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異世界来たけどネットは繋がるし通販もできるから悠々自適な引きこもり生活ができるはず  作者: 星 羽芽


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36/50

36 お鷹様が見ている



 まずは机の上に積まれている資料の束に手を伸ばす。

 乱雑に重ねられた紙束の一番上をぱらりと捲ると、そこには殴り書きに近いメモや、走り書きの計算式が並んでいた。

 『馬車修繕、費用見積もり』『次回納品までにカルナスを三つ用意』だとか走り書きが続く。中には明らかに書き損じの下書き、数字が殴り書きされた計算用紙まで混ざっていた。


 こういうのを一枚一枚丁寧に記録していたら、とても時間が足りない。スマホを取り出し、動画撮影を開始する。紙束の端をめくりながら、紙面がしっかりと画面に収まる角度を調整。

 片手で紙を扱いながら、もう片方でスマホを支える作業は地味に骨が折れる。脳内ウィンドウで撮影ができれば楽なのに。


 レンズ越しに記録する映像は、後でエウジェニオたちに渡すための素材だ。自分で読み解けなくても、専門家が見れば何かの手掛かりになるかもしれない。

 今は一字一句読み込むよりも、とにかく量を押さえることが大事。


「……これは切り上げていいや」


 ひと山分を動画に収め終えると、積まれた紙束ではなく、横の書箱に目を移す。

 古びた木箱を引き出すと、中には薄い紙束がいくつも押し込まれていた。経年で黄ばんだものもあれば、まだ新しい紙も混ざっている。大半は倉庫の在庫表や記録の控えといったものらしい。これも動画を回しながら捲り、ざっくりと撮影する。


 二箱分を撮った時点で、同じ印象にたどり着いた。──特に役立つ情報はなさそうだ。

 どうせ、ここで扱われているのは重要度が低い資料を、小間使いのメイドに持たせる程度の場所なのだから。


 ひと段落ついたところで壁際の棚に視線を向けた。壁一面を覆う棚には、大小さまざまなファイルや冊子がずらりと並んでいる。その中に、侯爵家の紋章が押されたものがいくつもあった。


「やっぱり、こっちだよね」


 紋章入りのものを抜き出し、日付を探す。

 丁寧に作られてはいるが、やはり古い。十年以上前のものもあれば、比較的最近の年号が刻まれたものもある。その中から、直近の一年、二年ほどのファイルを選び取り、机の上に並べる。


 ファイルを開くと、きれいな書式で記録が並んでいた。交易の収支や仕入れ先の名前、荷の量など、関係者の署名。重要ではあるが、これでは「家の台所事情を知りたい」くらいにしか役立たないだろうが、念のため全部カメラに収めていく。


 一枚一枚にきちんと目を通している余裕はない。流れるようにページを捲り、動画で撮影しながら頭の片隅では考えを巡らせていた。


 さきほどまでの興奮が少し冷め、現実的な判断が頭をもたげる。

 新入りのメイドを使いに遣る程度に軽んじられている場所だ。重要な情報が残されているはずもない。人目がないからといってここで長居しても、得られる成果は限られている。


 それでも、人ひとり攫っている家なのだから、後ろ暗いことの一つや二つはあるに違いない。

 だが、その証拠はこんなところには転がっていない。

 むしろ「この部屋に置かれている」ということは、侯爵家にとってはそれほど重要ではない証左かもしれない。

 そう考えると、ますます物足りなく感じられた。


 やはり、狙うべきは第一資料室。

 問題は、その所在だ。隣室か、それとも主の執務室の近くか。下手に探りを入れて人に聞いてしまえば藪蛇になりかねない。


 しばし迷った後、私は手を止め、隣室側の壁に耳を寄せてみた。

 静かに呼吸を整え、耳を澄ます。……時折、紙を捲るような音や、椅子が軋む音が聞こえる気がする。人の気配がある。


「……やめておこう」


 後ろ髪を引かれる思いで壁から離れた。

 さすがに突入は無謀だ。第一資料室が隣にあるのか、それとも単なる作業部屋なのかは分からない。けれど、誰かがいる以上不用意に動くのは危険すぎる。


 この部屋ならまだ言い訳が利く。もし誰かに見られても「資料の整理を頼まれました」と言えるし、実際そう思われてもおかしくない状況だ。


 それに、そもそも人の出入りも少なそうだ。資料を持ち込む者はいても、わざわざ取りに来る者はまずいないだろう。

 机に置いたままの資料に視線を落とし、ふっと小さく笑う。


 山のように積まれた書類は、確かにぱっと見には取るに足らないものばかりだ。

 だが、私に分からなくても、エウジェニオやルクレツィアが目を通せば何かしら使える情報が紛れ込んでいるかもしれない。彼らの知識と経験に期待するしかない。


 私は改めてスマホを構え、手近な山から順番に撮影を再開する。ページを繰るたびに小さな紙片がひらりと落ち、床に散らばる。拾い上げて確認してみると、誰かが走り書きした「納期延期」や「確認済み」といった文字が残されていた。ほんの些細なメモだが、こういう細部に後々の手掛かりが隠れているかもしれない。


 「……しばらくはここで粘るしかない、か」


 胸の中でつぶやきながら、私は再び紙の山に手を伸ばした。

 埃っぽい空気の中で、地道な情報収集の時間が始まる。






 小一時間ほど資料と格闘していた私は今、部屋の家具を漁っていた。


 レオナルドからは『早く脱出してこい』『捕まったら終わりだぞ』と鬼のような勢いでメッセが飛んできていたが、軽く進捗報告を返し、煙に巻いていた。


 私はただ資料を撮影するだけで終わらせるのはどうにも惜しい気がしてならなかった。人を攫って監禁するような家だ。何かしら人目に触れさせたくない秘密があるはずだろう。


 私は絨毯を捲り上げ、床板を叩いてみた。コツ、コツと木の音。場所によって響き方が違うような気がして、耳を澄ましては「ここかな?」と爪で叩いて確かめる。結果、ただ床板の厚みが微妙に違うだけで、隠し蓋などは見つからなかった。


 続いてテーブル。裏返すわけにもいかないので、しゃがみ込んで縁や脚の付け根を撫でていく。指に埃がまとわりつき、くしゃみが出そうになる。溝をなぞっても特に引っ掛かりはなく、仕掛けがある様子もない。

 椅子も調べる。脚の一本が回転して抜けて、中から書簡が出てくる──なんて展開を期待したが、ただの木製の頑丈な椅子だった。


 探しているのは──隠しスペース。隠し金庫、隠し部屋。あるいは小さな引き出しの奥に偽の底板。

 貴族の屋敷で、そんなロマン溢れる仕掛けを見逃すわけにはいかない。


 もちろん、あるとすれば当主の執務室や寝室の方が可能性は高い。

 だが、だからといって「第二資料室のような重要度が低い場所には絶対にない」と断言はできないだろう。むしろ「こんな所にはあるまい」という油断を逆手に取って、隠し場所にしている可能性だってある。

 そう信じて部屋の隅々を調べる。

 だが、出てきたのは小さなゴミばかり。紙片とか木屑とか。


「……あるいは地下とか? 牢屋もっと探ってこればよかったな」


 ぐるりと部屋を一周し、最後に天井を見上げる。

 しかしそこはつるりとした漆喰塗りの白壁。模様も梁もない、平凡で質素な天井だった。目立った装飾もなければ切れ込みも見当たらない。仕掛けを仕込む余地はほとんどなさそうだ。


「と、なれば──」


 残るは備え付けの棚だ。

 壁にぴったりと据え付けられた大きな棚。書類だけでなく、厚い本や木箱も無造作に押し込まれている。


 背面に隠し扉が仕込まれているかもしれないし、重ねた書物の奥に小さなスペースが空けてある可能性もある。

 両手で側面を押してみる。揺れることは揺れるが、古い木造の棚だから当然だろう。力を込めて押しても、微動だにしない。


 私はスマホのライトを点けて、一段一段丁寧に調べていった。

 本を取り出しては背面を覗き、埃の溜まり方を確認する。長らく動かされた形跡がないものもあれば、つい最近触られたとしか思えないほど綺麗な跡が残っているものもある。


 紙の山の陰に、板の隙間を埋めるように細い金具が走っているのを見つけ、心臓が高鳴った。

 だが、ただの補強用の金具だった。


「む……」


 本を一冊ずつ抜いて背表紙を撫でていく。途中、背表紙が妙に軽いものがあり、ドキリとした。

 ページを開くと、中身がくり抜かれていた──が、無情にも中は空っぽだった。


「ぐぬぬ……」


 けれど、完全に諦める気にもなれない。


 例えばこの潜入が、身分を隠しながらも正式に雇われた結果であれば、同僚に探されたり上司に叱られたりするのを避けるため、時間をかけてはいられないだろう。

 あくまで与えられた持ち場を離れず、数分ごとに周囲へ気を配り、いつでも「仕事中でした」という言い訳が効く位置で立ち回るはずだ。


 だが、今の私は違う。

 ただメイド服を着た、侯爵家の帳簿や名簿からすっぽり抜け落ちている居るはずのない部外者だ。

 ならば焦る理由もない。そう開き直った私は、棚を前に膝をついた。


 木目の走る表面を撫で、装飾を目で追っていると、不意にそれが目に飛び込んできた。


 棚の半分より下を覆っている扉に彫り込まれた鷹。

 翼を大きく広げ、獲物を掴もうとする瞬間を切り取ったような精緻な彫刻。見ようによっては威嚇にも似た表情で、棚全体に不思議な威圧感を与えている。


 そして、その瞳の部分に違和感を覚えた。

 目を凝らすと、左目の方──右のそれはふっくらと丸みを帯びている部分。それが欠けて、窪んでいる。

 指先でそっと撫でてみた。凹んでいるということは、削れてすり減ったというより、ここに嵌っていた部品が落ちた、という理屈だろう。


「……あ」


 私は身を翻し、テーブル脇に鎮座する椅子を再びひっくり返した。


「う〜ん……と、取れ……た!」


 椅子の脚の裏の溝。そこに嵌まり込んでいた木屑を何度か爪でカリカリと引っ掻くと、ポロリと溝から外れ、手のひらに落ちてきた。その色、形状、大きさ……。

 私はそのラウンドカットの宝石のような木片を、鷹の左目にそっと充てがう。


 ──カチリ。

 小さな音がした。


 その直後、部屋の奥で「カコン」と木板が外れるような音が響いた。


「お、おぉ……」


 声が漏れた。背筋に電流が走るような感覚。フィクションでは見飽きた仕掛けが、現実に目の前で作動している。オタクは今、感動しているぞ……。


 音がした辺りへ身を乗り出す。

 壁に嵌め込まれた飾り板の一部が、わずかにずれていた。溝が走り、隙間ができている。

 私は慎重に指を差し込み、板を横に滑らせる。ごとりと乾いた音。隙間の奥から、冷たい空気がふわりと流れてきた。


 現れたのは、ほんの二十センチ半ば四方ほどの隙間。

 光が差し込まない空間に、小さな金庫が置かれていた。


「……いいもんあるじゃぁん」



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