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異世界来たけどネットは繋がるし通販もできるから悠々自適な引きこもり生活ができるはず  作者: 星 羽芽


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23/50

23 ルート発見、ただし難易度ハード



 ルクレツィアの一言が、まるで水面に石を投げ込んだように空気を波立たせた。

 その場の重心が彼女の視線の先へとゆっくり移動していく。


 その熱でも冷たさでもない、しかし芯の通った眼差しを受けて、背後のレオナルドがゆっくりと動いたのが気配で分かる。

 レオナルドは静かに一歩前へと進み出る。その動作には無駄がなく、軍人としての鍛えられた所作が宿っている。けれどその目元はどこか険しさを含んでいた。彼は静かに眼鏡を外し、深く一礼する。


「このような形で御前に立つことをお許しください」


 低く、落ち着いた声。だが私には、その奥に張り詰めた緊張と覚悟が確かに感じ取れた。

 ルクレツィアはそんな彼をしばし無言で見つめた後、わずかに頷いた。


「いいでしょう。……貴方が少し前から行方知れずであることは耳に入っておりました。事情がおありなのでしょう」


 あまりにあっさりと、しかし逃げ場を与えぬ口調。

 行方知れずという言葉を、彼女は何のためらいもなく使った。レオナルドが森で倒れてから一ヶ月以上経つ。既に王城の周辺に限らず、街でも噂は広まっているのかもしれない。


 しかし──。

 レオナルドとルクレツィアの間を視線で一巡した私は、思わず問いを口にした。


「……お二人は面識が?」


 レオナルドからは何も聞いていない。遠目で見たことがある程度で、言葉を交わしたことはないと言っていた。だからこそ、この場に連れてきたのに。

 ルクレツィアが国王の蛮行に対してどう判断を下すか不明な以上、彼女の前に立たせるのは賭けのようなものだった。もし彼女が国王側に立つ人物なら──この場に連れてきたこと自体が愚行になる。そんな危うさを孕んでいる。知り合いだと聞いていれば宿で留守番させるつもりだった。


 ルクレツィアは私の問いを受け、柔らかな笑みを浮かべた。


「我が国の主要な人物の顔と名前くらいは把握しておりますもの。実力者揃いの第三騎士団の副団長ともなれば」


 なるほど……と私は心の中で呟いて頷いた。

 直接会ったことはなくとも、その存在はとうの昔に認識されていた、ということだ。むしろ、ルクレツィアの立場からすれば当然のこととも思えた。何故思い至らなかったのか……。少しばかり後悔に沈む。

 レオナルドは背筋を伸ばしたまま、目を逸らすことなくルクレツィアを見返していた。


「しかし、こうして無事なお姿を拝見できて何よりですわ」


 その声色はさきほどより柔らかく、わずかに女性らしい温度を帯びている。だが、それが本心からかどうかは、私にはわからなかった。


「……お言葉、痛み入ります」


 レオナルドは簡潔にそう述べたが、その言葉の裏には警戒と敬意が同居しているように感じられた。

 ルクレツィアは細い指を頬から離し、軽く手を振る。


 私は喉が渇くのを感じながらも、口を挟むべきではないと悟った。ここは、二人の間に流れる空気を邪魔してはいけない。

 ルクレツィアは椅子の背にもたれ、レオナルドを値踏みするような目で見つめ続ける。その視線は、まるで宝石の価値を見極める鑑定士のように冷静かつ精緻だった。


「二人の間で何があったのかは存じ上げませんが、あかりの背後に立つにはこれ以上ない護衛でしょう」

「過分なお言葉です」


 レオナルドの返答は短く、しかし揺るぎない。無駄に飾らないところが彼らしい。

 そのやり取りを見ながら、私は内心で息を吐く。この二人の間には、互いを認めつつも、どこか探り合うような独特の緊張感が漂っていた。


 ルクレツィアは視線を私に戻し、意味深な笑みを浮かべた。


「さて……あかり。貴女がこの方を連れてきたのは、単なる護衛という理由だけではないのでしょう?」


 その問いに、私は思わず背筋を伸ばした。やはり彼女には既に見透かされている。今回の訪問の裏にある事情を。


 その時、部屋の奥で控えていた執事が静かに紅茶を注ぎ足した。

 琥珀色の液面が揺れ、ふわりと立ちのぼる香りが張り詰めた空気を少しだけ和らげる。だが、その安らぎは表面だけのものだった。この場の空気は依然として張り詰めたままだ。


 ルクレツィアはカップを手に取り、一口含む。紅い唇が軽くカップの縁から離れ、琥珀色の紅茶が光を受けてきらめき、その香りが部屋にやわらかく満ちる。


 ルクレツィアの薔薇色の瞳が、私をまっすぐに射抜いた。その視線に促されるように、私は口を開く。

 ──隠すべきか、話すべきか。胸の奥で一瞬だけ迷いが揺らめく。けれど、ここで中途半端なことを言っても、彼女相手には意味がない。ここで迷えばすべてが水泡に帰す。そう悟って、私は静かに息を整えた。


「……レオナルドは行方知れずとなる一ヶ月と少し前──襲撃を受けたのです」


 室内に流れる空気が、すっと引き締まる。

 ルクレツィアは驚いた素振りを見せなかった。


 背後に控えていたレオナルドが、黙って私の言葉を聞いていた。彼自身の口から説明することもできたが、それを任されたのは私だ。


 続けざまに私は、事の経緯を包み隠さず話し始めた。

 レオナルドが突如として何者かに襲われ、瀕死に近い状態でさまよっていたところを、たまたま私が隠れ住む拠点の一つで保護したこと。

 そこで応急処置を施し、しばらく休ませていたが──再び襲撃者が現れ、命からがら二人で逃げ出したこと。

 私の言葉は、できる限り淡々とした調子を装っていたが、指先は気づかぬうちに膝の上で強く握りしめられていた。


 ルクレツィアは黙って聞いていた。時折カップを傾けるだけで、合いの手ひとつ挟まない。

 紅茶の香りの中に、妙に冷ややかな緊張感が溶けていた。


「──そして、」


 私は視線を正面に据え、覚悟を決めた。


「レオナルドは王子殿下と既知の間柄です。一度、お目通り願いたいと考えています」


 ルクレツィアの長い睫毛が、羽のようにゆっくりと瞬く。

 私は胸の奥でぐらつく迷いを押し潰すように、深く息を吸い込んだ。


「恐れながら、ルクレツィア様であれば、王城に上がることもおありでしょう。一言……殿下にお取り次ぎいただくことが許されるのであれば、と」


 その願いは、私にとって賭けだった。

 自分でもわかっていた。これは大きな頼みだ。彼女の立場を利用するような真似でもある。それでも、今はこの道しか見えていなかった。


 与えられた紋章入りのブローチ。彼女の熱狂的な後援。今回の面会は、それらを踏まえて私からレオナルドに提案した案だった。

 とはいえ、こんな直接的な頼み方をする予定ではなかった。あくまで一商人として、王子にお目通りが叶うルートはないか、アドバイスをもらう程度のつもりだったのだ。それくらいであれば、ほぼほぼ可能だろうと思って。


 しかしレオナルドの存在を認知され、事情を明かした今。彼女さえ協力してくれるのであれば、最短の道が開かれる希望がある。


 彼女がどう反応するか次第で、この先の行動はすべて変わる。


 長くも短くもないその時間、私は息を止め、彼女の反応を待つ。レオナルドもまた、軍人らしい直立の姿勢を崩さぬまま、沈黙の中で成り行きを見守っている。

 ルクレツィアの視線が私から逸れ、遠くを見た。少しの沈黙が落ちた後、彼女は低く、しかしはっきりと呟いた。


「……そう。そうですか、そういうこと……」


 彼女の声は感情を抑えているようで、どこか含みがある。

 そして、薄く吐息を漏らすように微笑を消した。そして、ほとんど独り言のように呟いた。


「彼の方にも困ったものね」


 その台詞に、私の胸が僅かにざわめいた。襲撃の主犯が国王だということは、あえて口にしていない。けれど、この一言が出るということは──ルクレツィアは現状を正しく認識しているのだ。いや、それ以上に、彼女は既に背後の事情を把握している可能性すらあった。


 ルクレツィアは指先でカップの取っ手をなぞりながら、ぽつりと呟く。


「であれば、先の商会は別件……いえ、唆された、かしら」


 その言葉には、何か腑に落ちたような響きがあった。

 私には具体的な意味までは読み取れなかったが、どうやら彼女の中でいくつかの点が線として繋がったらしい。


 彼女は紅茶のカップを持ち上げ、琥珀色の液体をゆっくり口に含む。その動作が妙に長く感じられた。まるで、この先の言葉を私に覚悟させるための間のように。

 ルクレツィアは再び、正面から私の目を見た。


「他ならぬあかりの頼みですもの」


 口元に薄く笑みを浮かべながら、彼女はそう言った。その笑みには、私に向けられた柔らかさと、同時に底知れぬ距離感が同居している。

 ──この流れなら、もしかすれば、彼女は願いを受け入れてくれるのではないか。

 私はわずかに身を乗り出す。


「叶えて差し上げたいところですが──それは難しいお願いね」


 その一言は、まるで重い扉をゆっくり閉じる音のように、私の胸に落ちた。

 理由はまだ語られない。だが、その声色は絶対的だった。軽い慰めや社交辞令ではなく、本当に「難しい」と判断している口ぶり。


 私の胸の奥で、焦燥がざわめく。

 それでも、ルクレツィアが即座に拒絶せず、こうして対話を続けている事実が、かろうじて私を支えていた。


 ルクレツィアは私の表情を見つめ、ゆるやかにカップを置いた。


「理由を……お聞きしても?」


私は思わず問うていた。



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