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異世界来たけどネットは繋がるし通販もできるから悠々自適な引きこもり生活ができるはず  作者: 星 羽芽


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07 世話焼き騎士の覚醒



 視界がぼやけている。痛みが全身を殴りつけるのに、意識は途切れ途切れに明滅する。

 痛む身体を動かそうとして、すぐに制止された。声は女性。落ち着いていた。

 助けが来たのか、という認識はある。ただ、誰かはわからなかった。

 そして、明滅していた意識がぷつりと切れる。


 そして──

 霞がかった意識の中、口元に、ぬるい液体が運ばれてくる感触。

 甘い……いや、しょっぱい? いや、何だこれ──


(……この味は……薬草ではない……)


 味わったことのない、不思議な塩味と甘味の混ざった液体。

 喉は渇いていた。考えるより先に、少量ずつ流しこまれるそれを自然と飲み込んでいた。


「あっ……意識戻る……?」


 身体が痛む。脇腹が、焼けるように熱かった。けれど、命に関わるほどではない。ぼんやりとした意識の中、耳に届いたのは女の声。

 ゆっくりと目を開ける。かすかな吐息と共に目を動かし──そこには、こちらを覗き込む女がいた。


 小柄で、肩にかかる黒髪。顔立ちは幼く、だが目の色はどこか冷めている。異国風の服装。──いや、異国風ですらない。この世界のどこにも属さない、見たことのない装束。


 最初に思ったのは警戒だった。

 だが次に来たのは──奇妙な安心感。


「……ここは……?」


 出てきた声は掠れていたが、自分でも驚くほど自然だった。

 あかり、と名乗った彼女は、必要以上に近づくことも、踏み込んでくることもなく、状況だけを淡々と説明してくれた。


 森で倒れていたこと。自分をここまで運び、手当てしたこと。

 名前は聞かないが、敵がいるならここで静かにしているべきこと。

 全て淡々と、簡潔に。


 (……まだ、生きている)


 自覚した瞬間、ようやく心が現実を受け入れた。

 俺は襲撃を受け、死にかけて、この女に救われたのだ。


「ここにいれば君を巻き込む」


 そう告げたのは本心だった。信頼できる人間かは未だ判断をつけることはできないが、仮にも命の恩人を危険に晒すつもりはない。

 だが、彼女は俺の言葉を即座に却下した。


 疑問は多かった。何故わざわざ助けたのか。手間をかけて看病をしてくれるのか。匿ってくれるのか。

 ──森で暮らしているのは"面倒だから"だというのに、俺の存在を許すのか。


 だが、最優先すべきは傷の回復と体力の温存。申し訳なくもありがたい、この状況を受け入れる以外に道はないと理解するのに、そう時間はかからなかった。




 次に目を開いた時には、少しだけ頭が動かせた。

 ベッドに横たわりながらも、意識は十分に覚醒している。

 今、あの女性は部屋にいないようだった。


 それを確認したあとまず最初に思ったのは、俺が寝かされているこの部屋の奇妙さだ。


 天井は平らで白く、梁などは見えない。板張りの天井とも違う。壁は滑らかで無機質、だが、粗末な造りではなかった。少なくとも、普通の木造ではない。

 両側の壁に備え付けられた窓の作りは機能的ながら繊細だった。艶やかな金属の枠に囲われた歪みも曇りもない透明なガラスの向こうには、俺が襲われた森の景色が広がっていた。

 入り口は一つ。窓があるのと同じ壁に扉がある。金属製に見えるが重量はさほどなさそうだ。

 周囲に家具らしきものは殆どなく、部屋の片隅に汚れの落とされた俺の鎧と元々着ていた服。それと、クッションで作られたようなふかふかの椅子。

 部屋は殺風景で、生活感がない。にもかかわらず、不思議なほどに安心できる空間だった。


 彼女──あかりと名乗ったあの女性は、この人の寄りつかない"不毛の森"のなかで独り、こんな小屋に住んでいる。いや、彼女が住んでいるのはこの小屋の外にある別宅のようだが……。

 装備も、知識も、物資も異質だった。

 見たことのない素材の衣服。不可思議ながら優しい味の飲料。


 だが、何故かその異質さが、逆に安心させる。

 何者かはわからない。けれど──敵ではないと、身体が判断している。


 何かを隠しているのは明らかだったが、それを追及する気は起きなかった。彼女は説明しようとしていない。だからこちらも、問う必要はない。ある種、自分と同じだった。それが気遣いなのか、拒絶なのか。曖昧なのも含めて。


(……彼女は、今どうしている……?)


 少し動くと、脇腹がうずいた。その痛みに顔をしかめると、丁度小屋の扉を開いてあかりが入ってきた。


「あ、こらー。動くなー」

「…………」


 言い訳ができる状態ではなかった。諦めて再び身を横たえる。この状態では逆らう理由も手段もない。


「傷口は?」

「……痛む」

「なら動くなって言ったでしょ」

「……すまない」

「いや、謝らなくていい。君が動いて私の手間が増えるだけだから」


 呆れたような、だがどこか安心している声音。

 無言で視線を向けると、少し眉をひそめて彼女は言う。


「……はい、水分」


 透明なガラス──ではない、軽いが丈夫そうな素材で作られた吸い飲みを手渡された。中身は薄く濁った白色の液体が満たされていた。

 閉じた瞼の奥に、ぬるい液体を口元に運ばれた記憶が蘇る。何となくあれと同じもののような気がした。薬草とは違う、味は甘く、僅かに塩辛く、どこか丸みのある奇妙な味。あれは何だったのか。


「……これは、何だ?」

「スポドリ。……まあ、塩と砂糖を水に溶かしたやつみたいなもん」


 思わず問いかけた。彼女はそれに簡潔に答える。

 スポドリ。その単語の意味は分からない。しかし塩と砂糖、どちらも回復時に体が欲するものだと知っている。それ以外の味もすると思うのだが、ただ薬ではないことは確かだった。なるほど、と納得することにしておく。


「君の故郷では、これが薬代わりなのか?」

「違うよ。水分補給用。薬じゃない。ただの飲み物」

「……回復には役立つ」

「でしょ」


 簡単に、当然のように言われた。

 見たことのない素材と味。だが妙に理に適った構成。異質なのに整っている──それがこの女の持ち物すべてに共通する印象だった。

 だが、疑問ばかりを重ねても意味はないと理解していた。


 女はすでに“助ける”という行動を選び、今ここにいる俺がそれを享受している。






 数日経って、傷はほとんど塞がった。脇腹の痛みは引き、立ち上がって歩くこともできる。俺の傷は、思ったより順調に回復していた。

 俺が使える回復魔術は初歩的な弱いものくらいなのだが──不思議な飲料と、質素ながら芳醇な味わいの奇妙な食事、それと充分すぎる休養で、身体は着実に回復した。


 回復して、俺の行動範囲は広がった。ベッドの上から部屋の中。そして部屋の外。

 あかりの住んでいる"母屋"は、俺が寝泊まりしていた小屋の4倍以上の大きさだった。だがその外観は似通った雰囲気をしている。金属製の外観に大きな窓。簡素ながら堅牢な家だ。

 そして家の周りには、金属にしては軽くて柔らかそうな素材で出来た塀が並んでいた。防衛のためというよりは目隠しの要素が強そうだ。


 あかりの住む母屋への出入りも許された。

 俺の泊まる小屋にも幾らかの家具を融通してもらったが、母屋の設備には到底及ばないから、と言って。


 その日、俺は小屋を出て、軽く体を動かしてから母屋に入ると、ソファで転がっているあかりに声をかけた。


「手伝えることはないか」

「え?」


 素っ頓狂な声が返ってきた。

 あかりは、こちらを振り返って首を傾げた。黒髪がふわりと揺れる。


「えっと……何の手伝い?」

「家のことだ。掃除でも畑仕事でも良い。何か俺にできることを」

「あー……」


 あまり女性の一人暮らしである敷地を彷徨くのは憚られるが……俺にはやるべきことがある。

 それは、命を救われたことへの恩返しだ。

 助けられた。だから返す。身分も素性も名乗れない以上、行動で示すしかない。俺は今、“この家で世話になっている者”だ。ならば、何か役に立つことをしたいと思うのは当然だ。


 あかりはしばらく考え込む。

 俺は待つ。

 だが──


「……うーん……ない、かな」

「……ない?」

「うん。特に、やってもらうこと、ないよ」


 それは、理解し難い答えだった。俺は本気で困惑した。


 ……しかし実際、この家は不思議なほど整っていた。

 内部は清潔に保たれている。敷地内に畑は存在しない。家畜もいない。食料はどうしているのかと問うと、「なんか食べたいものあるの?」と手配する素振りを見せる。

 女はそれを“通販”と呼んでいたが、意味はよく分からない。


「いや、だからね。食料品は在庫あるし、掃除はルンバがやるから」

「……ルンバ?」

「あれ」


 あかりが指差す先に視線を向けると、黒い円盤のような機械が床を這っている。魔力反応はない。何かの装置だとだけ判断できた。


「(何だこれは……)……なら、薪割りは?」

「発電機も燃料も充分あるよ」

「水の補給は?」

「飲料水は買ってるし、生活用水は家の裏のタンクね」

「洗濯は?」

「全自動洗濯乾燥機」

「食器洗いは?」

「食洗機」

「狩りや畑……とかは?」

「ないない。虫来るし、疲れるし、管理めんどいし。食べ物はポチる派」

「……ポチる?」

「えっと……ま、そういう技術だと思っておいて。文明、ばんざい」

「…………」


 本当に──やることがない。

 文明なのか、魔術なのか。判断できないものに囲まれながら、俺はひとつの結論に至る。


(この女の生活は……完成している)


 隙がない。

 あかりの生活は“文明の力”に全振りされており、もはや人手を必要としていない。物資の補給すら、どこからか届く謎の仕入れルートで完結しているようだった。

 弱そうな身体で、剣も魔術も使わないくせに、生活に関しては異様なほどに最適化されている。もはや俺が手を出す余地などないと言っていい。


「……何か、俺にできることはないのか」

「ええ……」


 今、露骨に“めんどくさ”って顔をしたな。


「んー……まあ、そんなに焦らなくていいじゃん。完治するまでのんびりしてなよ」


 ソファに座り、板のような何かを眺めながらぽちぽちと指を動かしているあかりは、心底面倒そうに首をひねっていた。考える気すらない、という空気だった。


 のんびり、と彼女は言った。

 異常なまでに完備されたこの環境で、果たして“のんびり”がどこまでのレベルを指すのか──俺には想像すらできなかった。


 なんだかよくわからないが、とにかく凄い。

 俺は、胸中に得体の知れない敗北感のようなものを抱えることになった。




「……なぜ、こんなに朝が遅いのだ」


 翌日。俺は母屋のソファに座り、衝立の向こう、ベッドの上で丸まって寝ているあかりを見つめていた。

 窓から射し込む陽光はすでに高く、時計は午前11時を回っている。……起きる気配がない。


「寝すぎだろう……」


 昨日も、彼女がベッドから這い出てきたのは正午近くだった。

 それから紅茶を飲み、本を読み、お菓子を食べ、ゴロゴロしながら一日を終えていた。


 ──これが“不毛の森”に一人で生きる者の姿か……?


「いや、俺は……この女に命を救われた。何か恩を返さなければ……」


 しかし、何をしようにもインフラが完璧すぎる。掃除はルンバとやらが済ませ、洗濯は全自動。買い出しも必要ない。

 残る手段は──気配りと奉仕しかなかった。


(ならば……俺が彼女の日常を支えよう。例え、何もできなくとも)


 立ち上がると、棚からマグカップを一つ取り出し、ケトルなる薬缶でお湯を沸かし始める。

 彼女はよく紅茶を飲んでいた。ティーバッグというらしい。見様見真似で包装紙を剥ぎ、お湯を注ぎ、茶葉が煮出す様をよく観察する。


 その間に、ようやくあかりが起き出してきた。おはよう、と声をかけると生返事が返ってくる。そのまま洗面所へと消えていった。

 お湯の色が良い色合いに変わった頃を見計らい、茶葉の入った小袋を引き上げる。

 そして、洗面所から出てきてソファに座ったあかりの前のテーブルに置いた。


「……ん、なに、これ」

「紅茶を淹れてみた」

「……! まじで!? うわ、ありがとう……」


 ぼさぼさの頭のまま、あかりはマグカップを両手で抱えてすすった。


「ふぁぁ……生き返る……」


 その安らいだ表情を見て、俺は小さく息を吐く。

 たったそれだけのことなのに、彼は心から「嬉しい」と思っていた。


(この人は、確かに……怠け者だ。だが……こうして、喜んでもらえるのなら……)


 そしてその後も俺は、探した。俺はあかりに尽くすために、“やること”を。


 まず、掃除機の入らない部屋の隅や家具を布で拭く。

 換気口の内側に溜まった埃を取り除く。

 乾燥の終わった洗濯物を畳む。

 食洗機前の予洗い、終わった食器の片付け。

 水量の減ったタンクに補充をする。

 排水路に詰まっていた枯葉を取り除く。

 ──俺にできることは、意外とあった。


 俺が作業している間、あかりは何をしているかと言えば。基本的にベッドでゴロゴロしているか、ソファに転がって本を読んでいることが多い。

 だが、食事時になるとキッチンに立ち、いつも僅かな時間で驚くほど美味な料理を出してくる。


「これは?」

「みんな大好きハンバーグとドリアの欲張りセット〜。おいしいよ」

「……まさか、この短時間でこれを作ったと言うのか?」

「ううん。レンチン」

「レンチン」

「うん。ほぼ出来上がってるのをあっためるだけの文明」

(文明とは……)


 俺は思わず頭を抱えた。

 魔術すら超越した技術体系。"ネット"だの"通販"だのというそれが、あかりが人里離れて暮らしている理由だというのには早々に理解していた。確かに、人々の間で使うには影響が大きすぎるが、使わずにはいられないほど便利なのはわかる。




 ──翌朝、俺は勝手に朝食を作った。


 冷蔵庫と呼ばれる魔道具──いや装置──から卵を取り出し、ベーコンと合わせて焼く。アイエイチとやらの使い方は教わった。ボタンひとつで火力(炎も出ていないのに、"火力"とは?)の調整ができる優れもの。

 食材は見慣れないものも多かったが、素材は素材だ。


 目を覚ましてきたあかりは、ソファで目をこすりながら呟いた。


「……あれ、なんか……いい匂い」

「座れ。出す」


 焼いた卵とベーコン、小さくて柔らかいパンをひとつ乗せた皿を無言で差し出すと、あかりは目を丸くした。


「え、なにこれ……朝ごはん……?」

「そうだ」

「すごっ。レオナルドくん、料理できたんだ……」


 あかりはいただきます、と一言断って食べ始め──三口目でようやく言った。


「うま……」

「当然だ」


 あかりと自分の分の紅茶を両手に、俺は頷く。

 彼女はいつも朝食をあまり食べない。小さなパンをひとつ齧るくらいだった。

 これが俺なりの“礼”だ。少しでも返す。騎士として。それだけのこと。

 食後、あかりはぽつりと呟いた。


「……なんか、久しぶりに人の作ったごはん食べたなー」


 彼女の生活に命ひとつ分の礼を返すのに、どれだけのことが必要になるかはまだわからない。

 だがひとつ言えるのは──あかりの生活は“完全”ではなかった、ということ。


(なら、俺にも居場所はある)


 そう思えたことに、少しだけ救われた気がした。



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