18 さよなら銀髪、こんにちは逃亡者
「同じ部屋で寝るのは、流石に問題があるだろう」
コンテナハウスの中で、真剣な顔をしたレオナルドがそう言った。
「えっ今更すぎん?」
「今までは別の部屋だっただろ」
レオナルドは険しい表情で腕を組み、コンテナの室内を見回している。壁、ベッド、そして私。真剣なまなざしに、私は思わず噴き出しそうになった。
私は思わず肩をすくめて返す。逃走劇を経て、やっと腰を落ち着けられた直後の会話にしては、妙に平和すぎた。
「いやいや、私が寝てる間に普通に出入りしてたでしょ。アレで何もなかったんだから、コレも何もないでしょ。一緒のベッドで寝るわけじゃあるまいし」
「……む」
ぐぬぬ、という音が聞こえた気がした。完全に言葉を詰まらせたレオナルドが、視線を逸らす。その仕草にまた笑いが込み上げてきそうになるのを、どうにか堪えた。
「コンテナ二つも出すスペースはないし。テントにでもする? 組み立てからになるし、わざわざグレード下げる必要性もない気がするけど」
レオナルドは口を濁し、何か言いたげに視線を泳がせたが、結局まともな反論には至らなかった。
さっさとアイテムボックスから簡易衝立を取り出し、ベッドの間に設置する。ついでに距離感を強調するように、ベッドを目いっぱい左右の端に押しやってあげた。
レオナルドはぐぬぐぬと葛藤の表情を見せたのち、最終的には無言でうなずいて。
そんな一幕もありつつ──
私とレオナルドは、今までとは違う森で野営……野営? をしていた。
あの襲撃から逃げ延びたあと、出来る限り距離を稼いだ。余程の緊急連絡でもなければ人の移動がない夜の間に、バイク移動を最大限利用して。
陽が昇る頃には、レオナルドの記憶にあった魔力の薄い森に入り、地形と遮蔽、視界を確認しつつ、なるべく痕跡の残りにくい場所を選んで仮の拠点を構えたのが今朝のことだ。
今まで暮らしていた森ほど綿密ではないにせよ、要所にセンサーやカメラを設置して、警戒体制を整える。
そして今回は、大きな方のコンテナではなく、レオナルドが使っていた小さい方のコンテナハウスを展開することにした。
そう、私たちはまだ、逃げ切っただけだ。
レオナルドはこの国の先代国王の落胤。そして、現国王はその存在を不都合として忌避し、排除しようとしている。
その結果、私たちは逃避行生活に突入した。
──だけど、逃げ続けるだけじゃ意味がない。
最早当事者であるレオナルドや無関係の第三者である私が「やめてください」とお願いしたところで収まる事案ではない。もっと上の、王族なり有力貴族なりからぶっとい釘を刺してもらわなくてはならない。
レオナルドを“安全に”生かすためには、今の権力構造に揺さぶりをかける必要がある。
その糸口になるのが、王子との接触だ。
王子は、現王の息子。だが、彼は公正で理知的だとレオナルドは言う。
ならば、父王とは違う判断ができる可能性がある──それが私たちの賭けだった。
その為にテーブルを挟んで向かい合い、今後について話し合い、今に至る。
「さて……じゃあ何色にする?」
レオナルドと私は、並んでひとつのタブレットを覗き込んでいた。
画面に映し出されているのは、通販サイトのヘアカラー一覧。パッケージ写真のモデルたちが、ピンクに、青に、グレーに、と多彩な髪を揺らして微笑んでいる。
「……これが、毛染め剤か」
レオナルドが感心したように呟いた。とはいえ、彼は今さら毛染め自体に驚いているわけではない。この世界にも似たような染剤や魔道具があるらしい。それでもカラー剤の種類の多さには面食らっているようだった。
私の問いかけに、レオナルドは黙って、モニターに映るヘアカラーの見本を見つめている。無骨な騎士が髪色選びで悩む図は、なんというか妙に微笑ましい。
「こんなに色があるとは思わなかった。……緑、紫、青、灰……この“黒曜石ブラック”というのは、ただの黒か?」
「うん、いちばん普通の黒。艶があるって言ってるけど、実際はちょっとマット寄りかな」
私は指先でスライドしながら、いくつかの色見本を拡大してみせた。どれも画面越しでは似たように見えるが、実際には光の加減や髪質で違ってくる。
「……黒、にするか」
ふいに、レオナルドが言った。タブレットの画面を見たままの声音だったが、私は彼がチラリとこちらを横目で見たことに気づいていた。
「君と近い髪色なら、夫婦役でも兄妹役でも通るだろう。選択肢は多い方がいい」
「あーね」
私は曖昧に頷きながら、ちょっと複雑な気持ちで彼を見た。
レオナルドはついさっきまで「同じ部屋で寝るのはどうか」と真面目な顔で言っていたのに、その口で「夫婦役」だのと言い出すのだから、正直反応に困る。とはいえ、言っていることは正しい。
王子と接触する。それが次の大きな目標だ。
そのためにはどうしても、街へ入る必要がある。だが、襲撃が本格化している現状、今までのように私は街で、レオナルドは森で一人お留守番、と別行動するのはリスクが高い。
となれば二人で共に街に行くしかないが、そこには人目がある。変装は最低限の備えだ。
「黒なら、市井の人間に溶け込みやすい。夜間の移動や潜入にも利があるしな」
この世界には、ピンクや緑といったファンタジックな色合いの髪や瞳を持つ人が普通にいる。
皆それぞれ持っている色彩が多様すぎて、特定の色が大多数を占める、ということがない。分類としては黒、茶、金あたりが多めだが、それだって200色あんねん。
なので私が持つ黒髪も、特別視されることはない。忌避もされないし、注目もされない。この世界に来たばかりの頃から、何の問題もなく街を歩いていた。
レオナルドの色も、そういう意味では「少ないけど、いないわけじゃない」程度。
だけど──彼を探している側にとっては、これ以上なく“特徴的”な色に違いない。
レオナルドは、月の光を掬ったような銀髪に、瞳は夜明け前のような淡い紫。
それは、この国の先代国王と同じ色だった。
養父であるロウヘルト子爵が言うには、顔立ちこそ瓜二つというほどではないが、先代国王と並べば確かに似ているらしい。
一方、現国王と王子は、王太后の血を色濃く引いているそうだ。陽光のような淡い金髪に、晴天のような明るい碧眼。王道のキラキラ王子様カラー。
明るく華やかなその“正統派王族”の容姿からすれば、レオナルドの持つ静謐な銀と紫の組み合わせは、異質でありながら、どうしようもなく王という存在を連想させる。
……国王がレオナルドに執着する理由の一端が見えた気もする。
「でも、黒はいいと思うよ。地味に見えて、一番無難で、目立たない」
「……君の髪色が、地味だと思ったことは一度もない」
「えっ急に何? どの文脈に入れ込むべきか難しいんだけど」
ひとしきり茶々を入れてから、私は真面目な顔で注文ボタンを押した。
バスルームにこもって染料を洗い流しているレオナルドを待ちながら、私はタオルを二枚広げて準備した。
今回使ったのは、黒曜石ブラック。レオナルドの髪は色の薄い銀髪だからしっかり染まるだろう……と思ったけど、あれ別に脱色されてあの色なわけじゃないじゃん? 白髪ともまた別だろうし……ちゃんと色入るのかな。
「……流した」
「はーい、おつかれー」
タオルを持って手招きすると、レオナルドは素直に簡易椅子に腰を下ろした。濡れた髪が首筋にしっとりと張り付いている。もとの銀髪はほとんど姿を消し、黒に程近い鈍色になっていた。まぁ四捨五入して黒ってことで。
タオルでそっとレオナルドの髪を拭う。普段なら彼はこういうこと、自分でささっと済ませてしまう。でも今日は色の定着確認も兼ねて、私が面倒を見ることにした。
「おおー……結構、変わったね」
「そうか?」
「うん、だいぶ」
艶のある黒髪は、彼の整った顔立ちをより引き立てていた。儚げだった銀髪の印象とは打って変わって、どこか精悍さと落ち着きがにじむ。まるで別人……とまではいかなくても、ずいぶんと印象が変わった。
「じゃ、乾かしまーす。動かないでねー」
「あぁ」
タオルドライが終わったら、次はドライヤー。コンセントをつないでスイッチを入れると、小さなモーター音と共に温風が吹き出す。
レオナルドが無言でタオルを持ち、少しだけ前屈みになる。その後頭部に、私はドライヤーの風を当て始めた。
レオナルドの髪は細くて柔らかい。水気を含んでしっとりと濡れていて、ドライヤーの風を受けるたび、ふわりと形を変える。乾かしている私の指の間をすり抜けて、まるで何かの繭を解いているような気分になる。
こんなに間近で触れるのは初めてかもしれない。
後ろから髪に手を入れながら、私はふと思う。
「いつもと逆だなぁ」
「うん?」
レオナルドが、ほんの少しだけ顔を上げる。
「だって、いつもはレオナルドくんが私の髪乾かしてくれてたじゃない」
「君が生乾きのまま放っておくからだろう。折角綺麗な髪だというのに」
レオナルドの声は風に揺れて、少しだけ眠たげだった。洗い立ての髪からは、染料とシャンプーが混ざったような匂いがして、どこか懐かしさすらある。
襲撃騒動で色々あったが、彼と過ごしたいつもの日常から数日も経っていない。
森を出る時、レオナルドのおかげで私は敵に一度も見つからずに移動できた。
もちろん恐怖や緊張は感じていたが、思い浮かぶのは、初めて見た時の、倒れ伏したレオナルドの姿ばかりだった。
──二人で暮らしていた森の家はもうない。
だが、"日常"はまだ、ここにある。
染めたばかりの黒髪が、温風を受けてふわりと舞う。これがもともとの色みたいに自然で、目の端に入るたびに不思議な感覚になる。
「……黒も似合ってると思うよ。優等生っぽい感じ」
「そうか?」
「うん。ちょっと真面目すぎて面倒くさい家庭教師って感じ。私が問題集サボったら説教されるやつ」
小さく笑った彼の横顔は、黒髪のせいかいつもよりも大人びて見えた。
今までは儚さや気高さが先に立っていたけれど、今はどこか庶民的というか、現実の重みを纏ったような、そんな雰囲気がある。
私は何気なく、彼の髪をすっと撫でた。
その仕草にレオナルドが一瞬だけぴくっと反応したけれど、すぐに何事もなかったかのように、目を伏せる。
「もうすぐ乾くよ。あとちょっと」
「ああ」
私は風量を少し強めて、後頭部から側頭部へ、丁寧に手を動かす。
ドライヤーの音が静かに、二人のあいだの沈黙を埋めている。
「はい、終わり!」
私はそう言って、ドライヤーのスイッチを切った。
最後に髪のてっぺんを手のひらで軽く整えて、うん、と頷く。
レオナルドが静かに席を立ち、鏡の前に歩み寄る。そして映った自分の姿をじっと見つめて──ふ、と笑った。
「……変な感じがする」
「何が?」
「この色に、まだ馴染みがない。自分の影を見ても、一瞬誰かと思ってしまう」
「それなら安心だね。きっとバレないよ」
言いながら、私は自分の指先を見た。そこにはうっすらと黒い染料の跡が残っている。それを眺めながら、心のどこかがあたたかくなるのを感じた。
……これから先、何が起きるかわからない。
でも、こういう何気ない時間が、きっと私たちを支えてくれる気がした。




