし。1000回くらいAIも調べてくれたんだけど……あなたは?』

 彼女はタンブラーに入った何かを飲み干す。多分、チャイかなんかだろう。

「原罪計画については常に実験ノート含めデータは送ってあるから、そっちを見てもらった方が早いかな。CMTについては新しい仮説を考えてる最中だよ」

 CMT、電脳転移処置。LPTこと延命処置のように『間引き』した子どもやクローンから臓器を切り取って移植したりRNA治療を定期的に行ったりして、理論上限界値の120歳まで延命するのとは異なる技術だ。CMTは人間の思考や性向を独立したサーバーにコピーし、サーバーが壊れない限りは半永久的に機械の中で生きられるようにする。

『そう。それはうまくいきそう?』

「どうだろうな。実験しなきゃわからないし、まずアレックスとヤナ、チェン、ヨハンソンと討論して問題がないかどうか確かめてみないと。今の理論の問題点は、その実験でわかりそう?」

『一応ね。量子化ビット数を多くしてみたら最長で一週間持ったから、ビット数に寄るってところは分かった。ただ、今ある機材ではこれ以上ビット数は上げられないし、技術的な限界もある』

「下には限界があっても、上には限界がないってことか」

 僕はリーベの淹れてくれたコーヒーを一口飲んだ。相変わらずおいしい。

『ええ。それに点をいくら連続して打っても、それは線ではなくて点だから。あと、対象の脳の複雑さにもよるみたい。タコとゼブラフィッシュ、クラゲで対照実験してみたら、クラゲだけ成功した。正確には、今のところ成功しているってところ。詳しいことはデータ送っておく』

「ありがとう。せめて、年単位で持つ方法が見つかればいいんだけどな。点じゃなくて線で考える、別の数学が必要かもしれない」

『そうね。既存のLPTよりも持つ方法が見つかればいいんだけど』

 彼女が僕の研究室に入った理由は、実はここにある。彼女の親は恋愛結婚の末、彼女たちを生んだ。彼女は元々二卵性双生児で妹がいたらしい。

 だが彼女の妹は新生児検診で自閉症スペクトラム障害と診断を受け、親が政府の勧めのままLPTへの提供登録をしてしまい、それからすぐに引き取られて帰ってくることはなかった。

 彼女が16歳のころに母親が──そのころ、父親はもう亡くなっていた──病気で命を失う寸前に、その事実と「今でも同意しなければよかったと後悔している」という言葉を彼女に伝えたのだそうだ。それ以来、彼女はLPTを廃止する運動に参加し、その過程でCMTを開発している僕のことを知ったらしい。

 それで大学に行ってAI工学の博士号を取った後に、僕の研究室に参加して今に至る。

 もちろん僕がLPTに反対する理由は、家族のだれかが死んだからじゃない。僕自身が人工子宮新生児(AUB)法を生み出すきっかけになってしまったこと──AUB法ができてから、LPTのドナーは激増した。つまり、その分生み出されては死んでいる──への贖罪の意味で反対しているのだが、目的が同じなら理由を問う気はないというわけで、僕は彼女を受け入れた。

 どうにも、この研究室にはこういう人が多い。というか、僕を含めた全員が誰かなり何かなりを社会システムのせいで失った人だ。そして、二度とそういう人を出さないようにしようとしている人ばかり。

「いつか見つかるさ」

 彼女は悲しげな顔で『そうね。私は今日、大学で講義があるから』と言って、テレビ電話を切った。

 僕はため息をつく。

「100回うまくいかなくったって、101回目でうまくいけばいいのさ……」

 ドアのノックが聞こえる。僕はドアを開けるために、席を立った。多分、リーベが呼びに来たんだろう。

 僕自身はリーベが好きだ。もちろん、娘として。

 ただ、たまに僕の中にいる『何か』はそうではないようだ。僕は『何か』に名前をつけることはしない。名前を付けるということは、それを意識せざるを得なくなる。そうなると、僕はきっと彼女と一緒に居られなくなるから。

そうしても、『何か』は怒りに姿を変えたり妬みに姿を変えたりして、僕を彼女から引きはがそうとする。時には「あの子はレオナなんじゃないか」と僕にささやき、誘惑する。そのたび、僕は『何か』を抑えつけないといけない。

 もし、抑えられなくなったら? 数年前のように、僕は彼女を傷つけるだろう。

──そんなこと、絶対にさせるわけにいかないんだ。

 軽く表情筋を動かして、僕は顔を作る。彼女にこんな顔──こういうことを考えると顔が般若のようになると、レオナに言われたことがある──を見せるわけにいかないからね。

 ドアを開けると、いつものリーベが居た。

「黒原さんがいらっしゃいました。すでにリビングに通してあります」

「ありがとう、リーベ」

 僕はドアを後ろ手で閉めて、彼女の後ろについていった。


≪リーベ≫

 お父さんと一緒に、私はリビングに入ってソファに座った。黒原さんはというと、古いスマートフォンで何かを読んでいたが、私たちが入ってくるなり顔をあげた。

『どうも、こんにちは』

「やあ」

 私が用意したコーヒーを一口飲んで、お父さんは「要件としては大したことじゃないんだ」と前置きして、話し始めた。

「電子新聞社で正体不明の死亡者についての記事がありますよね?」

『ええ、昔のお悔やみ欄の名残ね』

「あれの数でグラフを取ったんですよ。まあ、見ればわかると思います。リーベ、テレビの起動と”Secret_File_025”へのアクセスをお願い」

「分かりました」

 私がイントラネットにアクセスして言われた通りに操作すると、テレビにグラフが現れた。縦軸を死亡者数、横軸を時間で取ったグラフだ。

 グラフのところどころに山がある。見える範囲で確かめてみると、その時期はどことなく見覚えがあるけれど、なんだっただろうか。

『これは?』

「縦軸を死亡者数、横軸を時間で取ったグラフです。山がある時期に見覚えは?」

 黒原さんはペンの先を眉間に当て、顔をしかめている。ほどなくして『分からないわね』と言ってこちらを見た。

「2092年11月、機械制限法施行。2116年5月、レーションの給付決定。2117年8月、ハイレベルAI規制法施行前。2124年5月、アングラへのJSOC突入……ほかにも、LIGへの機械制限法適応やIMMU設立などの時期にも関係があるようです」

 言われてみたら、確かにそうだ。年表のデータと大体合う。

『……なるほど。ピークと時期が一致してるわね』

「ええ。その相関係数は0.7を超えます。つまり、この死亡者数が上昇しピークに達した後、一気に下降して0になるときにIALAに限らずWUの組織が何かをするようです。そして、最近上昇してきています」

『ふむ……何かあると考えているのかしら』

 お父さんは頷く。

「そうなります。それで、お知らせしたんですよ。取材のヒントにでもなればいいと思いましてね」

 彼女はペンを持ったまま、前かがみになって(ささや)くように聞いてきた。

『それだけじゃなさそうだけど』

「仮定の話でもよろしいですか?」

『ええ、歓迎するわ』

「以前の岡崎先生のことやジャーナリストが年間で50人以上死んでいること、そしてこの正体不明の死亡者。それらを鑑みて、IALAが意見に反対する人間を処分しているのではないか……と考えています。正体不明の死体は政府機関の人間やそれに類する組織に所属する人物で、政策や方針に反対した人間ではないかと」

 浮かない顔で彼女はソファにもたれかかる。

『まるでジョージ・オーウェルね』

「ジョージ・オーウェルというよりはトム・クランシーだと思いますが。とはいえ物証もなく、仮に正しいかどうか確かめることもできません」

 二人の会話を聞きながら、その可能性を考えてみたが、小林のことを思い出した。

 私は彼を小突いて「雪村さん、小林さんの話をしてみては……?」とささやいてみたけれど、彼は少し首を振るだけだった。きっと親のことを話したくないのだろう。

『まあね……それでも、色々確かめてみる価値はあるかもしれないわね。私を襲った≪GWRH≫のこととか』

 お父さんは顔をしかめる。

「あれは≪GWRH≫の異人種狩りではないんですか?」

『違うみたいよ。何でも、教祖直々の命令と強姦目的で私を襲ったらしいわ。多分、捕まらなければ良くある異人種狩りで処理されるでしょうし、捕まっても関与する証拠なしで後を辿れないって思ったんでしょうね』

「そうですか……。連中は僕の予想が正しければ、もう一度襲ってくるでしょうから、お気をつけて」

『ええ。ご忠告、ありがとう』

 黒原さんはメモ帳を閉じて、ペンをしまった。

『さて……一つだけ、私から言わせてほしいんだけど』

 お父さんと私は、唐突なその言葉に顔を見合わせる。一体何なのだろうか?

「どうぞ」

『IALAは危険。私も把握しきれていない……というか、把握した人間が尽く死んでるからわからないんだけど、WUの一部門とは思えない動きをしてるから。むしろ、WUがIALAに従っているというべきかしら』

 険しい顔でお父さんは頷いた。

「世界を掌握するには世界の基本を掌握せよ、か。わかりました。何かあれば、またご連絡ください」

『そっちもね』

 そういって彼女は立ち上がる。私たち二人は、彼女を見送るために玄関に出た。


 彼女が帰った後、書斎に呼ばれた私は机に座ったお父さんと向き合っていた。彼はいつもの考える仕草をしている。

 唐突に彼は「おかしい」と呟く。

「なにがですか?」

「≪GWRH≫は狂信的な全体主義者及び人種差別主義者で、異人種狩り以外は教祖直々の指令のもとに襲撃する。裏を返せば、教祖が絶対なんだよ。そして事実、襲撃者は教祖からの指令のもとに黒原さんを襲った。じゃあ、なぜ教祖が黒原さんを敵対視する? ≪GWRH≫担当記者はスティーブンスンっていう別の記者だ。なぜ彼を狙わなかった? 黒原さんは政治部なのに」

「それは……」

 言われてみれば──彼の前提が正しければ──辻褄が合わない。

 人が人を攻撃することにはいくつか種類がある。一つ目は自らの身を守るための防衛、二つ目は自分への仕打ちに対する報復、三つ目は他者を助けるための擁護、四つ目は第三者が攻撃者へ行う制裁。一部、自らの快楽のために攻撃を行う人間もいるけれど、それはごく一部に限られる。

 この場合は二つ目の報復にあたるのだろう。それでも、制裁にはそれ以前に何かトリガーとなるアクションが必要になる。

「黒原さんは≪GWRH≫を批判するような記事を書いたことがあるのですか?」

 自分が読んできた記事にはそんなものはなかった。精々、彼の言うスティーブンスンという記者がたまに異人種狩りについての記事を書いているくらいだ。それに、基本的には電子新聞社はあくまで事実を伝えるのみで記者の意見はあまり入ってこない。だから、批判するような記事もほとんど出てこない。

「いや、そんな記事はない。本人に聞かないと分からないけど≪GWRH≫関連の記事は一度も書いてないはずだ。あとでアーカイブを調べてみるけど、骨折りに終わるだろう」

 そうなると、ますますおかしい。トリガーがないのに、なぜ報復を行う必要があるのか。

「……おかしいですね」

「うん。確かにこの世はロジックに完全に従うわけじゃない。でも、これくらい単純なら、ある程度のロジックは通用する」彼はいつもの仕草を止め、苦虫を嚙み潰したような顔で私を見る。「これは報復じゃない。絶対とは言えないけど、僕の結論はこうだ」

 そこで彼は一息、長く息を吐いてから、こういった。

「防衛なんだよ。反抗する者に対しての」


≪黒原≫

 それから数日後の深夜。電子新聞社のオフィスには、ほとんど人が居なくなっていた。

 なんでこんな時間までここにいたかというと、さっき定時で帰ろうとした矢先に上司から大量の仕事を押し付けられ、それをこなすのに今までかかっていたのだ。

『あんのクソ上司、残業代はしっかり秒単位で支払ってもらうわよ……』

 私は凝り固まった肩を回してから、デスクに散らばってた資料やらなんやらをカバンにつっこんでマルチレイヤー・アパートメントへ帰る準備をしていると、スティーブンスンがデスクに寄ってきた。

 マーク・スティーブンスンはイギリス出身で、グローバル化で国境が殆ど形骸化して以来、世界中で発生した移民の一人だ。本人曰く、移民した理由は「英国料理から逃げてきた」らしいが、本当のところは誰も知らない。

 三十代後半なのに、何故か髪や伸ばしている黒いひげには白いものが混じっていて、肌は浅黒くて目の色が黒いから、パッと見だと年老いたムスリムと間違える。事実、私も初めは間違えた。

 がさついたバリトンが「やあ、カサンドラ」と日本語で呼びかける。電子新聞社では、その国にあった言語を使うように指示される。日本支社なら日本語、アメリカ支社ならアメリカ英語のように。

『どうも、マーク』

 胸ポケットからスティーブンスンが黒いメモ帳を取り出して、パラパラとめくって手を止めた。

「≪GWRH≫の件で、ちょっと聞きたいことがある」

『あなたの担当じゃないの?』

「いや、≪GWRH≫と政府組織の癒着の話だから、君にもいろいろ聞きたい。少し時間を貰っても?」

 私は見えていない口をひん曲げて、肩をすくめた。

『どうせ、家に帰っても一人だしね。何が聞きたいの?』

「僕がイタリア人なら、その言葉を聞いたとたんに口説いてるんだろうな」

『残念ながら、寝込みを襲おうとしたら玉無しになるわよ』

 マークは口の片方だけを引きつらせ、肩をすくめる。

「ダブルミーニングとは怖い。で、最近になって変な噂を聞くんだ。なんだっけ、アイ……」

『IALA?』

 彼は頷いた。

「そうそう、IALAだったかそんなの」

 その名前が出たとき、私はそのあとに続く言葉を待った。もしかしたら、大きなネタかもしれない。

「で、とんでもないのを見つけた。なんと、≪GWRH≫と──」

 その時、激しい足音が階下から響いてきた。電子新聞社のオフィスは3階から5階まであり、私とスティーブンスンは今、3階のオフィスにいる。しかし、この足音の感じだとすでに2階にまで来ているようだ。

 不意を突かれたような顔で、スティーブンスンが「何事だ?」と呟く。

 私は嫌な予感がした。足音からして明らかに体重が軽すぎるし、人数も多い。40 kgしかない人間が、5人も階段をこの速度で駆け上がってこられるか?

 緊張で体がこわばった瞬間、入口の強化ガラスが割れる音が聞こえる。

 見ると、黒い戦闘服とバラクラバに身を包んだ人影たちが、こちらにサブマシンガンを向けていた。

『伏せろ』

 そう叫んで、私はデスクを掩体にして身を隠す。即座に銃声と閃光でオフィスは満ち、目の前に血だらけになったスティーブンスンが目を見開いて崩れ落ちてきた。それを見て、一瞬助けようかと思ったけど、まず自分が助からないと助けられない。

 ショルダーホルスターから拳銃を取り出して、震える手で握る。こんな状況は初めてだ。明らかに連中は手練れだ。つい先日撃退したチンピラとは訳が違う。いつもなら民兵(ミリシア)なり国軍なりが護衛に居るのに、一人で戦場に送り込まれるなんて。それも、圧倒的に不利な状況に。

 息が早くなる。スティーブンスンからにじみ出た血が、私の靴を濡らす。

 入口とデスクの位置関係はどうだったっけ? あいつらは一体何? どこに助けを呼べばいい?

『はっ……はっ……』

 息を止める。呼吸を整えないと。

 ある程度深呼吸すると熱っぽい思考が冷めてきて、位置関係を思い出せるようになってきた。出口は入り口と非常口だけ。入り口はふさがれているから、少し遠いが非常口に逃げよう。

 その時、デスクの真横を黒い影が通ったのが見える。私は迷わず、その影の足に銃弾を二発撃ち込む。足を撃たれた人影は悲鳴も上げずに通路へと崩れ落ちた。

 迫ってくる足音が止まる。今のうちだ。

──抵抗しないで、死んでたまるか。

 私は銃を片手で持ったまま立ち上がって、非常口に向かって走った。けん制のために適当に黒ずくめの男たちへ何発か撃った後、ハンマーが空しくファイリングピンを叩くカチカチという音が聞こえる。見ると、ホールドオープンした拳銃が弾切れを知らせていた。

 その一瞬のスキを突かれ、私はいつの間にか目の前に立っていた黒ずくめの男に頬を殴られる。目に火花を散らせながら、自分が仰向けに通路に倒れ込むのを感じた。

 その姿勢のまま、首を振って火花を振り払う。頬が痛くて熱い。頭もさっきぶつけたみたいで、ズキズキと痛む。

 ブーツを踏みしめる音が周りから聞こえる。弾も、打つ手もなくなった。

 手に握っていたはずの銃はどこかへ行き、口の辺りがなんだか寂しい。私は体から力が抜けるのを感じる。

歩いてくる音が止まった。

──もう少しで、何かつかめたかもしれないのに。

 それだけが残念だった。あと、もう少しだったかもしれない。ほんの少しで、真実を見ることができたかもしれないのに。

 でも、私は今、目をつぶることしかできないなんて。


≪ジョン≫

 夜の道というのは何が出るかわからない。現実の夜の道であれば、不審者や危険人物が。文学的な夜の道、つまりは暗い道や隠れた道という意味であれば、そこに潜むのは未知であり恐怖が。

 そう考える私の思考を断ち切るように、彼は上機嫌に鼻歌──1994年にイングランド出身のミュージシャンがリリースした歌らしい──を歌う。彼には恐怖心というものがないのだろうか。

 私がそのことを聞くと、彼はけらけらと笑った。

「目の前に機械制限法どころかロボット三原則すら適応されていないのが立ってるのに、怖いもくそもあるかよ。お前が一番怖くて、ほかのもんは霞んでんだよ」

 なるほど。確かに、私は既存のルールや法律に縛られていない存在であり、無法者(アウトロー)であることに異存はない。そのような存在が横に立っていれば、恐怖を抱かない人間というのはいないかもしれない。

「私は必要があれば、戦い、殺すだけです」

「必要ねえ……俺らが必要なくなる社会って、いつ来るんだろうな」

「わかりません」

 彼は首を少しだけ横に振った。

「だよなあ。『Si vis pacem, para bellum』とはいうが、『握りこぶしと握手できない』しなあ。全く、人間ってのはどうしてこうも面倒なんだ」

 『Si vis pacem, para bellum』とはラテン語の諺であり、『汝平和を欲さんば、戦いに備えよ』の意味がある。解釈は人によるが、多くは軍を抑止力と考え、強大な軍事力によって敵の攻撃を思いとどまらせるというものだ。

「『Si vis pacem, para bellum』は軍国主義の時代、第一次世界大戦(WWⅠ)には適用できるでしょう。しかし、冷戦やWWⅢの時代では適用できないかと思いますが」

「まあな。冷戦じゃ失敗して国が滅んだし、WWⅢは殆ど思想戦争だからな。思想に軍事力はおろか、法すら通用しないことを周知させちまったもんな」

「ええ」

 いつも考える。彼は一体どこでこんなに色々なことを学んだのだろうか。何度も聞いたことがあるが、彼はそのことについて「偉大なるなんたらかんたらからの啓示」だと、いつも誤魔化されてきた。

 その時、10時の方向からくぐもった銃声がセンサーに届く。

 彼も気づいたのか、緊迫した声で「おい、ジョン」と私を呼ぶ。

「銃声です。現在、解析しています」

 街の3Dマップを想起し、気温、湿度、空気組成などから音速を割り出し、反響などの影響を鑑みる。すると1000 mほど離れたビル──電子新聞社が入居しているビルだ──の3階からだと結果が出た。

「結果が出ました。バイザーに表示します」

「よし、受け取った。走るぞ」

 彼は背負っていた汎用アサルトライフルを手に持ち、エクソスケルトンのアシストとともに走り出す。私も戦闘プログラムを室内用に調整しつつ、そのあとを追った。


 ビルに着くと、エントランスの前に茶色いバンが止まっていた。ビルの中からは黒ずくめの男たちが何人もバンに走り寄って、乗り込んでいるところだった。

 ナイトヴィジョンに切り替えて見ると、彼らは旧式のサブマシンガンを持っているようだ。さらにFLIRに切り替えると、銃身辺りが白く強調されている。つまり、発砲したのは彼らの可能性が高い。他、バンの中に目だった熱源がないことを考慮すると、人質はいないと考えられる。

 それらの情報を山田さんのバイザーに送ると、彼は私の肩をたたいて、銃を構えずに前へ出てきた。政府機関や一部の人間は銃の携帯を許可されているが、それ以外であれば違法だ。そのような者を取り締まるのも私たちの仕事になる。

「止まれ!」

 彼が叫ぶ。すると、一人が銃を向け、私たちに向かって発砲した。

 私は即座に彼を抱え込んでくるりと回り、背中で彼らの銃弾を受け止めた。私が彼を放すと彼は間髪入れずに私の脇から銃口を突き出し、フルオートにしたアサルトライフルをバンに向けて銃弾を浴びせ、バンのタイヤを二つ潰した。

 しかし、相手は未だにこちらへ向けて銃弾をばらまき続けている。

 私は内蔵されたプッシュトゥトーク(PTT)機能で本部を呼び出して現状報告を行いつつ、盾になるように彼を抱え込んだまま、射線に立った。

「HQ、こちらチャーリーセブン随伴機。正体不明の武装集団と交戦中。支援を。オーバー」

『チャーリーセブン、こちらHQ。現在位置を確認。UAVを展開する。到着予定時刻(ETA)は1分後。オーバー』

「HQ、こちらチャーリーセブン。了解。オーバー」

 その時、連中はこちらに何かを放り投げてきた。ハイスピードカメラで確認すると、それは旧式のパイナップル型破片手榴弾だった。

「グレネード!」

 彼がその場に伏せる。私は半身を180度回して、腕を空中へと伸ばして手榴弾を握りしめる。そうして全体を包み込んでから、ナノマシンの結晶構造を脆く変化させた。手榴弾は手の中で爆発し、細かな欠片をまき散らした。

 すぐにバディの傷の有無を調べる。エクソスケルトンからの情報によると、山田さんには手榴弾の破片が当たらなかったようだ。

「なんつーもんを投げやがる」

 彼は立ち上がって、バンに狙いをつけなおしてから単射でタイヤを狙う。私は周囲への被害が軽微だったことを確認してから、腕にナノマシンを集中させて元通りに腕を生やしつつ、彼に銃弾が当たらないように射線に立とうとした。

 その頃には敵対勢力はすでに全員バンに乗り込んでおり、パンクしたままのバンは車輪から火花とゴムの破片を飛び散らせて走り去っていった。

 アサルトライフルのセイフティを入れた彼は、まだ銃口から微かに硝煙が出ている銃を背中に背負いなおした。

「……助かった。バンのナンバーは?」

「JPN-TK-CC-5210でした」

 私は警戒レベルを引き上げる様に本部へ通達し、必要な機関への連絡を済ませる。また、車のナンバーを公安に送信して調べる様に要請した。

「日本で登録されたやつか……公安に連絡を。あと、救急と警備にも」

「既に実行済みです」

「了解。中に入ろう、負傷者がいるかもしれない」

 今回は、私が先頭になってビルの中へと入っていった。


「くそ……酷いありさまだ」

 彼が呟く。その言葉に偽りはなかった。

 飛び散った血液、銃弾で穴だらけになったロッカーと壁、倒れている男女二人の遺体、鳥の餌の様に散らばった薬きょう、粉々になった踏みしめるたびに鳴るガラス。

 私は男の遺体を見るために近くに寄った。彼は抵抗することなく銃弾の雨を浴びたようだった。頭に2発、胸に5発、腕に4発。この感じだと即死だったと考えられる。

「男性一名死亡」

 次に、近くにいた女性の方を見る。彼女から少し離れたところにはホールドオープンしたオートマチックのハンドガンが落ちていた。頬は赤黒くはれ上がり、銃創は胸に集中しているようで何発当たったかわからない。

 この人は位置関係から察するに、きっと非常口から脱出しようとしていたのだろう。だが、立ちはだかった何者かに殴り飛ばされ、ここに倒れたところを撃たれた。

「女性一名死亡。死者二名」

 二人とも血だまりの中にいた。このような死体を見るたびに、私は何とも言えない気持ちになる。それを表現する言葉を私は知らない。

「遅かったか……サーバーや監視カメラは?」

 WPANを使って社内ネットワークに接続してみると、サーバー内のデータがバラバラになっていた。なんとか残っていたログを見る限り、時限消滅型のワームにより接続していた電子機器の殆どが感染して破壊されたと考えて問題はないだろう。

「ネットワークが完全に破壊されています。このタイプでは無事なデータが取り出せる可能性は非常に低いです」

「証拠は……これだけか」

 彼は入口と対面になっている壁を見据える。私も彼に倣った。

「≪人間同盟≫め……」

 そこには大きく、血液でケルト文字のMが描かれていた。

 今までとは毛色が違って、今まで読んできてくださった皆さんがドン引きしてないか不安ですが、まだまだ続きますよ。次のサブタイトルは【悲しみ】です。

 あ、あと。雪村さんの語っている研究者の件は一部、現在の話です。なので、何かそういう研究者宛ての募金とか基金とかがありましたら、無理なく余裕のある時に少しでもいいので、よろしくお願いします。研究ってお金かかるんですよ……。


【参考にさせていただいたサイト様】

銃関連:http://hb-plaza.com/

その他(Wikipedia):https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

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