31 浄化なし、通販あり
「おそらく、父上が行なった聖女召喚の術は失敗しているんだ」
「……ほう?」
エウジェニオの口から飛び出した言葉に、思わず私は眉を上げてしまった。エウジェニオは、机の上に肘を置き、指先で軽く顎を支えながら続けた。
「術が記された書の内容は、父上が確保しているせいで確認できていないが……。どうやら、正式な召喚にはアレ一冊では情報が足りていないらしい。それを父上が知っていたかどうかはわからなかったが……」
なるほど。私は心の中で合点した。
浄化の力だの不老不死だのはさておき、私があの不毛の森にいきなりポツンと現れたのも、その辺りの事情が絡んでいるのかもしれない。
あるいは、この謎のインターネットスキルも。
本来なら完全に断ち切られるはずだった現代との繋がりが、不完全な召喚のせいで一部だけ残ってしまった……とかが原因だったりするのかも?
エウジェニオは苦笑混じりに言葉を続ける。
「父上の傍に"聖女"と思しき人物は現れず、半年前からずっと機嫌が悪かったんだよね。それで、とうとう叔父上に手を伸ばし始めて……」
──結果として起きたのが、あの襲撃だった、と。
聖女を手中に収め、不老不死さえ手に入れば、王座に座り続けることもできる。そんな青写真を描いていたのだろう。
が、召喚は失敗。実際には聖女は現れず、やがて焦りだけが募り、次善策として邪魔者を本格的に排除する方向にシフトした……というわけだ。
エウジェニオは小さく息を吐き、肩を竦めた。
「仕事を回したり、あの手この手で気を逸らしていたんだけど、結局防ぎきれなかったよ。申し訳ない」
「いえ、殿下が謝罪なさるようなことでは……。俺の方こそ、もっとやれることはあったはず。不徳の致すところです」
「そうかなぁ」
「そうかしら」
男性陣が自省の念に駆られている横で、私とルクレツィアは「何しても結局時間の問題だっただけじゃね?」と顔を合わせた。
「で、あかり殿……」
エウジェニオが真剣な顔で私を見つめる。
「浄化の力はないらしいけれど、他に何か、特別な力はあるのかい?」
一瞬、言葉に詰まった。
迷う。ここで話すべきかどうか。知られたらどうなるのか、少し不安になる。
けれど、まぁいいか、と肩の力を抜いた。秘密も秘密だけど、もう半ばばれている気もするし……。
「……えっと、簡単に言うと、元の世界の情報を閲覧できて、物を買うこともできるスキルです」
「世界の情報……。なるほど、それは……確かに"特別な力"と呼べるな」
警戒したような、しかし納得も混じった声。
「その力で売り出したのがシャンプーなあたり、こちらへの配慮を感じるね」
「下手な混乱は呼びたくないので……」
「賢明で助かるよ」
カーテンの裏で陽が昇り始め、東の空がゆるやかに白み始めていた。重たい空気に包まれていた密談の部屋にも、次第に柔らかな光が忍び込み、夜の支配が解けていく。
廊下の外からは、使用人たちが動き始める気配が伝わってきた。掃除用具が運ばれる音、食堂に向かう足音。城が目を覚まし、日常の営みを取り戻していく。
カーテンの隙間からは淡い朝日が差し込み、長い夜が終わろうとしていることを告げていた。
まだこの部屋の周囲は人払いされ、見張りも置かれているようだが、それもそう長くは保たない。そろそろ密談の時間も終わりが近い。
ルクレツィアが窓に目をやり、低く呟いた。
「……長くは話せませんわね」
「そうだね」
エウジェニオが頷く。
「それに、父上の目は至る所にある。無論ここは安全を確保しているが、完全に油断できる場所など存在しない」
ルクレツィアが組んでいた手をほどき、椅子の背にもたれかかる。青のドレスに刺繍された金糸が、差し込む光を受けてきらめいた。彼女はあくまで落ち着いた声音で続ける。
「つまりはこれから先、あかりが狙われる可能性がある、ということですわね?」
「え〜、でも、顔バレはしてないと思うんですけど……」
私は思わず口を尖らせた。
森での襲撃の際も、レオナルドが私を庇ってくれたおかげで敵に見つからないまま脱出できた。レオナルドに協力者がいることは伝わってしまっただろうが、それが私だとまではわからないはずだ。
「私は目立たない限りは自由の身だと思いますよ」
そう宣言しながら、心の奥にむくむくと湧き上がる欲望を抑えきれなかった。
「ところで反物とか着物とか今出してもいいですか? もう身バレしたからいいよね!?」
「まぁ! 例の和柄の生地ね! 見せてちょうだい!」
ルクレツィアがぱっと身を乗り出した。目がきらきらと輝いている。完全に女子会モードだ。
私も勢いに任せて立ち上がる。が、それを制止する声が飛んだ。エウジェニオが苦笑混じりに手を上げた。
「こらこら、まだ話は終わってないよ」
「殿下、手短に済ませてくださいまし」
「はいはい。あかり殿」
観念したように、エウジェニオが私を見据えた。
「権力や名誉に興味は?」
「ないです!」
「富には?」
「あります! 元の世界の商品を小出しにして値を吊り上げて稼ぎたいです!」
その場にいる全員が一瞬黙った。空気が一拍ずれる。
「……僕のことどう思う?」
「イケメンだと思う! でもレオナルドくんの方が好み!」
「よろしい。行っていいよ」
「行きますわよあかり!」
「わん!」
ノリよく返した私とルクレツィアは、レオナルドの「どこがよろしいんです??」という困惑の声を背に、私は小躍りしながらテーブルから離れた。
「すぐに私の部屋からデザイン画を持ってきてちょうだい!」
「あ、トルソーありますか? なかったら自分で出す……あ、まって衣桁欲しいな。この辺ガッとスペース作っていいですか?」
陽の光が差し込み始めた窓辺の近くで、私とルクレツィアはさっそく騒ぎ始めた。廊下の外で動き出していた使用人たちも、私たちの様子に気づき、そろりと近づいてくる。私は彼らに事情を説明し、スペースの確保や備品の移動をお願いする。皆、手際よく動いてくれるあたり、さすが一流の使用人だ。
背後からは「朝ごはんまでに済ませるんだよー」とエウジェニオの投げやりな声。
叔父甥の二人はそのまま真面目そうな話を続けているらしい。私とルクレツィアは完全に別ルートを歩んでいた。
私は脳内ウィンドウでブックマークしていた反物を購入し床にずらっと並べ、ルクレツィアと鑑賞会を始めた。あれもいい、これも素敵、と声が重なる。
結局、私はタブレットを取り出し、通販サイトを起動した。指先で画面を滑らせ、反物の画像を次々と表示させる。
色鮮やかな絹地、季節ごとに合わせた花模様、無地の地味なものから金銀の箔を散らした豪華なものまで。ルクレツィアは目を見張り、宝石を見つけた子どものように身を乗り出した。
私、フリルとかレースとか好きなタイプのオタク。王侯貴族が主役の縦読み漫画とか、ドレス描写が凄くて大好き。ずっとルクレツィアにも見せたかったのだ。とうとう叶いそうでワクワクである。
だが今はひとまず和物。私がトルソーを呼び出すと、部屋の中央に人型のマネキンが現れた。私はさらに衣桁を設置し、反物と着物を広げて掛けていく。
光沢を帯びた絹布が陽光を浴びてきらりと輝き、部屋は一瞬で華やかな工房に早変わり。
二人してタブレットを覗き込み、布を選び、柄を比べ、動画を見ながら着付け教室をし始める。帯の結び方を真似してトルソーに巻きつけては笑い合った。
気づけば外はすっかり朝日が昇り、鳥のさえずりが賑やかに響いている。
真面目そうな話を続けている叔父甥の二人をよそに、こちらは完全に女子会と化していた。
ルクレツィアはうっとりと布を撫でた。その横顔を見て、私は思わず笑ってしまう。
さっきまで王位継承やら陰謀やらと重たい話をしていたのに、この切り替えの早さ。
でも、その軽やかさに救われているのはきっと私の方だ。




