27 舞い踊る会話と紙吹雪
ルクレツィアとあかりは、この数日の間で随分と距離が縮まったらしい。
片や社交界の華、片や異世界からやって来た自由人。最初こそあかりは間合いを保っていたが、今ではまるで長年の友人のようだ。今では俺が見ていないところでも、頻繁にお茶の席を共にしているらしい。
執事や侍女の報告を耳にすれば、会話の大半は美容やファッション関連で盛り上がっているそうだ。あかりはあまり服装に関心はないのかと思っていたし、最初の一、二回は気を遣って合わせているのかと思っていたが、違った。あれは本気で盛り上がっている。
……まさに、今のように。
「布の造花は野暮ったくなりがちで……」
「つまみ細工という工芸品がございまして……」
「まぁ、色々と応用が効きそうで……」
「和柄という紋様と花柄のテキスタイルが──」
「写実的でなく図案のような表現ですわね。映えそうな植物が──」
「この部分は、わざと余白を作って」
「じゃあそこに差し色を入れると」
「快い配色パターンというものがあり」
「伝統的なドレスの型は」
「和ドレス!」
「流行!」
二人の間で飛び交う単語の速度が、尋常じゃない。
俺は彼女たちの向かいのソファに腰掛けながら眺めていた。二人とも、俺の存在なんかすっかり忘れているらしい。
延々と続く「これはどうかしら」「この色もいいですね」「じゃあ柄はこうして」の応酬。頭の中にドレスの完成図が同時に三つは走っていそうな勢いだ。
お互いの声にかぶせるように言葉が次々と重なり、話題は右から左へ、左から上へ、立体的に飛び跳ねる。まるで一瞬でも黙れば置いていかれると思っているのか、息継ぎもろくにせず喋っている。
テーブルの上には紙が散乱していた。
初めはルクレツィアが持ち出してきた数枚のデザイン画と、白紙のメモ用紙数枚──それだけだったはずだ。それがいつの間にか、家具の上や床にまで白い紙が広がり、どの紙にも何かしらの線や色が塗り込まれている。
パステルの試し塗り、花のスケッチ、布地のパターン模様の図案、さらには「こういう袖の形」という簡略な人体デッサンまで。
線は勢いよく、時に乱雑に引かれているが、不思議とそれぞれの紙からは熱量が伝わってきた。紙の端は二人が引っ張ったり見せ合ったりするうちに少しくしゃくしゃになっている。
あかりの手には銀色のペンホルダーが握られていて、その動きは軽やかだ。手元の紙に細かい注釈を書き込みながら時々サラサラとイラストを添える。
ふと、ルクレツィアが何かを思いついたらしく、侍女に指示して別室から数冊の布見本帳と、刺繍糸の束を持ってこさせる。
その熱気に引き寄せられるように、壁際で控えていた侍女たちが少しずつ前へとにじり寄ってきた。最初は遠巻きに様子を窺っていたが、気づけばルクレツィアとあかりの周りを半円状に取り囲み、肩越しに紙を覗き込んでいる。誰も口を挟まないが、その目は明らかに輝いていた。
やがて、ルクレツィアが立てた声を合図に、あかりも負けじと身を乗り出す。
言葉が重なり、互いの発想が反響し、テーブルの上だけでなく周囲の空間までもが賑やかに色づくような感覚さえする。
その時、風が窓から入り込み、軽い紙片をふわりと宙へ舞い上げた。
ルクレツィアの描いたドレスの正面図が一枚、あかりの手元からは花びらの配色パターンを描いたメモが二枚。
舞い上がった紙は、まるで蝶のように二人の間をひらひらと飛び交い、床に落ちていく。
「あっ」
「これは……」
二人が同時に拾い上げるが、その手は止まらない。すぐさま新しい紙を取り出して、さらに描き足す。
俺は小さくため息をつき、視線を時計にやった。かれこれ一時間以上、この熱気の中にいる。
最初は微笑ましく見ていたが、そろそろ一息入れないと、このまま夜まで続きそうな勢いだ。
不意に、侃々諤々と続いていた議論がぴたりと止まった。
どうやら、二人とも同じ瞬間に手を止め、紙面を見つめて息を整えているらしい。
絶妙な沈黙のタイミングを見計らって、俺は口を開く。
「……そろそろ休憩を挟んでは」
ぱちり、と同時に振り返った二人の顔は、興奮でほんのり紅に染まっていた。
息はやや上がり、瞳は宝石のようにきらきらしている。
その視線がまっすぐ俺に向けられ──そして、声が揃った。
「たのしい……」
「たのしいわ……」
同時に吐き出された感想に、俺は少し肩の力を抜いて笑う。
「……それは何より」
明くる日の朝。俺とルクレツィアが食堂で二人きりになる。
ここへ来る前にあかりにも声をかけたが、彼女の髪を結いたいという侍女に捕まっていたあかりに、先に行ってくれと言われてしまった。
俺は彼女に視線を向ける。この機会を逃すと、聞けないだろうと思った。
「……貴女は何故、ここまでしてくれるのでしょう」
問いは淡々と口から出た。言葉にしてしまえば、単純な疑問だ。
あかりを気に入っているにしても、俺の事情は一介の商人が持ち込んだ厄介事にしては余りに重い。俺を切り離し、あかりだけを保護することも選択肢にあったはずだ。
それでも彼女は、あかりごと俺に協力する道を選んだ。
ルクレツィアは、一瞬目を瞬かせ、それから唇にかすかな笑みを浮かべた。だがその笑みは、社交の場で見せる飾られたものではなかった。
「……私、自分磨きが好きなのです」
その言葉に、思わず小さく頷いてしまう。知っている。
俺は貴族社会について、半ば意図的に距離を置いていた。それでも耳には色々と入ってくる。彼女の『美容狂い』とまで呼ばれる評判も、その一つだった。
「勉学、マナー、芸術、乗馬……学べることはいくらでもあります。幸い、私は公爵令嬢として、最上に近い教育を受けることが出来た。……けれど、それでも限界というものはあります」
カップを持つ手がわずかに揺れ、その瞳が一瞬遠くを見る。
……王子殿下にはまだ婚約者がいない。
王子妃、王太子妃、そしていずれは王妃ともなれば、王城で専用の教育を受けなければならない。礼法、政務の補佐、外交の場での立ち居振る舞い、王族としての矜持──。
しかし、彼女はその立場にない。
「美容に力を入れるのは楽しいわ。成果が直接自分の利益になりますし」
そう言って、彼女は自分の髪にそっと触れた。窓から射し込む陽光が、緩やかなカーブを纏う一本一本の髪に小さな輝きを宿す。
……俺が剣を振っている間は無心でいられたように、彼女が自身を磨いている時間は、慰めでもあったのだろう。
「……私のこの髪、半年ほど前はひどいものだったのですよ」
彼女はゆっくりと髪を指で梳きながら続けた。
「丁寧に洗って、丹念に香油を梳かして。それでも朝になると、また時間をかけて手入れして、どうにもならなかった部分は編み込んだり結い上げたり……侍女たちには随分と手間をかけさせましたわ」
少しだけ、懐かしむような笑みを見せる。その語り口に、過ぎ去った努力の日々への苦笑と誇らしさが入り混じっているのがわかった。
「けれど、今はもう。気分次第で好きに髪型を選べるようになりました。あかりのおかげよ。……ふふ、殿方にはわからないかしら」
……いや。
俺は小さく息を吐く。
自分とは遠い場所、どうにもならない理由で、どうにも出来ないことに対して、それでもどうにか自分に出来る努力を重ねる──その気持ちは、理解できないことではない。
俺はただの平民で、ただの騎士だ。
けれど、彼女は公爵令嬢。生まれからして求められる水準が違う。努力するのは当たり前。優れているのも当たり前。……何かひとつでも劣っていれば、それを理由に批判される。
殿下の婚約者として妥当なのは、誰がどう見てもルクレツィアだ。
だが、その婚約が決まらないことに対して、こういう者もいる。
──「ヴァレスティ公爵令嬢が至らないから、決まらないのだ」と。
もしそれが本当に正しいのなら、とっくに"彼女より優れた令嬢"が選ばれているはずだ。ただ足を引っ張りたいだけの戯言にすぎない。だが、彼女が身を置く場所は、そういう戯言が日常的に飛び交う世界だ。
そんな場所で生きている時。誰にも弱さを見せまいと必死に戦っている時。
力になってくれる者が現れたら──それがどれほどの救いになるのか、俺にはよくわかる。
最早、ただの"目をかけた商人"ではない。
あかりが口にした頼み事だからこそ、なのだろう。
ルクレツィアは静かに微笑んでいた。
窓の外では、庭園の薔薇が揺れている。
沈黙は不思議と居心地が悪くなかった。彼女の整った横顔を見ながら、俺は静かに茶を口に運んだ。
殿下がヴァレスティ領へ視察に来る日が決まったと、ルクレツィアから知らされたのは昼食後すぐのことだった。
客間の大きな窓からは、初秋の陽が低く差し込み、琥珀色の光がカーペットの模様を柔らかく照らしている。外の庭では、色褪せ始めた木の葉が、時折吹き抜ける冷たい風にさらさらと揺れていた。
「三日後……って早くない?」
あかりの瞳には驚きと、ほんの少しの不安が混ざっている。
「最短だな。往々にして三日から十日で通達される」
「いや、そういう制度的な話じゃなくて……王族をお迎えするんでしょ? 準備とか色々……お花飾ったり、豪華なご飯作ったり、お掃除隊総出でやったり……三日じゃ絶対間に合わなくない? 嫌がらせでは?」
この人は、時々本当に遠慮なく核心を突く。言葉に棘はないが、正面から切り込む鋭さは容赦がない。
「凡その時期は既に知らされているから、ある程度の準備はしてあるはずだ。その上で、日数によって歓待の規模を指定されるんだ。三日は『特に何もしなくていい、気にするな』という日程だな」
「え、それって逆に感じ悪くない?」
「嫌がらせの場合もある」
「えっ……」
あかりの声は、まるで子どもが本当に意外な事実を聞いた時のように真っ直ぐで、思わずこちらの口元が緩む。
「その場合は、馬車いっぱいの贈り物が届く」
「……なんで?」
「表向きには『急な訪問に対するお詫びの品』だ。だがその意味は、『お前の準備は信用できないから何もするな』」
「あー……なるほど……」
「安心していい。今回の通達は手紙のみだ。信頼と親しさの表れ、という解釈でいい」
口ではそう言いながらも、俺は心の奥で別の意味も読み取っていた。
今回の殿下の動きは、相応の立場でありながら婚約者に選ばれないルクレツィアの立場を保証する行為でもある。
しかしあまりルクレツィアと親しくする様を露骨にアピールするのは危険だ。国王の気に障る可能性がある。だが、王家の人間としてヴァレスティ公爵家を尊重する姿勢は必要。その境界、ギリギリの振る舞いだろう。
「……もしさ、王子が協力してくれなさそうだったらどうする?」
軽い口調で放たれた問いだったが、そこに含まれた意味は決して軽くはなかった。
あかりは、何気ない顔で切り込んでくる。だが、その奥に「逃げ場の確認」という現実的な感覚が潜んでいる。
「……業腹だが、国を出るしかないな」
「だよね〜……」
彼女は肩をすくめ、あっさりと肯定する。言い方は軽いが、その響きには迷いがない。
殿下の力を借りるのは、唯一にして、最後の手段でもある。国王にも、次代である殿下にも、己の存在を不要とされるのであれば──生き延びるためには、選択の余地は少ない。
あかりは窓辺に視線をやり、外の冷たい陽光を見ながらあかりが小さく息を吐き、笑った。
「まぁ、通販スキルがあればどこでも住めるからいいけどさ。でも、できれば治安がいい国がいいな〜」
「…………」
無言になったのは、少しの間、言葉を選んでいたからだ。
けれども、それを不審に思ったのか、彼女はこちらを振り向き、小首をかしげて覗き込んできた。
「え? なに?」
「いや——」
ふっと口元が緩んだ。理由は単純だ。
当然のように「一緒に来る」つもりらしい。
この立場、この状況において、本来なら自分の身の安全や今後の暮らしを最優先に考えるべき彼女が――迷いなく、私と共に行く未来を前提としている。
「……『面倒ごとは自分でなんとかしろ』と言っていたが、ここまで来れたのは君のおかげだ」
「えっ、私そんなこと言った? 言ってそう〜。私なら絶対言うから言ってるわ」
「言ったぞ。会ったばかりの頃に」
あかりは冗談めかして「そっかー、じゃあ感謝しといて」と笑った。
外では風が木々を揺らしている。枝葉の擦れ合う音が、遠くで寄せては返す波のように続く。
三日後、その風景の中に、王族を乗せた馬車がやってくるのだ。




