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異世界来たけどネットは繋がるし通販もできるから悠々自適な引きこもり生活ができるはず  作者: 星 羽芽


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24/50

24 閉ざされた扉の横にあった勝手口



「私が王城に上がるのは、あまりいい顔をされないの」


 ルクレツィアは緩やかに笑み、淡々とそう告げた。声音は柔らかい。けれど、その裏にある意味は決して軽くない。


 それはまるで既視感(デジャヴ)のように私の耳に響いた。ほんの数日前、レオナルドが口にしたのと、ほとんど同じ台詞だ。

 まるで響きが重なって、胸の奥がひやりとする


「しかし、ルクレツィア様は……」


 思わず言葉を継ぎ足していた。

 ヴァレスティ公爵家は、今この国で最も力のある公爵家だと囁かれており、その存在感は他の名家を圧している。

 現当主である公爵閣下は定番の宰相……ではなく、財務大臣を務めているそうだ。それでも、その地位の高さと影響力は、財政を握るという意味では国の心臓部に近い。

 ましてやその公爵家の令嬢であるルクレツィアが「いい顔をされない」とは……。


 ルクレツィアは軽く頷き、紅茶のカップに指を添えたまま、視線を落として微かに笑んだ。


「えぇ。私の父は財務大臣として王都の屋敷に居を構え、城で仕事をしています。何かあれば、父から奏上すれば良いこと。……それ以外の"些細な用事"で足を踏み入れることは良しとされません」


 その言葉に私は小さく眉を寄せた。"些細な用事"。その一言に、わずかな棘があった。

 おそらく、彼女にとって「殿下との面会」は、私が考えていたほど簡単に正当化できるものではないのだろう。

 つまり彼女は、権威も血統もありながら、王城で自由に振る舞える立場ではないということだ。


 いや、正確には──王がそれを望んでいないのだ。


 ルクレツィアは王都ではなくこの領都の屋敷で暮らしている。ただ王都とそう距離が離れているわけではないから、深い理由はないと思っていたのだが……。


「陛下は、殿下の後ろ盾に、ヴァレスティ公爵家では力不足とお考えなの」


 ルクレツィアは、まるで他人事のように淡々と言った。だが、その瞳の奥にはわずかな影が差している。さらりと口にした言葉は、軽い調子を装っているのに、内包する意味は重い。

 私は口を噤みかけ、それでも踏み込むように言った。


「……王子殿下はまだ、ご婚約者が決まっておられないそうですね」


 私はあえて視線を合わせながら問うた。この件は、今の話と無関係ではない。


 力不足──それは事実ではない。少なくとも、客観的な家格、財政力の面では、ヴァレスティ公爵家は十分に後ろ盾たり得る。世間で最も力のある公爵家と称される家門に向ける言葉としては、あまりに皮肉だ。


「えぇ。近隣国の情勢も踏まえ、慎重にお選びになられているわ」


 その言葉に、私は心の中で小さく息をついた。

 近隣国云々──それは方便だ。表向きの理由に過ぎない。既に王女が国外に輿入れしている現状を考えれば、王子は国内から妃を迎えるのが自然な流れだ。

 ヴァレスティ家への訪問に際して話し合った時、レオナルドにも同じ問いを投げかけた。彼は迷いなく頷き、「その方が妥当だ」と同意していた。


 十七歳になる王子に婚約者がいないというのは、決して通常のことではない。

 この国の貴族社会において、王族の婚約は十代前半から進められる。時には幼少期から縁談が水面下で固まっていることさえある。

 それなのに、いまだ決まっていない──それはつまり、国内の誰が選ばれるのか、全員が息を潜めて待っている状態なのだ。


 ルクレツィアは現在十六歳。年齢的にも、家格的にも申し分ない。

 公爵令嬢としての品位、美貌、教養、そのどれを取っても欠けるところはない。むしろ、王子妃候補としては最上位に近い位置にあるはずだ。


 この国の貴族の子女は、十八歳で学園を卒業すると成人とみなされる。

 それを過ぎれば、婚約の決まっていない令嬢は「選に漏れた」と見なされることが多い。


 けれど、今は様相が違う。

 ルクレツィアの世代のご令嬢たちは、例外的に婚約者が決まっていない家が多いらしい。理由は簡単。王子の婚約者が決まらない限り、令嬢たちは「選ばれる可能性」を保持しているからだ。


 立太子こそしていないものの、実質的に王の後継であると認識されている王子の婚約者。

 選ばれる可能性がある家々は、娘の縁談をあえて保留し、機会を待っている。


 もちろん、すでに王子の花嫁候補から外れている家も存在する。

 家格が明らかにそぐわない家門、早々に見切りをつけ別の政略を優先した家──そういったところは早々に別の縁談を進めている。

 しかし、ヴァレスティ公爵家は、そのどちらにも当てはまらない。ルクレツィアは確実に、その「可能性を持つ側」の筆頭にいる。


 だからこそ、彼女が王城に足を踏み入れることが「些細な用事では許されない」というのは、単なる儀礼的制限ではない。

 それは、彼女自身の立場があまりにも重要で、動き一つで周囲に波紋を広げてしまうからだ。

 もしも、彼女が王子と接触したというだけで、それは即座に「縁談が動き出した」との噂になる。

 噂は瞬く間に広がり、他の候補者やその家門にまで影響を及ぼす。

 そして、そうした影響は、()()にとって、時に都合の悪いものである。


 ──つまり、ヴァレスティ公爵家の影響力が、王子を押し上げることを阻んでいる。


 ……彼女に贈るものを選ぶ際、レオナルドや街の人に聞き込みをした。

 ルクレツィアの髪と瞳の色は勿論。彼女の好きな色。よく着るドレス、身につける宝石の色。

 彼女は、黄色や青色のドレスを好んでいるそうだ。


 私は彼女を見つめながら、静かに理解した。

 ルクレツィアは、たとえ表に出さずとも、自らの立場と限界を正確に理解している。

 この現実の中で、私の頼みを叶えることは難しいのだと、はっきりとわかってしまった。


 ルクレツィアは紅茶を口にし、わずかにカップを置く音が響いた。その仕草は、まるで会話に一区切りをつけるようだった。

 一度細く吐息を吐いたあと、グラスの縁にそっと指を添えた。昼下がりの柔らかな光がカーテンの隙間から差し込み、紅茶の表面を金色に照らしている。


「もうすぐ休暇が明けて学園も再開するけれど、男女で校舎は分かれているし、学園内で接触しようとすれば人目を引くわ」

「そうですか……」


 彼女の声は理路整然としていて、同時に淡々と現実を突きつける冷たさも含んでいた。


 学園での接触が難しいというのは、つまり日常的に王子と会話する機会がほぼない、ということだ。そう断言されてしまえば、うっすら抱いていた淡い期待は、霧のように掻き消えていった。

 正攻法では到底近づけない。彼女の口からはっきりと聞かされると、胸の奥に重い石が置かれたような感覚が広がる。

 私は思わず視線を落とす。思っていた以上に接触のハードルは高い。


 貴族社会特有の、誰が誰とどこで話したかが即座に広まる噂網。想像しただけで、軽率な行動がどれだけ足を引っ張るかは明らかだった。彼女の事情も知らず、軽率に願ったことを申し訳なく思う。


 そんな私を見て、ルクレツィアの口元にふっと笑みが浮かんだ。


「けれど──あなた方は運がいいわ」

「え?」


 ぱちり、と瞬きした私の耳に、少し愉快そうな声音が落ちる。

 彼女は少し身を引き、背筋をまっすぐに伸ばした。


「私が王城に上がることも、学園で接触することも難しいわ。だけど近々、殿下が我ヴァレスティ領へ視察にいらっしゃる予定なの」

「……えっ!」


 声が裏返り、レオナルドもわずかに目を見開く。

 あまりに予想外の朗報だった。王子自らが領地へ来る──それも、彼女の領地に。


「殿下はここ数年、精力的に国内を回っていらっしゃるの」


 ルクレツィアは淡々と説明を続ける。

 その言葉で、私はレオナルドから教わった王子の行動履歴を思い出す。各地を巡っている記述がいくつもあった。祭礼や祝典といった公式行事だけでなく、商業都市や農村まで。


「監査ではなく視察ですから、ある程度の時期は事前に知らされます。そしてこの学園の休暇中に我が領へお見えになる予定で……まだいらっしゃっていないわ」


 ルクレツィアの声が、妙に鮮明に耳に残った。

 つまり、私たちにはまだ間に合うということだ。


「恐らく、そろそろ日程について通達があるはずよ」

「で、では……」


 彼女はさらりと言ったが、それがどれほどの機会であるかは、私の胸を強く打っていた。

 私は言葉を繋ぎながら、手の中の指先がじんわりと温まるのを感じた。胸の奥がざわつく。この情報は、まさに渡りに船だった。もしこれが実現すれば、レオナルドを殿下に会わせるという目的に、一歩、いや数歩近づける。


「えぇ、あかり。是非我が家へ滞在していらして」


 その声色は、まるで「当然でしょう?」とでも言うような穏やかさを含んでいた。

 彼女はそう言って、ちらりと私の背後──無言で控えるレオナルドに視線を送った。


「従者の方と共に、ね」


 レオナルドはわずかに背筋を正し、無言の礼で応じた。

 彼もこの条件には異論を挟むはずがない。むしろレオナルドが最も避けたいのは、王城での監禁や不意の拘束だ。その危険を限りなく減らせるこの提案は、願ってもないものだろう。


 王城という高い壁を迂回し、しかも自然な形で接触できる。王城へ乗り込むよりも遥かにローリスクだ。そう、頭の中で即座に計算が走る。

 王城は閉ざされた空間。入ることも出ることも難しく、監視の目は常にある。そこではこちらの行動はほぼ制限され、自由はないだろう。

 しかし、"視察先のヴァレスティ領"であれば。


「……本当に、よろしいのですか」


 声を落として問うと、自分の指先がわずかに膝の上で固くなっているのに気づく。

 場の空気は落ち着いているはずなのに、心臓の鼓動だけが少し速い。


「こういうことはタイミングがすべてよ。殿下が領地を訪れるなど、そう頻繁にあることじゃない」


 彼女は涼しい顔で言うが、その言葉の奥に「今を逃せば二度とないかもしれない」という警告が透けて見える。

 私は無意識に唇を噛み、深く頭を下げた。


「感謝いたします、ルクレツィア様」


 彼女は、かすかに首を振った。動作は柔らかいのに、その仕草の中に妙な芯の強さがある。


「感謝するのは、まだ早いわ。……殿下に会えたとして、そこで何をどう話すのか。それはあなた方次第」


 その声音には、甘やかすような優しさと、試すような鋭さが同居している。

 私は胸の奥で固く頷き、その言葉を刻み込んだ。



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