06 展開を先読みしすぎるのはオタクの悪いところ
現実逃避か走馬灯か。そんな感じで異世界に来てから半年の、何事もなかった退屈で幸せな日々を思い返しながら、私は足元に転がるそれを見下ろしていた。
倒れている青年の姿は、想像以上に痛々しかった。恐らく銀に近い薄い色の髪は乱れ、色白の肌と共に土と血でどろどろ。赤く染まった鎧。腹部を中心に、何かで斬られたような傷が走っている。目は閉じられ、呼吸は浅い。それでも、生きていることはかろうじてわかった。だが、このまま放置すれば多分死ぬ。
「これ……下手に動かすの怖いな……」
戦闘系スキルゼロの自堕落インドア女にできることは限られている。関われば面倒になる。助けたら責任が生まれる。
けれど、助けなければという気持ちだけは消えなかった。私はひとまず手を伸ばし、青年の頬を軽く叩いて呼びかけた。
「……おーい、生きてる? ……聞こえる?」
「……ぁ……」
薄く目が開く。 この時点で私はもう“倫理観負け”を自覚した。
「あ"〜〜……ごめん、ちょっと痛いけど、動かすよ」
横たわっていた彼の身体を慎重に仰向けに転がす。
「にしても……騎士かな。鎧、ちゃんとしてるし。でも何でこんな何もない森の中に……?」
ぶつぶつ呟きながらも、構造のわからない鎧の金具をどうにかこうにか外し、慎重に上半身の装甲を脱がせる。鎧の下に着ていた服も剥いで、中から出てきたのは薄く汗ばんだ白い肌。傷は、脇腹の一点。切られたような鋭い裂傷。
同時にウィンドウを呼び出して視界の端で切創の応急処置について検索。
「このへん、神経とか……どうなんだろ、異世界人の構造っていうか……一緒だよね? とにかく、消毒、止血、固定!」
アイテムボックスから水のペットボトルを取り出して贅沢にドバドバと傷口の汚れを流し、ついでに土埃に塗れた全身にも撒いて一通り汚れを洗い落とす。消毒液を購入して蓋を取り、こちらもドバドバぶっかけた。
滅菌ガーゼとタオルを重ねて暫く押さえつけた後、包帯でぐるぐる巻きに。
そして少し悩んで……プラスチック製のソリを買った。雪とか芝生で遊ぶやつ。担架なんて買っても一人じゃ使えないからね。
「っ……ほんと、重い……! なぜ、! 私が、! こんなことぉ……!」
青年の体は細いが、上背も筋肉も充分あって、引きずっても想像以上に重かった。私は自分の貧弱な筋力とこの事態を呪いながら、コンテナハウスまで何度か休みつつ戻る。
なんとか自宅に辿り着いた頃には、私は完全に汗だくになっていた。
けれど、休む暇はない。……少し悩んで、この森で生活を始めた頃に買った一人用の小さめのコンテナハウスをアイテムボックスから取り出す。そして今使っている広いユニットハウスの横に設置。
昇降機能付きのベッドを購入し部屋の奥に設置して、ソリごと持ち込んだ青年を引っ張り上げて寝かせてやった。
「はぁ……もお……。これで……なんとか……。……あのね。あなた、ほんとに命拾いしたんだからね……」
大仕事を終えた私は、青年が横たわるベッドの隣に座り込み、しばらく息を整えた。
それでも、青年のかすかな呼吸が聞こえる限り、間違ったことはしていないと思いたい。
「あ〜……マジで助けちゃったよ……」
助けなければ良かった、という後悔ではない。むしろ倫理観が残っている自分に安堵している。ただ、手間が増えた。目の前にある現実はそこだった。
あのまま放っておいたら死んでいたと思う。けれど、抱えて運ぶ羽目になった私の腰は今、盛大に悲鳴を上げている。めちゃくちゃ疲れた。でも置いてきた鎧とか回収しに行かないといけない。くそぉ……。
彼はまだ意識が戻らない。顔は整っていそうで、見たことのない紋章が刻まれた鎧を着ていた。ぱっと見では階級など分からないが、装備は良いものに見えた。
身元不明で、武装した男性。
小説の定番でいうと、王族とか大公とか公爵閣下とかなんだ。あるいは英雄とかなんとか……。逆にこの人を襲った方ではなく、彼自身の方が悪人だという可能性もある。
「うわー……面倒臭そう」
ごく正直な感想が口から漏れた。
この人は一体何者で、私にとってどれほどの面倒を背負っているのか。
考えても答えは出ない。とりあえず、目が覚めるまで待つしかない。
「ま、……しゃーないか」
私はため息をつき、外に置いてきた彼の鎧を拾うために立ち上がった。
この青年は、回復するまでここで看病するしかない。移動できる状態じゃない。なら、下手に追及する意味もない。
少なくとも今は、生かすことだけが優先だ。
こまめに傷口のガーゼと包帯を交換し、額に冷却シートを貼る。汗を拭いてどうにかこうにか清潔な寝巻きに着替えさせ、ついでに、経口補水液を少量ずつを口元に流し込む。アレルギーの有無がわからないから、薬の類は使えない。体温は高めだが危険域ではない。呼吸も安定している。
そんな看病を半日ほど繰り返した翌日。その日も流しこまれた経口補水液を弱々しくも飲み下した彼は、かすれた声で小さくうめいた。
「……っ、ん……」
「あっ……意識戻る……?」
瞬きのあと、彼はかすかに目を開いた。
夜明けのような紫の瞳が、ぼんやりと天井を映す。
「……ここは……?」
第一声は、案外しっかりしていた。私は即座に警戒心を抱きつつも、最低限の受け答えをする。
「私の家。森で倒れてた。あなた、覚えてないの?」
「……いや。覚えている。襲撃……。あなたが、助けてくれたのか?」
そう聞かれて、私は無言で頷いた。青年が体を起こそうとするが、慌てて肩を押さえる。
「ちょ、動いちゃダメ! まだ傷が──」
彼はすぐに理解したらしい。傷が痛んだのか苦しげに目を伏せた後、再びベットに身を預け、ゆっくりと顔を上げて私を見た。
「助けていただき、感謝する。……私は、レオナルド。身分は……言えない。だが、あなたに害意はないと誓う」
それは妙に真剣な声だった。隠したい事情があることは、確かに伝わった。
身分は言えないということは、やはり王族か高位貴族か、少なくとも実家に厄介な事情があることには違いなさそう。私は面倒ごとが重たくのしかかる気配を感じ、一度だけ息を吐いて、返事をする。
「私は、あかり。森に引きこもって暮らしてます。あなたが誰かは聞かない。けど、敵はいるんだね?」
「……ああ」
レオナルドは小さく目を見開いたあと、真剣に頷いた。
「だったら、しばらくここで静かにしていて。あなたが回復するまでは面倒見るから」
「……もう十分休んだ。君にこれ以上、迷惑はかけられない。出て行こう」
「いや、無理だから」
私は即座に却下した。
まだフラフラしているのは見ればわかる。
この状態で森を出たら確実にどこかで倒れる未来が見える。
「ちゃんとわかってる? 君、今、怪我してる自覚ある?」
「ある。だが、ここにいることで君を危険に──」
「はあー……真面目か!」
私は彼の言葉を遮ると、腕を組んで事実を突きつける。
「いい? そうやって放り出して君にまた外で倒れられて、私が“あの怪我人を見殺しにした”って後味の悪い思いをするほうがイヤなの。だから、お願いだから黙って寝てなさい。でもそれだけ。あとの面倒ごとは自分でなんとかしてくださーい」
そう言い切った私に、レオナルドは僅かに唖然とした顔をしたが、すぐにふっと笑った。
「……わかった。恩に着る」
「よろしい」
とりあえず動かず安静にしていることを納得させた私は、ひとまず一段落と判断して立ち上がる。看病疲れと眠気で頭がぼんやりしていた。
レオナルドに再び休むよう促して、私は一人用のリクライニングチェアに座り込む。介護用として購入したもので、長時間の待機を前提に座り心地を重視した。ふかふかの座面に沈み込み、一息つく。
だけど──彼の視線を感じた。
弱った目がこちらを追っている。
「……何?」
「……少し、不思議に思っている」
「何が?」
「君は……なぜ森の中で暮らしている? 一人で」
確かに、彼にしてみれば気になることだろう。けれどその問いに、私は曖昧に笑って答えた。
「まあ、理由はいろいろ。……でも、一番の理由は面倒だから」
「め、面倒……」
「俗世と離れ、世間の荒波とは程遠い引きこもり生活。すべて世は事もなしってね」
私は肩をすくめて、眠気混じりの声で続けた。
「だから、君も死ぬなよ?」
「……」
「動いたら怒るからね」
レオナルドは、しばらく黙って私を見つめていたが、やがてわずかに目を細め、うなずいた。
「……了解した。休む」
「よろしい」
そして、彼は静かに目を閉じた。そのまま再び眠りに落ちるのを確認すると、ようやく肩の力を抜く。ベッドに大人しく横たわるレオナルドを横目で見ながら、私は小さくため息をついた。
ここまで来たら、あとは時間の問題だ。きちんと栄養と水分を与えておけば、このままそれなりに回復するだろう。
正直なところ──ほっとしていた。意識が戻っただけで、こんなに心が軽くなるとは思っていなかった。命の責任を背負っている、という無意識のプレッシャーが、私の肩から少しだけ下りた気がする。
「……頼むから、あなたの“面倒”が小さめでありますように」
レオナルドの寝息を聞きながら、私はそう祈るしかなかった。
「さて……スポドリ何本か買っとくか。あとおかゆ系のレトルトも……うどんとかイケるかな?」
そして真っ先にしたのは、看病アイテムの補充だった。




