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異世界来たけどネットは繋がるし通販もできるから悠々自適な引きこもり生活ができるはず  作者: 星 羽芽


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17/50

17 崖っぷちランデブー



 俺は剣の柄に軽く手を添えながら、あかりの姿が木々の向こうに消えるのを見送った。手を振るでも、声をかけるでもなく。ただ、互いの選択を信じて、背を向けた。

 俺は単独で森の北東へと進路を取る。地図で確認した限り、最も接触の可能性が高い部隊の進路に、わざと交差するように。


 彼女には「囮になる」とは言わなかった。いや──言えなかった。

 けれど、これはそういう戦術だ。敵の目を引きつけ、彼女が安全に森を抜ける時間を稼ぐ。


 あかりはすでに反対側のルートを進んでいる。あの子は賢い。冷静だ。地図とドローンを駆使して、敵の配置を読み抜き、可能な限り死角を通って森を抜けていくだろう。俺は、そのための囮でいい。戦うことが俺の役割だ。


 夜の森は静かだった。

 だが、その静けさは、決して安らぎのものではない。獲物の息遣いを察知する獣のように、見えざる敵の気配が、じわじわとこちらを包囲していた。


(……来る)


 風がざわりと木々を揺らす。深い森の中、獣の気配ではない何かが、近づいてくる音がした。

 前方、三十メートル。枝の揺れ、草の擦れる音、そして……小さく立てる呼吸のリズム。

 完全な隠密行動というには甘い。訓練された兵の動きではあるが、暗闇での行動に慣れている者ばかりではない。


 背後に木を背負い、息を潜める。


 やがて、足音。三人──いや、四人か。先行している一人と、やや距離を取った三人。広がっている。警戒している証拠だ。


 気配を断ち、地を蹴った。木の根を踏み越え、茂みを裂いて一気に距離を詰める。

 先頭を進んでいた兵が、こちらを見て息を呑む間もなく、斬撃を一閃。


「ッ──!?」


 一人目が反応するより早く、肩口から斜めに斬り伏せる。剣は肉を断ち、骨を割った。返す刃で左後方の二人目の腰に斬撃を叩き込むと、悲鳴も上げずに崩れた。


「一人か!」

「警戒しろ、罠があるかもしれん!」


 ようやく敵が声を上げた。だが、それが遅れとなる。

 俺は木立を利用して回り込み、次の兵士へと接近する。

 相手が身構えたのが見えた。体格は良い。訓練も積んでいるのだろう。踏み込みも速い。だが、構えが甘い。


 相手が剣を振り上げる瞬間、俺は肩を落とし、間合いの内側に入り込む。地面の湿気を利用して右足を滑らせ、体を捻り、脇腹に短剣を深く突き立てた。呻きとともに兵が崩れ落ちる。


 その時、視界の端で光が弾けた。

 敵の後衛が魔法詠唱を開始している。風属性──いや、火属性の初級攻撃魔法。標準的な発動速度。


 防御魔法を展開する暇すら惜しい。瞬時に判断し、地を蹴ると同時に足元に魔力を込める。


 爆風が地面をえぐり、俺の体を吹き飛ばす。

 木を蹴って軌道をずらし、火球を回避。森の木々が焼け焦げ、火の粉が舞う。


 相手は完全に腰が引けている。既にこちらの位置を正確に捉えてはいない。


 俺は再び動いた。今度は地形を利用し、樹木の影を縫うようにして──最後の一人の背に回った。


「ッ……!」


 魔法使いが詠唱を急いでいた。雷だ。術式を読めば分かる。

 だが──間に合わない。


 俺は左手の短剣を逆手に持ち替え、術者の腕を目がけて投擲。術者の腕に突き刺さる。

 術式が暴走し、魔力が炸裂。爆ぜた雷の火花が周囲に散る。術者が地に膝をついた。


 俺は間髪入れずに踏み込み、剣を突きつけた。術者が防御魔法を展開しようと手をかざした瞬間、その手を斬り払う。


「──っ!」


 魔力の奔流が霧散する。

 喉元に剣を突きつけ──……終わった。


 汗が頬を伝っていた。だが、体力の消耗は最小限。致命的な怪我もない。

 森の匂いが戻ってくる。土と血の混じった、静かで、どこか物哀しい匂いだ。


 木々の間を縫い、息を整えながら進む。途中、気配に気づいて足を止める。

 ──索敵に戻ってきた兵士か。単独行動のようだ。


 木々の間をすり抜け、無音で接近。腕を絡めて頸動脈を圧迫。相手がもがく前に、意識を奪った。


 ゆっくりと地面に倒し、物音を立てないように身を低くして周囲を確認する。


(……これで五人)


 全体の布陣から見れば、まだ氷山の一角。

 だが、こちらも損害ゼロ。動きを読み、各個撃破に徹すれば十分に渡り合える。


 問題は、時間だ。

 ならば、立ち止まっている暇はない。


 息を整える。闘志を鎮める。次の部隊は、また別の布陣で来るだろう。

 けれど、何度でも戦える。何度でも、時間を稼ぐ。


 君を生かすために。君と、未来を迎えるために。






 ──二隊目、排除完了。


 息が荒い。呼吸が浅い。

 額に伝う汗が、目に染みる。


 先の五人との交戦が終わって、まだ十分も経っていない。だが、もう次の気配が近づいていた。


 予想よりも早い。部隊間の距離はもっと離れていたはずだ。だが、こちらの魔力の閃光と剣戟の音を感知したのだろう。敵の動きは明らかに加速していた。追撃の手を緩める気配はない。まるで、獲物の血を嗅ぎ取った猟犬のように。


 木々の向こうに、複数の足音。風に乗って、鉄の擦れる音。


 ──三隊目。四人。


 しかし、前の部隊とは明らかに動きが違う。森での戦闘に慣れている。隊列の取り方も、剣の軌道も、呼吸すら緻密だ。


 一人の兵が距離を詰め、左肩をかすめるように斬りつけてきた。剣圧が布と皮を裂き、浅い切創を残す。だが、それ以上は許さない。即座に回避し、相手の手首を狙う。


 ──弾かれた。


 反応速度、剣筋、間合い。すべてが前の部隊より洗練されている。

 地形の把握と機動力、そして訓練された戦闘経験。それらで食い下がってはいるが──既に、二人を一度に相手するのも苦しくなってきていた。


 だが、引く選択肢はない。ここで止めなければ、あかりが包囲される。

 俺は歯を食いしばり、二人の同時攻撃を受け流しながら反撃の隙を探る。


「囲め! 絶対に逃がすな!」


 敵の号令が飛ぶ。俺の逃走経路を断つように、二人が迂回していく。


 まずい。完全に背を断たれる。


 俺は地を蹴って、南へ向かって駆けた。幾度も通った獣道。地形は頭に入っている。

 視界を切るために、わざと倒木の影を飛び越え、背後に落葉の粉塵を巻き上げる。


「迂回隊、そっちに回った! 崖に追い込め!」


 敵の声が森を切り裂くように響いた。


 こちらの思考を読んだかのような展開に歯噛みした。

 彼らは既にこちらの意図を読み、包囲の輪を狭めにかかっている。完全に見切られたわけではないが、もはや猶予はない。それでも、突破しなければ。


 わざと倒れたように見せかけて転がり、近くの潅木の中へ飛び込む。呼吸を殺し、身を潜め、待つ。


 ──一瞬の静寂。


 次の瞬間、追撃の兵士が一人、警戒しながら通りすぎた。その背に向かって、俺は短剣を投げ放つ。


 風を裂いた刃が喉を撃ち抜いた。


「ッぐ……」


 崩れ落ちた音を皮切りに、また剣を手に立ち上がる。


 木立の奥から、新たな気配が迫ってくるのを察知した。

 ──足音が近づく。三、四……いや、五。残りの全員が集結しつつある。

 だが、既に俺の体力も限界に近い。剣を握る手がじわりと湿る。呼吸も、やや乱れ始めていた。

 木の幹を背に、俺は呼吸を整える。

 短剣は投擲で手放した。残るは、一本の長剣と残りわずかな魔力。


(……退路が、ない)


 このままでは、全周を包囲されるだろう。

 なら、いったん戦場を動かすしかない。


 俺は踏み込んだ。

 木々が減り、土が岩盤に変わっていく。


 ──地鳴りのような足音。追手がすぐ背後まで迫っている。


 足を止めるわけにはいかない。残された手段は、誘導と持久。


 そして、ついに視界が開けた。


 荒れた岩場。足場は悪く、樹木もまばら。半ば崖のような急傾斜に、露出した岩肌が月明かりを鈍く反射している。


 (……地の利を失ったな)


 ここまで追い詰められるとは思わなかった。

 逃げ場がない。


 (まだやれる。あと、もう少し……)


 剣を握り直す。血で滑りそうな柄を、力で押さえ込む。

 肺が焼けるようだ。だが、足は動く。──倒れるわけにはいかない。


 指揮官らしき男が叫んだ。


「全員でかかれ! ここで終わらせる!」


 背後に聳える切り立った岩壁。時間さえあれば登れなくはないが、この状況では的になるだけだ。弓でも魔法でも、この距離なら確実に仕留められる。


 目の前には五人の兵士。うち二人は魔法支援。残る三人がじわじわと間合いを詰めてくる。森の奥から増援の気配。

 袋小路だった。冷静に見れば、打開の道は限られている。


(……いや、まだ終わっていない)


 思考を止めるな。体を動かし続けろ。視線を逸らすな。

 わずかに膝を緩め、次の動きに備えようとした、その時だった。


 ──ガシャン!


「なんだ、急に……!?」

「……突然現れて、いや、どこから……!」


 乾いた金属音が、岩に反響した。刹那、俺の体が勝手に動いていた。振り返る。岩壁に──長い金属製のハシゴが立てかけられていた。


 瞬間、確信した。


 一切の疑念が吹き飛ぶ。身を翻し、地を蹴って、背後から怒声と足音が迫る中、俺は躊躇なくその梯子に駆け寄り、手をかけた。 

 視界が岩肌に覆われ、背後が見えなくなる。金属の段が靴底に噛むたび、身体が宙に持ち上がっていく。

 無防備なこの瞬間。俺の背に、何の攻撃も来なければ、それは奇跡だと思った。


 だが──


 一瞬で、夜が明けた。


 昼かと思うほどの閃光が、背後から照りつけてくる。

 自分の影が、岩壁にくっきりと浮かび上がっているのが見えた。


「うわっ!? な、なんだ……!」

「目が、見え──ッ!」


 背後で混乱と悲鳴、怒号が飛び交う。敵が完全に怯んでいる。この機に、俺は梯子を最後まで駆け登る。

 息を荒げながら、岩の上へ這い上がると、そこで待っているのは、


「レオナルドくん!」


 あかりの声。姿を確認するより早く、何かが投げられた。

 反射的に手を伸ばす。丸い、光沢のある……兜だ。それを受け取った瞬間──足元で、誰かの叫びが上がった。


「う、うわあああああッ!!」


 驚いて身を乗り出し、崖の下を覗き込む。数人の兵士が宙をもがきながら、地面に無様に落下していくのが見えた。


 梯子が、消えている。


 そうか。あかりが、アイテムボックスで収納したんだ。俺が登りきった瞬間、後を追って登りかけた敵兵たちはそのまま空中に投げ出され、落下したのだろう。

 鮮やかすぎる手際に、俺は一瞬言葉を失う。


「行くぞ、レオナルドくん!」


 呼びかけに振り返る。そこにいたあかりは、俺に投げ寄越したものと同じような兜を被り、何かに跨っていた。


 ──見覚えがない。


 それは、いつぞやのマウンテンバイクではなかった。もっと無骨で、機械的なフォルム。全体的に黒鉄色で、太い車体と金属パーツがむき出しのフレーム。タイヤは小ぶりだが太く分厚い。華奢な彼女が扱うには不釣り合いにすら思える、いっそ暴力的な外観。


「乗りな……!」


 にやりと口角を上げた彼女が親指で自身の背後──確かに人一人が座れそうなスペースがあった。


 迷いはなかった。俺は受け取った兜を被ってそれにまたがり、あかりの肩に手を添える。

 瞬間、車体が低く唸った。マウンテンバイクの電動モーターのような音ではなく、魔獣の咆哮のような重低音。


「しっかり掴まってて!」


 あかりの声には、どこか楽しげな響きすらあった。


 命を懸けた逃走劇の最中だというのに──何故こんなに頼もしいんだろうか。

 俺は思わず、彼女の背中越しに小さく呟いた。


「……君に救われっぱなしだな」

「うんうん、ありがたく思っていいよ!」


 あかりはそう言って、足元のペダルを踏み込んだ。


 金属の車体が唸りをあげ、枝を弾き、石を跳ね飛ばしながら地を蹴って進む。

 闇の中、金属の獣が地を駆ける。

 森を抜け、岩場の上を越え、幾つもの木々の間をすり抜けるようにして。


 背後を気にして何度も振り返ったが、今のところ追手の気配はない。梯子落としと照明弾の一撃で混乱してくれたのだろう。


 ようやく、敵を完全に振り切った──と、そう確信できた頃だった。


「……ところで、これはどこに向かってるんだ!?」


 俺はバイクの後ろから叫んだ。あかりのすぐ背後、振動を体で受けながら、声を張る。

 咆哮のような駆動音が周囲をかき消していく中、あかりが焦ったように怒鳴り返してきた。


「え!? ちょっと待って今集中してるから!!」


 その声には、いつもの余裕はなかった。


「バイクなんて運転するの一年以上ぶり、だし! しかもこれ舗装されてないし!! 二人乗りとかしたことないし!!!」

「おい……大丈夫なのか……」


 この速度で転倒でもしてみろ。鎧と兜で耐えられるのか? しかもあかりは兜しか装備していない。

 言いながら、俺は無意識にあかりの腰にしっかりと腕を回す。前方であかりが軽く息を呑んだのが分かる。


「揺れるからしっかり掴まってろって、言ったでしょ!」

「そこまで言ってない!」

「言ってたような気がする!」


 この緊迫感の中で何を言っているんだ、と自分で思いつつも、少しだけ張り詰めた心がほぐれるのを感じた。


 だが、気を抜いていい時間は長くない。

 俺はすぐに表情を引き締め、あかりの肩越しに前方の地形を睨んだ。


「索敵は俺がしよう。あかり、ドローン出せるか?」


 片手を伸ばし、受け取る体勢を取る。

 だが、前方を凝視していたあかりがわめくように返す。


「え!?  いまそれ渡す!? あんまむつかしいこといわないで!」

「……すまん」

「ちょっと待って、アイテムボックス……あーもうっ、あと三十秒待って! まっすぐな道に出たら止まるから! そしたら落ち着いてドローン出す!」


 どうにか会話が成立し、黙って頷いた。


 車体は小さく跳ねながら、藪を抜ける。視界の先に、やや平坦な道が見えてきた。空には夜の名残がうっすらと残り、周囲の木々が風に揺れていた。


 二人の逃走劇は、まだ静かには終わらない。



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