20 面会は突然に
それは、絵本からそのまま抜け出したかのような光景だった。
視線の先にあるのは、陽光を受けて眩しく輝く、まさしく白亜の城だ。
高く伸びた外壁は雪のように白く清らかな白石で構成され、銀の装飾をあしらった尖塔が幾つも空へ向かって伸び、装飾の細やかなガーゴイルがその屋根を飾る。上階のバルコニーには緑の蔦が垂れ、季節の花が鉢に植えられているのが遠目にも見えた。
複雑な曲線と直線が組み合わされた建築様式は、装飾的でありながらもどこか気品と威厳に満ちている。
幾何学模様のレリーフが施された門。その向こうには手入れの行き届いた石畳の庭園と、噴水が涼しげに水を踊らせていた。
門前には槍を構えた兵士が二人、直立不動で並んでいる。彼らの制服は紋章をあしらった紺と白の礼装で姿勢一つ崩さず、その様はさながら絵画のようだ。
物語の中から抜け出したような佇まいを前にして、私は思わず口を開く。
「はぇ〜〜……すっごい“お城”じゃん……」
「城だからな」
「ベタなリアクションしちゃったな……」
言い訳がましく呟いたけれど、いやもう、仕方ない。
現実の“お城”って、こんなにも威圧感と荘厳さを併せ持っているのか。歴史と権威をそのまま建築にしたような空間だ。周囲の街並みが華やかで、柔らかく親しみやすい空気だった分、このコントラストは凄まじい。
「……すご。ほんとに、中世ファンタジーの世界だな」
「君にとっては実際にファンタジーだろう」
レオナルドがわずかに笑う。
思えば和風のお城には何度か行ったことがあるが、西欧のお城はテーマパークぐらいでしか経験がない。プラハとかシュヴェリーンとか、宮殿にも行ってみたかったな……。まぁ現役で主の住むこの世界のお城の方が貴重かも知れないが。
私は深呼吸して、気を取り直す。今日のために少し気合いを入れた装いをしていた。
レトロ調の襟付きワンピースに、ショート丈のジャケットを羽織っている。色味は落ち着いたグレージュで、袖口と裾にさりげない刺繍があしらわれていた。
髪は緩やかに編み込んでまとめ上げ、ガラス細工の花飾りがついたかんざしをひとつ。光を受けて、透明な花弁がきらきらと輝く。華美になりすぎず、でも品はあるように見えるように、鏡の前で何度も調整した。
一方のレオナルドは、変装仕様の黒髪にメガネ姿。軽く整えた前髪の下の瞳は薄く色の入ったカラーレンズで色味を抑えてある。足元もローファー風の落ち着いた革靴で、白いシャツにダークグレーのベストを合わせた落ち着いた従者スタイル。
本職は武人なのに、どこからどう見ても文官の従者にしか見えない。無理して着こなしている風ではなく、自然に馴染んでいるのがまた腹立たしい。"ブツ"の入った金属装飾の施されたトランクを片手に持たせている様子まで含めて、完璧な従者役に仕上がっていた。
というかこの人、変装してるはずなのにやたら目を引くのは何故なんだろう。絶妙に品と威圧感が抜けてない。……本質か。
「手紙、渡したのってどれくらい前だったっけ?」
「二十分と少しだな」
「普通さ、こんな突撃で即“お会いできます”とかないでしょ……」
門前の兵士に話しかけたのは、先ほどのことだ。
もちろん突然訪れて門の前で「会わせてください」と言って会えるはずがない。だからこそ、事前に文面を準備し、宿の名前と滞在期間、そして可能であれば面会を願う旨を丁寧に書いた手紙を、門兵を通じて届けたのだ。
当然、すぐに返事があるとは思っていなかった。今日は一旦これで引き上げて、連絡が来るとしても明日以降、実際に会えるのは更に数日後──そう思っていた。
が。
「お会いになられるそうです!」
帰路を逆走している最中に、追いかけてくる足音。振り返ると、息を切らせた使者が必死に走ってきて、こう言ったのだ。
「ご用件に関して、直接ご確認されたいとのこと。ご滞在中の宿を訪ねる前に、もしまだ付近にいらっしゃれば、すぐにご案内せよとのお言葉を預かっております!」
まさかの当日返答&即面会OKのコンボ。こういうのってもっとこう、何日も待たされるとか、取り次ぎだけで門前払いになるやつじゃなかったっけ?
わんちゃんそのまま面通しあるかも……と可能性を考えて、ちゃんと身なりを整えて来たのは正解だった。
通されたのは、正門ではなく、城の脇にある小さな鉄扉だった。
使者の青年に案内されるまま私たちは石造りの城壁に沿って移動し、蔦の絡まる古びたアーチをくぐる。
そこは、使用人や納品業者などが出入りする通用口だった。大きくはないが、それでも装飾が施された鉄柵と厚い鉄扉で構成されており、単なる“裏口”と呼ぶには格式がある。
「ご案内いたします。こちらへ」
青年が軽く頭を下げ、門兵に合図を送る。鉄製の扉が音もなく開いた。
レオナルドが私の背後に一歩下がり、トランクを抱えたまま静かに後に続く。従者役としての立ち位置を完璧に演じていた。私も、努めて表情を整え、小さく頷く。
通用口をくぐると、そこに広がっていたのは手入れの行き届いた裏庭だった。
先ほど遠目に見えたのと同じく、庭園はきっちりと整えられ、几帳面に刈り込まれた植栽が迷路のように広がっている。整えられた芝生に、石畳の小道がいくつも交差し、その周囲を季節の花々が彩っていた。
表側の華やかな花壇や噴水とは異なり、こちらは落ち着いた色味の低木や薬草が多く、温室がいくつか並んでいるのが見えた。用途別に整然と分けられている様子は、まるで静かな研究施設のようだった。
城の外観に勝るとも劣らぬその美しさに、私は一瞬、時間を忘れそうになる。
庭園の外縁を歩きながら、私たちは青年のあとを静かについていった。
遠くには荷を運ぶ小姓たちや、庭の整備をする使用人の姿があったが、誰一人としてこちらをまじまじと見る者はいない。
時折すれ違う使用人たちは、私たちに一瞥をくれるとすぐに目を伏せ、軽く会釈して通り過ぎていく。その所作には、城に仕える者らしい慣れと礼儀が滲んでいた。
やがて、城壁の一角にある木扉の前で案内の青年が立ち止まり、扉を開ける。
彼は丁寧に一礼し、その場を去った。代わって現れたのは、従者服に身を包んだ一人の老紳士だった。
「ご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
年齢は五十前後だろうか。背筋をぴんと伸ばした、年配の男性。白髪交じりのオールバックに、隙のない身なり。燕尾服に身を包み、眼鏡の奥の眼差しは静かに観察するような色を湛えている。
歩き方一つ取っても無駄がなく、しなやかで、老いを感じさせない。見るからに、城の中でも相応の立場にある使用人──おそらく、執事長のような人物なのだろう。
磨かれた大理石の床には厚手の絨毯が敷かれ、壁には装飾の施された柱が等間隔に並び、柱の間には季節の花が活けられていた。吹き抜けの天井には精緻な模様の彫刻が施されている。
彼の後をついて、私たちは廊下を歩く。石造りの床に私の靴音が静かに響く。レオナルドは終始沈黙を保ち、トランクを抱えたまま一歩引いた距離を保ってついてくる。
何度か廊下を曲がった先で、老執事が足を止めた。
「こちらでございます」
通された部屋は、応接間にしてはやや広めの作りだった。
重厚な木の扉が開かれると、室内は温かな陽光に満たされていた。壁にはアイスグリーンの壁紙が貼られ、天井には草花の模様が描かれている。
壁際には手入れの行き届いた観葉植物が並び、窓際には季節の花々が飾られている。一輪ずつがしっかりと水を含み、花弁は張りと艶を保っていた。
部屋の中央には、深い藍色のカーペットが敷かれ、マホガニーのローテーブルと来客用のソファが配置されている。壁には上品な絵画と工芸品が飾られていた。
「しばしこちらでお待ちくださいませ」
そう言って老紳士は丁寧に一礼し、扉を静かに閉じて去っていった。
しんと静まる部屋の中、私はふぅと息を吐いた。
「……はー……緊張する……」
「大丈夫だ。今のところは想定内だろう」
レオナルドが低く囁く。彼は冷静そのもので、完全に従者の顔をしていた。
執事が静かに部屋を辞して数秒も経たないうちに、入れ替わるようにしてメイドさんが姿を現した。年の頃は私とそう変わらないだろう。手には銀のトレイが載せられ、その上には花の絵が描かれた磁器のティーセットが載っている。
一礼して軽やかな足取りでテーブルの前に進んだ彼女は、優雅な手つきでカップを並べ、ポットから琥珀色の液体を注いだ。静かな音とともに淡い花の香りがふわりと立ちのぼり、緊張気味だった空気が幾分和らいだ気がした。
「どうぞ、お口に合えばよいのですが」
「ありがとうございます。いただきます」
丁寧にカップを差し出してくれたメイドに軽く会釈を返し、私はソファに腰を下ろす。座面は程よく柔らかく、背筋を預けると自然と息が深くなった。
ティーカップに手を伸ばし、しばし静かな時間が流れる──はずだった。
だが、扉の向こうから小走りの足音が近づいてくるのが聞こえた。焦るような、急ぐような気配。
つづいて誰かの小さな声が、廊下の奥からかすかに届く。内容は聞き取れなかったが、語気の強さからして、やや一方的な呼びかけか命令のようだった。
そして、ノックもないまま──扉が唐突に開かれた。




